05 魔物駆除協会<ハンターズ・ギルド>
隣街のメクレンへ向かう途中で、不気味ななにかに襲われかけたルーファスとウェンリーは、一目散にメクレン近くまで逃れます。その後、先に魔物駆除協会へと向かいますが…?
――通常魔物というのは、あまり知能が高くなく、自分に攻撃を仕掛けてくる者や、最も近くにいる者を狙うものだ。
だが俺が初めて見るこの不気味な物体は、最も近くにいる武器を構えた俺ではなく、後ろにいたウェンリーの動きに反応した。
それはまるで、ウェンリーが戦いに不慣れな初心者であることに気付き、どちらを狙えばより簡単に食えるか考えているかのような動きだった。
「武器は出さなくていいから、動くな、ウェンリー。そのまま…じっとしていろ。」
俺の普段とは違う緊張が伝わったのか、ウェンリーは俺の指示に従いじっとするも、目の前のそれに集中しながら俺に尋ねてくる。
「なんだこいつ…どこから現れたんだ?」
「頭上からだ。おまえ目掛けて降って来た。」
「って上から!?」
嘘だろ、とウェンリーが上を見上げた。
――なんだ…?普通の魔物からは感じられない、指向性のなにか異質な力を感じる。変異体とも違うような…と言うか、これは…魔物なのか…?
グボ…ボ…ゴボ…グロロ…ボ…ゴボ…
煮え滾った泥湯や溶岩が撒き散らす、ドロドロとした液体が立てるような、音とも声とも区別のつかぬものを立て、ゆっくりと地面を這うそれは、這い進んだ後に見るからに毒々しいタールのような液体の染みを作って行く。
黒い瘴気のような靄に包まれたゼリー状の体内には、紫色の光を放つ核のような球体がゆらゆらと蠢いて見えた。
それが、ゆっくりとこちらへ移動し始め、俺の手前二メートル半ほどの距離に入った時、再び俺の全身が総毛立った。
ゾワッ…
「――ウェンリー、逃げるぞ。」
「え…ええ!?」
「ここからならメクレンまでもう近い。合図をしたら全力で走れ。いいか?…3、2…1、今だ走れっ!!」
ダッ
それが素早く飛びかかってくる寸前に、俺とウェンリーは脱兎のごとく登山道をメクレン方面に走り出した。
幸いなことにそれの移動速度は遅く、俺達は難なく逃げ果せることができ、一気にそのまま山道を駆け降りてメクレン側の登山口まで無事に辿り着くことができた。
そこまで来てようやく俺は足を止めて、肩で激しく息をしながら同じような状態のウェンリーに声を掛ける。
「はあ、はあ…大、丈夫か…?ウェンリー。」
「なん、とか…はあはあ、なんだよ…?どうしたんだよ、いきなり――」
俺達は流れる汗を拭いながら息を整え、深呼吸を繰り返す。
「あれは多分魔物じゃない。なにかもっと…別のものだ。直感だけど、まともに戦っても倒せるような気がしなかったんだ。」
――ルーファスの口から出た滅多にないその言葉に、ウェンリーはゾッと寒気がして血の気が引いた。
≪ ルーファスがこんなことを言うなんて…マジでヤバかったんじゃね…?≫
そう思いながらたった今走って来た後ろを振り返り、なにもいないことを確認すると、とりあえずホッとして胸を撫で下ろした。
「ま、魔物じゃねえなら…なんなんだよ?」
「…わからない。魔物に関してはリカルドがとても詳しいんだ。後で特徴を話して心当たりがないか聞いてみよう。」
五分ほどその場で休憩を取ると、もう目の前に見えているメクレンの街を目指して、ルーファスとウェンリーは麓の緑地内を通る、砂利を引いただけの街道を歩き出した。
ヴァンヌ山のメクレン側の登山口と、メクレンまでの間には小規模の森があり、そこを抜けるとすぐに色付いた紅葉のような、赤茶色の外壁と黄硬木の門扉が見えてくる。
この街を守る外壁は、“ブリックストーン” と呼ばれる赤煉瓦で作られており、この辺りの低ランク魔物ならそう簡単には入り込めない、頑丈な造りになっていた。
門扉は鉄製の枠と『ルスポプラ』と言う名の黄色い硬木を加工した、黄硬木板を組み合わせて作られている両開きの扉で、日中はメクレンの守備を担う警備兵が立ち開け放たれている。
ヴァハからヴァンヌ山を越えて来る人間はほぼ村の住人であるため、警備兵はその顔を覚えており、特にルーファスは守護者としてメクレンの街に関する依頼を引き受けることも多く、好意的に対応して貰えていた。
「やあルーファス、二週間振りくらいかい?元気そうで何よりだ。リカルドさんがシェナハーンから戻って来ているよ。…って、もちろん知っているか。」
ウェンリーよりも少し年上で、アッシュブラウンの短髪をした、そばかす顔の警備兵がにこやかに声を掛けてくる。
彼はいつもここに立っていて、俺とはすっかり顔馴染みだ。
「こんにちは、ノクト。一昨日手紙が届いたから、帰って来ているのは知っているよ。メクレンは変わりないか?」
俺は頷いて笑顔でそう答えると、ここでも簡単な情報のやり取りをしておく。街の守護を担う警備兵に近況を聞いておけば、メクレンの周辺で起きている事件や事故、魔物の異変など大まかなことは大体わかるからだ。
「今のところはね。でもいくつか至急の討伐依頼が出ているから、良かったらリカルドさんと相談して受けてもらえないかな?君のパーティーなら安心して頼めるからね。」
「わかった、後で依頼掲示板を見てみるよ。」
「助かるよ。」
「それと知らせておきたいことがあるんだ。」
俺はノクトに変異体のことと、さっき出会した魔物のような不気味な敵について詳しく話しておく。普段こちら側の門の警備担当であるノクトは、なにかあれば真っ先に動かなければならないメクレンを守る要の兵士だ。
彼はウェンリーとそう変わらないくらいの年でも、生まれ育った街を自分が守るという気概を持ってこの職に就いており、俺の話を真剣な表情で何度も頷きながら聞いていた。
「そうか…ヴァンヌ山でも遂に変異体が出たか。正体不明の敵に関しても仲間にすぐ知らせておくよ。情報をありがとう、ルーファス。」
「いや、気をつけてな。」
一通り話し終わると俺はノクトに手を振って、傍で待っていたウェンリーと門の中へ向かって歩き出す。
「お待たせウェンリー、行こうか。」
ウェンリーは複雑な表情でチラリとノクトの方を見やると、不満げに小さくぼやいた。
「――村の連中もあのくらいおまえに対して好意的なら許せるんだけどな。普通守護者にはああいう態度が当然だと俺は思うね。…命がけで守って貰ってんだからさ。」
両腕を上げて頭の後ろで組み、ぷいっとウェンリーは前を向く。俺はなにも言わずにウェンリーの背中をぽん、と軽く叩いてメクレンの街へと足を踏み入れた。
門を抜けると外壁に沿ったヴァハ側の通りには、警備兵の詰め所や職人の仕事場などが並んでおり、その裏側に中心に向かって住宅街がある。
そのまま通りを東に向かって進んで行くと、商店が建ち並ぶ繁華街に続いており、そこからさらに奥の大通りに向かって北に曲がると、公共施設や町役場、そして魔物駆除協会などがある区画に出られるのだ。
「着くには着いたけど、なにから始める?」
十字路の手前で立ち止まり、ウェンリーが俺に尋ねる。
「先ずはギルドへ行く。変異体の情報は少しでも早く伝えておかないと、新たな被害が出かねないんだ。…いいか?」
「了解。んじゃギルドへ向かいますか。こっちだよな?」
ここメクレンは中規模の大きさがある街なのだが、周囲を豊かな自然に囲まれており、学問を学ぶのに適した割と静かな環境だった。そのためいくつかの有名な大学校が建てられており、エヴァンニュでも南部地域に当たる周辺の町や村から、結構な人や物の流れがある。
また大きく分けて四つの地区があり、商業地区、住宅地区、学術地区、交易地区で構成されていた。
基本的に外壁に近いほど工場や工房と言った作業施設が多く、住人を守る観点から住宅は少し街の内側に建てられているのが殆どだ。
通りを歩いて来た俺達は、様々な武具を装備した守護者や冒険者らしき人々が多く行き交う区画に入ると、右手に『魔物駆除協会』と書かれた看板のある、三階建ての大きな建物の前に辿り着いた。ここが目的の場所だ。
入口の前に立つとシュンッと言う、物の擦れる音がして、目の前の硝子の扉が両脇の壁に滑り込んで行く。この建物の入口は自動で左右に開閉する扉になっており、外枠に取り付けられた小さな魔石駆動機器がなんらかの気配を感知すると、扉が動く仕掛けになっているのだ。
建物の内部に入ると、一階には多数の民間人が受付窓口に列を成して順番を待っていた。
「――結構混んでんな。これもしかして、みんな依頼の申し込みに来てるって奴?」
ウェンリーが人の多さに少し驚いた顔をして俺に尋ねる。
「ああ、そうだろうな。ここ最近、特にこの一、二ヶ月で一気に増えたような気がする。…今日はまたさらに混んでいるみたいだ。」
「うへえ、これ順番待ちすんのかよ?」
げんなりした顔で項垂れるウェンリーに俺は微苦笑して首を振った。
「ここは民間人用の一般階だ。俺が行くのは二階にある守護者・冒険者専用階だよ。こっちだ、ウェンリー。」
ここメクレンの魔物駆除協会は、正面の入口から向かって左側に民間人用の待合所と受付の窓口があり、中央奥に依頼募集の大型掲示板が、右の奥側にはいくつかの応接セットと立食形式の軽食販売店があり、そこは民間人とハンター個人の打ち合わせや交渉場所にもなっている。
そして入口のすぐ右側に警備室と特殊な検問所<セキュリティゲート>が設けられた上階への階段があって、守護者・冒険者専用のID回路<チップ>が埋め込まれた端末(各々好みの装備品や装飾品にIDチップを埋め込める)を、傍の魔石駆動機器に翳して読み込ませることで通行が許可される仕組みになっている。
因みに俺のID端末は、常に左腕につけている腕輪だ。
――この世界には魔石、魔法石という魔力を内包した物質が存在していて、その『魔力』とは、魔法を発生させるための根源力だと言われている。
『魔石』は単にその魔力を内包しただけの固形物質で、主に魔力を含んだ地層を掘り起こしたり、魔物を倒すことでその体内から採取できる。
『魔法石』と言うのは、より多くの魔力を含有した固形物質『魔石』に、魔法を発生させるための『呪文字』を刻んで、様々な効果を持たせたものを広くそう呼ぶ。
呪文字を刻まれた魔石には、その魔法効果による『属性色』と『魔法紋』が現れ、それらは刻まれた魔法によってその名前が付けられる。
そしてその魔法石を利用して動かしているのが『魔石駆動機器』だ。
これらはここの入口の自動扉や、検問所<セキュリティゲート>、情報処理機器や箱形昇降機器<エレベーター>などと言った様々なものに使われ、人々の生活に広く利用されている。
要は魔石に含まれる魔力で、魔法を発生させて機器を動かしている、と理解して貰えればいい。
魔石駆動機器は特に中〜大規模な街で多く見られるが、その設備自体が非常に高価で、ヴァハのような小さな集落に大きなものは殆ど設置されていない。
人々の生活を便利にするものには違いないが、あまり発展していない場所にはその価値に釣り合わない設備だと言うことだ。
ピッと言う端末の情報を読み込んだ音がして、脇の画面<モニター>に俺のID番号が表示される。
俺はそのモニターに触れて、同行者の欄に民間人一名と入力し、ウェンリーの分の通行許可証を発行すると、階段への道を塞いでいた柵が開いて通れるようになった。
「へえ…こんなんなってんのか、知らなかった。まるで王都の軍施設みてえだな。」
「ああ、そうだな。通行の邪魔になるから、さっさと行くぞ。」
放っておくとウェンリーはしげしげとモニターを覗き込んだまま、動かなくなりそうだったので、他人の迷惑になる前に急かして先を急ぐ。
階段を上って二階に行くと、そこは一階とはまるで違う雰囲気の階層だ。
まず四方の壁の内、入って左と正面奥の壁には一面掲示板が設えられ、びっしりと依頼票が張り出されている。それは一階とは比べものにならない数だ。
そして中央には守護者・冒険者同士が交流できるように、テーブルと椅子、ベンチが所狭しと並べられ、大勢の人間が情報を交換したり、打ち合わせや依頼の相談をしたりしていて、とにかく賑やかで騒がしい。
中には柄の悪い輩もいるため、揉め事が起きることも偶にあるが、ここでの喧嘩や争い事、況してや刃傷沙汰は厳禁で、場合によっては資格剥奪なんてことにもなりかねないので、大きな問題が起きることは殆どない。
階段脇にはハンター専用の窓口があり、ここで魔物の討伐証拠品や戦利品を交換、換金してくれる。そしてここにも飲料提供用の小店舗があり、酒類以外の飲み物が低価格で楽しめるようにもなっていた。
「ふわあ〜、すっげえ…これみんな守護者か冒険者なのかよ?」
初めて見る大勢の守護者、冒険者にウェンリーがあんぐりと口を開けている。
「ああ、殆どがそうだな。この階は守護者同士の交流の場にもなっているんだ。」
因みに『守護者』と『冒険者』の違いは、主に受ける依頼内容と主活動によって大まかに呼び分けているだけであって、一般的にはあまり差はない。
簡単に説明すると、魔物の討伐と討伐依頼、護衛依頼を中心に仕事をしている有資格者が『守護者』で、旅費など生活のための報酬目的や気ままに魔物を狩って金を稼ぐだけのために資格を所持している有資格者を広く『冒険者』と呼んでいる。そうして魔物を狩って生活する者を共通して通称『ハンター』と言う。
「俺とリカルドが初めて会ったのは、ここの一階にある掲示板の前なんだ。魔物の情報を知りたくてギルドを訪れて…その時、あいつに声を掛けられたのが最初だ。」
「へえ…そういや、リカルドってどんな奴なんだ?考えてみりゃ今まで聞いたこともなかったよな。」
「…それをこの時になって聞くのか?今さらだろう。」
俺は呆れてウェンリーをジト目で見た。
俺がリカルドと一緒に仕事をするようになってもう二年も経つんだぞ?どうして今頃になって初めてリカルドのことを聞くんだ。…まったく、ウェンリーは興味のないことは本当にどうでもいいとしか思っていないんだからな。
「それより思ったよりも混んでいるから、少し時間がかかりそうだ。おまえはその辺で座って待っているか?」
そう聞いた俺の横を、身長が二メートルはあろうかというほどの大男が、のっしのっしと通り過ぎて行った。…俺は170センチに届かない身長しかなく小柄な方で、その差にウェンリーはギョッとして目を丸くしていた。
次の瞬間「冗談じゃねえ、一緒に行くよ!」と慌てた様子で返事をした態度を見るに、ウェンリーは多分、こんな化け物だらけのところに一人置いて行くな、とでも思っているんだろう。
俺はウェンリーを連れて窓口への列最後尾に並ぶと、念のためウェンリーに釘を刺す。
…なぜなら、ウェンリーの落ち着きの無さは、こういう場所で一番発揮されるからだ。
「きょろきょろしたり、うろちょろしないで、大人しくしていろよ。」
「俺は子供かっつーの!!」
とウェンリーは口を尖らせていたが、そう言って何度おまえが俺を騒動に巻き込んで来たか、思い出してみろ、と突っ込みたかった。
暫くしてようやく俺の順番が回ってきて、窓口の担当女性が笑顔で話しかけて来た。
「お待たせ致しました、いつもお疲れ様です。こちらは変異体と新種の魔物に関した情報を扱っています。お名前とID番号をどうぞ。」
「ルーファス・ラムザウアー、1081009。情報登録地はヴァンヌ山六合目付近だ。」
「ヴァンヌ山…ですか、すぐそこですね。」
そう確認した担当女性の表情が険しくなる。
多くの変異体情報は近隣で発生した場合、緊急討伐対象に指定されることが殆どで、その依頼内容は高難易度になることが決まっており、討伐対象の魔物のクラスも、詳細不明扱いの『アンノウン』とされる。
余程腕の立つパーティーでもない限り、依頼を受けてくれる守護者が中々見つからないため、討伐されるまでに被害が甚大になることも多い。
今度もその事例ならば、すぐに手続きをしなければならないと思い、この女性は緊張したのだと思う。
「外見から判断するにおそらくウェアウルフ系列の変異体だと思う。体長はおよそ三メートル強、血液等に毒物の含有はなかった。」
俺は詳しく変異体について特徴などを伝える。前にも言ったが、一度その種類の変異体が発生すると、暫く経ってまた同じ種類の変異体が出現しやすくなるとわかっているからだ。それはヴァンヌ山だけのことではなく、他の生息地でも総じて同じことになる。
「詳細情報をありがとうございます、既に討伐済みですか?」
「ああ。」
「では検体用証拠品の提出をお願い致します。」
討伐済みと聞いて安心したのか、にっこりと微笑んで女性はそう言った。俺はすぐに無限収納から、倒した変異体の巨大な角と牙、ブレードと換金用の爪を全て取り出してカウンターの上に並べた。
ザワッ…
その証拠品を見て、周囲に立っていた守護者達が一瞬ざわめく。
「…?」
それがなにに対しての反応か知っている俺は気にならなかったが、なにも知らないウェンリーは周りを見て怪訝な顔をした。
そうして案の定ヒソヒソとそこかしこから、俺に対する疑念の声が聞こえ始める。
「…変異体…信じられねえ――」
「あんなヒョロっちい奴が?…嘘だろ?」
「へっ、どうせ紛い物…」
――こんな反応には慣れっこだった。確かに俺は小柄だし、パッと見た感じ変異体と渡り合えるようには見えないんだろう。だが外見で人を判断するような輩は守護者として二流だ。俺はそんな連中を相手にすることは一切ないし、疑われようがなにを言われようが気にしたこともなかった。
それなのに――
なんとなくルーファスに対して面白くないことを言われているのだと気が付いたウェンリーは、周囲の懐疑的な視線にムッとして腹を立てた。
「――なにジロジロ見てんだよ、喧嘩売ってんのか!?」
変異体と聞いてゾロゾロと集まって来る複数人のハンター達に、いつもの調子で身を乗り出すと敵意を向けて睨みつける。
「ハッ、随分と威勢のいい赤毛の坊主だな、ああん?」
先程の大男がウェンリーの頭上からニヤニヤと面白がって見下ろしてくる。その身長差は三十センチ近くもあり、身体の大きさもまるで熊と鹿だ。
「…んだよ、文句あんのか?今こそこそとルーファスの悪口言ってただろうが、聞こえてんだよ!!」
ウェンリーにとって、相手が誰であろうとルーファスを悪く言う者は、等しく敵だった。たとえ自分の力では敵いそうにない大男が相手であってもそれは同じで、黙って許すことなど有り得ない。
だからこそいつも通り食ってかかってしまったのだ。それがルーファスを困らせることになってしまったとしても。
――やってくれた。…大人しくしていろと言ったのに。僅か数分、俺が窓口で用を済ませる間くらい、静かに待っていられないのか?…どうしてそう喧嘩っ早いんだ。
俺は頭が痛くなった。
もちろん、俺だってウェンリーの悪口を言われたりしたら頭にくることもあるだろう。だがそれも時と場所、相手によりけりだと思わないか?
況してやここはギルドの中であり、ハンター達の中には柄の悪い輩など掃いて捨てるほどいるのだ。一々相手にしていたら切りがない。
それにギルド内は争い事が厳禁で、こんな所で騒ぎを起こすようじゃ守護者としての信用も失いかねなかった。…物凄く気が重いが、仕方がないな。…まったく。
俺は大きくはあ、と溜息を吐いて窓口の女性に〝ちょっと待っててくれ〟と言ってからその場を離れた。
「――なにをしているんだ、ウェンリー。大人しくしていろと言っただろう。」
手を出されないように俺はウェンリーと大男の間に割って入る。どう見ても分が悪い。殴られればウェンリーが吹っ飛ばされるのは明らかだった。
まあそれも相手がすぐに手を出すような人間であれば、の話だが。
「…悪いな、俺の連れなんだ。ただの民間人だから許してやってくれないか?」
低姿勢に出ているように見せて、威圧するのは忘れない。冷静な態度で俺は大男の目を真っ直ぐに見据えた。喧嘩を売るつもりはないが、こちらも嘗められては後々まで面倒なことになるからだ。
守護者として腕の立つ人間ならば、相手の力量を正しく測れ、これ以上突っかかっては来ないはずだ。
そう、少なくとも俺がこの大男に負けることはない。
案の定大男は俺の威圧に少し尻込みしかけていた。
「…フン、その細腕で本当に変異体を殺れたのか?」
…プライドがあるからそうアッサリとは引き下がらないか。
俺は短く溜息を吐く。…本当にくだらないな、わかっていても難癖をつけるなんて。
「案外少し大型なだけのただの雑魚だったんじゃねーの?」
「いやいや、意外と戦利品だけちゃっかり誰かからいただいちゃったりしたんじゃなくって?」
傍で面白がって見ていた連中がこの場を煽り、そんなことはあり得ない(なぜなら守護者の規約で定められているからだ)と知っていてその上で尚、この大男の仲間らしい、能力の低そうな男が俺を嘲る。
他にも俺に興味を持った周囲の観衆が好奇心で野次を飛ばし始めた。俺がこの後どう出るのか見たくて仕方がないのだろう。…どうやら質の悪い連中の退屈しのぎにされそうだ。だが挑発に乗るわけには行かない。
そう思っているのに、またもウェンリーが口を挟む。
「な…なんだよこいつら、おいルーファス、なんとか言ってやれよ!」
…そこで俺に振るのか。おまえが乗せられてどうするんだ、頼むから黙っていてくれないかな、もう…。
「――よお、白髪頭、名前とID番号言ってみろよ。ハンターランキングで調べてやらあ。」
「しらっ…この…っ!!」
ニヤニヤと面白がって大男が言い放つ。この男、俺に相手をする気がないのを見抜いているな。…人の悪い奴だ。
ウェンリーは多分白髪じゃなくて銀髪だと言いたいんだろう。
『ハンターランキング』と言うのは、文字通りギルドに登録している全ハンターの実力を示す指針となる順位表のことだ。
それは大きく分けて三種類あり、全世界、国別、ギルド別に分かれている。またこれにはハンター達の闘争心を煽り、魔物の駆除率を上げる絶大な効果があって、一定以上順位が上がればそれに伴う、自身への信頼と実績、名声という付加価値が得られるだけでなく、ギルドから一定期間ごとに特別報酬が出るなどの様々な恩恵がある。
「…ルーファス…ルーファス・ラムザウアーだ。IDくらい勝手に調べろ。」
俺が名前を名乗ると、再び周囲がざわついた。
「IDナンバー、1081009…」
「間違いねえ、あれが噂の――」
ギルドで発行されている情報雑誌を手に一部の守護者が騒ぎ出す。それはなにも俺のハンターランクや順位に驚いているわけじゃない。
俺が普段、誰と仕事をしているか、パーティーを組んでいるその相手がかなりの有名人なだけで、色々と噂が流れているせいだろう。
「おい、デカいの、もうやめとけ!!…そいつ、あのリカルド・トライツィの相棒だぞ!!」
誰かが忠告してくれたその一言で、目の前の大男とその周囲にいた仲間や、野次を飛ばしていたハンター達が見る見るうちに青ざめて行く。
「そういや銀髪――」
「や、やべえぞ、リカルドに殺される…っ!!」
――そこへ、折良く担当の女性が大きな声で俺を呼んでくれた。こういう対応はさすがとしか言いようがない。
「ルーファス・ラムザウアー様、お待たせ致しました!情報登録が完了しましたので手続きをお願い致しますっ!!」
その声に俺は大男達を一瞥すると、もうこれで終わったな、と判断しウェンリーの首根っこを掴んで引き摺りながら窓口へ戻った。
「わわっ!?ちょ…引っ張るなよ、ルーファスっ!!」
「…黙れ。」
俺は抵抗するな、と見下ろすように睨みつけ、ウェンリーにその口をつぐませる。
「分析の結果、ウェアウルフの変異体であることが確認されましたので、報酬が支給されます。即時単独討伐の特別手当を含め、討伐ポイントが2500、支払われる報酬額は5万G<グルータ>なります。ギルドに登録されている口座に入金しますか?」
5万G<グルータ>か、結構良い金額になったな。
因みに『G』と書いて『グルータ』と読むこれは、千年ぐらい前に統一されたフェリューテラ全土共通の貨幣単位だ。
「ああ、よろしく頼む。それと…これがもう一種類、正体不明の敵に関しての情報だ。時間がなくて殴り書きみたいになっているが、なるべく詳しく記しておいた。」
そう言って直前に記入していた書類を手渡した。
「こちらの未確認体につきましては、目撃情報として注意喚起事項扱いになりますが、よろしいでしょうか?」
俺は頷いて了承すると、書類に何カ所か確認用に自分の名前を記入する。その最中、女性が俺に変異体の討伐についてお礼を言ってくれたので、顔を上げて微笑んだ。
するとその女性が頬を赤らめたのを見て、ウェンリーがなにを思ったのか、俺が受付嬢を誑かしてる、と言い放った。…酷い濡れ衣だ。
その後常外死亡者の登録手続きと埋葬の届け出を済ませ、あの女性の遺品を預けると、全ての用事を終えて俺はようやく窓口から離れた。
「わわっまたかよ!!なんでだよ!?」
俺は再びウェンリーを引っ張って階段へと向かう。その時大男達はこちらを見ていたが、もう絡んでくることはなかった。
そのまま真っ直ぐに階段を降り、踊り場まで来た所でウェンリーを掴んでいた手をパッと放す。
拍子に蹌踉けて尻餅をついたウェンリーの前に仁王立ちした俺は、怒りを込めた目を向け見下ろした。
「…………。」
目は口ほどにものを言う、と言うだろう?時に無言の怒りほど恐ろしいものはない、とウェンリーに思い知らせる。
数秒後――
「――まったく、もう連れて来ないからな!」
俺はかなり怒っていた。
「悪かったってば、ギルドの規則とか…知らなかったんだってばよ…!!もう二度と騒ぎを起こしたりしねえって…!」
一階へ降り、出入り口の方へ向かおうとすると、一般階層の奥にある窓口の前で、配布物を配っている係員の声がする。
「ハンターズ・ギルド発行の最新情報誌でーす!無料でお配りしてまーす!」
その瞬間、目敏くウェンリーがぱっとそちらに顔を向けた。
「なんだあれ?」
出たよ。ウェンリーお得意の〝なんだあれ?〟が。
「…ギルドが一般向けに出している情報誌だよ。魔物の注意情報や一流守護者の紹介とか、魔物駆除協会に関する色々なことが書かれているんだ。不定期で配られているから、一般では中々手には入らないことが多いな。」
「へえ…無料だって言ったよな?俺もちょっと行って貰って来よっと!!」
「あっこらウェンリー!!」
あっという間に止める間もなく、ウェンリーは人垣の中に駆けて行ってしまった。
「――だから連れて来るのは嫌だったんだ。どこが大人なんだよ…。」
人だかりの中に消えてしまったウェンリーが、もう何処にいるのかさえわからない。
まあ無事に手に入れられれば、すぐに戻ってくるとは思うけど…。
あのごった返している人混みの中に入る勇気は俺になく、仕方なしにそう諦めた俺は、暫く時間がかかりそうなので、目に付きやすい入口の脇に移動すると、そこでウェンリーが戻るのを待つことにした。
昼飯がまだだし、腹が減ったな…宿に行く前にどこかで先に飯を食うか。
壁に背中を預けて寄りかかり、腕を組んでそんなことを考えながら、視線を天井に向けたその時だ。聞き覚えのある弾んだ声で名前を呼ばれた。
「ルーファス!」
その声に顔を向けると、そこには一月ぶりに見る、相棒…リカルドの姿があった。
「…リカルド!?」
俺の元へと嬉しそうに駆け寄って来るその人物は、女性と見紛うほどの端整な顔立ちに、セルリアンブルーの綺麗な瞳を持ち、金色に輝く美しいさらさらロングヘアーを靡かせる、スラリとした細身の長身で、誰もが目を奪われずにはいられないような美丈夫だ。
案の定近くにいた人間は老若男女関係なく誰もがみんなこちらを見ている。
…にも拘わらず、久しぶりに会ったせいなのか、普通の人間なら間違いなく目を眩ませてしまいそうなほど麗しいその笑顔を、目一杯俺に向けて両手を広げ、ハートマークを飛び散らせながら、ガバッと抱き付いて来た。
「ちょ…お、おい、リカルドっ…!!」
周囲の視線を浴びた俺は、思わず恥ずかしさに慌てふためく。
「ルーファス!ああ、ルーファス!!あなたに会えず、この一ヶ月…私はどれほど寂しかったことでしょう…!!ようやく、ようやく会えました…っ!!!」
ぎゅうう〜っ
く、苦しっ…全身で俺を抱え込み、抱きしめて放そうとしないリカルドの背中を俺は必死に叩いた。
「わ、わかった、わかったから、放してくれ…!!」
渋々締め付けていた腕を緩め、凄く残念そうな顔をして、リカルドはようやく俺を放してくれる。
「今日これからおまえに会いに行こうと思っていたんだ。元気そうだな、顔を見られて安心したよ。」
「私もです。留守中あなたになにかあったらと思うと、もう心配で心配で…っ」
リカルドはまるで舞台演技でもするかのように、大袈裟な身振り手振りで旅先でのその思いを表現しながら台詞を吐く。
心では本当にそう思ってくれているのだろうが、『おふざけ』も混じっているのが丸わかりで、俺はいつものように困り顔をして微苦笑する。
彼は普段から大体がこんな感じだが、仕事となるとこのどこか茶化しているような態度もガラリと一変する。
世間の評価云々が無くても、俺にとって信頼できる大切な友人であり、守護者としての相棒であった。
久しぶりの顔合わせに友人としての会話を弾ませる俺達の横を、『リカルド・トライツィ』という守護者に対する、畏敬の念と好奇心の入り交じった目を向けながら、幾人ものハンター達が通り過ぎて行く。彼らは皆、小声で俺とリカルドの噂話をしていた。
俺は一切気にしないが、そんな不躾な視線を嫌悪するリカルドは、少し苛ついたように一度だけジロリと周囲を睨みつけた。
それは美形なだけに凄味があって他者をたじろがせ、俺に対する態度や表情とはあまりにも違い過ぎて時に戸惑うこともある。
だが俺はそんなリカルドの『お茶目な部分』も良く知っていて、他人に対してどうであろうと殆ど気にすることもなく、大切な友人として気の置けない付き合いの出来る数少ない人物であることに変わりはなかった。
ただそれでも…話していないことや、話せないことはあるのだが――
「手紙読んだよ、連絡してくれてありがとう。変異体の調査の方はどうだった?」
コホン、と咳払いをし、取り澄ましたようにリカルドが答える。そうして一瞬で仕事態勢に切り替わった。
「まあまあ…と言うところでしょうか。率直な話、まだ安全なのはどうやらエヴァンニュだけのようですよ。」
魔物の話になり、一転して目も顔付きもキリリと真剣なものに変化する。その顔は凜々しく、俺でさえ時々見蕩れるほどの美しさだ。
「お隣のシェナハーンではサンドワームの変異体が集団で出没して、パスラ山近くの小さな村を、丸ごと飲み込んでしまったようですから。」
「!…そうか、そんなことが…」
やっぱり他の国は被害が深刻なんだな…。
俺達が住むこのエヴァンニュ王国は、なぜか他国に比べて魔物の被害が少ない。魔物自体の能力も低く、時折聞こえてくる諸外国の深刻な状況も、今までは遠い他所の国の話に過ぎなかった。
「あちらはまだ場所によって魔物駆除協会の体制が整い切れていませんからね、魔物が増える一方らしくて…気の毒です。」
「――この国もいずれはそうなるのか…いや、もう既に安全と言えるかどうかも怪しいな。」
俺は変異体のことを思い浮かべ、ついそう口に出してしまった。するとリカルドは敏感に反応して俺に問いかけて来る。
「…なにかあったのですか?」
「うん、まあ…実は昨日、ヴァンヌ山で出会した変異体を狩ったんだ。」
「ルーファス…!!」
顔色を変えたリカルドに、すぐさま間を空けず事情を話す。
「言いたいことはわかっている。でも人が襲われていて、仕方がなかったんだよ。おまえがメクレンに帰って来ているのは知っていたけど、とても呼びに来ている時間はなかった。」
変異体が時々緊急討伐対象として依頼に上がるようになってから、リカルドは俺に、たとえ単独での討伐が可能だったとしても、出来る限り一緒でなければ無理をしないようにと普段から良く言っていた。
もちろん俺もその意見には賛成で、無謀な真似をするつもりはない。だが昨日のような場合は緊急性が非常に高く、言い訳と取られても、仕方がなかった、と言うしかなかった。
「はあ…本当にあなたは…変異体を単独で狩れてしまうなど、Sランク級守護者顔負けの行いなのですよ?だから私は心配で堪らないと言うのです。」
その秀麗な顔に相応しくない思案顔をして、リカルドは左右に二度ほど首を振った。
「まあ無事だったのですから良しとしましょう。そう簡単に後れを取るあなたではないことも私は知っていますから。」
…と、思い切りが早いのもリカルドらしいところだ。
「…それで、その要救助者はどうなったのです?」
「残念ながらだめだったんだ。致命傷を負っていて、助けられなかった。」
俺の沈んだ声と口調に、リカルドはそれ以上亡くなった人物については尋ねずに話しを続けた。
それは一見冷たく感じるかもしれないが、俺が魔物に襲われた人を助けられなかったと引き摺らないように考慮し、気遣ってのことだと知っている。
「ではその変異体の討伐報告と、管理局への手続きにギルドへ来たのですね。もう上での用事は済んだのですか?」
「ああ、少し前に終わって降りて来たところなんだ。そっちは?」
深刻な内容の話がある程度終わると、リカルドは気持ちを切り替えるようにして声を明るくし、とても優しい表情になる。
俺は彼のこういうところに、友人としても相棒としても大きな好感を持っていた。
「私は掲示板を見に来ただけです。三日ほど休養を取りましたからね、緊急討伐の類いが出ていないか気になったものですから。」
「そうか…さすがだな。緊急討伐と言えば、幾つか至急の依頼が出ているらしいよ。警備兵のノクトがおまえと相談して出来れば受けて欲しいと言っていた。だから本当はざっと依頼票に目を通すつもりだったんだけど…ちょっと他のハンターと揉めそうになって、早々に上から出る羽目になった。」
俺の言葉にリカルドは吃驚して聞き返してきた。
「他のハンターと?…あなたがですか?それはまた…一体、どうして?」
信じられない、と言った表情で俺を見るリカルドに、俺は右頬の辺りを人差し指の先でカリカリと掻きながら目線を逸らした。
…それはそうだろうな。未だかつて俺がこのギルドで、他者に絡まれるようなことがあっても問題を起こしたことなど一度たりとてないのだから。
「ああ、いや…うん、まあちょっと…」
どう説明しようか答えあぐねていると、少し離れたリカルドの背後に、きょろきょろと俺を探しているらしいウェンリーの姿が見えた。
「すまないリカルド、ちょっと待ってくれ。ウェンリー、ここだ!!」
俺は手を上げて大きな声でウェンリーを呼んだ。
「…?」
その先を振り返って、リカルドがゆっくりと視線を移す。
俺はこの時、ウェンリーの方しか見ておらず、リカルドの顔色が一瞬で変わり、その様子が一変したことにすぐには気付かなかった。
この日のこの瞬間が、ウェンリーとリカルドにとって『運命の邂逅』であったことを知るのは、もっとずっと後になってからのことになる――
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