56 影の一族<シャドウ・フォルク>
魂食いの森で特殊変異体に遭遇したルーファス達は、これを撃退し、先へ進みます。そこには目的地の塔があり、近付くと謎の男女が姿を現しました。ここは我に任せよ!と言っていつものように突っ込んで行くシルヴァンですが…?
【 第五十六話 影の一族 】
『ディオネア・マスキプラ』との戦闘を開始してすぐに、未だ火属性魔法を習得していなかった俺は、リカルドが使用する無詠唱魔法の内の幾つかを解析複写させて貰った。と言っても、リカルドの『エレメンタル・アーツ』は特別で、俺には真似が出来ないので、その元となる魔法の方を覚えさせて貰うだけだ。
ディオネア・マスキプラとビーナス・フライトラップは、どちらも身体に粘膜のような衝撃を和らげる障壁(これは魔物固有の盾魔法)を持っており、物理的な攻撃の殆どを半減してしまう。
事前にアテナが情報をくれた通り、やはり火属性魔法か火属性付加の武器、火属性の魔法剣技でなければ苦戦を免れない。
そこで俺は戦闘中だが自己管理システム内で、たった今習得したばかりの火属性単体魔法『イグニス』をエンチャント化し、全員の武器に火属性を付加しようとした。ところが――
『ルーファス様、リカルド氏の武器にはルーファス様の魔法が通りません。…有り得ないことですが、あの武器自体が他所からの干渉を拒絶しているようです。どうなさいますか?』
武器自体が干渉を拒否?それは本当か、アテナ。
『はい。間違いありません。』
…変わった剣だとは前から思っていたけど、俺の魔力を受け付けないのか。おまけに今のアテナの説明は、まるで剣に意思があるような言い方だ。
…まあいい、それならそれでリカルドにはエレメンタル・アーツがあるし、問題ないだろう。
「ウェンリー、シルヴァン、武器に火属性を付加する!シルヴァン、銀狼化を解いて斧槍を装備しろ!!」
『わかった。…良いぞ!」
シルヴァンは返事を返しながらその最中に銀狼化を解いて人の姿に戻った。…そう言えば、さっきはなぜいきなり銀狼に変化したのだろう。
アテナに問いかけたつもりはなかったのだが、すぐに回答が返って来る。
『 "魔物呼びの笛" は高周波の犬笛に似た音を出します。シルヴァンティス殿はそれに対して強く反応してしまったのでしょう。』
なるほど。
「バスターウェポン、『火属性付加』!!シルヴァンはビーナス・フライトラップを一気にお得意の戦技で薙ぎ払ってこっちに加勢!!ウェンリーはシルヴァンの補助と殲滅後は周囲を警戒しながら後方から攻撃してくれ!!」
「了解!!シルヴァン、討ち漏らしは俺に任せろ!!」
「うむ、行くぞウェンリー!剛槍、炎撃無双崩斬!!」
シルヴァンの斧槍に付加した炎が一段と激しさを増し、水平に回転する炎上した車輪のようにビーナス・フライトラップの集団を薙ぎ払った。
「逃がさねえ!…つっても定着型だから動かねえけど、飛翔刃!!」
小気味良い爽快な音を立て、ウェンリーのエアスピナーが残った魔物を倒して行く。ウェンリーは自分で自分の技に名前を付けたみたいだ。うん、まあそうして戦技を開発して行くのも大事だ。…技に愛着も湧くしな。
俺は俺で、鞭のように撓りながら飛んで来る特殊変異体の触手を、炎を帯びたエラディウム・ソードで叩き斬り、隙を見て火属性魔法『デフェール・バースト』を使い、足元から熱したマグマのような火柱を吹き上げさせた。
だが敵もやられたままではいない。大きく体力を削った、と思った次の瞬間、身体のあちこちにある袋状の瘤から、突然大量の花粉を吐き出した。
ボフウウウウゥゥ――
「!!」
「ルーファス!!」
避け損ない、花粉をまともに浴びたが、吸い込まないように鼻と口を腕で塞ぐ。
チャンスだ!!これに引火させれば、爆発させられる!!…そう思ったが、鼻と口を塞いでいるために声を出せない。
だがそこはシルヴァンがすぐに察知し、俺の代わりに言ってくれた。
「今だリカルド、火魔法を使え!!」
「え…ですがルーファスが!!」
「馬鹿野郎迷ってんじゃねえ、防護障壁があんだろが!!」
風に流され、徐々に花粉が拡散し、薄くなっていく。
「…ちっ、花粉が消える…間に合わねえ、そうだ、こいつを喰らえ!!」
カッ…ドオオオオンッ
花粉に引火して俺の目の前で巨大な爆発が起きる。
キヒャアアアアァァ…
葉と葉が擦れ、ざわめくような奇妙な声を上げて炎に包まれた特殊変異体は、身を捩って崩れていった。
至近距離の爆風で俺は吹き飛ばされたが、すぐに体勢を立て直し、受け身を取って着地する。もちろんディフェンド・ウォールで無傷だ。
――意外なことに、今のタイミングで攻撃に躊躇ったのはリカルドの方で、花粉が消える前に精炎石を使って火を放ったのはウェンリーだった。
「よし、倒れた!お疲れ様だ、みんな。」
「精炎石を使うとはいい判断だ、ウェンリー。」
「おお、シルヴァンに褒められた!!やったね♪」
目の前でウェンリーとシルヴァンが腕と腕を交差するように合わせる。
俺はいつものように戦利品を回収すると、俯いて落ち込んでいる様子のリカルドに駆け寄った。
「大丈夫か?リカルド。」
この時俺は、あの絶好の機会に攻撃を躊躇うなんてリカルドらしくないな、と思ったが口には出さなかった。どこがどうと言うわけでもないんだが、なにか様子がおかしいと感じたからだ。
だがリカルドは、俺が危ないと思うと魔法を放てなかった、と言って謝り、それきり黙ってしまった。
「おいルーファス、見てみろよ、前!!」
ウェンリーが目を輝かせ、興奮したように俺を呼ぶ。その声に振り返ると、周囲の視界を遮っていた緑色の花粉が全て消え去ったおかげで、もう少し奥へ進んだところにあるらしい巨大な塔が姿を現していた。
「シルヴァン、あれがおまえの言う『黒鳥族の塔』か?」
「そうだ。あそこに行けば魔物駆除協会を管理している者達に会うことが出来よう。どうだウェンリー、ちゃんと存在していたであろう?」
そう言ってシルヴァンがウェンリーにドヤ顔をした。
――ここでもう一度俺達がこの森を訪れた理由を話しておく。
守護壁消滅によってこの国の魔物が活性・強力化したために、ギルドで深刻な守護者不足が起きている問題を解決するためだ。
事の発端はアインツ博士の依頼が終わり、その報告のためにギルドを訪れた際、長時間受付で待たされたことに激怒したリカルドが、業務改善をしろ、と協会員を叱りつけたことだ。
言うまでもなく、現在も守護者の頂点にいるトップ・ハンターのリカルドは、その権利、発言共にかなりの影響力を持っている。
ギルドが混乱状態に陥ってもう何日も経つのに、今の状況を知ってか知らずかギルドの上層部は、今日まで一切なんの対策も取ろうとして来なかった。
最初は数日もすればなんらかの形で対処され、その内落ち着くだろうとただ見ていたのだが、協会員達は日々の業務を必死に熟しているだけで、一向に変化は見られなかった。
そのことから、この先ギルドが立ち行かなくなるのではと懸念して、俺達は直訴するために上層部に会いたいと申し入れしたのだが、驚いたことに協会員の誰も上に連絡する方法を知らなかったのだ。
では今まで問題が起きた際はどうしていたのか尋ねると、これまではなにもしなくても、その都度指示書が送られてきて、どう対応すればいいのか詳細に対応案が提示されていたのだという。
つまり信じられないことに、完全な一方通行だ。
実のところ魔物駆除協会に関してはかなり謎が多い。その筆頭は情報を管理する処理機械やIDチップなどのパルウス・フィアフ<異界から来た小さな人工因子>と呼ばれるものや、無限収納だ。
それ以外に、ギルドは世界中どこでも各国からの援助を受け、民間で運営されていると広く一般に知られていても、どこの誰が膨大な換金資金と業務を管理しているのか、その頂点に誰がいて運営を仕切っているのか、誰も知らないということがあった。
でもまさかギルドで働く協会員でさえなにも知らないとは思わなかった。
ならばどうやってこの問題を解決するか悩んでいると、黙って話を聞いていたシルヴァンが、ギルドを管理している者に会いたいのなら、どこに行けば良いのか我が知っているぞ。と爆弾発言をした。
それがあそこに見える建造物――『黒鳥族の塔』だ。
「それにしても…あの高さの建造物だ、どうやら森の外からは見えぬよう、先程の結界障壁で目眩ましをかけてあったようだな。」
千年前は普通に離れたところからでもよく見えたのだが、とシルヴァンは言う。
「現在のフェリューテラで人間以外の種族はまず見ない。探せばどこかに他種族の集落があるのかもしれないけど、多分ここのようになんらかの方法で知られないよう、隠されているのかもしれないな。」
とにかくあと少しだ、行ってみよう。と言って俺はまた歩き出した。
「『カーグ』って『黒い鳥』って意味だろ?ってことは、シルヴァンが言う黒鳥族ってのはカラスみたいな姿をしてんのか?」
ウェンリーは好奇心旺盛にシルヴァンから話を聞き出そうとしている。昔からウェンリーは遠く離れた外国の話や、見たことのないものの話を聞くのが大好きだった。出会った頃は大人になったら冒険者になって遠くに行ってみたい、と口にしていたこともある。まあ小さな村で育った子供には良くある話だ。
「うむ。彼らは非常に知能の高い種族で、我ら獣人族のように一瞬で黒鳥に姿を変えられる。異界の知識も豊富で、様々な魔法と技術を持っているが、決して表立って行動しようとはしない。それ故に『影の一族』とも呼ばれていた。」
「へえ…」
シルヴァンのそういった説明を聞きながら進むも、未だに俺の後ろを黙って歩くリカルドが気になり、俺は少し歩く速度を緩めてリカルドの隣に並ぶと、声を掛けた。
「どうしたんだ、リカルド…本当に大丈夫か?ここ数日あまり元気がないように見えるけど、どこか体の具合でも悪いんじゃ…」
心配になって俺が尋ねると、リカルドはふるふる、と首を横に振って否定した。
「いいえ…ただ、ウェンリーが羨ましいと思って…」
「ウェンリーが?どうして?」
目線を落とし、少し暗い表情でリカルドは続ける。
「…私は能力的にもう限界で、これ以上の成長は望めません。ですがウェンリーは…まだこれから幾らでも強くなれます。あなたもそうわかっているから、経験を積ませようとしているのですよね。」
「限界って…そんなことはないだろう。現に新しい魔法を覚えようとしたり、逆に魔法を使わずに戦おうとしたりして、自分を磨いているじゃないか。ウェンリーは今が始まりなんだ、成長が著しいのは当たり前だろう。それにリカルドは俺にも真似できないような魔法の才がある。充分じゃないのか?」
俺はそう思ったことを正直に口に出したのだが、リカルドはさらに首を振る。
「今のままただ守護者を続けるのならこれでも充分です。…でもあなたに必要とされるためには足りないでしょう?ただでさえあなたの意識はウェンリーに向いているのに…私は…これからもあなたの傍にいたいのです。あなたに私を選んで欲しい。」
「選ぶ?…なにを言っているんだ、リカルド。」
リカルドが良くわからないことを言っている。…この時の俺はただそう思っただけだった。まさか後であんなことになるなんて…
詳しく話を聞く前に、俺達は『黒鳥族の塔』の前に到着した。
聳え立つ塔を少し離れた位置から見上げて呟く。
「――高いな。王都の軍施設より少し低いぐらいか?こんな遺跡が千年前から人知れずに残っているとは…驚きだ。」
「建物全体に高度な保全魔法がかけられているのだろう。他の古代期の遺跡と違い、ごく僅かだが魔力を帯びて、一つ一つ積まれた石材が光っているのが証拠だ。」
「あ、ほんとだ。よく見ると壁がぼんやり光ってら。」
「入り口は正面の大扉だ。…だがその前に――」
シュンッシュシュンッ…
突然塔に近付こうとした俺達の前に、どこからともなく三つの黒い影が現れる。
「――来たな、カーグの斥候だ。」
全身を黒い鳥の羽のような衣装に身を包んだ、薄青い肌の男女が無言で各々異なる武器を構えた。
「待て、俺達は戦うために来たんじゃない!」
戦闘態勢を取る相手に俺は戦うつもりはないことを告げるが、相手は何の反応も示さなかった。
「無駄だルーファス、ここは我に任せよ。行くぞ、カラス共。」
ザンッ
「おいシルヴァン!!」
不敵な笑みをニヤリと浮かべてそう言うと、シルヴァンは白銀の闘気を纏って斧槍を手に突っ込んで行った。
ウェンリーは頭の後ろで腕を組み、暢気に「加勢するか?」と俺に聞く。リカルドは口元に手を当て、様子を見ましょう、と言って後ろに下がるよう俺の腕を掴んで引っ張った。
姿を変えられる種族同士の戦闘を見るのは初めて(多分記憶を失ってからは)だが、見事なものだ、と思った。
互いに攻防のタイミングで自在に姿を変え、物凄い速さで攻撃を繰り返す。
シルヴァンは任せろと言ったが、なるほど…なんというかこれは、殺気が感じられず戦闘と言うよりも手合わせの様な印象だった。
「お、もう一人倒した。やるなあ、さすがシルヴァン。三人が相手でも全然余裕じゃん。」
「当然だ、我を誰だと思っている?守護七聖<セプテム・ガーディアン>が白の守護者、"白銀のシルヴァンティス" だぞ。」
「うへえ、自分で言うか。」
そうこうしているうちに、二人目の体に、またシルヴァンの攻撃が入った。衝撃で相手の女性が3メートルも後ろに吹っ飛ぶ。
向かってくる相手が女性であっても手加減はなし、か。そう言うところは徹底してるよな、本当に。
少しずつ取り戻してきたシルヴァンとの記憶にある限り、俺が彼と本気で戦ったことがあるのは遙か昔、仲間に引き入れる時のたった一度だけだった。
当時初対面の俺をシルヴァンは信用せず、仕方なく俺は全力で彼をねじ伏せることにした。
獣人族は戦士の多い種族だったが、好戦的なわけじゃない。でもその頃は迫害戦争のまっただ中で、〝たとえ誰であろうと人間は敵だ〟と言って話を聞こうともしなかったからだ。
はっきり言ってシルヴァンはその当時でもかなり強かった。一族の長であり、繰り返される人間の襲撃から民を守ってきただけのことはあり、俺が不死でなく、永い時を生きてきた存在でなければ、もしかしたら負けていたかもしれないと思うくらいだ。
だが結果としてシルヴァンは俺の仲間になった。もちろん強制的に従わせたわけじゃないことだけは言っておく。
以降シルヴァンはたとえ手合わせや訓練であっても、俺に本気で武器を向けたことが一度もない。
シルヴァン曰く、"一度己が主と定めたからには、いつ如何なる時でも本気で武器を向けることは許されぬ" のだそうだ。おかげでシルヴァンが相手では大した訓練にならず、いつも傍にいたもう一人の七聖が剣の練習相手をしてくれていた。
俺は不意に頭に浮かんで来た、そのもう一人の七聖を思い出そうとして記憶を辿る。…確かその彼は目の覚めるようなオレンジと赤の剛髪をしており、シルヴァンよりも深い緑色の瞳をしていた。背中には大剣を背負っていて、豪毅な性格だが騎士道然として品があり、どこへ行っても好意を抱いて寄ってくる女性が絶えなかった。
でも彼には確か思い人がいて…いや、その前に彼の名は…?…なんと言っただろう。
俺は必死に思い出そうとしたが、イスマイルの時のように簡単には出て来なかった。
「そこまで!!」
耳に飛び込んで来た聞き覚えのない声に、俺はハッと顔を上げる。
気付くとシルヴァンの前にあの三人の男女は倒れており、シルヴァンは汗も掻いていなかった。
そしていつの間にか新たに見知らぬ人物がこの場に増えていた。
中性的な容姿の濃い紫髪の男性だ。やはり黒い鳥の羽のような衣装を身に纏い、
薄青い肌に灰色の瞳を持ち、額には宝石の様な白い石が埋め込まれている。
その人物はシルヴァンの前にスタスタと歩いて来ると、ギロリ、とシルヴァンを睨みつけた。…が、次の瞬間その表情は一変し、破顔して「久しいな、シルヴァンティス!」と言うなりシルヴァンにガシッと抱きついた。
「私だ、ウルル=カンザスだ!また会えるとは思わなんだぞ!!」
「…ウルルか!?そうか、カーグの長は代々『転輪の儀』で記憶を移すのだったな。我を覚えている者がこの時代に残っているとは…会えて嬉しいぞ、ウルル!」
シルヴァンも笑いながらその人物を抱きしめ返し、互いの再会を喜んでいる様子だ。どうやら二人は知り合いらしい。
やがてその人物はシルヴァンから離れ、スイッと俺の前に進み出ると、その場で跪き、俺に対して頭を垂れた。
「え…」
「――お久しゅうございます、守護七聖主ルーファス様。ウルル=カンザスにございます。再びお目にかかれる日を心待ちにしておりました。先ずはご健勝のことお慶び申し上げまする。」
「いや、あの…おい、シルヴァン!?」
驚いた俺はどうしていいのかわからず、シルヴァンに助けを求める。
「すまぬウルル=カンザス、今の主に昔の記憶はない。事情があって殆どの記憶を失われている。そなたのことも覚えておらぬのだ、主に対しては初対面同様のつもりで相手をして貰えると助かる。」
「なんと…なぜ故そのようなことに!?お労しやルーファス様…!」
この人も俺のことを知っているのか…俺に覚えがないのに、相手は俺を知っている…どうにもこれには慣れないな。
「おーいルーファス、この人達怪我してるぞ?大したことはねえけど、治してやった方がいいんじゃねえ?」
「怪我?やり過ぎだ、シルヴァン…!」
気絶している三人の男女を見て、ウェンリーが俺にそう言った。
「本気の手合わせだぞ?手加減すれば我がやられる。その方が良かったと言うのか?」
「そうじゃないけど…!」
不満げにぷうっと膨れたシルヴァンが拗ねた顔をしてぷいっと顔を背けた。
嘘をつけ、汗の一つも掻いていなかったくせに…!
「ああ、いやご心配なく。これもあれらの訓練です。寧ろシルヴァンティスに相手をして貰い、伸されたのだから後で自慢話になるぐらいですよ。」
「そうであろう、そうであろう。」
シルヴァンはうんうん、と頷いて鼻高々だ。
「ルーファスの手を煩わせる必要はありません、私が治療しましょう。」
「リカルド…いいのか?ありがとう。」
ええ、と頷いていつもの笑顔を見せたリカルドに、少しは元気が出たのかな、と俺はホッとした。
「お心遣いありがとうございます。では積もる話もございますし、我が黒鳥族の集落へご案内致しましょう。」
そう言ってウルル=カンザスさんは、リカルドが三人の男女の治療を済ませた後、俺達を塔の中へと案内してくれた。
正面の大扉から中に入ると、ほんの一瞬お腹の辺りに結界を通った時のような擽ったい感じがしたので、おそらくはそうと感じさせずに、瞬時にどこかへ移動したのだと思う。
塔の中は、空間魔法を使った別世界で、外見からは想像も付かない光景が広がっていた。
そこは、宵闇の世界、と表現するのが一番分かり易いかもしれない。
空には満天の星が輝き、正面にはとんがり屋根の塔のような高さの違う建造物が幾つも並び、その周囲に鬱蒼とした森とすぐ近くに澄んだ水を湛えた、そんなに大きくはない湖があった。
「はあ?ここって塔の中だよな…なんで空があって、しかもいきなり夜なんだ?おまけに森とか湖とか…ありえねえし。」
どう考えてもおかしいだろ!?とウェンリーが騒ぎ出す。
「ウェンリーはお馬鹿ですね。どこか別の場所へ転移したに決まっているでしょう。おそらくあの塔は侵入者避けのダンジョンですよ。許可のないものはここへは来られない、そんな仕組みになっているのでしょう。」
リカルドが少し馬鹿にしたような冷ややかな視線を向けて言うと、ウェンリーが今にも食ってかかりそうになる。…が俺と目が合うとぐっと堪えてくれたようだ。
おお、ウェンリー…成長したな。
「ふふ、その通りです。我が黒鳥族の集落、常夜の国ノクス=アステールへようこそ。」
ウルルさんがにっこりと微笑んでそう言った。
「常夜の国…つまりずっと夜、ということなのか。普通に森はあるし、太陽が必要な草花も他と変わりがない。それでいて夜光草のような夜に咲く花も咲いていて…とても不思議だな。」
しんと静まりかえった周囲を歩きながらきょろきょろと見回すも、不思議なことに人の姿が全くない。
「ええ、ここの植物は品種改良してあって、星々の僅かな光でもきちんと育つのですよ。…ところでルーファス様、こちらにいらしたご用件はわかっておりますが、本日はご滞在頂けるのですよね?ここ数日はメクレンを拠点に動かれていらしたようですが、出来れば数日の間ごゆっくりして頂きたいのですが。」
「え…」
俺は驚いた。用件はわかっている?俺達がなぜここに来たのか、わかっていると言ったのか。
「いや、俺達はギルドの問題をなんとかするために、話をしに来ただけなんだ。それが済んだら王都へ向かおうと思っていたんだけど…」
「いいえ、移動なさるのはもう少しお待ちください。近日中になにか大きな異変が起こります。後ほどご説明致しますが、それが落ち着くまではここに身を隠された方がよろしいでしょう。」
大きな問題が起きる?身を隠すって…なにからだ?
面食らってその意味を聞き返そうとしたが、その前にシルヴァンが口を挟んだ。
「――なるほどな…おかしいと思ったのだ、ギルドの管理を任されている黒鳥族が、この程度の問題に対処できぬはずはない。ウルル=カンザス…そなた、我らのことをかなり前から認識していて、態と問題を放置し、我らがここを訪ねるように仕向けたな?」
シルヴァンはしてやられた、と言う顔をしてジトッとした目をウルルさんに向ける。
「…さすがにシルヴァンティスにはわかってしまいますか。協会員には申し訳ないと思いましたが、此度はこれが最善と考えました。こちらから使いを向かわせて連絡を取る方法も考えましたが、危険度が高いと判断し、ルーファス様にはこちらへ来て頂くことにしたのです。ここならば表でなにがあろうと安全ですから。」
懸念を含んだ表情でそう言ったウルルさんに、シルヴァンは眉を顰め、難しい顔をした。
「それほどの問題か。」
「ええ。詳しくは中で話しましょう。着きました、ここが私の館です。」
案内されたウルルさんの館は集落に入ってすぐの場所にあり、夜光草が咲き乱れる広い庭に、宵闇に映える薄紫の外壁が明光石の街灯に照らされて、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
入り口には扉がなく、薄く向こうが透けて見える長さの違う布が、暖簾のように上から吊されているだけの大きく解放されたエントランスになっている。
確かさっきシルヴァンは、ウルルさんのことを黒鳥族の長のように言っていたと思うんだけど、館に見張りも警護者もいないんだな。…それだけこの集落が安全と言うことなのか。
それだけでなく、集落の中に入ったというのにここまで、黒鳥族の住人を一切見かけなかった。
そのことを不思議に思っていると、俺の疑問を察したかのようにシルヴァンが耳元で囁く。
「黒鳥族は通常、他種族の前に姿を見せぬ。たとえ自分達の集落であってもそれは同様でな。我らが来ることを知って皆自宅に閉じこもっているのであろう。」
「そうなのか…。」
なるほど、納得だ。
俺達は奥へどうぞ、とウルルさんに案内されるまま、楕円形の円卓が置かれた広間に通された。
座り心地の良さそうなふかふかの椅子に、テーブルには既に飲み物が用意されてある。だがここまで徹底して姿を隠されると、本当にウルルさん以外の人がこの集落に存在しているのか少し不安になるな。
先ずは促されて、俺達は各々好きな位置に腰を下ろす。俺とシルヴァンはウルルさんを挟むように椅子に座り、俺の隣にはウェンリーが、シルヴァンの隣にリカルドがそれぞれ座った。
「お着きになった早々ですみませぬが、先にこのお話をさせて頂きたいと存じます。ルーファス様、いきなりですが、我々黒鳥族がどのような種族であるか、覚えておられますか?」
シルヴァンから俺が殆どの記憶を失っていると聞いて、ウルルさんは気を使ってくれているようだった。
「――いえ…すみません、覚えていません。」
申し訳ないな、そう思いつつ首を振ると、ウルルさんは微笑んで、では分かり易いようにご説明致しましょう、と詳しく話してくれた。
――影の一族とも呼ばれる黒鳥族は、古代期に実在したという『邪龍マレフィクス』の瞳から生まれた種族で、その外見と特性からフェリューテラの表に出ることを極端に嫌うと言う。
非常に知能が高く、魔法と武芸の両方に優れ、異界の技術にも通じており、現在魔物駆除協会で使用されている様々な "パルウス・フィアフ<異界から来た小さな人工因子>" や、無限収納カードも彼らが開発して作り出したものなのだと言うことがわかった。
彼らの始祖…つまり邪龍の瞳から生まれた最初の一人は、その名を『ウルル=カンザス』と言う。そう、今俺達の目の前にいる彼と同じ名前だ。
だが実は彼は名前が同じなだけではなく、彼が生まれたその当時から全ての記憶を受け継いでおり、始祖その人と言っても過言ではない。
それは黒鳥族の秘技『転輪の儀』という儀式によって代々記憶を受け継いでいるからなのだそうだ。(道理で俺とシルヴァンを知っているわけだな。)
黒鳥族の子は皆卵から生まれるのだが、一族の長であるウルル=カンザスの寿命が尽きて死期が近付くと、その直前、集落の祭壇に漆黒の卵が出現する。
その卵が出現すると長は転輪の儀を行って記憶を移し、それが終わると死に至る、と言うからなんとも不思議な話だ。
しかも卵から生まれたばかりの長は僅か半時ほどで成長して、一日も経たずに大人になるらしい。だがそれもどうやら黒鳥族の特性から来るもののようだ。
黒鳥族は長であるウルル=カンザスが消滅すると、一族全員が運命を共にし、死んでしまうと言う。それは始祖である長の身から、分身を生み出すようにして種族が産まれたことに起因する。おそらくは本体が消えれば、分身も存在できない、と言うことなのだろう。
元はそうかもしれないが、俺から生まれたアテナが別の生命であるように、黒鳥族も同じように個々の意識が存在すれば、それはもう別の生命だ。況してや姿形も人格も違うのに、なぜ最終的な滅びだけが一緒なのかその方がおかしい。
そのことはウルルさんも感じていて、なんとかしたいと日々研究を続けてきたと言うが、具体的な解決策は未だ見つからない様子だ。
俺はいつかその問題が解決されるといい。そう思いながら、さらにウルルさんの話を聞いた。
「我が黒鳥族については大分おわかり頂けたと思いますが、我々には他に、未来に起こる大きな出来事を知らせる、『星詠みの告げ』という神託に似た予言を受け取る巫女がいます。その巫女がつい先日、こう言ったのです。」
そう前置きして深刻な表情でウルルさんは俺を見た。
「『長き眠りより災厄が目覚め、凶星と凶星が邂逅する。』と。」
いつも読んでいただきありがとうございます!次回、また仕上がり次第アップします。




