55 魂食いの森
ルーファス、ウェンリー、シルヴァン、リカルドの四人はあることが目的で『魂食いの森』と呼ばれるカストラの森に来ていた。未だ仲が完全に改善したわけではない、ウェンリーとリカルドに溜息を吐きながら奥へと進みますが…?
【 第五十五話 魂食いの森 】
メクレンとメソタニホブの間には、王都の3分の1ほどの広さのこんもりとした森がある。
そこは以前から『魂喰いの森』と呼ばれていて、一定の距離を越えて奥へ進もうとすると、抜け殻のようになって見知らぬ場所に飛ばされる、という不吉な噂があった。だが珍しい動植物が豊富で、様々な薬の材料となる薬草などが大量に自生していることから、素材目的で足を踏み入れる冒険者や、初心者守護者が後を絶たなかった。
俺達の今日の目的は、そんなこの森の奥にあるという遺跡の塔に辿り着くことだ。
ザッ…
固い地面を蹴る、俺達の足音だけが森の入り口に響く。
鬱蒼とした森は不気味に静まりかえり、動植物が豊富だと聞いていた話とは違い、一見何の気配も感じられないように思えた。
「――ここがカストラの森か。…やけに静かだな。」
ここも薄らと白く霧のようなものが漂い、奥の方ほど暗く、先が見渡せなくなっていた。
「本当にこんな場所に遺跡の塔なんてあんのかよ?シルヴァン。」
「本当に、とはどう言う意味だウェンリー。我が嘘を吐いてどうする?無駄なことをする時間はない。」
「うへ、さいですか。すんまへん。」
「この場所について、リカルドはなにか知っているか?俺は広く知られた噂ぐらいしか聞いたことはないんだけど。」
「そうですね、奥へ行くほど幻覚を見る、とか魂喰いが起きる直前には自分の死に顔が見える、とか不気味な話ばかり耳にしますね。」
「幻覚、か…混乱を引き起こす幻惑草でも自生しているのかな?俺とリカルド、シルヴァンは精神攻撃に対する耐性が高いからいいとして、心配なのは…ウェンリーだな。」
俺の一言でリカルドとシルヴァンがウェンリーに注目した。
「――REPOSに置いてきた方が良かったのでは?Cランク級とは言え、初心者にこの森は危険でしょう。」
リカルドの言葉をこれだけ聞くと、ウェンリーを気遣って心配しているかのように聞こえるのだが、その表情を見る限り、とてもそうとは思えないのが残念だ。
「いや、俺としてはウェンリーに少しでも経験を積ませて、基礎能力を上げたいんだ。様々な耐性を付けるには結局、実戦の中で少しずつ学んでいくしかないからな。」
「うむ、我もルーファスの意見に賛成だ。守るばかりでは成長せぬ。なに、混乱したり、正気を失いかけた時は我が殴って目を覚まさせてやるから、安心せよ。」
「はあ!?せめて薬か魔法で治してくれよ!」
「ああ、殴って良いのでしたらその役目は是非私にやらせて下さい、シルヴァンティス。そう言うことなら喜んで。」
「んだと、この野郎…!!」
「あー、そこまでだ、ウェンリー。こんなとこで揉めないでくれ、約束しただろう?」
「んぐっ…」
「リカルドも頼むよ。」
「…わかっています。」
――アインツ博士達の依頼で、再びイシリ・レコアを目指していたあの日、精霊界グリューネレイアから俺が戻ると、目の前にリカルドと言い合いをしているウェンリーの姿があった。
俺は俺を見て名前を呼び、駆け寄ってきたウェンリーを見るなり、思わず喜んで受け入れてしまった。
すぐに我に返り、この先の危険な旅に連れていくわけには行かない、とヴァハに戻るよう説得しようとしたが、ウェンリーは俺と一緒に行くために、もう疾うに村を飛び出して来ていて、自力で守護者の資格まで取得していた。
ウェンリーの両親であるラーンさんと、ターラ叔母さんに自分で話をつけ、ラーンさんからは俺宛の手紙までいつの間にか預かって来ていたのだ。
その手紙にはウェンリーの決心が如何に固く、ウェンリーの道はウェンリーが選ぶものであり、それで未来がどうなろうと覚悟が出来ているようだ、と書いてあった。ラーンさんとターラ叔母さんにとって、ウェンリーは一人息子なのに、どの道ウェンリーは俺がいつか村を出ようとしても後を追うだろう、と予想しており、息子を頼む、俺を信じている、とラーンさんは信頼して託してくれたようだった。
俺は悩んだ。この数日間ウェンリーのいない世界がどれほど寂しいか、身に染みてわかっていただけに、強く拒んで村に帰れとはどうしても言えなかった。
そんな俺を見てシルヴァンは、置いて行こうとしてもウェンリーは諦めずに追って来る、ならば側に置き、仲間として受け入れるのが最善だと俺の肩を叩いた。
その瞬間、シルヴァンは最初からウェンリーが追って来ることに気付いていたんじゃないかと思った。…いや、間違いなくそうだろう。
俺の側を離れていた数日間、どこへ行っていたのか聞きそびれていたままだったが、シルヴァンはいったいなにをしていたのやら、だ。
だがシルヴァンも反対せず、寧ろそう言ってくれるのなら、と結局俺は危険だと承知しながらも自分の感情を優先し、とりあえずその場は一旦ウェンリーを連れて行くことにした。
その上で、一番の問題はやはりリカルドだ。
水と油、犬猿の仲、最悪の相性…そのどれもを通り越して、最早生まれながらの天敵としか思えないこの二人は、仕事の最中にも関わらず、アインツ博士達の前で派手に大喧嘩をした。
俺とシルヴァンが幾ら仲裁に入っても、刹那的時間ですぐにまた揉め始めるため、最終的に止めるのを諦め、俺が怪我をしないように二人別々に防護障壁を張って、力尽き、動けなくなるまでやり合わせた。
その後疲れ切って言い合う気力がなくなったところで、依頼を再開し、インフィランドゥマを抜けながら延々と俺は二人に説教をし続け、博士達を無事にイシリ・レコアに連れて行くと、博士達の調査が終わり、帰ると言い出すまでの間、時間をかけて今後のことを話し合った。
「――私は反対です、ルーファス。ウェンリーはあなたにとって足手纏いにしかなりません。私にはわかります、連れて行けばいずれ必ずあなたの足枷になりますよ!?」
なにを根拠にそう言うのかわからないが、絶対的な自信を持ってそう言い切ったリカルドに、ウェンリーは魔法が使えるからって偉そうにすんな!!と食ってかかる。
「ふう…これはどうしたらいいんだ?なあ、シルヴァン。」
「うむ…あれほどやり合ってもまだ気が済まぬのか。」
呆れを通り越して感心している様子のシルヴァンは、筋肉質の入れ墨を入れた両腕を組み、一頻り考えた後で、俺の魔法を使って二人の魔法とスキルを封印し、素手で戦わせて決着を付けさせればいい、と言い出した。
「殴り合いをさせるのか?怪我をするじゃないか。」
「素手でスキルも封じるのだ、大したことはなかろう。我が見るに、この二人は切って半分に割った果実のように、素体の能力値はほぼ互角だぞ。リカルドが勝てば今後一定の期間はウェンリーが、ウェンリーが勝てばリカルドが互いの言うことに譲歩すると誓わせれば良い。どうだ?」
「うーん…。」
力比べが好きなシルヴァンらしい提案だな。
「待って下さい、シルヴァンティス、それではウェンリーを連れて行くのは決定なのですか!?私はそれを反対しているのであって――」
「それは貴様が決めることではない、決めるのは主だ。それほどまでにウェンリーと行動するのが嫌だというのならば、貴様が我らから離れれば良いだろう。寧ろ我はその方が安心だ。」
「…っ」
シルヴァンの辛辣な言葉に、リカルドが酷く傷付いた顔をした。これには俺もさすがに黙っていられない。
「シルヴァン!!言い過ぎだ、リカルドを傷付けるな!!」
「む…すまぬ、意地が悪すぎたようだ、謝罪しよう。」
「…いえ…。」
「リカルド悪かった、気にするなよ。おまえの意見は意見として、きちんと考えているから。」
「はい、わかっています。」
「え…ちょっと待ってくれよルーファス!!俺は絶対おまえと一緒に――」
「落ち着けウェンリー、ここでそうやって互いの主張ばかり繰り返しても埒が明かないだろう。…わかった、シルヴァンの提案に乗ろう。今からウェンリーとリカルドの全魔法と全スキルを俺が封印する。その上で戦って決着を付け、一定の期間勝者の言うことに譲歩する。それが過ぎたらまた再度どうするかは話し合って決めよう。」
「「ルーファス!!」」
…こんな時だけ仲良く同時に俺の名前を呼ぶのか。…まったく。
「問答無用だ。"魔" と "技" を閉ざせ『ザクルィーチ・シグナトゥム』。」
フォオンッ…シュウンッ
俺の手から放った魔力の光が、ウェンリーとリカルドをそれぞれ包み込み、なにかを圧縮するように、身体の中心に向かって音を立て集束する。
「げっ!!」
「ああっ!?」
「――制限時間は15分だ。それまでに相手を倒せば勝ち。もし時間が過ぎても勝負が付かなかった場合は、二人とも俺の言うことに絶対に従って貰う。シルヴァン、審判を頼むぞ。戦闘フィールド、隔離結界展開、覚悟はいいな?…始め!!」
一切の反論を認めず、そう一気に捲し立てると、頭の中でアテナに時間の計測を頼む。
「お、おいルーファス!!」
「ルーファス、待って下さい!!」
「――三十秒経過。」
「くっそ、わかったよ、やりゃあいんだろ!?へっ、望むところだ!!」
「くっ…なぜ私がこんな野蛮なことを…仕方ありません、行きますよ!!」
…ふう。
――シルヴァンの見立ては確かだった。魔法とスキルを封じると、ウェンリーとリカルドの素体能力は殆ど同じで、俺が見る限り、15分程度の時間では到底決着が付くはずはない。…実のところ、俺はそれを狙っていた。
勝負が付かず、俺の言うことを聞かざるを得ない状態に、強制的に持って行きたかったのだ。
だって仕方がないじゃないか、放っておいたら永遠に終わりそうにないんだから。
結果は、言うまでもなく、俺の勝ちだ。
二人は激しく肩で息をし、殴り合い、汗だくになっても勝負はつかなかった。
「封印解除。よし、決着がつかなかったから、俺の勝ちだ。二人とも当分の間俺の意見に従って貰うぞ、約束だ。そのまま動くなよ、今怪我を治して――」
「止めよルーファス、治療など必要ない。大した怪我ではあらぬし、反省の意味も込めて暫くは互いが付けた傷の痛みに苦しむが良い。放っておけ。」
「シルヴァン、でも…」
顔が腫れてるんだけど。リカルドの綺麗な顔に痣が出来ているし、ウェンリーも目の周りが青くなって――
「甘やかすな。」
――はい。
…まあ確かに俺が好きにさせるから、ウェンリーもリカルドも喧嘩を止めないのかもしれない。半分は俺にも責任があるのかもな。
…と思っていたら、リカルドはちゃっかり自分で回復魔法を使って傷を癒やし、それを見て文句を言ったウェンリーのことも、ついでに不機嫌な顔をしながら治療してやっていた。…なんだ、上手くやれるところもあるんじゃないか。
――そんなやり取りを経て、俺は二人に言い合いをしたり、揉めたりすることそのものを厳禁にした。
その時は考古学三人組が依頼者だったから良かったものの、これが知り合いでもない普通の依頼者なら信用が失墜する。そうなれば守護者として致命的だといい加減にわかって欲しい。
以上が先日の顛末だ。
他にもアインツ博士達から依頼の完遂時に、今後の俺達に関わるちょっとしたサプライズ情報を入手したのだが、それについてはまた後日にする。
そして今日、俺達がここに来たのは、今現在深刻な状況に陥っている、ギルドのある問題を解決するためだった。
そう、守護壁の消失による魔物の急激な変化で、依頼の爆発的な増加と慢性的な守護者不足が起きている問題だ。
なぜギルドの問題で森に来るのかって?まあそれは…先に進めばわかるよ。
――カストラの森に入って10分もしないうちに、植物系の魔物が次々と出現した。この森にはラフレシアなんて咲いていないはずなのに、それにそっくりな『インゲンス・フラワー』という魔物に、百合の花に擬態した『スクランチ・リーリウム』、お馴染みの『マンドラゴラ』にその辺の草と見分けの付かない『ショック・グラス』などだ。
どれも麻痺、毒、混乱、眠り、気絶などの状態異常と精神攻撃を仕掛けて来る、厄介な魔物ばかりだった。
「ここは植物系の魔物しかいないのかな。虫系もいそうなのに出て来ない。」
「ルーファス、虫系はインフィランドゥマで暫く見たくないと言っていたのに、出現しないとしないで気になるのか?」
「そういうわけじゃないんだけど…」
シルヴァンの突っ込みに思わず苦笑する。
なんとなくバランスが悪い、と言うか…おかしくないか?
「食虫植物が多いですから、みんな食べられてしまうのではないですか?」
いや、リカルド?食虫植物なんか生えてないし。
「えっ普通の植物も魔物を食うのかよ?」
「…冗談を真に受けられても、ねえ…。」
「ウェンリー、そこは突っ込むところだ。」
うん、雑談でさえ噛み合わないな。
…今のところ詳細地図に変化はない、か。アテナ、悪いがなにか異常を感知したらすぐに教えてくれ。
『はい、お任せ下さいルーファス様。』
アテナはあれ以来リカルドがいなくても外に出ようとしない。ウェンリーと一緒に散歩でも行くか?と聞いても、〝ルーファス様から離れたくありません〟の一点張りだ。まさかそこまでのショックを受けているとは思いもせず、立ち直るまでには暫くかかりそうだった。
迷子になったことのある子供でも、もう少し立ち直りは早いと思うんだけど…まあいいか。
現れる魔物のランクは低く、精々Cランク程度だったので、ウェンリーのレベルを上げるため(と言っても要は只管経験を積ませる、と言う意味だ)に、今回は変異体でも出ない限りは防護障壁を使わない方針で行く。
ウェンリーはもう民間人じゃない、俺達と同じ守護者だ。甘やかすばかりじゃいけない。…それはわかっているんだけど…。
「――ルーファス、ウェンリーがまたインゲンス・フラワーの花粉攻撃で眠っていますよ。いくら何でも精神攻撃に弱すぎませんか?はっきり言って、物凄く邪魔なのですが。」
足元でいびきを掻き、寝転がっているウェンリーを、今にも蹴飛ばしそうな顔でリカルドが見下ろす。
「違うぞリカルド、睡眠の状態異常に弱いだけだ。他の攻撃はちゃんと避けられている。」
「…睡眠なら、軽く叩けば起きるだろう。俺が起こすから――」
「いいえルーファス、ならば私が…起きなさいウェンリー、邪魔です!!」
ドカッ
強すぎるから!!
「痛えっ!!リカルド、てめえ!!」
『ルーファス様、ウェンリー様の睡眠攻撃に対する抵抗耐性値は0です。』
…ああ、そう。
そんな緊張感のあまりない戦闘と探索を続け、いつも通り俺の詳細地図を頼りに黄色の信号を目指している(目的地は黄色の信号で表される)と、いきなり詳細地図上の進行方向、三メートルほど先に赤いラインが出現した。
「待て、みんな止まれ!」
俺はすぐに声を掛けてみんなを止める。
「どうした?」とシルヴァンが振り向き、
「ルーファス?」とリカルドが首を傾げた。
「そこに何かある。俺が先に調べるから、ちょっと待ってくれ。」
「なにかって…なんだよ?なんも見えねえし。」
ウェンリーは横を通って前に出る俺に、そう問いかける。
「わからない。」
近付いてそっと手を伸ばしてみると、俺の魔力に微かに反応を示す、目に見えない壁のようなものがあった。
結界障壁…?少し質が違うようにも感じるけど…アテナ、なんだと思う?
『お待ちください、今詳細に分析してみます。………これは――』
なんだ?
アテナの分析結果が頭の中に文字となって流れた。
『隠蔽視覚効果魔法ミラージュ』『状態異常発生罠/恐慌・幻覚・睡眠・気絶』『強制転移魔法トランスポータル』『侵入者検知魔法ルブルム・サイン』
「――複合魔法の結界障壁か、なるほど。」
『今後役に立ちそうなので、全て解析複写して習得しておきますね♪』
あ、ああ。…なんだかアテナがまた楽しそうだ。
それで?、とシルヴァンが傍に近付き、俺の横で腕を組む。
「例の噂の元凶だな。ここに俺が見る限り、森の中心から一定範囲をぐるっと囲むように、様々な魔法が仕掛けられた結界障壁が張られている。今触れただけでは弾かれなかったから、知らずに通り抜けると効果が発生する仕組みみたいだな。」
「ふむ、そう言うことか。」
「噂の元凶?…ってことは、魂喰いの原因、ってことか。へえ、魔法のせいだったのかよ。」
「そうみたいだ。」
「では通れないのですか?」
「いや、俺の防護障壁なら問題はないと思う。強制転移魔法が仕掛けられているから、念のためディスペルも使っておこう。」
俺はその場で防御障壁を張り、内側にディスペルの魔法効果を宿した膜<ヴェール>を施してその結界障壁を全員で通り抜けた。
「よし、問題なく通り抜けられたな。」
――そう安心した直後、強烈な耳鳴りに似た甲高い音が森の中に響き渡った。
ピイイイイイイィィィ――――
「な、なんだこの耳障りな音は…!!ぐっ…ぐぬうぅっ!!』
突然苦しそうに身を捩った、と思ったら、いきなりシルヴァンが銀狼化する。
「シルヴァン!?」
『ルーファス様、これは "魔物呼びの笛" です!!急いでこの場を離れてください、魔物が大挙して押し寄せます!!』
「まずい、ウェンリー、リカルド、走れ!!立てシルヴァン、急げ!!」
アテナの警告に、俺は急いでその場から走り出す。ウェンリーとリカルド、銀狼化したシルヴァンもブルブルと頭を振りながら駆け出した。
「なんだよルーファス!?」
はあはあと呼吸を荒げながらウェンリーが俺の横に並んだ。
「あの甲高い音は魔物を呼び寄せる笛だ!あの音に惹かれて魔物が集まって来る!!その前に出来るだけ離れるんだ…!!」
「魔物呼びの笛…!?闇魔法の禁呪ですよ!?」
あの複合魔法の結界と言い、リカルドが言う闇魔法の禁呪と言い、どうやら俺達が目指す遺跡の塔で待ち受けている存在は、なかなか高位魔法やその技術に長けた者達らしい。
それも当然か、フェリューテラの魔物駆除協会を影から支えて『管理している存在』なのだから。
結界を抜けた場所から、半キロほど進んで来たところで、詳細地図にまた新たな信号が出現する。
今度は強力な魔物の出現を示す、赤い大きな点滅信号だった。
「――この先に強力な魔物がいる!!みんな気をつけろ!!」
「了解!!」
そう返事を返したウェンリーが俺を見てニッと笑う。…まったく、ウェンリーが守護者になって俺の横に並んでいるなんて…まさかこんな日が来るとはな。
「ルーファス!!背後から複数の魔物が追って来ます!!」
『このままでは挟撃されるぞ!!』
「わかっている!!」
――アテナ、さっき解析複写したトラップ系の補助魔法と、強制的に転移させる魔法は使えるか!?
『はい、問題ありません!』
よし、それじゃ、それを俺達の後方に仕掛けてくれ!!
『かしこまりました!トラップは即死系のものに変えて、素材が回収できるように、転移先をルーファス様の無限収納に設定しておきますね♪』
…はい?
いやアテナ…応用改良が早すぎるだろう。
「まあいい、追って来る魔物はトラップを仕掛ける!!後ろの心配は要らない、近いぞ!!」
「いた!!ルーファス正面の草地だ、見えた!!…げげっ!?なんだよ、あれ…!!?」
進行方向の正面にある開けた草地に、緑色の花粉を周囲がよく見えないほど撒き散らし、触手のように蔓を伸ばして鞭状に動かす、どう見てもハエトリグサだな、と思う、巨大な植物系魔物が待ち構えていた。…しかも棘の生えた蔓状の足がある。
『特殊変異体ディオネア・マスキプラ』『弱点火属性魔法/他無属性魔法以外全て無効』『盾魔法所持/物理攻撃軽減』『有効手段/武器に火属性付加、もしくは火属性魔法剣技』
俺の頭の中に魔物の情報が流れて行く。
「特殊変異体…!!あの厄介な奴か…!!」
「特殊変異体!?ですが元の魔物はなんなのですか!?」
その草地に辿り着いて周りを見た俺達は、ああ、なるほど、と思った。
その周囲一帯にびっしりと、定着型植物系魔物、『ビーナス・フライトラップ』が群生?していたからだ。
しかも、そのどれもが体内に虫系魔物を捕らえて消化中だった。
「マジで食虫植物が魔物食ってんじゃん!!」
ウェンリーがそう叫んだのも無理はない。
「…これも魔物の活性化の影響か…!弱点は火属性魔法だ、リカルド、頼めるか!?」
「ええ、任せてください。」
「厄介なことに通常の物理攻撃は半減される、俺が補助魔法で弱体化を狙うから、ウェンリーとシルヴァンはビーナス・フライトラップの方を頼む!!」
「了解!!」
『心得た。』
アテナ、ウェンリーとシルヴァンの補助を頼む。
『はい、ルーファス様。』
「対特殊変異体戦闘フィールド展開、フォースフィールド、バスターウェポン、ディフェンド・ウォール・リフレクト!!戦闘開始!!」
♢ ♢ ♢
「――ライ様、頼まれていた身辺調査の結果報告です。」
今日も溜まっていた書類仕事のために、執務室にいた俺にイーヴが封筒に入ったそれを持ってくる。
「早いな、もう終わったのか。」
「王都在住者の調査ですし、彼の場合は…少し特別でしたので。」
「特別?」
「ええ。結果をご覧になってご不明な点があればお聞き下さい。」
「…わかった。」
「では失礼致します。」
淡々とそれだけ言って頭を下げ、部屋を出ようとしたイーヴに声を掛ける。
「待てイーヴ、トゥレンのところへ行くのなら俺も一緒に行こう。少し話したいことがある。」
「は…」
そう言って椅子から立ち上がり、近衛服の上から薄手のコートを羽織る俺を、少し驚いたようにイーヴは見る。
トゥレンが目を覚まし、俺も体調を取り戻して仕事に戻ると、トゥレンがまだ入院中だと言うこと以外、城の生活は比較的穏やかな状態に戻りつつあった。
と同時に、イーヴの無表情も元に戻ってしまい、俺はまたイーヴがなにを考えているのか掴み難くなった。
今までが今までだったのだから、俺自身がそうであるように、態度を変えろというのは難しい。だがそれでも、今回のことで俺は俺にとって二人がどれだけ大切で、必要な存在なのかは自覚したのだ。
これからは少しずつ関係を変えて行けたらいいと思っている。
「我々が同時に詰め所を空けてよろしいのですか?」
「ああ。ルーベンス隊士!」
「は!ここに!!」
俺は隣室に控えさせてあったヨシュア・ルーベンスを呼ぶ。
「そんなに固くならなくていい。俺とイーヴは少し出てくる。なにかあれば王都立病院に連絡を寄越せ。頼んだぞ。」
「かしこまりました。」
未だに緊張した様子で敬礼をする彼に、そう命じて俺はイーヴと詰め所を後にする。その俺の後ろで、イーヴはルーベンス隊士を一瞥した。
無言で歩き後に続くイーヴに、俺の方から話しかける。これまではこんな時、一言の会話を交わすこともなく目的地に向かうのが常だった。
必要最低限の言葉しか交わさず、相手のことを理解しろというのは土台無理な話だったのだ。
「――ルーベンス隊士が気になるか?」
「…ええ、そうですね。…彼が進んで仕事をしてくれていたのは知っていますが、トゥレンはまだでも私は職務に戻りました。なのになぜ、彼を隊に戻さないのですか?」
あからさまに訝しんだ顔をして(と言ってもあまり表情は変わっていないが、そんな感情だけは読み取りやすい)、イーヴは俺に聞いてくる。
「おまえ達の代わりを選べ、という話があっただろう。」
「え…」
まだそこまでしか口に出していないのに、一瞬でイーヴが “まさか” と言う言葉を顔に表した。
相手を知ろうとして注意して見れば、感情表現が乏しくても少しはわかるものだな、と改めて反省する。
「あの男の指示に従う気は微塵もないが、側付きに人手が欲しいということは以前から考えていた。」
「…それでルーベンス隊士の身辺調査を?」
「そう言うことだ。」
歩きながら目線を落とし、少しの間なにか考えていた様子のイーヴは、直後、彼が気に入ったのか、と俺に問う。
俺は〝まだわからん〟とだけ答えるに留めた。
「話というのは彼のことですか?」
「いや、違う。これから俺が個人的に行おうと考えている調査についてだ。この間の出撃直前に俺の考えは話して聞かせたが、国内の魔物の状況はもう元には戻らない、と言っただろう?その根拠は数千年も前の他国の過去の歴史から導き出した答えだ。」
「はい、そのお話は覚えております。」
「そこでおまえは疑問に思わなかったか?なぜエヴァンニュだけが、今まで他国に比べて魔物の被害が少なかったのか、なぜ急に魔物が活性化し、強力になったのか。…俺は思う、魔物は強くなったのではない、おそらくこの国の魔物はこれまでなにかの影響で弱体化していただけなのだ、とな。」
そのなにか、を俺は個人的に調べようと考えていた。
「それがなんなのか、今は見当も付かないが…友人から少し気になる話を聞いた。この国で育ったおまえなら、もしかしたら耳にしたことがあるかもしれんが、なんでもエヴァンニュ王国には悪しきものから人々を守る、"守護壁" というものが存在していたらしい。知っているか?」
「守護壁…ですか?…いえ、初めて聞きました。」
「…そうか。まあ御伽噺のようなものだ、と友人も言っていたから、事実かどうかわからんが…もしそんなものがあったのなら、今までのことも説明が付くような気がしてな。…おまえはどう思う?」
城門から出ると、擦れ違う民間人達が俺とイーヴを見て振り返る。中には直接俺に話しかけようとする者もいたが、仕事中だ近寄るな、と言ってイーヴがそれを全て追い払った。
「つまりライ様は、その守護壁というものが実際に存在していて、それになにかが起きたことで、今現在のような状況になった、とお考えなのですね。…確かにそう考えれば、この急激な変化も納得が行くように思います。」
「…おまえが俺の意見に賛同するのなら、やはり全くの見当違いの話ではないのかもしれんな。」
実はこれはこの所毎日のように会っていたリーマから聞いた話だった。
彼女の部屋を訪れていた俺は、その身の上について話を聞く機会があり、彼女が元はルクサールという街に住んでいて、亡くなった両親が考古学者だったことを教えてくれた。
「あまり知られていないようだけれど、現在の国王ロバム陛下は考古学がとてもお嫌いらしいの。直近のことならばいざ知らず、過去の時代を調べても何の役にも立たない無駄だ、と仰って即位直後から補助金もなにも全て打ち切ってしまったわ。…それだけじゃなくて、他にも色々とあったのだけど…それは置いておいて、私の両親はエヴァンニュ王国の歴史にとても詳しくて、特に古代期のことは未来にも関わる重要な内容が多い、と言って熱心に調べていたの。」
「その中に御伽噺として聞かされていた、守護壁の話があったのか。」
「ええ。父は良くこう言っていたわ。いつか守護壁が消滅すれば、エヴァンニュも他国同様に魔物の被害が深刻になる。その前に、魔物駆除協会だけでなく、国としても備えなければ、とね。…あの頃はまさか本当に魔物が強くなるなんて想像もしていなかったけれど…この所良くその話を思い出すの。」
不思議よね、と言ってリーマは微笑んでいた。
――あの男が考古学嫌い?過去の時代を調べても無駄だ、と?…有り得ない。そんなどうしようもない個人的感情でそんなことをする愚かな人間ではない。…なにかある。俺はそう思った。
横を歩くイーヴが、まじまじと俺の顔を覗き込む。
「――なんだ?なにを見ている。」
「…いえ、ライ様が私にこれからなにをしようとしているのか事前にお話し下さっただけでなく、どう思うか、と意見を尋ねて下さったのがあまりにも意外だったので、いったいどうされたのかと…もしやまだお身体の具合が?」
「…本気で言っているのなら、引っ叩くぞ。」
「ふ…まさか。」
俺は一瞬目を丸くする。
俺は、俺の前でイーヴの笑った顔をこの時初めて目にしたのだった。
次回、仕上がり次第アップします。




