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Eternity~銀髪の守護者ルーファス~  作者: カルダスレス


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54 疑惑と信頼

一時は心臓が止まり、死にかけたトゥレンでしたが、ライとネビュラによってその命を取り止めました。もう普通の人間とは少し変わってしまったんだよ。そうネビュラから告げられ、説明を受けます。それでも後悔はない、とライに忠誠を誓い、イーヴと共にライを守ろうと心に決めますが…?

         【 第五十四話 疑惑と信頼 】



 ――全ては空想の中の出来事で、生死の境を彷徨った為に、俺はきっと有り得ない夢でも見たのだろう。…そう思っていた。

 だが現実に目を覚ましてみたら…どうだ?瞳に映る世界が一変している。


 なにもかもが暗褐色(セピア)に染まり、見たことのない紫紺の小さななにかが、暗がりに集まり蠢いていた。

 最初は目がおかしくなったのかと思った。でもそうではなく、視界の色が変化しているだけで、見えるものにあまり変わりはないようだ。

 ただ今まで見えなかったものまでが見えている。…そんな感じがした。


 俺は今…なにを見ているのだろう?


『やあトゥレン、無事に目覚めたみたいだね。生還おめでとう。』


 唐突に頭の中に、その声は響いてきた。…この声は…――


『目に見える世界が一変しているから驚いているんだろう?大丈夫、君の目がおかしくなったわけじゃない。ライとの主従契約で身に付いた特殊能力のせいだ。』


 特殊、能力…


「…闇の大精霊、ネビュラ・ルターシュ…?」

『そうだよ、ぼくだ。思ったよりも危なくて、時間ギリギリだったから、体力が回復するまでちょっと時間がかかったね。ライと君が契約を交わしたあの夜から、もう二日経っているんだよ。生命力を分け与えたライの方もそろそろ目が覚める頃かな。そうしたらここを訪れると思うから、その前にあの時ライの前で話せなかったことを君に話しておきたくて、目を覚ますのを待っていたんだ。』


 ――ああ、あれは…夢ではなかったのか。


 …あの日、なにもない(まこと)の暗闇の中で、『逝くなトゥレン!!』そう俺を呼び止めるライ様の声を聞いたような気がした。

 ライ様がなにか俺に仰っている。怒っておられるようなのに、悲しんで嘆く声に聞こえるのはなぜなのか…それが気懸かりで歩みを止め、後ろを振り返ったら…いつの間にか目の前に、ライ様とあの大きな金瞳の不思議な生き物が浮かんでいた。


 物音一つしない静寂の中で、ライ様とそれの話す声だけが聞こえる。その不思議な生き物は、自らを闇の大精霊だと言った。

 それがこの声の主、ネビュラ・ルターシュだったと記憶している。


「あの時…闇の主従契約を結ぶことで、ライ様が俺のためにご自身の生命力を分け、命を救って下さった…」

『うん、はっきりと思い出せた?そうしなければ君は助からなかった。でも君はただ一命を取り止めたわけじゃなくて、もう普通の人間とは少し変わってしまったんだよ。その説明をしておくね。』


 そう言って大精霊は話し始めた。


 ――彼が言うには、今俺の目に見えている世界は、闇精霊が見るものと同じなのだそうだ。全てが暗褐色(セピア)がかって見えて薄暗く、なにかで光を遮っているような感じだが、この現象は俺がライ様の従者として得た新たな能力、"(スコトス)の眼" が見せている光景だと言う。


(スコトス)の眼はね、闇の主従契約を結んだ従者だけが持つ特殊能力で、従者が主君の命に関わる敵を見分ける為に最も必要な力なんだ。君の場合はライがそうだけど、ライの周囲にいる人間がライに対してどんな感情を抱いているか、その人間が放つ色によって一目でわかるようになる。』


 それは様々な色で表され、その身から放たれる色の濃淡や明暗で感情の強弱を判断することが可能なのだそうだ。今後俺がライ様に近付く人間を見定める重要な基準になるだろう、と一通り見える色と感情の関係を説明してくれる。


 無色や光が見えないならなんの感情も持っていない。全くの赤の他人や、知人ですらない無関係な相手だとこれに当たる。青系や緑系なら信頼や尊敬、友情など友好的なものを示し安全で、好意的な感情ほど緑に近くなる。白系は付き合い方次第で変化する兆しを表し、黄色と橙は家族や親しい間柄に多い親愛感情を、桃色は異性間の恋愛的な愛情を示すのだそうだ。

 そして最も注意すべきなのが赤、だ。黒ずんだ血に近い赤ほど敵意や殺意の強さを表していると言う。古今東西禍々しい色、と言うのはある程度共通しているものなのか。


『赤は警告色と捉えるといいよ。明確な殺意は一瞬でわかるけど、赤い色を放っていても、敵意や殺意がない場合もあって、それは本人が意図せずライに危害を加えることになる可能性を含んでいる。例えば偶然起きてしまう事故の加害者とか、知らずに取った行動でライが傷付くとか、そういう類いがこれに当たるかな。』

「なるほど、良く覚えておきます。」

『うん、そうして。 "(スコトス)の眼" は制御すれば元の視界と自在に切り替えられるのだけれど、慣れてくれば使用していなくても強い感情の色は見えるようになる。なるべく早くそうなるように頻繁に使用して慣れてね。でないと肝心な時に刺客に気付かない、なんてことになると困るから。』


 ――他にも大精霊は、俺がライ様の生命に関わる不利な選択を行動制限によって選べなくなるということや、契約前に聞いた、ライ様を守るために受ける傷はどんなに強力な攻撃であっても痛みを感じることはなく、一瞬で回復し決して死なないということをもう一度話す。

 特に選択の行動制限は、その片方が俺の恋人や友人、家族の生命に関わるものであっても、必ずライ様の生命が優先され、最悪の場合、相手を見殺しにしてしまう可能性があることも詳細に教えてくれた。


「…俺は精霊という存在を過去に見たこともなく、よく知りませんでしたが、その…闇の大精霊、貴殿はとても親切なのですね。」


 精霊というのはもっと気まぐれで、時に人を殺めることもあると聞いていた。もっとも、これまでその存在を認識したことは一度もなく、御伽噺か空想の類いだとばかり思っていたぐらいだったのだが…それがまさかこのような形で深く関わり合うことになるとは、想像もしていなかった。


『親切、か…まあこのぐらいはね。寧ろ罪滅ぼしには足りないぐらいだよ。だってぼくは君に謝らなくちゃいけないんだ。丁度いいから今言っておこうかな。』


 俺の視界が一瞬で暗転し、周囲がこの前のような闇色の世界に変わった。そして目の前には宙に浮くネビュラ・ルターシュの姿があった。


『トゥレン、本当はあの時…多分君はあのまま死ぬはずだったんだと思う。だけどぼくはぼくの都合で君の運命を大きく変えてしまった。君が自分を犠牲にしてまでもライを守ってくれたからなんだ。もしかしたら、今後死んでいた方が良かった、と思うような目に遭うかもしれない。それでも…どうかライを頼むよ。どんなことがあっても傍にいて守ってあげて。これは君にしか頼めない。…ごめんね、トゥレン。』


 ――しゅん、とした申し訳なさそうな表情で大精霊が俯いている。


 このネビュラ・ルターシュは、ライ様とどのような関係があるのだろう。この言葉を聞いて疑問に思ったが、その答えは教えて貰えなかった。

 その後彼はなにか困ったことがあったら、その時は心の中で強くぼくに呼びかけてね、と最後にそれだけ言って消えて行く。それと同時にまた周囲は元の病室に戻った。


 なにもかもが現実の出来事で、確かに俺は普通の人間とは少し変わってしまったようだ。だが、それでも俺に後悔はない。

 俺がこの傷を負ったあの時、ライ様が幼い少女を救う為だけにご自身の命も顧みず、変異体の前に飛び出したのを見て…俺はあの方の本質を目の当たりにした。

 ライ様は酷く反発しておられるが、それでもライ様が現国王陛下と亡くなられた前王妃ベルティナ様の間にお生まれになった王太子であることに変わりはない。

 小さな子供を救うために命を賭けられるような、そんなライ様がこの国の王位を継げば、エヴァンニュは今よりももっと素晴らしい国になる。

 以前から気付いてはいたが、あの方はやはり国の頂点に立つに相応しい御方だ。


 その反面、あのようにご自身が犠牲になることも厭わぬ危なっかしい面もあり若干心配だが、ならばそう言った面は俺が進んで補えば良い。


 あの方がエヴァンニュの国王陛下になられ、それを俺が陰日向になり、どんな時もお側を離れずに生涯お守りする。それこそ俺が子供の頃から思い描いていた忠義の臣下の姿であり、本望ではないか。

 俺はライ様に救われたこの命、ライ様の為だけに心からの忠誠と共に捧げる。そう誓おう。


「――あれほどの怪我を負ったのに、不思議だ…完全に傷も癒えて体力も回復している。」


 ベッドから立ち上がってもふらつくことさえなく、以前より力が漲り、身体の奥底からなにかが溢れてくるようだ。これなら、すぐにも仕事に復帰できるだろう。


 イーヴは俺の身を心配してうるさいかもしれんが、主従契約のことを話せば文句は言わなくなるだろうし、今後頭を使う難しいことはあいつに任せ、ライ様の護衛は俺が担当する。

 イーヴと俺の二人なら、きっとなにがあっても大丈夫だ。


 そう思い、軽く身体を動かし始めた時だ。扉をノックする音がしてカラリ、と入り口の引き戸が開くと、今しがた頭の中で考えていたばかりの相棒である、その本人…イーヴが驚いた顔をしてそこに立っていた。


「――…トゥレン…!!」


 幼い頃から為人(ひととなり)を知る幼馴染で古くからの親友であり、俺にとって最も信じられ、頼りになる人間…それが『イーヴ・ウェルゼン』という男だった。


 …それなのに――…なぜだ。…俺は自分の目を疑った。


 イーヴの身体から、ライ様への敵意を示す、赤い光が放たれていた。




                ♢


『ライ…トゥレンは無事に目覚めたよ。君はもう一人じゃない。これからはなにがあってもトゥレンがずっと傍にいて、君を守ってくれるからね。…ぼくはもう暫く近くにいるかもしれないけれど、約束は果たせたし、ぼくもぼくがいるべき場所に行かなくちゃ。だから今の内にお別れを言っておくよ。いつかまた会えるといいね。…さようなら、ぼくの可愛いライ。元気でね。』

「――…ネ…ビュラ…」


 ――夢現でそう俺に別れを告げるネビュラ・ルターシュの声を聞いた。


 どうしてだろう…覚えもないのに、無性に引き止めたくなる。あの夜初めて会って、久しぶりだね、と言われても、俺はネビュラを全く覚えていなかった。

 ネビュラは〝それでいいんだ〟と一人納得していたようだが、俺が気にならないはずがない。いったい、いつ、どこで会った…?


 トゥレンを助けた直後に意識を失って碌に礼も言えないまま、どこかに行ってしまうのか…。…待ってくれ、ネビュラ・ルターシュ――



 ――気が付くと俺は自室のベッドの上にいて、目に飛び込んできたのはいつも通りの豪奢な明光石(ライト・ストーン)が嵌め込まれた見慣れた白い天井だった。

 身体を起こそうとしてみたが、異常に重い。少しぐらい生命力を他者に分け与えてもなんの問題もない、と言っていなかったか?…とてもではないが、そうは思えないぞ。

 まるで垂直の壁を命がけで何時間も登り続け、全身が限界を迎え筋肉疲労を起こしているみたいだ。

 ネビュラが言った通り、トゥレンが無事に目を覚ましたというのが本当なら、病室を訪ねてこの目で確かめたい。そう思うのに…――


「…これはだめだな、動けそうにない。」と諦める。


 あれからどのぐらい経っている?今日は何日なんだろう。なにもなければまた行くとリーマに約束したのに、すっぽかしてしまったな。…心配しているだろうか。それとも怒っているか?…いや、それはないか。


 そんな取り止めもないことをぐるぐると考えていると、コンコン、と扉を叩く音と共にアルマの声が聞こえた。


「ライ様、お目覚めですか?アルマです。入ってもよろしいでしょうか。」

「ああ、いいぞ。ちょうど手を借りたいところだった。」


〝失礼致します〟と言って、アルマがワゴンに乗せられた食事を運んで来る。


「良かった…今朝は起きられたのですね。余程お疲れでしたのか、ライ様はここ丸二日、ずっと眠ったままだったのです。イーヴ様が毎日診察にいらしてましたが、あまりにも目を覚まされないので心配しておりました。」

「丸二日…!?俺は二日も眠っていたのか…!」


 しまった、仕事が…!!


 慌ててベッドから出ようともがくが、やはり身体は思うように動かない。あの男に付け入られる隙を作りたくないのに…!!


「無理をなさってはいけません、ライ様。先ずは消化の良いお食事を召し上がって下さい。もうそろそろイーヴ様がお見えになる頃です。」

 アルマに止められ溜息を吐く。

「…わかった。どの道今日は動けそうにないな。イーヴが来たらここに通してくれ。」

「はい、かしこまりました。」


 俺はアルマに言われたとおり、大人しくベッドの上で食事を取ることにした。オートミールの粥にポタージュスープ、すりおろした林檎だ。

 決して不味いわけではないのだが、美味くも感じない。無理矢理飲み込むようにしてそれらを食べていると、やがてアルマが言っていたとおり、イーヴが訪ねて来たようだ。


「失礼致します、ライ様…!良かった、目を覚まされたのですね。朗報があります、実は――」


 ああ、イーヴの顔を見ただけですぐにわかる。見違えるように血色が良くなり、打って変わって表情も明るい。…間違いない、トゥレンは本当に目を覚ましたのだ。


 イーヴは今朝病院を訪ねたら、驚いたことにトゥレンがベッドから起き上がれるほどにまで回復していたと話した。

 治癒魔法士と医者が酷く驚き、周囲も奇跡だと大騒ぎしていたらしい。


「…そうか。一時はどうなることかと思ったが…」

 俺の食事が終わると、アルマはワゴンを下げ、部屋から出て行く。

「はい。念のため暫く休養するように言っておきましたが、あれほどの怪我でもこんなに早く回復するとは…正直言って本当に驚きました。」

 そのアルマが戻って来ないことを確認すると、一呼吸置いてから姿勢を正し、改まってイーヴは俺に深く頭を下げた。

「――トゥレンを救っていただき、本当にありがとうございます…ライ様。」


 俺は驚いて一瞬目を丸くした。イーヴに礼を言われたのはこれが初めてだったからだ。もっとも、それだけ俺がイーヴやトゥレンに対し、自分からなにかをしてやったことがなかった、と言う証拠かもしれない。


「これも皆、ライ様のおかげだと…詳しい方法は聞いておりませんが、ライ様がご自身の生命力を分け与えて下さったおかげで、トゥレンは助かったのだと本人から聞きました。その反動で眠っておられたのだと言うことも…」

「トゥレンに聞いたのか…礼はいい、頭を上げろ、イーヴ。俺はあいつに庇われ、助けられておきながら、おまえと違って狼狽えるばかりでどうすればいいのかわからず、なにもしてやれなかった。俺だとてトゥレンを死なせたくなかったんだ。…それだけだ。」

「…はい。」


 トゥレンがあれほどの怪我をして初めて、俺はイーヴの人間らしい面を見たような気がする。いや、多分元々感情表現が乏しいだけで、本当の姿は違ったのだろう。そのことに俺が気付かなかっただけなのかもしれない。

 俺はずっと、イーヴとトゥレンのことを自分の味方だとは思えなかった。その頑なな心が目を曇らせ、自分にとって真の意味で大切な人間を蔑ろにしてしまった。

 いきなり態度を変えるのは難しいが、それでも…今後はもっと二人を信じて大切にし、少しは頼るように努力しよう。だがその前に…


「…一つ聞きたかったんだが、おまえが持って来たあのラカルティナン細工の仕掛け箱の中には、精霊が閉じ込められていたのか?」


 ――俺がそう聞いただけで、イーヴが押し黙り、緊張して身体を硬くしたのがわかった。


〝なにも聞かずにこの仕掛け箱を開けて欲しい。〟あの夜、必死にそう訴えて来たのは覚えている。その意味を俺は考えていた。


 イーヴには不似合いのラカルティナン細工の仕掛け箱。幾重にも施された魔法による封印に、それをなぜかイーヴは()()持って来た。

 本来の持ち主がイーヴであれば、鍵があるのだから開けられたはずだ。ところがイーヴは自分ではどうしても開くことが出来ない、と言った。ではなぜ俺になら開けられると思ったのか。


 イーヴの緊張した態度を見る限り、おそらく俺の推測は間違っていないのだろう。


「…あの仕掛け箱について深く追求するつもりはない。なにか余程の事情があるのだろう。以前の俺ならともかく、今の俺はおまえやトゥレンに対する見方を変えた。」

 だから言いたくないのなら答えなくてもいい。俺はそう言って仕掛け箱の話は打ち切ることにした。

 その後で今日は動けそうにないから、もう一日休ませて貰う、と言ってベッドに潜り込む。


「…かしこまりました、では栄養剤を処方致しますので、お飲みになってゆっくりお休み下さい。」

「ああ。」


 再びアルマを呼んで水をもらい、俺と目を合わせ辛そうな顔をしたイーヴが処方した薬を飲むと、俺はあることをイーヴに頼むことにする。


「そうだ、イーヴ…第二小隊の『ヨシュア・ルーベンス』について、簡単な身辺調査をしてくれ。忙しいだろうが、早めに頼めるか?」

「は…ヨシュア・ルーベンス…ですか?」

「ああ。近衛に所属しているのだから身元などは問題ないと思うが、一応な。」

「…承知致しました。」



 ――ライの寝室を出ると、イーヴはリビングでアルマに、「ライ様はまたお休みになられるので起こさぬよう静かにな。」と、それだけ言って外へ出て行く。

 その直後ライの部屋の前で、背後の閉じた扉を一瞥すると、イーヴは一瞬で別人のような表情に変わった。


 …驚いたな、見方を変えた、とはどう言う意味なのだろう。あのご様子では、おそらく仕掛け箱についてなにかお気が付かれている。なのに質問に答えられずにいた私を怒るでなく、深く追求するつもりはない、と仰るとは…ライ様は私を信用して下さったということなのか…?

 これで後ろめたい気持ちが消えるわけではないが、一先ずの所は今暫く疑われずに済んだようだな。


 イーヴはホッと胸をなで下ろすと、あの日自分の願い通り、ネビュラにトゥレンを救って貰った後で、深夜交わしたネビュラとの最後の会話を思い出していた。


「おまえが…ネビュラ・ルターシュか。」


 イーヴが初めて目にした闇の大精霊ネビュラ・ルターシュは、金色に光る猫のような大きな瞳に左右に付いた猫型の大きな耳を持ち、赤い小さな口に鼻はなく、顔から胸の辺りまでが灰色で、耳元から後頭部、そして全身が艶やかな天鵞絨(ビロード)のような漆黒をしていた。

 二股に分かれた細長い薄く毛の付いた尻尾は、それが身に纏う真紅と灰褐色のヒラヒラした布の隙間から、ひょろりしゃらりと伸びている。


『ああ、そうだよ。こうして対面するのは初めてだね、イーヴ・ウェルゼン。これまでこの箱の中に閉じ込められていたぼくを、散々好きなように扱ってくれて礼を言うよ。…本当なら、今すぐ闇魔法でズタズタに引き裂き、転生が叶わぬよう魂まで喰らって殺してしまいたいところだったけれど…可愛いライがおまえとトゥレンを大切に思っているから、それに免じて仕方なく殺すの()()()勘弁してやるよ。』


 言葉とは裏腹に、背筋がゾッとするほど冷酷な瞳で貶んだ視線を向けるネビュラに、イーヴは畏怖の念を抱かずにはいられなかった。


 背中に冷や汗が流れて行くのを感じながら震えを堪え、精一杯虚勢を張ると、イーヴはネビュラにどうしても知っておきたかったことを問いかける。


「トゥレンは…本当に助かったのだな?本当にもう大丈夫なのか。」

『時間ギリギリだったけど、なんとかね。遅くても二日ほどで目を覚ますだろう。』

「そうか…感謝する。それと、この仕掛け箱について、ライ様にはなんと…?」

『なにも言うわけがないだろ。そんな時間はなかったし、そもそもライの中にマイオスの元にあった頃のこの箱の記憶は欠片も残っていないんだ。自分宛てに預けられた物だと言うことさえ知らないと思うね。まあライは勘がいいからこのことが切っ掛けになっておまえのしたことに気付くかもしれないけど、当分は大丈夫なんじゃないの。』

「…それを信じろと言うのか?」

『別にどうでもいい。ぼくはおまえと違って嘘吐きじゃないし、おまえが信じようと信じまいと知るものか。』


 そう言った直後、ネビュラ・ルターシュはゴッ…と言う音が聞こえそうなほどの凄まじい闇色の闘気を纏い、恐ろしい形相でイーヴの顔を覗き込んだ。


『――言った通り、トゥレンは助けてやったよ。おかげでぼくも箱から自由になれたしな。おまえと言葉を交わすのは、今夜が最後だ。以後なにを話しかけてもぼくが返事を返すことは二度とない。たとえライやマスターにおまえがなにをしようとしても、この神魂の宝珠をどう扱おうとしても、金輪際ぼくが接触することはない。お別れだ、()()()()()()()()、イーヴ。』


 その言葉を最後に、ネビュラはイーヴの前から完全に消え失せ、通告通り二度と『神魂の宝珠』が闇色の輝きを放つことはなくなった。


 イーヴは静かに苦笑して、自業自得か、と自らに向け小さく呟く。


 それでも、神魂の宝珠はまだ手元にある。ネビュラに拒絶されても、あれがこの手にある限り、私の目的には何の問題もない。…そう気を取り直し、歩き出した。


 紅翼の宮殿の長い廊下を歩きながら、ふと窓の外から見える中庭に目を向けると、穏やかな朝日が差すガゼボに置かれたガーデンテーブルで、国王ロバムと王妃イサベナが暢気に朝食を取っていた。


 この紅翼の宮殿はライ専用の住居であり、ライ本人と側付きの自分、そして今は病院にいるトゥレンと数人の使用人以外が立ち入ることはほぼない。

 そのことを知っているイーヴは、ほんの一瞬…本当に、ほんの僅かの短い時間だったが素に戻り、憎悪の念を籠めた瞳で彼らを見下ろした。


 その視線には、誰も知らないイーヴの隠された胸の内が現れており、紛うことなき強い殺意が宿っていたのだった。




               ♢ ♢ ♢


「――はあ…残念だな。一生懸命頑張れば、黒髪の鬼神の目に止まり、側付きに召し抱えて頂けるかと期待したのに…名前は覚えて貰えたけど、ウェルゼン副指揮官が職務に戻ったらもう俺じゃ手も足も出ない。」


 下町の大通り沿いにある、アパルトメントの一室で、その若者は溜息を吐く。


 日暮れ後の昼白色の明光石(ライト・ストーン)に照らされた室内には、五段ほどのチェストの上に可愛らしい兎のぬいぐるみが置かれ、床にはいくつかのクッションが、窓には桃色のカーテンがかけられており、ここはどう見ても彼の部屋ではないと思われる。


 セミダブルサイズのベッドの上で、枕にボフン、と顔を埋めると、うう〜とくぐもった声を出し、彼は特徴的な灰色の瞳で隣に横たわる彼女の顔を見た。


「…ごめん、エスティ。式を挙げるのはもう少し先になりそうだ。」

 彼はその手を伸ばし、愛おしそうに彼女の頬を撫でる。

「別にいいわよ、ヨシュアの『ライ様大好き』は今に始まったことじゃないし、私とのことだけが理由で頑張ってるわけじゃないでしょ。それに私みたいな下町の女が婚約者だなんて知られたら、近衛の評判に響くし…無理して結婚しようと思わなくても大丈夫だから。」


 ぷいっと拗ねてそっぽを向き、明るいオレンジ色の長い髪に、同色の瞳を持つ彼女が背中を向ける。


「そんなこと言うなよ、俺がどれほど君を大切に思っているか、知っているくせに。」


 彼は布団の中でその細めでも筋肉質で鍛えられた腕を彼女の身体に回し、ぎゅっと強く抱きしめた。


「ヨシュア…ホント?ホントに私が大切?」

「…当たり前だろう。」


 どこにでもある恋人同士の睦言に、閨事の一時。近衛第二小隊所属のヨシュア・ルーベンスには、幼い頃からただ一人、変わらずに愛して来た恋人がいた。

 二人は元は平凡な家庭の隣同士の家で育った男女だったが、ある理由で二人とも両親を亡くし、十年ほど前に王都の下町に移り住んで来た。

 と言っても、ヨシュアの方は両親亡き後、王都の親戚に引き取られ、中流家庭から士官学校に行き、そこを卒業して軍人になると、努力に努力を重ね、その功績が認められて近衛に配属されることになった。

 対して恋人のエスティ・ロナンの方は孤児となり、国の福祉制度によって王都にある児童養護施設で育って来たのだ。


 当然ヨシュアを引き取った親戚は、エスティのことを良く思わず、それなりの家庭のちゃんとした女性を嫁に貰え、とうるさかったが、ヨシュアは頑として首を縦に振らず、自分の妻は幼い頃からただ一人、エスティだけだと言い張った。

 そのヨシュアの頑固さに、そこまでエスティを思うなら、近衛隊の中でも指揮官付きの役職に就いてみろ、そうしたら結婚を認めてやる、と養い親である叔父に言われ、そのために只管頑張って来たのだ。


 そんなヨシュアに、絶好の機会が巡って来る。少し不謹慎だが、トゥレン・パスカム補佐官の大怪我による『双壁』の降格の噂だ。

 ライ・ラムサス近衛指揮官は、王国軍入りしてからこれまで、ずっと『双壁』以外の人材を側に置いたことがなかった。そのことはヨシュアも良く知っており、非の打ち所のない二人に自分が勝てるはずもない、と思っていた。

 ところがつい先日、イーヴ・ウェルゼン副指揮官本人の口から、ラムサス近衛指揮官の補佐をする人間の選出を、閣下ご自身がなされる可能性がある、と通告があった。

 ヨシュアはこれに飛びつき、執務室に日々積み重なっていく書類仕事も買って出て、黙々と熟していると、戻って来たラムサス指揮官に礼を言われるまでにもなれたのだ。


「――エスティ、やっぱり黒髪の鬼神は格好いいよ。冷たいように見えて部下思いだし、この前の出陣前に俺を見てふっと笑ってくれた顔なんか、もう最高だった。パスカム補佐官が怪我した原因だって、子供を守ろうとした閣下を庇ってのことなんだ。噂通り人を差別したりしないし、誰にでも分け隔てなく接してくれる。俺はそんな閣下を本当に尊敬しているんだ。」

「うん、知ってる。」

「はあ…ウェルゼン副指揮官と、パスカム補佐官だけは、なぜか閣下のことを『ライ様』って呼ぶんだよな。それで、閣下もお二人のことは名前で呼ばれるんだ。…いいなあ、俺もライ様、って呼びたい。それで、ルーベンス隊士、じゃなくってヨシュア、って閣下に呼ばれたい…」


 心酔して心がどこかに飛んで行っている様子のヨシュアに、エスティは呆れ顔で溜息を吐くと、そろそろ帰らないと、夜勤に間に合わなくなるわよ、と忠告をした。


「ああ、もうそんな時間か…ああ、そうだこれ、今月分の給料だよ。足りてる?」


 ベッドから出て近衛の制服を着ながら、ポケットから封筒に入れたお金をエスティに手渡す。

 ヨシュアはこうしていつも自分が稼いだ給料の殆どをエスティに渡していた。


「こんなに…ねえヨシュア、まだ結婚したわけじゃないのに、私にあなたのお金を渡してくれなくてもいいよ?もちろんちゃんと貯金はしているし、無駄に使ったりしないけど…私も一応働いているんだし、あんまり心配しないでね。」

「わかってるよ。でも俺も大して使わないし、あって困るものじゃないだろう?貯めておいて式の費用に充てようよ。」

「…うん…ありがとう、ヨシュア。大好きよ。」


〝俺もだ〟そうヨシュアは答えると、いつものお休みのキスをして、エスティの部屋を後にする。


 アパルトメントからすぐ前の大通りに出ると、日暮れ後の賑わい始めた繁華街を城へ向かって歩いて行く。

 今のヨシュアは、近衛の制服の上に、目立たないよう薄いコートを羽織っていた。自分は顔も知られていないし、制服さえ見られなければ、周囲に気にされることもない。そうわかっているからこそ、平然と下町に出入り出来るのだ。


 ――夜勤か…夜勤だと、ラムサス閣下に会えないんだよな…。


「ライ様…ライ様、か…いつかそう呼べたらな…。」


 そうヨシュアが夢想しながら独り言を呟いた時だ。


「待ってライ、テーブルの上に忘れ物…!」

「え?ああ、万年筆か。すまない、リーマ。」


 大通りから脇道に入った薄暗い階段の下で、閣下と同じ名前に、普段から良く聞き慣れた、あの尊敬して止まない御方の声がする。


 ――え…


「――…嘘、だろう…?」


 私服に頭からフードを被って、前を歩くその姿は、目立たないように隠していてもヨシュアにはすぐにわかった。

 背格好、歩き方、何度か見たことのある上等な外套と衣服…間違うはずもない。


 ライ・ラムサス近衛指揮官…黒髪の鬼神…!!どうして、こんなところに――


次回、仕上がり次第アップします。ブックマーク等、いつもありがとうございます!!

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