53 闇の契約
続きです。前回削除した51話部分までのお話です。細かな部分が変更してあります。
【 第五十三話 闇の契約 】
――トゥレンが変異体の攻撃から俺を庇い、重傷を負って入院した翌日、その容態は一向に回復の兆しを見せず、担当している医者にいくら体力のある若いトゥレンでも、この二、三日が峠だろうと告げられた。
俺が自責の念から居たたまれずに逃げ出し、リーマに一頻り甘えていた間も、イーヴはトゥレンを助けようとして必死に動いていた。
それは国王に頼み込んで、隣国から急遽高名な治癒魔法の使い手を呼び寄せると言うものだったのだが、それすらも上手く行かずに、表面的な傷は塞いで癒やせても、失われた命の灯火はもう殆ど消えかけている、と無情な宣告をされることになった。
それでもイーヴは諦めずに、なにか出来ることがないかとあらゆる手を尽くし、トゥレンを救う方法を捜しているようだ。
いつも無表情でなにを考えているのかわからない。…俺はイーヴのことをずっとそう思っていた。常に冷静で感情を表に出すことはなく、きっと笑ったり怒ったり、慌てたりすることもないのだろう、と…だが実際は違った。
イーヴにとってトゥレンは、俺が知る以上に大切な存在だったのだ。
イーヴは昨日ああ言っていたが、トゥレンになにかあっても、俺にまた同じことを言ってくれるのだろうか?
俺ならきっと…恨まずにはいられないだろう。たとえその気持ちを抑えられたとしても、なにかしらの形でぶつけずにはいられないはずだ。
その時はいっそのこと俺を罵ってくれた方が楽になれるかもしれない。…こんなことを考えること自体、俺は間違っているのだ。
――今朝も早い時間に王都立病院のトゥレンの病室に足を運ぶ。
入り口の扉には大きめのガラスが嵌め込まれており、中に入らなくてもベッドに横たわるその様子はよく見えた。
浄化石と風流石の治療器具に繋がれた酸素供給器具を顔に付けられ、未だあいつは深い眠りについている。
今のところ容態は一定を保っているように見えるが、それもいつ急変するかわからないと言う。
せめて俺にもなにかしてやれることがあれば良かったのに…
国王に治癒魔法士を呼んで欲しいと頼む時も、イーヴは俺に手助けを頼んでは来なかった。
気を使ってなのか、どうせ役に立たないと見限ってなのか…どちらにせよ顔を合わせ辛く、俺はイーヴがここにいないタイミングを見計らって、トゥレンの様子を見に来たつもりだった。
それなのに…俺に話しかけるその声が、廊下の先から聞こえて来た。
「…来ていらしたのですか、ライ様。」
意識せず身体がビクッ、と反応する。
俺は返事をすることも出来ずに、正面を向いたまま横目で隣に並び立ったイーヴの顔色を覗った。
イーヴは俺の胸の内を知ってか知らずか、こんな態度を取っていても気にせず一方的に話し始める。
「こんな時になんですが、陛下からライ様にお伝えせよと御言葉を預かって参りました。」
本当にこんな時になんだ、と思う。俺は顔を顰め、黙ったままイーヴの次の言葉を待った。…あの男のことだ、どうせまた碌なことじゃないんだろう。
そうわかっていた。わかってはいたが、予想通りだとこんなにも腹が立つものなのか?
次にイーヴの口から出た言葉に、俺は腸が煮えくり返った。
「我々の代わりとなるライ様の補佐をする人間を、現在の近衛隊士達の中から何人か選び、後任として据え職務に復帰せよ、とのことです。」
そう聞くなり、俺は一瞬でカアッと頭に血が昇った。
怒りで強く握った右手の拳がブルブルと震える。仕事に戻れ、と言うのはともかくとして、なぜイーヴとトゥレンの代わりを選ばなければならない…!?
「――おまえ達の代わりを選べ、とはどう言う意味だ。」
怒りを必死に抑え、その言葉の意味をイーヴに聞き返す。ここは病院だ。それもトゥレンの病室の前だ。…声を荒げるわけには行かない。
「…このままトゥレンの容態が回復しなければ、私は以前のように仕事を熟すことは出来ない、陛下はそうご判断なされたようです。『鬼神の双壁』は片方だけでは意味を成さぬ、と…そう仰いました。」
「…っっ!!」
あの男は…人をなんだと思っている…!!
「トゥレンは生きている…まだ目を覚まさないと決まったわけではない…!トゥレンは、俺を庇ったためにこんな怪我を負ったんだぞ、なのにおまえに言った言葉がそれか…?あの男に、人の血は通っていないのか…っ…」
たった一言でいい、イーヴやトゥレンを思いやる言葉が欲しかった。こんな時だからこそ、血の繋がっている俺の実の父親だと言うのなら、俺がそう感じられるだけの片鱗をほんの僅かでいい、示して欲しかった。
そう望んだ俺の方が間違っていたことをまた思い知らされる。
俺はまだ心のどこかで血縁の絆というものに憧れを抱いていたのか?そんなものは存在しない。少なくとも、あの男と俺の間には、絶対に…!!
――踵を返しこの場を去ろうとした俺に、イーヴがどこへ行くのか、と尋ねた。
「…少しの時間でも仕事に戻る。俺がふらふらしているから、おまえ達がそんなことを言われるんだ。」
午後は少し出かけるが、短時間で戻るとだけ伝え、どうしようもない怒りを胸の中に抱えたまま、俺は城へ戻った。
溜まっているはずの書類仕事をしに近衛の詰め所に行くと、俺やイーヴの指示がないのをいいことに、一部の隊士達がだらけた様子で雑談をしていた。
「凄かったな、昨日の変異体の話…あの一件だけで、Aランク級の守護者が三人以上も殺されたんだろ?おまけにパスカム補佐官まで重傷を負って…本当にこの先もずっとこんなことが続くのかよ。どう思う?」
「どうって…第二と第五が聞いた黒髪の鬼神のあの話か?今後もう以前のような状態には戻らないって言う…」
「そうそう。」
「…なんとも言えないな。ただ先見の明があるのは確かなんじゃないか?もし対魔物戦闘の訓練がなければ、俺達は魔物と戦えず、民間人の死者はもっと増えていたはずだろうしな。それに…おまえ知ってるか?魔物駆除協会の守護者不足と混乱状態って、どうも王都だけの話じゃないらしいぜ。」
「そうなのか?」
「ああ。どこの町や村も、突然魔物の行動や強さが変化して対応に苦労してるらしい。ギルドの守護者不足はかなり深刻で、手が回らずに民間人の死者も増えているって話だ。」
「それってかなり不味いんじゃないか?」
「不味いだろうな。」
上の監視がないと気が緩むのは近衛であろうと同じか。
「――そう思うのなら、少しでも動いたらどうだ?訓練を兼ねてギルドの討伐依頼を手伝っても構わないと、俺は言っておいたはずだがな。」
待機所への入り口に陣取り、腕を組んでそう言い放つと、彼らはガタガタガタン、と音を立てて椅子から立ち上がり「お疲れ様です!!」と背筋を伸ばして敬礼をした。
「仕事中に雑談するほど暇なら訓練プログラムを消化するか、他部署の手伝いでもしに行け。なんなら、俺と一緒に変異体の討伐に行くか?」
「い、いえ、とんでもありません!!し、失礼しました!訓練プログラムの消化に向かいます!!」
「行くぞ!」
「急げ!!」
ほんの少し脅しただけで、隊士達はバタバタと慌てて走り出し、あっという間に俺から逃げて行った。
――俺が普段いない時はイーヴが常に目を光らせ、こんな怠慢を許したりはしなかった。如何に非の打ち所がないほどあいつが優秀だったか、と今さらながら熟々思う。
ガチャリと扉を開け執務室に入ると、いつもイーヴが使っていた机の席に、顔に見覚えのある隊士が座っており、せっせと書類の事務処理をしていた。
「あ…お疲れ様です、ライ・ラムサス指揮官閣下!」
彼は俺に気付くと即座に椅子から立ち上がり、そう言って敬礼をした。
「貴殿は第二小隊の…」
「は!自分はヨシュア・ルーベンスと申します。」
ああ、そうか…見覚えがあると思ったら、昨日出陣前に城門で不満を言っていた隊士達をいい加減にしろと諫めたあの隊士か。
改めて見ると後ろに短く束ねたアッシュブラウンの頭髪に、特徴的な灰色の瞳を持ち、人懐っこそうな印象の人物だ。左耳に白金のイヤーカフを着けており、俺が感じた雰囲気から、貴族の出身ではないなと思った。
「その書類の山は?」
「ああ、はい、差し出がましいとは思いましたが、閣下もウェルゼン副指揮官殿も手が回らない様子でしたので、少しでもお手伝いしようかと…自分の訓練プログラムと自主練はきちんと済ませておりますので、ご心配なく。」
…なるほど、見かねて自分からこの面倒な仕事に手を付けてくれたのか。
「それは心配していないが、第二小隊は今なにをしている?」
「今日の訓練プログラムを終えて、隊長と何人かの隊士はギルドに出向しました。」
「ギルドに?」
隊長というとマイケル・ケイン第二隊長か。魔物と戦うために軍人になったわけじゃないと言っていたのに、ギルドに出向?なんのために?
「隊長達は訓練を兼ねて討伐依頼を受けに行ったんです。…と言っても、昨日の今日ですから、不思議に思われますよね。」
「ああ、わかるか?」
「はい。」
ルーベンス隊士はなぜかにこにこして、俺がなにを考えているか察したかのようにそう言った。
「ケイン隊長は、閣下の行動に深く感銘を受けられたようです。子供を助けるために自らの生命も賭して魔物の前に飛び出し、守護者と協力して全ての変異体を討伐し切られた。我々の上官は、自分だけ安全な場所から命令を与えるような御方ではなく、ご自身が口に出されておられるように、民間人を守るために真に行動なされておられる。ケイン隊長は感動してそう仰っていました。」
俺はルーベンス隊士の言葉に、一瞬耳を疑った。
「他にも閣下のお考えを理解して、行動に移す隊士が増えて来ています。その分、トゥレン・パスカム補佐官のことは残念で仕方がありませんが――」
「止めろ!!残念だとか口にするな…!!」
まるでトゥレンがもう戻らないかのように言われ、思わず声を荒げると、ルーベンス隊士は慌てて謝罪し、俺に頭を下げた。
「いや…怒鳴って悪かった。貴殿が悪いわけではない、気にするな。」
俺の様子からトゥレンの容態があまり良くないと察したルーベンス隊士は、言い難そうに今朝、イーヴから近衛隊にある通達があったことを告げた。
「ウェルゼン副指揮官とパスカム補佐官の代わりに、閣下の補佐を担う人員を閣下ご自身が選出される可能性があると聞きました。『双壁』のお二人がいるのにまさかと思ったのですが…あれはもしや本当のことなのですか?」
「イーヴ…あいつめ、俺に黙って余計なことを…!!」
深く、長い、うんざりした気分を吐露する溜息を吐くと、そういう話があったのは事実だ、と答えた。
「だが俺はイーヴとトゥレンの "代わり" を探すつもりはない。今後のことを考えると、側付きに人手が欲しいのは確かだが、あの二人の代わりは誰にも出来ないと思っている。」
「――そう…ですか…。」
なぜかがっかりしたような顔をして、ルーベンス隊士はそれきり黙り込んだ。
俺はそのまま自分の机に付くと、積み上げられた書類仕事を片っ端から片付け始めた。これ以上あの男に付け入られる隙を作りたくなかったからだ。
やがて四時間ほどが過ぎ、ある程度の目途が付いたところで、俺は席を立つことにした。リーマは夕方には仕事に出かけてしまう。今から部屋を訪ねれば、二時間くらいは一緒に過ごせるだろう。
ふと横を見ると、ルーベンス隊士はまだ黙々と仕事をしていた。
「ルーベンス隊士。」
「うわっ!?は、はい!!なんでしょうか、ラムサス閣下!!」
俺の声に驚くほど仕事に没頭していたのか、と思わず目を丸くする。
「書類仕事の補佐をありがとう。正直に言って助かった。だがあまり根を詰めてくれるな。俺は一旦出かけてくるから、貴殿も昼食を取りに出るといい。」
「は…は!かしこまりました、ですが補佐の方は自分から進んで始めたことなので、どうかお気遣いなく。」
緊張しているのか、言葉遣いや態度は少しぎこちないが、彼はイーヴやトゥレンとはまた違ったタイプで、不思議と俺の気分を和ませてくれていた。
『ヨシュア・ルーベンス』か…覚えておこう。
♢
一度自室に戻り、私服に着替えた俺は、いつものようにフードで髪と顔を隠し、リーマの部屋を訪ねた。
俺が扉をノックすると、心の底から嬉しそうな笑顔を見せ、彼女は俺を迎えてくれる。こうしてリーマに会うと、俺の心は温かさで満たされ、あの男への怒りも、トゥレンを失うかもしれないと言う不安も、心なしか薄らいで行くように感じられた。
俺は俺に向けられた笑顔に、リーマを堪らなく抱きしめたくなる。そんな俺が欲望のままに触れようとこの手を伸ばしても、彼女は決して拒まず、ただ幸せそうに微笑んで俺の全てを受け入れようとするだけだった。
束の間の時間、俺は彼女から与えられる愛情にただただ溺れ、なにもかもを忘れてしまう。このままずっとこうしていたい。この国へ来てから、誰かといて心からの安らぎを得られたのは彼女が初めてのことだった。
そうして俺は、リーマを愛しい、と思うようになった。
それは俺にとって極自然なことで、出会ってからの時間も、一緒に過ごした回数も一切関係がなく、彼女の輝くような笑顔と、俺を包むその温もりを、誰でもない俺自身の手で守って行きたいと強く願った。
言葉にするのは苦手だが、折を見てリーマに俺の思いを伝えよう。きっと喜んでくれるはずだ。
――リーマが俺のために、少し遅い昼食を用意してくれる。またどこかで聞いたか調べたのか、俺の好きなボア肉のソーセージとスクランブル・エッグにレッドビーツのスライスを乗せた新鮮な野菜サラダがテーブルに並べられた。
〝ライはボア肉のソーセージが好物なのよね?〟とフライパンで軽く焦げ目を付けたものを白パンと共に出してくる。
すぐにそれを頬張ると、美味い、と思わず言葉が漏れる。リーマは嬉しそうに良かった、と言ってまた笑顔を見せた。…いつも一人で食べる味気ない食事とは大違いだ。
家庭的なリーマと過ごす時間は、俺が忘れていた子供の頃の幸せな一時を思い出させてくれる。
二つの頃まで一緒だったはずの母親のことは元から記憶にないが、孤児院での大勢と過ごした日々や、もっと以前の…もうあまり思い出せなくなっていたレインとの時間さえも甦ってくるような気がする。
他愛のない話に笑い合い、時折その手に触れながら、満ち足りた時間は瞬く間に過ぎた。
二時間ほどを過ごし、〝なにもなければまた明日来る〟、そう約束をしてフードを被ると、扉の前でキスをして部屋を出た。離れ難い。…いっそのこと紅翼の宮殿を出て下町のどこかに家を借り、引っ越してしまおうか。
そんなことを真剣に考える今の俺は、好いた相手と付き合い始めたばかりの浮かれ男そのものだ。そう苦笑しながらも不思議と悪い気はしなかった。
そんな浮ついた気分は、城に戻ると同時に粉微塵に吹き飛ばされた。
近衛の詰め所に戻るまでもなく城の入り口で、血相を変えたルーベンス隊士が俺を見つけると慌てた様子で駆け寄って来る。
「ラ、ラムサス指揮官閣下、急いで王都立病院に向かってください…!!パスカム補佐官の容態が急変したと今連絡が…っ」
――俺が病院に駆け付けると、イーヴが真っ青な顔でトゥレンの病室の前におり、廊下にはイーヴが呼んだのか、トゥレンの家族と思しき中年の男女と、まだ幼年学校に通う年令くらいの少年が悲痛な面持ちで立ち尽くしていた。
病室の中では治癒魔法士と医者が協力して医療用の雷石器具を使い、トゥレンの蘇生治療を行っていた。…つまり、心臓が止まった、と言うことだ。
「ライ様…トゥレンが…」
「どけ!!」
俺はイーヴを押し退け、看護婦の制止も聞かずにトゥレンのベッド脇に無理矢理押し入った。
「逝くなトゥレン!!俺におまえが死んだのは俺の所為だと、一生罪の意識を背負わせるつもりか!?命令だ、死ぬのは許さん…!!おまえが死んだら、俺は冥界の果てまで行ってもおまえを追うぞ!!」
「ライ様…!!」
すぐにイーヴが興奮した俺を羽交い締めにし、押さえようとする。
「放せイーヴ、この馬鹿が俺を置いて先に冥界に行くつもりなのだ、絶対に許さん…!!聞こえているのだろう、トゥレン!!帰って来い!!」
…怒声を浴びせたところで、どうにかなると思ったわけではなかった。だがこいつは、あの男の命令だけでこれまで俺に付き従って来たわけではないと、この前俺にそう言った。ならばその証拠を見せろ。まだなにも始まっていないのに、こんなところで俺を置いて死ぬのは絶対に許せない。…ただそう思っただけだった。
♦ ♦
――血の気のない青ざめた顔で憔悴しきったあいつが帰って来る。
あいつは『闇の大精霊テネブラエ』の息子であるこのぼくを、ある理由があって自身の手元から放そうとしない。
だけどぼくは感じる。…ああ、少し前にマスターが力の一部を解放した。ぼくら守護七聖<セプテム・ガーディアン>は、全員がマスターと魂の絆で繋がっていて、その恩恵でぼく自身の力もどんどん高まって行く…これならもう、かなり自由に動けそうだ。
ぼくはかつて母上に、精霊界グリューネレイアにある闇精霊の領地『オプスキュリタス』から修行に出された未熟者だったけれど、フェリューテラでずっと封印されたまま様々な経験を積むことで、成長し、強くなった。
多分今のぼくは、千年前とは比べものにならないほどの能力を身につけているはずだ。
マスターはどうしてぼくの『神魂の宝珠』を "あんなところ" に安置したのか、ぼくはずっと永い間疑問に思っていたけど、その理由が今になってなんとなく見えて来たような気がする。その "鍵" はあいつ…『イーヴ』だ。
ぼくらはマスターのなさることに一切の無駄がないと知っていた。一見、なぜそんなことを?と思うようなことがあっても、ずっと後になって起こる出来事に備えていたのだと必ず納得することになる。
そんなマスターのお考えはぼくらには計り知れず、一つ一つ嵌め込んで行くパズルのピースは、全て『最終的な目的』のためだけにある、と言うことしかわからない。
だから巡り巡って今、ぼくがあいつの手の中にいるのは、必ずなにかの理由があるのだ。
――さすがはマスターだよね。一つ目の神魂の宝珠が解放されて、ぼくの力が増したこのタイミングで、まさかあのトゥレンが死にかけているなんて…
トゥレンは昨日から瀕死の状態で王都立病院に入院している。緊急治療で傷は塞げても、生命力が尽きかけていて回復は絶望的だ。
これからぼくがなにをしようとするのかも、マスターには遠い昔からわかっていたのかな?…そんな信じられないこともあり得そうだから怖いよね。
『$&%X¥??』
イーヴを監視するためにこっそり付けておいたぼくの眷属精霊達が、イーヴより一足先にぼくのところへ戻って来た。この眷属達は力がとても微弱で、元々姿を持たないから、たとえ識者であっても認識できない。だからあいつを探るには丁度いいんだ。
『うん、ご苦労様、ライが心配だから、今度はあの子のところへ行ってくれる?少しでも様子がおかしくなったら、すぐに知らせて。きっとトゥレンのことで自分を責め続けているはずだから。』
眷属達にそう頼んだ直後に、隣室の扉がカチャリ、と静かに開く音がする。
力の増したぼくのこの "瞳" なら、近付くイーヴの様子が手に取るようにわかる。…なんだこいつ、ちゃんと人間らしい感情も持っていたんじゃないか。
『あの家』に伝わる伝説の通りに、もしかしたら化け物なんじゃないかと思ったけど、一応まともな奴だったみたいだな。
書斎の扉を開け、ふらふらと蹌踉めきながらこちらへ歩いて来るイーヴは、どれほどありとあらゆる手を尽くし、トゥレンの命を救おうとしているのか…その苦労が見て取れた。
少なくともこの二日間、こいつは一睡もしていない。…ぼくの見立てではあの傷の深さからすると、トゥレンは多分…助からないだろう。
ドサン、と倒れ込むようにイーヴは机の椅子に腰を下ろし、ぼくの目の前に突っ伏した。その肩が微かに震えているように見える。…嗚咽も漏らさず、泣いているのか。
『…トゥレンの具合はどうなのさ?隣国から高位の治癒魔法士を態々呼んで貰ったんだろ?』
本当はさっき一度心臓が止まったことを知っている。
「――うるさい、俺に話しかけるな…」
あーあ、声が震えてんじゃん。そんなにトゥレンが大事だったのか。
『あ、そ。このぼくにそんな口を利いて、後悔したって知らないよ?まあ、ぼくはどうでもいいけどね。どうせあのままじゃトゥレンは助からないし。』
「…っっ!!!」
ぼくの言葉に激怒したこいつは、ダアンッ、と激しい音を立ててぼくの入った仕掛け箱を右の拳で叩いた。
『…酷い顔。おまえさ、今の自分の顔を鏡で見てみたら?ホント、酷いから。』
揶揄うように言ってみたけど、腹は立てても悪態に反撃するほどの気力はもうないらしい。
…さすがに可哀相だから、意地悪はこのぐらいにしておこうかな。
『――ぼくはさ、おまえの口から〝なんでもする〟っていう言葉を聞きたいんだよね。もしおまえがそう言って、ぼくにトゥレンを助けて、と願うなら、なんとかしてあげてもいいけど?』
「…な…に…?」
イーヴが赤く充血した目を大きく見開いて、トゥレンを助けられるのか、とぼくの仕掛け箱を覗き込んだ。
――助けられるのさ。…今のぼくならね。もちろん、間に合わずにトゥレンが死んじゃったらいくら何でも無理だけど。
♦
一時トゥレンの心臓が止まった。
すぐに蘇生治療でなんとか動き出したが、もう持たないかもしれない。
押し潰されそうな不安に疲れていても眠ることが出来ず、ただベッドに横になっていた俺は、隣室の扉を激しく叩く音で飛び起きた。
時間はあと半時ほどで日付が変わるところで、外から聞こえて来る声に、絶望的な気分で扉に向かう。
「ライ様…、起きてください、ライ様!!私です、お願いがあります…!!」
イーヴの声だ。…お願い?
俺はイーヴが、今一番聞きたくない知らせを持って来たのではないかと血の気が引いたが、その言葉を聞いて様子が違うと、慌てて扉を開けた。
「イーヴ、どうした…!?」
額に汗を掻き、血相を変えた様子のイーヴは、突然俺にラカルティナン細工の仕掛け箱と鍵を手渡し、予想外の言葉で懇願する。
「お願いします…なにも聞かずに、この仕掛け箱を開けてください…!!私ではどうしても開くことが出来ず、なすすべがないのです…!!」
「なに…?」
困惑する俺にイーヴは続ける。
「この箱は私の願いを叶えてくれます!!この箱が開けば、トゥレンを助けられるかもしれないのです、何卒…ライ様、何卒、お願い申し上げます…!!!」
――箱を開けば、願いが叶う?トゥレンを助けられるかもしれない、だと?そんな話があるか、どこぞの国の御伽噺じゃあるまいし。…そう思ったが、イーヴの必死な様子に、もしそれが真実ならと即座に考えを改めた。
「中に入れ、すぐに開けられるか試してみる。」
俺はイーヴを部屋に引き入れ、急いでリビングのテーブルに箱を置き、どうやって仕掛けを解くのか調べ始めた。
鍵を差し込むと簡単に回せる。だがそれだけじゃ蓋が開かない。スライド式のパズルのように箱の周りの木組みを一つ一つ動かして行く。
その度に俺の手元から光る文字の輪が広がって消滅し、弾けて行った。
…なんだこれは。魔法かなにかがかけられているのか?こんなラカルティナン細工の仕掛け箱は初めて見た。子供の頃ラ・カーナにいた時にも見たことがないぞ。
凄まじい数の封印だ、と思った。仕掛けも一つではなく、三通りを解いてやっとカタリ、と最後の鍵が開いた。
「…開いたか…!?」
俺はそのまま蓋を開けた。だがそこで俺の身体は意識を失ったらしい。
自室にいたはずなのに周囲が暗転した、と思ったら、俺は突然なにもない闇色の世界に立っていた。
「…なんだここは…どこだ?」
不安になり辺りを見回すが、どこまでも広がる闇色の霧が漂う、なにもない場所のようだった。
『やあ、ライ。久しぶりだね、ぼくのことを覚えているかい?』
突然すぐそばでそう声を掛けられ、ギョッとして俺は振り返る。
目の前にふよふよと浮いていたのは、大きな金色の瞳を持つ不思議ななにかだった。
俺の名を知っている…?久しぶり…?なんだ、この生き物は?
『ああ…その様子じゃあやっぱり覚えていないか。うん、そうだよね、それでいいんだ。それはさておき、時間がないから急ぐよ。君もトゥレンを助けたいでしょ?早くしないと間に合わなくなる。』
「!!そうだ、トゥレン…トゥレンが…!!」
『大丈夫、君が協力してくれれば、トゥレンはちゃんと助けられるから。』
「本当か!?」
『うん。さ、こっちへ来て。今トゥレンの魂を呼び出すからね。』
なぜだかわからないが、この不思議な生き物の言葉は信じられるような気がした。そう感じた俺は言われるまま後について行き、闇の中を真っ直ぐに進んで行く。
少しの間彼について歩いて行くと、そこにはぽっかりと煙に空いた穴のような窓があった。身を乗り出して覗き込むと、そこはさっきまで治癒魔法士や医者が慌ただしく動き回っていたトゥレンの病室だった。
「…トゥレン…。」
再び心臓が動き出しても、危篤状態なのは変わりがない。俺は横たわるトゥレンを見つめた。
『ねえライ、慰めても無駄かもしれないけど、あれは君のせいじゃない。トゥレンはトゥレンの意志で君を守りたいと思って魔物の攻撃から君を庇ったんだ。ぼくはそのことを君が気に病むのは少し違うと思うよ。それよりいいかい、今からトゥレンを助ける方法を教える。良く聞いて。』
俺は頷き、真剣に耳を傾けた。
――この不思議な生き物がこれからトゥレンの魂をここに呼び出すという。その瞬間、魂が離れた肉体は仮死状態になる。
そのままだとすぐに死んでしまうが、トゥレンの魂に生命力である霊力を余所から注ぎ込むことで、魔物に奪われて激減した生命力…霊力を元通りに回復させられるという。
『ライ、君はね、元々持っている生命力がとても強いんだ。それは他者に少しぐらい分け与えても、なんの問題もないくらいにね。トゥレンが死に瀕している原因は、生命力の低下だ。それを補うことが出来れば彼を助けることが出来る。
だけどそれには、君とトゥレンが永遠に切れることのない、闇の主従契約を結ばなくてはならないんだ。』
闇の主従契約とは、一度結べばたとえ死んでも解けることはない、魂と魂の隷属契約なのだそうだ。
その闇の契約を結んだ魂は、主側の許可がなければ死ぬことが出来なくなる。正確には、たとえ先に肉体が滅んでも魂が眠ることを許されない、と言う意味のようだ。
おまけに許可を得て死に輪廻転生を繰り返してもその主従契約は残り続け、どんなに離れていてもいつか必ず魂同士が巡り会い、また同じように主に従わなければならなくなると言う、ある意味呪いとも言える。
だがそれだけの強制力がある契約なだけに、恩恵も大きく、主を守るためであれば、どれほどの致命傷に至る強力な攻撃を受けても、一切痛みを感じることもなく瞬時に回復し、絶対に死ぬことはないという。
「待て、そんな契約を俺とトゥレンの間で結べと言うのか?無茶だ、それではまるで俺を守るためだけの盾奴隷かなにかのようではないか…!」
『それをどう受け止めるかは君とトゥレン次第なんじゃない?どっちにしろトゥレンが拒めばそれで終わりだ、彼は死ぬ。ぼくはトゥレンならきっと喜んで君との契約を結ぶと思うけどね。まあとにかく話してみれば?時間がないから。』
そう言うとその生き物は俺の制止も聞かずになにかの呪文を唱えた。
「おい、他に方法はないのか!?契約を結ばなくとも、生命力だけを分け与えられれば――」
『ぼくは神じゃない、闇の精霊だ。ぼくたちの決まりに従わなければ、人間を助けられないに決まっているだろ。さあ、おいでトゥレン。君にぼくの大切なライを守る特別な力をあげる。君にはそれだけの資格があるからね。』
――病室の肉体から引きずり出されるように、俺の前にもう一人のトゥレンが半分透けた姿で現れた。
「トゥレン…!」
触れようと手を伸ばしてみるが、俺の手はその身体を素通りし、虚しく空を彷徨った。
「「ライ様?どうなってるんですか、これは…俺のこの姿は…ああ、そうか、俺は死んだのですね。はは、魔物に貫かれてもうだめだと思ったものなあ…」」
「違う、まだ死んでいない…!」
「「は…?」」
こんな時なのに、どうしておまえは笑っていられるんだ。…このままではもう二度とこいつの、この笑顔を見ることが出来なくなる。
だが死にたくなければ俺と永遠の隷属契約を結べ、なんて…言えるか…!?
『やあ、初めましてトゥレン。命を賭けてライを守ってくれて、本当にどうもありがとう。自己紹介は後にして、時間がないからとっとと説明するね。』
その生き物は俺に話したのと違わぬ説明をトゥレンに言い聞かせる。
『…と言うわけなんだけど、どうする?』
「「…なるほど、転生しても契約は続く、と。永遠に解消は出来ないのですね。」」
『うん、そうだね。もちろん無理強いはしないよ。』
「「…わかりました、それでも俺は構いません、まだやり残したことが沢山ありますし、なによりもイーヴ一人にライ様を任せて死にたくない。俺はライ様をお守りする為なら、今後もきっと同じ事を繰り返すでしょう。だったら無茶をしても死なずに済む方がずっといい。」」
「お…おまえは…っ」
あっけらかんとそう言って笑ってみせたトゥレンに、俺は絶句した。
「「それにですね、ライ様…ライ様はあの時、初めて俺に良くやった、と褒めて笑いかけてくれたでしょう?俺、凄く嬉しかったんです。」」
――俺はあなたのあんな笑顔を自然に、いつでも向けて貰えるような臣下になりたい。…トゥレンはそう言ってまた微笑んだ。
…馬鹿な奴だ、俺なんかのために…死にかけて尚、そうやって笑うのか。
『トゥレンにここまで言われてまさか断ったりしないよね?』
「…本当に、いいのか?トゥレン。おまえは永遠に俺に従うことになるんだぞ。」
「「今さらです、ライ様。ああ、ライ様が後悔されても、俺は離れませんからね?覚悟してくださいよ。」」
「――口の減らない…わかった、契約を頼む。…ええと…?」
『ぼくは闇の大精霊ネビュラ・ルターシュ。ネビュラだよ、ライ。』
「――ネビュラ。」
…ネビュラ…?…どこかで、聞いたことがあるような――
『ふふふ、了解だ。…良かった、これでぼくも安心してマスターの元に行けるよ。ライ、覚悟はいい?生命力である霊力をトゥレンに分けるんだ、二、三日は動けなくなるからね!』
「な、なに…!?」
ネビュラ・ルターシュは闇の中、くるくるくるくる舞い踊る。
タン、タン、タタン、とリズムに乗って、濃淡異なる闇色の昏き光を身に纏い、ライとトゥレンの周囲を回る。
『――昏き褥の淵に立つ、二つの縁は永久に、主は僕に僕は主に誓いは互いの御魂を繋ぐ。古き契りはここに成す。我、闇の大精霊ネビュラ・ルターシュが証を認む!!あっははははは!!!』
ネビュラは歓喜の声を上げ、トゥレンの顔を覗き込む。
『今後君はライの手にかかるか、ライの許可がなければ死ぬことを許されない。精一杯長生きしてライを守るんだ、約束だよ、トゥレン!!』
次回、また仕上がり次第アップします。ふ~、トゥレンが助かって良かった。




