51 守るべきもの ②
今回もライ編です。ライの変化に気付いたイーヴとトゥレンは、こっそりとライの後を付け、アフローネに入ったライを外で待ちます。二人はどうも以前ライが身体に付けて帰った残り香の持ち主を探ろうとしているようですが…?
【 第五十一話 守るべきもの ② 】
人によっては、思わず耳を塞ぎたくなるほどの大音量で、軽快なテンポの良い音楽が店内に鳴り響く。
幅が十五メートル、奥行きが七メートルほどの舞台で、5人の踊り子達が見事な輪舞を舞い踊り、歓声を上げる客を魅了していた。
ヒラヒラと彼女達が舞う度に風に靡く衣装は、魔石を惜しみなく使った色彩光に照らされて、様々な色に輝いている。
予想以上に広かったアフローネの店内は、すぐそばのテーブルにいる客の顔もわからないほど薄暗く、舞台から遠く離れたかなり端の席に着く俺のことなど、誰も気に止めることはない。
寧ろフードを被ったままの方が逆に人目を引きそうだ。…そう思った時だ、ウェイターが注文した酒と軽いつまみを俺の元に運んできた。
「お待たせ致しました、アフローネ・フィズとボア肉ソーセージのポテトフライ付きです。」
「ああ、ありがとう。」
三十代半ばくらいの給仕にかなり慣れていそうなこのウエイターは、俺のフードが気になったのか、チラリと訝る視線を向けた。
「あまりこの辺りではお見かけしない方ですね。王都へはどちらから?」
――ああ、これは問題を起こすような流れ者か、ならず者かと、少し警戒されているな。
王都の下町では住人にも犯罪者に目を光らせる義務がある。これは低所得者が王都に在住する許可を得る時に、強制的に国と約束させられる法律だ。
俺としては低所得者だけに課せられている決まりだと言うのが気に入らないが、中級住宅地や高級住宅地では殆ど犯罪が発生しないため、今のところ仕方がないと思っている。
この法律は予め見慣れない流浪者や旅人が身近な盛り場に現れた時は、外見や特徴を覚えておき、なにか問題を起こしたら憲兵に通報しなければならない、というものだ。
これを破れば即王都を追い出されるため、非協力的な住人はまずいないし、そうすることでこの地域全体の治安が安定して保たれているのだから、本当に良く出来た犯罪対策だと感心する。
俺はウェイターを手招きをして近くに来させると、フードの中の髪と顔を見せ、名を名乗った。
「王宮近衛指揮官のライ・ラムサスだ。ここへは個人的に寛ぎに来た。騒ぎを起こすつもりはないから、店主以外には黙っておいてくれ。」
俺を確認すると、ウェイターは飛び上がりそうなほどに驚いた顔をした。
「黒髪の…っし、失礼しました、かしこまりました、どど、どうぞごゆっくりお寛ぎ下さい…っっ!」
慌てた様子でウェイターが店の奥へと走って行く。…残念だがステージが終わった後でリーマに会うのは難しそうだ。
飲食を済ませたら早々に引き上げよう、と短く溜息を吐く。
舞台の上のリーマは眩しいほどに輝いていて、俺は暫くの間その姿に見蕩れていた。
くるくる回る彼女の汗が、時折飛び散って光を反射する。あの柔らかい少し癖のかかった赤い斑髪が跳ねて靡くと…思わず手を伸ばしたくなる。
歓声を上げる客に向ける笑顔を見る度に、彼女がこの仕事に誇りを持っているのが良くわかった。
…俺のようにただ命じられるまま流されているのとは大違いだな。
俺は碌に味わいもせず酒を飲み干し、夕食代わりのソーセージを口に放り込むとテーブルに代金を置いて店を出る。
結局どこに行っても人目を気にしなければならないのは同じか。
…出来ることなら自由になりたい。俺が俺らしく生きて行けるように。…そう切望しているのに、逃げ出さないのはなぜだろう。
もしレインが見つかったら…などというのは多分言い訳だ。この国に執着はないはずなのに、自分でも今すぐそうしないのはなぜなのか良くわからない。
胸の中にモヤモヤとした塊を抱え、すっきりしないまま、俺は城への帰り道を歩き出した。
「――…半時もおられなかったな。」
アフローネから出て来たライの後ろ姿を見送ると、建物の影から出てトゥレンがボソリと口に出す。
ライがアフローネに入って行ったのを確認した後、イーヴとトゥレンは自分達も店に入るかどうかで随分と悩んだ。
だが今日のところは外で待ち、誰かを伴って出てくる可能性に賭けたのだ。…ところがライは一時間もせずに1人で店を出て来てしまった。
これでは中で誰かと会っていたとしてもイーヴ達にはわからない。
「今日はこのまま真っ直ぐに城へ戻られるのだろう。…空振りだったようだな。」
ふう、とイーヴが大きな溜息を吐いた。
「俺達も一応中に入って、それとなくライ様の行動を店員に聞いてみるか?」
「いや、それはだめだ。そのようなことをすれば次にライ様がここを訪れた時、我々の行動が筒抜けになってしまう。顔を知られていて目立つのはライ様だけではない、我々とて同じだぞ。」
「ふむ…ではどうする?」
イーヴとトゥレンはその場で今後のことを考え始めた。…その時だ。
踊り子姿の若い女性が、慌てた様子でアフローネの裏口から飛び出して来た。言うまでもなく、リーマだ。
リーマは店の前の通りを右へ行って、左へ行ってと誰かを捜すように暫くの間周囲を見回し、やがて諦めたようにまた裏口から店の中へと戻って行った。
その様子を見ていた洞察力に優れ、勘の鋭いイーヴとトゥレンは、すぐにその女性がライを追って出て来たのではないかと言うことに気付いた。
「あの衣装…今のは店の踊り子か?従業員なら成人しているとは思うが、まだ若い可憐な印象の美人だったな。」
「…ライ様の理想や好みのタイプは存じ上げないが、派手な女性はおそらくあまり好まれないと思う。その点は合致していそうだ。」
「なあイーヴ…まさかとは思うが、今の踊り子が "残り香" の相手か?」
一時の間を置いてイーヴとトゥレンは顔を見合わせる。
「…確証はないが、可能性はありそうだな。」
呟くようにぽそりと言うと、イーヴは視線を落として考え込み、左腕をお腹の辺りに添えて肘を支えた右手を口元へ運んだ。
イーヴの答えを聞いたトゥレンは、はあぁ、と長く大きな溜息を吐き、頭をぐしゃぐしゃと掻いて眉間に皺を寄せる。
「…今までライ様が女性に興味を示すこともなかったから油断したな。もっと早くお相手は選ぶようにお話しせねばならなかったのに…これは俺達の落ち度だ。
選りにも選って下町の酒場の踊り子とは…良家の子女とはいかないまでも、せめて一般家庭の娘ならまだなにかしら手は打てたのに、最悪の相手だな。」
突発的な頭痛でも起きたかのように、トゥレンは頭を抱えた。
「一時的な気まぐれや遊びならなんの問題もないんだが…」
「あの方に限って、それはないだろう。浮ついたことをなさるぐらいなら、疾うに色事の一つや二つ今までにあっても不思議はなかった。」
だよなあ、とまたトゥレンが肩を落とし、長い溜息を吐く。
「断定するのはまだ早い。ライ様とあの踊り子が一緒にいるところを確認したわけでもないし、暫くは注意して様子を見るしかないだろう。…とりあえず今日はもう城へ帰るぞ。」
二人の足取りは重く、ライの今後を思うと慎重に動かなければならない、と胸を痛める。
――リーマは知らない。ライがこの国の王族の一員であることを。ライは認めていない。ライが "あの男" と呼んで蔑み、憎悪を向ける国王が自分の父親であるということを。
それを認めていないからこそ、イーヴとトゥレンが対応に頭を悩ませるほど、自分とリーマの関係が『身分の隔たり』によって認められないものだとは微塵も思っていないのだ。
そのことがやがて、ライにとってかけがえのない存在となって行くリーマを…取り返しの付かない運命に追い込んで行くことになる。
だが、この日を境にライは、益々身動きが取れなくなるほどの激務に追われるようになる。
その原因は、メクレンのギルドでルーファス達が見た、あの光景と同じ理由からだ。
そう、メクレンよりも少し遅れて襲って来た、魔物の活性化と強力化に伴う急激な依頼件数の増加と、対応可能な守護者の不足だ。
王宮近衛指揮官のライは、軍施設に魔物が侵入した時の苦い経験から、先ずは自身直轄の近衛隊に対魔物戦闘の訓練を施すことに決めたが、ある程度初期訓練が終わったところでギルドと連携し、次の実地訓練を行おうと考えていた。
奇しくもそれがギルドにとって幸いし、慢性的な守護者不足に陥りかけていたところを、ライの施策に救われる形になった。
ところが予想以上に討伐依頼が多く、まだ経験の浅い近衛隊士達は初心者守護者同様の低ランク討伐にしか手が回らず、元々守護者の資格を持っていたライは、王都周辺の出現頻度が急上昇した『変異体』の討伐にまで駆り出されるようになる。
対人戦闘とは異なる、一瞬の油断も許されない凶悪化した魔物との戦いに、明け暮れる日々が続く。
そうして瞬く間に数日が過ぎ去ったある日、事件は起こる。
王宮に入ってすぐの場所にある近衛隊第一詰め所で、疲れ切った顔をしたライが長椅子にドサリと腰を下ろした。
睡眠不足から目の下には隈らしきものが出来始め、顔色もあまり良くない。天井の明光石が眩しくてライの『左右色違いの瞳<ヴァリアテント・パピール>』に突き刺さると、それを改善しようと幾度か目を屡々させ、親指と人差し指で眉間を抓みながら上を向いた。
――疲れた…。これでもう何日碌に休めていない?次から次へと討伐依頼が押し寄せて来て、自分が今、近衛なんだか守護者なんだかわからなくなってきた。
Sランク級守護者であるリカルド・トライツィからの通達は正しかった。さすがは現在のトップハンターだ。王都周辺のアラガト荒野に新種が出現したり、元々生息する魔物でさえ倒すのに手子摺るほど強くなっている。
ここまでなんとか死者を出さずにやって来たが、そろそろ限界が来るな。近衛の隊士達にも不満が募り始めているし、王国軍全体ではまだ魔物との戦闘に向かわせられるほど訓練状況が整っていない。この状態で無理に外へ出せば、死人が増えるだけだ。
どうすれば良い?なにか打開策はないのか?
「必死に考えても疲れすぎていて頭が働かないか…。」
背もたれに両肘を投げかけ、天井を見上げてライは独り言を呟く。
魔物駆除協会は民間組織だから国が介入するのは難しいかもしれん。だがこのままではどの道ギルド自体が立ち行かなくなる。
慢性的な守護者不足を補うのはすぐには無理だ。…それならギルドで請け負う依頼の選別をして、重要性の高いものと低いもので優先度を変えるべきではないのか?
魔物駆除協会の上層部はこの事態になにをしている?…と言うか、ギルドの組織形態はどうなっているんだ?…守護者として名前を登録していながら、考えたことはなかったが…――
そこへ慌てた様子でトゥレンがノックもそこそこにドアを開け、部屋に飛び込んで来た。
「失礼します、ライ様!!…ライ様!?」
「こっちだ、どうした?」
天井の灯りから疲れた目を覆い隠すようにしていた腕を下ろし、ライはむくりと身体を起こした。
「二重門の守備兵隊から緊急連絡です!!第三ターミナルを出発したシャトル・バスが、『バイトラス・カッター』の変異体に襲われていると…!!」
「!!」
ガタン、と大きな音を立てて長椅子からすぐに立ち上がり、トゥレンと共にライは城門前へと急いだ。
ライとトゥレンの靴音が王宮の床にカツカツと音を立てて響く。
「今待機中の小隊は?」
「一時間ほど前にレッド・アントの討伐から戻って来た第二小隊と、これから出撃予定だった第五小隊の準備を整えさせてあります。」
「第二と第五か…二小隊で足りるか?変異体は必ず大量の通常体を伴って襲撃して来る。ギルドから守護者は?」
「Aランク級守護者の複数パーティーが要請で既に向かったそうです。ライ様、こんな時になんですが、このままでは――」
「わかっている、俺達は守護者ではない…!」
城門前には既にイーヴが招集した近衛隊が整列して待っていた。
イーヴはライの姿を確認すると、即座に隊士達に号令をかける。
「敬礼!!」
ザッ
近衛の二小隊は敬礼をした後、両腕を腰の後ろで組み背筋を伸ばすと、その場でライからの命令を待った。
「二重門の守備兵隊と魔物駆除協会から緊急要請が入った。第三ターミナルを出発したシャトル・バスがバイトラス・カッターの変異体に襲われているそうだ。」
ここまで聞いた時点で隊士達がざわめく。
「変異体だって?ただの魔物と違うのか?」
「またか…守護者の連中はなにをしているんだ?」
「冗談じゃない、これでもう何度目の出撃だと思っている、俺達は魔物と戦うために軍人になったわけじゃないんだぞ…!」
そんな文句や不満があちこちからライの耳に漏れ聞こえてくる。
「静かに!!まだ説明の途中だぞ!!」イーヴがそれを厳しい声で戒めた。
静まったところでライはさらに説明を続けた。
「――これまでも散々魔物の生態について説明して来たが、『変異体』は必ず同種の通常体を数多く伴って出現する。俺達の役割は変異体以外の通常体の相手をすることだ。倒せればそれに越したことはないが、無理をして数を減らす必要はない。変異体が倒れれば通常体はすぐに散って行くからだ。
言っておくが、変異体はかなり強力でおまえ達の力では太刀打ちできない。よって飽くまでも守護者が変異体を駆逐するまで時間を稼ぐのが目的だ。おまえ達は自分の命を落とさないように、細心の注意を払って通常体の相手をしろ。説明は以上だ。それから――」
「お待ちください、ライ・ラムサス近衛指揮官閣下!!第二小隊隊長、マイケル・ケインです!!我々の意見をお聞き頂きたい!!」
ライの言葉を遮り、不満を顕わにして小隊長が進み出た。
「貴様、閣下の御言葉を遮るとは何事だ!!」
上官に対する反抗とも取られかねない態度にトゥレンが怒声を浴びせる。だがライはそのトゥレンを手を上げて制止した。
「構わん、言いたいことがあるのなら聞こう。なんだ?第二小隊隊長、マイケル・ケイン。」
ライは腹を立てる様子もなく、静かに隊長の意見を聞いた。こんなことをしている間にも民間人に死者が出ているかもしれない、そう思いながらも彼らの不満をここで押さえつければ、この後どうなるかわかっていたからだ。
ライに対する不満に耳を傾け、きちんと話を聞いた上で説得し、それでも尚ライの方針を理解できない者には最終的に近衛からだけではなく、王国軍から退役して貰うしかないとそう思っているのだ。
案の定小隊隊長は、自分達が魔物の相手をするために軍人になったのではないと言うことや、民間に魔物駆除協会が存在しているのに、なぜ自分達が動かなければならないのか、など納得がいかない、と訴えて来た。
隊長の言葉に同意するように、一部を除いて不満をぶちまける隊士達に、ライは暫くの間黙って好きなように言わせておいた。
連日強制的な命令に従わせ、碌に休みも与えられていないのだ、疲れていないはずがないとライには良くわかっていた。
黙って隊士達の意見や不満を聞いていたライを見て、隊士の一人が声を上げる。
「いいかげんにしろ!!俺達がこんなことをしている間に、民間人が死んでいるかもしれないんだぞ!!俺達は王宮を守る近衛だが、その前に王国の軍人は国民を守るために存在していることを忘れたのか!!」
まだ年若い…と言ってもライとイーヴ達の間くらいの年令だが、アッシュブラウンの髪に特徴的な灰色の瞳を持つその青年隊士は、言うだけ言ってライに向かって敬礼すると、失礼致しました、と謝罪して背筋をビシッと伸ばした。
彼の名はヨシュア・ルーベンス。後にライの強い希望で傍付きに加わることになる期待の精鋭である。
ライはその隊士を見て、ふっ、と優しく微笑んだ。
その表情を見たイーヴとトゥレンを含めた近衛隊士達は、あまりにも驚いて一瞬で黙り込む。なにせ『黒髪の鬼神』が笑ったのだ。
「おまえ達の意見は良くわかった。今後も言いたいことがあるのなら直接俺に言いに来てくれて構わん。だがその前に、俺が予測している今後のエヴァンニュ王国について話しておく。」
――ライはこれからのエヴァンニュ王国がどうなって行くのか、自分の考えの要点を纏めて話し始めた。
まず最初にライは、今のこの国の状況は一時的なものではなく、今後魔物は今以上に増え続け、以前のような安全な状態にはもう戻らないであろうことを告げる。
これは決して珍しいことではなく、エヴァンニュ以外の他国では歴史上当たり前のことだったと聞かせた。
「俺はエヴァンニュの出身ではない。だから他国の歴史もそれなりに学んでいる。なぜこの国だけが今まで安全だったのか、その理由はわからないが、これだけの魔物の急激な変化は、その安全が崩壊したことを意味すると、俺は思っている。
そして他国では、国に属する人間もその全てが魔物と戦えなければ、国どころか小さな村一つ守ることすらままならないのだと知って欲しい。」
――もちろん俺だとて近衛の訓練を始めた当初は、王宮を万が一の時に守護することが出来るようにと、ただそれだけが目的だった。
だがこの状況はもうそれだけではすまないとここ数日で理解した。思うにこの国の環境は今、激変している。
「もっと詳しく話したいところだが、今は緊急要請が来ており、時間が惜しい。後ほど俺に質問があれば、書面に記してイーヴかトゥレンに提出してくれ。必ず目を通して一人一人に返事を返す。イーヴ。」
「はっ!近衛第二、第五小隊出撃!!」
イーヴの号令で近衛隊士達が一斉に城門を出て行く。
「…ライ様、今のお話は…」
トゥレンが少し戸惑ったような顔をして声を掛けて来た。その表情は寝耳に水、と言った感じだ。
「ああ、そう言えば忙しくておまえ達にもまだ俺の考えは話していなかったな。…まあ聞いた通りだ。確証がないうちは下手なことを口に出すつもりはなかったんだが、こうなるともう黙っていても仕方がないからな。」
「では本当に今後この国はそうなっていくとお考えなのですか?もう以前のようには戻らないと――」
「ああ、そうだ。おまえ達はこの国だけがなぜ安全だったのか、疑問に思ったことはなかったのか?…俺はずっと不思議だったがな。」
俺の言葉を聞いたトゥレンが押し黙る。こいつでさえこうなのだ、エヴァンニュの平和呆けは中々に重傷だと俺は思う。それを招いたのはやはりあの男だろう。
熟々あの男が考えていることは俺には理解できない。王都の治安は隅々まで徹底しているのに、都外のことはなおざりとは…それともなにか理由があるのだろうか?…まああの男のことなどどうでも良いが――
近衛隊の後に続き、城門から出ようとしていた時だ。俺達の出撃を遠巻きに見ていた群衆の中に、俺はリーマを見つけた。
すぐそばにイーヴもトゥレンもいたのはわかっていたが、彼女の不安げな表情が気になった俺は、どうしても放っておくことが出来なかった。
「ライ様?どちらへ――」
俺はリーマの傍へと駆け寄り、群衆から彼女の手を引いて離れると、急いで話を済ませることにした。
「こんなところでなにをしている?」
「ラ、ライ…私…王都のすぐそばに変異体が出たって聞いて――」
リーマの髪から甘い香りがふわりと漂い、俺の鼻を擽った。
「ああ、だから俺達がこれから討伐の補助と民間人の救出に向かう。」
「やっぱり…!どうして近衛隊が行くの!?変異体は凶悪すぎて守護者でも手に負えないって聞いているのに…!!」
リーマが俺の腕を強く掴んだ。そうか、リーマは…
「それで態々様子を見に来たのか?」
「だって心配で…!このところ近衛隊が魔物の討伐に駆り出されているって知っていたから…それにあれ以来、待っていても会いに来てくれないんだもの。せめて遠くから姿だけでも、って…」
「戒厳令の発動以降、殆ど身動きが取れなかったんだ。少しは事情を知っているかと思ったんだがな。」
「忙しいのはわかってるの、でも…!」
迷惑だとは思わない。寧ろその逆で、彼女がまだ俺を思っていると知り、俺はなぜかホッとした。
彼女の方にこそ放っておいて愛想を尽かされないとは限らないからな。
「リーマ、俺をどういう男と見て信じる信じないを判断するかはおまえの自由だが、この前の問いに俺はいい加減な気持ちで答えを返したつもりはない。」
「ライ…それって――」
「閣下!!」背後からトゥレンが俺を呼ぶ。俺は顔を上げるとリーマに誠意を込めて微笑み、急いでその場から離れた。
わかってはいたが、トゥレンの元に戻るとすぐに「あの娘は誰ですか?」とリーマのことを聞かれた。
下手に答えを返せば、後で余計に追求されることになる。俺は完全に無視して足早に先を急ぐことにした。
どうせ黙っていてもいつかは調べられて、なにもかもばれるのだ。ならばその時までなにも言わない方が良い。…俺はそう思った。
二重門の前に行くと、ここにも大勢の群衆がいて、物珍しそうに俺達を遠巻きに眺めていた。
こんな光景もおそらく最初だけだ。ラ・カーナやファーディアがそうだったように、そのうち魔物が街中に入り込みでもしない限り、すぐに慣れて民衆は騒がなくなる。
そうして魔物が今まで以上に自分達の命を脅かして来る存在であることが、極当たり前になって行くのだ。
戒厳令が解かれた後の数日間は普段通り二重門も開け放たれていたのだが、魔物駆除協会に例の緊急通達が届いてからは、魔物の襲撃に備えずっと閉じられている。
そのせいで王都を出入りする人間は、小門をくぐるために長い列を作ることになり、却ってその横っ面を魔物に襲われることが増えていた。
その列の護衛のためにも常に誰かしら守護者の人員が割かれており、それを然も当たり前のように、安全なところで踏ん反り返っている守備兵隊にも、俺は内心酷く苛ついていた。
役立たずの木偶の坊め、今に見ていろ…その平和呆けした性根は俺が必ず叩き直してやる。この状況になっても自ら動こうとしない連中は、国民を守る立場である王国軍…即ち、俺の下には要らない。
心にそう刻みながら、俺は守備兵隊に命令を下した。
「開門!!片側だけ開けばいい、守備兵隊の救護班は内側で待機!!避難してきた民間人の救出と、負傷者の手当てを優先しろ!!近衛隊出陣!!」
「はっ!!!」
ズ…ザザザザアア…――
門扉が開いた途端に、風が音を立てて茶色い砂埃を巻き上げ、俺達の視界を遮る。
シャトル・バスが襲撃されている地点は、ここから西に500メートルほど行った辺りの丘陵地帯に差し掛かる手前だ。
足早に荒れ地を進むと、すぐに立ち昇る黒煙が見えた。
近付くにつれ、人の悲鳴と怒声、叫声と剣撃の音が大きくなって来る。
近衛隊と共に駆け付けた俺の目に飛び込んで来たのは、先行していた複数の守護者パーティーが三体もの変異体とそれぞれ必死に戦っている姿だった。
「バイトラス・カッターの変異体が三体もだと…!?」
一体でも厄介なのに、なぜ集まった…!?
『バイトラス・カッター』は数日前に突然現れた新種の魔物だ。蟻の口のような強靱な顎と、自在に出し入れ可能な "かえし" の付いた腕に鋭いブレードを持ち、飛べるわけでもなさそうなのに、背中に蜉蝣のような薄い四枚の羽根が付いている。
通常体は羽を広げても精々80センチほどの大きさだが、動きが素早く手足に噛みついて引き倒そうとして来る。
その変異体は、優に三メートルはありそうだった。
「二名は民間人の避難を優先!!残りは通常体との戦闘を開始!!イーヴとトゥレンは周囲の状況を逐一俺に報告しろ!!」
「「かしこまりました!!」」
俺はその場で三体の変異体と戦闘中の守護者パーティーを見て、最も苦戦中の戦闘フィールドに加勢に入る。
「遅いよ、黒髪の鬼神!!」
俺を見るなりそう叫んだ女剣士は、真夏の太陽のようなオレンジ色の髪に、紫のメッシュが入った獅子の鬣のような髪型をしていた。鮮やかな深緑の瞳に、そばかすを散らした気の強そうな美人で、稀少なオリハルコン製の片手剣を見事に使い熟していた。
「状況は!?」
俺はすぐにライトニング・ソードを引き抜き、先ずはバイトラス・カッターに一太刀浴びせる。
ガキィンッ…
――重い。おまけに固い。振り下ろした刀身に跳ね返る衝撃でビリビリと手が痺れた。
「悪いね!!あたしは根無し草のリーダー、ヴァレッタ・ハーヴェルだ…!!薬士の回復役がシャトル・バスの乗客に取られちまってね、おまけに副リーダーが昨日怪我をして動けなくなっちまったんだよ。スコット!!ライラ!!近衛が来たから通常体はある程度で任せて合流しな!!こっちを倒さなきゃ終わらないからね!!」
「了解だヴァリー!!」
「今行くよ、待ってて!!」
頬に十字傷のある双剣使いの男と、弓使いの女性が合流する。
「俺は基本的に前衛型だ。先ずは左のブレードを狙う。斬り落とせれば隙が出来るはずだ、囮は任せたぞ。弱点は脇の下にある外殻の隙間だ、そこを狙え!」
「オーケー、あたしがタンクだ。」
連日の出撃で俺はかなり動きが鈍くなっていた。昔守護者として働いていた頃に比べると、随分腕が落ちたように感じる。
完全に訓練不足だな、と今は苦笑するしかない。ヴァレッタがこいつの強靱な顎による噛み砕き攻撃を左右に避けて引き付けてくれている間に、左前脚のブレードを先ずは片方、関節に何度か攻撃を入れてどうにか切断した。
「ちっ…なんて堅さだ…!」
最も弱い部分を狙って刀身を叩き込んでいるのに、まるで丸太に刃こぼれした刃で殴りかかっているようだった。
「左側に隙が出来た、今だよスコット、ライラ!!」
「うおおおおおっ!!」
「いっけええええええ!!!」
弓使いの牽制と援護を受け、双剣使いが素早く躯体の下に潜り込み、弱点である胸部の脇から心臓に向け、剣を深く突き刺した。
ギギャ――っ
ドオンッ
断末魔の声を上げ、ようやく一体が倒れる。
「やったね!!やるじゃないか、次行くよ!!」
さすがはAランク級守護者のパーティーだ。あれだけ動いてすぐに次の戦闘へ入れるのか。
「ライ様!!」
イーヴとトゥレンが報告のために俺に駆け寄る。
「乗客の救出と避難は完了しました!」
「よし、俺は残り二体の変異体討伐に協力する。おまえ達二人は引き続き周辺の状況に留意しろ。負傷者は無理に魔物と戦わせるな、いいな!」
「はい!!」
次の戦闘フィールドに駆け寄ると、そこのパーティーは攻略が上手く行かずに、少し焦っていた。
「三人がかりでまだ倒せねえのかよ…!!」
「長引くと不利になるだけだ、ドノバン!!さっさと殺っちまえよ!!」
「おい、焦るな!慌てなくても落ち着いて対処すれば――」
「うるせえ!!軍人は引っ込んでろや!!」
俺の言葉が気に触ったのか、ドノバンと呼ばれた男は意地になってふらりと魔物の正面に立った。
「な…バイトラス・カッターの正面は危な――」
「ギャ…ッ」
「ドノバン!!!」
警告しようとした俺の目の前で、その男は一瞬でバイトラス・カッターの強靱な顎に頭を噛み砕かれ、両前脚のブレードで身体を三つに切断されてしまった。
ドサドサッドンッ
足元に転がる潰れたトマトのような頭部と、バラバラにされた壮絶な遺体に近くにいた近衛の何人かが吐き戻した。
「うわあああっ!!リーダーが…ドノバンが殺られた…!!」
「冗談じゃねえ、頭がやられちゃ話になんねえ!!退却だ!!」
「な…こら待て、逃げるな!!!」
「ちょっとあんたたち…!!」
「腰抜けが…!!」
その全ては一瞬のことで、俺とヴァレッタの制止も聞かずに、その連中は尻尾を巻いて逃げて行った。
なんて奴らだ、あれで本当に守護者か…!?
少し離れたフィールドで、もう一体の変異体を相手にしているパーティーは満身創痍で今にも敗走しそうだ。今のでさらに戦況が苦しくなったのは間違いない。
「スコットとライラはあっちの加勢に行っとくれ!!こっちは黒髪の鬼神となんとかするよ!!」
「おい!!」
ヴァレッタの指示に従って、走って行く双剣使いと弓使いを見送り、俺は不満げに女を睨んだ。
「俺に過剰な期待をするな!守護者の資格を持っていても、もうずっと資格維持のための魔物討伐ぐらいしかしていないんだぞ…!!」
「よく言うよ、それでも素人じゃないだろ?出来ればそこの部下さん達にも手伝って貰いたいんだけどねえ。」
ヴァレッタはイーヴとトゥレンをチラリと一瞥する。
「待て、あの二人は――」
一瞬、ほんの一瞬俺の背中にヒヤリと冷たいものが走る。
「かしこまりました、俺達も参戦します。」
「我々だけ後方に下がっているわけには行かないでしょう。無理はしません、ライ様ご命令を。」
イーヴとトゥレンが剣を抜き、即座に合流し俺の横に並び立つ。
――俺はこの二人を、経験のない変異体相手の戦闘に加わらせたくなかった。
なぜかと聞かれれば、ただ単純に俺がいやだったのだ。
…不吉な予感がした。俺にとってこの二人は、俺を監視し続けるあの男の飼い犬だ。それなのに、万が一にも傷付くことがないように、俺の近くで待機させておきたかった。
「さあて、それじゃさっさと殺っちまおうかねえ…頼んだよ、黒髪の鬼神!!」
俺の胸に渦を巻くモヤモヤしたなにかがゆっくりと這い出て、目の前に首を擡げているような気がした。
次回、仕上がり次第アップします。




