42 坑道の悪魔 ④
アーシャルの説明を聞くルーファスは、リカルドからとんでもない言葉を聞くことに。一方メソタ鉱山で真央のに呑まれたシルヴァンを案じ、ウェンリーとヒックスは地下へ地下へと向かいます。
【 第四十二話 坑道の悪魔 ④ 】
「話を途中で遮ってごめん。」
未だにどんよりした表情で俯きがちなリカルドに、俺はそう声を掛ける。
リカルドがなぜそんなに俺がどう思うかにこだわるのかわからなかったが、あの夢に出て来た二人が実在した人物達であるのなら、『非人道的な行いをした』というのも納得が行くような気がした。
さっきの口振りからすると、大神官フォルモールと言う人物は余程の曲者なんだろう。以前のアーシャルはその支配下にあった、とリカルドが口走ったことから、今現在のアーシャルは支配者が異なると言うことか。
「アーシャルの本拠地という、その天空都市フィネンでは大神官の職にある者が国の頂点に立つものなのか?」
「いえ…違います。フォルモール様が行方不明となられてからは、有翼人本来の王制に戻り、今は種族統治者である王族が民を率いています。」
なるほど… "本来の王制" 、か。なんとなくだけど有翼人の事情が見えた気がするな。
ここまで少しだけ聞いた話を整理してみると、大神官フォルモールが行方不明になる以前は、本来の統治者である王族が国の支配権を持たず、大神官が最高権力者だった。
その大神官が上にいて命令を下し、あの第二位や第四位を意のままに動かしていた…となると、ル・アーシャラーと言うのは大神官直属の組織なんだな。
「リカルドはアーシャルに属していると言っていたけど、スカサハやセルストイのような部下がいると言うことは、おまえもル・アーシャラーなんだな。」
「…!」
「第何位なんだ?」
「わ…私は…第一位です。」
リカルドが一瞬ビクッと体を揺らし、また気まずそうに下を向く。なんだか俺が尋問でもして責めているみたいじゃないか。
まあでもこれでアーシャルについては大分わかった。ル・アーシャラーに位があるのなら、おそらく第一位のリカルドは事実上組織の頂点にいるんだろう。だからこそヴァハでアーシャル達を的確に動かすことが可能だった。
それなら過去に俺とアーシャルの間で、シルヴァンが言うような敵対する何かがあったのだとしても、リカルドが俺を裏切らない限り、アーシャルが敵に回ることはない、一旦はそう判断しても良さそうだ。
ただこれは行方不明になったという大神官が再び戻らないことと、現在の支配者である有翼人の王族が俺の敵に回らない、ということが前提条件になる。
シルヴァンはその辺りも突っ込んで来そうではあるけれど、俺はそこまで心配しても仕方がないと思うんだよな。
気になることは他にもあるけど、それは追々また聞くことにして…後はこれだけはリカルドに聞いておこう。
「なあリカルド。おまえは有翼人じゃなく人間なんだろう?そのおまえが、どうしてアーシャルに属しているんだ?」
俺の中でこのことは最大の疑問だった。多分これはアテナも知りたがっていることだと思う。
リカルドはただアーシャルに属していると言うだけじゃなく、その地位がル・アーシャラーの最高位にあってかなりの権限を所持している。なにか余程の事情がなければ通常ではあり得ない待遇だろう。
それに俺はリカルドが大神官のことを「フォルモール様」と、敬称で呼んでいるのが引っかかった。
さっきは俺に対してまるで弁解でもするように、口調を強めて大神官のことを話していたのに、それでもまだそんな呼び方をすると言うことは、なにか特別な関係があったとしか思えないのだ。
俺が尋ねたこの問いは、リカルドにとってかなり答え難い質問だったのだろう。
その表情は硬く強張り、いつもの美しい顔が苦痛に歪む。その瞬間俺は、リカルドが触れられたくないと思っている、私的な領域に踏み込んでしまったのだとすぐに気付いた。
俺は慌てて「答えたくないのなら無理はしなくていい」、そう言おうとした。
だけど俺が口にするよりも早く、リカルドは顔を上げ、こちらを真っ直ぐに見て答えを返す。
それは俺が想像だにしなかった驚愕の言葉から始まった。
「ルーファス…実は私は…過去に一度、死んでいるのです。」
♢ ♢ ♢
――昨夜泊まったF区画の休憩所から出発して、"あれ" が逃げながら新しく造った通路を辿り、もう随分と下って来たと思う。
この通路はきちんと整備された坑道と違い、土留めも灯りもなく真っ暗だから、スキル『暗視』と『索敵』、『気配察知』を総活用し、鉱山夫用の頭に装着する発光灯を身につけて慎重に先を急ぐしかねえ。
あの時ヒックスさんが魔物に付けた発信機はまだ生きてる。追跡端末の点滅する信号だけを頼りに、この暗がりの中俺らは今必死で奴を追いかけてるところだ。それなのに…
キイィ…フシャアアッ…ガルガル…
「ちっ…また出やがった、雑魚のくせに邪魔すんなよっ!!」
出来たばかりの通路なのに、次から次へとトゥープだのリリアックだのと、上層区画にも散々現れた弱い魔物が襲って来る。夜じゃない暗闇でばったり出会すその姿はかなり不気味で、道幅が狭い上に出現する数も多く、すぐに挾まれるから逃げることも出来ねえ。
あの大蚯蚓みてえな奴が造ったのは一本道だったのに、土竜型魔物があちこちから通路を繋げやがって、壁は脆くなるわ、道は複雑になるわ、死角は多いわで迷惑極まりねえ。
あーそうだ、ヴァンヌ山で俺がログニックさんを助けようと、ウェアウルフに向かって放った攻撃が、やけに強くて驚いたのを覚えてるか?
あれなんだけどさ、調べてみたらいつの間にか習得してた、遠隔攻撃の魔力を使った特殊技だったんだよね。
俺は魔法なんか使えねえから、最初っからそんなことなんか頭になかったんだけど、どうやら俺にも魔力って奴があったらしい。
ヒックスさんの話では、そもそも魔力はほぼ全ての生き物が多かれ少なかれ必ず持ってるものなんだとさ。もちろん魔物も魔力を持っていて、それが結晶化して固まったのが魔石なんだと。
そう言われりゃ納得もするってもんだけど、まさか俺までしっかり持っていて、それを利用することで攻撃が強くなるなんて知らなかったよ。なんで急に使えるようになったんだかな。
…ってことで、昨夜のうちにその特殊技が思い通りに使えるよう、しっかり練習して来たんだ。
おかげで随分と集団戦闘が楽になった。おまけに――
「ヒックスさん後ろ!!追加でレッグスパイダーが3体湧いてる!!」
「了解だ、こっちは僕に任せて!!行くよ、『ロヴェンテ』!!」
ひゅひゅっ…ドンッドンッドコオンッ!!
これこれ!見たか雑魚共!!説明すると、ヒックスさんが薬品の詰まった掌サイズのボトルを二種類投げ付けたら、局所的な小化学熱反応が起きたんだ。
俺も今朝聞いてめちゃくちゃ驚いたんだけどさ、ヒックスさんってば剣技だけじゃなく、薬品なんかを使った調合攻撃まで隠し持ってたんだよ。
これが威力抜群で、組み合わせ次第では変異体なんかにも十分通用しそうな攻撃手段なんだ!!すげえよな。
ただ薬品を使うから扱いが難しく、組み合わせを間違えたりしたら命取りにもなりかねねえのと(ここは鉱山の坑道だし)消耗品だし、そう頻繁には多用できねえのが玉に瑕ってとこかな。
「――うん、この分なら問題なさそうかな。使った分は補充して、と。」
移動しながらヒックスさんは、何やら無限収納のリストを開いてゴソゴソやってる。
「何回見てもその調合爆弾って凄いですね。材料と容器さえあればいくらでも作れるし、そう言うのってやっぱ軍で習ったんですか?」
「はは、まさか。こんな犯罪に使われそうな危険なことは、科学班でもなければ教えてくれないよ。
僕は士官学校を卒業した後、二年ほどメクレンの技術者育成大学の薬学部に通っていたんだ。そこで薬品の扱いは詳しく覚えて、あとは独学だよ。」
「はあ…独学でこんなことが出来るようになるなんて、やっぱヒックスさん頭もいいんですね。…ところで『ロヴェンテ』ってあのかけ声は、なんか意味が…?」
「あれは『灼熱』という意味で、発生させる事象の確認と、単にぶつけるタイミングを計るために口に出しているだけだから、気にしないで。」
なんだか照れ臭そうにしてたので、余計に突っ込んで聞きたくなった。
ヒックスさんの調合爆弾は他に『コンジェラード<凍結>』『イグニス<炎>』『アトミス<水蒸気>』の計四種類があるらしい。これ以外にも毒攻撃や酸攻撃なんかも作れそうだけど、調節が難しくて味方に被害が出ると危ないから、まだ試してないんだってさ。
なんにしても格段に難易度が上がったこの暗がりの中、魔法の使えねえ俺らにとって特に重宝する攻撃手段だった。
今さらながらヒックスさんは、本当に弟さんの仇が討ちたくて入念に準備してたんだなと思う。
もちろん最初からあんなのが相手だとは思ってなかっただろうけど、それでも強敵が潜んでいる可能性は考えていたみたいだし、討伐のための手段も暗闇での戦闘にも備えてきちんと考えてた。
これで俺さえ役に立てればなんの問題もなかったんだろうけど…俺じゃ精々いないよりマシなくらいだもんな。
けどそれもシルヴァンを助けて(助けがいるのかどうかは別として)合流すれば一気に覆るはずだ。
≪シルヴァン…大丈夫だよな?生きてるよな、絶対。シルヴァンが無事なら、きっと…なんとかなる。…信じてるからな…!≫
――メソタ鉱山の光無き地下深く…『それ』は脈動し一定の調子で、ある種の波動を放ちながら、"冥界色" と呼ばれる、灰がかったくすんだ紫色の明滅を繰り返していた。
固い岩盤の表面に仄暗く光る記号のような紋様は、でこぼこな土岩壁一面にびっしりと描かれ、四隅に円形の魔法陣と、中心から対角線上にそれに向かって走る呪文帯が伸び、遠くから見ると全体像が巨大な門に似た扉のような印象を受ける。
ここは地底に掘って開けられた『ヘルアートゥルム』の巨大な巣穴である。
その構造は、"あるもの" を吐き出すための『溜め置き場』と『居処』の二カ所に分かれており、壁の紋様は居処側の奥にあった。
直径が二十メートル前後もある室内の中央で今、平たく伸びた芋虫のようにヘルアートゥルムは身を休めている。
巨大蚯蚓と言っても、ヘルアートゥルムは蛇のような長い躯体を持ってはいない。全長にしても精々十五メートル程度で、外見は蚯蚓と言うよりもひょろ長いなにかの幼虫みたいな感じだ。ただその皮膚の表面に毛はなく、周囲に同化した土色でテカテカした鈍い光沢を放っている。
この巣穴の寝床から少し離れた隣室の『溜め置き場』で、薄い保護膜のようなものに包まれたシルヴァンは、噎せ返るような悪臭と息苦しさに目を覚ました。
『不覚…どのくらい気を失っていた?我としたことが、安穏としたこの千年間で身体だけでなく、精神までも呆けたか。魔物の不意打ちを食らって飲み込まれるなど…アルティスやデューンに知られたら大笑いされる。』
シルヴァンの頭に思い浮かんだのは、千年後の再会を誓って別れたかつての友人達であり、同じ道を歩む守護七聖<セプテム・ガーディアン>達の笑顔だった。
中でも目の覚めるような赤とオレンジ色の剛髪に、翡翠のような瞳の『アルティス』と、栗毛の短髪に右頬の大きな二本傷が特徴で鉛灰色の瞳を持つ『デューン』は武技に秀でた戦友で、互いに互いの背中を預け、何度も共に強大な敵やカオスとの死線を潜り抜けて来た。
その彼らが、一足早く目覚めた自分に "なにをやっているんだ、合流するまでしっかりしろ、主を頼むぞ" と笑いかけているような気がする。
そんな仲間の顔を想像したシルヴァンは、余りの為体に苦笑して立ち上がると、先ずは身体を覆った保護魔法を解除した。
これは守護七聖全員が持つ自動防御スキルで、守護七聖主であるルーファスが、過去彼らに与えた身を守るための緊急防護手段であり、通常では有り得ない環境下に予期せず放り出された場合などに発動する。
――主の加護がなければ危なかった。このような所で後れを取っては皆に顔向けが出来ぬ。我ら全員が揃わなければ、暗黒神もカオスも決して倒せはしないのだから。
…にしても酷い匂いだ。…外に漏れ出た死臭の元はここか。
土や小振りの岩石に混じって、夥しい数の骨が周囲に山となり積み上がっている。態々探すつもりもないが、中にはまだ比較的新しい遺体も混じっているのであろう。
だが解せぬ…どれも殆ど目立った損傷がない。おまけにこの数はとてもではないが短期間で集められるようなものではないぞ。あの魔物、ただ人間を餌として飲み込んでいるのではないのか…?
過去の経験から不吉な予感に見舞われたシルヴァンは、すぐに周囲を調べた方がいいと思い、その場から移動しようとした。だが出口がない。
自分がここに吐き出された後、一緒に積まれた土砂が穴を塞いだのか、なにかの拍子に崩れて埋まったのか、とにかくどこにも出られそうな穴が見当たらなかったのだ。
直後、唐突にすぐそばの壁向こうから、『あれ』が動き出した気配と轟音、そして足元を揺らす地震と凄まじい地響きが襲い来る。
生き埋めになる危険を感じたシルヴァンは、咄嗟に壁の出っ張りの上へと飛び上がって一時的に避難した。ここなら身を低くして耐えれば、崩れる骨山と土や岩に埋もれる心配が無い。
ズゴゴゴゴゴ…ズズズ…ドゴオオオンッ…ドゴオオオオンッ…ズガガガンッ…
鉱山の上層にいた時とは比べものにならない揺れと、なにかが壁に激突するような衝撃音が辺りに反響して耳を劈く。
まるで数メートルと離れていない距離に、繰り返し巨大な岩が落下し続けているような震動と爆音だった。
シルヴァンは堪らず自身に急遽防御魔法を施すことにした。この防御魔法にルーファスの絶対障壁のような効果はないが、それでも外部から受ける衝撃を減らすことは可能だ。これでこの凄まじい轟音も軽減できる。
やがて部屋の側壁がぼろぼろと崩れ始め、そこに出来た亀裂から僅かに明滅するくすんだ紫色の光が見えた。
これなら脆くなったそこになにかしら強い攻撃を加えれば、シルヴァンが抜け出せるくらいの穴は開けられそうだった。
その激しい揺れと爆音は暫くの間続いた後、少しずつ弱くなって行く。そしてそれが止むと、今度はあの呻き声が聞こえ始める。
ウオオオオオ…ン…ウアアアアン…オオオオォ…
≪これは…そうか、魔物の咆哮だったのだな。…まるで泣いているかのような…≫
この時点で原因が判明した『不審な物音』の正体は、魔物が地面を喰いながら移動する音と、なにかしらの行動に伴う震動であり、呻き声は咆哮だったのだ。
揺れと轟音が完全に静まるとシルヴァンは、空間魔法を利用したアイテムボックスから、亀裂を広げるために小爆発を起こすための設置型魔法石を取り出した。
このアイテムボックスは、一般の守護者が持つ無限収納とは異なり、魔力によって容量に限りがあるものの、出し入れには一切手間がかからない。
中にあるものは魔法を使う要領で瞬時に取り出せる仕組みになっており、これは獣人族であるシルヴァンにとって『リレストア』の魔法同様必須な物だった。
なにせ銀狼の姿では物を咥えられても掴むことが出来ず、回復薬のようなアイテムを使うにも、一々戦闘中に人型にならなければならないのではお話にならないからだ。
因みに『空間魔法』はフェリューテラには属さない "空" 属性の理に通じている必要がある。この問題はシルヴァンが守護七聖となった折に、ルーファスとの『魂による絆』を結んでおり、それによってシルヴァンだけではなく、守護七聖全員が得意不得意はあるものの、異界属性の魔法も使用可能になっている。
――ふむ、2、3個仕掛ければ十分か。問題は爆音で魔物に気付かれることだな。…亀裂の隙間に仕掛けておいて圧力で起動させるか。
設置型魔法石を仕掛けるために、一度人型に戻り慎重に亀裂の中へとそれを押し込む。
再び銀狼になるとまた安全な元の場所へと飛び上がって、魔物が動き出すのを待つことにした。
一時の静寂の中その場に身を伏せたシルヴァンは、魔物に飲み込まれる直前にヒックスが自分にしていた話を思い出す。
そう言えばあの者…なぜ資格試験にこんな依頼を選んだのかと思ったが、弟の敵討ちが目的だったとはな。
危なければ引き返すことも視野に入れ、きちんと考えてはいたようだが、見習い守護者のウェンリーにどんな危険が及んでいたかわからぬではないか。
ルーファスは我が思っていた以上にウェンリーを大切にしているようだし、おそらくは友と言うだけでなく、家族のようにかそれ以上か…とにかくウェンリーになにかあれば平静ではいられぬであろう。
≪もし主にこのことがばれたら、我が怒りを買いそうで恐ろしいな。≫
その様を想像しただけで背筋に寒気が走る。あの優しい微笑みが消え去り、胸の内で押し殺し続ける、"表面には現さない氷の激怒" ほど怖いものはない。下手をすれば死ぬまで許して貰えぬやもしれぬ。
≪主のあの静かな怒りだけは絶対に買いたくないものだ。だがヒックスの敵討ちには手を貸してやりたい気持ちも…――≫
ズズズズ…ズゴゴゴゴ…
「…!」
数分後、再び起こり始めた震動にシルヴァンは〝来た!〟と身構える。
とにかくここを脱出してウェンリーと合流し、この後どうするかはその時にまた考えよう。
この先に待つ予想だにしない事態も知らずに、シルヴァンはそう思っていた。
激しい震動に亀裂が揺れ動き、隙間に仕掛けた魔法石が圧力に耐えきれず潰されて行く。直後パッと輝く閃光を伴いドン、ドン、ドオン、と立て続けに三度連続した音を響かせ、轟音の中で順次爆発した。
待ちかねたシルヴァンの目の前でガラガラと壁が音を立てて崩れ、亀裂のあった場所に穴が開く。予想よりも規模は大きくなったが、どうやらあの魔物はその音にも一切気付かなかったようだ。
〝上手く行った〟そう喜んで揺れが少し弱まって来た隙に、崩れた壁を乗り越え『居処』へと出て行く。
だがそこで目にしたものに驚愕して立ち止まり、シルヴァンはウェンリーと合流するどころではなくなった。
『なっ…なにが光っているのかと思えば…あれは魔法術式による異界の扉か!?なぜこんなところに、こんなものがあるのだ…!!』
“魔法術式による異界の扉”とは、簡単に説明すると、絵に描いた扉の周りに「この扉は現実の扉と同じですよ」と言う意味の呪文字で魔法陣を描き、そこに魔力を流し込んで異世界とフェリューテラを、実際に繋いでしまう出入口のことを言う。
これには魔法陣を完成させるための膨大な魔力と、途方もない年月が必要で、魔法術式に関する超高度な知識とそれを形に出来る能力の所持は元より、常人が一朝一夕で施せるものではなかった。
ドオン、ドオンと音を立て目の前であの魔物が、自ら頭を壁に何度も打ち付けている。その度に魔物の体内で赤い光を放つ塊が共鳴し、魔法術式に流れる魔力とその反応速度を速めているように見えた。
まずいぞ、途轍もなく危険な予感がする代物だ。然も術式が八割方完成しかかっている…どこへ通じる扉だ?急いで解析せねば――
〝とてもではないが、まともな場所に通じる門扉とは思えぬ〟そう感じたシルヴァンは、その場で壁一面に描かれた魔法術式から、情報を読み取ろうと目を動かし始めた。
多くの場合こうした魔法陣の中には、その目的や意味、効果を示す呪文字が記されている。それはその呪文自体が魔力を得ることで効力を持ち、物体を形成する一つ一つの細胞のように生きているようなものだからだ。
数十秒後、シルヴァンは壁面の魔法陣の中に、目的を意味すると思しき文面を見つける。
…あの呪文字が指し示す意味は『死せる魂』のフェリューテラへの『帰還』と、『受体』…?ならばこの異界の扉は、断ちきれぬ思いを残した死者が最後に辿り着くと言われる世界、『冥界』へ続く門扉か…!!!
今脱出して来たばかりの部屋をバッと振り返り、何者かが意図した策略を一瞬で理解する。
怨霊が辿り着く死者の国『冥界』への門扉と、背後に蓄えられた夥しい数の人骨や遺体。それが指し示すこの『メソタニホブ』という地域全体の未来に、シルヴァンの全身がザワリと総毛立った。
――いつ誰がなんの目的で、この場所にこんな魔法を施したのかはともかく、これは由々しき一大事だぞ…少しでも扉が開けば、大変なことになる…!!
落ち着け、術式を消去できる可能性のある主を、メクレンまで呼びに戻る時間はない…今すぐ我に可能な応急処置を施さねば…!!
魔法陣完成後の発動条件はなんだ!?なにが扉を開く役目を果たす…!?
そう考えたその時、目の前で何度も頭を壁に打ち付け、奇妙な行動を取り続ける魔物の腹部が、赤く光っていたことを思い出した。
それは明らかになにかの異物が体内にあることを指し示し、ぶつかる度に魔法陣と共鳴していたことから、異界の門扉を開く鍵となっていることはすぐに推測可能だった。
だが問題は、その発動条件が魔物の死を引き金とするものであった場合、殺さずに異物だけを取り除かなくてはならないと言うことだ。
それは魔物が協力的にでもならない限り容易なことでなく、もう一度体内に入り込んで対象物を取り出すか、殺さずに腹を切って取り出すかぐらいしか思い付く手立てがなかった。
これだけの魔物を "殺さずに無力化する" と言うことがどれほど難しく、厄介なことか。だが、もうやるしかない。
我は守護七聖<セプテム・ガーディアン>であり、白の守護者シルヴァンティス・レックランドだ。可能な限りの手を尽くす…!!
ウオオ――――ン…
シルヴァンは坑道中に遠くまで聞こえる遠吠えを響かせ、獣人族の秘技を使用して自分の身体を神狼化させた。
目前の魔物の攻撃に限界まで耐えられるよう全能力を強化し、通常でも大きかった身体がさらに1.5倍くらいになった。
全身から白銀の闘気が放たれ、その輝きが闇の中で光り輝き、ヘルアートゥルムの居処を明るく照らし出す。
獣人族の長が持つ、究極の強化秘技――これを『ウォセ・カムイ<吠える神>』と言う。
この強化秘技の持続時間は、シルヴァンの持つ魔力に比例する。そのため生命維持装置の中で本体が眠っていた間も、その鍛錬を欠かしたことはなかった。
神魂の宝珠から解き放たれて以降、使用するのはこれが初めてだったが、シルヴァンの計算では多少魔法を使っても、二時間ほどは維持できるはずだ。
『一人では若干厳しいが、持久戦だ。なんとしてもその中の異物を取り出させてもらうぞ…!!』
シルヴァンの守護七聖としての矜持を賭けた、怒濤の攻撃が今…始まった。
――シルヴァンが遠吠えを上げ『ウォセ・カムイ』を発動した頃、ウェンリーとヒックスはもう、ヘルアートゥルムの居処にかなり近いところまで来ていた。
スキル『暗視』による薄暗い中での戦闘にもすっかり慣れ、知らない間に自分達が守護者としても結構な経験を積み、強くなっていることに二人は気付いてさえいなかった。
ここまでそれほどの数の魔物と戦って来たのだ。
「ウェンリー君今の…聞こえたかい!?」
ヒックスさんが俺にそう言って笑顔を向けてから、泥と魔物の血で汚れた手で、顔の汗を拭った。
「聞こえました…!!狼の遠吠え…多分シルヴァンの声だ!!」
良かった、やっぱり無事だったんだな…!
心底ホッとした俺は、戦闘中にも関わらず思わず〝よっしゃ!!〟と両手の拳に力を込める。
聞こえてきた方角と声の大きさから、もうそう遠くはねえように感じた。
「けど今の遠吠えの感じは俺らに無事だとか、居場所を知らせてるとかって感じじゃなかったっぽいんですけど…」
「うん、そうだね。野生の狼が集団で狩りをする時の合図みたいだった。もしかしたらあの魔物と戦っているのかもしれない。」
俺らは倒した魔物を手早く解体して戦利品を回収すると、足を速めて坂道を下って行く。こういう狭い地下で少し心配だった空気の問題は、トゥープ達があちこち道を作ったくれたおかげで、こんな場所まで降りて来ても息苦しさを感じねえ。
魔物のおかげで息がしやすいなんて複雑だけど、じゃなけりゃ引き返さなけりゃならなかったもんな。
そのまま小走りに進んでいると、出会した魔物達が俺らを無視して擦れ違い、なにかから慌てた様子で逃げて行く。
代わりに地震に似た震動がどんどん激しくなり、なにかが暴れ回っているような感じと、どこかにドゴンドゴンと反響しているような轟音に、どう考えても魔法かなにかを使用しているようなバリバリ言う雷撃音が大きくなって来た。
これはもう間違いねえ、シルヴァンがあのデカい魔物と戦ってるんだ。
「発信機の信号はもうすぐだ、準備はいい?ウェンリー君…!!無理だと感じたら、僕達は逃げる。約束だよ!!」
「了解です!!けど出来るだけ頑張りましょう!!」
エアスピナーを構えて耳を劈く轟音の元へと近付いて行くと、真っ暗なはずの先がなんだか明るい。
灯りがあるはずはねえし、火が燃えてんなら息がやべえ。もしかして外の光が入ってるとか?一瞬そう思ったけどその光は白っぽくて移動してるみてえだった。
轟音の場に近付くにつれ、吐き気を催すような異様な匂いが鼻を突く。この臭い…いったいなんの臭いだろ?全く知らねえ臭いじゃねえけど、俺の頭にはすぐに思い浮かばねえくらいの、あんまし嗅いだことがねえ臭いだ。
ところが横にいたヒックスさんにはすぐに臭いの原因がわかったらしく、顔を顰めて俺に近付くと一度ごくりと息を呑んで告げる。
「これは覚悟した方がいい、凄まじい死臭だ。…考えてみれば当然だったよね。多分近くに相当な数の遺体があるんだ。」
「…!!」
――死臭…この臭いは死臭なのかよ。そうだ、ヒックスさんの弟さんも見つかってないんだよな。ヒックスさんは覚悟した方がいいって言った。相当な数ってどんぐらいなんだ?
俺は本当に甘ちゃんだ。現実をよく知らず、ヒックスさんにそう言われても想像できなかったんだ。
だけどこの後初めて見た俺らの世界の現実に、ルーファスに守られてたヴァハが如何に安全で平穏で、そのおかげでこの年になるまで悲惨な光景を目にすることも、そんな経験をしたこともなかったんだと思い知った。
でも俺は逃げねえ。どんなに酷い現実を見ても絶対に逃げ出さねえ。俺は守護者になる道を自分で選んだ。甘ちゃんなら今後は直す。
だからそれがフェリューテラの現実なら、目を逸らしちゃだめなんだ。
次回、仕上がり次第アップします。




