31 白銀の守護神シルヴァンティス
イシリ・レコアに辿り着いたルーファスとリカルドは、神殿の地下でシルヴァンティスの本体を見上げる。彼はずっと長い間ここで眠っていたらしい。その理由を話し始めるシルヴァンティスだったが…
【 第三十一話 白銀の守護神シルヴァンティス 】
――静かな波動を放つ青緑に輝くクリスタルの台座に、六角形の白銀の箱が嵌め込まれている。その箱から一定の間隔でクリスタルへと光が繰り返し吸い込まれて行く。それはなにかのエネルギー塊のようで、目の前のクリスタルとこの部屋に施されている魔法を維持しているようだった。
「なんなのですか…これは…?あれは眠っているみたいですが、いったい…」
リカルドが驚愕の表情を浮かべ、青ざめている。
『あれは我の本体だ。今日までの約千年間、ずっとこの生命維持装置の中で眠りについている。今のこの姿は魔力によって擬似的に構成している仮の器にすぎぬのでな。』
「仮の器…!?でも触れたし、実体があるのに――」
感触だけじゃない、体温もきちんと感じられた。それが作り物だって言うのか…!?
『それでも一定の時間を超えると消えてしまう。その度に魔力を消費して再構成しているのだ。その聖櫃の中にある“神魂の宝珠”の力を使用して、な。』
神魂の宝珠…!それがなんなのか結局アテナに聞きそびれたままだ。そして聖櫃…亡くなったあの女性が言っていた…あの箱が聖櫃なのか。
「どうしておまえの本体はそのクリスタル…生命維持装置の中で眠っているんだ?それにその神魂の宝珠というのは、いったいなんなんだ…!」
俺は今までの疑問を畳みかけてシルヴァンティスに問いかけた。
『我がそのクリスタルの中で眠っているのには理由がある。それにはまず過去になにがあったのか話さなければわからぬだろう。』
そう言ってシルヴァンティスは静かに話し始めた。
『千年ほど前…我らは主の敵であり、フェリューテラを滅ぼそうとする“暗黒神ディース”と、その眷属である“カオス”を倒すために命をかけて戦った。だが暗黒神の完全消滅まであと一歩届かず、生き残った半数のカオスによって既の所で止めを刺す前に逃げられてしまった。』
――暗黒神は完全に消滅させない限り、何度でも復活する。また眷属であるカオスも暗黒神が消滅しない限り、何らかの方法で存在し続けるという。
カオスがどうやって存在し続けているのかはわからないが、俺と一緒に戦っていた守護七聖<セプテム・ガーディアン>は、その命に限りのある仲間ばかりだった。
そのためいつか暗黒神が復活しても、その時には既に彼らはおらず、再び戦うことは不可能だ。そこで彼らは自らの命を永らえさせるために、生命維持装置に封印され、眠りにつく道を選んだのだという。
その生命維持装置を長期間に渡って動かし、カオスや無関係な人間の手によって万が一にも破壊されたりしないよう、徹底的に隠された場所に隔離して保持するためには、常識では考えられないような魔力によるエネルギー源が必要だった。
それが“神魂の宝珠”だ。“神魂の宝珠”の核にはどういう仕組みになっているのかわからないが、信じられないことに俺の力が使用されているらしい。
そう聞かされても訳がわからず、頭が混乱するばかりだが、とにかくその俺の力を使った核を利用し、周囲の自然的環境から常に魔力を取り込むことで、絶対障壁とクリスタル内の生命を維持し続けて来たのだそうだ。
『“神魂の宝珠”には他にも、ある程度の範囲内に主が入れば、同種の魔力を感知することによって共鳴し、その内包する属性の魔法を使用できるという特徴がある。それが魔法共有だ。』
シルヴァンティスが俺にわかりやすいように説明してくれているようだった。
それは…ああ、あれだ。ムーリ湖で暗黒種を倒した時に使った闇属性魔法と、インフィランドゥマでの光属性魔法か。
――シルヴァンティスがクリスタルの中で眠っている理由と、神魂の宝珠についてはそれなりにわかったが、さらに続いたこの後の話の方が俺にはもっと大変だった。
その倒し損ねた暗黒神が千年の時を経て、もう間もなく復活すると言う。前回の戦い…それが約千年前の古代戦争末期に当たるのだが、その戦いで完全消滅の一歩手前まで追い詰めた結果、復活までにこれほどの長期間を要し、そのおかげで逆にフェリューテラは人間が繁栄可能なほど平穏だったらしい。
『だがこの平穏はもうすぐ終わる。今に魔物が地上に満ちて、人の営みは次々と破壊されて行くだろう。既にその兆しは現れているはずだ。そして今度こそ暗黒神を完全に消滅させなければ、フェリューテラが滅びてしまう。その前に主よ、あなたの眷属である我ら守護七聖<セプテム・ガーディアン>の封印を解き、再び仲間を集めて来るべき決戦に備えなければならぬのだ。』
俺の理解を置き去りにして、シルヴァンティスがそう言った。
――待ってくれ、俺の敵が…暗黒神ディース…『神』、だと言うことか?それがもうすぐ復活する?今度こそ倒さなければフェリューテラが滅びるって?どうやって戦えって言うんだ、俺はなにも覚えていないのに…!!
俺は愕然とした。それも仕方がないだろう、理解がまるで追いつかないんだ。
イシリ・レコア…ここに来れば、自分に関わるなにかがわかるだろうとは思っていた。知れば後戻りできなくなりそうな予感もしていた。だけどこんなのは…予想外だ。
「…俺に、選択肢はないのか?もしこのまま…なにも聞かなかったことにして、ここを立ち去ったら…どうなる?」
「ルーファス…!?」
俺の言葉に顔色を変え、声を上げたのはリカルドの方だった。リカルドにしてみれば俺からこんな言葉が出ること自体、予想外だったのかもしれない。
だけど俺にだって出来ることと出来ないことがある。さも当たり前のように言われても、記憶のない状態で、況してや神のような存在と戦える自信などあるはずもない。
ところがまたも俺の予想に反して、シルヴァンティスから返ってきた答えは意外なものだった。
『いいや、この先どうするかそれを決めるのは主よ、あなただ。』
「え…?」
俺は驚いてシルヴァンティスを見る。
『来るべき決戦に備えなければならぬとは言ったが、それをこの世の誰もあなたに強制は出来ぬし、元よりあなたが守護七聖<セプテム・ガーディアン>を選んで集め、暗黒神に挑まなければ…疾うの昔にこの世界は滅んでなくなっていたのだ。それが千年ほど生き延びただけのこと。あなたがこの世界を見捨てても、我ら守護七聖<セプテム・ガーディアン>は黙って受け入れる。』
「な…」
思わず言葉を失った俺の横で、食ってかかったのはリカルドだった。
「あ、あなたはなんと無責任なことを言うのですか…!?フェリューテラの存続を左右するルーファスが、もしもこの世界を見捨てたら…人間はおろか、全ての生命が死滅してしまいます!!そのことを知っていてあなたは…っ」
『黙れ蒼天の使徒アーシャルよ。貴様らが主を“光神”と崇めているのは知っている。だが主は光神でもなく、況してやこの世界を救うための救世主でも勇者でもない。主は主の意思で以て全てを決める。我らを含め、貴様らにもその決定に口を出す権利はない。』
「…っ…!!」
シルヴァンティスの言葉にリカルドが押し黙った。
『この千年、主がどこで何をし、この世界のなにを見てきたのかは我にもわからぬ。だがその上で暗黒神と再び対峙する道を選ばぬと言うのなら、それはこの世界を見捨てさせたフェリューテラ上の生物と人間側に責任があるのだ。』
――この世界を見捨てる…?そんな気はない。そんなことをすれば、ウェンリーや長、ゼルタ叔母さんも…リカルドも、みんないなくなってしまう。
全ての生物というのなら、さっき祝福をくれた可愛い妖精達も…動植物も、小さな虫でさえもみんな消えてしまうのか?その決定を、俺が下す…?今、ここでか…!?
…でも無理だ、神と戦うなんて――
どれだけ情けないと思われようと、任せろなんて軽々しく口に出来ない。確かに俺は普通の人間ではないし、死なないかもしれない。魔力もかなり多い方だとは思うし、使える魔法が増えればいつかは太刀打ちできるようになるのかもしれない。
だが精神的なものは全く別だ。自分のこともわからないのに、俺にどうしろと言うんだ…!?
『あなた様なら大丈夫です、ルーファス様。』
ずっと気配を断っていたアテナが突然話し掛けて来た。
アテナ…!?
『ルーファス様には私がおります。それに、守護七聖<セプテム・ガーディアン>の方々も。』
守護七聖<セプテム・ガーディアン>…彼らは俺の眷属だとシルヴァンティスは言っていたが…俺は誰のことも覚えていないのに?
『それでも…少なくともそこのシルヴァンティス殿は千年もの間、クリスタルの中であなた様を待ち続けていたのです。それだけの揺るぎない意志の強さと精神力を持ちあわせた方なのでしょう。あとはあなた様への忠誠と信頼からでしょうか…その上で、ルーファス様がこの世界を見捨てても受け入れる、と言っているようです。それに…』
それに?
『もしルーファス様が封印を解かず、このまま彼を放っていけば、後一年も経たないうちに彼はあのまま死んでしまうでしょう。おそらくあの生命維持装置はもう耐用年数を越えています。』
なんだって…!?
『それだけではありません。彼が死ねば、神魂の宝珠に蓄積された大量の魔力エネルギーが行き場をなくして暴走し、この辺り一帯を消滅させてしまいます。どちらにせよ、結果暗黒神の力なくしてもフェリューテラは滅びることになるでしょう。』
だとしたら、俺が答えを先延ばしにしても…それだけでこの世界は滅びるのか。
『そう言うことになります。』
参ったな…。
『…でもルーファス様、そうして悩んでいても、もう答えは決まっていますよね?…ルーファス様はこの世界が嫌いですか?』
…そんなわけないだろう。
『私もです。そしてこの世界で早くちゃんとした身体を得て、自分の足で歩き、ルーファス様に触れたり、ウェンリー様とお話ししたりしたいです。』
アテナ…そうか、それがおまえの願いか。…そうだな、わかったよ。そのためにも…俺はここで心を決めなければいけないんだな。…ありがとう、アテナ。
『いいえ、どういたしまして。』
またアテナの気配が消えた。…俺の迷いを見かねて出て来てくれたのだろう。…敵わないな。だがおかげで決心が付いた。
アテナの言う通り、俺には彼女がいる。それにまだ思い出せないけれど、少なくとも守護七聖<セプテム・ガーディアン>という仲間もいるみたいだ。千年もの時間を眠りにつき、自分を犠牲にしてまで現代に生き続けてくれた仲間が――
「――シルヴァンティス、おまえの言うことは良くわかった。後でまたもう少し詳しい話を聞かせてくれ。」
『…承知した。』
「ルーファス…?」
俺はリカルドに向き直り、ずっと隠していたことを打ち明けることにした。この状況で隠していたって、もう仕方がない。
「リカルド…俺はおまえにずっと隠していたことがある。まあもうここまで来れば、薄々にでも気が付いているかもしれないけど…俺は普通の人間じゃないんだ。」
「…!」
リカルドの表情が強ばった。それに構わず、俺は続ける。
「記憶がないからはっきりとしたことは言えない。でも多分…俺は考えられないほど長い時間を生きて来ている。それにおそらくは不老不死だ。」
いきなりこんなことを言っても信じては貰えないだろうと思っていたが、今のこのタイミングなら逆に疑われないだろう。ただそれでも驚きはするよな。
その証拠にリカルドが冷静さを保とうとしているのが見て取れた。
「――不老、不死…そ、そのことをウェンリーは…?」
一瞬、なぜそこでウェンリーの名前が出てくるのか、と疑問に思ったが答える。
「?…もちろん知っているさ。俺があいつに隠していることはほとんどない。あいつは不思議なくらい、俺がどんな存在であっても変わらないからな。」
そう言った俺の言葉を聞いた瞬間、リカルドの感情がなにかピリリとざわついたように感じた。
「こんな形で打ち明けることになってすまない。でも俺はおまえを信じている。だから後で蒼天の使徒アーシャル、と言うのがなんなのか、きちんと教えてくれないか?」
シルヴァンティスからもいずれ聞くことになるとは思うが、偏らないようにリカルドからも話を聞くのが一番だと思った。
そしてリカルドは一呼吸置いてから、気を取り直したようにいつもの表情で“ええ、必ず。”とそう答えた。
俺はクリスタルの台座の前に進み出ると、目の前の眠りにつくシルヴァンティスの本体を見上げた。
「この封印を解くには、どうすれば良いんだ?」
隣に並び立つシルヴァンティスに問いかけると、彼が俺に向かって微笑んだように見えた。
『…心は決まったようだな。記憶をなくしていても、やはりあなたはあなただ。』
「?」
どう言う意味だろう?
『開け我が封印の呪よ』
フオン…
シルヴァンティスの声に反応し、クリスタルの前に光るモニターが現れた。
『我の聖櫃は主の声にのみ反応する、声紋による鍵が掛けられている。それ故にたとえ我であっても決して開けられぬようになっている。主はキー・メダリオンを手に、このモニターに現れる解呪の呪文を読み上げてくれれば良い。』
それだけ言うとシルヴァンティスは突然、かき消すように姿を消した。
「え…おい!?」
「消えてしまいましたよ…!?どこに…」
辺りを見回すが、シルヴァンティスの姿はどこにもなかった。
「…わからない。でも微かに気配を感じるから…もしかしたら本体に戻ったのかもしれない。とにかく彼の封印を解いてみるよ。一応リカルドは、なにがあるかわからないから離れていてくれ。」
「わ、わかりました。」
リカルドが祭壇のある入口の方まで下がり、距離を離した。
「キー・メダリオンを手にこの文を読み上げれば良いんだな。ええと――」
俺は左手にキー・メダリオンを持ち、モニターの文字を読み始める。
「『――我、汝を従えし主なり。我、再び汝の力を欲す。時は満ちたり。我が身より分かたれし光の力よ、今ここに封じられし御魂を解き放ち、我が身に還れ。ルス・リーベルタス。』」
カッ…パアアアッ
そこまで読み上げたところで、キー・メダリオンと聖櫃が共鳴し、激しく震動し始めると眩い閃光を放った。すぐに六角形の聖櫃の蓋が開き、その中から光り輝く球体が飛び出して来て浮かび上がる。
…!!これが…神魂の宝珠…!?
目も開けていられないほどに眩しく輝く宝珠は、音もなくキー・メダリオンの上にスイっと移動し、吸い込まれるように溶け込んだ。…とその直後、俺の身体に巨大な力が一気に流れ込んできた。
…ドンッ
「…っ…!!」
その衝撃に思わず足元がフラつく。身体となぜか額が一瞬で燃えさかる炎に飛び込んだかのように熱くなった。
身体が…熱い…!それに額が――
――ルーファスの額に“光”を示す紋章が浮かび上がる。それとは知らずにルーファスはその額を右手で抑えた。それを見たリカルドが思わず叫ぶ。
「ルーファス!?あなたの額に光る文字が浮かんでいます!!大丈夫ですか!?」
“…額に…文字?”
ルーファスの耳にその声は届いていたが、確かめている余裕も暇もなかった。
「だ、大丈夫だ…!まだ呪文に続きが…『解き放たれし七聖が“光”、シルヴァンティス・レックランドに命ず。誓約に従いて長き眠りより目覚め、再び白き守護者となれ…!』」
ルーファスが呪文を全て言い終わると同時に、キー・メダリオンに神魂の宝珠が完全に融合し、紋章の一部分が白く光り出す。そしてシルヴァンティスが眠っていたクリスタルがその輝きを失い、細かい光の粒子となって霧散した。
その場に膝をつくルーファスと、クリスタルがあった台座にドサリと崩れ落ちるシルヴァンティスの本体。
そこにリカルドが駆け寄って来てルーファスの身体をすぐに支えた。
「ルーファス…!」
「――う…」
小さく呻き声を上げたルーファスの中に、巨大な力と共に流れ込んで来たのは、遠い昔の記憶の欠片だった。
どこか深い森の中…木々に囲まれた高台の上から、クリスタルの中の人物が斧槍を手に、こちらを見下ろして声を上げる。
『――我が名はシルヴァンティス・レックランド。一族が長、グロウ・レックランドが息子にして獣人族が盾である!!』
俺は彼の姿を見上げ、思った以上に雄々しいその姿を見て、期待通りだったと満足していた。
『おまえがシルヴァンティスか。…呼びにくいな、シルヴァンって呼ばせて貰うぞ。願いの森を越え、俺の元に辿り着いた時は銀狼の姿だったが…なかなか良い体付きをしているじゃないか。』
困難を乗り越え、シルヴァンは俺の元へと辿り着いた。その力は本物であり、信頼を得られれば貴重な戦力となるだろう。
『おまえは願っただろう?強く、その命を懸けて。一族の救済を。獣人族の存続を。その願いを叶えるためにここに来た。俺の名はルーファス。今は―――と呼ばれている。』
…これ…は…俺の記憶か…?シルヴァンティスと…初めて出会った時の…――
だがその記憶の欠片に混じって、なにか別のものが頭に浮かんでくる。
『――ようやく見つけましたよ。この国に潜んでいるとの情報はありましたが、随分と手間を掛けさせてくれましたね。もう逃がしません、―――…ス。』
…?なんだ…?この声は…この顔は…――
…聞き慣れた声。だけど俺が普段聞いているのとはまるで別人みたいだ。…酷く冷たく、憎悪と怨恨の入り交じった…。
どうしてそんなに憎しみの籠もった瞳で俺を見るんだ…?おまえ…おまえは――
――リカルド…
「ルーファス!しっかりして下さい、大丈夫ですか…!?」
ほんの一瞬、たった今まで頭の中に浮かんでいた、別人のような顔のリカルドとその顔が重なる。
これは…誰だ?俺が知っている…いや、知らない――
ハッと我に返ると、いつものリカルドが心配そうな顔をして…俺を覗き込んでいた。
…どうやら俺は記憶が混乱して、幻覚のようなものを見ていたみたいだ。
「リカルド…ああ、大丈夫だ。俺は気を失っていたのか?」
身体を起こし、はっきりさせるために頭を二度ほど振る。
「いいえ、ですが様子がおかしかったので…心配しました。」
ホッとしたように微笑むリカルドの手を借り、俺は立ち上がった。
「封印は…、シルヴァンティスは…!?」
慌ててクリスタルがあった台座の上を見ると、たった今気が付いたのか、俺の目の前でゆっくりとシルヴァンティスが起き上がった。
「――ふう…身体が重いな。」
目にかかる前髪を鬱陶しそうに右手で掻き上げ、懈そうに上体を起こすと、彼は一度左右に首をコキリ、と動かした。
「千年振りの実体ではそれも仕方がないか。」
そう言ってシルヴァンティスは次に身体の感触を確かめるように腕を動かし、手を握っては開き、きちんと動くことを確認すると、俺の前にひらりと飛び降りてからそのままいきなり跪いた。
「――主よ、封印を解いてくれて感謝する。今後はかつての約束通り共にあり、この命尽きるまで白き守護者となって仕えよう。」
そう頭を垂れる彼を見て、俺は懐かしさで胸が一杯になるのを感じた。
「――その呼び方は堅苦しくて嫌だと、俺は何度も言ったと思うんだけどな。…シルヴァン。」
「…!?」
「変わらないな、その斑髪もエメラルドグリーンの瞳も。…千年も待たせて…すまなかった。」
驚いて顔を上げたシルヴァンを、俺は思わず抱きしめていた。
「ルーファス…記憶が…!?」
「我のことを思い出したのか…!?」
リカルドがそばで驚き、俺の腕を掴んでシルヴァンが立ち上がる。
「まだ少しだけだ。それもシルヴァンのことだけで…でもおまえと初めて会った時のことは思い出した。どうやら神魂の宝珠には俺の力だけでなく、記憶の欠片も封じ込められているみたいだな。」
「やはりか…言ったであろう、その状態は予め想定されていた、と。魔力は精神と深く結びついている力だ。主の力を分散させればその影響が精神にも及ぶ可能性があると我らは予想していた。だから主は記憶を失っているのだ。」
「…?そうなのか…?」
シルヴァンの言葉を聞いて、俺にはふとなにか引っかかるものがあったのだが、それがなにかすぐには思い浮かばなかった。
「俺のことよりシルヴァン、おまえの身体の方が心配だ。色々と確かめてはいたみたいだけど、大丈夫なのか?」
なにせ千年もの間眠っていたのだ、その間動かすことも出来なかったのだろう。
「ふむ、特に異常は感じぬな。多少鈍っているか、ぐらいだ。それも少し動かせばすぐに元に戻るであろう。」
俺の心配を余所にそんな感じで、シルヴァンは平然としている。
「――信じられない技術ですね、いったい誰があのような生命維持装置を考え、作り出したのですか…?」
リカルドはクリスタルが消えた、台座だけの装置を見て問いかけた。
「貴様らアーシャルに、我がそのような情報を与えるはずがなかろう。聞くだけ無駄だ。」
シルヴァンはすげなくフン、と言うようにそっぽを向いた。その仕草が、狼の姿の時に見せた、ふいっとそっぽを向いた時の姿と同じで…俺は思わず笑いそうになったのをぐっと堪えた。
隠し部屋から祭壇の前に出ると、再び封印されるかのようにまたそこは壁に塞がれ、今度は二度と開くことがなかった。
これはシルヴァン曰く、障壁消滅後に内部にあった装置の仕組みを誰にも知られないようにするための措置なのだとか。神殿を壊してまで無理矢理中に入ろうとすれば、装置自体も小爆発を起こして消えるようになっているのだそうだ。随分な念の入れ用だとは思ったが、どうもあの生命維持装置はフェリューテラ外の技術が使われているらしい。
これは余談だが、その技術とは現存するエヴァンニュの戦闘輸送艦アンドゥヴァリや、守護者の無限収納などの、説明も解析も不可能な未知の技術に関わりがあるみたいだ。
いったいどういうことなのか良くわからなかったが、聞いたところで今の俺に理解できるかどうかも疑問だったので、そこは流すことにした。
「――そう言えばキー・メダリオンはどうするべきかな。元々はヴァンヌ山で亡くなった女性にイシリ・レコアの祭壇へ戻して欲しい、と頼まれたことからここへ来ようと思ったんだ。俺はその願いを叶えるつもりだったんだけど…」
これは今後も必要だし、手放すわけにも行かない。俺は神魂の宝珠が融合して一部分が光っているキー・メダリオンを手に、ここへ来る最初のきっかけとなったあの女性のことを思い出していた。
「律儀なことだな、そういうところもあなたらしい。…だがその者の願いは叶えられたと見るべきだ。どういう経緯かは知らぬが、その女性とやらは正しき持ち主の元へキー・メダリオンを運ぶ役目を担っていたのだろう。慰めになるかどうかわからぬが、おかげでフェリューテラの未来は繋がった。」
そうか…そういう風にも考えられるのか。
「以前あなたは、あなたと関わる人間はなにかしら重要な役割を持っている、と言っていた。その誰もが心に強い意志を持ち、自らの運命に抗おうとする…輝くような魂の持ち主ばかりなのだと。そう考えれば、最初からその者はそう言う役割を持っていたのかもしれぬ。」
「俺がそんなことを言っていたのか?…思い出せないな、どう言う意味なんだろう。」
「ふう、…あなたにわからなければ、誰にもわかりませんよ。ところで誰だか最初はわかりませんでしたが、そこの肖像はあなたを象ったものだったのですね、シルヴァンティス殿。」
神殿の中央奥にある肖像を見てリカルドが言う。
「殿は要らぬ、気色の悪い。我にしてみればこのようなもの、恥ずかしくてすぐにも壊してしまいたいぐらいなのだがな。遙か昔一族は我を獣人族の守護神だと崇めていた。だが我は肝心な時に役に立たず、いくら救いを請われてもただ見ていることしか出来なかった。とんだ守護神もあったものだ。」
皮肉を込めて言い放ち、彼は苦笑する。
「それはここが滅びた時のことを言っているのか?結局なにがあったんだ、シルヴァン。うろ覚えだけど…俺は獣人族が人間と関わらずに存続できるよう、やれることはすべてやったはずだった。…なのになぜ滅んだ?」
思い出したのは一部だけだが、当時迫害されて行き場をなくしていた獣人族…シルヴァンの一族は、滅びる寸前だった。その彼らを助けるためにあらゆる手段を講じて、ここに隠れ里を作るよう手配した記憶が微かにある。なにがあってもここから出ない限り、一族が守られるように――
「そのことは思い出しているのか。忘れてくれていたままの方が良かったような気もするが…簡単な話だ。時を重ねるにつれ一族の中で危機感が薄れて行き、外の世界に憧れを抱いた無知な若い獣人達が、己の欲からキー・メダリオンと神護の水晶を盗んで逃げた。」
「な…」
俺は絶句した。そんな邪念を抱く獣人が後世に現れるとは思ってもいなかったからだ。いや…というより、基本的に獣人族は正しい心の持ち主が多い種族だった。それが外の世界の情報もないのに、そんなことを思いついたりするだろうか?
「その結果…結界障壁は失われ、直後に運に見放されたかのような大地震が起き、あっけなく里は滅んだ。」
しかも結界障壁がなくなった直後に大地震?…あり得ない。話を聞くにつれ、俺の中で不審が大きくなって行く。
「――違うな。そんな狙ったかのようなタイミングで大地震など起きるはずがない。元々この辺りは地震の少ない地域だ。隠れ里の場所を探す時に天変地異の起きる確率もそれなりに考慮してこの場所を選んだんだ、間違いない。
それにそもそもここは完全に隔絶されていたのに、どうしてその若い獣人達が外の世界に憧れを抱くことが出来る?しかも逃げ出したければ身一つで出て行けば済む話だ。なのになぜキー・メダリオンや神護の水晶を盗んでまで持って行こうとした?
まだ疑問はある、これが一番問題だ。どうやって彼らはおまえの目を盗んでインフィランドゥマか、もしくはラビリンス・フォレストを抜けられたんだ。いくらなんでもおかしいだろう。
…シルヴァン、今さら言ったところでどうにもならないかもしれないが、この話にはなにか裏がある。」
シルヴァンが驚き、目を見開く。
「――主がそう言うのならば、我が気付かぬ所で何かがあったと言うことだ。我は一族の中に愚か者が出た、というだけで呆れ果て、その裏に何かがあるとは考えもしなかった。確かに今さらかもしれぬが…口惜しいな。里には我の言葉を聞き取れる、巫女という存在がいた。異変に気付いた時すぐに警告だけでもしておけば…一族は滅びずに済んだかもしれぬ。」
滅びずに済んだかもしれない…その言葉は俺の心にも深く突き刺さった。もし今400年前の過去に戻れたら、俺は迷わずに獣人族を守り救う道を選ぶだろう。
そんなことを思いながら俺達は神殿の外に出る。かつてのイシリ・レコアがどんな姿だったのか、これだけの建物が建ち並んだ風景を残念ながら俺は目にしていない。
シルヴァンは…誰もいなくなったこの場所で少なくとも400年間はたった一人、俺を待ち続けていたんだろうな。それを思うと胸が――
「…!」
――また一瞬、あの痛みが奔った。
この痛みが起きる条件…それがなにか掴めそうな気がする。誰かの心の痛み…悲しみや一人残される孤独…その思いを俺が思い浮かべた時に胸が苦しくなる。…それに関係している…?
すぐに治まった痛みに、一呼吸置いてから顔を上げて前を見ると、街の中心にほど近い場所に、そこだけ空間が歪んで見える箇所があった。それに俺は見覚えがある。…時空点だ。
ムーリ湖で過去から王都へ帰る時に利用した、時空転移魔法を使用可能な場所に出現していたあの歪み。
――あれが出ていると言うことは、あそこから過去へ飛べるかもしれない。
だが残念なことに使用可能な魔法のリストを見ると、俺の時空転移魔法は今も暗転したままだ。移動した先から戻るのには使えても、こちらから移動するのは時空点に触れていてもまだ出来ないらしい。
シルヴァンを無駄に期待させて、ぬか喜びに終わるのだけは避けたい。…だから今はまだ黙っておこう。
でもいつか必ず…ここをまた訪れて、その時には過去に戻り、きっと獣人族を救ってみせる。
今は完全に廃墟と化しているかつてのイシリ・レコアを想像しながら、俺はシルヴァンとリカルドと一緒に、ウェンリー達が待つヴァンヌ山へと帰ることにしたのだった。
次回、仕上がり次第アップします。




