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Eternity~銀髪の守護者ルーファス~  作者: カルダスレス


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30 始まりの地、イシリ・レコア

インフィランドゥマでリカルドを助けたルーファスは、成り行きでそのままイシリ・レコアへと向かう。そこに待っているものとは…?

      【 第三十話 始まりの地、イシリ・レコア 】



『――貴方が“黒髪の鬼神”…ライ・ラムサス近衛指揮官ですか。』


 そばにいたイーヴの背後から、彼は俺にそう話し掛けて来た。


 ――銀色の長い髪に、ブルーグリーンの静かな瞳…髪の色も、瞳の色も違うのに…俺はなぜか彼がレインだと思い込んだ。…本当にレインだと思ったのだ。

 死んだと思っていたレインが生きていた。その驚きで声が出せなかった。でもそれも仕方がないだろう?まるで生き写しのように、彼の顔はレインと瓜二つだったのだ。

 いや、正確にはレインの方がもう少し大人びていたように思う。十年も前の記憶だが、その顔や姿ははっきりと俺には思い出せるのだ。


 俺の養父である、レイン…名はレインフォルス・ブラッドホークと言う。


 レインは俺と同じ漆黒の髪に紫紺の瞳を持ち、物静かでなにか聞いてもほとんど自分のことは話さない人だった。

 いつもなにかから身を隠すように人目を避けて移動し、ラ・カーナ王国の中を転々としては俺を連れて遺跡や廃墟、古い洞窟や坑道の奥まで様々な場所を旅して回っていた。

 それは趣味や研究と言った理由からではなく、“ここでもない”“いったいどこにあるんだ”と良く口にしていたことから、なにかを必死に捜していたのではないかと記憶している。

 俺は俺が7才の時に、“おまえは学校へ行って普通に暮らせ”、と言い出したレインの手でヘズルの孤児院に預けられるまでは、彼が自分の父親だと思っていた。

 同じ髪の色に、同じ瞳の色…そう思っても何ら不思議はない。実際、レインは俺を大切に育て、物心ついた時からそばにいて愛情を注いでくれていたし、今でも血の繋がりがないと言うことの方が信じられないくらいだ。

ただ彼は…俺が“お父さん”、と呼ぶ度に“レイン”と呼べ、そう頑なに繰り返してはいたのだが――


 そのレインの…最後の姿は今でも忘れられない。


 空から降り注ぐ魔法弾を受け、炎上する街中へと駆けて行った後ろ姿…燃えさかる炎の中に消え、そのまま二度と戻ってくることはなかった。

 俺とマイオス爺さんはどうやってあの場から逃れ、助かったのか…俺は覚えていない。徹底的に破壊し尽くされたラ・カーナ王国で、生存者はほとんどいなかったと聞いているが、あの件はエヴァンニュとゲラルドの戦闘艦同士が戦地ミレトスラハから外れ、なぜ無関係な他国の上空で交戦したのか、なぜ互いに互いの戦艦を破壊し尽くすまでどちらも敗走せずに戦い続けたのか、色々と不審な点が多いらしい。

 まあ俺にとってそんなことはどうでも良いが、マイオス爺さんが“あいつがおまえを置いて死ぬはずがない”そう言っていたせいもあり、あれだけの惨状を目の当たりにしてもまだ俺は、心のどこかでレインが生きていると思っていたのかもしれない。


 その希望もたった今、打ち砕かれたところだ。


 ――話は少し前に遡る。今日は朝早く軍事棟の7階にある会議室で、戒厳令解除のための最終会議が行われていた。

 肝心の侵入者は(つい)に見つからず、暴動で民間人に大量の逮捕者を出しただけに終わった今回の布告は、俺にあの男へのさらなる不審を抱かせ、王国軍の末端が一部きちんと機能していないことを気付かせた。

 真実がどうなのかはともかくとして、最初からわかっていたかのように捕らえられない侵入者と、王国軍の体たらく。強力な魔物が相手では軍兵は役に立たず、守護者に頼らざるを得ない現状が浮き彫りにされたことに、俺は苛ついていた。

 私兵と親衛隊を除く国内在勤王国軍の最上位にある今の立場では、この俺にその対応の責任があり、今後の改善全てを俺がやらなくてはならないからだ。

 こうなることを見越しての戒厳令布告だったとしたならば、あの男の先見性には心底恐ろしいものがある。まるでこれからなにが起きるのかを、予め知っているかのような行動だ。

 その上腹が立つことに、俺がそういう事態を放っておけないことも完全に見抜かれていて、二度と思い通りにはならない、と思う俺の意に反して、結局はあの男の思う通りに動かざるを得なくなっている。それがまた忌々しい。


 不愉快極まりない気分で会議を終えたところで、俺は今しかない、と会議に参加していたラーン・マクギャリー軍務大佐に話し掛けた。


「マクギャリー軍務大佐殿、少しいいだろうか。」

 そばにいたイーヴとトゥレンを理由を付けてどうにか離し、隙を見てなんとか声を掛ける。

「ラムサス閣下…先日は息子達のために、色々とご配慮下さりありがとうございました。日を見てお礼に伺おうと思っておりました。」

 マクギャリー軍務大佐が俺に頭を下げる。親子ほども年令に差があるのに、立場上は俺の方が上官に当たるのだ。

「いや、それは俺に出来ることをしただけなので気遣いも無用だ。それよりご子息の友人だと言う例の守護者について話を聞きたいのだが、この後少しで良い、時間を頂けないか?」

 俺の申し出に彼は一瞬驚いた顔をした後、その表情を曇らせる。

「ルーファスについてですか、それは構いませんが…彼の疑いは晴れ、閣下が身元を保証して下さったと聞いておりました。二重門での息子との件と言い、またなにか問題でも…?」

 そう心配するのも無理はないが、聞きたいのはもっと個人的なことだ。イーヴ達に気取られる前に事情を説明し、こちらからマクギャリー軍務大佐の自室を訪ねる約束を取り付けた。俺の自室へ来て貰っても良かったのだが、そうなればあの二人が同席する可能性が高い。

 先日の一件以来、イーヴとトゥレンに対する俺の考え方に若干の変化があったものの、二人があの男の飼い犬だという認識に変わりはなく、事情を知られることは弱味を握られるに等しい。

 基本的に馬鹿正直で嘘のつけないトゥレンはともかく、普段なにを考えているのか全く読めないイーヴの方に知られれば、なにをどう利用されるかわかったものではない。

 だからあの二人にはそれぞれ別の手間が掛かる仕事を命令して押しつけ、午後一人になった俺はマクギャリー軍務大佐の自室を訪ねた。


 そうして気が急いていた俺は、挨拶もそこそこにあのルーファスという守護者がレインであるかどうかを確かめるべく本題へと入ったのだが…詳しい話を聞く前に、いきなり出鼻を挫かれた。

 マクギャリー軍務大佐の話では、『ルーファス・ラムザウアー』という彼の名の、姓は現在世話になっているというヴァハの村長のものだそうだが、ルーファスと言う名前の方はおそらく本名である可能性が高いと言うのだ。

 それは医師としての村長の判断から、ルーファスが記憶を失ったと思われるタイミングにあると言う。


「――実は怪我をしたルーファスを最初に見つけたのは、私の息子なのです。その息子の話では当初ルーファスは酷い怪我を負っていたものの記憶は失っておらず、名前を尋ねた息子に自ら自分の名はルーファスだ、と名乗ったのだそうです。」


 それを聞いた俺は愕然とした。それが真実なら、彼はレインではなく顔がそっくりなだけの全くの別人ということになる。

 あんなにそっくりなのに?…いや、普通なら髪の色も瞳の色も違えば、いくら顔が似ていても他人だ。雰囲気も年齢的な印象も何もかも違う。それなのに俺にはあれがレインであると、どうしてもそう思えてならなかった。


 レインに生きていて欲しい、という願望が強すぎて俺はおかしくなったのか?自分でも理解不能だ。


「そもそも研究室の監視映像で閣下はルーファスをご覧になっておられましたよね?なぜ今になって気になり出したのですか?」

 マクギャリー軍務大佐のその質問に俺は答える。

「それはあの彼の顔を見たのは昨日が初めてだったからだ。監視映像に彼とご子息の顔は映っていない。途切れ途切れの不鮮明な映像に、声が収録されていただけだ。そのことの説明はあの二人からなにも?」

「はい。…なるほど、理解できました。さすがは王国軍随一と言われる双壁のお二人ですな。ルーファスに決定的な証拠があるように思わせ、言い逃れできないように追い詰めてからあの証言を聞き出したと言うことですか。近衛に相応しい技量と才覚の持ち主であると聞き及んでおりましたが、なかなかどうして…お若いながら恐ろしい方々のようだ。」

 そう言ってマクギャリー軍務大佐が苦笑している。


 監視映像の一件について、俺はイーヴとトゥレンの二人から、『Sランク級守護者とマクギャリー軍務大佐のご子息は事件と無関係』、ただそうとしか報告を受けていない。

 その上で守護者である彼が不審者と疑われた原因が、記憶障害による過去の経歴不明ということであったために、今後そのことで要らぬ害を(こうむ)らないよう俺が身元の保証人となるように配慮した。…詳しいことは聞いていないが、あの二人…いったい何をしたのだろう?


「私の方からルーファスについてお話しできるのはこのぐらいですが、閣下がお捜しのその方はそんなにもルーファスによく似ているのですか?」

「似ている。…というより彼そのものだ。髪の色と瞳の色は違うのだが…いや年令も若く見えるか、それでも彼に間違いないと思えるほどだ。行方不明になって十年も経っているのに、我ながらおかしなことを言っているとは思うのだが…彼の顔が頭から離れない。」

 俺が戸惑っていることに気付いている様子のマクギャリー軍務大佐が続ける。

「――まあルーファスに関しては色々と不可思議な面もあるので、私には閣下がお捜しの人物と100%別人だと言い切れない部分もあります。」

 なにか含みを持たせた言い方だった。

「例えばルーファスは若く見えますが、あれでも閣下や息子より最低でも十は年上なのですよ?」

「それは…」

 どう言う意味なのだろう…?


「魔法の中には外見を変化させるものもあるようなので、それと知らずにルーファスが過ごしている可能性も否定できない。一番はやはり閣下ご自身とルーファスが直接会って話をし、確かめるべきだと思います。ただ…――」

「ただ?」

「ルーファスには他人とは間違えようのない身体的特徴があります。そのことを閣下が御存知かどうかで判断の基準になるのではないかと。」

「それはどんな特徴だ?変わった傷痕があるとか、なにかの痣があるとか…?」

 レインにそんなものがあったか…?俺は思い出そうとして記憶を辿る。

「表面上はわかりません。普通ではおそらく気が付かない類いのものです。閣下がお捜しの人物に、そう言ったものの心当たりはありませんか?」

「――…。」


 ――わからない。他人とは間違えようのない身体的特徴?…なんだ?


 いくら考えても俺に思い当たるものは出て来なかった。


 “もし思い当たるものがなければ、閣下のお捜しの人物とルーファスは別人だと思います” そのマクギャリー軍務大佐の言葉で、俺の希望は打ち砕かれた。


 あのルーファスはレインではない?…では彼は何者だ?あれだけレインにそっくりなのだ、養父と全く関わりのない人間であるはずはない。そう疑問に思ったのが最初だ。

 そしてこのことをきっかけに、俺の彼…『ルーファス』という人物に対する、異常なまでの執着は始まったのだ。





 ――俺達の進路を塞いでいた、赤い障壁が…今、音を立てて砕け散り、消滅した。

 

 古代期の魔物ダイナ・センティピードは倒れ、完全に沈黙している。


「まったく…ムカデの化け物があんなものを呼び寄せるなんてふざけてるだろう…!」

 俺は嫌悪感を胸にぶつくさと文句を言いながら、スキルで大量の戦利品回収を済ませた。

「そう言えばハネグモがどうとか言っていましたね?」

 慣れない剣のみの戦闘で疲労していたリカルドが、ようやく立ち上がって聞いてきた。

「ああ、シャトル・バスのトラブルがあっただろう?おまえはメクレンにいなかったみたいだから仕方がないけど、あれを解決した時に、800体以上ものハネグモを狩る羽目になったんだよ。」

「は、800ですか…!?」

「うん、液体燃料に火を付けて巣喰っていた建物ごと一気に燃やしたんだけど、今日のはあれ以上の悪夢だった。もう当分虫系の魔物集団には遭いたくないな。」

 “私が知らない内に、いつの間にそんなことを”とリカルドが絶句している。


「それより、道を塞いでいた障壁が消えた。これでその先に進めるようにはなったけど…――」

 今度は道の真ん中に銀色の狼…『シルヴァンティス』が立ちはだかっていた。


「…そこに陣取っていると言うことは、俺達を通す気がないのかな?シルヴァンティス。」

 俺は溜息を吐いて彼を見つめる。


 もしかして名前を思い出せたわけじゃない、と正直に言ったことで怒っているのだろうか?気のせいか、目が据わっているようにも見える。


(あるじ)よ、あなたはその者を信じるのか?』

 唐突に彼がそう聞いてきた。一緒に戦ってもまだ信じられないのか。だが俺の答えは決まっている。たとえアテナまでもがリカルドを信用していなかったとしても。

「ああ、信じる。アーシャルとかそう言うのは関係ない。そもそもそのアーシャルとやらがなんなのか俺は知りもしないし、俺にだって隠していることがあるが、それでもリカルドは俺を疑ったりしない。信頼関係は片方だけで成り立つものじゃないはずだ。だからリカルドが俺を信じてくれている限り、俺も余程のことがない限りはリカルドを信じる。」

「ルーファス…」

 リカルドが嬉しそうに俺を見る。…がその後で、“余程のことがない限り、ってなんですか?”とにこやかに突っ込まれた。


 シルヴァンティスは短く溜息を吐いてから俺に口を開く。

『――承知した。(あるじ)よ、あなたがそう言うのならば(われ)はあなたを信じよう。まあ万が一其奴が裏切るようなことがあれば、後悔するのは其奴だ。(あるじ)を敵に回すと言うことは、この世の全てが敵に回るも同意だからな。(われ)が手を下すまでもなく自滅するであろうよ。』

「…精々そうならぬよう誠意を持って、ルーファスのそばにいさせていただきます。」

 リカルドはそう言ってシルヴァンティスに深くお辞儀をした。

『ふん、口ではなんとでも言える。…イシリ・レコアはこの先だ。付いて参られよ。』

 シルヴァンティスは立ち上がり、俺の方を見るとスタスタと前を歩き出した。


「このまま行くのか?」

 俺は慌てて後を追う。

「入口できっとウェンリー達が心配してると思うんだ。一度戻るか無事を知らせるかしたいんだけど…無理かな?」

『…入口にいるのはウェンリーだけではあるまい。蒼天の使徒が二人に、ウェンリー以外の人間が三人。(あるじ)が戻れば一緒に来たいと騒ぐのではないか?』

「それは…」

 まず間違いなくそうだろうな。

『ならばこのまま先行してしまう方が良い。』

「――でも俺達は遺跡探索の護衛依頼も仕事として受けているんだ。遺跡内部はともかく、もしイシリ・レコアに博士達を連れて行けるのならそうしたい。」

 そう言った途端、シルヴァンティスは歩みを止めて振り返った。


『…(あるじ)はなんのためにイシリ・レコアを目指している?記憶を失っているのは知っているが、もしや偶然ここへ来ることになったと思っているのではないか?』

「え…?」

 シルヴァンティスの言葉の意味がわからない。偶然でないなら、なんだと言うんだ?


「いや俺は…ヴァンヌ山で変異体に襲われて亡くなった女性にキー・メダリオンのことを頼まれたから…博士達の依頼は行き先が一致していたからで――」

『…やはり理解していないのだな。あなたが今ここにいるのは偶然ではなく必然だ。その手のキー・メダリオンが巡り巡ってあなたの手に戻ったのと同じように、いずれ必ずあなたはここへ来なければならなかった。』


「そ…それはどう言う意味です?」

俺が問い返す前に、リカルドが驚いた表情で聞き返す。

「偶然ではなく必然…?キー・メダリオンがルーファスの手に戻った…?」

『――貴様、案外演技が上手いな。蒼天の使徒がルーファスのことを何も知らぬはずがなかろうに。』

 嫌味を込めてシルヴァンティスが嘲笑う。

「な…演技ではありません!何も知らなかったから聞いているのです。私が知っているのは――」

 ハッとしてリカルドが俺を見る。

「…知っているのは、なんだ?リカルド。」


 ――たった今信じると言ったばかりなのに、俺は悲しくなった。…リカルドは、俺の知らない俺のことを、なにか知っていたのか…?


「…私が知っているのは、ルーファスが…この世界の存続に関わる、特別な存在であると言うことだけです…。」

 リカルドが隠すことを諦めたように、俺から視線を逸らしてそう言った。


『本当にそれだけかどうか怪しいものだな。まあ良い、嘘を吐けばそれだけ(あるじ)の信頼は遠のく。とにかくまずは里へ行こう。詳しい話はそれからだ。』


 さっきまでと違い、重苦しい空気が俺達の間に流れる。そして相変わらずアテナは気配を断ったままだ。

 シルヴァンティスの後について遺跡の出口に向かい、そこにあった大きな石碑の前で立ち止まる。


『これより先守護無くして進むに能わず。資格無き者、異界より放たれし聖蛇の餌食とならん。』


「古代言語の警告文みたいだな。異界より放たれし聖蛇って?」

『ラビリンス・フォレストの守護獣だ。八岐大蛇(やまたのおろち)とも呼ばれ、古代より恐れられている八つ頭の巨大蛇のことを言う。』

「そこの森にそんなのがいるのか!?初めて聞いたぞ…!!」

 驚いた俺は思わず聞き返した。

『伝説だ。少なくとも我は見たことはない。』

「…なんだ、脅かすなよ。」


 本当にそんな存在がいたら大変なことになる。守護獣と言うからにはラビリンス・フォレストになにかが起きない限り、表に出てくることもないのだろうが、伝説というのは案外馬鹿に出来ない。稀にだが真実だったりすることもあるからだ。


 そんな会話を交わしながら出口から外へ出る。思った通り、目の前にはうっすらと霧が漂う、深い森が広がっていた。

「――ここがラビリンス・フォレストか。」

『うむ。その名の通り迷い込めば二度とは生きて出られぬ。…まあ(あるじ)は例外だがな。』

「俺は例外?」

『すぐにわかる。』

 そのまま森に足を踏み入れ、曲がりくねった小道を進んで行く。霧が漂う周囲は薄い乳白色で、頭上から生い茂った枝葉の間に、辛うじて薄日が射しているとわかるくらいだった。それなのに不思議なことに暗くは感じない。

 まだ昼間なのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、鬱蒼とした森は普通もっと暗く感じるものだと思う。

 やがて遺跡の出口から暫く進んだ所で、俺の周囲になにかキラキラと光る小さなものが現れ始めた。


「ルーファスの周囲になにか小さな光が…これはなんですか?」

 耳を澄ますとすぐそばからくすくすと楽しげな笑い声が聞こえ、その小さな光がくすぐるように次々と俺の頬に触れて行く。

「――精霊…、妖精か?」

 目をこらしてよく見ると、俺にはその光がとても小さな羽の生えた人のような姿に思えた。

『クリスタル・リトルディアの住人…精霊界の妖精族だ。(あるじ)に挨拶をするために現れたのだろう。』

「妖精…!!この小さな光が…」

 リカルドの瞳が子供のようにキラキラと輝く。…もしかして喜んでいるのだろうか?

「その存在を絵本や童話で知ってはいましたが、実際に見たのは初めてです…!!本当に存在していたのですね…!羽の生えた小さな人の姿をしていると書いてありましたが、光の塊みたいです。」

 興奮したように光にそっと手を伸ばしている。やっぱり喜んでいるのか。


「…リカルドにはただの光にしか見えないのか?俺には羽の生えた小さな人に見えるんだけど…」

 しかもそのそれぞれが俺の頬になぜかキスをして行く。

「ええっそ、そうなんですか…!?」

 姿がきちんと見えないことに、リカルドがショックを受けたような顔をしている。

『安心しろ、妖精の姿は我にも見えぬ。フェリューテラには数多の精霊が存在しているが、そのどれも姿を認識できるのは、(あるじ)以外、“識者(しきしゃ)”と呼ばれる限られた瞳を持つ特別な者達だけだ。』

「…シルヴァンティス、その妖精達がなぜか俺の頬にキスして来るんだけど、どうしてか理由はわかるか?」

 あまりにも照れ臭く、困惑して尋ねてみた。

『妖精の口づけは最大級の祝福だ、照れずに喜んで受けられよ。あなたの来訪を妖精達も心から喜んでいるのだろう。彼らはどこにいてもあなたの味方をする。たとえそれが人を迷わすラビリンス・フォレストであってもな。』

「――それで先ほどの言葉を?“ルーファスは例外”それはつまり、ルーファスは妖精…もしくは精霊が味方をするので、ラビリンス・フォレストの中でも迷うことがない、という意味だったのですね?」

『そう言うことだ。』

「そ…そうなのか…。」

 それはとても有り難く、嬉しかったのだが、キスの嵐だけは恥ずかしくてどうしても照れ臭かった。


『――もう間もなくイシリ・レコアの入口だ。…(あるじ)よ、想像とは違っていると思うが、どうかあまり驚かれるな。』

 俺を見てそう言ったシルヴァンティスが、なぜか寂しそうに微笑んだように見えた。


 周囲を飛び回る妖精達の祝福を受けながら、さらにシルヴァンティスの後に続いて道を進んで行くと、やがて大きな石柱が並んだ石造りの門が見えて来た。その両脇には、獅子と狼の壊れた像が正面を向いて立ち、盾の形のエンブレムにはキー・メダリオンと同じものが刻まれていた。

 近付くにつれ途中から足元が石畳の道に変わる。だがその道はもう長いこと使われていないかのようにひび割れ、間から草が伸びていた。そして樹齢を重ねた大木達の先に見える石造りの建物群。そこに人の気配はまるでなく、どう見ても遙か昔の遺跡に等しい廃墟だった。


 石門をくぐり、崩れた建物が並ぶ廃墟の中へと俺達は足を踏み入れる。

「――ここが…獣人族(ハーフビースト)の隠れ里、イシリ・レコアなのか…?」

 シルヴァンティスの言う通り、俺の想像していた場所とは全く違った。俺が想像していたのは、人間との関わりを断ちながらも、ひっそりと静かに暮らしているであろう獣人達が“生きている”場所だった。少なくとも、こんな寂しい廃墟ではなかった。

「この状態…人が住まなくなって相当な年月が過ぎていますね。おそらくは…数百年…?」

獣人族(ハーフビースト)が滅んでから既に400年が経過している。かつての建物は少しずつ森に飲み込まれ、大分見る影もなくなった。』

「400年…」

 もしかしてこんな寂しいところでずっと、シルヴァンティスはたった一人暮らしてきたのか…?


 ツキン…


「…!」

 ――この痛み…また胸に痛みが…


 それは王都で感じた、激しい胸の痛みの前兆のようなものだった。


「ルーファス?どうしたのですか…!?」

 俺の異変に気づき、リカルドが心配そうに覗き込む。


 痛みが治まった…大丈夫、か…?この前みたいに自己管理システムが働いて、時空転移にリカルドやシルヴァンティスを巻き込んだらまずい。気をつけないと…


 “気をつける”…なにに?この胸の痛みが起きる発端はなんだ?それがわからないことには気をつけようもないじゃないか。


(あるじ)?』

「大丈夫だ…なんでもない。そうだシルヴァンティス、おまえは…やっぱり獣人族(ハーフビースト)なのか?」

 廃墟の奥へと向かい、再び歩き出す。よく見ると周囲の崩れた建物の中に、獣人の骨らしきものがそのまま残されている。誰も弔う人間がいないのか…なにが原因で滅んだのだろう?小さいものも混じっている。あれは…子供のものなのかもしれない。


『その問いは…今さらだ(あるじ)よ。…記憶を失うというのは、やはりかなり厄介なことなのだな。日常生活は問題なく送れているようだし、戦闘も同様。魔法もスキルも少し慎重になってはいるようだが使用状況は適切だ。それでいて自分に関わる全ての情報だけが消えている。(あるじ)の記憶喪失というのはそういうものなのであろう?』

「…ああ、よく知っているな。」

 俺は驚いた。大抵はなにを思い出せないのか、過去のことや家族のことなどを聞いてくるのが普通だ。

(あるじ)のその状態は予め想定されていたことであるからな。』

「え…!?」


 ――今、なんて言った…!?予め想定されていた…そう言ったか…!?


「ま、待てシルヴァンティス、今なんて――」

『詳しい話は後でゆっくりいたそう。この建物の地下に守護七聖主(マスタリオン)の祭壇がある。』

 廃墟の奥に建てられた、それほど大きくはないが立派な神殿の前に立つ。ここだけはなぜか手入れがされていたかのように保存され、数百年前のものとは思えないほど当時のままの状態が維持されていた。

「神殿…ですか。石門にもこれと同じ紋章が彫られていましたよね?キー・メダリオンと同じ紋章のようですが、これの意味はなんですか?」

 入口には門前と同じ獅子と狼の像に盾の形のエンブレムがあり、それに触れ、リカルドは興味深そうに見ている。

『それは守護七聖主(マスタリオン)の紋章だ。我ら守護七聖<セプテム・ガーディアン>と(あるじ)に関わるものや場所に刻まれている。』

「マスタリオンの紋章――」


 守護七聖主<マスタリオン>に、守護七聖<セプテム・ガーディアン>…シルヴァンティスは『我ら』と言った。そして彼は俺を(あるじ)と呼ぶ。

 もう間違いない。俺がその…守護七聖主<マスタリオン>と言う存在なのだろう。


 目の前の荘厳な神殿を前に足が竦む。


 ――『怖い。』


 今の俺の感情を一言で表すのならそう言える。このまま先に進んだら…もうきっと後戻りは出来ないだろう。

 俺は記憶がなくても…ウェンリーや長、ゼルタ叔母さんのそばで幸せだった。この身体や突発的な転移のせいで村の人達に気味悪がられ疎まれてはいても、それなりに平穏に暮らせていた。

 なにも知らなければ、今のままヴァハでずっと静かに暮らしていけるんじゃないか?俺は暗黒神だのカオスだの、況してやアーシャルなんて知らない。

 リカルドは無事だったし、イシリ・レコアには辿り着いた。だから気が変わったと言ってこのキー・メダリオンをシルヴァンティスに預けて、今すぐウェンリーのところへ帰れば――


 俺の中で二つの感情が(せめ)ぎ合う。


 自分のことを知らなければならないと心のどこかで感じている。逃げ出したい気持ちはあるが、それが出来ないことも…頭の片隅でわかっていた。


 …なんてできないよな、やっぱり。


「大丈夫ですか?ルーファス。顔色も良くないですし、どこか具合が悪いのでは?」

 リカルドは本当に心配してくれているようだ。なにも知らないという言葉が嘘でないのなら、これも演技ではないのだろう。

「いや…大丈夫だ、行こう。」

 俺は迷いを断ち切って石段を上り始めた。


 ――神殿の中は思ったよりも閑散としていてなにもなく、正面の中央奥に誰かを象った大きな彫像と篝火用の燭火台が左右にあり、普段は扉が閉じられているであろう地下への入口が、室内のど真ん中にぽっかりと口を開けていた。

 近付くとそこには模様入りの絨毯が敷かれた階段があり、シルヴァンティスの後に続いて地下へ降りると、古代語の碑文が刻まれた古びた石碑と祭壇があった。

守護七聖主(マスタリオン)の紋章…それにインフィランドゥマの石碑と同じ窪みがある同様の石碑か。ここが祭壇だな。」

『そうだ。以前はそこの祭壇にキー・メダリオンと“神護の水晶”という一族の宝が安置されていた。その二つが作用することで不可侵の結界障壁を生み、この地をあらゆる災禍からも守っていた。…およそ400年前まではな。』


 400年前まではキー・メダリオンとその宝がここに安置されていた。獣人族が滅びたのはおよそ400年前…


「もしかしてここが滅びたのとキー・メダリオンには関係があるのか?」

『関係はあるが、(あるじ)が気に病むことでは無い。一族が滅びたのはある意味自業自得だ。それも後ほど説明しよう。(あるじ)よ、その石碑にキー・メダリオンを嵌め込んで欲しい。』

「…わかった、ここだな。」


 カチリ…フオンッ


 キー・メダリオンを嵌めるとすぐに石碑が光を放ち、祭壇の奥にあった壁が消え失せた。そこは厳重に隠されたさらなる隠し部屋だったのだ。

 シルヴァンティスの後についてその部屋に入ると、そこで俺達は信じられないものを目にする。


 ――部屋の中央で神秘的な輝きを放つ青緑のクリスタル。その表面を、流れるように青く光る文字の羅列が走って行く。

 そこから小さな波のような不思議な波動が広がっていて、どうやらこの部屋全体に大がかりな魔法が仕掛けられているみたいだった。


 そしてその輝くクリスタルの中に、その人物は立ち姿のまま眠っていた。


 銀色に茶と黒毛の無造作に伸びた斑髪を一部後頭部の上で束ね、日に焼けた小麦色の肌に彫りが深く、整った顔立ちとただ静かに閉じられた目。

 がっしりとした背の高い体格にかつての獣人族(ハーフビースト)の民族衣装とおぼしき衣服を身に纏い、そこから覗く両腕には左右対称のタトゥーが刻まれていた。


『――千年振りか…久しいな、我が身体よ。』


 シルヴァンティスはそう言ってクリスタルの前で目を細めたのだった。

  

次回、仕上がり次第アップします。

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