29 地下遺跡インフィランドゥマ 出口へ
瀕死のリカルドを助けようとしたルーファスでしたが、思うように治癒魔法の効果が現れません。そばにいた銀の狼が助言をしてくれたのかと思いきや…
【 第二十九話 地下遺跡インフィランドゥマ 出口へ 】
――リカルドの身体に翳す俺の両手から、最上級治癒魔法エクストラヒールの淡い緑光が輝き続ける。この無尽蔵な魔力を生命力に変換し、傷ついた部位を癒やしながら失われた体力を少しずつ回復して行く。
…大丈夫だ、絶対に助ける。どんなことをしても。
それにしても酷い怪我だ。あの崩れた床の穴から、ここまで落ちたのだとしたら無理もないが、逆に良くこれだけの怪我で済んだ、と言った方がいいのかもしれない。
両腕と両足、腰、肋骨に…あちこちの骨にひびが入り、いろんな箇所が折れている。内臓も少し傷ついているみたいだし、無事だったのは首から上だけだ。
おそらく頭は庇ったんだろうな。もしかしたら、運良く水に落ちたのかもしれない。なんにしても生きていてくれて…本当に良かった。
意識はないし、顔色もまだ血の気が失せたままだけれど、なんとか間に合った。そう安堵しかけた俺の心をアテナの言葉が打ち砕く。
『――ルーファス様、この者の反応が弱すぎます。…治癒魔法だけでは救えないかもしれません。』
「え…――」
『どこか違和感があると言うか、なにかが一致しないと言うか…すみません、原因がはっきりしないのですが、生命の灯火が極端に弱いのです。』
「ど…どう言う意味だ、アテナ…!リカルドの怪我は俺の治癒魔法で癒やせている。なのに救えないって…まさか死んだりしないよな!?」
俺は治癒魔法を掛け続けながら、アテナに詰め寄る。
『ルーファス様、あなた様の最上級治癒魔法“エクストラヒール”は、その名の通り常人には施せない、特別な回復魔法なのです。その気があれば、死に至るような病でさえ一瞬で治療可能なほどの強い治癒力を持っています。
確かにこの者の怪我は酷い状態ではありますが、それでも本来ならば傷は一瞬で癒え、疾うに目を覚ましているはずなのです。
私が推測するに、おそらくこの者はあなた様が施す治癒魔法の恩恵を、十分の一も受けられていません。』
「十分の一、以下…!?」
だから少しずつしか身体の傷が癒えていかないのか…!
「どうすればいい…!?どうすればリカルドを助けられる!?教えてくれ、アテナ…!!」
『…申し訳ありません、私の知識の中にその情報はありません。とにかく治癒魔法をかけ続けるしか――』
アテナが沈んだ声で申し訳なさそうに告げる。だがその直後、ずっと黙っていた銀の狼が口を開いた。
『救う方法ならあるぞ。おそらく其奴は生命力が弱いのであろう。』
「狼…?」
『ならばそれを高め、主の治癒魔法の恩恵を受けられるようにしてやれば良いだけのこと。その手段も、我の手にかかれば今すぐに用意可能だ。』
「だったらその方法を教えてくれ!今すぐに――」
『…承服しかねる。』
そこまで言っておきながら、なぜか狼が渋る。
「なぜだ!!」
あまりのことに俺は思わず手を止め、食ってかかりそうになった。
『ルーファス様!』
アテナの声に慌てて治癒魔法をかけ直すと、落ち着いて理由を問い糾す。
「――理由を聞かせてくれ。おまえは最初からこの遺跡に足を踏み入れた俺を守り、手を貸してくれた。だが…同じように先に入ったリカルドには一切関知していない。…そうだろう?」
狼は黙ったままなにも答えない。
「おまえが手を貸していれば、リカルドが落とし穴から転落するようなことにはならなかったはずだし、助けるつもりならもっと早く外に知らせることも出来た。それをしなかったと言うことは、おまえにとってリカルドはこの遺跡の招かれざる客だった、と言うことなのか。」
――俺の推測が正しければ、この銀の狼は間違いなくこの遺跡の案内人、若しくは番人だ。足を踏み入れる人間を管理し、場合によっては排除する…そういう役目も担っているのかもしれない。俺を主と呼ぶ理由はわからないが、さっきの言葉がそれを証明している。
『このインフィランドゥマでは主以外魔法の使用は我が許さぬ。』
狼は確かにそう言った。
『…それだけではないがな。』
俺の言葉を肯定し、狼はさらに続ける。
『――主よ、あなたはその者が何者であるか、知っているのか。』
「…なに…?」
『その様子ではやはり知らぬのだな。…記憶がないのはともかく、あれほど用心深かったあなたがこれほどまでに騙され、懐柔されるとは…解せぬ。』
「なにを言っているのかわからない。騙すとか懐柔とか…リカルドは俺の大切なパートナーだ。魔物相手にこれまでも互いに背中を預け、命がけで戦って来た。俺が彼を信頼するには、十分な理由だ。」
『だから懐柔されていると言っている。その者は“蒼天の使徒アーシャル”だ。そのことをあなたに隠しているのだぞ?逆にそれだけで信頼には値せぬであろう。』
「…?」
蒼天の使徒、アーシャル…?
『ルーファス様!!この者の生命反応が弱まっています!!このままでは――!!』
アテナの声にハッとしてリカルドを見る。
「リカルド…しっかりしろ、リカルド!!」
リカルドの身体がどんどん冷たくなっていくのを感じる。いくら俺が治癒魔法をかけても、体力の回復がまったく追いついていないのがわかった。
だめだ、このままじゃ助けられない…いやだ、絶対に死なせるものか…!!
「狼!!リカルドを助ける手段を知っているのなら今すぐ教えろ!!もしここでリカルドを死なせたら…俺は、おまえを許さない…!!」
俺は本気で怒っていた。この狼の正体が何であろうと、リカルドがアーシャルとやらであろうと、そんなことはどうでもいいし、関係ない。
俺はただ、リカルドを助けたいだけだ…!!
『…承知した。我はあなたが心配だっただけで怒らせるつもりは毛頭ない。…その者にはこれを。』
狼は態度を改め、すぐさま頭を下げ身を低くすると、どこから出したのか透明な液体の入った小瓶を咥えて差し出した。
「これは?」
『神の花…ヴァンヌ草の煎じ薬だ。服用させれば一時的にでも生命力を高められる。その後でもう一度治癒魔法を施せばその者は助かるであろう。』
「…!!」
ヴァンヌ草…!!
なぜ狼がこんなものを持っていたのかはともかく、これでリカルドを助けられる!!
「ありがとう!…リカルド、今飲ませてやる。」
意識のないリカルドをそっと抱き起こし、口を開けさせて小瓶の薬を飲ませると、俺は再び治癒魔法を掛け直した。
「深き傷を癒やせ、エクストラヒール!!」
もう一度淡い緑色の光がリカルドを包む。今度は見る間に体力が回復し、顔色も見違えるほど良くなって行った。
『これならもう大丈夫です、完全に生命力も回復しました!』
「リカルド…良かった。」
ホッとした俺は狼に礼を言おうと振り返る。
「ありがとう狼…、おまえのおかげで――」
――だがそこに、彼の姿はもうなかった。
「――だ……、……ろう?」
――声が…聞こえる。すぐ近くで、誰かの…声が。今度こそもうだめだと思ったのに…私はまだ生きているのでしょうか?
目覚めた私の身体にはブランケットが掛けられ、頭の下にはタオルを畳んで重ねた枕が敷かれてあった。…ここは…簡易テントの中…?私はゆっくりと身体を起こしてみた。
…動く。全身の痛みが消えている…傷や骨折が治っている…?どうして…――
「…グラナス?あなたが治してくれたのですか?」
すぐ脇に立て掛けられていた私の剣――グラナスに問いかける。
『しっ!…我ではない。静かにしろ、気付かれるぞ。』
「え…?」
気付かれる…誰に?それにグラナスでなければ、いったい誰が私の治療を…?
外からの音に耳を澄ませる。
聞こえてきたのは、炎がパチパチと爆ぜる焚き火の音…それから…
「こんな携帯食料じゃなくて、なにか温かい物を用意できれば良かったのに…無限収納は生物を入れられないからな。」
この声は――
「へえ…そんな方法があるのか?うん、今度試してみるよ。そうしたら少しは野外での食事もましになるかもしれない。」
私はすぐにその声の主を確かめようと、テントから外へと出て行く。ああ、やっぱり…
「ルーファス…?」
そこにいたのは焚き火の前に胡座をかいて座っていたルーファスでした。誰かと話しているように思えたのですが、他には誰の姿もありません。
ルーファスは…今まで誰と話していたのでしょう?
「リカルド!!」
ルーファスがすぐに立ち上がり、私のところへ駆け寄って来てくれました。
「目が覚めたのか…!大丈夫か?どこか痛むところは――」
そう言って私の腕や身体を確かめるように触れてきます。
「だ、大丈夫です。ええと…すみません、少し混乱しているのですが、どうしてあなたがここに?」
普段私が抱きつくと、困ったような顔をしてすぐに逃げようとするのに、今日はルーファスの方からスキンシップを取って来るなんて、どういう風の吹きまわ…いえ、戸惑ってしまうではありませんか。
今なら抱きついても嫌がられませんかねえ?…なんて邪なことを考えていたら――
「どうしてじゃないだろう!?おまえが戻って来ないから、捜しに来たんじゃないか!!」
…怒られてしまいました。
「無理はするなって言っただろう!転送陣で送られてしまったのなら、なぜ動かずに助けが来るまで待っていなかったんだ!!倒れて動かないおまえを見つけた時の俺の気持ちがわかるか!?…どれだけ心配したと思っているんだ…!!」
ルーファスが…涙ぐみながら怒っている。私のために…
「す…すみません…。まさか魔法もスキルも全てが使えないような場所だとは思わなかったので、下調べがてら出口を探そうと…でも途中であのゴーレムに出会して――」
怒られているのに、嬉しいと思ってはいけないでしょうか。…不謹慎ですよね、でも…本当に嬉しいんです。少なくとも私を心配してくれていた間だけは、あのウェンリーのこともルーファスの中から消えてくれていたでしょうから。
「ああ、あの金属の人型か。あれは確かに厄介だ。魔法やスキルなしで戦える相手じゃない。俺だってあの狼がいなければどうなっていたか…」
「狼…それは銀色の狼のことですか?とても大きな。」
ルーファスの言葉に、ふとゴーレムに襲われた時のことを思い出しました。目に入った通路の先でこちらの様子を窺うように、冷ややかな瞳で私を見ていたあの銀色の狼…
「――やっぱりあいつと会っていたんだな。あの狼はおまえを見ていながら、助けなかった。…理由があるとしても、腹が立つな。」
そう言ったルーファスをよく見ると、明らかに最後に会った数日前と雰囲気が異なっていることに気が付きました。
「ルーファス…?私の気のせいではありませんよね、あなたの雰囲気が…いえ、これはまさか魔力ですか?あなたから強大な力を感じるのですが――」
敵意を向けられでもしない限り、普通の人間にはわからないでしょう。見事なまでに制御されているその強大な魔力は、ルーファスの全身を薄いベールのように覆っており、私には光の衣を纏っているようにさえ感じられました。
「ああ…おまえにはわかるのか。強大かどうかはともかく、確かにこれは魔力だよ。俺も魔法が使えるようになった。だからおまえを助けられたんだ。」
「ま、魔法が…?では私の傷を癒やしてくれたのはあなたなのですか?ルーファス…!」
驚いて尋ねた私にルーファスは“ああ、そうだよ”と、事も無げに答えた。
――このことに私は狼狽えた。治癒魔法で身体を調べられたのであれば、私の秘密に気付かれてしまったかもしれない。もしそうなら私はルーファスの前からすぐに姿を消さなければなりません。
「ど…どうやって…?」
気付かれたのかどうか、今すぐ確かめなければ…!
「どうやってって…治癒魔法を使ったんだよ。ただ、なかなか身体の傷が治せなくて苦労した。おまえの体質かなにかなのか?生命力が弱くて魔法が効き難かったんだ。だからヴァンヌ草の煎じ薬を飲ませてから治療した。それでようやくだったよ。」
「ヴァンヌ草…!」
消えかけた命も呼び戻すというあの神の花ですか…!
――それを聞いてホッと胸をなで下ろす。…良かった、気付かれていないようです。
「ありがとうございますルーファス。あなたのおかげで…私は生きながらえたのですね。」
いつかはこの秘密に気付かれてしまうかもしれない。でも今はまだ…私はあなたのそばにいたい。たとえそれがもう、それほど長くはなかったとしても――
――リカルドが目を覚ました後、念のため様子を見たがアテナの言う通り、完全に回復しているようだった。
焚き火を囲み、俺が持ってきた携帯食料で食事を済ませ、これまでの経緯とこの後のことを話し合う。きっとウェンリー達が外で心配しているだろう。
リカルドの魔法やスキルは封印されたままだったが、俺の魔法が使えればあのゴーレムという金属の人型相手でもなんとかなる。そう思い帰る方法を探すつもりでいたのだが…
「どうせならこのまま私達だけで、イシリ・レコアに行ってみませんか?」
リカルドが唐突にそんな提案をしてきた。
「俺達だけでって、アインツ博士の依頼はどうする気なんだ?まあ今のままじゃ到底あの三人を守って遺跡内を歩くことは考えられないけどな。」
この遺跡はあまりにも危険すぎて、博士達の命を守りきれる自信がない。
「でしょう?もう少し内部を詳しく調べる必要があるかもしれませんが、そのためにも今は身軽な方が良いでしょう。どの道出口を探すことに変わりないですが、その先を確かめておけば博士達を連れてくるための対策を立てることが出来るのではないですか?」
そう言ってにこにこと満面の笑みを浮かべているリカルドを見て、俺は思う。
もしかしてこれは、単に俺と二人きりでこの遺跡内を探索したいだけじゃないのか?さっきまで瀕死だった人間の言うこととは思えないな。あんな目に遭ったのだから、普通は一時も早く地上に帰りたがるのが当たり前だと思うんだが。
なんだか俺の常識が間違っているような気がしてくる。
「まだこの遺跡がイシリ・レコアに本当に通じていると決まったわけじゃないだろう。それにきっとウェンリー達も心配している。おまえに付き従っているという緑髪の二人とアインツ博士達も上で待っているんだぞ?なにより出口を探すのが先だろう。それから後のことは考えるべきじゃないか?」
ここは厳しく戒めておこう。リカルドの魔法とスキルが使える状態であればその提案を受け入れても良かったけれど、倒し損ねた古代期の魔物がまだ彷徨いているだろうし、案内してくれた銀色の狼は姿を消したまま戻って来ない。その上、なぜかアテナが気配を断ってしまった。
自己管理システムは正常に表示されている。簡易マップも見られるし、魔力も問題ない。ただ俺の呼びかけにアテナが答えないだけだ。…どうしてだ?
『その者は蒼天の使徒アーシャルだ。』
そう告げた狼の言葉が、今になって気になる。あの口振り…まるで敵対存在を表す言い方だった。それでもアテナはリカルドを助けるために協力してくれていた。なにか言いたそうにしていたのも気が付いてはいたけど――
俺はそのどこからか湧いてくる嫌な感情を振り払い、目の前のリカルドを見る。いつものようにただにこにこと俺を見て微笑むその表情に、嘘や打算は感じられない。俺は自分の感覚を信じる。…そう決めた。
結局それからも話し合って、ヴァンヌ山に戻る方向とイシリ・レコアに通じている可能性のある方向の両方の出口を探しながら、遺跡内をもう少し調べることにした。
リカルドは普段アーツを使うことがほとんどだが、その実剣の腕も悪くはない。以前貸して貰ったことのある愛用の中剣は、かなりの貴重品で、俺は当時使いこなせそうになかったが、リカルドはまるで自らの手足のように自在に振るうことが可能だった。
だからこそ正直に言って魔法とスキルが使えないと言っても、俺が魔法を使えればなんとかなるだろうと思っている。
「では先ずはどこから調査しますか?」
準備を終えたリカルドが長い金色の髪を珍しく結びながら尋ねる。
「この地下水脈を奥に向かって進んだところに何かありそうなんだ。先にそこから調べてみても良いかな?」
「ええ、構いませんが…なにかあるとなぜわかるのです?」
不思議そうに聞き返された。…まあ、そうだよな。探索スキルと違って簡易マップに表示される情報は詳細だ。それを元に言っているのだけれど、まさか頭の中に地図があるんだよ、とは言えない。
「うん、まあ…魔力が使えるようになって、スキルなんかも増えたんだ。」
俺達はとりあえず、地下水脈に沿って南へ向かい歩き始めた。
「スキルですか…そう言えば、なぜあなたは突然魔法が使えるようになったのですか?先日会った時には、その気配すらありませんでしたよね?」
それも当然聞いて来るよな…うーん。
「説明するのが難しいんだよな。ただ、俺は元々魔法が使える人間だったみたいなんだ。それを教えてくれた人がいて…その人に魔力回路を正常に戻して貰ったんだ。」
「そんなことの出来る人間がいるのですか…!?」
俺が魔法を使える人間だったと言うことよりも驚くのはそっちなのか。
「他人の魔力回路を正常化するなんて…治癒魔法とは訳が違います。神技にも等しいことですよ。」
「そうなのか。」
神技、か…誰にでも出来ることじゃなかったんだな。あまり深く考えていなかったけど、そんなに大変なことだったとは…
サイードはあの時俺の額に触れ、ものの数秒でそれを遣って退けた。魔力の扱いにそれだけ長けていると言うことなのだろう。だがリカルドのこの反応から見るに、彼女のことは話さない方が良さそうだ。
「まあその相手については聞かないでくれると有り難い。個人的な知り合いみたいなんだけど、思い出せないんだ。」
“思い出せない”そう言っただけでリカルドは、それ以上聞き出そうとはして来なかった。きっと俺に気を使ってくれたんだろう。
――壁にびっしりと生える光苔が幻想的に周囲を照らす。澄んだ水が流れる地下水脈を辿って歩いて行くと、途中で目が退化したケイブワームという魔物の集団に出会した。
地下深層自然洞窟特有の固有種で、真っ白くボテっとした虫の幼虫のような身体に、無数の短い下肢が腹部にある。のそのそと地を這うようにしか歩けないのかと思いきや、突然飛びかかって来たりしてちょっと意表を突かれた。
だがそれもリカルドと二人、剣技だけであっさりと駆逐して行く。現れる魔物は弱く、補助が必要なほどではないとは言え、やはりアテナは気配を断ったまま出て来なかった。
そんな戦闘を数回繰り返しながら進むと、やがて地下水脈は洞窟の壁の中に吸い込まれ、そこからは分かれた固い土のトンネルのような道に入る。俺の簡易マップに記されていた妙な記号はもうすぐそこだった。
ほどなくしてそこに辿り着くと、俺達は立ち止まる。
赤く光るラインで記されていたのは…これか。
目の前に、赤い文字がゆっくりと回転する、魔法陣に似た障壁があった。指先で軽く触れるとパリパリと抵抗を示す小さな雷光が走る。その奥を見ると、なにかの大きな石碑とさらに先に微かな光が射し込んでいた。
「あの光…もしかして外の光ですか?」
障壁の前に二人並んで進路の先に視線を注ぐ。
「みたいだな。方角的にもあそこがラビリンス・フォレスト側の出口と見て間違いなさそうだ。」
「ではきっとあの先にイシリ・レコアがあるのですね。案外あっさり見つかりました。」
「多分な。ここからじゃ確かめようもないけれど。」
俺は慎重に辺りを見回す。簡易マップにはそれらしい物は表示されていない。だが見落としがないように一応仕掛けがないか確かめておきたかった。
リカルドも障壁の文字を見ながら考え込んでいる。
「――この障壁、高度な魔法障壁ですね。たとえ同等威力の魔法弾をぶつけても、そう簡単には消せないでしょう。」
「物騒なことを言うなよ。そんなことをしたらどんな反作用が返ってくるか見当も付かない。壊すとかぶち破るとかそう言う考えは頼むから捨ててくれよ。」
念のため釘を刺しておこうと思いそう言ったのだが、“ええ〜だめなんですか?”と残念そうに返された。ウェンリーじゃあるまいし、勘弁してくれ。
「うーん、どこかにこの障壁を消すなにかがあると思うんだよな。でもこの近くにそれらしいものが見当たらない。」
「壁に隠してあるのでは?」
「いや、その可能性も考えて調べてみたがなさそうだ。探索スキルにも引っかからないし、どうやって消せばここを通れるんだろう。」
そんなことを話しながら障壁の前に立ち尽くしていると、背後からあの声が聞こえて来た。
『その障壁はダイナ・センティピードをここから出さないための物だ。』
振り返るといつの間にかあの銀の狼がすぐ後ろに立っていた。
『故に奴を倒さない限りそれは消せぬ。万が一ラビリンス・フォレストに逃げられでもすれば、あれを再び捕らえるのは困難だ。そうなればメクレンを含め周囲の人里が甚大な被害を受け、おそらくはヴァハの村とて無事には済まぬであろう。』
その言葉に、この遺跡と共に今まで狼が村をも守っていたのだと初めて知る。
「それじゃおまえは…ヴァハの村も一緒に守ってくれていたのか。」
『…守ると言うほどのものではない。我は障壁が破られぬように気をつけていただけだ。ただ長き眠りから目覚めて以降、主があの村に滞在していると知り、時折ヴァンヌ山へ出て様子を見ていた。尤も話すことも出来ず、精々2、3時間ほどしか出歩けなかったが…それより――』
銀の狼が冷ややかにそのエメラルドグリーンの瞳でリカルドを見る。
『――リカルドと言ったか、我がこうして口を利いてもやはり驚かぬな。その分では我がなに者であるかも知っているのであろう。なにゆえ主に取り入ろうとする?それともあわよくば身の内に取り込もうという算段か。』
「…!」
狼の言葉にリカルドの顔色が変わった。
『蒼天の使徒アーシャルの遣り口はカオス以上に汚い。それも全てはあの狡猾な狂信神官が元凶であろう。主の記憶がないのを良いことに付け入るつもりであらば、我が決して許さぬぞ。』
蒼天の使徒アーシャル…それにカオス。俺を置き去りに銀の狼がリカルドに詰め寄った。
「私はルーファスの敵ではありません…!あなたが懸念するような邪念もありません!確かに私はアーシャルに属していますが、それでも人間です。そのこともいずれきちんと打ち明けるつもりでいました、信じて下さい…!」
「リカルド…」
――リカルドが狼の言うアーシャルという者であることを認めた。否定しないところを見ると指摘通り狼のことも知っているのだろう。会話を聞く限り、リカルドの方になにか隠された目的があるのは確かで、狼の方は俺を守ろうとしているみたいだ。それだけで判断すれば、リカルドのことは疑うべきなのかもしれない。でも俺は…
ガサガサガサ…ズザザザザザッ
「!!…二人とも上だっ!!」
ドォンッ
近付く殺気と気配に飛び退く俺とリカルドと狼。その目の前に傷ついた巨体が天井から降ってきた。
それは先刻仕留め損ねて逃げられたダイナ・センティピードだった。
手負いの状態で逃げ出した後、執念深く俺達を探していたのか、興奮状態の上に躯体全体が燃えるような攻撃色に変わっている。これは見ただけではっきりとわかる。要するに怒っているのだ。
「こ、この魔物は…!?」
突然の遭遇にリカルドが珍しく焦っていた。直前の会話と魔法やスキルが封じられている影響もあるのだろう。
「これがダイナ・センティピードだ。…もの凄い怒り状態だな。」
すぐに俺とリカルドは剣を抜いて構える。
ギシャアアアアアアアッ
見つけたぞ、と言わんばかりに魔物が鳴き声を上げ空気を震わせた。状況が一変したのはその直後だ。怖気立つようなガサガサという移動音と共に、そこかしこから小型の虫系魔物が現れた。その姿に寒気が走る。…誰もが嫌うあの素早く動く黒光りする奴にそっくりだった。
「勘弁してくれ…!!ハネグモの次はこいつらか…完全にトラウマだ…!!」
絶対に触りたくない。さすがに俺は泣きたくなった。
「よくぞこれだけの数を…戦う前に精神攻撃を仕掛けるとは、なかなかにやりますね。」
リカルドもその表情が引き攣っている。
「来るぞ…!!対大型対スピード型戦闘フィールド展開!!ディフェンド・ウォール・リフレクト!!」
キンキンキンッ
『アーシャルと共闘なぞ…!!くっ…だが主を守らねば…!!』
そう言って迷いながらも狼は戦闘に加わり、ガサガサと群がってくる黒光りの囮を買って出てくれたようだ。
「フォースフィールド!!バスターウェポン、クイックネス発動!!…うわっ!!」
いきなり小型魔物が羽を広げて飛び上がる。せめて甲虫型だったら良かったのに。
数で圧倒する魔物の攻撃が激しすぎて防御の手を緩められず、俺が攻撃に回れない。リカルドはそれでも愛用の剣でダイナ・センティピードの相手をしている。この状況になってもアテナが表に出ないと言うことは…もう間違いない。
アテナは、リカルドを信用していないのだ。俺の意思や感情に左右されず、少なくとも手の内を見せるべきではないと判断している。
リカルド個人がどうなのかはともかく、狼が言っていた“蒼天の使徒アーシャル”という組織らしい存在が問題なのか?…わからないが、アテナが出なくてもこの化け物を倒さなければならない。
「使用魔法は自分で探す…!!防御を緩めずに使える高威力魔法でなにかないか…!?」
リストの中にこの前使用したザラーム・クラディスの暗転した文字が目に入る。その下に光属性の新しい魔法リストが表示されていた。
神魂の宝珠/守護光聖<レクシャス・ローフィル>シルヴァンティス・レックランド/魔法共有/アドヴェントゥス・ケラヴノス/ルストゥエルノ・アステリ
この二つは今すぐに使えるみたいだった。
――効果がどの程度あるのかわからないが前例がある。念のために威力と範囲を抑えて使おう。呪文は…大丈夫だ、覚えている。
「『――親なる守護光聖<ガーディアン・レクシャス・ローフィル>“シルヴァンティス・レックランド”に告ぐ。我が命に従いて敵を滅せよ!!アドヴェントゥス・ケラヴノス!!』」
『!!…仰せのままに!!』
え…――
俺の呪文に反応し、返事を返したのは…一緒に戦っていた目の前の狼だった。
ゴッ…
銀色の狼が姿を消し、魔物の頭上に真っ白い光の渦が出現する。そこから雷光を纏った羽根つきの一角獣が姿を現した。それが颯爽と俺の前に降り立ち、目一杯両羽を広げた直後、角に光を集束して羽ばたいた。
駆け抜ける白い閃光と共に小型魔物が塵となって消滅して行く。
後に残ったのは瀕死状態のダイナ・センティピードだけだった。
『主よ!我が名を思い出してくれたのか!!』
魔法が発動し終わると、再び姿を見せた狼が嬉しそうに駆け寄ってきた。
「――…」
…すまん、思い出したわけじゃない。偶然だとも違うとも言えなかった。…というか、目の前の味方にこういう命令の仕方っていくら何でも恥ずかしいだろう…!!
だが彼の名は『シルヴァンティス・レックランド』…それだけはわかった。
とにかく残るはダイナ・センティピードだけだ、さっさと倒すぞ!!俺は笑って誤魔化し、再び魔法を唱え始めた。
次回、イシリ・レコアへ。仕上がり次第アップします。…寒い。




