02 無謀な親友と銀の狼
ネメス病にかかった少女のために神の花を集めて無事に戻ったルーファスとウェンリーは、遅い夕食を取っていました。そこへ、村長と共にウェンリーの母親がリビングに入って来ます。彼女がルーファス宛の手紙を持って来たことから、ちょっとした出来事が発生して…?
――濡れた服を着替えてからウェンリーと一緒にリビングで夕食を取っていると、今までエリサの治療に当たっていた長が、疲れた様子で帰ってきた。
「帰ったぞ、ゼルタ。」
長は昔、この村の裏手にある『ヴァンヌミストの森』で、右足に大きな怪我をして以降、足が不自由になり杖を使うようになった。
俺がこの村に来た頃はまだ幾分濃かった髪色も、今ではすっかり白髪で真っ白だ。それと同時に、長く伸ばした顎髭まで白くなったことから、俺は長の顔に刻まれた深い皺を見る度に、俺のことで要らぬ苦労をさせてしまっているのでは、と気になっている。
その長の後ろに、もう一人ゼルタ叔母さんに良く似た女性が続いていた。
「お帰りなさい。…おや、ターラ?」
「姉さん遅くにごめんよ、今そこで会って――」
ゼルタ叔母さんとの挨拶もそこそこに話をしかけたその女性は、はた、と俺の隣で呑気に夕食を食べていたウェンリーに気づくと、いきなり雷を落とした。
「ウェンリー!!!」
「あ…やべ、お袋。」
言うまでもない、ウェンリーの母親…ターラ叔母さんだった。
「おまえは…やっぱりここにいたのかい!!朝出て行ったきり、戻っても顔も出さないで…心配するじゃないか!!」
ターラ叔母さんは拳骨でウェンリーの頭をガツン、と一発殴った。
「いってえな!!なんだよ、ルーファスが一緒なんだから、無事に帰ってくるに決まってんだろ!?」
この言い合いも既に日常化しつつある見慣れた光景だ。俺はウェンリーには構わず、椅子に腰を下ろした長にお帰りなさい、と声を掛けると、気になっていたエリサの容態を尋ねた。
「おおルーファス、今日はご苦労じゃったの、エリサのことはもう心配要らん。おかげで持ち直し、熱も下がり始めたでの、もう大丈夫じゃ。」
「そうですか、良かった…!」
俺はホッと胸をなで下ろす。あの花の採取量で足りるかどうかだけが心配だったからだ。
長はターラ叔母さんとの言い合いを一旦終えたウェンリーにも労いの言葉をかけ、俺達にヴァンヌ草を集めるのはさぞ大変じゃったろう、と言って目を細めた。
「エリサ助かったんだな、良かったぜ。俺はただ後に付いて行って集めるのを手伝っただけだし。ヴァンヌ草が生えてる場所を覚えててくれたルーファスのおかげだろ。じゃなけりゃあんな量…一日で到底見つけられるわきゃねえ。」
な、ルーファス、とウェンリーは俺に同意を求める。そんなウェンリーの話にゼルタ叔母さんは表情を曇らせ、不安気に続けた。
「やっぱり、もうあまり咲いていなかったのかい?ここ数年で神の花は殆ど見かけなくなったようだからねえ…。」
ゼルタ叔母さんの懸念はもっともで、今後またネメス病の患者が出たとしても、きっともう短時間であの量を見つけるのはかなり難しくなる。これも魔物が増えたことが原因だ。
ネメス病から唯一回復可能なヴァンヌ草がなくなれば、この病は国に不治の病として認定されることになる。
神の花は人の手で栽培することが出来ないのだから、こればかりはどうしようもなかった。
「ところでターラ、あんたウェンリーを探しに来ただけかい?」
暗く沈みかけた雰囲気を吹き飛ばすように、ゼルタ叔母さんが話題を変えた。
「ああ、そうだった、馬鹿息子のせいで忘れるところだったよ。」
そう言いながらターラ叔母さんが、いつも雑貨屋で着ている仕事着の物入れをゴソゴソやっている。
「おい!誰が馬鹿だよ!!」とウェンリーは俺の横で目くじらを立てていたけど、そのウェンリーを無視して、ターラ叔母さんは大事そうになにかの封筒を取り出すと俺に「はい」、と言って差し出した。
「あんたに手紙だよ、ルーファス。今朝の便で届いてね、あんた宛のは珍しいし、もし『ギルド』関係なら急ぎだと困るだろ?」
「…俺に?わざわざすみません、ありがとうございます。」
「いいんだよ、いつもこの子が世話になっているしね。」
そう言ってターラ叔母さんは微笑んだ。
普段よく言い合いから親子喧嘩をしたりしているけど、やっぱり母親って言うのは子供を思っているものなんだな、とウェンリーが羨ましくなる。
俺はそれを受け取ると、すぐに裏を返して差出人を見た。
――差出人の名前は『リカルド・トライツィ』。俺の数少ない、村外での親しい間柄にある友人で、俺が守護者になる切っ掛けをくれた人物であり、仕事の相棒でもある相手からの手紙だった。
俺がそれを確かめていると、脇から覗き込んだウェンリーは顔を顰めて呟く。
「リカルド…って、おまえの相棒の?」
「ああ、いつも一緒に仕事をしている守護者仲間だ。今は隣国のシェナハーンにギルドの依頼で魔物調査に行っているはずなんだ。」
「ほう…魔物駆除協会から直接の依頼とは、余程腕の立つ守護者なんじゃのう。」
俺達の会話を聞いていた長が感心したようにそう言った。だがその横でウェンリーと同じように、あまりいい顔をしないゼルタ叔母さんは口をつぐむ。
ゼルタ叔母さんは二年ほど前、俺が守護者になることをウェンリーと一緒になって猛反対していた。
当時は記憶もまだ戻らないのに、またあんな大怪我をしたらどうするんだい、と泣き付かれてしまい、俺はお世話になっている叔母さんを悲しませてまで、本当に守護者になるべきか随分と迷った。
だが俺がこの国で、きちんとした身分証明を手に入れるためにはそれしか方法がなく、それまで既にやっていた魔物の討伐と左程大きな変わりがないことを説明すると、首を縦には振らなくてもそれ以上なにも言わなかった。
ただそれでも俺を心配して反対しているのは今も変わっておらず、仕事やギルドの話はあまり聞きたくないと思っているようだ。
俺はゼルタ叔母さんに暗い顔をさせたくなくて、手紙は一旦仕舞い込み、後で部屋に戻ってから読むことにする。
食事を終えて食器を流しに運ぶと、少しの間他愛のない夜の歓談をしてからリビングを出て風呂に入り、自室へ戻った時には夜もかなり更けていた。それなのに――
「――帰らなくていいのか?ウェンリー。ターラ叔母さん、呆れて先に帰っちゃったぞ。」
俺の部屋の中央に、でん、と長座布団を敷いて居座り、俺が風呂から上がってくるのをウェンリーは待ち構えていた。
「そりゃ帰るけどさ…どうしても気になるんだよ、それ。」
そう言うとウェンリーは俺が机の上に置いた手紙を睨んだ。
「早く読んでくれよ、ルーファス。なにが書いてあんのか聞いてからじゃねえと気になって眠れねえ。」
「気になってって…ウェンリー、仕事の依頼かどうか、ってことか?」
俺は短くはあ、と溜息を吐くと、真顔のウェンリーに聞き返す。ウェンリーはゼルタ叔母さんよりも遙かに俺の仕事には神経質だった。
俺は十年前、ウェンリーに命を助けられた事情もあってあまり強くは言えず、仕事のことはなるべく詳しく話すようにはしていた。
それでもウェンリーは時に納得してくれず、会ったこともない俺の相棒を敵視してさえいるような節も見られた。
こうなるともう、なにを言っても内容を確かめるまでは頑として譲らない。
俺は諦めて言われた通りに手紙の封を切って読み始めた。
「――魔物の調査が終わって、リカルドは無事メクレンに戻って来たみたいだな。その知らせと簡単な近況報告だ。気になるなら見るか?」
ウェンリーはこくこくと大きく頷き、手紙にしっかり目を通す。中々にチェックが厳しい。
「近いうち会いたいって書いてあんじゃん。」
…そんなところまで気にするのか、と微苦笑する。
「そうだな。でも仕事のことはなにも書いてないだろう?遠くから戻って来たばかりでリカルドだってすぐには動かない。切羽詰まった状況でもなければ、暫くは休むはずだ。」
俺は返された手紙を元通りに畳んで封筒にしまうと、机の上に戻した。
これでもう大丈夫だろう、と思い、今日は疲れただろうから、早く家に帰って風呂に入り、おまえももう休め、とウェンリーに言う。ところがウェンリーはまだ話したいことがあるのか、中々帰ろうとはしなかった。
不審に思い、なにか他に話でもあるのか、と俺が尋ねると、ウェンリーは頷き、この後とんでもないことを俺に言い出した。
時間は夜の十時を回っている。長とゼルタ叔母さんもそろそろ寝に入る頃だ。それは俺にもわかっていて、普段ならこんな時間に大きな声を出すことなんてなかった。
そんなことも吹っ飛ぶぐらいにカッとして腹を立て、俺は瞬間的にウェンリーに向かい、家中に響き渡るような怒鳴り声を上げていた。
「ふざけるな!!」
――多分初めて聞く、俺の本気で怒った声に面食らったウェンリーは、少しの間目が点になって口をポカンと開けていた。
すぐに驚いた長とゼルタ叔母さんが扉をトントンと叩く音が聞こえる。
「ちょ…ルーファス、俺の話を聞いてくれって…!!」
食い下がるウェンリーを無視して扉を開けると、何事か、と心配した長に、大きな声を出してすみません、と謝ってから、ウェンリーにはもう家に帰れと言って腕を掴み、有無を言わさず部屋から追い出した。
――俺が一体なにに腹を立てたか、って?ウェンリーがあんまりにも馬鹿なことを言い出したからだ。
この先もずっと今のように俺のことを心配するくらいなら、いっそのこと自分も守護者になって同じ仕事をすればいい。…あいつはいとも簡単にそう口に出したんだ。
その上で、守護者になりたいから俺に魔物との戦い方を教えてくれ、と言って来た。俺が怒るのも当然だろう?
結局その晩はムシャクシャして感情が高ぶり、寝台で横になっても俺は中々寝付けなかった。
明けて翌日ウェンリーは、話を聞かずに追い返した俺に反抗し、実力行使だとでも言うかのように、さらに俺の肝を冷やす行動に出た。
それは出会って十年…ウェンリーは子供の時からずっと俺の傍にいて、俺達はほぼ毎日顔を合わせていた…にも拘わらず、未だ俺にはウェンリーについて知らなかったことと、わかっていなかったことがあるのだと、思い知る出来事となった。
その始まりは俺がいつものように朝食を取っていた時のことだ。ゼルタ叔母さんが滅多に怒らない俺が昨夜怒鳴り声を上げたことに、ウェンリーとなにがあったのかと尋ねたことだった。
俺はウェンリーが俺と一緒にいるために守護者になりたい、と言い出したことを掻い摘まんで話す。するとゼルタ叔母さんは眉間に皺を寄せて憂色を濃くした。
「あの子はよほどあんたが心配なんだねえ…。」
「それは俺もわかっています。ウェンリーはきっと倒れていた俺を最初に見つけたのが自分だから、気にかけてくれていて…」
「それだけじゃないよ、ルーファス。あの子はこの村を守る強くて優しいあんたが大好きなのさ。だから大切に思っているし、きっと…傍にいたいんだろうね。」
ゼルタ叔母さんは左手で右手の肘を支え、掌を右頬に当てながら少し顔を傾けると、ウェンリーの胸の内を推し量るようにそう言った。
俺だってウェンリーが真剣に考えた上での相談なら、頭ごなしに怒鳴ったりなんかしなかった。でも俺の傍にいるために守護者になるなんて…そんな理由を認められるか?守護者は命がけで魔物を狩るのが仕事なんだぞ、普段あれだけ俺に危険だなんだと言っておいて、自分から同じ世界に足を踏み入れようとするなんて信じられない。
ウェンリーの言葉を思い出し、またムシャクシャしかけた時だ。ゼルタ叔母さんがポツリと呟いた。
「――でも、大丈夫かねえ…」
「?…なにがですか?」
その不安気な声に、顔を上げて叔母さんを見る。
「いやね、ウェンリーさ。…あの子は小さい時から、一度言い出したら絶対に誰の言うことにも耳を貸さないからね。なにかとんでもないことを仕出かさなきゃいいんだけど…。」
「――……。」
――とんでもないこと?
俺はゼルタ叔母さんの言葉を聞いてその意味を考え、なんだか急に落ち着かなくなった。
確かにウェンリーは頑固なところがあるけれど…いやでも、まさか…――
昨夜のあれでいくらなんでも伝わった…よな?…俺は本気で怒ったんだし、あいつだってそこまで本気で守護者になりたいと言い出したわけじゃな…い…はず…
……でも、もし…本気だったら……?
ガタンッ、と大きな音を立て、俺は殆ど無意識に椅子から立ち上がる。
「ゼルタ叔母さん、俺…ちょっとウェンリーの所へ行って来ます…!!」
途轍もなく嫌な予感がして考え出したら止まらなくなり、俺は食事もそこそこにして食器も片付けず、部屋に置いてあった剣を掴んで家を飛び出した。
――確かにウェンリーは頑固で、一度言い出したら梃子でも譲らない。そのせいで俺は何度か諦めて要求を呑んだこともある。…だけどこれは命に関わることだぞ?遊びじゃないんだ。…そう思うのに、胸騒ぎがして仕方がない。
頼むから、家にいてくれよ…!!
そう願いながらウェンリーの自宅に走って向かう。その途中、村の中央にある井戸広場手前で、思いがけない人物に呼び止められた。
「そんなに急いでどこへ行くんだ?」
その声の方を見て俺は驚いた。なぜなら彼の方から声を掛けられたのは数年ぶりくらいで、本当に久しぶりだったからだ。
「…シヴァン。」
そこに立っていたのは、ネメス病にかかっていたエリサの兄、シヴァンだ。
シヴァンは焦げ茶色の髪に薄茶色の瞳という、この国で最も多い髪色と瞳を持つ男性だ。俺がここに来た当初は同年代だったのに、今では結婚の適齢期を少し過ぎたくらいのいい大人になってしまった。
俺は焦っていた分、少し息の上がりかけた状態で答える。
「いや…ちょっとウェンリーの所へ――」
シヴァンに声を掛けられるなんて何年ぶりだろう。そう思う俺の答えを聞いた後、シヴァンは一瞬なにか言おうとしてその言葉を飲み込んだように見えた。それから俺が今一番聞きたくない、恐れていた言葉を放った。
「ウェンリーになら、今朝かなり早い時間に門の前で会ったぞ。」
「あいつに会ったのか…!?」
シヴァンの言葉に俺は気が動転するのを感じた。シヴァンは俺の剣幕に少し引き気味になってさらに続ける。
「あ、ああ…エリサの話をした後、門番に頼んで門を開けてくれって言うから、どこへ行くのか聞いたけど教えてくれなかった。そのまま外へ出て行ったが――」
「!!」
門の外へ…出たのか、やっぱり…!!
嫌な予感が的中した。ウェンリーのことだ、俺が教えないのなら自分で勝手にやるからいい、なんてつもりなのかもしれない。それがどれほど危険なことかわかりきっているはずなのに…!!
俺はこの時、これまでにないほど焦っていたと思う。
「あいつ、妙なものを持っていたぞ。なにかこう…鋭い刃の付いた、武器みたいなものだ。てっきりおまえと落ち合ってなにかするんだと思っていたが…違ったのか?」
「昨夜少し揉めて…あいつが守護者になりたいなんて言い出すから…!ウェンリー、一人でヴァンヌ山に…?昔と違って今は少しでも山道を外れると凶暴な魔物だらけなんだぞ…!!」
――落ち着け、落ち着くんだ…どうすればいい?
動揺して考えが纏まらない俺に、シヴァンが言う。
「慌てるなルーファス。ウェンリーは昔からヴァンヌ山には入り慣れている。子供の頃から逃げ足は速いし、それこそ俺やクルト達より遙かに魔物にも詳しいだろう。なにがあったのかは知らないが、きっと大丈夫だ。」
励ましてくれた、のか…――
その言葉に少しだけ落ち着きを取り戻した俺は、ウェンリーが村を出てからどのくらいの時間が経っているのかを聞いてみた。
「二、三時間てところだな。夜が明けかかっていたし、間違いない。しかしあいつ…なにをしに?」
首を傾げるシヴァンに簡単に事情を説明する。
「はっきりとは言えないけれど、魔物との戦い方を教えてくれと言って来たから、多分…」
「まさか守護者の真似事をしに行ったのか!?…冗談だろう、なにを考えているんだ…!!」
シヴァンはこの説明だけで事態の重さを把握してくれたようだった。
「ウェンリーの足ならもう結構奥まで入り込んでいる可能性が高いか、急いだ方がいいな。行き先に心当たりはあるのか?」
「いや…正直に言って見当もつかない。こんな行動に出るなんて想像もしていなかったんだ。それでも追いかけて探すしかない…!!」
「そうか、ならなにか俺に手伝えることはあるか?」
そう言ってくれた真剣な表情のシヴァンが、本当に心配してくれているとわかり、俺は嬉しかった。もしかしたら昨日俺達がエリサを助けたことで、以前のようにまた打ち解けられるようになるかもしれないと、ほんの少し期待したからだ。
「ああ、ありがとう。すまないが長とターラ叔母さんに、ウェンリーが一人でヴァンヌ山に入ったみたいだと知らせて貰えるか?俺はこのまますぐに後を追いかける。」
「わかった、長ならエリサの様子を見に来てまだ俺の家にいる。ターラ叔母さんにもすぐ知らせよう。…気をつけて行けよ。」
その場でシヴァンと別れた俺は、門番に事情を話して門扉を開けて貰うと、急いでヴァンヌ山へ向かった。
一方、その頃のウェンリーはと言うと…
ルーファスが血相を変えて追いかけて来ているとも知らず、暢気なものだった。
某別世界であれば『絶好のピクニック日和』とも言える青天を背景に、金属製のなにかがチカッと日の光を反射して弧を描き、勢いよく飛んで行く。
そうしてそれは鋭い刃の回転を維持したまま、切り裂いた魔物の血液を飛び散らせ、空中で飛ぶ方向を変えると、ブーメランのように見事ウェンリーの手元に戻ってくる。
シュルルルルル……パシッ――ドサンッ
「よおっしゃ!!」
複数回の攻撃で負傷し青灰色の毛を血に染め、最終的には喉の辺りを深く切り裂かれて絶命した一体の狼型魔物『ウェアウルフ』が、時間差でその場に倒れてピクリとも動かなくなった。
ウェンリーはそれを確認すると、今しがたの歓声を放ったのだ。
ウェンリーの右手に握られているのは、『エアスピナー』という円月輪に似た投擲型飛翔武器だ。金属製の持ち手部分が中心にあり、そこから三方向に装着された木の葉型の刃が浮力を得て、高速回転をし飛んで行く仕組みになっている。
武器の形状は円形だが、その絶妙な均衡の取れた比重は、くの字型狩猟武器、ブーメランのそれに近く、投擲して正確に的に当て、尚且つそれが戻ってくるのを掴む…という相当な技術と訓練を要する、かなり扱いが難しい得物だった。
「おおっ、俺ってば天才じゃね!?逃げんのも避けんのも得意だし、時間はかかるけど一対一ならなんとか行けんじゃん!!」
エアスピナーの掴み損ないで怪我をしないように、右手には防護用の手袋をしてウェンリーは腰の横辺りに左拳を引いた。小さなガッツポーズである。
≪ へっ、俺だってやれば出来んだ!!…ルーファスには見せたことねえけど、この "エアスピナー" なら子供の頃から投げて遊んでたんだ。本格的に武器として使うために練習し始めたのは、あいつが守護者になってからだけど…それももう二年、今じゃ思い通り完璧に操れるようになった。こいつの扱いなら、誰にも負けねえぞ…!!≫
誰も見ていないのをいいことに、鼻先を数センチ高くしながらドヤ顔をする。
そうしてウェンリーは心の中でそんなことを叫びながら、もっと小さい頃は、これを持ち出す度に子供の玩具じゃない、と言って父親に酷く怒られていたことを懐かしく思い出していた。
「――さてと…えーと、魔物って倒したらどうすりゃいいんだっけ?…うーん、いつもルーファスがさくっと解体してんのを見てたつもりだったけど、実際やろうとすんなら道具がなきゃ無理だな、こりゃ。」
目の前に転がる魔物の死骸を見下ろしながら腕を組み、…、…、…、と上を向き、下を向き、右を向いて、暫しの間ウェンリーは思案した。
…結果、やっぱりなにも浮かばない。
「てか、俺は守護者じゃねえんだから討伐部位なんか持ってたって荷物になるだけで、買い取っても貰えねえじゃねえか。…とりあえずここ登山道だし、邪魔にならねえよう脇に除けとくだけでいっか。」
なんとも脳天気な考えで、魔物の四肢を掴むと、重い!とぼやきながら脇の草叢に引き摺ってそれを退かす。
これが守護者なら、きちんと解体して換金部位を取得、それ以外は土中に埋めるか、上から土や草をかけて他の魔物に見つかりにくくするのが定石だ。
ウェンリーもそれは知識として知ってはいるのだが、今日の所は "やったつもり" 程度のいい加減な処理でさっさと先を目指し、歩き出す。
…まあこれが幸いして、後を追いかけるルーファスの目に止まり、ルーファスがウェンリーの行動を把握する手がかりとなるのだから、結果は良しとしよう。
現在は疾うに成人して二十三才にもなったウェンリーは、未だに無職(家事手伝い)である。
日がな一日その殆どをルーファスの後に付いてまわって過ごし、その合間に母親が営む雑貨屋の手伝いをする。世間からすれば遊んでいるようにしか見えず、母親であるターラの口癖が『馬鹿息子』になるほど怒ってばかりいるのも、まあ無理はないだろう。
だがルーファスにとって出会った当初は子供だったウェンリーも、今はもう大人になっていて、当然、自分の将来についてなにも考えていないわけがなかった。
ただそれはルーファスの願う形とは大きく異なり、ヴァハの村で育った住人の殆どが選ぶ、平穏で安穏とした長閑な生活ではなく、自分の実力と能力を把握した上で、ルーファスと同じ道を選ぶという、かなりの危険を伴う選択をしただけだった。
それも説明の仕方が悪かったために、昨夜ルーファスを本気で怒らせてしまったが、昨日今日の思いつきで突っ走り、口に出したわけではなかったのだ。
ウェンリーには兄弟がおらず、所謂一人息子だ。そのことは本人も十分わかっているが、父親と母親はまだ若く、最悪自分がいなくなってももう一人ぐらい儲けられるだろ、ぐらいにしか考えていなかった。
世間やルーファスから見ればそれはかなりの親不孝者なのだが、頑固でこうと決めたら梃子でも動かない気質を持ったウェンリーは、自分の好きなように生きることが目標であり、実質はともかくとして、その心だけは既に親から自立していた。
そんなウェンリーの一番の望みは、自分の一生をルーファスと共に生きることだった。
ルーファスは全く気付いていないのだが、ウェンリーがそう望むようになったのは、ルーファスと出会ったその日からだ。
あの日まだ子供だったウェンリーは、ヴァンヌ山で倒れていたルーファスを見つけた直後、血の匂いに惹かれて集まってきた魔物に襲われかけた。今では自力で倒せるようになった、あのウェアウルフの集団にだ。
当時はその恐ろしさに身体が竦んでしまい、逃げることも出来ず、そのままであれば間違いなく死んでいただろう。
だが目が覚めた時にはそのことを覚えていないと言ったルーファスが、瀕死の重傷を負っていたにも関わらず、立ち上がり魔物と戦ってウェンリーを守ってくれたのだった。
その時のルーファスが自分を見た、優しい瞳がウェンリーは忘れられなかった。
ウェンリーにとって自分は、その時ルーファスに助けられていなければ疾うに死んでいた存在であり、だからと言うわけではなかったが、それでも、あの日のルーファスとの出会いが、人生を左右する運命だったのだとしか思えなかった。
以来、ウェンリーの居場所はルーファスの傍になった。
倒れていたルーファスに記憶がなく、家族のことも思い出せないのなら、自分が傍にいて家族になろう。生きていた場所も友人のことも思い出せないのなら、この村を居場所にして貰い、自分がその友人達の代わりになる。ルーファスが知らない、ウェンリーの決心はそんな子供の時から始まっていた。
そうして今日、ウェンリーは強硬手段に出る。自分が守護者になることを決めたのは、決していい加減な気持ちではないこと。まずはこれまでの訓練の成果を見て貰い、きちんとルーファスに納得して欲しいと考えたのだ。
周囲を注意深く確認し、決して山道を外れず、倒せると判断した時だけ遭遇した魔物とは戦い、ウェンリーはあっという間に六合目の道標に到達する。
ウェンリーの影の努力など全く知らないルーファスは知る由もないが、実はこの時のウェンリーは、後から村を出たルーファスが追いつくにはかなり大変なほど、早い速度でここまで辿り着いていた。
だがさすがに順調だったのもここまでだった。
――ヴァンヌ山の六合目にある道標が立てられた場所は、麓にあるヴァハの村が一望できるちょっとした展望台のような開けた平地になっている。
ここまで休みもせずに一気に登ってきたウェンリーは、ちょっと一休み、と軽い休憩を取ることにした。
崖に面した転落防止用の木製柵に寄りかかり、ボトルの水を飲みながら、子供の頃から見慣れたはずの景色をじっくりと眺める。なぜなら、今日は隣にルーファスがいない、単独でのちょっとした冒険だからだ。
「お〜、ヴァンヌミストの森がよく見える〜う、今日は天気いいなあ。」
ヴァハの村の先に、白い霧に覆われて普段はあまり見えない森があり、それが今日はよく見えたために感想を口にしたのだろう。
だがなぜかそのことを一音調子の棒読みで声に出すと、一呼吸置いて憂鬱そうに俯き、ウェンリーは大きな溜息を吐いた。
≪ …ルーファス、昨夜すげえ怒ってたなあ。あんなに怒った顔、初めて見た。びっくりしてそのまま追い出されちまったけど…あいつ、いつまで俺を子供扱いするつもりなのかね?…俺もう二十三になるんだけど。≫
失敗したよな、とウェンリーは悔やむ。それと言うのもみんなクルトのせいだ。あいつが村の門を閉じ、ルーファス一人にあんな大量のウェアウルフと戦わせたりするから…――と、沸々と湧く怨言を並べたくなる。
今思い出しても腸が煮えくり返り、一発殴ったくらいじゃとても足りない。幾らルーファスが強くたって、幾ら小さな怪我なら簡単に治るからって言ったって、ウェンリーは昨夜、十体もの数の魔物に囲まれているルーファスを見て、寿命が縮まるような思いをした。
せめて自分が加勢に入れたら、とどれだけ思ったことか。…もうあんな思いはしたくない。そう焦ったばかりに急ぎすぎた結果が昨夜の失敗だった。
本当なら訓練だけは影でしておいて、少しずつわかって貰い、時間をかけて守護者になるのを認めて貰おうと思っていたのに、その計画が全部おじゃんだ。
自分だってルーファスが守護者になるのをあんなに反対したんだから、ルーファスが同じように反対するのはわかりきっていたのだ。だからこそ慎重に、事を進めて来たのに、と暫くの間落ち込む。
「…ま、今さら言ってもやっちまったもんは仕方ねえよな。聞く耳持って貰えねえなら、実力行使しかねえ。もう決めたんだ、後で怒られようが構うもんか。」
ザッ
座っていた柵を乗り越え、踵を返すと、再び動き出そうとしたウェンリーだったが、顔を上げたその瞬間、いつの間にかそこにいた存在に、口から心臓が飛び出そうになるほど驚いて武器を構えた。
「!!」
目の前に、エメラルドグリーンに輝く澄んだ瞳で、じっとこちらを見る、銀色の大きな狼が立っていた。
≪ …やべえ、全く気付かなかった…もし襲われてたらもう死んでんじゃん、俺。≫
そう思うと背中に冷たいものが走る。だが今のところその狼はまるで置物のように、身動ぎ一つしなかった。
警戒して具に相手を観察すると、二メートル以上もある狼のその身体が、薄ら光っているように見える。
≪――なんだこいつ、身体が光ってんぞ?…魔物…なのかよ??≫
そう思い、緊張しながら訝しんでその目を逸らさず睨んでいると、次の瞬間、銀色の狼は拍子抜けするような吠え声を上げた。
「バウッ!!」
ガクッ
それを聞いた途端ウェンリーは、硬直が解けた瞬間に身体の均衡を崩す…所謂お決まりの動作である、ズッコケ…つまりズルリと転けた。
「はあ!?『バウッ』って、犬かよ!!…なんだおまえ、魔物じゃねえのか??」
一応武器は構えたまま、ウェンリーは恐る恐るその狼に近付いた。だが銀色の狼はそこから動かず、ウェンリーが近付いて来るのを逆に待っているようにさえ見える。
おまけに魔物とは違うどこか優しい瞳の輝きに、ホッとして目線の高さを合わせるようにしゃがむと、ウェンリーはそっと狼に手を伸ばした。
もふっ…
狼は初めて遭遇した相手に手を伸ばされても、警戒すらする様子が見られない。まるで人慣れしているかのように、そのまま抵抗することもなくウェンリーに首元をわしゃわしゃもふもふと撫でられている。
もふもふもふ…
「やべえ…なにこいつ、モフモフじゃん。…すっげえ可愛いんだけど。」
ギラッ
「ひっ!?」
ウェンリーが『可愛い』と口にした瞬間、銀色の狼が腹を立て、鋭くこちらを睨んだ。……様な気がした。
「に、睨まれたっ!?おい、睨んだよな!?今――もしかして、可愛いって言ったのが気に入らなかった…とか?言葉わかんのかよっ!?」
狼はプイッとウェンリーから顔を背け、機嫌を損ねたことを態度で表している。…どうやらウェンリーの推測は当たっていたようだった。
≪ …変な狼だなあ…どこから来たんだろ?初めて見るけど…≫
「――ま、まあ…魔物じゃねえんなら放っといてもいっか。まだ先があるし、そろそろ行かねえと…」
微苦笑しながら立ち上がり、気を取り直して山頂を見上げたウェンリーは、じゃあな、と人に対してするように狼に言って立ち去ろうとした。ところが――
「おわっ!?」
着ていた服の裾をグイッと後ろから引っ張られ、ドタンッ、と見事に引っくり返った。
「な…なにすんだよっ!!…って、おま…狼のくせに、服引っ張るとかあり得ねえ!!」
その場に尻餅をついたウェンリーに構わず、銀の狼はスイッと移動すると、ウェンリーが手を付いたために手放したエアスピナーの上に、あろうことかドッカ、と腰を下ろした。
「………はああっ!!?」
そうしてウェンリーはこの目の前に座り込んだ、奇妙な銀色の狼に、長時間この場所で足止めを喰らう羽目になったのだった――
差し替え投稿中です。話数等おかしな部分がありますが、修正までご了承ください。