269 ドラゴンローシュ・ファンタズマ
神水で満たされた円柱容器からフォションを外へ出すことに成功したライでしたが、フォションは現実世界ではなく幻覚の世界を見ており、酷く怯えていました。それは発狂寸前にも見えるほどで、下手をすると命を絶ちかねないと思ったライは、なんとかしてフォションを助けようとします。しかしその時、フォションの身体から発せられていたエーテルの青光によって、ライもフォションの幻覚に引き摺り込まれてしまい…?
【 第二百六十九話 ドラゴンローシュ・ファンタズマ 】
「――来るぞ!!」
「チィ…っ!!」
手にある大剣を支えにして、フォションはふらつきながらもどうにか立ち上がり戦闘態勢を取ろうとする。
だがそれを見届ける前に、巨大な竜頭は動き始めた。
ズゴゴゴゴゴゴ…
地鳴りのような轟音が辺りに響き渡り、見る間に竜頭側の地面がボコボコ盛り上がると、そこから毒々しい赤色をした魔物が複数体現れたのだ。
それらは背に飛行するには不向きの小さな翼を生やしており、赤く光る蛇の眼を持った蜥蜴のような外見をしている。
直後今度はパカリと開いた竜頭の口から無数の飛行物体が吐き出され、羽音をパタパタ立てながら宙を覆い尽くさんばかりに舞い飛んだ。
それも一メートルに満たない小型の飛空魔物のようであったが、俺がはっきりと正体を確かめる前に蛇眼の蜥蜴が逸早く襲って来た。
ズザザザザザーッ
泥濘んだ地面を物ともせず秒の間に距離を詰められ、あっという間に攻撃射程まで入り込まれた俺は、魔物の動きに驚愕しながらも落ち着いて反応し、躊躇うことなく剣を振り上げる。
「気をつけろ、ライ・ラムサス!!そいつは――」
同じように魔物の襲撃を受けている、側で叫んだフォションの警告を最後まで聞く前に、俺はそのまま正面から向かってくる魔物を力一杯袈裟斬りにした。
ザンッ
至極当たり前のことだが、それは襲い来る魔物を一太刀の元に倒すのが目的であり、俺はそのつもりで力を込めて剣を振り下ろしたのだ。
ところがそこで想像だにしない事態が起きた。
『きゃああああっ!!!』
耳を劈くその悲惨な悲鳴と共に、身体から血しぶきを上げ倒れ込む魔物が、突然目の前で見覚えのある人の姿へと変わって行く。
『ど…うして…?…ラ、イ…――』
絶望に打ちひしがれる呟きを唱え、見慣れた赤色の髪がゆっくりゆっくり靡いて浮かぶと、アクアマリンのような薄いブルーの瞳が泣き濡れて悲しげに俺を見つめていた。
それが地面で体を跳ね事切れる瞬間、俺の喉がヒュッと言う奇妙な音を出し、頭の天辺からザアーッと血の気が引いて行くのを感じる。
ば、馬鹿な…
「リー、マ…――?」
――戦慄した俺の目に映っていたのは、リーマだった。
理由も聞けないまま一方的にもう会えないと別れを告げられたが、俺が生まれて初めて心の底から愛し、生涯唯一人の妻にと望んだ女。
もうあんなにも穏やかで幸せな日々は戻らないのだと、いくら自分に言い聞かせても未だ忘れることのできない…
…その彼女が、俺の振り下ろした剣によって絶命し、目の前で物言わぬ死体となり血溜まりの中に横たわっている。
生命活動は既に止まり、ゆっくりと開いて行く瞳孔から、凍り付いたように目を逸らせない。
俺の剣を握る手は意図せずカタカタ震え出し、なにが起きたのかわけがわからずにそこにある光景を見てただ慄いた。
「う、嘘だ…俺が斬ったのは魔物のはずで――違う、リーマのはずはない…俺がリーマを殺したりするはずは――」
「危ねえ、前を見ろッッ!!!」
「ハッ…」
再度耳に飛び込んで来たフォションの警告を聞き、ハッと我に返って顔を上げると、蛇眼の魔物が鋭い歯の並ぶ口を開け、俺に食らい付こうと至近距離にまで迫っていた。
ガアッ
「!!」
魔物がリーマに変わったことで動揺していた俺は回避が間に合わず、咄嗟に左腕をその口へ宛がって首筋への攻撃を防ぐことしかできなかった。
剣を握る右手で魔物の顔を必死に押さえ込むも、魔物は俺の左腕に深く噛みついており、容赦なく頭を左右に振って食い千切ろうとする。
「ぐうっ…!!」
くそっ、腕が…ッ!!
このままでは左腕を持って行かれる。そう思うのに、頭が混乱していた俺はギリギリと食い込む歯の痛みに顔を歪ませるだけで、なにもできず狼狽えた。
「馬鹿野郎ッ!!なんのための剣だ、さっさと殺せ!!!」
するとさっきまで怯えていたはずのフォションが相手をしていた魔物を全て薙ぎ倒すと、脇から素早く俺に食い付いていた魔物に大剣を振り上げる。
そのままフォションはまるで夢から覚めたばかりのようなスッキリした表情をして、その首を一気に叩き落としてくれたのだった。
ズガンッ
「フォション…!」
魔物は切り口から血を噴き出し、少しの間その場でバタバタ身体だけがのた打ち回っていたが、やがて腕に噛みついていた生首と共に霧散して消えて行った。
気付けば地面に横たわっていたリーマの亡骸もいつの間にか消えて跡形もない。
「はあ、はあ…どうなって――いや、そうか…」
あれは幻覚か…フォションが最初に警告しようとしていたのは、多分これのことだったんだ。
そうして俺はようやく今のが、〝魔物による悪質な幻覚〟であったことを理解した。
それは一分にも満たない短い時間の出来事に過ぎなかったが、あまりの悪夢に心は酷い衝撃を受け、まだ俺の手は小さく震えている。
そうだ…、こんなところにリーマがいるはずはない…わかっていたのにしてやられた。
「おい、大丈夫か!?」
「あ、ああ、すまん…あんたを助けるつもりでいたのに、情けないな…俺の方が助けられた。」
「そんなことはねえよ、おかげで俺も手の震えが止まった。こんな悍ましい場所でも一人じゃねえってのは、案外心強いモンなんだな。はは…」
頬の痩けた顔でそう言いながら、フォションは俺に苦笑いを浮かべる。しかし呑気に話している暇などないと言わんばかりに、すぐさま次の魔物が地面から再び湧き出した。
ボコボコボコンッボコボコ…
「見ろ、すぐまた次が来る…!!」
「チィッ!!おい、今のでわかっただろうが、ここの敵は弱みに付け込むような幻覚を見せて精神を疲弊させてくるから騙されんな!!それと空の小型の動きにも気をつけろ!!奴ら一定間隔で強力な魔法攻撃をして来やがるが、こいつは上を見てなくても地面に魔法陣が出た瞬間に回避すれば避けられる!!」
フォションにそう言われ上を見ると、飛空魔物は集団でグルグルと旋回しながら魔法を詠唱しているらしく、時折黒っぽい光を発していた。
「…まさかこの状況でしっかり情報収集をしているとは驚いた。あんたならS級にもなれるんじゃないか?」
「はっ、Sはそんなに甘くねえよ。まあこっから無事に帰れたら、次はそいつも視野に入れて努力してみるのはいいかもな。」
「ああ。」
そうして俺達は互いの目を見て頷き合い、あえて言葉には出さなくても暗黙の内に協力し、この場を乗り切ろうという意思を確認する。
ズゾゾゾゾゾゾ…
頭だけの化け物竜には屈しない。そんな思いを込めて俺が奥に浮かんでいる奴を睨みつけると、竜頭は怒りに震えたように身に纏う闇をさらに強く濃くした。
ギシャアアアッ
直後最初に湧き出した魔物から動き出し、それを皮切りに数十体もの敵が集団で狩りをする野生動物のようにぐるぐると移動して、獲物と定めた俺達を取り囲む。
俺とフォションはうっかり敵に背後を突かれないよう、互いに背中合わせで剣を構え、襲いかかってくる魔物から確実に仕留めて行く作戦を取ることにした。
…と言うよりも、対集団戦に有利な魔法の使えない俺達では、これしか対応策がないと言った方が正しいだろう。
「あんたと共闘するのはこれで二度目だが、どうも俺達は魔物に大歓迎を受ける境遇にあるらしいな…!」
「おう!普段なら稼げてラッキーって喜ぶとこなんだが、死骸も残さず消えちまうから骨折り損の草臥れ儲けっつうのが気に入らねえよな…!!」
「同感だ…!!」
――相手こそ魔物と人では異なるが、戦場で大剣を使うトゥレンとの連携に慣れていたことが幸いし、俺はどうにかフォションの攻撃主体での戦闘について行く。
それと言うのも俺達が所属している魔物駆除協会の規約で、有資格者同志の対面時に作戦を立てる間もなく魔物の集団や強敵と遭遇した際は、等級が上のハンターに従うことが定められているからだ。
今の俺とフォションもそうだが、格上守護者の救出に格下守護者が乱入した場合でもそれは暗黙の内に守られる。
これが同等級の場合は使う武器や普段担っている戦闘においての役割、個人のハンターランキングやパーティーの立ち位置などで、戦闘中であっても短時間で自然と決まって行く。
稀にそう言った定石について行けない(もしくは完全に無視する)ハンターもいるが、それは大抵経験不足の新人か身の程知らずの無謀者か、そうでなければソロで変異体以上の魔物を倒せるSランク級守護者だったりするのだ。
因みに規則で決まっていると言っても、戦況によっては目まぐるしく変わるし、戦いながら声を掛け合い、会話することで臨機応変に対応して行く必要はある。
――竜頭に喰われかけていた最初に見た時とは打って変わり、すっかり戦意を取り戻して立ち直ったらしいフォションは、護印柱の探索時と同じくAランク級守護者らしい頼りになる戦いぶりを発揮してくれる。
方々から代わる代わる飛びかかってくる蛇眼の魔物を強力な大剣技の薙ぎ払いで複数体一度にぶった切り、時折仕掛けられる幻覚にも惑わされずに凄い勢いで敵を蹴散らして行く。
対して俺は、威力で劣っても大剣より小回りの利く攻撃で、フォションが討ち漏らした魔物を確実に一体ずつ仕留めるよう心がけた。
「はあはあ、奴さん動かねえな…俺一人の時ゃあ早々にあの闇で絡め取られちまって、延々ただ甚振られて玩ばれてたんだが――どう思うよ…!?」
「はあはあ…そうなのか?」
徐々に息が上がって来る中、大量の配下を呼び出すだけで他にはなにもして来ない竜頭に違和感を覚える。
それは俺達などいつでも殺せると言う意思の表れなのか、ただこの状況を見て愉しんでいるだけなのか…
蛇眼の蜥蜴…背中にある翼擬きを見るに、中途半端だがひょっとすると竜の一種なのかもしれない、と思い始める。
あれに呼び出されたわりには行動に統率もへったくれもなく、どれも一撃で致命傷を負わせられ強くはない…言わば数が多いだけの単なる雑魚だ。
「目的は配下に殺らせると言うよりも、俺達を疲れさせることにあるんだろう…!なにか他に別の狙いがあるのかもしれないが、俺には想像も付かん…!!」
――そもそもここはどう言った場所なんだ?なんらかの要因で見ている幻覚の世界なのだろうが、頭だけの竜の存在などどんな話にも聞いたことがない。
«別の狙い、ねえ…»
大剣を振りながらライの考えを聞いていたフォションは、それはなぜライがここにいるのか、と言うことに関係があるような気がしていた。
襲い来る魔物を叩っ切りながら、俺はどうすればこの状況から抜け出せるかを脳内で模索する。
倒すのは容易でも、大量の雑魚を延々呼び出され続けてはいつまで経っても終わらないからだ。
「フォション!一応聞くが、なにか一つぐらい魔法石を持っていないか!?」
「一応って付けるぐらいなら聞くんじゃねえよ、見てわかんだろう…!」
…だろうな、あるなら疾っくに使っている。俺だってそうだ。
「そもそも俺は護印柱から戻った晩に、家に帰る間もなくここへ連れて来られてんだ…!あの日用意した魔法石は殆ど使っちまったって、あんたも知ってるだろ!?」
「なんだと…!?」
俺は驚いて目が丸くなる。
護印柱から戻った晩…?冗談だろう、あの日からもうどれだけ経ったと思っている…!?
――つまりフォションは現実世界で数ヶ月もの間、この幻覚の世界を生き延びていたということになる。
肉体の方は直後からあの状態にあったと考えて…エーテルには生命維持効果もあるということか?…でなければフォションがそんなにも長期間、飲まず食わずで生きられたはずはない。
ならばあの円柱容器に入れられていた人間達は、ただ幻覚を見ているだけで、肉体の生命活動は全て維持されているのではないだろうか。
そうなるとあそこがなにか特別な施設なのは間違いなさそうだが…収容した人間の意識を奪い、毒にもなり得る神水に浸けて生かしてあると仮定するなら、それはなんのためにだ…?
そんなことを考えた直後だ。
ブウンッ
俺とフォションの足下に、漆黒の魔法陣が出現する。
「漆黒の魔法陣!?」
「魔法攻撃が来るぞ、避けろッッ!!!」
カッ…
フォションの警告に従い蛇眼の魔物には構わず、ここは出現した魔法陣から逃れることを最優先に飛び退く。
すると魔法陣が現れた場所に黒く透けた柱のような影が伸び、そこに上空から五角形の物体が高速で落下して来た。
ドゴオンッ
それが空振りに終わると、魔法陣を避けて俺達が移動した先の足下にすぐさま同じ魔法陣が出現し、また黒い柱の影が伸びて行く。
そこに五角形の物体が高速で落下してくる…と言ったその魔法は、何度か同じことを繰り返すようで、完全に終わるまで俺達はそれを必死に回避した。
途中蛇眼の魔物が巻き込まれたこともあったが、その魔法には敵味方の区別がないのか、落ちて来た五角形の物体に目の前でぐしゃりと潰されている。
そんなことを十回ほど繰り返した後、ようやく魔法陣の出現は止まってくれたのだった。
「はあはあ、フォションあんた…良くこんなのを一人で回避し続けられたな…!」
魔法攻撃が止んでも、蛇眼の魔物は休んでくれない。再びすぐに囲まれてしまい、息苦しさに喘ぐ中でも、俺達は止まらずに戦い続けるしかなかった。
「はあはあ、いや…そんなことはねえぞ、何度かミスって見事に喰らったぜ?」
「は…?」
眼前の魔物に剣を突き刺しながら、意外な返事に目を見開く。
あの魔法攻撃を…喰らった?たった今目の前で魔物が押し潰されたのを見たのに、か?
俺はフォションが場を少しでも和まそうとして、てっきり冗談を言っているのだと思った。
「ははっ、その割にはどこも怪我をしている様子はないが――!」
汗だくになりながら、眼前の魔物の首を両手持ちにした剣の横切りで思いっきり吹っ飛ばす。
その俺の背後でフォションは魔物を蹴り飛ばし、それが蹌踉けた拍子に縦真っ二つに叩き切る。
「あんたの左腕と同じだよ…ッ!」
ドガガンッ
「左腕…!?」
俺はその時になって初めて気づいた。
そう言えば応急処置をする間すらなかったのに、いつの間にか痛みが消えて…
「だーッ、深く考えんな!!今はそれどころじゃねえだろ…ッッ!!!!」
――延々と湧き続ける蛇眼の魔物に、既に俺達は大分疲労が蓄積し始めていた。まだ口を利くだけの力は残っているが、それでも足を止めれば忽ち食い付かれてしまい、やはり敗北を免れないだろう。
「畜生…同じ轍を踏んでんぞ、ライ・ラムサス…!!」
「諦めるな!!!弱気になれば生き残れる確率は大幅に低下する!!俺はこんな場所に何ヶ月も長居をする気はない!!考えろ…!互いに無い知恵を絞れば、なにかここを抜け出す方法が見つかるかもしれないだろう!?」
「クソ…ッ!!!」
絶えず蛇眼の魔物を喚び出している闇の竜頭は、俺達から離れた後方で安全なところから高みの見物と洒落込んでいる。
それは俺達が疲れて動けなくなるのを待っているようにしか見えず、無性に腹が立ってきた。
――俺のライトニングソードで吹き飛んだ痕は元に戻らないか…つまり光属性の雷撃は、あのドデカい頭にもかなりのダメージを与えられるに違いない。
運的要素は必要だが、初撃くらい強力な攻撃を奴の額に何度かぶち込めれば、恐らく倒せないこともないはずだ。
せめて奴の方からこっちに近付いて来てくれれば、もう一度この魔石の力を解放することもできるんだが…!
念のためにと窮地になるまで使用は控え、俺はライトニングソードの魔石にまだ魔力を溜め込んでいる状態だ。
それはもうここまでの攻撃で十分に溜まっており、いつでも俺の意思で解放することは可能だった。
しかし肝心な竜頭との間は、倒しても一定数まで減ると呼び出される蛇眼の魔物が埋め尽くしており、俺から近付くには眼前の敵を排除して行くしか術がない。
それには魔石の力を解放し一気に殲滅できればいいのだが、そうすると折角竜頭に近付いても、今度はすぐに次の雷撃を放つことはできなくなってしまうという矛盾が生じる。
これを買った際の調整で変則的事象が発生するようになり、運が良ければ連続して魔法を放てたり、高威力に変化したりするという利点もあるとは聞いたが、さすがに博打の目をいかさまで狙うような裏技は存在しないだろう。
かと言ってトゥレンと窮地を脱する時のような、大剣使いに道を切り開かせる作戦は取れん…フォションは俺より遥かに体力も上だが、今はずっとこの幻覚内にいて精神的にも弱っている。
カルワリア司祭にあの話を提案された時、危険を承知で受けて俺が魔法を使えるようになっていれば…いや、せめてたった一つでもいい、強力な攻撃魔法の魔法石さえあればなんとか打開できるのに――!!
フォションには諦めるなと言ったものの、今の時点で俺自身、この魔物による防壁を突破できる具体的な策は思い浮かばず、ジリ貧状態になるのは目に見えていた。
これはまずい。――そんな思いが頭を過ったその時、それを見透かしているかのように竜頭が新たな動きを見せた。
ブウンッブウンブウンブウンブウンッ
「「!?」」
直前までと同じく蛇眼の魔物を新たに喚び出したのかと思いきや、それらの外見が闇に包まれて変化し、全て俺達の知人や親しい間柄にある人間の姿を取ったのだ。
「ライラ、ミハイル、スコット!?――くそっ、こいつは…!!」
イーヴ、トゥレン、ヨシュア…!!
「ああ、最低だな…!!」
――合計で二十人ほどに変化したその中には、イーヴとトゥレンにヨシュアの三人はもちろんのこと、ジャンやマリナ達子供の姿まである。
その上俺を最高潮にイラッとさせたのは、あの男…エヴァンニュ国王ロバムとイサベナ王妃、シャールにクロムバーズ・キャンデルまでもがいたことだった。
俺達の記憶から知り合いの姿を模倣させたようだが、今度はリーマの姿がない…先程幻覚だと言うことを見破ったせいなのか?
それ以外にも俺の中で最も大きな存在である養父レインや孤児院時代の兄弟達に、ルーファスやペルラ王女など一部の人間の姿は何故だか見えなかった。
イーヴ達三人は武器を装備しているが、まだ抜いていない…しかし根無し草の面々は、フォションに対し各々の武器を構えているな…この差はなんだ?
フォションの側には根無し草のヴァレッタを除くメンバーの他に家族らしき中年男女と、フォションの年令に近い友人らしき複数人がいるようだ。
そのどれも外見はともかくとして、元の素体は蛇眼の魔物だろうから倒すのに左程苦労はしないと思うが、悪趣味すぎて到底気分の良い物ではない。
「あの化け物は余程俺達を疲弊させたいらしい。」
「だな、腸が煮えくり返る気分だぜ。」
このパターンは初めてなのか、長期間ここにいたさすがのフォションも表情に翳りが見えている。
ならば当然だろう、俺もついさっき魔物がリーマの姿に変わったのを見て動揺し、平静を取り戻すのに少しの時間が必要だったぐらいだ。
それでもどんなに外見を変えたところで、正体が魔物なら魔物は魔物だ。そのことを念頭に置いて気をしっかりと持ち、集中して見えるものに惑わされなければ問題はないはずだ。…そう思い、これまでと同じように落ち着いて戦おうとした。
「仕方ねえ…やるぞ!!」
「…ああ!!」
ところが俺達はすぐにその考えが甘かったことを知る。あの竜頭は見かけの悍ましさ通り、予想を超えてやることもかなり悪辣だったのだ。
――イーヴ、トゥレン、ヨシュア…これが本物でないことはわかり切っているが、それでもこの三人が敵だと思うのは心に来るものがある。
実際にはあり得ないと理解しているだけに、どうしても攻撃するのに躊躇いが生じる…ここは現実でも敵対関係にあるイサベナ王妃とクロムバーズから倒させて貰おう。
リーマの時に驚かされたが、魔物は本人の声までそっくり真似ていた。それだけに断末魔の悲鳴を聞くのはさすがに精神的なダメージが大きい。
ならば少しでも抵抗のない相手からと思い、先ずはなんの武器も持っていないイサベナ王妃とシャールに向かって剣を振り上げる。
するとその瞬間、すぐ側にいたイーヴ姿の魔物がいきなり諫める声を上げてきた。
『いけません!!おやめください、ライ様!!』
「!?」
聞き慣れたイーヴのその声に、反射的に身体の方が勝手な反応をしてしまい、意図せず剣を振り上げていた腕が固まる。
『イサベナ王妃に殺意を抱くお気持ちはわかりますが、ここでその手を下されてはもう取り返しが付きません!!どうか今一度お考え直しを…!!!』
「な…――」
なんだと…?
愕然とする俺に真っ向からそう続けたのは、イーヴの傍らに立つトゥレンだ。それはまるで、城での普段のやり取りを完全に再現したかのようだった。
いつもそうであったように、俺を憂う必死な表情で俺の行いを制止する二人の姿に、単に姿形と声を真似ただけではあり得ない事態を感じ、その一瞬だけで俺の頭は混乱状態に陥った。
姿と声を再現しているだけはない…気質や性格、俺との詳細な関係性まで反映されている…?――魔物にこんなことが可能なのか…!?
直後イサベナ王妃が金切り声で目を剥き、どこから出したのか、城で良く手に持っていた見覚えのある扇子を突き出すようにして俺を責め始めた。
『この盗人が…遂にその本性を現したか、ライ・ラムサス!!王位に興味などない振りをして、やはりその実わらわとシャールが邪魔であったのだな!?孤児院育ちの穢れた血族め…!!』
「…!!」
『そうだそうだ!!僕はお前を異母兄などとは決して認めないからな!!父上がなんと仰ろうと、王太子はこの僕だ!!今に見ていろ、いつか必ず僕の手で殺してやる…!!!』
イサベナ王妃の罵る声に賛同し、追い打ちをかけるように続いて異母弟シャールが捲し立てた。
シャールとは暫く顔を突き合わせていないが、その後も間違いなく本人でも同じことを言うだろうと思う暴言を吐き続け、母子二人から強い殺意と憎悪の籠もった目で睨まれる。
俺はそれが魔物の罠であるとわかっていたのに、現実と同じように罵倒され続けたことに我慢の限界が来てカッとなり、これまで胸の内に鬱積していたものが噴き出すようにして反応してしまった。
それこそが敵の思う壺であったのに、だ。
「黙って聞いていれば…ふざけるな!!王位などという俺にとってはどうでもいいもののために、人の命を執拗に狙い続けているのはおまえ達の方だろう!!!」
今でこそ完全に敵だと見做しているが、これでも俺にはあの男が母を殺したという事実を知る(思い出す)まで、僅かでも継母と異母弟に受け入れられるよう努力をするつもりでいた時期があった。
だがこの二人は幼かった当時の俺に一切の非がないことを知りながら、最初から暗殺するという選択肢以外を全て排除していた。
そんな連中と家族として向き合おうと思ったのが大きな間違いだったと思い知るには、殆ど時間はかからなかった。
「エヴァンニュに来て以降、おまえ達はずっとそうだ…!!俺は一度だとてその座を望んだことはないのに、俺の意思などお構いなしに逆恨みして、いつまでも俺を殺すことに執着している…!!!」
それを皮切りに理性が効かなくなり、俺は腹の底から沸き上がってくる怒りで感情が支配され、彼らの横に立っていたあの男に本心からの憎悪を向けた。
「どれもこれも全ては貴様のせいだ、ロバム王…!!!貴様のせいで俺はこの二人に命を狙われ続け、残された唯一の家族にも二度と会えぬまま、永遠に失うことになったんだ…ッッ!!!」
『ライ…!!私は私なりにその老人には手厚い支援を行って来た!!そなたはベルティナとの間に儲けた、我が国の正当な王位継承者である第一王子なのだ!!不幸な境遇から国を離れていても、帰国した以上王族としての責務を果たさねばならぬのは当然であろう!!』
「うるさい、黙れ黙れ黙れッ!!!俺は貴様を実の父親だなどと絶対に認めん…!!!俺の父親は血の繋がりなどなくても、心からの愛情を注いで育ててくれた〝レインフォルス・ブラッドホーク〟ただ一人だけだッ!!!」
――俺はロバム王に化けた魔物へ剣の切っ先を向けながら、自分の身体が憎悪という黒い炎に炙られてカアッと熱くなるのを感じていた。
対して脳は冷静になるよう命令を下しているのに、負の感情が噴き出し、黒い闇と化して纏わりついてそれを強く阻害している。
違う…これは本物のあの男ではない、魔物なんだ…!頭を冷やせ、ライ・ラムサス!!
俺は自分で自分にその言葉を何度も反芻して言い聞かせようとした。だがイサベナ王妃とシャール、ロバム王の責め立てる声は益々激しくなるばかりで、そんな僅かな思考さえも奪われて行く。
この時点で俺は、既に悍ましき竜頭の術中に嵌まってしまっていたのだ。
そしてその状態から脱することができないまま、今度はクロムバーズ・キャンデルに想定外のトドメを刺されることになる。
『くっくっくっ、好い様だな…ライ・ラムサス。憲兵所の地下から助け出されたからと言って、このしがらみから逃れられると本気で思っていたのか?』
「クロムバーズ、貴様…!!」
もう既にこいつにやられた拷問の傷は全て癒えたのに…痕すら残っていない折れられた肋骨や、しこたま蹴られた腹が疼く…!!
先ずはこいつから殺してやる…!!!
『剥き出しの殺意が見事だな。そうだ、そうやって俺を憎め。俺も貴様が憎い…憎くて憎くて何度甚振っても気が済まなかったほどだ。だがああ…その前に折角の機会だ、一つ俺様が伝え忘れた貴様の知らぬ〝真実〟を教えてやろう。』
「なに…?」
俺はこのクロムバーズが魔物であるということも頭から消え、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべるその顔に、こいつが本物であるような錯覚を起こした。
『ロバム国王陛下はな、貴様に女がいることなど疾うに御存知だぞ。』
な…
その言葉を聞いた途端に足下の地面が消え失せ、深い闇の底へ落ちて行くような感覚に襲われた。
『いや、今となっては〝いた〟と過去形で言うべきか…まあどっちでもいいが、それが下町の酒場で卑しい踊り子なぞをしている、金目当ての孤児だと言うことも調べてわかっておられる。何故なら、貴様の女を脅して別れるように仕向けたのは、誰あろう国王陛下だからだ。』
「…!?」
『しかも陛下御自身が密かに女の元を訪れ、忠告に従って貴様と別れなければ、女本人ではなく周囲の人間から一人一人始末すると脅され、女は泣く泣く貴様に別れを告げることにした、と言うわけだ。傑作だろう?ハハハハッ』
リーマが…脅されていた…?あの男に…?
だがそれはおかしいとすぐに気づいた。
「嘘を吐くな…!!あの男は俺が憲兵所に捕らわれていた時点でも、まだ意識不明で臥せっていたはずだ!!それなのにどうしてリーマに会いに行ける!?確かにあの男が知ればやりかねない事ではあるが、貴様の嘘には騙されんぞ…!!!」
正面から俺がそう言って反論すると、クロムバーズは憲兵所でも何度か見たように腹を抱えて爆笑し、ヒーヒー言いながら笑い転げる。
『はあはあ、あー、笑わせてくれる…どこまでも馬鹿な奴だ。実父とは認めない、などと言っても結局のところ甘い甘い。そもそも貴様の国王陛下暗殺未遂事件は、陛下が企まれた自作自演なのだぞ?』
「……な…ん、だと――…?」
『そうとも知らず貴様は濡れ衣を着せられ、あんな目に遭わされたのだ。嘘だと思うなら双壁に尋ねてみるがいいさ!!イーヴ・ウェルゼンなどは早くに気づいていたようだからな…!!アハハハハハッ』
――イーヴ達に…?
その後も笑い続けるクロムバーズの声が、耳障りに脳内にまで飛び込んで来ては頭の中で木霊する。
ガアンガアンとドラを叩くような打音が頭にこびり付き、俺はもうまともな思考を保てなくなっていた。
その衝撃と混乱を煽るように、イーヴとトゥレンは俺を諫め続け、イサベナ王妃とシャールは罵声を浴びせ続ける。
あの男は王族のなんたるかを滔々と喋り出し、ジャンは泣きわめくマリナ達を落ち着かせようと慌て、クロムバーズの笑い声はけたたましく響いていた。
そもそも魔法を使えない俺のような人間は、精神系攻撃魔法に対してもそれほどの耐久値を有していない。
それが延々と続く雑魚との戦闘で肉体的にも疲れ始めており、集中力が途切れかけていたところで、今度は上空の飛空魔物による神経をすり減らすような回避行動が必要な連続魔法を仕掛けられた。
つまりこれらの攻撃は、このためにあった前準備の様なものだったのだ。
そうとも知らず、俺は所詮蛇眼の魔物が外見を変えただけ、と侮り、慎重さに欠いて不用意にもさっさと倒そうと動いてしまった。
結果、イーヴの模倣された声に無防備な状態で先制攻撃(物理的なものではなく、精神的なもの)を仕掛けられ、瞬時に肉体の主導権まで弱められる羽目になっていたと言うわけだ。
もしそのことに気付いたところで、既に術中に嵌まり込んでいた俺にはもうどうすることもできなかっただろうが、それは一緒にいたフォションの方も同様だった。
――ゴウンゴウンという、大きな音を発する駆動機器へと直接耳を当てがっているような周囲からの騒音に、「もうやめろ!!!」、と叫んだ時には『あれ』が目の前に迫っていた。
「ぐっ…なんだこの臭いは…!!」
俺が混乱から覚めてようやく正気に返ったのは、その吐き気を催す悪臭が噎せ返るほど鼻を突き、気分が悪くなって嘔吐きそうになったからだ。
「はっ…」
ズオオオオオオオ…
我に返るといつの間にこれほど近付かれたのか、あの片方だけの龍眼が至近距離で俺の顔を覗き込んでいた。
なんだ…どうなっている!?――しまった、動けない…ッ!!!
すぐさま攻撃しようと腕を動かしてみたが、俺の身体は竜頭の闇に捕縛されて宙に浮いており、完全に身動きが取れなくなっている。
おまけに何故か顔までがっちりと正面を向くように固定され、一緒にいたはずのフォションがどうなっているのかを確かめることすらできなかった。
「フォション!!フォション、返事をしろ!!!無事か!?」
俺が捕らわれているなら、フォションはどうなったんだ…!?まさかやられたのか…!?
俺が陥っていたこの状況は、正に俺がここへ入り込んだ時に見た、フォションの状況と近いものだった。
なぜ…いつの間にこうなった!?イーヴ達に変化した魔物は…?幻覚でも見ていたのか??
だとしたら、一体いつから…どの時点からだ!?わけがわからん…!!
『マだ、折レヌ、カ…忌々、シイ――』
ぎくりとする、その耳の天井部を撫でられたようなゾッとする声は、この世界全体から降って来るように聞こえて来た。
「な…、だ、誰だ…!?」
この声は…どこかで――
それは直近で聞いた覚えのある声でもあり、背中に冷水を浴びせられたように全身の毛をぞわぞわと総毛立たせた。
『奴ラ、の目ヲ、盗ミ、鍵ヲ使ッ、てヨウ、ヤク呼ビ、寄セた。ソノ、〝あすとらるそーま〟ニ、突キ刺さっタ、〝欠片〟ヲ、寄、越セ…!!』
「欠片…!?」
〝あすとらるそーま〟とはなんだ?〝突き刺さった欠片〟とは…いや、それよりも今、ようやく呼び寄せた、と言わなかったか…!?
『ソレ、は、我ノ、モノだ…返セ…ライ…、ラム、サス…!!!』
「!」
〝…ライ、ラム…、サス…〟
この声は…!!
途切れ途切れに名を呼ばれたその時、俺はこの声をどこで聞いたのか思い出した。最初はカエルレウム宮の図書室で、次は俺が滞在している客室で、最後はフォションの入れられていた円柱容器の前でだった。
腐肉と白面で覆われているその顔に、言葉を発して動いているような節は見られない。
だがここへ来る直前に俺の胸で紫色の光が輝いたことと、その『欠片』という言葉にいつかどこかで聞いた覚えのあることが、突然頭の中でカチリと繋がったように感じて俺は目の前の巨大な龍眼を見た。
「俺を呼んだのは…フォションの魂ではなく、おまえか…!おまえがフォションの元へ俺を呼び寄せたんだな…!?」
――瞬間、竜頭は僅かに目を細め、ニタリと眼だけで嗤ったように見えた。
どういうことだ…?ここは幻覚の世界なのだろう…?
幻覚の世界の存在が、現実の世界の俺を罠に嵌めて、円柱容器に浸されていたフォションの元へ呼び寄せた…そんなことがあるのか?
だがよくよく考えてみれば、三度聞いた声はフォションの物と違っていた。ヴァレッタの名前を出されたことで、俺が勝手にフォションの声だと思い込んでいただけだ…!!
『ココは、我ガ支配、スル領域、ダ…奴、モ、今は眠ッテ、いル…助ケハ、来、ナイゾ…!』
「!!」
『サ、ア…ソレ、を、寄、越セ…!!!ソノ胸ニアル、欠片、ヲ――!!!!』
――なんだ…一体こいつはなにを言っている…!?
〝欠片〟とはなんなんだ…!!
ブワッ…
竜頭がその龍眼を大きく見開き、俺を見据えて全身を麻痺させる。
俺が指一本動かせなくなった状態を見て、竜頭の顔面を覆う無数の白面は各所でケタケタと笑い声を上げ始めた。
『お前も我らの仲間入りだ…!』
『その魂を邪龍マレフィクスへ捧げよ…!』
『殺せ、殺せ、殺せ、殺せ…!!』
『キャハハハハハハハハハ!!!!』
冗談じゃない、こんなところで…!!!
俺を捕縛している闇の一部が鞭のようにシュルルル、と撓ると、その先端を鋭く尖らせてヒュンッと空を斬り、俺の心臓部を目掛けて放たれた。
ドスッ
「ぐあああッ!!!!」
本来であればその一撃で即死するはずだろう。それが不思議なことに凄まじい激痛はあれど、俺の意識は保たれており、それだけでは死に至らなかった。
心臓部に突き刺さった闇は俺の体内へと入り込み、頻りにその辺りを弄っているような動きをする。
そのあまりの悍ましさに吐き気を催し、酷い耳鳴りと激しい眩暈に襲われた。
「やめろ…やめてくれ…!!!あああああああ――ッッ!!!」
その叫び声は、俺の前でフォションが上げていたものと殆ど変わらなかった。
「――そこまでだ。」
ヒュッ…
苦痛に喘ぎ、涙目にある俺の目に、チカッ、となにかの光が飛び込んでくる。
直後空を斬る音と共に、それが緩い曲線の残像を描いて上から下へ過ぎ去ると、真っ黒く俺の視界を覆い始めていた闇がババババッと霧散して弾き飛ばされた。
俺はその衝撃でいきなり自由になり宙へと投げ出されるも、黒灰色の透けた球体に包まれてそっと地面に降ろされた。
「く…う、うう…っ」
心臓部に突き刺さった闇は、その先端を俺の身体に残して切断されており、俺はそれを震える両手で掴むと一気に引き抜く。
ズッ
「ぐああっ!!」
激しい痛みこそあれど目に見える物理的な負傷はなく、穴も空いていなければ一切の出血もなかった。
「あ、ああ…」
ただズキン、ズキン、と強く波打つ痛みだけに苦しめられる。
«…フォ、フォション…»
フォションはすぐ側の地面に倒れていたが、気を失っているのか全く動かない。
俺は自分がどうして解放されたのか困惑するも、竜頭の前で宙に浮くその人物の後ろ姿に大きく目を見開いた。
黒髪…!!
風に靡く長い腰ぐらいの漆黒髪に、ケルベロスの信者が身に着けている青色の教団服。
クルンやカエルレウム宮で良く見かけるストレーガが着ているものとは少し異なるようだが、騎士服のような形の外套に腰から下の巻き布には、戦闘での動きを妨げないように数本の切れ込みが入っていた。
そしてなによりも俺の目を引いたのは、その手にあった二本の中剣だ。
片方は見た目も形状も禍々しい雰囲気で、鮮血を纏った漆黒剣のように見え、もう片方はそれとは対照的に薄らと青白い光を放つ、聖光に輝くような剣だった。
どちらも目にしただけでわかる、一般では決してお目にかかることはない相当特殊な武器だろう。
あの男性…初日にカエルレウム宮の回廊で見かけた…?
まだ麻痺させられた後遺症が残り思うように動けない中、俺は身体を引き摺ってフォションの元へ行き無事を確かめると、どうやら俺を助けてくれたと思しきその男性の後ろ姿を見上げた。
ケルベロスの関係者なのだろうが…誰だろう?クルンに頼まれたか、ナトゥールスの命で助けに来てくれたのか…あの施設も教団の物なのだからそれも不思議はないのかもしれんが、素直に礼を言う気にはなれんな。
「死に損ないの亡霊が…」
『キ、貴様ハ…!』
「もう少し役に立つかと放っておいたが、所詮邪龍は邪龍だな。――もう用はない、消えろ。」
ブウオンッ
その男がなにを言っているのかは聞こえなかったが、この世界の空気が恐怖に震えたことで、あの竜頭が怯えているらしいことだけは伝わって来た。
そして俺は男の、神懸かり的で圧倒的な強さを目撃する。
男は魔法を唱えたような節すら見えなかったのに、巨大な竜頭をすっぽりと包むような黒灰色の檻の中に閉じ込めると、それを少しずつ縮小して行き、外側から腐肉ごと頭蓋骨を圧縮し始めた。
それは段階を踏んで骨を砕きながら竜頭を見る間に押し潰すと、僅か一分にも満たない時間で完全に消滅させてしまったのだ。
それは俺の目から見て魔法には見えず、なにかもっと別の攻撃手段だったように思えた。
――あの竜頭をなにもさせずに一瞬で…
こんな男がケルベロスにはいるのかと、恐ろしくなる。大袈裟でもなんでもなく、あんな力を人里で使われたら、普通の人間には為す術もないだろうからだ。
ゴゴ…ゴゴゴゴゴゴゴ…
「!?…今度はなんだ!!」
男の強さに驚愕し、呆然としていると、突然大地が揺れ始めて徐々に地鳴りが酷くなって行く。
「この世界の主は消えた、ここもすぐに消滅する。」
その言葉と共に地上へ降りてきた黒髪の男は、気絶しているフォションを介抱する俺の前に立った。
え…なん…
「助けに来るのが遅くなってすまなかった。」
「な…――」
至極冷静な落ち着いた声でそう言った男の顔を見て、俺はあまりのことに驚き声を失う。
俺と同じ漆黒の髪に淡々とした表情の、感情の変化に乏しい宵闇のような紫紺の瞳。
俺の知るその人には全く似つかわしくないケルベロスの教団服が、これはきっとなにかの間違いで俺はまだ幻覚を見ているのだと思わせた。
「――…レ、イン…?」
愕然とする俺の目の前に立っていたのは、紛れもなく俺の養父である『レインフォルス・ブラッドホーク』だった。
次回、仕上がり次第アップします。いつも読んで頂き、ありがとうございます!!




