262 カルト教団ケルベロス ①
ケルベロスの教祖アクリュースの提案を受け、暫くこの地に留まることにしたライは、カルト教団だと聞いていたケルベロスとその本拠地マギアピリエを積極的に見て回りますが…?
【 第二百六十二話 カルト教団ケルベロス ① 】
――カルト教団ケルベロスの本拠地であり、魔法国カルバラーサの法都マギアピリエに俺が誘拐されるような形で来て二日が経った。
今日は初日にナトゥールスの言っていた、ティトレイの願いである『失明した左目』と『事故で失った左足』が治るかもしれないと言う日だ。
俺は自身が魔法を使えないこともあってそこまで詳しくはないのだが、世間一般に知られている程度の知識でも、普通の治癒魔法ではティトレイの目や足が治らないことぐらいは知っている。
それでももし本当に元に戻せるとしたのなら、それは確かに『奇蹟』と呼べる所業に等しいだろう。
だからこそ俺はこのことに強い関心を持っている。
俺が過去にこの目で治癒魔法を見たのは数えるほどしかない。その中でも民間の治癒魔法士とは桁違いの魔法を使う人物を二人知っている。
一人は俺の命を救ってくれた、Sランク級守護者である『ルーファス』。もう一人は〝聖女〟と呼ばれるシェナハーンの王妹、『ペルラ王女』だ。
だがそのペルラ王女でも、負傷してから年月の経過したティトレイの目と欠損した左足を治すことはできないと言っていた。
治癒魔法は使い手に備わる力量によって効果にも大きな差が出るらしいが、〝時間を遡っての治療〟と〝失われた部位の復活〟は不可能と言うことは共通しているようだ。
それでもナトゥールスは、あの二人に並ぶ…もしくはそれを越えるほどの力を持っていると言うことなのか、今日それを知ることができればジャンに関しても大きな判断材料になりそうだと思っている。
ただこのことは、俺がここにいる理由としてこじつけている感を拭えない。
教祖アクリュースであり、国家元首スプレムスでもあるナトゥールスからは、未だなんの用があるのかと言うことと、会いたがっていた理由を聞くことができていないからだ。
エヴァンニュ王国で極刑に値する犯罪者として憲兵所の地下牢に捕らわれていた俺は、今身の置き所がない状況にあり、ナトゥールスにケルベロスという教団とカルバラーサという国を隅々まで知って欲しいと言われたのをいいことに、ただ流されているだけのような状態だ。
とりあえず一週間だけ、とは思っているものの…それまで本当にこのままここにいていいのか、時間が経つにつれ迷い始めている。
コンコン…ガチャッ
「おはようございます、オド様。」
「ああ、おはようクルン。」
午前八時。クルンが既に起きて着替えを済ませておいた俺を呼びに来た。
ナトゥールスの要望で三食の内、日に一度は食事を共にすることになり、今日は朝食へ付き合うことにしたためだ。
考えてみれば俺がその要望に応じているというのも妙な話だ。俺は実父だと言うロバム王とも精々一、二度しか食事を共にしたことがない。
それなのに顔が母上そっくりだというだけでどこか情に絆され、良く知りもしないのにナトゥールスとは食事を共にしても抵抗感がまるでなかった。
«――こう言った俺の感情や行動も、実は知らない内に魔法をかけられているのかもしれないと疑いたくなるな。
だが疑いたくはなるのに、強い疑心は生じていない…俺は今、それほどまでに精神的に追い詰められ、弱っているとでも言うのだろうか。認めたくはないが…»
カエルレウム宮に宛がわれた部屋を出て、雑談をしながらクルンと並び回廊を歩いて行く。
ここから別の場所へ移動するには、ナトゥールスに贈られた『グルータバングル』に新たに嵌められた金色の宝石『ポータルストーン』を使う必要がある。
この宝石はここへ来た日の翌朝に渡された物で、世間に広く出回っている『魔法石』とは異なり、魔法を使えない俺のためにナトゥールスが用意してくれた特別な物だと聞いている。
おまけにこれがあると、カルワリア司祭のような幹部信者しか入れない場所にも行くことができ、一般信徒には見つけられない『秘匿転送陣』も探し当てることが可能だと言う。
つまりナトゥールスは、本当に俺がこのマギアピリエの〝どこへでも〟行けるように手配してくれたのだ。
それでもその言葉を安易に信用できなかった俺は、昨日一日法都内を歩き回り、様々な場所へこれを使って行ってみた。
その中には俺が入れてもクルンは入れないという場所もあり、入ったと同時にそこで見た物全てについて一切口外しないよう魔法で誓わされた研究所などもあった。
俺はまだこの法都の隅々まで見て回ったわけではないが、こうまで自由を許されれば少しは考える。
ナトゥールスは本気で、俺にどこのなにを見られても構わないと思っているのではないか、と。
もしそうならなぜそうまで俺にできるのか、と言う疑問が湧いてくる。
初めは魔法も使えない俺程度の人間に、教団内のなにを知られた所で困ることなどない、という意味かと思っていた。
だが国家機密に関わるような場所へ入ると、きちんと誓約魔法で機密保持を誓わされるところを見るに、そういうわけではないらしいと気がついた。
ならば俺と言う人間をそこまで信用していると言うことなのか?なにを根拠にして?――いや、それもなにか違うような気がする。
そしてそれがなにか違うような気がするからこそ、俺は一層不気味に感じて仕方なかった。
「オド様、今日は朝食の後どうなさいますか?」
回廊北の突き当たりにある壁前まで来ると、腕輪のポータルストーンが輝いて反応を示し、足元に直径一メートルほどの魔法陣が出現する。
「そうだな…昨日回ったのとは別の地区を見て回りたい所だが、今日は宵の間で行われるナトゥールスの〝御業〟と言うのを見せて貰うつもりなんだ。」
それに俺とクルンの二人が同時に触れるとポータルストーンがさらに輝いて、俺達を別の場所へと運んでくれる。――これが上下階を繋ぐ階段のない、このカエルレウム宮での主な階層移動手段だ。
「はい、ティトレイ・リーグズ信徒の『成就の儀<テリオスクルム>』ですね。オド様の本日のご予定としてアクリュース様から伺っています。」
「テリオ…?」
今の俺達の移動先はナトゥールスの私的区域で、そこにある食堂へと向かっているのだが、この区域はナトゥールスの許可なく使用人でさえ決して足を踏み入れられないように、かなり強固な魔法障壁が張られているらしい。
「〝成就の儀〟という意味の『テリオスクルム』です。アクリュース様が信徒の願いを叶えるために、宵の間で奇蹟を行われる儀式のことをそう呼びます。テリオスクルムは日に一度しか行われず、困難な願いほど準備に時間を要します。リーグズ信徒のテリオスクルムが今日行われ、アルケー信徒の儀が七日後と決められたのはそれが理由なんです。」
「…なるほど。」
教祖の『奇蹟』に『儀式』か…いかにも宗教団体らしいな。
「聞きたいんだが…そう言った願いはケルベロスの信徒なら、必ず誰でも叶えて貰えるものなのか?」
「いいえ、まさか。教団の未来に関わるほどの多大な貢献を成した者や、アクリュース様からの依頼を完遂した者に限ります。――今回リーグズ信徒とアルケー信徒は、エヴァンニュ王国からオド様をアクリュース様の御元へお連れすると言う、非常に困難な目的を成し遂げたのでテリオスクルムを行って頂けるんですよ。」
俺をここへ連れて来る、か…確かに〝非常に困難な目的〟ではあったか。あんなことがなければ俺の傍からイーヴ達が離れていることはまずあり得なかっただろうし、上手く騙されたとしても俺が単身エヴァンニュから出られる可能性は皆無だったろう。
そうでなくとも動けないほどの怪我を負っていなければ、ケルベロスの名を出されただけで俺は間違いなく抵抗していたはずだ。
それにあの馬車で運ばれている最中でも、隙を見て逃げようと思えばいくらでも逃げられたかもしれない。
偶々あの時はなぜか俺にその気が起きなかっただけだからだ。
「そう言えばここへ来るまでティトレイ達と一緒にいた、アイゼンシルトという男と他の男女数人はどうなったんだ?」
「アイゼン…ああ、元賞金稼ぎの男性ですね。彼らの願いはみんな一緒で、マギアピリエの在住権と魔法国カルバラーサに帰化することでしたから、既に手続きも済んで法都のどこかにいるはずです。」
「生まれ育った国を捨て、カルバラーサの民になることを望んだのか…意外な願いだったんだな。国籍はともかく、法都の在住権を得るというのはそんなに難しいことなのか?」
「もちろんです。そもそもカルバラーサは法都を避けて国内を通り抜けることは容易でも、ここへ入ることが許される人間は本当に限られているんです。でもだからこそここの住人は、外から来る人を気にせず幸せに暮らせているんですよ。」
「………」
つまり悪く言えば、〝選ばれた者〟以外は徹底的に閉め出される、と言うことだな。
なにを基準に選んでいるのかにもよるが…少なくとも俺はそう言った考えはあまり好きではない。
どんな理由があるにせよ、見える部分が良ければ良いほど、隠された裏側にあるのは、目を背けたくなるほどに醜悪であることの方が多いからだ。
選定基準の一つは教団への貢献度と教祖の依頼完遂だな。それがどんなことであっても、脛に傷を持つ者同士なら受け入れられないこともない、と言うことか。
それにしては安穏としてい過ぎるような気もする。
国というのはバランスが大事だ。生活に困らず争いごとのない暮らしはなによりの理想だが、人間という生き物が善と悪の二面性を持つ以上、完璧なものはあり得ない。
だからこそこのマギアピリエにも、必ずどこかに闇の部分があるはずなんだが…
「!」
ぞわっ
「く…っ」
――食堂に近い廊下を歩いていると、扉が見えて来た所で〝あの感覚〟に襲われて全身が総毛立つ。
最初にカエルレウム宮へ通された時、身体の中をなにかが通り抜けて行ったような、あの悍ましい感覚のことだ。
「大丈夫ですか?オド様。」
この感覚がなんなのかは後になってわかったのだが、このカエルレウム宮に張られている魔法障壁を通過する際に、俺の身体が過剰な反応を示しているせいなのだそうだ。
「ああ。――何度経験してもこの魔法障壁を潜る際に、魔力が身体を通過する感覚と言うのには慣れそうにないな。」
服の袖を捲ってみると、細かなブツブツが鳥肌となってびっしりと腕に浮き上がっていた。
「うわ、今日も鳥肌が凄いですね…普通そこまでにはならないのですが、オド様はきっとここの障壁の魔力に敏感なんですね。」
「魔法も使えないのにか?毎回障壁を通る度にこれでは、ただ不快なだけじゃないか。」
「うーん…ちょっと僕の方でどうにかできないか方法を探してみます。」
「いや、なにもそこまでする必要はないと思うが…」
「いえ、大事なことですよ!オド様のためですから!!」
「はは、そうか。まあそこはクルンに任せるよ。」
「はい!」
クルンは初めこそかなりしっかりした子供だと思っていたが、俺が慣れてくるにつれ年相応の顔を良く見せてくれるようになった。
そんなクルンと一日中過ごしていると、やはりジャンのことを思い出して辛くなってしまうが、反面その悲しみをクルンの笑顔で癒されているようにも感じる。
本当にジャンが生き返ってくれるならどんなにいいだろう。
まだ俺が教えてやれることはたくさんあったと思うのに…
――そんなやり取りの後食堂へ着くと、クルンが俺の前へ出て先に扉をノックしてから開いた。
「失礼します。――おはようございます、アクリュース様。オド様をこちらへご案内しました。」
クルンはその一瞬で特級ストレーガの顔になると、既にテーブルに着いているナトゥールスへ会釈をし、俺を通してから扉を閉めて下がって行く。
この先はナトゥールスの要望で、完全に俺と彼女二人のみの朝食を取るからだ。
「おはようございます、オド。」
「ああ、おはよう。」
ナトゥールスと食事を取るのはこれで二度目だが、彼女はいつも心から嬉しそうに俺を見て微笑む。
「………」
その度に俺は母そっくりの顔に戸惑ってなんとも言えない気分になり、胸の中にもやもやっとしたすっきりしない感情が溜まっていく感じがしている。
本当になにを考えているのか…
左程大きくないダイニングテーブルに、出来立ての朝食が並べられている。今朝のメニューはスクランブルエッグにボア肉のソーセージと、ファーディア産の紅茶に新鮮な野菜サラダ、そして焼きたての丸パンだ。
ここへ来てから俺に出されている料理は、エヴァンニュの王城と違って比較的質素だ。
これは不満があるというわけでなく、寧ろ感心していた。あの男のところではいつも食べきれないほどの贅沢な料理を大量に出され、食い物を無駄にするなと紅翼の宮殿勤めの料理人にイーヴを通じて文句を言っていたからだ。
椅子に腰を下ろして皿の料理をじっと見る。
――まさかとは思うが…このボア肉のソーセージが、俺の好物だと知っていて出してきたわけではないだろうな…?
そう不審に思いながらナトゥールスを一瞥するも、彼女は静かに紅茶を啜っている。
考えすぎか…
「昨日は精力的に技術地区を見学して回られたそうですが、如何でしたか?」
「え?ああ…そうだな、魔法石の作成法や魔道具を作っているところなんかを見られて、中々面白かった。さすがはカルバラーサだな…どの技術者を見ても全員が全員、非常に優秀だと思ったよ。」
「彼らは自分の仕事に誇りを持っており、その能力に値するだけの十分な報酬も得ていますから。ですがそれでも、ラカルティナン細工の再現はできないのですよ。ラ・カーナ王国の滅亡後、市場に出回っていた遺物を掻き集めて研究は続けさせているのですけれどね。」
なるほど…亡国ラ・カーナのラカルティナン細工は、模造品でさえ高値が付く。もしも完全に再現できたなら、カルバラーサの新たな特産としても稼ぎ頭になるだろうからな。
だが…先ず不可能だ。
「それは当然だろう。あれは細工師一人一人によって、作られる物が全て異なるんだ。技術も道具も親から子へと受け継がれ、決して他人に真似することはできない。その時々でできあがるものも違うから、細工師本人にも二つと同じものは作れないと言われていたしな。」
「まあ…オドは随分詳しいのですね。」
「――俺が十三の年までラ・カーナにいたことは、どうせ調べて知っているんだろう。」
「ええ。…ですがラカルティナン細工について、あなたがそんなにも詳しいとまでは知りませんでした。」
「…は、嘘が上手いな。」
俺がラカルティナン細工を好きだと知っていて話を振って来たのだろうに…白々しい。
大切にしているオルゴール・ペンダントのことなど、うっかり口を滑らせる前にこの話題からは離れた方が良さそうだ。
「ティトレイのテリオスクルムは何時から行うんだ?」
「午後四時頃からです。」
「夕方か…四時では昨日ほどゆっくり見て回れる時間はないな。」
今日はどの辺りへ行ってみるか、改めてクルンと相談してから予定を組むか。
「その前に…カルワリアを覚えていますか?」
「ああ、初日に会った司祭だろう。」
「本日の午前中に、あなたとの面会を強く希望して来ているのですが…会う気はありますか?」
「なに?…急だな。」
「そうでもないのです。一昨日の時点で早々に申し出はあったのですが、私の方であくまでもオドの都合に留意するよう注意しました。ですが一昨日と昨日に続き今朝も朝一番で再度願い出られたので、あなたの返事如何によっては許可を出すことにしたのです。」
「――まあ確かに、あまり好んで会いたくはない相手だな。」
俺が思うに、あの男こそは裏でなにをしているかわからないタイプの人間だろう。
初日にナトゥールスへ生贄の話をしたのは、王都での一件にそれらしい形跡があったと聞いていた上、あの司祭からそう言った残虐性と血生臭い印象を受け取ったからだ。
あのどこか狂気染みて血走った目…あれと似たような目を、バスティーユ監獄のマグワイア・ロドリゲスや重犯罪者達がしていた。
そこまで詳しく司祭自体の為人を知っているわけではなくても、本能的に俺の勘が告げている。
できるだけあの男には近付かない方が良いと――
「もちろん気が乗らなければ断って構いません。」
「………」
――だがだからこそ、ケルベロスの本性を見ることができるんじゃないか?
ここまで見たこの教団は、話に聞いていたカルト教団らしくなく綺麗すぎる。ナトゥールスは王都の件を指示していないと言っていたが、ならばあれは誰がやったんだ。あれほどの大掛かりなものを…
それこそあの司祭ならやりそうだと思わないか?
「いや、会うだけは会ってみよう。俺も話をしてみたいとは思っていた。」
直接聞きたいことがあるのは確かだが、これは嘘も方便だ。
「…そうですか。では必ずクルンを同行させてください。それと購入した魔法剣の携帯を忘れずに。場合によっては必要になるかもしれません。」
「――物騒だな。」
「ええ、カルワリアは油断のならない男ですから。」
「………」
まさかナトゥールスは、俺の身を案じているのか?
「ケルベロスの司祭なのだろう?誤って俺が殺してしまっても構わないのか?」
「構いません、あなたの身の方が大切です。」
「!?」
「直前に本音を漏らしたように、あなたはあの者のことを決して好ましくは思っていないでしょう?気に入らなければ好きに粛清して頂いても良いのですよ。」
「な…本気で言っているのか!?」
「はい。」
ナトゥールスは驚くほど、俺に冷ややかな目をして頷いた。
これは冗談などではない…本気で言っている。自分の教団の幹部信者だろうに…
「…俺は貴殿がなにを考えているのか、さっぱりわからない。それにこのケルベロスという教団のこともだ。」
母上に良く似た顔をしているから、と言われれば絶対に違うとは言い切れないが…それを抜きにしてもこのナトゥールスは、終末思想を抱く教祖にしては邪念が少な過ぎるような気がする。
単に俺が、猫を被った見かけに騙されているだけなのかもしれないが――
「ですから最初に言った通り、このケルベロスとカルバラーサを隅々まで見て良く知って欲しいのです。まだたったの二日ほどですよ?わからないのは当然でしょう。」
「それはそうだが…」
「答えを急ぐ必要はありません。カルワリアには会う意思があることを伝えておきます。恐らく面会にはカエルレウム宮以外の場所を指定してくると思いますので、くれぐれも気をつけてください。」
「………」
これは…どう受け取れば良いのだろう。もしやケルベロスは多くの国がそうであるように、決して一枚岩ではないと言うことなのか?
「それよりオド。」
「…なんだ。」
まだなにか注意することがあるとでも…
「早く食べないと、せっかくの料理が冷めてしまいますよ。」
直後ナトゥールスはそう言って、平然と俺に微笑んだのだった。
「――ではこの後オド様はカルワリア司祭とお会いになるのですか?」
ナトゥールスとの食事を終えた俺は外出用に着替えを済ませると、ティトレイのテリオスクルムまでには戻る予定で司祭との面会に応じることにした。
カルワリア司祭はマギアピリエの一階に自身の特別区域を割り当てられているそうで、そこには司祭の自宅を含め、ケルベロスが崇拝している御神像と司祭専用の礼拝堂もあるらしい。
教祖がカエルレウム宮にいるのに、御神像と礼拝堂が別にあるというのは些か不思議だが、司祭との面会は俺がクルンと一緒にそこへ赴くことに決まったのだ。
「ああ。正直に言うとああ言うタイプの人間は好きではないが、聞いてみたいこともあるしな。」
ナトゥールスの忠告通りライトニングソードを装備して、クルンにも同行を頼んだ。
いくらあの司祭に近付かない方が良いと思えても、さすがに初回の面会でいきなりなにかあるということはないだろう。
…と俺は思うのだが、クルンの表情は思いの外険しかった。
「もしかしてオド様って、危険だとわかっているのに、気になることは御自身で調べなければ気の済まない方ですか?」
「うん?ああ…言われてみればそうかもしれない。」
俺がそう返すと、クルンは呆れ気味に目を伏せてハア、と溜息を吐いた。
そう言えばエヴァンニュでも、良くイーヴとトゥレンがこんな風に俺の前で溜息を吐いていたような気がする。
「護衛の僕としては、できればあまりあの方には近付いて欲しくないです。…カルワリア司祭はアクリュース様がなにも仰らないのを良いことに、我が物顔で好き勝手なことをなさっているようですから。」
「すまないな…ナトゥールスにも断って構わないとは言われたんだが、この教団とカルバラーサを良く知るためには必要なことだと思った。…クルンのその口振りだと、俺の予想通りあの司祭こそはケルベロスがカルト教団と言われる所以のようだな。」
「…それだけではありませんけどね。」
「?」
「――ですがわかりました。アクリュース様からもオド様の御意思を最優先にと命じられていますので、僕の方で万一の為の保険をかけておくことにします。」
「…そこまでか?」
「はい。なんと言ってもカルワリア司祭は、法都最高位の魔法士なんです。なにか起きてまともに正面からやり合おうとしても、先ず僕だけでは勝てません。もちろんなにもないのが一番ですが、念のため打てる手だけは先に打っておこうと思います。」
そう言うとクルンは徐に共鳴石らしき通信手段を取り出して、俺の前で誰かに連絡を取り始めた。
「――すみません、クルンです。アクリュース様から伺っておられますか?――はい。オド様は…はい、そう仰っておられます。――畏まりました、ではそのように。――よろしくお願いします。」
相手の声は俺に聞こえないため誰と話しているのかはわからないが、クルンのしっかりした受け答えはとても十五とは思えないほどだ。
そのクルンでも勝てないというあの司祭は、余程強力な魔法の使い手なのだろう。
司祭との面会を承諾したことに、少し早まったか、と漠然とした不安を感じつつも、どこかへの連絡を終えたクルンと共に、この後俺はカルワリア司祭に提示された場所へ向かったのだった。
カエルレウム宮を出て、一昨日司祭の転移杖で最初に着いたエントランス前まで来ると、クルンの他にもう二人同行するというストレーガの男女が待っていた。
「師団長より同行を命ぜられました、一級ストレーガのロゲリウオです。」
一人は中剣を装備した中肉中背の男で、青色の教団衣の下に黒糸で細かな刺繍の入った制服のような服を着ている。
「同じくスアデラです。」
もう一人は十代後半ぐらいの若い女で、細剣を装備してロゲリウオと名乗ったストレーガと同じ衣服を着ていた。
推測するに黒糸で刺繍の入った服装は、同じ部署の所属を示しているのだと思われるが、クルンの衣服とはまた別だ。
「カエルレウム宮所属の特級ストレーガ、クルンです。こちらの御方がオド様です、決して失礼のないように。」
「「は、畏まりました。」」
一級ストレーガの男女は両手の拳を胸の前で突き合わせて、クルンに一礼をした。
今の行動を見るに、位は特級であるクルンの方が上、ロゲリウオとスアデラは同位の同僚で同じ上官の下に就いているストレーガ、と言った感じか。
「クルン、師団長というのは?」
「全ストレーガを統括なさっている御方のことです。滅多に人前には出られない方なので、なにかない限りはオド様でもまずお目にかかることはないと思いますよ。僕達もまだ数えるほどしか会ったことはありません。」
「…そうなのか。」
「はい。」
「クルン様、師団長よりアクリュース様からオド様へお渡しするようにと、二種の魔法石をお預かりして来ました。」
「俺に?」
スアデラが手の平大の小袋をクルンに手渡し、その中味をクルンが直ぐさま確認する。
「これは…誓約魔法と魔法破壊の魔法石?――アクリュース様と師団長は、オド様にこれが必要になるかもしれないとお考えなのか。」
「どう言った場合に使う物なんだ?」
「誓約魔法はご経験があるので説明するまでもないかと思いますが、魔法破壊の魔法石は簡易結界や捕縛結界を破壊するのに役立ちます。――つまりは僕ら三人がかりでもオド様が捕らわれるなどした際に使えますね。」
「…やはり物騒だな。」
本気で行くのはやめた方が良いような気がしてきたぞ。…まああの司祭なら、俺が拒めば攫ってでも言うことを聞かせようとしそうだが――
「万が一の為です、こちらはオド様がお持ちください。」
「ああ、わかった。」
「――では参りましょうか。」
後にクルンから聞いた説明によると、カルバラーサの軍事機構は頂点にスプレムスであるナトゥールスが座し、その下に正体不明と囁かれる『師団長』なる存在がいるらしい。
師団長はナトゥールスの命で極秘に動くことが殆どのため、常に変化魔法で外見を変えており、誰もその素顔を知らないのだと言う。
ではそれでいてなぜ命令を下したのが師団長本人であるかわかるのかと言うと、一級ストレーガ以上の魔法士にしかわからない、『師団長である証』を目で見て確認する判別手段があるのだそうだ。
当然俺はそれがどんなものなのかをも尋ねたのだが、さすがにその判別手段までは教えて貰えなかった。
「――ようこそおいでくださいました、ライ・ラムサス・オド・シェラノール・ミレトスラハ様。本日は我の申し出に応じてくださり、心より感謝致します。」
クルンを含めた三人の護衛を伴いカルワリア司祭の元を訪ねると、司祭は満面の笑みで俺を出迎える。
事前に聞いていたとおり、カルワリア司祭はマギアピリエの一階北東部にかなりの広さの占有区域を持っていた。
これを見ただけでもケルベロス内での司祭の力が推し量れるというものだ。
ナトゥールスはこの司祭を『油断のならない男』だと言いながら、自由にさせ寧ろ重用しているように思える。
それでいて俺には影で気に食わなければ粛清してもいいと言うのは、どういう意図があるんだか…
それもこの司祭を知ることでなにかわかるだろうか。
「気が向いたから来ただけだ、別に礼を言われるようなことではないだろう。しかし貴殿は良くそうも俺の長ったらしい名前を淀みなく呼べるものだ。何度も口にして舌を噛みそうにならないか?司祭。」
「おやおや、もしやお気に召しませんでしたかな。では今後なんとお呼びすればよろしいでしょう?」
「ナトゥールスの提案通り、俺のことは『オド』でいい。不慣れなので時折呼ばれていることに気付かないかもしれないがな。」
「畏まりました、ではこれより『オド』様とお呼び致します。先ずは礼拝堂の奥に寛げる茶席を用意しましたので、そちらへどうぞ。」
クルンとロゲリウオ、スアデラの三人はそれとなく周囲を見回して、変わったところがないかを具に確認しているようだ。
司祭の私的地域とは言え、人気がまるでないな…もっと多くの使用人やらを侍らせているのかと思ったが、予め人払いをしてあるのか?
司祭の後について廊下を歩いていると、大きく開け放たれていた礼拝堂への扉から、例の御神像らしき像が祭壇奥に祀られているのが見える。
俺は一度そこで足を止め、司祭にあの像を近くで見てみたいと頼んだ。離れた場所から見たそれは、俺の知る御神像とは少し変わっているもののように見えたからだ。
「――この像がケルベロスの信仰する神の姿を象ったものなのか?…変わっているな。」
その白色岩で作られた彫像は、正面から見ると男性姿をしているが、後ろに回って背面を見るとなぜか女性姿をしている。
俺は神々や信仰に詳しくなく、エヴァンニュの教会に祀られている守護女神パーラと、自分が育った孤児院教会に祀られていた光神レクシュティエルくらいしか御姿も知らない。
こんな男女が表裏一体となっている神がいる話などは、聞いたことがなかった。
「こちらは我がケルベロスの崇拝する神『アクリュース』様に御座います。」
「アクリュース?…教祖ではなくてか?」
「教祖様はアクリュース神に仕える言わば巫女のような御方。世間にアクリュース神の存在は知られていないため、教祖様と崇拝神を同じ御名で呼んでいます。ですが少なくとも我々は、教祖様ではなくアクリュース神の御意思に従って生きているのですよ。」
カルワリア司祭の話によると、ケルベロスの信仰対象はフェリューテラで知られていないこのアクリュース神であり、アクリュース神は『偽神』とされ、神話にはその名前すら出て来ないらしい。
「なぜアクリュース神は偽神なんだ?」
「彼の神は他の神々と異なり、神の世界でお生まれになられたわけではないからです。アクリュース神は神々に見捨てられた人間の願いから生まれたとされ、人によっては救いの神だとも破滅の神だとも思われております。特にその御姿は見る者によって男神にも女神にも見えることから、御神像はこのような姿になりました。」
「だから表裏で男女なのか…実際は男神と女神のどちらなんだ?」
「存じません。ただ女性の姿をなさっているアクリュース神を見た者は、間もなく死を賜ると言われております。なのでこの御神像も男性のお姿を表に、女性のお姿を背面になるよう設置されておるのですよ。」
「…カルワリア司祭はこのアクリュース神に実際に会ったり、お告げを聞いたりしたことがあるのか?」
「ふふ…どうでしょうな?それはオド様のご想像にお任せ致します。」
「………」
救いの神とも破滅の神とも言われる『偽神』か…魔法国カルバラーサは雷神トールを崇拝していると聞いていたのだが、どうやらそれはケルベロスによって意図的に流された噂だったようだな。
偽神アクリュースは…なにを司る神なんだろう。
――その後礼拝堂を出た俺は奥にある応接間へ通され、そこでカルワリア司祭の話を聞くことになった。
意外なことに司祭の私的地域はかなり質素で、ナトゥールス同様に贅沢をしているようには見えなかった。
つまりなにか裏で人に言えないようなことをしていたとしても、それらは全て権力や金と言った〝分かり易い欲望〟のためではないと言うことだ。
――これだからカルト宗教というのは恐ろしい。多くの犯罪者や悪人が己の欲望に忠実で個々の執着を持つ対象も万人に分かり易いからこそ、その動機や目的を読めるのだが…そう言った物に執着を持たない者は、大半が既に失うものなどなにもないことが殆どだ。
その中には己の命にすら執着のない人間がいる…そんな集団が俺になんの用があるのか。
やはり鍵は、司祭の口にしていた『最後の系譜』というあの言葉にありそうな気がする。
「それで司祭、俺との面会を望んだ理由はなんだ?――悪いがシェラノール王家に関することや、幼少期のことは一切記憶に残っていないぞ。無論、貴殿が俺のことを〝最後の系譜〟と呼んだ理由についてなんかもな。」
「ほほ、それは当然でしょうな。ミレトスラハ王国が滅んだのはオド様が二歳の時の話です。目の前でどれほど凄惨な事が起きていたとしても、覚えておられるはずがありません。」
「………」
この男…まさか俺の目の前で、母がロバム王に殺されたことまで知っているわけではないだろうな。
「ならばなんのために…」
「その理由をお話しする前に、オド様は御自身の幼少期の記憶にご興味はございませんか?」
「…なに?」
「例えば亡きお母上に抱かれた思い出や、お母上がお腹の中のオド様に話しかけられていた御声などについてです。」
「………」
あまりにも予想外のことを言われて俺は面食らった。
一体なんの話だ?母親の腹の中にいた頃のことなど、俺でなくとも大半の人間はまず覚えていないだろうが。
傍に立つクルンを一瞥するも、クルンも驚いているのか目を丸くしている。
「我めがこのようなことを申し上げますと、母体の中にいた頃の記憶など覚えていないのが当たり前だと仰るでしょうが、実際は〝覚えていない〟のではなく、〝思い出せない〟だけであり、オド様の魂がこの世に生まれた瞬間からその記憶は刻まれているのです。」
カルワリア司祭がいきなりなにを言い出すのかと思えば、司祭は長年『人の記憶』に関する研究を独自に続けており、それについて一定の成果が出たため、この機に俺に思い出せない幼少期の記憶を見てみたくないかと持ち掛けて来たのだった。
なにを考えてそんなことを言う?理解できないな…
「そんなことをして貴殿になんの得がある?」
「得なら大いにありますぞ。」
司祭は口元でほくそ笑むと、突然右手に持っていたティースプーンの柄で、チィン、と一度ティーカップの縁を叩いて鳴らした。
それから司祭はクルン達が同席しているにも関わらず、彼らに聞かせても大丈夫なのか、と思うような話を俺にし始めた。
「我の研究により一つの記憶から得られる情報を基に、そこからそれ以外の様々な情報を入手することが可能になったのです。詳しい説明をするには『人の記憶』とは〝なんなのか〟からお話しせねばならんのですが、掻い摘まんで申しますと亡きシェラノール王家の記憶を一部でもお持ちのオド様は、御自身の知らぬところで当時のシェラノール王家の情報もお持ちである、と言えるのです。」
そこから先はカルワリア司祭に細かく説明されても、専門的な内容ばかりでさっぱりわからなかったのだが、要するに司祭の目的は、俺の記憶の中に眠る『シェラノール王家の情報』であることだけは理解出来た。
「聞きたいのだが、それは貴殿が俺のことを〝最後の系譜〟だと言ったことに関わってくるのか?」
「まあそうとも言えますが、少々異なるとも言えます。亡きシェラノール王家に於いて〝最後の系譜〟とは、単なる血族の末裔を表す言葉ではありません。――その意味を知る者は恐らく、既にこの世にはおられんでしょうからな。」
「…貴殿は俺の名前を最初にアクリュース様から聞いたと言ったが、それはどちらのアクリュースだったんだ?二度目にわざわざ『教祖様は』と付け加えたのは…」
俺がそう問いかけた瞬間、カルワリア司祭はニタリとゾッとするような笑みを浮かべた。
「オド様はやはり聡い御方ですな。ここに祀られている御神像と一昨日のあのような状況でその問いに辿り着かれるとは…少々驚きましたぞ。」
「………」
――なんとなくだが、このカルワリア・ハーヴギリヒという男が〝油断のならない男〟だと言ったナトゥールスの考えがわかるような気がした。
その瞬間の感覚はどう説明すれば良いのかわからないが、まるで人外の存在と話しているような酷く不気味な感じがしたからだ。
「一応クルンに相談してから答えてもいいか?正直に言えば、幼少期の記憶に興味はある。貴殿の言うシェラノール王家の情報というのも、当の俺が知らないと言うのはおかしいだろう。」
「ふむ…それは困りましたな。少なくとも今の会話は、そこのストレーガ達には聞こえておりませんぞ。」
「…どういうことだ?」
「勝手ながら手前の研究に関する機密事項を打ち明けたのです、独自の魔法でオド様との会話が全く異なる世間話に聞こえるよう変えさせて頂きました。」
「!」
さっきあのスプーンでティーカップを叩いたのは…魔法を発動した仕草だったのか!?
「そこのストレーガに話されたり、教祖様にご相談なさるのならこのお話は忘れて頂きましょう。」
「…忘れる、と言うのは単なるたとえではなさそうだな。」
「無論、この場にて強制的に記憶を消去させて頂くという意味です。そのための仕込みは既に終わっておりますので、次の瞬間にはなにが起きたのかすらわからないことでしょうな。」
「――だが司祭はシェラノール王家の情報が欲しいのだろう。ここで俺が断っても、いずれはなんらかの方法で俺から入手する気でいるのではないか?」
「ほほ…我らケルベロスが最も困難であったのは、我らでは手の出せないエヴァンニュ王国の王城から、オド様をこちらへお招きする事でした。それが叶った今は確かにどのような方法でも取れるでしょうな。できればそのような手荒な手段は選びたくないものですが。」
「結局また脅すのか。」
「人聞きの悪いことを仰いますな…オド様にとっても悪い話ではないでしょう。例えばオド様は現在魔法をお使いになれませんが、それはオド様の魔法を行使するのに必要な器官が何者かの手で封印されているせいなのです。そこで記憶を甦らせ、その情報を元に封印を解除もしくは破壊すれば、オド様も魔法を使えるようになると言ったならどうですかな?」
「…なんだと?」
「オド様の記憶には我めやケルベロスにとって重要な情報だけでなく、オド様御自身にとっても数多くの有益な情報が眠っているのです。それを断られるのはあまりにも残念ではありませんかな。」
「………」
魔法を使うのに必要な器官が封印されている…?
――そう言えば以前海神の宮でリヴが、俺の身体には大きな三つの封印が施されていると言っていた。
その内の一つは既に解け、痕跡を残すだけになっているが、もう二つは今も体内に残っている…その一つが、俺が魔法を使えない原因だということか…?
これまで切実に魔法を使えるようになりたいと望んだことはなかったが…
「よくお考えくだされ。――オド様。」
そう言って俺の心を見透かすように、カルワリア司祭はまた不気味な笑みを浮かべるのだった。
次回、仕上がり次第アップします。あまりの暑さに溶けそうです。脳みそが働かない…




