261 法都マギアピリエ
気を失っている間にケルベロスの信徒であるティトレイとアルケーによって、憲兵所の地下牢から助け出されたライは、結局流されるままにカルト教団の本拠地、魔法国カルバラーサに来てしまいました。そこで教祖アクリュースに対面するも、その顔はライの亡き実母である『ベルティナ』にあまりにもそっくりで、予想外のことに驚いて声を失うライでしたが…?
【 第二百六十一話 法都マギアピリエ 】
これは…なんの冗談だ…?二十一年も前に亡くなった俺の母が…なぜ目の前に立っている――
その記憶に温かな思い出としては欠片すら残されていなくとも、俺は母の顔を知っていた。
不幸にもそれは〝父の手で母が殺される〟という、幼い頃の自分にあの男への憎悪を生む残酷な傷として深く刻まれている。
だがもしその記憶が全く残っていなかったとしても、現在も飾られている肖像画を見ればいずれ顔を知ることだけはできただろう。
それこそ、永遠に変わらない曾ての美しい母のままで。だが――
「私がケルベロスの教祖アクリュースです。」
「!」
目の前に立つその女性は、驚いて困惑する俺にそう名乗った。
教祖アクリュース…!この母上そっくりな女性が…!?
「昨日受けた報告では、少々強引な手段にてこちらまでおいで頂いたようですが…ご気分を害しておられませんか?」
「――…」
――いや…そうだ、騙されるな。ここはカルト教団の本拠地で魔法国カルバラーサだ、外見など魔法を使えばいくらでも変えられる。
それにこの女性の顔はあまりにも肖像画の母そのものだ。レインの場合もあれど亡くなってから二十年以上経っているのに、昔と変わらないままだと言うのはそうあり得ないだろう。
精々良くて他人の空似か…悪ければなにか別に目的のある作為的な罠だ。
室内へ入る早々予想外のことに動揺させられた俺は、なるべくそれを気取られまいとして、わざと司祭に脅された事に対する嫌味を交えながら返してみた。
「…そうだな、転移杖を目の前にチラつかされたのでは、お世辞にも喜んで招かれたとは言い難いが…わざわざご丁寧な挨拶を痛み入る、と言っておこう。こちらについては改めて名乗るまでもなく随分色々と御存知のようだ。そんな俺は貴殿に対しカルト教団の教祖様として接すればいいのか、国家元首スプレムスとして言葉使いと不遜な態度を改めるべきなのか…どちらだろう?」
すると教祖アクリュースは愉快そうにくすりと笑んだ。
――が、今度は最初に見せたような優しい印象の微笑みではなく、その瞳に油断のならない冷徹な光を浮かべている。
思わず〝母上〟と声に出して呟いたことで、動揺したのを見透かされているな。あの瞳…まさか俺に幼い頃の記憶があるのかどうかを試した…?
「どちらでもお好きになさってください。あなたはエヴァンニュ王国とミレトスラハ王国のどちらに於いても高貴な御方です。この宮には他の目もなく公式の場でさえありませんので、気兼ねなくお話しくださって構いません。」
落ち着け…不気味なことこの上ないが、これ以上の隙を見せて付け込まれなければいいだけだ。
ティトレイとアルケーの口振りからしても、大分以前から俺は目を付けられていたような節がある…もし本当にジャンが生き返るのなら、とは思うが、先ずはカルト教団の教祖が俺などになんの用があるのか、それを知るのが先決だろう。
「…なるほど、では遠慮なくそうさせて貰おう。ところで俺は貴殿をなんと呼べばいい?まだこちらの宗教に入信するつもりはないのでな、まさか『教祖様』と呼びかけるわけにもいくまい。」
「そうですね…ではたった今からは『ナトゥールス』とお呼びください。」
「ナトゥールス…?〝アクリュース〟ではなくてか?」
「はい。『レーヴェ・ナトゥールス』…これが教祖でもスプレムスでもない、私の名前です。――あなたのことは『オド』とお呼びしても?」
「…なぜだ。」
母上そっくりなその顔で〝ライ〟と呼ばれるのは最悪だが…なぜその名で?
「亡国ミレトスラハのシェラノール王家に於いて、『オド』とは辿るべき〝道〟と定められた〝星〟を意味します。今のあなたにとても相応しい名ではありませんか。」
「?…なにが言いたいのかさっぱりわからないが…わかった、それでいい。」
「では〝オド〟。ここからはお互い敬称は要りませんね。」
教祖アクリュースは三度微笑んだ。
あの俺の名にそんな意味があったのか…どこでどう調べたのか当の本人すら知らないことまで良く知っているものだ。
やはり亡家についてかなり詳しいようだが、なにを考えているのかこの表情からでは全く読めん。
それに…暗さに目が慣れて来たせいなのか、近くで見れば見るほど母上に良く似ているような気がしてならない。そんなはずはないのだが――
「それで?ティトレイから貴殿が会いたがっていると言うのは聞いたが、俺になんの用がある。」
「早速本題ですか…そう急ぐことはないでしょうに、案外せっかちなのですね。」
「当然だろう、長居をする気はない。それとも外部への扉をも消した所を見るに、俺をこのカエルレウム宮とやらに監禁するつもりなのか?」
俺がその目的を探ろうとして尋ねるも、ナトゥールスの方は意外なことを言われたとでも言うように小さく目を丸くすると、口元を隠すようにして鼻先に右手の甲を当て笑い出した。
「ふふっ」
「…なにがおかしい。」
ムッとした俺は不快感を顕わにしてナトゥールスを睨む。
「――不治の病に倒れた家族にも等しい老人の治療と引き換えに、自ら最も憎むべき男の元で捕らわれの身となるをも甘んじていたのに…誰よりも自由を切望していたあなたにそのような真似をしてなんの得がありましょう。愚かな彼の国の王のように、無理を強いて嫌われるのは好ましくありません。少なくともそれは私の意に反することですから。」
「な…」
なんだと…?
「リーグズ信徒とアルケー信徒から、彼らの切実な願いについて聞いていることでしょう。あなたがここへ来る選択をしてまで知りたかったのは、それらが本当に叶うのかどうかということだったのではありませんか?」
「!」
どうしてそんなことまでわかるんだ…!!
「約束通りリーグズ信徒の願いは明後日に、アルケー信徒の願いは七日後にこの宵の間にて成就させます。それを実際にご覧になった上で私の話を聞いてください。この提案では如何ですか?」
「…つまりそれまで俺にここにいろと言うことか。」
「先程も申しましたが強制は致しません。どうしてもお帰りになりたいと仰るのなら、この後すぐにでもカルワリアに転移杖で送らせます。――ですが現在エヴァンニュ王国でのあなたの立場は、決して良いとは言えないでしょう。民間人の殺人に国王暗殺未遂と言う極刑に値する大罪。真実は異なれど下銭な者の脅しに屈して犯してもいない罪を認めた酬いは、あなたが思うほど軽くはありません。それでも城へ戻ろうとすれば、更なる犠牲が増えますよ。それがわからぬあなたではないでしょう。」
「…っ」
本当に俺のことはなにもかも調べ尽くしてあるようだな…しかもそのことを隠そうともしない。
強制などされなくとも既に見えない糸で絡め取られており、予めそうなるように仕向けられている感じがするのは…気のせいだろうか。
「どうなさいますか?」
「………」
今の俺にナトゥールスの言葉を否定するのは難しい。ここから出して貰うのは案外簡単そうだが、どうせなら…
「…では少しの間だけ滞在させて貰うことにしよう。」
「気が変わったようでなによりです。あなたにはこの機にカルバラーサと我が教団を隅々まで知って頂けたらと思います。このカエルレウム宮を含め、法都マギアピリエのどこへでも自由に歩き回れる許可を出しておきましょう。」
「それは有り難いな。終末思想を持つカルト教団らしく、邪神に生贄を捧げる儀式でも見せてくれるのか?――ああ、エヴァンニュの王都に魔物を召喚したという大掛かりな魔法でも構わないが。」
あからさまに俺が敵意を向け、こう言うことを口にしたらどうする?それでも自由にしていいと言うのか。
見られたくないような場所にわざわざ好んで入り込むかもしれんぞ。
「…一つ誤解のないよう言っておきますが、あの件は私の指示ではありません。」
「ほう。だがケルベロスの仕業であることは認めるんだな。」
「そうですね、否定はしません。基本的に私は信徒が独自の考えで動き、どこでなにをしようとも一切関せず好きなようにさせていますから。」
それによって数多の人死にが出ていても眉一つ動かさない…か。
「は、大した教祖だ。罪のない民間人を魔物に喰わせておきながら、少しは良心が痛まないのか?」
顔はそっくりでも俺の想像する母親像とは似ても似つかない。――やはりこんな女が母上であるはずはない…
ナトゥールスはその質問に答えず、ただ婉然としただけだった。
――そんな宵の間での対面を終え扉から外へ出ると、一体どういう仕組みになっているのか、その先は入って来た時と全く違う場所へ繋がっていた。
紺色の絨毯が敷かれていた廊下は消え、代わりに小さな噴水と池のある中庭に面した回廊へと景色が一変していたのだ。
「な…ここはどこだ?」
驚いてナトゥールスに尋ねようと後ろを振り返るも、たった今出て来たばかりの扉まで消えており、既に宵の間へ戻ることもできなくなっている。
強制はしない、どこへでも自由に歩き回れる許可を出すと言っておきながら、結局は俺をここに閉じ込めるつもりなのか…!?
「お待たせしました、オド様。」
「!」
背後から聞こえて来たその声に顔を向けると、いつの間に現れたのか…エントランスで見た青い教団服を着ているジャンぐらいの年の少年が立っていた。
「僕はアクリュース様より御滞在中の護衛と身の回りのお世話を命じられました、『クルン』と申します。先ずはお泊まり頂くお部屋にご案内しますので参りましょう。」
俺にぺこりと頭を下げて会釈をした少年は、銅のような赤味のある髪に緑がかった薄い青色の瞳をしていた。
「護衛…?」
世話の方はともかくとして、護衛だと…随分しっかりしているがどう見てもまだ子供じゃないか。
こちらへどうぞ、と笑顔を見せる少年に、俺の頭にはジャンの屈託のない笑顔が思い浮かんでいた。
冗談じゃない…
とりあえずクルンの後について回廊を歩き出した俺は、戸惑いながら尋ねた。
「クルン、と言ったな…年は幾つだ?」
「十五です。」
クルンは愛想良くにこにこしながらハキハキと答えてくれる。
ジャンと同じ年か…やはり子供だ。ケルベロスには家族ぐるみで入信しているのか、それとも親はいないのか…どちらにせよこんな子供を俺の護衛に付けるなど、なにを考えている。
「身の回りの世話をしてくれるのは有り難いが、剣さえあれば俺に護衛は必要ない。マギアピリエの魔物駆除協会がどこにあるのかだけ教えてくれ。」
「あれ…もしかして御存知ないのですか?カルバラーサの法都に魔物駆除協会はありません。」
「なに?そうなのか?」
「はい。この国では全国民が三歳から高度な魔法教育を受けられるので、七歳ぐらいの子供でも国内に生息する普通の魔物なら自力で倒せるようになるんです。なので他国と違ってそこまでハンターは必要ないんですよ。」
ハンターが必要ない、だと…?俄には信じられんが…ギルドなしにやって行ける国が本当にあるのか?そんな話は初めて聞く。
「国内のどこにも全くないのか?支部の一つさえも?」
「いえいえ、法都にはないというだけです。さすがに変異体以上のクラス相手には死人が出ますから。ただそれでもカルバラーサはベルデオリエンスに次ぐくらいに小さな国なので、国境付近にある中規模の街にしかありませんけど。」
「国境付近…」
魔法国カルバラーサと国境を接する隣国と言えば、東のイスクーストヴァ共和国と西の民主国アヴァリーザか。
この法都が隣国からどの程度離れているのかもわからないが…つまりそこまで行かなければ無限収納の再発行どころか、口座の金すら引き出せないと言うことだ。
弱ったな…では今の俺は、まともな着替えさえ買えない全くの一文無しじゃないか。
俺は恐らくティトレイ達が間に合わせで着せてくれたと思われる、薄い前開きのシャツを掴むと、自らの服装を見下ろして溜息を吐いた。
憲兵所では丸裸だったことを思えば、贅沢を言うつもりはなかったが…この格好では狼の爪で引っかかれただけでも怪我をしそうだ。
この際使い古したアイアンソードでも構わん…せめて武器だけでもどうにか手に入れなければ、おちおち外を歩けないぞ。
「それと護衛の件ですが、オド様は魔法をお使いになれないと聞きました。エヴァンニュ王国の方は皆さんそうなのですよね?」
「あ、ああ…まあそうだな。」
俺はエヴァンニュで育ったわけではないが…まあいいか、魔法が使えないことに変わりない。
「でしたらやはり必要かと思います。こう見えても僕は特級ストレーガなんですよ。守護者ならSランク級に当たると言えばオド様にはわかりやすいですか?」
「!?」
Sランク級!?こんな子供が!?
「俺の守護者等級はBなんだが…つまりクルンは、俺などよりも遥かに強いと言うことか。」
「うーん、魔物駆除協会とは基準が異なるので一概にそうとも言えませんが、魔法に関してだけを言えば、僕はマギアピリエでも五指に入ります。」
五指!?この魔法国の法都でか!?…驚いたな。
「…すまない、まだ子供だと思って悪かった。」
「いえ、どうかお気遣いなく。カルバラーサ以外では僕ぐらいの子供は、大人に守られて当然だと思われているのが普通なんでしょう。」
そう笑顔で返された俺は苦笑するしかなかった。
クルンがSランク級に相当する特級ストレーガか…司祭は軍兵に当たる魔法兵士のことをストレーガと呼ぶのだと言っていた。
要するにこの国では、魔法能力を優先に重んじて等級が決められているのだな。
そしてナトゥールスがクルンを俺の護衛に付けたのは、なにがしかの理由で手を出してくる相手も必然的に魔法に長けているから、と言うことか。
たとえそうでもジャンと同じ年の子供に守られるのは不本意なんだが…
「…?」
その時俺は、ふとどこからか自分に向けられている視線を感じて足を止めた。
顔を上げて良く辺りを見回すと、回廊の反対側でスイッとこちらから顔を背け、ちょうど踵を返して立ち去って行く人影を見つける。
その人物はやはり青色の教団服を着ていたが、後ろ姿で腰の辺りまで長く伸びたストレートの、俺と同じ漆黒髪をしていた。
黒髪…顔は見えなかったが、視線の主はあの男だったのか?
誰だろう…
「どうかしましたか?」
「ああ、いや…なんでもない。」
――それにしても人気がないな…スプレムスの宮にしては、警護が緩すぎないか?
使用人の姿も見えないし、人の声どころか外の喧噪も全く聞こえない…そう、あまりにも静か過ぎるんだ。
これで俺が夜中にウロウロしようものなら、すぐに見つかるな。
「こちらがオド様にご滞在頂くお部屋です。」
中庭に面した回廊から南の廊下へ入ると、両脇の左右に四つ扉があり、その内の右奥の扉へ案内された俺は、日当たりのいい大きな窓があって適度な広さに、機能的な家具だけが置かれて心地よく纏められた室内に感心した。
大きすぎない一人用の寝台に、衝立で仕切られただけの簡易的な応接セット。小さめのサイドボードには何種類かの飲み物と、数冊の本などが入れられている。
家具の質は良いが、贅を尽くしたような高価すぎる物ではない…紅翼の宮殿に置かれていたような無駄な装飾品もなければ、一人で使うのにも適当な広さの客室だ…悪くないな。
問題はここが法都のどの辺りか、と言うことだが――窓から外を見てみるか。
カーテンが開けられて燦々と午後の日の差し込む窓へ近付くと、俺はそこから外を覗き込んだ。
「!」
ここは…
目の眩むような地上からの高さに、眼下に見えたのは法都マギアピリエの青い屋根と傾斜の付いた外壁だ。
下方に屋上庭園の植えられた緑と花壇、散歩を楽しむ教団服を着た人の姿がちらほら見える。
中央に見えた、あの四角錐の塔内か…!
なるほどな…魔法が使えなければ外から侵入するのは不可能に近い。ここを中心に魔法障壁が張られていると聞いたことからも、そこまでの厳重な警備は必要ないのだろう。
当然だが、俺がこの窓から逃げ出すのは絶対に無理だな。
「オド様、そこの扉先に個人用のキッチンとパントリーが、さらに奥にトイレや浴室などの水回りも完備されています。それとベッド脇のクローゼットに着替えを複数ご用意してありますので、良かったらご利用ください。」
「服まで用意してくれたのか…それは助かるな。ありがとう、クルン。」
「いえ、僕はアクリュース様のお言いつけに従っただけですから。今夜のお食事はどうなさいますか?マギアピリエ内の商業区へ出られてもレストランなどでお取りになれますが…」
「商業区か…そうしたいのは山々なんだが、ギルドがないとなると金を引き出せないから無一文なんだ。」
「ああ、でしたらご心配なく。オド様にこちらをお贈りするようにと、お預かりして来たものがあります。」
「?」
そう言うとクルンは俺に、冒険者が良く身に着けているようなウエストバッグくらいのカラビナバッグと、無色透明な宝石の嵌め込まれた腕輪を差し出した。
「それは?」
「空間魔法を利用した魔法鞄と無制限のG<グルータ>バングルです。」
「グルータ、バングル…??」
クルンの説明を聞くに、魔法鞄とは無限収納のような容れ物であり、大きな部屋一つ分くらいの容量まで様々な物をしまえる携帯鞄らしい。
「魔物駆除協会の無限収納と同じく生き物だけは入れられませんので、その点だけは気をつけてください。」
「あ、ああ…わかった。それで…この腕輪は?」
「そちらはマギアピリエ内でのみ有効な、無限にG<グルータ>の湧いて来るお財布だと思ってくださるのが早いかと。その腕輪に嵌められた宝石の部分を店での会計時に駆動機へ翳して頂くと、どんなに高価な物でもお好きなだけ購入できます。もちろん、武器や防具をお買い求め頂いても大丈夫ですよ。」
「な…」
無制限というのは、俺がここでどれだけ金を使っても構わないという意味なのか!?
さすがにこれは…薄気味が悪い。
これらを受け取るのはどうなんだ。俺のことを知り尽くしている感が否めないあのナトゥールスは、何を望んでいる?
あの母上にそっくりな教祖は――
「オド様は守護者の資格をお持ちなのですよね?エヴァンニュ王国では高位の王国軍人であられたとも聞いています。でしたら初めていらした国で武器なしでいらっしゃるのは、今も落ち着かないのではありませんか?」
「それは確かにそうだが…しかしここはナトゥールスの宮なのだろう。彼女はスプレムスでもあると言うのに、他国から来た俺が剣を装備して私邸内を彷徨いても問題ないと言うのか?」
「はい。」
「…いきなり教祖へ斬りかかるかもしれないぞ?」
「それは少し困りますね…もしそのようなことをされると、オド様のお命の方が心配です。アクリュース様を害せる存在はこのフェリューテラに殆どいないそうなので、初めから他意を抱いておいでなら御自身のためにもおやめ下さいとだけご忠告申し上げておきますね。僕はオド様の護衛なので、なにがあろうとも決してオド様を傷つけないように厳しく言われているんです。なので僕にオド様をお止めすることはできませんから。」
「――……」
アクリュースを害せる存在は、殆どいない…か。
「試すようなことを言ってすまなかったな、クルン。その忠告は有り難く受け取っておこう。――だが本当にこの魔法鞄と腕輪を俺が貰ってもいいのか?素直に受け取るにはあまりにも高価すぎる贈り物のような気がするんだが。」
「アクリュース様のご命令ですので、遠慮なく受け取られてください。あ、そうでした、アクリュース様からのお言葉をお伝えします。『贈り物の対価を求めるような無粋な真似は致しませんが、オドさえよろしければ滞在中は日に一度、食事にご同席頂けると幸いです。』――だそうです。」
俺と食事を?その程度なら構わないが…
ナトゥールスのことを知るためにも、ここは承諾しておくべきだな。
「…そうか、ならば明日から三食の内どこかで必ず付き合うと伝えておいてくれ。せっかくだから今夜は商業区へ出てみたい。」
「畏まりました、お伝えします。ではご入浴と着替えをお手伝いしますので、それが済みましたら出かけましょう。」
「な…いや、風呂と着替えくらいは自分で――」
「お・て・つ・だ・いします。僕の仕事を奪わないでください。でないとアクリュース様に叱られてしまいます。」
「ぐ…」
その有無を言わせぬ言葉に屈して、俺は仕方なくクルンの申し出を受け入れることにした。
エヴァンニュでもこの類いの世話を人に焼かれるのは嫌で完全に突っ撥ねていたのに、相手が子供だと思うとこれ以上強くは出られなかったからだ。
「はあ…わかった。」
一人の方が気楽なんだがな…
入浴中甲斐甲斐しく背中を流してくれるクルンと話をしていると、目が見えなかった期間にずっとジャンが俺の世話をしてくれていた時のことをどうしても思い出す。
それと同時にそのジャンが俺の目の前で息を引き取った瞬間のことも――
暫くして風呂から出てクローゼットを開けると、至極まともな服が用意されていることに驚いた。
俺は衣装箱内があの青い教団服ばかりで埋められているのではないかと思ったのだが、俺好みのあまり飾り気のない落ち着いた色合いの服ばかりでホッとする。
…が、そんなことまで知られているのかと思うとやはり気味が悪かった。
一週間ほど、か…今さら後悔しても遅いが、ナトゥールスの望みがわからない内は気を緩めない方がいい気がする。
予想外の手厚い持て成しに、カルト教団のイメージとはかけ離れたこの場所を見て、俺の警戒心が薄れて行くのは危険だ。
着替えもされるがままクルンに任せることになり、釦の一つすらも留めさせて貰えず溜息を吐く。
抵抗を諦めたその間に俺は、ようやくエヴァンニュのことを落ち着いて考えることができるようになった。
――イーヴ、トゥレン、ヨシュア…あの三人は今頃どうしているだろう。憲兵所からいなくなった俺を必死に探しているだろうか?
ギルドへ行くことができれば、秘密裏にイーヴ宛ての書簡を届けて貰うことも可能だろうが…そうすることが果たして正解なのかは疑問だ。
今の俺には大きく分けて二つの選択肢がある。
一つはエヴァンニュへ戻り、イーヴ達の手を借りて身の潔白を証明してから、俺の望む俺の未来を真っ当な手段で以て改めて進むことだ。
もう一つはこのまま二度とエヴァンニュへは戻らずに、濡れ衣を着せられたままでも逃げ続けて自由になることだ。
前者の場合はナトゥールスに言われたように、更なる犠牲を生む可能性は高いだろう。
なぜならクロムバーズ・キャンデルを使って俺を陥れたのは、シャールを王位につけたいと望むイサベナ王妃だからだ。
そうと知っても俺は、俺のためにもう誰も命を落として欲しくないと思い、脅しに屈してやってもいない罪を認め供述書に署名をしてしまった。
あの時はああするしかなかったのだとどんなに訴えたところで、一度認めたものを覆すのがどれほど困難なことかは良く知っている。
その上でのこのこ城へ戻れば…次はイーヴ達三人の内、誰かが俺の所為で命を落としてしまうかもしれない。
それだけは…絶対に嫌だ。
どんなに憎まれ口を叩いて自分に嘘を吐こうとしても、イーヴもトゥレンもヨシュアも…俺にとっては何にも代え難いほど大切だ。
あの三人の誰か一人でも失うぐらいなら、俺が死ぬ方が余程いい。ジャンだってそうだった。
あんな思いはもう二度としたくない――
「如何でしょう?オド様。マギアピリエでは青の外衣を羽織っていないと却って目立ってしまうかもしれませんが、こんな感じでどうですか?」
クルンに着せて貰った衣服は、肌触りの良い黒灰色の生地にローアンバーの刺繍が入った腿丈のチュニックとベルト、イエローブラウンにダークブラウンの紐でアクセントを付けたしっかりした布のボトムスだった。
「…ああ、十分だ。」
「良かったです。すぐに出かけられますか?」
「――いや、夕方からにしよう。少し疲れたから一時間ほど一人で休みたい。」
「畏まりました、ではその頃お迎えに参りますね。もしなにか御用がおありでしたら、そこの魔法石に触れてください。共鳴石ではないので話すことは出来ませんが、僕の部屋の物と連動しているのですぐに伺います。」
「…そうか、ありがとう。」
「では一旦失礼します。」
完全に一人にはしてくれないかと思ったが…すんなり下がってくれたな。
クルンが部屋を出て行ってホッとした俺は、ようやく肩の力が抜ける。
「…疲れたな。」
傍の寝台に腰かけると、俺はそのままごろりと身体を横たえた。
――もう一つの選択肢を選ぶなら、犯罪者としての咎を背負いながら生きる覚悟をしなくてはならない。
今はリーマに心を残している分、家族を持つ日のことは思い浮かばないが…父親が犯罪者では子供も幸せにはなれないだろう。
昔レインと慎ましくても穏やかに暮らしていた頃のように、いつかは自分の温かな家庭が欲しかった。
リーマとならそんな未来も描けたが…彼女には理由も聞けずに別れを告げられたんだ、どんなに彼女を愛していてももう忘れるしかない。
憲兵所の地下牢でクロムバーズに言われた言葉が胸に突き刺さる。
『貴様との関係が解消されたからと言って、貴様がどう思っているかはまた別の話だろう。振られたらあっさり諦められるのか?その顔を見れば一目瞭然だ。まだ恋人に思いを残しているだろう。』
「…我ながら未練たらしいな。」
リーマに別れを告げられたことも、ジャンを失ったことも…全て悪い夢なら良かったのに。
そう思うだけで目に涙が滲んでくる。泣いた所でもうどうにもならないと言うのに、だ。
――最終的な俺の望みは、ラ・カーナへ帰って一生かかってもヘズルを復興することだ。
そのためには魔物駆除協会はもちろんのこと、隣国のファーディアや近隣の街にも協力を取り付けなければならないが…犯罪者に手を貸してくれる街や国などあるはずはないだろう。
結局俺は、無様にフェリューテラ中を逃げ回るしかないのか…笑えないな。
「この先どうするのか、すぐに答えを出さなくてもいい…まだ時間はある…」
これから先のことはゆっくり考えよう。
――小一時間後。
横になっている内にいつの間にか眠ってしまい、迎えに来たクルンに起こされた俺は、カエルレウム宮から外へ出て夕食を取りがてらマギアピリエ内を見て回ることにした。
そもそもが観光しに来たというわけではないのに、暗い憲兵所の地下牢でずっと監禁されていたこともあり、外へ出られた解放感と予想外に手厚い持て成しを受けたことで気が緩んでいたのは確かだった。
この魔法国カルバラーサは、終末思想を抱くカルト教団の本拠地にしては思った以上に快適で街全体の雰囲気も明るく、然もすればエヴァンニュ王国などより余程国民の生活自体が豊かで幸せそうに見える。
「凄いな…もう夕方だというのに、活気がある…!」
「賑やかでしょう?この商業区はいつもこんな感じなんですよ。」
通路を挟んで両脇に店内を覗ける硝子張りの窓や壁で仕切られた、沢山の商店がずらりと並ぶ商業区。
俺に宛がわれたあの部屋のある、静まり返った塔内とは打って変わって、エヴァンニュの国際商業市にも匹敵するほどそこは多くの人で賑わっていた。
人混みに暑さを感じているのか風魔法で涼を得る女性や、頭に水魔法で作った氷を乗せて歩く男性。
指先に光球を出して本を広げながらなにかを調べている店員に、火魔法で芋を焼く調理人など、極当たり前に全ての民間人が生活魔法を使用しており、右を見ても左を見ても、至る所に俺が見たことのない珍しい魔道具が大量に売り物としても置かれている。
「通路側に店のカウンターが並んでいるのか。」
「はい、そう言った店は大抵日用品か食料品を売っているので、歩きながら気軽に買い物ができるんです。」
「他国の出店みたいなものだな。」
「そうそう、そうです!」
俺はエヴァンニュ王国で有名になりすぎて気軽に出歩けなくなっていたが、基本的にこう言った民間の賑やかさは好きな方だ。
楽しそうな家族連れや、子供達の笑顔を見ると自分自身の心も癒されるし、他人の幸せそうな姿は見ているだけで温かな気分にさせてくれるからだ。
マギアピリエの階層は各地区の一定距離ごとに設置されている転送陣で行き来し、日暮れ後でも建物内は昼間のように魔法石で輝いて、そこかしこから聞こえてくる人々の笑い声や軽快な音楽に、本当にここは同じフェリューテラなのかと思うほど、俺は浮かれ気分になって高揚していた。
まさか魔法国カルバラーサが、こんな国だとは思わなかった。いい意味で裏切られた感じだな。
「オド様オド様!」
商業区内を歩き始めて少し経つと、クルンが俺の服の袖をくいくいっと引っ張った。
足を止めたそこは丸い硝子窓のある飲食店の前で、グラスに泡立つ酒の絵が描かれた看板が軒先に吊り下げられていた。
クルンはその店の入口を指差して破顔する。
「ここはマギアピリエの中でも特に人気のある大衆酒場なんです。料理も美味しいので夕食はここで頂きませんか?」
「ああ、いいぞ。クルンが進めてくれるのなら、そうしようか。」
嬉しそうなクルンに応じて足を踏み入れたその酒場は、満席に近いほど多くの人で溢れていたが、良く見る酔っ払い同志の喧嘩や怒鳴り声は微塵もなく、肩を組んで陽気に歌を歌う酔客の笑い声で満ちていた。
「いらっしゃいませ!ご注文はお決まりですか?」
俺達が空いていたテーブルに着くと、すぐに愛想のいい笑顔を向けながらウェイトレスがコップの水を手にやって来る。
「オド様はなにを召し上がりたいですか?」
テーブルに備え付けのメニュー表を見てクルンは俺に尋ねた。
「クルンに任せる。あまり量が多くなければなんでも構わない、適当に見繕ってくれないか。」
「はい。では暁の蒸留酒<アッシュ・ジン>を二つと、今日のオススメ料理を二人分お願いします。」
「かしこまりました!」
任せるとは言った物のクルンが平然と酒を頼んだことに、出された水を飲もうとしていた俺は思わず吹き出しそうになった。
「待て待て、クルンはまだ未成年だろう!酒は駄目だぞ!!」
慌てた俺が注意するも、クルンは一瞬きょとんとした後で笑い出した。
「あははは、いやだなあ、カルバラーサでは十五から飲酒が許されているんですよ。それに予め状態異常にならない抵抗魔法『レジスト』をかけておけば、翌日に支障が出るような酔い方はしません。」
「十五から?そうか…他とは法律が違うのか。だがまあなんだ、それじゃせっかく飲めてもつまらないじゃないか。嫌なことを全部忘れられるほど酒を飲むのは、偶になら良いものだぞ。」
気を取り直して付け足した俺に、クルンはケタケタと腹を押さえて子供らしく笑っている。
「もう…僕に飲ませたいのか飲ませたくないのかどっちなんですか!あはははっ」
「そんなに笑わなくてもいいだろう。」
「すみません…ではオド様は是非そうなさってください。僕は護衛なので、飲んでも飲まれないようにしておきます。オド様には僕が付いているので、安心して好きなだけ愉しんでくださいね。」
「は、子供に気を使われるとは…」
だがまあ…今日ぐらいはいいか。ようやくあの地獄のような憲兵所から出られたんだ、美味いものを食べて少しぐらい酒に酔ってもバチは当たらないだろう。
そうして俺はクルンの言葉につい甘えてしまい、この後心ゆくまで美味い食事と結構な量の酒を遠慮なく愉しんでしまった。
楽しいな…ここはまるで話に聞く天国のようだ。大きな貧富の差がなく窓から見える道行く誰もが幸せそうで…リーマに捨てられた胸の痛みも、ジャンを失った辛い悲しみも全て忘れさせてくれそうな気分になる。
ここでなら俺も辛かった過去の出来事は忘れ、これからはなんの悩みもなく笑いながら一生を幸せに暮らして行けるかもしれない。
いっそのことケルベロスに入信するのも悪くないのでは――
そう思った瞬間、その声は頭の中で木霊した。
『…腑抜けが。』
「!?」
いきなり貶むような嫌悪混じりの辛辣な一言だけが聞こえ、驚いた俺は思わずビクッと大きく身体を揺らし、手に持っていた酒のグラスを落としそうになる。
「だ、大丈夫ですか?オド様。さすがに少し飲み過ぎなのでは…」
「あ、ああ…」
――なんだ今の声は…どこから聞こえた?
頭の中に直接響いて来たような――
「お部屋までお送りします、もう帰りましょう。」
「…そうだな。」
今ので一気に酔いが覚めた…凄まじい嫌悪と侮蔑混じりで、背中に冷水を浴びせられたような、ゾッとする声だった。
幻聴にしてはやけにはっきり聞こえたが…どこかで聞いたことのある声のような気もする。
それに俺は今、酒に酔ってなにを考えていた…?ケルベロスに入信するのも悪くない、だと…?――なにを馬鹿なことを言っているんだ。
帰り支度を整え、ナトゥールスに貰った腕輪で二人分の会計を済ませた俺は、酒場を出た所でしっかりと正気に返り、カエルレウム宮へ戻る前にやはり武器屋を探そうと思い立った。
「悪いがクルン、この時間でも開いている武器屋へ案内してくれないか?やはり手元に剣がないのは落ち着かないんだ。」
「え…でもご気分は大丈夫なんですか?」
「問題ない、もう酔いは覚めた。」
「……そうですか、ではご案内します。気分が悪くなるようでしたら仰ってくださいね。」
俺の心配をするように眉尻を下げて首をコテンと傾けるも、クルンは頼みを聞いてくれ、そのまま数分歩いた場所にある武器屋まで連れて行ってくれた。
「この時間に開いている武器屋はこの店だけなのですが…ここでいいですか?」
店の軒先に吊された看板には槍と剣を交差した絵が描かれており、その下に追記で『特殊武器の取り扱い有り、修理など随時受託します』との記載がある。
「特殊武器?」
「ここはカルバラーサなので、魔法剣や魔法槍などの武器種の他、種族特効の付いたユニークウェポンなんかも置いてあるんです。」
「魔法剣…!エヴァンニュのライトニングソードなんかも扱っているのか?」
「そこまではわかりませんが…中をご覧になってみては如何でしょう。」
「ああ、入ってみよう。」
魔法剣があるのなら一番いい。もし俺に合ういい剣が見つかれば、予備に何本か買っておくのも手だろう。
カララン、とドアベルを鳴らして店内に入ると、カウンターに腰かけて武器の手入れをしていた年配の店主が「いらっしゃい」と声をかけてくれる。
「左奥の一角が剣の陳列場所ですね。」
「!…あった、ライトニングソードだ…!!」
一目で目当ての物を見つけた俺は、早速それを手に取って掲げてみた。
「――オド様は普段中剣をお使いなんですか?」
「ああ。偶に片手剣を使うこともあったが、ミレトスラハでは俺専用に開発されたライトニングソードのみで生き残って来た。俺の魔法剣とトゥレンのデスブリンガーがあれば、どんな戦況でも負け知らずで――」
そうトゥレンの名前を出した所で、俺はハッとなって口を噤んだ。
ナトゥールスには俺のことを調べ尽くされているようだが、なぜだか本能的にイーヴやトゥレン、ヨシュアの名前をここで口に出さない方がいいような気がした。
「いや、なんでもない。――ライトニングソードは見つけたが…少し柄を握る感覚に違和感があるな。店主、俺用にここで細かく調節して貰うことは可能だろうか?」
「ああ、構わんよ。魔法による微調整になるが、それでもいいかね?」
「普通の鍛冶とどこが違うんだ?」
「魔法による微調整はその場ですぐにできるのと、作業料金が安価です。ですがデメリットもあって、使用中に変則事象が発生するようになることがあるんです。」
「時折魔法威力が低下するとか、肝心な時に不発になる確率が上がるとかそう言うのか?」
「はい。但し悪いことばかりじゃなくて、その逆もあります。魔石内に完全に魔力が溜まらなくても少ない魔力で魔法を放てたり、爆発的に高威力の魔法が発動してみたり、魔力を消費せずに魔法だけ放てたりとか、連続して発動したりなど毎回なにが起きるのかは運任せになりますが。」
「…鍛冶による微調整だと魔法は安定するが、時間がかかる上に料金も高額なんだな。」
「ここはカルバラーサだからな、鍛冶による微調整は受けてないんだ。」
「そうか…では魔法での調整を頼む。」
「毎度。具体的にどんな感じに仕上げて欲しいのか、この紙に書いてくれ。」
「ああ。」
「では僕は店の外で待っています。」
「すまないな。」
――これで武器が手に入る。最低限の装備に過ぎないが、万が一の時にもなんとかなるだろう。
ナトゥールスに貰った腕輪で支払いを済ませるも、後で自分の金を下ろせたら全部きちんと耳を揃えて返そう。腕に嵌めたグルータバングルを見ながら、俺はそう思ったのだった。
次回、仕上がり次第アップします。毎日暑いですね…




