24 王都戒厳令 ③
思いがけず、近衛の二人…イーヴとトゥレンに疑いを掛けられていると気付くルーファス。初めは腹を立てていたようですが…?
【 第二十四話 王都戒厳令 ③ 】
――いきなりこの質問…これはどう考えても、そうだよな。なぜかはわからないが、なにかを疑われている。…どうしてだ?
「まあとにかく座って話したらどうかね?ルーファス、君はこちらに。ウェルゼン副指揮官とパスカム補佐官もそちらにどうぞ。」
ラーンさんに促され、俺と近衛の二人は対面して応接セットのソファに腰を下ろす。ウェンリーとラーンさんは、キッチンのカウンターテーブルの椅子に座り、少し離れたところで話を聞きながら俺を見守ってくれるつもりみたいだ。
「侵入者との面識、ですか?…少なくとも俺の方にはありません。」
様子を見るために先ずは質問に答える。
「ではわかる範囲で構わないので、我々の質問に答えて頂きたいのですが――」
その言葉にさすがにカチンと来た俺は、彼らの言葉を遮る。
「待ってください。俺の話を聞きたい、とウェンリーから聞きましたが、これはまるで尋問ですよね?俺にしてみれば、なにかを疑われているようにしか思えないんですが、どういうことなのか説明して貰えませんか。」
俺は彼らに伝わるように、あからさまに不機嫌な声で言い放つ。機密エリアに入ったことで、拘束されるかもしれないとは思ったが、なにかの疑いを掛けられるとは思ってもいなかったのだ。
「――気分を害されたのなら、お詫びします。現在我々の方では正体不明の侵入者について、徹底調査を行っている最中でして、マクギャリー軍務大佐とご子息から話は伺いましたが、肝心なことについてはお話し頂けていないようなので、質問のような形を取らせて頂こうと思いました。」
パスカム補佐官がそう説明する。
「肝心なこと?」
俺が聞き返すと今度はウェルゼン副指揮官が答えた。
「侵入者から貴方は、何度か『マスタリオン』と呼ばれていますよね?」
「…!?」
どうしてそれを――
「前後の会話から聞くに、侵入者にとって貴方の存在は予想外だったようですが、“生きていたのか、お前に出会すとは”などの言葉から、我々は貴方と侵入者に何らかの面識があると判断しました。」
『研究室になんらかの記録が残されていたと推測』
アテナ…ああ、俺もそう思う。そう言うことか…――
…これはどう答えたらいいんだ?知らない、わからない、で済むのか?あの少年がなぜ俺をそう呼んだのか、知りたいのはこちらの方だ。俺自身がわからないことを追求されることになるとは…どうしたものか。
暫し俺は考える。これは下手に隠し立てしても、却って疑いを深くするだけだ。痛くもない腹を探られるのも面白くはないし、誤魔化して言い逃れしようにもなんらかの記録が残っているんじゃすべて無駄だ。
ここは相手が信じようと信じまいと、出来るだけ隠さずに話すのが正解かもしれないな。
「――俺達の戦闘中の会話が、何らかの形で記録され、残っていたんですね?…それを元に貴方達は俺に話を聞きに来た。でなければあの少年が言った言葉など、わかるはずがない。」
「そう言うことです。」
淡々と、しかし鋭く眼を光らせてウェルゼン副指揮官が俺を見る。その目は敵意こそないものの、好意的にも思えない。…うん?この人…昨日も思ったけど、またなにか違和感が――
『変化魔法感知』
変化魔法?それって、サイードが使っていた…姿を変える魔法のことか?
『分析中…』『毛髪色と両瞳部位に限定』
毛髪の色と瞳だけ?…妙な魔法の使い方だな。…まあいいか、今はそれどころじゃない。
「わかりました、わかる範囲で構わない、とそちらの方が先刻言っていたので、それで良ければ答えます。それともう一度言いますが、俺の方にはあの少年に面識はありません。」
「それは確かですか?」
「確かです。会った記憶もないし、なぜ俺を見て『マスタリオン』と呼んだのかも、俺にはわからないんだ。」
ウェルゼン副指揮官は俺が嘘を吐いていないか、確かめるようにじっと目を覗き込んでくる。
「トゥレン。」
「ああ。」
パスカム補佐官がポケットからなにかを取り出し、俺に手渡した。
「――偽証石です。嘘を吐くと光ります。申し訳ないが、これを手に持った上で答えを聞かせて頂けないか。」
「…!」
偽証石…!?
偽証石とは人が嘘を吐いた時に僅かに発する掌の汗や、動悸などに反応して光る魔石の一種のことだ。犯罪の捜査や、容疑者の取り調べなどに使われることが多い。
「おい!!」
「ウェンリー!」
ウェンリーが口を挟もうと身を乗り出し、そのウェンリーをすぐにラーンさんが止めた。
――ここまで疑われているのか。話す言葉の一つも信用されずに?これはいくらなんでも笑っては済ませられない。
「…まるで容疑者のような扱いですね。そちらが俺をどう見ているのか、良くわかりました。ですが、どうしてここまで疑われなければならないんですか?記録が残っているのなら、俺達があの侵入者の少年を戦って退けたことも、調べてわかっているはずです。その理由を教えてください。」
どうも他に理由があるような気がしてならない。あの少年との会話だけで偽証石まで持たされるとは思えないし…まさかとは思うが…――
「こちらで貴方の身元をギルドに確認させて頂きました。守護者として正式に登録されたのはおよそ二年前。それ以前の経歴は不明ですよね?現在はヴァハ在住と言うことですが、それまではどちらに?」
ウェルゼン副指揮官の目がさらに厳しくなった。
――やっぱりそう来たか。俺の過去の経歴が不明だから、そのこともあって追求されているんだな。守護者としての経歴だけでは不十分と言うことか。
「な…おい親父!!親父からちゃんと説明してくれよ!!」
ウェンリーがラーンさんに詰め寄る。
「ウェルゼン副指揮官、ルーファスには個人的な事情があって経歴が不明となっているが、それ以前からヴァハの住人であることは間違いない。信用できないというのなら、私がその身元の保証人になろう。
少なくともあの邪悪な侵入者の少年と関わり合いがあるような人間ではないと言い切れる。私の意見では疑いは晴れないのかね?」
「ラーンさん…――」
ラーンさんは数えるほどしか会っていなくても、俺を信じてくれるんだな。
俺は心の底から有り難いと…そう思った。
「マクギャリー軍務大佐のご意見はわかりました。ですが、その個人的な事情というのを改めて伺わなければ判断しかねます。」
「ウェルゼン副指揮官…!」
「親父の意見でも信用出来ねえって言うのかよ…!!」
ラーンさんとウェンリーも食い下がってくれている。
「申し訳ないが、信用できる、できないの問題ではないのです。我々はあのような残虐な行いを、享楽的に笑いながら遣って退けた犯人を…なんとしても見つけ出さねばなりません。そのためにも疑わしい者から、厳しく調べ上げて行かなければならないのです。」
パスカム補佐官が険しい表情でそう力説した。
「享楽的に、笑いながら…?」
俺はその言葉の方が気になった。
パスカム補佐官がハッとなり、“しまった、余計なことを口にした”という沈鬱な表情をする。そしてその後で一時目を泳がせ、ウェルゼン指揮官の方を一瞥してから続ける。
「――この話は今後も公式に発表されることはありませんので、聞かなかったことにして頂きたい。」
パスカム補佐官は気が重そうに口を開く。
「…総技術研究室には、その犯行の全てが監視映像に残されていました。侵入者とおぼしきオレンジと白の二色髪の少年は、止めようとした警備兵全てを殺害した後で研究室に入り、お辞儀をして最初に自らの名を名乗りました。
その後でやって来た目的を話し、質問に答えられなかった研究員達を…楽しそうに笑いながら嬲り殺して行ったのです。」
思い出しただけで気分が悪くなるのか、そう話すパスカム補佐官の顔色が…少しずつ悪くなって行く。
「俺は戦地で戦いを生き抜き、つい先日戻って来たばかりですが…戦場でもあれほど残虐な行いをする人間を見たことはありません。ましてや子供が…あんなことを笑いながらするなんて信じられませんでした。しかもそれだけではない、あの侵入者の少年は…――」
その先の言葉は聞かなくてもわかる。
「…亡くなった人達を死傀儡に変えたんですよね。」
どうやったのかは知らないが、あの少年が遺体を変化させたことは、あの時にアテナが教えてくれた。
「――死傀儡、と言うのですか?あの人間の死を冒涜したような…恐ろしい化け物のことを。魔物とも違う、意思のない赤く光る眼に、まるで暗黒の底から這い出てきたような…あんなこと、俺は絶対に許せない…!」
トゥレン・パスカム補佐官…そうか、この人は…殺された人達の死を心から悼み、犯人を捜し出すことで、その無念を少しでも晴らそうと思っているのか。
俺を疑ってこういう態度を取っている、というだけではなく…それだけ昨夜の事件が精神的に応えるようなものだったということなのだろう。
俺達守護者は魔物に殺される人間を多く見ている。それは日常茶飯事で…どこかそれを運が悪かった、とか仕方がなかったとか諦めるようになってしまっていて、いつの間にか人の死に鈍感になっているのかもしれない。
昨夜の亡くなった人達も残念だと思いつつ、死傀儡に変化していたことで人として見られなくなっていたのも事実だ。これは…俺自身、考えを改めなければいけないな。
それにしてもこの人は…どうやら最初に受けた印象の通り、真面目で優しい、人に好かれるような人物に間違いなさそうだ。…軍の中にもこういう人がいるんだな。
少なくとも俺はこのトゥレン・パスカムという近衛の補佐官に好感を抱いた。
「――パスカム補佐官のお気持ちは良くわかりました。理由もなく疑われたのかと腹を立てるところでしたが…確かに俺の経歴からすれば、不審に思われても仕方がなかったのかもしれません。なのでウェルゼン副指揮官に言われた通り、俺の事情を少しお話しします。」
「え…おい、ルーファス…!?」
ウェンリーが心配して俺の肩を掴む。
「ああ、大丈夫だウェンリー。信じて貰うには、こちらもこの人達を信じるしかない。」
これは俺の本心だった。
「俺が守護者になったのは記録にあった通り二年程前で、同僚で相棒のリカルド・トライツィ氏に進められたからでした。」
「リカルド・トライツィ…!?あの有名な現役トップハンターですか…!」
「そう言えばギルドの方にも依頼記録に残されていましたね。」
パスカム補佐官が少し驚いたように声を上げ、ウェルゼン副指揮官が頷く。
「ああ…はい。それで…それまでは村が魔物に襲われないように、ヴァンヌ山の魔物を狩ったりして護衛的なことをして生活していました。
但しそれも…十年ほど前からのことです。…実は俺は、今現在も過去の記憶を失くしていて…それ以前はどこで何をしていたのか、自分のことも家族のことも思い出せないんです。」
「――記憶喪失…ですか?それは何が原因で?」
パスカム補佐官が身を乗り出して聞いてきた。
「わかりません。助けられた時、かなりの怪我を負っていたらしいんですが、なにがあったのかも覚えていないんです。一応…王国の行政の方に身元を捜して貰えるよう申請はしてあったんですが、少なくともこの国に俺の家族はいないみたいです。」
「なるほど、そういう事情が…おい、イーヴ。」
「ああ、後で確認を取ってみよう。」
「つまりエヴァンニュ国籍を得るために守護者登録をした、という部分もあったんですね。」
パスカム補佐官が俺に同情したような表情をしてそう言った。
「まあ…それもありますが、守護者の仕事は自分に合っていたと言うか…いずれはこの国を出て、記憶を取り戻すために他国を歩き回ってみようと考えているのもあります。」
「…!!」
ウェンリーが顔色を変えているのが視界の端に見て取れる。後が少し大変そうだな。
「守護者の資格さえあれば、どこにでも行けるし、仕事に困ることがないですから。」
「ああ、それは納得です。因みに近衛指揮官のライさ…ラムサス閣下も、守護者のライセンスを所持しているのですよ。定期的に外で一定数の魔物を狩りに出たりしているようです。どのくらいのランクなのかは俺も知らないんですがね。」
あっけらかんと軽い調子で、パスカム補佐官がラムサス近衛指揮官の情報をポロッと漏らす。
「えっ…!?」
「黒髪の鬼神が守護者のライセンスを…!?」
その意外な言葉に、俺とウェンリー、そしてラーンさんも驚いた。
「おいトゥレン、余計なことを言うな!!」
ウェルゼン副指揮官が慌てたように反応し、パスカム補佐官を窘める。
「あ…と、す、すまんイーヴ。どうか今の話も内密に…!!」
パスカム補佐官の表情を見るに、少しは俺への疑いが薄らいでくれたように感じる。だがまだ完全に晴れたわけではなさそうだ。
それはウェルゼン副指揮官の次の言葉からも受け取れる。
「個人的な事情を話していただき、ご協力ありがとうございます。身元の件については後ほど確認を取らせて頂きますが、続いてこちらの質問にもお答え頂けますか、ルーファス・ラムザウアー殿。」
「おい、イーヴ。そんな言い方はもう止せ、事情はわかっただろう。」
「おまえは砕けるのが早過ぎだ!まだ肝心な情報を得られていない上に、侵入者についてもまだなにも掴めていないのだぞ…!」
そう言ってパスカム補佐官を窘めるウェルゼン副指揮官は、こちらも見た目通りの生真面目な人物のようだ。だが、悪い人ではなさそうだな、と俺は思った。
それはこの二人のやり取りが親しい人間同士のものだと受け取れ、どこか好感が持てる印象だったからだ。
「ああ、先刻も言った通りわかる範囲で良ければ答えます。疑いを晴らすにはそうするしかなさそうですからね。」
今度は腹立ち紛れにではなく、協力するつもりでそう答えた。
「――そうですか、では私がこれから上げる言葉で、意味がわかるものがあればその意味を答えて頂きたい。これは総技術研究室の監視映像記録から抜粋したものです。」
そう言うとウェルゼン副指揮官は、次々と単語らしき言葉を上げて行った。
「『シェイディ』『闇の守護神剣』『クレンティア』『暗黒神ディース様の眷属』『混沌』『マスタリオン』『アテナ』…大体このようなところです。意味のわかる言葉はありますか?」
ウェンリーが“あちゃー…”という顔をしている。『アテナ』の名前がしっかりと入っていたからだ。
――前半の三つは聞いた覚えがない。『暗黒神ディースの眷属』と『混沌』は同じ意味だろう。あの少年はその『カオス』の一員だと思う。そう答えるのは問題ないが、根拠を聞かれたらなんと答える?
ここはアテナに協力して貰うことにするかな。
「――暗黒神ディース様の眷属、というのはおそらく混沌、と呼ばれるなんらかの存在のことで、侵入者の少年はその混沌の一員なんだと思います。」
「!」
ウェルゼン副指揮官とパスカム補佐官の顔つきが変わった。
「『マスタリオン』と言う言葉については俺にもわかりません。先刻も言いましたが、あの少年がなぜ俺をそう呼んだのかも、まったくわからないんです。そして最後の…『アテナ』ですが――」
監視映像に記録されていたのなら、俺がその言葉を発していることは既に知られているはずだ。しらばっくれて誤魔化しても、何も良いことはないだろう。だからここは隠さずにアテナを実際に見せようと思う。
「――アテナ、出て来てくれるか?」
『お呼びですか、ルーファス様。』
すぐにアテナが俺の横に現れる。
「?」
ウェルゼン副指揮官、パスカム補佐官、ラーンさんが訝しむ。今はまだアテナの姿はウェンリーにさえ見えない。
「フィールド展開。アテナ、君の声と姿が認識できるようにしてくれ。」
『…かしこまりました。』
キインッ
リビングに視認フィールドが展開され、アテナの姿がみんなに見えるようになった。
「な…!!」
驚いてウェルゼン副指揮官とパスカム補佐官が後ずさる。
「彼女がアテナです。」
『初めまして、アテナです。お見知りおきください。』
いつの間に覚えたのか、アテナがその場で淑女のように服の裾を掴んで挨拶をした。
「これは…いったい!?姿が透けて…」
「彼女はどこから…――」
まあ、真っ先にその質問が来るだろうな、やっぱり。
「彼女は俺が召喚した、戦闘中の補助を担う『神霊』という存在です。今足元に光るフィールドを展開しないと、俺以外には視認できません。だからおそらく監視映像に彼女の姿は映っていなかっただろうと思います。」
ウェルゼン副指揮官とパスカム補佐官が驚いて絶句している。世の中には魔物や異存在、契約精霊や使役動物などを召喚する『召喚魔法』というものが存在しているはずだが、実際に見るのは初めてなのだろう。
「ああ、アテナ…悪いが暗黒神ディースの眷属、『カオス』について、俺に教えてくれたように彼らにも話してくれるかな?」
俺は自己管理システムのことは明かさず、アテナが教えてくれたことにして彼らを納得させることにした。俺は何一つ嘘は吐いていない。だから偽証石が光ることもないはずだ。
『かしこまりました。ではわかる範囲でご説明致します。先ず暗黒神ディースとは――』
――暗黒神ディースとは、太古から存在すると言われる、死と混沌を司る神のことで、“DEATH”と表記してディースと読む。暗黒神ディースには7人の眷属がいるとされ、その組織を“混沌を齎すもの”の意味を込め、“カオス”と称するようになったのだそうだ。
…なんか俺が聞いていなかった部分も含まれていたが、まあ良いか。
「ありがとうアテナ、もう戻って良いよ。」
『はい、ルーファス様。』
すぐにアテナは姿を消した。
「――答えられる質問はこれだけです。俺は貴方達にアテナを見せるつもりはありませんでした。自分から手の内をさらす守護者はほとんどいないし、彼女が攫われる心配はないものの、それこそあの少年のような存在に狙われないとも限らない。
それでも俺の潔白を信じて貰うには、自分の切り札を明かす必要もあると思いました。これは俺からの誠意のつもりです。
これでもまだ疑うと言うのなら、今後俺が貴方達エヴァンニュ王国軍にSランク級守護者としても、一個人としても、二度と協力することはないと思ってください。」
――俺はこの二人に対し、精一杯譲歩したつもりだ。エヴァンニュ王国を含め現在フェリューテラには、俺やリカルドクラスの高ランク守護者はほとんどいない。
Aランク級以上の守護者になると、時折国の方から緊急討伐や要人の護衛など魔物に関する依頼が入ることがある。
その依頼はギルドを通して各守護者に割り振られるのだが、Sランク級守護者になればこちらの都合で断ることも可能だった。
それは特権や自由意志を尊重すると言うよりも、Aランク級守護者で熟せる仕事をSランク級守護者が受けるより、Sランク級守護者でなければ討伐できないような別の仕事を進んで受けるSランク級守護者がほとんどだからだった。
まあ俺も両者を天秤に掛ければ、重要度が高い方を優先するのは確かだが、それでも自分を信頼しない組織のために仕事をするつもりは全くないのだ。
だからこそ少し卑怯かもしれないが、脅しではなく本心で言っておくことにする。
これでわかってくれると良いんだけどな。
「――良くわかりました。」
先にそう言ってくれたのはパスカム補佐官の方だった。
「話しにくい個人的な内容に、召喚魔法についてまで…隠さず話して下さり、ありがとうございます。俺個人としては貴殿を信じたいと思うので、上官であるラムサス閣下にもそう報告させて頂く。イーヴ、おまえはどうだ?」
ウェルゼン副指揮官が俺をじっと見ている。そして少し間をおいてから“そうですね”と切り出し、続けた。
「先ほどの件を調べて問題がなければ、私もラムサス閣下に信頼に値する人物だと報告させて頂きます。ただ…」
「ただ?」パスカム補佐官が首を傾げる。
「――召喚魔法、ですか?あのアテナという『神霊』をもう少し調べさせて頂けないかと。」
「おい、イーヴ、それは――!」
「我々が知らぬ情報を知っているようですし、他にももっと詳しく話を聞かせて欲しいのです。考慮して頂けないでしょうか?」
これは…そう言うこともあり得るかもしれない、と少しは思っていたけど…情報を得たいと言う捜査の観点からなのか、それとも好奇心からなのか?どちらにしても――
「申し訳ありませんが、さすがにそれはお断りします。貴方達にとって彼女がどんな風に見えていたのかはわかりませんが、俺にとってアテナは人と同じで、大切な存在なんです。ですから調べるとか、まるで物のように言われるのは良い気分ではありません。」
「…そうですかそれは失礼しました、お詫び致します。」
ウェルゼン副指揮官はそう言って謝罪してくれた。
――それから二人はもう一度俺に対して深く頭を下げ、ラーンさんとウェンリーとも挨拶を交わし、後日連絡すると言い残して部屋から出て行った。
なんにしても疑いはどうにか晴らせたようで、俺は心底ホッとした。
「大丈夫か?ルーファス。」
気が抜けてソファにへたり込んだ俺に、ウェンリーが飲み物を入れたグラスを差し出す。
「…ああ、まさか経歴を調べられて疑われるとは思わなかった。王国の軍ともなると、やっぱり怖いな。」
“怖い”と口に出したことで、ウェンリーが異常に驚く。
「聞いたか、親父!!ルーファスが怖いって…怖いって言ったぜ!?こいつが怖いって言うなんてよっぽどだぜ、おい…!!」
「なんだよ、そんなに大げさに騒がなくたっていいだろう…!」
「いやぁ…だって、なあ?」
「すまなかったな、ルーファス。私がもっと慎重に考えて行動していれば、君に不愉快な思いをさせることもなかった。本当にすまない。」
ラーンさんが俺に頭を下げた。
「やめて下さい、ラーンさん!ラーンさんのせいじゃありません!!」
「いやしかし――」
「それに今回のことはかなり特殊な事件だったと思います。色々と想定外だったこともあるだろうし、なによりあんな恐ろしい存在が――」
そう口にして…はた、と気付く。
――そうだ、あんな恐ろしい存在が…俺を知っていたみたいだった。俺の方に面識がないのに…会った記憶もないのに、あの少年は俺のことを『マスタリオン』と呼んだんだ。
魔物の駆除と召喚陣に気を取られて深く考えていなかったけれど、俺にとってはそのことの方が大きな問題なんじゃないのか…?
暗黒神ディースの眷属…混沌を齎すもの、『カオス』…いったい、あの少年は何者だったんだ…――
俺はここに来てようやくことの大きさに気が付いた。軍に疑われることよりも、なによりも恐ろしい事実だ。
少年の顔をして笑いながら人を殺せる邪悪な存在…あのパスカム補佐官があんな残虐な行いをする人間を見たことがない、と言うほどだ。残されていた監視映像の記録は相当な物だったのだろう。
そんな存在に知られている俺は…俺は何者なんだ…?
また新たな疑問が現れ、目の前が真っ暗になっていくような気がした――
――深夜…紅翼の宮殿イーヴの自室では、書斎にネビュラ・ルターシュの声が響いていた。
「「カオスに…シェイディだって…!?」」
「――やはり知っているのか、ネビュラ・ルターシュ。」
イーヴは酒の入った氷入りのグラスを傾け、いつもと同じように机の上で闇色に輝く、ラカルティナン細工の仕掛け箱を眺めていた。
「「軍事棟に侵入したのはそいつに間違いないのか?イーヴ。」」
ネビュラの声に普段の巫山戯た印象がまるでないことに気付く。
「…さあ、どうだろうな。」
「「巫山戯ている場合じゃないんだよ!!ぼくは真面目に聞いているんだ!!」」
「おまえのマスターというあの若者はそう言っていた。侵入した少年が『カオス』の一員だろう、とな。尤も、シェイディという名前は監視映像の中で、子供のような少年が名乗った姿を私が見て今言ったのだがな。」
イーヴが口に運んだグラスの氷が、カラン、と音を立てる。
「「シェイディ…あいつ、やっぱりマスターを逆恨みして…デューンが知ったらどれだけ悲しむと思ってるんだ、馬鹿な奴…!!」」
「…逆恨み?」
「「おまえには関係のない話だよ!!」」
あからさまに苛立った声を出すネビュラにイーヴは疑問をぶつける。
「そのシェイディと言う邪悪な子供は、おまえのマスターを『マスタリオン』と呼んでいた。『マスタリオン』とはどう言う意味だ?」
はあぁ、とネビュラが深い溜息を吐く。
「「…おまえも懲りないね。何を聞いたって無駄だと言っただろ。その言葉の意味を知ったって、おまえには何の役にも立たないよ。そんなことより…いいか、イーヴ。もうすぐこの国は大変なことになる。カオスが侵入できるほど結界が弱まっているんだ、いい加減にぼくをライの元に返せ!!」」
「ライ様か…おまえはライ様のことになるといつも必死だな。そもそもライ様はおまえの存在を知っておられるのか?」
「「うるさい!!」」
「自分では動くことも出来ず、そうして私に怒鳴ることしか出来ないのに、いつも威勢だけは良いな。」
そう口にするイーヴは静かに苦笑している。
「――そう言えばおまえ、あれ以来なぜあの若者に自分の存在を知らせない?私が接触したのは既に2回。あの時のように呼びかければ反応があるだろう。そうすれば私の元から逃げ出せるのではないのか?」
少しの沈黙の後、ネビュラが答える。
「「…ぼくの勝手だろ、おまえには関係ない。」」
その反応の仕方に、イーヴは考えを巡らせる。そしてその理由に一つだけ思い当たることがあった。
「――…そうか、ライ様か。ライ様から離れるつもりがないのだな。おまえにとってマスターというあの若者よりも、ライ様の方が大切だと言うことか。」
「「うるさいな!マスターと比べること自体間違ってるんだよ、バカイーヴ!!そんなんじゃない!!」」
「ライ様が大切だと言うことは認めるんだな。」
「「ぐっ…」」
ネビュラが押し黙る。
「――形勢逆転だ、ネビュラ・ルターシュ。今夜こそおまえが知っていることを話して貰おう。でなければおまえをライ様から完全に引き離す。」
イーヴはネビュラの入った仕掛け箱に手を置き、脅すように言い放つのだった。
――そしてその暫く後で、ベッドで眠るルーファスの中にアテナの警告が流れる。
『警告』『守護闇聖<ダーク・ローフィル>ネビュラ・ルターシュ/存在をロスト』
だがそれに気付かず、疲れからぐっすりと眠り続けるルーファスだった。
次回、仕上がり次第アップします。




