238 一番目の獣 ③
事前にノアディティクの警告でメソタニホブから逃れたトゥレン達が、離れた場所から闇に包まれるその光景を見ていた頃、メソタニホブで起きていたのは…
【 第二百三十八話 一番目の獣 ③ 】
「おい、どうなってんだありゃあ!?奥の方から動く骨だの幽霊だのが溢れ出てくるぞ!!!」
命からがら坑道から飛び出して来たその鉱山夫は、汗と土塗れの頬を腕で拭い、血の気の引いた顔をして訴えた。
他にも自分の目で見たものが信じられない、と言う真っ青な顔をしながら、ツルハシや大きなスコップを支えにして地面にへたり込んでいる者が数多く見られる。
――ここはエヴァンニュ王国の攻防要と言われる、国内屈指の鉱石採掘所『メソタ鉱山』だ。
古くからこの山には稀少な鉱石を生み出す『土地神様』が棲んでおり、そのおかげでどれほど大量に採掘し続けても、取り尽くした場所からまた一年ほどで鉱石が採れるようになると言われていた。
そのメソタ鉱山で一昨日に引き続き再び大きな地震が起き、山肌の一部が崖崩れを起こしたり、補強の甘い坑道が崩れたりして、ただでさえ混乱状態だったところに、それは鉱山の中でも最深部から突如として現れた。
通常坑道内に見かけられることのある地下特有の魔物とは大きく異なる〝化け物〟。正確にはそれらも『不死族』という魔物の部類に入るのだが、未だ曾て一度も目にしたことがなく、ハンターでもない彼らにはそうだとわからなかった。
「早く鉱山全域に退避命令を伝えろ!!全員直ちにここから退避!!!急いでキャロに乗り込むんだ!!!」
「鉱山長、あんな化け物は初めて見る!!ツルハシで殴ってもビクともしねえし、頭蓋骨が落ちてもそれを拾って、カタカタ顎を鳴らしながら襲って来るんだ!!なんなんすか、あれ!?」
混乱極まる鉱山事務所前では避難行動が始まっており、幹部クラスの人間と古株の鉱山夫が集まってパニック状態の仲間を優先的に逃がしている。
「俺はハンターじゃないから正確にはわからんが、恐らくあれは『不死族』って奴だ…!生きた人間を殺してその身体を奪い、次々に数を増やして行くと言う、死者の国〝冥界〟の化け物…!」
「じょ、冗談ですよね?んなのどうやって追い払やいいんすか!!」
「聞くな!!俺だって五十年以上生きて来てあんなのは初めて見るんだ…!!」
五十代半ばほどのその鉱山長は、突如として湧いて出て来た化け物の正体がなんであれ、一刻も早くここから逃げ出さなければあれの仲間入りをすることになりかねん、と本能で命の危険を感じていた。
「緊急警報はまだか!?」
「今押しました!!」
部下のその返事と共にけたたましい警報音が鳴り響き、鉱山夫達は次々に専用移動車両『キャロ』に乗り込んで行く。
「荷物になんか構うな!!乗れるだけ乗り込め!!!」
「鉱山長も早く!!」
「まだ鉱員の退避が完了しておらん!!俺が先に逃げるわけには――」
「なに言ってんだ!!あんたがいなけりゃこのメソタ鉱山は動かせねえ、さっさと退避してくれねえと困るんだよ!!」
「しかし…ッ」
「行って下さい、副長の俺が最後まで残ります!!おい、無理やりにでも鉱山長を連れて逃げろ!!」
「合点だ!!そらあ、抵抗出来ねえように担いじまえ!!」
「「「よし来た、おりゃあ!!!」」」
「ば…馬鹿野郎、下ろせ!!!俺には鉱員の命を守る責任が…おい!!!」
メソタ鉱山の最高責任者である鉱山長を屈強な男四人で担ぎ上げ、そのままキャロの座席へ放り込むと、鉱山夫達は直ぐさま脱出して行った。
残った『副長』と言う四十代くらいの男性は、遅れて出てくる鉱山夫達の避難を誘導し、その合間に片っ端から掘削や運搬用駆動機器の電源を停止する。
「副長も早く逃げろ!!化け物がもうすぐそこまで来てる!!」
「ああ、今行く!!」
全ての駆動機器が停止したことを確認した副長は、鉱山夫達と共に停車場へ走り出した。
――その時だ。
「な…」
坑道から一人の若い男が、こんな状況なのにも関わらず、呑気にも慌てる素振りすらなく歩いてくる。
しかも関係者以外は許可なく立ち入りが禁止されているのに、鉱山夫ではない服装で黒髪の、どう見ても部外者だった。
いつの間に入り込んだのかと驚いた副長は立ち止まり、慌てて男に向かって大声で叫んだ。
「おい、そこの男!!なにをしてる、早く逃げろ!!!この緊急警報が聞こえないのか!?…ハッ!!」
直後、まるで隧道から鉄砲水が溢れ出るように、無数の死霊が男の出て来た坑道から噴き出した。
ブワッ…
一瞬で視界いっぱいにその背景が姿の透けた死霊達で埋め尽くされると、さらにはカタカタという奇妙な音を鳴らしながら、人形をした何十体もの骨という骨が途切れることなく続いて来る。
それを見て恐怖に震えた副長は、もう男に構うどころではなく一目散に駆け出した。
ヒュンッヒュヒュヒュンッ
高速で宙を飛びそれを追う死霊達。
「うわあああああ!!!!」
必死に逃れようと空を掴むように手を伸ばすが、時既に遅くあっという間に追いつかれて一斉に身体へ集られると、死霊の纏う腐食性の瘴気により彼の皮膚は忽ち冒され手の肉がどろりと溶解し始める。
「ぎゃああああ!!!た、助けてくれええええ!!!誰かーーーッッ」
「ふ、副長ーッ!!!うわああああーーーーーッ!!!!!」
生きながらにして身体が腐れ落ちて行く激痛に絶叫した副長は、襲い来る死霊を振り払おうとして無我夢中に手足をバタつかせる。
その上助けようとした鉱山夫達も次々に餌食となり、メソタ鉱山の入口付近は阿鼻叫喚の巷と化した。
そうしてやがて力尽き地面に倒れる副長の目の端に、坑道から出て来た黒髪の男が平然と歩いて来るのが見えた。
«ど…どうして、だ…なぜあの男は…この化け物達の中にいて、一人だけ無事なんだ…?»
意識が失われる前に顔の肉がずるりと刮げ落ち、眼球が溶けて真っ暗闇に沈んだ副長は、間もなく吸い込んだ瘴気が鼻から脳にまで達し痛みすら感じることがなくなると、事切れる直前の最後にそんな疑問を抱いたのだった。
――副長がその姿を見かけ、逃げろと声をかけた黒髪の若い男。
言うまでもなくそれは、アートゥルムを魔精霊化させた後に平然と坑道から出て来たライだ。
だがライは犇めくようにして狭い坑道から外を目指す不死族の中で、丸切り襲われていないわけではない。
その証拠に周囲を飛び回る無数の死霊――所謂実体のない『スペクター』や『ゴースト』達は、〝人〟であるライを取り殺そうとして何度も襲いかかっては見えない壁に弾かれ、ビッ、バチンッ、ビシッ、バチバチンッ、と激しい音を立てていた。
程なくして息絶えた副長と逃げ遅れた鉱山夫達が起き上がり、『生ける屍』となって動き出す頃、ゆっくりと歩くライよりも早く辺りの大地は変色して腐り始め、そこからさらに立ち昇る瘴気が風に乗り、死霊、ゾンビ、スケルトンなどを伴いメソタニホブへと流れ込んで行く。
街には未だ逃げずに留まっている多くの住人達が残っていたが、音も立てずに忍び寄る瘴気は容赦なく彼らにも襲いかかると、それを吸い込んだ人々はわけもわからないまま動けなくなりバタバタと倒れた。
そこへ嬉々としてやって来た死霊が倒れた人々に取り憑いて、同じように腐食性の瘴気で命を奪い死体に入り込んではあっという間に生ける屍を増やして行く。
少し経って再びそれらが立ち上がり、異常に気付き逃げ惑う他の住人にも襲いかかると、繰り返される殺戮に為す術もない人々は、ものの十数分で皆不死族と化してしまったのだった。
そうしてメソタニホブの街は、呆気なく不死族に飲み込まれた。
それでもエヴァンニュ王国にとって不幸中の幸いだったのは、メソタ鉱山とメソタニホブの街は頻繁に行き来をするキャロやカーゴのために街道で繋がっているが、鉱山のすぐ北にある工業地区を含め、街までの広範囲が魔物除けの外壁に囲まれておりアラガト荒野とは隔てられていたことだった。
そのおかげで異界の扉から溢れ出た不死族は、スペクターなどを含め高さのある外壁を越えられず、街門が開かない限りは容易に外へ出られない。
但し冥界から流れ込む瘴気だけは気体であるため、ルーファスが張ったような隔離結界ででも覆わない限りは、日が経つにつれ少しずつ外へ漏れ出すことだろう。
シュンッシュシュンッ
そんな風にメソタニホブの街が滅んで僅か数分後…メソタ鉱山へ続く街道側にほど近い街を見下ろせる鉄塔上に、どこからか転移して来た三つの人影が現れた。
「これは…どうやら一足遅かったようです。」
そう言った一人は額から鼻の辺りまでを覆う梟の仮面を付け、白っぽい光を放つ大剣を担いだかなりガタイの大きな男性で、明るいグレーの布地に薄黄色の刺繍が入り襟袖と裾が濃紺の外套を着た、カームブルーの短髪をしている。
「うわあ、どこもかしこも不死族だらけだ~まさか本当にここが滅びるなんてね…生存者は一人もいないのかなあ?」
もう一人は背中に鈍く光る漆黒の二枚羽根を持ち、灰緑色の長い髪に赤味のある栗色の瞳をしており、眠たげに開く目とぼんやりとした雰囲気を漂わせている
…と、ここまで言えばわかるかもしれないが、有翼人種の『ユスティーツ』だ。
そして最後の一人は――
『ふん、一部何軒かの建物内と街外れのミニエール神を祀った教会にまだ二十人ほどが生き残っている。まあそれも外へ出れば一瞬で不死族共の仲間入りだろうが。それと…ほう、事前にアラガト荒野へ百人ほどが退避しているな。勘のいい人間もいたものだ。ククク…なあ、カラミティ。』
ブウン、と青黒い刀身を光らせて男の手に握られている『生きた剣』は生体核から声を出しその名前を呼んだ。
無言で瘴気の漂う街を見回す男は、真紅の長い髪を風に靡かせ、血の気の失せた青白い肌に寒気がするほど美しい顔をして、無表情に真紅の瞳を走らせる。
そう、最後の一人は闇の守護神剣『マーシレス』を手にした災厄――『カラミティ』だった。
「守護七聖主は来ていないようですね…警告の意味を正しく理解出来なかったのでしょうか。」
「うーん、こう言ってはなんだけど、多分今はそれどころじゃないんじゃないかな…アーシャルのスカサハとセルストイが妙な動きをしてるから。ずっと監視を付けて追わせてるんだけど、どうも太陽の希望の誰かを殺そうとして狙っているみたいなんだよね。」
「ふむ、愚かな…返り討ちに遭うのが落ちでしょうに。」
『――で、肝心の小僧はどこだ?』
マーシレスの問いにカラミティの視線を辿る仮面の男が答えた。
「ああ、あそこです。」
三人の視線が注がれる先――メソタニホブの丁度中心辺りにある広場に、マーシレスが『小僧』と呼んだ『ライ』はいた。
見ればライは両の掌から漆黒の魔力を放ち、襲い来る不死族を捕らえては『青白く光るなにか』を体内へ吸収し、群がるそれらを次々に消滅させている。
それはまるで、ライの張る蜘蛛の巣へと引き寄せられるようにして引っかかる敵を片っ端から殲滅しているようにさえ見えるが、そうでないことは明白だった。
なぜなら、不死族が消えるごとにライの身体から漆黒の闇が噴き出し、それがメソタニホブの街へと広がって辺りを真っ黒に染めつつあるからだ。
「ええ…あれってなにをしてるの?」
ぎょっとして首を傾げながら尋ねるユスティーツに、カラミティが口を開いた。
「冥府の亡者共から『霊力』を取り込んでいるのだろう。」
『ちっ、面倒な!あれらのことは他所にして、小僧は小僧で身代わりを立て、事が済むまで別の牢にでもずっと放り込んでおけば良かったのだ…!!』
「囂しいぞマーシレス。うぬはレインフォルスを侮り過ぎる。未だ己の身すらままならずとも、この世で最も執着する存在が紛い物であることに気づけぬほど、あれは愚かではない。」
『…ふん、まあいい。ならばあれ以上力を取り込む前に、とっとと済ませるぞ。』
ボワン、とマーシレスが守護神剣全体を紫色に光らせた。
三人は瞬間移動でライの前へ降り立つために、先ずは仮面の男の先制攻撃で半径五百メートル内にいる無数の不死族を蹴散らした。
ドンッ
仮面の男が出現すると同時に全体重を乗せた大剣を地面に突き刺し、何重もの円を描く光の柱を聳えさせて、スペクターとゾンビ、スケルトンを昇華して消し飛ばしたのだ。
そうして直後に地面へと降り立ったカラミティとマーシレスに、バサリと二枚羽根を羽ばたかせて宙を飛ぶユスティーツがそこに現れると、一定範囲に外からの不死族を近づけない聖属性付加の戦闘領域を作成する。
キンキンキンキンッ
すると襲撃者が現れることは予測していたのか、ライはカラミティ達が姿を見せるや否や霊力を吸収するのを中断し、両目を赤く光らせて全身から噴き出す闇で即攻撃を仕掛けてくる。
ゴオッ
ライの初撃は噴き出す闇を剣や斧、槍や大剣などに変化させ、自由自在に操って無数の技を連続して叩き込むというもの。
それはゲデヒトニスがカオス第四柱への攻撃に用いた『神器召喚』に似ているが、こちらは全ての攻撃が禍々しく、腐食性の瘴気を伴っていた。
『〝欠片〟の分際で小賢しいわ!!我に合わせよ、ベレトゥ!!』
「承知!!」
マーシレスの思うままに動けるよう、カラミティは守護神剣と精神を同調させ、ライの攻撃を往なしながらその懐へと潜り込む。
カラミティとマーシレスの猛攻に押され気味になるライは、闇の盾を作り出し、それで身を守りつつ反撃の隙を伺う。
そこへ死角からスッと現れた『ベレトゥ』と呼ばれる仮面の男が、大剣による大技を繰り出して光を纏う二連撃をライに叩き込んだ。
ズザザンッ
――がその瞬間、ライの姿はフッと掻き消すように見えなくなり、振り抜いた大剣を引き上げる間もなくベレトゥはライに背後を突かれてしまう。
「!」
«な…!?»
刹那ライの赤々と光る目がギラリと輝き、至近距離でその左手から漆黒に光る『死神の紋章』がベレトゥの背中を貫いた。
カッ…ドンッ
ベレトゥの視界が漆黒に染まり、幻視の中で命を狩る死神の鎌が振り下ろされるも、支援に徹していたユスティーツの移動魔法でベレトゥは寸前回避し、即死攻撃をどうにか免れる。
「ふう~危ない危ない、あれはそう何度も使えないけど凄い隠し玉を持ってるね。でもさあ、僕の存在忘れてるんじゃない?」
「すまぬ、ユスティーツ。」
「礼は要らないよ。ほら、次が来るから!!」
「!!」
引き続きカラミティとマーシレスの猛攻に耐えながら、ライの目はベレトゥ達を捕らえており、カラミティに攻撃すると見せかけて、闇の弓による追尾性能付き腐食矢を無数に放った。
ズドドドドドッ
ユスティーツとベレトゥはそれを全て躱し、ユスティーツは火属性魔法による広範囲攻撃を反撃に、ベレトゥは大剣の剣撃による遠距離波動撃をライへ向けて同時に撃つ。
「これでどうだい!?」
「我もお見舞いだ!!」
ゴオッ…ガガガガガッ
灼熱の業火が戦闘フィールドを埋め尽くし、ベレトゥの波動撃がライのいた場所を直撃する。
しかしライは闇の防壁で自らを包み、二人の攻撃すら無傷で凌いだのだった。
「な…っこれすらも防ぐか!!!」
『気を抜くな!!』
ズオッ…
闇の盾でユスティーツの魔法とベレトゥの波動撃を防いだライは、その両方共の攻撃威力を吸収し、直ぐさま反撃技を返してくる。
ギュルルルルル…ビシュシュシュシュシュッ
ライの闇が液体のように波打ち、下から上に向かって無数の雫が舞い上がると、その全てが円錐状の棘となりカラミティ達へ高速で飛んで来る。
「躱せ!!!」
「わかってる!!」
ベレトゥとユスティーツは瞬間移動でそれを躱し、カラミティは光の盾を前面に召喚して身を守った。
「御前に合わせて魔法で連携を取れ、ユスティーツ!!」
「やってるよ、でも全部防がれるんだ!!あの盾のせいだ、やばすぎる!!」
カラミティとマーシレスによる攻撃以外、ベレトゥとユスティーツが仕掛ける攻撃は殆ど通用せず、魔法でさえもライの闇による召喚武器で軽く往なされてしまう。
「弱音を吐いている場合か!!」
一旦マーシレス主導のカラミティに攻撃を任せ、ベレトゥはユスティーツの元へ後退すると二人は攻め倦ねて話し合う。
「だってさ、ベレトゥ!これでも僕は自分を化け物だと思ってるのに、あれで人間なんだよ!?オムニス・オブルークを使うわけには行かないし、どうすればいいんだい!!」
「ならばここは高威力の上級魔法を使え。」
「ええっ!?で、でもそんなことしたらこの街が…」
「ここは既に不死族に飲まれた。死んだ街を気にして今あれを放置することは許されぬ。」
「くっ…仕方ないな、わかったよ。詠唱に時間がかかるから、フォローをお願い…!」
「任せよ!」
ブウンッ
ユスティーツが魔法詠唱に入るとベレトゥが彼の援護につき、戦闘領域の上空に赤と黄色の巨大な魔法陣が描かれて行く。
それに気付いたライは詠唱を止めるために地面を蹴って超跳躍し、十メートルほどの高さにいるユスティーツまで凄まじい早さで迫って来た。
「させぬ!!!」
…が、援護につくベレトゥが立ち開かって大剣を振り抜くと、それを躱した拍子に地上へと追い落とされてしまい、上から追撃するベレトゥと地面に着地したライの背後へ素早く回ったカラミティに挟撃される。
「ぬうんっ!!!」
『これは避けられまい!!喰らえ、小僧!!!』
前後から同時にベレトゥの大剣とマーシレスによる攻撃技が放たれた。そのどちらもが一定範囲に効果のある魔力を伴った強撃で、巨大な岩すらも砕けるほどの威力がある。
しかしこれにすら怯まない冷淡なライの目が赤い残像を伴って揺らめくと、一瞬だけその姿は消え失せて、二人の技が対象を失い空を切った直後に、再びそこへ現れるという回避技まで見せてくる。
『チイッ…!!!』
「なにっ!?」
刹那反撃態勢に入ったライは、召喚武器を次々に持ち替え、斧による広範囲回転斬りと剣による連続突き、そして大剣による薙ぎ払いという単身連携技によるカウンターを喰らわせた。
『ぬうっ!!!』
「ぐうっ!!!」
それをマーシレスで受け止めるカラミティが蹌踉めき、完全に避け損なったベレトゥは吹き飛ばされて後退すると、受け身を取って踏ん張ろうとした靴の痕が地面に二本の筋を作った。
それとほぼ同時に時間稼ぎは功を奏し、ユスティーツの魔法詠唱が終わってライを中心にした赤と黄色の魔法陣が完成する。
「炎よ灼熱に熱せ、地よ爆ぜよ!!!『グランストローム・エクスプロード』!!!」
ドゴゴオオオッ
魔法陣内の地面が隆起し、攻撃効果の中心に立つライを押し潰そうと外側から内側へ向かって二度、三度、大地の波が押し寄せる。
それが終わると下からライを持ち上げるようにして地面が迫り上がり、その頂点から噴き出した炎の塊が爆ぜて戦闘領域全体を業火で満たした。
その魔法光は三キロ近く離れた場所にいるトゥレン達からも見え、暗雲の立ちこめる灰色の空が赤く朱色に染まるほどだ。
「今度こそ効いたよね…どう!?」
右の拳を脇に引き寄せ、良し!、とポーズを取ろうとしたユスティーツだが、剛炎の中に浮かぶ闇の球体に守られ、掠り傷一つ負っていないライを見て愕然となる。
「嘘でしょ…これでも駄目なの!?ちょっと待ってよ~!!!」
「なんという…まさかこれほどとは――」
さすがは呪われし血族、とベレトゥは呟いた。
ユスティーツの魔法で戦闘領域である広場周辺の建物は吹き飛び、まるでそこに空から魔法弾が落ちたかのように辺り一面は破壊されて焼け焦げた。
それなのにそれほどの魔法攻撃でもライに傷を与えられないと知って、二人は言葉を失う。
『…はっ、もう此奴はルク遺跡で我らを前に怯え、畏れ慄いていたあの時の小僧でないことは確かだな。――手加減はここまでだ、カラミティ。以降は本気でかかららねば我らは良くともベレトゥとユスティーツが生き残れぬわ。』
ブウン、と明滅するマーシレスは、その声色から焦りを感じ、冷や汗を掻いているように感じる。
敗北を認めたようにも受け取れるその台詞を聞き、マーシレスへの同調を断つカラミティは口の端に僅かな笑みを浮かべた。
「うぬにしてはらしくないことを…ならばここからは我に従え。」
『仕方あるまい…わかった。』
ドオンッ
ここまではカラミティがマーシレスに同調して力を抑え戦っていたが、今度は逆にマーシレスが守護神剣としてカラミティに合わせ戦うことにした様子だ。
するとそれまでとは比べものにならぬほどの真紅の闘気がカラミティから立ち昇り、あまりにも強大な闘気となにもかもを滅ぼしかねない『恐るべき力』を感じたライが怯んでたじろいだ。
「「――ほう…遺跡にて我に触れることも出来ず死に瀕したことを、ここで身体の方が思い出したか。」」
カラミティの声が一体となったマーシレスの声と二重に重なって響き渡り、その声にすら凄まじい威圧が込められライへとふりかかる。
「「所詮は〝欠片〟…素体の持つ真の記憶には抗えまい。我に一度でも怯えたうぬは、決して勝つことはできぬ…覚悟せよ。」」
ズアッ…
漆黒の闇を纏うライを、真紅の闘気を纏うカラミティが全てにおいて圧倒する。ライが闇から作り出す武器は瞬く間に消し飛ばされ、召喚して作成した傍からカラミティに破壊されてしまい、闇の盾と防護障壁のような見えない壁で守られているその身体に、無数の傷が刻まれて行く。
もしもその守りがなければ、ライの身体は疾うにズタズタに切り裂かれており、カラミティの前に数秒と持たず倒れ伏していたことだろう。
情け容赦なく徹底して繰り出されるカラミティに同調したマーシレスの攻撃は、その恐るべき本領を発揮してやがてライの身体から噴き出している〝闇〟全てをライから微塵も残さずに引き剥がした。
瞬間、ライの守りと闇の盾は砕け散り、その隙にカラミティの魔法で一切抵抗できないように拘束されてしまう。
ガクリと地面に膝を着いたライへ、負け惜しみのようなマーシレスの声が降り注いだ。
『ふん…呆気ないものよ。災厄であるカラミティと真価を発揮した我にかかれば造作もない――むっ!?下がれ、カラミティ!下からなにか来るぞ!!』
ズザッ
異変を察知したマーシレスの警告に素早く離れたカラミティの前で、拘束されているライの真下から、ズズズズズズ、となにかが迫り上がってくる。
「な、なになになに!?なんか白いのが出てくるよ!?」
「御前!!」
「「狼狽えるな!!」」
やがて一部が顕わになったそれは巨大な猛獣の前脚であることがわかり、純白の毛に覆われて肉球の付いた足先に爪を立て、シャッと一度素早く動かすと、それはライを拘束していたカラミティの魔法を瞬時に断ち切ってしまった。
「拘束魔法が解かれた…!!」
目を見開くユスティーツが警戒するも、カラミティに全ての闇の力を奪われたライはまだその場から動けない様子だ。
そんなライの横へ、それは人型に姿を変え地中から三人の前に悠々と現れる。
「――貴様…」
『おのれ、下僕に過ぎぬ獣風情がよくも我らの邪魔を…!!』
マーシレスが『獣風情が』と悪態を吐いた通り、そこに現れたのは白銀の髪に白銀の瞳を持つ、ライの手で封印から解放されたばかりの〝一の獣〟『ゼウス・デヌ・カヌウス』だった。
ベレトゥとユスティーツは警戒対象をそちらに変え、直ちに武器を構える。
『これはこれは…まさかこのような場にて紅の災禍たる御方に再びお目にかかろうとは少々想定外でした。』
「「ゼウス・デヌ・カヌウス――」」
ゴオッ
再び強制的に同調したカラミティは、問答無用で間合いを詰めるとマーシレスを振り下ろしいきなりカヌウスに斬りかかった。
――が、カヌウスはそれをサッと躱して後退すると、聞いてもいないのに勝手に一人で喋り始める。
『いえ、なにね…そこの御仁とは取引をして朕を封印から解放して頂いたのですが、その見返りが地下に予め用意された異界の扉を開くだけだなどと、少々見合わぬのではと気が引けていたのですよ。そこへ思いがけぬ御方らがおいでだったので、ちと面白そうだと様子を窺っていたのですが…これで気兼ねもなくなると言うものでしょう。全く…汚らわしい冥府の亡者共からわざわざ集めなくとも、一言仰って下されば朕の神力を含んだ霊力をたっぷりとお分けしたのに。――ねえ?そう思いませぬか、闇の守護神剣マーシレス殿。』
カラミティ達にそう告げてニタリと不気味な笑みを浮かべると、カヌウスは特殊な魔法で青白く光る結晶を作り出し、それをライの前に差し出した。
するとその結晶はライの身体に吸い込まれるようにして消えて行き、直後カラミティが全て引き剥がしたはずの闇がさらに強大となって復活してしまう。
ドオンッ
「「…ベレトゥ!!」」
「御意!!!」
「僕も!!!」
カラミティがカヌウスの相手をしている間、ベレトゥとユスティーツは直ちに立ち上がったライの方を抑える役目に就いた。
『くくくくく…矮小なる人族なぞ朕が出るまでもなく、疾く疾くこの地のように滅びてしまうが良いわ。なにを思うてか血迷うた紅の災禍も、最早主上の眼中にすら在らぬぞ。此度は二十四の全てがその方らと守護七聖主の相手となろうな。』
「「ふ…捨て駒に与えられたに過ぎぬ僅かな力に酔い、卑しき獣の分際で我らとあれを愚弄するか。最下位とは言え既に二十四の獣たる神鳥『ペシャクリム・イ・ガルラ』が狩られ下ったことすら知らぬと見える。未だあれはその力を三分の一すらも取り戻しておらぬと言うに笑わせてくれるわ。」」
『な…なんだと!?ガルラが――』
「マーシレス!!!」
『承知!!』
シュンッ
カラミティの前で驕り、長期間封印されていたことですっかり気も緩んでいたカヌウスは、その言葉に踊らされて大きな隙が生じ、そこを一瞬のうちに突かれた。
ズザンッ
『ギャアアアッ!!!!』
正面からその整った顔を袈裟斬りにされ、カヌウスが痛みに両手で顔を押さえながら仰け反ると、続いてカラミティは渾身の力を込めてマーシレスでその心臓を貫いた。
ズンッ
『がッ…』
直後短い声を上げたカヌウスの人型は崩れ、その身体が正面から真っ二つにバリバリ裂けると、中から本体である巨大な白銀の獅子がそこに顕現した。
その身の丈は頭から尻尾の先まで軽く十メートル近くある。
『チィッ、やはり我らでは届かぬのか…ッ!!!』
心臓を貫いたはずなのに致命傷には至らなかったと、それを見たマーシレスは悔しげに舌打ちをする。
「十分だ、これで奴は引くだろう。」
本体を現したカヌウスは、蹌踉めきながら白い毛に覆われた自身の手が血に染まっているのを見て水球を作り出し、それに映る己の顔を見た瞬間にわなわな震え出した。
『おのれ、おのれえええ…!!!よくも朕の美しき顔にこのような傷を…ッ!!』
「「くくく…人型では些細な傷も巨大になれば良う目立つ。身の程知らずのナルシストである貴様には似合いの姿だ。うぬも知っておろうが、守護神剣により負わされたその傷は生涯消えぬぞ。元通りに治したければ尻尾を巻いて飼い主の元へ逃げ帰り、またしても我にしてやられたのだと泣いて救いを請うが良い。」」
『くうっ…欲を掻き要らぬ手を出したのが運の尽きか…!覚えておれ…紅の災禍よ、この借りは必ず返す!!!いずれその首、主上の前に朕が差し出してくれるわ…!!』
シュンッ
カラミティの目論見通り、カヌウスは捨て台詞を吐いてあっという間に消えて行った。
『負け犬が良く吠える。――むっ!!!』
カラミティがカヌウスの相手をしていた短い時間にもベレトゥは膝を着き、ユスティーツも既にライを抑えるのは限界に達していた。
攻撃の余波がカラミティの元まで届き、倒れたベレトゥを抱えて空へ逃れると、ユスティーツはカラミティの後ろまで即座に撤退して来る。
「申し訳ありません、御前…私ではやはり力不足です。」
満身創痍のベレトゥが苦痛に歯噛みながら頭を垂れる。
「下がっていよ、良く持ち堪えた。」
一言だけ労いの言葉をかけると、再びカラミティはあの凄まじい真紅の闘気を放ちながら残像を伴い、膨大な闇を纏うライへと突っ込んで行く。
「大丈夫かい?ベレトゥ。」
「情けのない…永きに渡る牢獄生活ですっかり腕が鈍っているようです。御前とマーシレス殿に救い出されておきながら、未だこれでは立つ瀬がない。」
「それは気にしなくていいんじゃない?少なくとも貴男はこちら側についてくれたんだしさ。あっそうだ、これ使ってみる?ルーファス様が作られた治癒魔法石らしいんだ。魔物駆除協会で特別にギルマスから売って頂いたんだよ。」
「ふ…、全く貴殿は…」
苦笑するベレトゥはそう言いながらもユスティーツから治癒魔法石を受け取り、その場で負傷した傷を一瞬で癒すと、再度ユスティーツと一緒に戦線へ復帰していった。
♦
――痛い…苦しい…もう嫌だ…
どうして俺がこんな目に遭っている…?
その時今日何度目かで意識が戻ると、俺の身体はまた勝手に動いて、あの恐ろしい真紅の災厄『カラミティ』と戦っていた。
目の端にちらちらと見えるのは、俺の絶望を表したかのような、奈落の底に敷き詰められる漆黒の闇だ。
わけがわからない。なぜ俺の身体はこんな闇に包まれている…?なぜ俺は俺の意思に反してこの恐ろしい相手と対峙しているんだ。
――どうしてこうなった?
所々の記憶の中に思い当たる最初の出来事は、ルーファスが俺の目の前でレインの姿に変わって俺をどこか真っ暗闇の中へ飛ばし、足を着いていた地面が突然消えてどこまでも下へ下へと落ちて行ったことだ。
その後は随分と長い間暗闇の中へ沈んでいたが、そこで紫に光る小さな『欠片』を見つけたんだ。
その欠片は触れるとほんのり温かくて、なぜだか俺はそれが俺にとってとても大切な宝物のように感じてしまい、胸に包み込むようにしてそっと抱いた。
するとその瞬間、俺は俺の身体から一度どこか遠くへ弾き出されてしまい、俺の手から延びている闇色の糸を辿って僅かに見えた紫色の光を目指した。
眩しさに目を細め、次に目の前を見るとそこには半人半獣の化け物に取り囲まれ、ペルラ王女を必死に守るトゥレンがいた。
驚いてなにがなんだかわからないままにトゥレンを呼んだが、俺が何度繰り返し呼びかけても一向に気付いては貰えなかった。
そうして一線を引いて突き放したくせに、俺はまたトゥレンに甘えるつもりなのかと自己嫌悪に陥りかけると、トゥレンとペルラ王女が窮地に陥り、追い詰められている場面に出会したのだ。
魔法にでもかけられているのか、様子のおかしいトゥレンにさっさと逃げろと叫ぶがその声もあいつには聞こえていない様子だ。
それでも力を振り絞り、俺の全身全霊をかけて最後に呼びかけると、急に我に返ったようにトゥレンは動き出し、王女の手を引いてその場から逃げ出せたようだった。
良かった、と安堵した途端に意識を失った俺は、また暫くの間目が覚めることはなかった。
次に意識が戻ったのは、聞き覚えのある声で叩き起こされ、額からなにかの力を注がれて痛みを感じたことに驚き目を開けた時だった。
『よう、やあっとお目覚めかい、人間!おいらのこと記憶してるか?』
あまりにも近すぎて誰だかわからん。そう答えると、俺の目を至近距離で覗き込んでいたのは、以前〝海神の宮〟で俺とジャンを手助けしてくれた、土小人クレイリアンの『パキュタ』だった。
パキュタは海神の宮で会った時のように、洞窟蝙蝠のアギに乗って俺の所までやって来たそうで、すぐ近くの森に棲んでいると言う同族の集落が、魔物に襲われて困っているから助けて欲しい、と俺に頼んで来る。
だがこの時の俺はどこか見知らぬ家の部屋の中にいて、そこがどこなのかさえわからず、鉛のように重い身体はまるで自分の身体ではないかのように立ち上がることさえできなかった。
するとパキュタは俺にあの小さな身体で『んならおいらの霊力を分けてやる。』と、そう言って再び俺になにかの力を注いでくれたのだ。
そのおかげで嘘のように身体が軽くなり動けるようになった俺は、急かすパキュタの頼みを聞き入れて、すぐ傍のクローゼットにあった誰かの服を借り、同じように借りた靴を履いて手近にあったアイアンソードを持つと窓から外へ飛び出した。
その時自分のいた建物を振り返って見上げるもやはり見覚えはなく、ここはいったいどこなのだろう、そう思いながら怒鳴るパキュタに案内されて外壁の隙間からすぐ近くの森へと向かったのだ。
アギに乗ったせっかちなパキュタの後について行き、緑鮮やかな森の中を二十分ほど歩くと、樹齢が数百年は経っていたと思われる巨大な切り株のある場所で、そこからわらわらと湧いて出て来たクレイリアン達に紹介される羽目になった。
俺はパキュタとそこの長老だというクレイリアンに頼まれるまま、繰り返しクレイリアン達の集落を襲っているという魔物の集団を討伐すると、その直後急に動いたせいなのかまた意識を失ってしまった。
そして次に目が覚めた時には、また自分の身体から外へ離れており、髪と瞳の色を変え俺を探しているらしいトゥレンとペルラ王女の傍に心だけが漂っていた。
以前と同じようにトゥレンへ何度も呼びかけてみるが、やはり声は届かない。どうしたものかと困り果てていると、俺は俺の身体が勝手に動き、シャトル・バスに乗ってメソタニホブの街に辿り着く幻覚のようなものを見た。
そこで俺はなんとかトゥレンに、俺の身体がメソタニホブへ向かったことを知らせようとして必死に訴えてみる。
初めは全く届きそうになかったが、それでもふとした瞬間に俺の声が聞こえたのか、トゥレンは誘われるようにしてペルラ王女の手を引き、メソタニホブ行きのシャトル・バスに飛び乗ってくれたのだった。
ホッとしたのも束の間、心だけでトゥレンに呼びかけるのは相当疲れるのか、俺はまたそこで意識がぼんやりとし始めた。
その間誰かが俺に話しかけて名を名乗り、もう会うことはないだろうが覚えておけ、とかそんなようなことを偉そうに言っていたような気がする。
当然、意識がぼんやりとしていた俺は、その時名乗られた奴の顔も名前ももう覚えていないのだが。
――そうして次に目が覚めると、俺の意思では指一本動かせない自分の身体の中にいて、巨大な蚯蚓の魔物が俺に凄まじい怒りをぶつけている最中だった。
怒り狂う巨大蚯蚓が言うには、なんでも俺が南の森にあった地精霊クレイリアン族の集落を〝焼き尽くして滅ぼした〟のだそうだ。
なにを言っている?どうして俺がそんなことをする、と混乱した。そもそも俺がパキュタの同族であるあの小さな精霊達に危害を加える理由がないだろう。
だが確信を得ているらしい巨大蚯蚓は、俺を『精霊殺し』と罵り、俺が彼らの霊力を喰らったのだと言って恐ろしい呪いの言葉を吐くと、目の前で黄土色の巨竜に変異してしまった。
それだけでなくそこの壁に開いた扉の模様からは、次々と生き物の気配がない化け物が溢れ出てくる。
それなのに俺の身体はなにかに守られているようで、平然としてその場から立ち去ったのだ。
この見えない壁のようなものはなんだ…?よく見るとこれは、俺が勝手に借りて来た、あの部屋のクローゼットにあった誰かの衣服のおかげのようだ。
そこまで知って勝手に動き回る俺の身体に、おまえは誰だ、これは俺の身体だぞと訴えて返せと怒鳴ると、また俺は心だけで外に放り出されてしまう。
そして再びトゥレンの元まで飛ばされた俺は、トゥレンがペルラ王女とメソタニホブの街から一部の住人を引き連れて無事に逃げ出すのを見ていた。
どうやら俺の手から延びているこの紫色の光は、俺とトゥレンがネビュラ・ルターシュによって交わした闇の主従契約による繋がりから見えているものらしい。
つまり俺は、トゥレンのおかげで自分の身体から追い出されても消えずに済んでいるのだろう。
ならばここでトゥレンに助けを求めれば、俺の身体が〝俺ではない者〟に好きに使われていることを気付いて貰えるかもしれない。
自分の都合のいい時にだけ頼るようで気は引けるが、今の俺にはトゥレンしか頼れる者が誰もいなかった。
トゥレン、どうか俺に気がついてくれ。俺はここにいる。トゥレン、頼む…!
そう強く願った瞬間に、俺は俺の身体へと引き戻された。
そうしていつこの三人が現れたのか、俺の知らない内に俺の身体が勝手に戦っており、何一つ思い通りにはならないのに、身の毛の弥立つ激しい痛みと苦しみだけを味わわされている。
どうすればここから抜け出せるのだろう?
災厄と以前王都で会ったユスティーツがなぜ共にいるのかもわからないが…このまま俺はなにも出来ず、ここにいることさえもう誰にも気付いて貰えないのだろうか…
――救いのない絶望の中でライはあの小さな紫色の欠片をもう一度胸に抱き、最愛の養父レインフォルスと、別れを告げられても未だ忘れることのできない愛するリーマの笑顔を思い浮かべ、静かに祈るようにただ目を閉じるのだった。
次回、仕上がり次第アップします。




