23 王都戒厳令 ②
研究棟最上階でオレンジ髪の少年と対峙するルーファス達。凄まじい攻撃に防御が間に合わない、と思った瞬間、目の前に現れたのは――
【 第二十三話 王都戒厳令 ② 】
――総技術研究室の入口で…俺達は、目の前の異様な光景に立ち竦んだ。
床を四つん這いで動き回る、“白衣を着た”なにか。それらは十体ほどがおり、赤くギラギラとその眼を光らせてこちらを見ている。
その身体からは、暗黒種と同じようにドス黒い靄が立ち上り、肌は赤紫色に爛れ、両手両足の先には鋭い爪が五本ずつ突き出ていた。
Athenaによると、そのなにかは『死傀儡』という操られた死体なのだそうだ。つまりは元はここにいた研究員の人達なのだろう。その面影は、もう微塵も残されていなかったが――
「な…なんだよ、あれ…」
ウェンリーが恐怖を感じて微かにカタカタと震えている。
こちらに背を向けて奥に立っている、オレンジと白の二色髪の人物から途轍もない邪悪な闘気が放たれているからだろう。それは俺でさえ気圧されそうになる、悪意の塊だった。
「――あれえ…?なあんだ、準備が出来たら僕の方から探しに行こうと思ってたのに…ここまでキメラ達を倒して来られるような人間がいたんだあ?」
声を聞く限り、まるで子供のような高い声だった。
「僕の召喚陣を消してくれたのは、もしかして君達かなあ?ふふふ…お仕置きしてあげなきゃねえ…」
そう言ってぞっとするような声で笑いながら、その人物は振り向いた。
「な…こ、子供…!?」
驚いて俺は目を見開く。その人物はどう見ても十四、五才の少年にしか見えなかった。
「嘘だろこいつが侵入者?…なんでこんなガキんちょが…――」
ところが俺達が驚いているのと同じように、なぜかその少年もこちらを見て同じように驚き、固まっていた。
「…?」
Athenaがまた、赤く光る文字で俺に警告する。
『緊急時形態移行/対混沌戦補助機能発動/神霊Athena召喚解放/実行』
神霊Athena召喚…!?なんだか初めて見る項目が――
「お、おまえ…は…マスタリオン…生きていたのか――っっ!!!」
我に返った二色髪の少年が、俺を見て鬼のような形相でそう叫んだ。
それと同時に、無数の黒い触手が一斉にこちら目掛けて放たれる。
ズザザザザザァァ――ッ
――早…っ盾魔法…間に合わない…!?
『対混沌フィールド展開』『パーティーステータス・オープン』
フオン…ドガガガガガガンッ
なにが起きたのか、わからなかった。
気が付いたら、俺とウェンリーを包む光の障壁が展開されていて、黒い触手の攻撃をすべて弾き返していた。そして目の前には…半分姿の透けたラベンダーグレーの髪の女性がいつのまにか立っていたのだ。
「…なっ…!?」
混乱する俺の横でウェンリーが声を上げる。
「ななな、なんだよこれえええ!?お、俺の頭ん中に変な画面があああ!!!」
ん?頭の中に、変な画面?俺と驚く要因が違う。
どことなく人形のような、ぎこちない微笑みを向けてこちらを振り向いたその女性が告げる。
『ルーファス様、私はAthenaです。神霊召喚体として今から対混沌戦闘の防御支援を担当致します。』
「Athenaだって…!?」
俺は驚いて思わず目を丸くした。
『はい。私が混沌の攻撃をすべて無効化致します。ルーファス様は死傀儡の殲滅と攻撃に専念ください。ウェンリー様はステータス画面に従い、行動をお願い致します。』
「だだ、誰だよおまえ!?てか…こ、これってルーファスの…自己管理システム…!?なんで俺にまで――」
ウェンリーがようやく少し落ち着いたらしい。その様子から、俺の自己管理システムと同じ画面が、ウェンリーの頭の中にも現れているのだろうと推測できた。
「くっ…全部弾かれた…!?時空神の絶対障壁か!!行け!!おまえ達、マスタリオンを倒せ!!」
その少年の指示を受けて一斉に死傀儡が動き出した。
「来るぞウェンリー!!」
我に返った俺とウェンリーは武器を構え、攻撃に備える。
――あの子供…俺を見て、『マスタリオン』とまた呼んだ…?
『――お二人に近寄らせません。ディフェンド・ウォール・リフレクト。』
俺とウェンリーの前にAthenaが唱えた魔法が発動し、光の壁が出現すると、突進してきた死傀儡を弾き飛ばした。
「回復魔法ヒール!!」
俺は先ほどのAthenaの助言に従い、回復魔法を死傀儡に向かって放つ。
ニ゛ャッ…
ヒールの緑光が触れた瞬間、奇妙な声を発してその一体がザッという音と共に塵となって消滅した。
そうか、既に死んだ肉体に回復魔法をかけると、逆作用で崩壊するのか…!
こちらに向かってくる次の死傀儡に再びヒールを放つ。すると死傀儡が消滅したのと同時に、頭にエリアヒール習得の文字が流れた。範囲回復魔法が使えるようになったらしい。
ザザザザッ
既に二体の死傀儡を倒したが、次々と這うように、凄い速さでまた別の個体が襲ってくる。鋭い爪を立て、繰り返しその四肢がビュンビュンッと俺の正面を掠めた。
「ディフェンド・ウォール!!」
盾魔法でその攻撃を防ぎ、剣の薙ぎ払いで吹き飛ばす。
『――フォースフィールド発動。バスター・ウェポン発動。クイックネス発動。』
キンキンキィンッ
Athenaが自身の判断で次々と俺とウェンリーに補助魔法をかけて行く。俺の魔力が少しずつ減って行く所を見ると、俺の力を使ってすべて展開しているみたいだ。
「そこだあっ!!」
少年が隙有り、と言わんばかりにまた、俺を狙って素早く触手の攻撃と飛び道具を複数放ってきた。
『無駄です。ディフェンド・ウォール・リフレクト。』
その攻撃を再びAthenaがすべて弾き返す。
跳ね返った攻撃が、自分に襲いかかり、少年は後退せざるを得ない。ちっ、という舌打ちがここまで聞こえてきた。
「こんなチマチマした攻撃じゃ、なんのダメージも与えられないじゃないかっっ!!」
苛立った声と、憎しみの籠もった目で少年が俺を睨んでいる。
俺はこの少年に、なにか恨まれるようなことでもしたのだろうか…?その目を見て、俺はふと思う。そうとしか思えないほどに強い敵意を向けられているのだ。
両脇から空を斬る音を立てて、ウェンリーのエアスピナーが飛んで来る。…と、こちらに飛びかかろうとしていた二体の死傀儡を切り裂き、それらが俺の前で塵となって消滅して行った。
「うおお!?なんか俺の攻撃強くなってねえ…!?」
ウェンリーが雄叫びを上げる。こんな状況なのになぜか嬉しそうだ。
『エリアヒール習得を確認、推奨します。』
ラベンダーグレーの長い髪をふわりと靡かせたAthenaが、少年の触手攻撃を障壁で跳ね返しつつ、こちらを見てそう告げた。
「推奨…使え、と言いたいのか、わかった!…清き緑光よ、すべてを癒やせ!!エリアヒール!!」
研究室全体に行き渡るように回復魔法エリアヒールを放った。この力で俺達の体力は元より、あの少年まで少し回復してしまうが、仕方がない。
緑色の柔らかな光が、部屋全体を染め上げ、強く輝く。
ザッザザッ…ザアァァッ…
エリアヒールの光を浴びた死傀儡達は、ほんの一瞬人の姿に戻り、安らかな笑みを浮かべて塵と化し、すべての個体が消えて行った。
「僕の傀儡が…!!」
少年が目を見開き、こんなはずじゃあ、と言う顔をして呟く。
『全死傀儡の消滅を確認。混沌への攻撃推奨。』『ディフェンド・ウォール・ダークネス発動』『Athena全支援魔法展開』『インテリジェンス・ブースト』
目まぐるしく凄い速さで動く情報に、俺とウェンリーはなんとかついて行く。
「グラキエース・ヴォルテクス!!」
俺は左手に込めた魔力塊を放ち、少年の足元に青く光る魔法陣を展開した。直後氷の渦が出現し、猛烈な勢いで襲いかかる。
「ちくしょう、こんなところでおまえに出会すなんて…!!わかってたら、もっと準備して来たのに…!!」
俺が放つ魔法を小規模のシールドで、必死に耐えていた少年が悔しげに言い放つ。
「おい、ルーファス…あのガキんちょやけに執念深いし、言動がおかしいよな?もしかしてお前のこと知ってんのか…!?」
ウェンリーがスピナーを放ちながら俺に話し掛ける。
「…わからない。でもさっきから俺のことを――」
「こうなったら暗黒魔法で…消し飛べ、マスタリオン――っっ!!」
“マスタリオン”…またそう呼ぶのか。なぜ…――
ブオォンッ
少年の背後に、巨大な黒い魔法陣が出現した。そこに集まる膨大なエネルギーに驚愕する。なにか途轍もない攻撃魔法が来る…!?
「まずい…Athena!!」
『問題ありません。』
涼しい顔で防御魔法も掛けずにAthenaが答える。
「問題ないって…どうして!?」
警戒する俺の前で少年が魔力を練り上げる前に、黒い魔法陣が突然霧散する。
キィンキイインキンッ…カッ…ドドドドドンッ
消えた魔法陣に慌てた様子の彼の周囲に、光る魔法陣が連続して出現したその直後、閃光が輝き、なにかのエネルギーが一斉に集束して弾け飛んだ。
「ぎゃああああっ!!!」
少年の凄まじい悲鳴が辺りに響き渡る。
俺達にはなにが起きたのかわからなかったが、Athenaによると“自滅”なのだそうだ。
「はあ?自滅?自分の魔法でやられたってのか?」
ウェンリーがあんぐりと口を開けて呆れたようにそう言った。
傷だらけになりながら、少年がよろよろと立ち上がる。
「うう…ちく、しょう…!」
半泣きの金色の眼で、俺を睨みつけるその少年は、年相応の顔に戻っていた。身に纏っていたあの黒い闘気も消え失せ、さっきまでの邪悪ささえ今はなりを潜めている。
「おい、おまえっ!!何でこんなこと――」
ウェンリーが少年を捕らえようと勇んで足を踏み出した。
『縛!!』
「いっ!?」
だがAthenaが魔法で動けなくして瞬時に止める。直後にウェンリーの目の前で、少年が展開した紫色の魔法陣が光り輝いた。巻き込まれる前にAthenaが寸前で止めてくれたのだ。
「――覚えてろよ…!!」
ゴッ
短い捨て台詞を残し、黒い靄に包まれて少年はそのまま消えて行った。
――それほど長い戦闘ではなかったはずなのに、俺はドッと疲れが襲ってきたように感じてその場にへたり込んでしまった。
…なんだあの恐ろしく強大な魔法は。あれが放たれていたら、おそらく無事には済まなかっただろう。そう思うとぞっとして薄ら寒くなる。どうして自滅したのかはわからないが、そのおかげで事無きを得たのは幸いだった。
それ以外にもAthenaの補助がなければどうなっていたことか…下手をすればまともに攻撃もできず、あの無数の触手攻撃を防ぐだけで手一杯だったかもしれない。
あれが…混沌?暗黒神の眷属、だと言う…そもそも暗黒神だなんて、そんなものが本当に存在するのか?それに…“マスタリオン”?なぜあの少年は俺をそう呼んだのか…頭が混乱しそうだ。
「二人とも大丈夫か!?」
戦闘終了を確認すると、警備室から救急箱を手にラーンさんが駆け付けて来る。
「あー、大丈夫大丈夫、怪我ないから。」
そう答えたウェンリーの横で、俺は顔を上げて周囲を見回したが、既にAthenaの姿はどこにも見えなかった。
いつの間に消えたのか…こっちも、いったいどうなっているんだ。
Athenaは単なる補助機能に過ぎないと思っていたのに、召喚可能で戦闘に参加させられるなんて…おかしいだろう…!
実体こそ伴わないけど、状況に応じて自主的に行動していたし、きちんとした受け答えに、ぎこちなかったけど笑顔まで…あれじゃまるで生きているのと変わりないじゃないか。
ただの魔法にそんな事象があるはずがない…!それに…『神霊』…たしか『神霊召喚体』…そう言っていたような――
俺は頭の中のステータス画面を調べてみる。すると新しく『神霊Athena召喚』の項目が増えていた。
文字が暗転していないところを見ると、戦闘中じゃなくても召喚が可能らしい。ならば後でもう一度詳しく話を聞いてみるしかない。
…そう言えば、戦闘の最中、警備室から俺達を見守っていたラーンさんに、Athenaの姿は見えていたんだろうか?…ふと疑問に思う。
なぜなら、あの少年にはAthenaの姿がまるで見えていなかったように感じたからだ。
死傀儡を含め、一切の攻撃対象にならなかったことから考えても、相手には存在を認識されていなかったんじゃないか、とそう思えてならなかった。
そう考えていたら、『パーティーフィールド内の味方のみ認識可能』と答えが返ってきた。
なるほど。まあAthenaのことは後で詳しく調べるとして、これで魔物の召喚陣がすべて消えたのか確認しなければ。
気を抜くのはまだ早い、やらなければならないことが残っている。俺はまた立ち上がってすぐに次の行動を開始した。
あの少年が去った後、研究室に生存者が一人もいないことを確認すると、ラーンさんは険しい顔をして首を振った。遺体は死傀儡となって消えてしまったのだから、家族に返してやることすら出来ない、とその死を悼んでいる。
俺達が戦っている間に、一応外に連絡は付いたのだそうだが、下層ではセキュリティゲートの防護壁がすべて閉じられ、今は誰も外から入れない状態にあるらしい。
魔物に阻まれているのかと思っていたが、道理で誰も救助に駆け付けて来ないわけだ。でもそれなら帰って好都合だ。
召喚陣の消滅を確認し、魔物を全て駆除した後で警備システムを解除すれば、これ以上犠牲者を出さなくて済むだろう。そう思ったのだが…
「――近衛の指揮官が渋っている?これ以上犠牲を出さないためだと説明はしたんですよね?」
「もちろんだ。だが君とウェンリーの二人だけで、棟内の魔物全てを駆除するのは難しいだろう、と言って心配しているんだ。」
「近衛の指揮官、ってことは黒髪の鬼神かよ?けど軍兵に入られたら、余計に時間食うと思うぜ?下手すりゃルーファスが助けに回らなきゃなんなくなっちまう。」
呆れたように両手を広げてウェンリーが言う。
「うーん、弱ったな。」
心配、と言うよりもやっぱり信用されていないんだろうな。まあ当然と言えば当然か。ただでさえ軍人というのは頭が固い。
今はもう立ち入り禁止もなにもないが、この階も本来なら厳重に警備されている機密区域なんだろうし、後で拘束されかねないかもしれない。
「どのみちこちらから警備システムを解除しないと、すぐには入って来られないんですよね?施設内放送で、棟内にいる人間に部屋から出ないようにだけ呼びかけて、しばらく時間を稼ぐことはできませんか?」
「む…不可能ではないが、あまり長くは無理だぞ。上の命令を無視するわけにはいかん。」
ラーンさんが眉を顰めて渋々受け入れるような表情をする。
「多分そんなに時間はかからないと思います。2、3時間もあれば――」
「全フロアだぞ?そんなに早くあの異常な魔物を駆除できるのかね?」
その言葉は尤もだったが、先刻とはこちらも状況が変わっている。Athenaに防御と支援を任せ、俺が攻撃に専念すればいいのだ。
その考えを察したウェンリーが、頭の上に“ひらめいた!”的な明かりを点し、両手をポン、と叩いた。
「わかった!ルーファスのアテ――モガッ」
こらこらこら!――慌ててウェンリーの口を塞ぐ。
「あて?なにか当てがあるのかね?」ラーンさんが首をひねった。
「ああ、はい、そんな所です。」
Athenaのことを言いそうになったウェンリーを、俺は小声で“ウェンリー!”と窘める。それに対してウェンリーは右手を顔の前で立てて“わりい”と謝るのだった。
その後、ラーンさんにはこのままここの警備室に残って貰って、三階にある別の警備室に俺達が辿り着き次第連絡を入れ、それから降りて来て貰うことにした。その方がラーンさんは安全だし、俺も気兼ねなくAthenaを召喚できるからだ。
ラーンさんと別れてから俺はAthenaを再び召喚し、ウェンリーと三人で各階の残った魔物を残らず駆除して行く。
防御と補助を気にしなくていいのと、俺の自己管理システムの影響でウェンリーの能力が底上げされた分、圧倒的な力の差が出て、結局全て終わるまでに二時間もかからなかった。
――波乱の一夜が明ける。
軍事棟の警備システムが全て解除され、セキュリティゲートの防護壁が元に戻された。
通路が通れるようになると、王国軍の近衛隊や守備兵、警備兵が一斉になだれ込み、負傷者の救護に当たる。
ラーンさんの他にも軍の上層部の人間が複数自宅にいたらしいのだが、部下が次々と魔物に殺され、危険と判断して動けなかったらしい。それはそれで正しい判断だったと俺は思う。
それから、施設内に魔物が入ったことを証明するためにも、俺は戦利品回収のオートスキルを発動せず、死骸をそのままある程度残しておくことにしておいた。
その死骸を見て、軍の方でもこの特殊な魔物を解剖して詳しく調べることにしたらしい。その辺は正直言って駆除協会…ギルドに任せた方がいいと思うのだが、普通の魔物ではないため、今後の参考のためにも情報を得たいのだろう。
とまあ、この話は実は後で部屋に戻ってきたウェンリーから聞いたのだが――
――魔物の駆除が全て終わり、どこにも召喚陣が残っていないことを確認した後、俺は疲れ切ってしまい、警備システムの解除前にラーンさんの部屋へと戻らせて貰っていた。
心配するウェンリーに、事情を説明する人間がいないと困るから、と言ってその場に残って貰い、後は全部丸投げして逃げて来たのだ。
下手に軍の上層部とやらに顔を覚えられたら、後々まで面倒なことになるのはわかっている。俺の異質な力がばれなかったとしても、上級守護者として呼び出されるのも鬱陶しかった。心の中でウェンリーとラーンさんに悪いと思いながら、俺はベッドに横になり、今ここで天井を見つめている。
とんだ王都滞在になってしまったな。戒厳令が発令されたそうだし、商業市も中止だろう。すぐにはヴァハへも帰れないかもしれない。…村は大丈夫かな。
ああ、そうだ今の内に――
「――Athena出て来てくれないか。」
一人だからちょうどいい、そう思いAthenaに話を聞いてみることにした。
『お呼びですか?ルーファス様。』
Athenaがすぐにその姿を現す。
俺は起き上がりベッドに腰を掛けたまま、半分透けたその彼女の全身をじっと隈なく観察する。
身長は俺より10センチほど低いくらいか。外見は十代後半くらいの若い女性で、ラベンダーグレーの緩いウェーブがかかった腰上までの長い髪に、縫い目の無い一枚布のストンとした七分袖と膝下丈のワンピースを身に纏っている。(それも普通の衣服ではなさそうだが)
今の彼女は人形のように無表情で、心を表現することに慣れていないのか、その薄紫の瞳からも生きた感情が読み取れない。それを見て俺は深く溜息を吐き、頭を悩ます。
彼女を今後どう扱えばいいのか、わからなかったからだ。
果たして生きた存在として扱うべきなのか、ただの補助機能として認識すればいいのか…どうすればいい?
『なにかお困りですか?』
彼女は無表情のまま首を傾げている。その仕草が、どうにも奇妙で違和感があった。
「ふう…Athena、君はどういう存在なんだ?」
本人に尋ねるのもどうかと思うが、わからないのだから仕方が無い。
『申し訳ありません、どういう存在、とはどう言う意味でしょう?』
「いや、だから…つまり、君は生命体なのかと言う意味だ。」
『はい、もちろんです。』
無表情のまま、アッサリと彼女はそう答えた。
「生命体…生きているというのなら、なぜ君は俺の自己管理システムの中に?どうなっているのか、俺にはさっぱり訳がわからないんだ。説明してくれないか。」
俺の問いにAthenaは機械的に答え始めた。
『私はルーファス様がセルフ・セーフティ・コントロール・システムを構築された際に、生まれたのだとお聞きしました。』
「セルフ…自己管理システムのことか。俺が記憶を失う前にこの超高位魔法を自分で構築したのか?」
Athenaが頷いて続ける。
『はい。ルーファス様にはご自身にも対応できない、ある『弱点』があるそうなのです。それの対応策としてこの魔法を考え出したのだと伺いました。
そしてその弱点が表面化した時、それにより窮地に陥った場合に限り、原因を取り除くため私の判断で、ルーファス様のお力を行使する権限が与えられております。』
「よくわからないな…例えば?」
『昨日の身体的異常と時空転移魔法などがそれに相当します。』
「!?」
昨日の胸の痛みと…根無し草のメンバーを助けに行ったあれか…!!
「…ちょっと待ってくれ、それじゃもしかして今までも、勝手に過去に飛ばされて来たのは…君が?」
『いいえ、それは私ではありません。私はルーファス様の魔力回路が正常に戻るまで眠っておりました。推測ですが、ルーファス様ご自身の魔力の暴走ではないかと思います。今後は条件が整わない限り、そのような現象が起きることも無いでしょう。』
「条件って…」
魔力の暴走?時空魔法に限ってだなんておかしいだろう。それだけとも思えない部分があるような気がするんだが――
『条件とは、私の時空転移魔法使用の権限のことです。ルーファス様はまだ時空魔法が封印されており、それが解除されない限り“自由に”ご自身で使用することが出来ません。ですから今後は緊急時以外で発動されることは無いと申し上げました。』
「いや、緊急時でも勝手に発動されると俺は困るんだけど。そもそも俺が封印されている魔法を使えないのに、なぜ君が使えるんだ。…ああ、それは今は置いておいて、構築した魔法の中から生命が生まれるなんてあり得るのか?」
『…と仰いましても、私はそう伺いました。』
「誰から?」
『ルーファス様からです。』
「――…。」
埒が明かないな、これは。
「要するに君は、魔法から生まれた人工疑似生命体、ということなのか?」
『いいえ、歴とした通常生命体です。』
「歴とした通常生命体って…実体もないし、俺の自己管理システムの中で生きているんだろう?感情表現も希薄だし、触れることも出来ないんじゃないのか?」
『――私はルーファス様と共に生きることで、進化します。今の私は、生命で言うところの“魂”の状態なのです。』
「…え!?」
『ルーファス様が私を個の生命体として扱ってくだされば、短期間で実体化し、“神族”として生きて行くことが可能です。それを御存知だからこそ、私にあの御言葉をくださったのではないのですか?』
「…あの言葉?」
記憶を失う前に、俺がなにか言ったのか?
『“また失敗したらその時は、俺が千年の孤独に耐えられるようにそばにいて欲しい。”ルーファス様はそう仰いました。』
「千年の…孤独?」
また失敗?…なんのことだろう。
「――ごめん、それは俺が記憶を失う前の話なんだろう。少なくとも今の俺には、自分で言った言葉であろうと、何のことなのかもわからない。」
『…そうですか。』
無表情なのに、がっかりしたように見えるのは…もしかして傷付けてしまったからなのだろうか?
――だが結論として、今後はAthenaを生きた個の存在として扱うべきだと言うことだけは理解した。
彼女が無表情なのも、ずっと眠っていたことが原因なんだろう。あの時俺に向けてぎこちない微笑みを向けたのがその証拠だ。
どのくらい眠っていたのかはわからないが、かなり長期間だったのではないかと思う。まあ最低でも十年は確実だな。
“神族”というのがいまいちよくわからないが、実体を伴うようになったら、召喚したままにしておくことも考えたほうがいいだろう。…というか、実体を伴ったら戻れなくなるんじゃないだろうか。それよりなにはともかく――
「よくわかったよ、Athena。今後は君を人として扱うことにする。先ずは手始めに、呼び方だな。今まではAthenaという表記呼びにしていたけれど、これからは“アテナ”と名前として呼ぶことにする。」
『ルーファス様…ありがとうございます。』
ほとんど表情は変わらないのに、なんとなく嬉しそうに見える。
「それから聞きたいんだけど、君の姿は通常他人にも見えるのかな?それとも見えないのかな?」
『今は特殊なフィールドを形成しない限り、認識は不可能かと思います。』
「そうか、それならこれからは、君に話し掛けたら召喚時と同じように姿を現すようにしてくれ。俺が君がそばにいることに慣れて来たら、その後はもうシステムの中に戻らなくてもいい。自己管理システムは今まで通りの表示でいいけど、君の存在は別物だと考えるようにしたい。」
『私がお側にいてもよろしいのですか?』
「ああ。君は個の生命体なんだろう?むしろ実体のない魂だけの状態の方が、おかしいと思うべきだ。」
そう言うとアテナは、またぎこちなく精一杯の微笑みを向け、小さく俺に礼を言ったのだった。
この後俺は疲れて眠ってしまったのか、記憶がない。次に目を覚ましたのは、ウェンリーに起こされた時だった。
「ルーファス!おい、ルーファス。」
ウェンリーが俺を揺すって起こす。
「…ウェンリー?帰って来たのか…、どうした?」
「疲れてるところ悪いんだけどさ、どうしてもお前の話が聞きたいって、人が来てるんだよ。」
困ったような顔をしてそれだけを言う。
「え…?」
俺はなんだか嫌な予感がした。
「話を聞きたいって…誰なんだ?」
起き上がって服を整えながら聞き返すと、大きな溜息を吐いてウェンリーが言った。
「それがさ…、昨日会った近衛の“鬼神の双壁”なんだよ。」
鬼神の双壁…あの二人か。俺の脳裏に昨日の近衛服の二人がすぐに浮かんだ。
「俺の話じゃ守護者じゃねえから、って納得してくんなくてさ。あのオレンジ髪のガキんちょのこととか、正確に話を聞かせてくれって。…ごめんな、軍の人間に顔覚えられたくなかったんだろ?」
ウェンリーには俺がなにを考えていたのか、わかっていたみたいだな。
「…ああ、まあ仕方がないさ。わかった、行くよ。」
――上手くいけば接触しないで済むかと思ったけど、やっぱり甘かったか。魔物はともかく、あの少年に関しての目撃者はラーンさんと俺達しかいない。
アテナのことを隠しながら話せるか、正直言ってあまり自信がないんだよな。嘘吐くのは苦手だし…
重くなる気を引き摺って、ウェンリーと一緒に部屋を出る。
リビングに入るとそこにはラーンさんと話すあの人達がいた。昨日と同じくカッチリと近衛服を着込み、生真面目そうな男性と人好きのする男性の二人組だ。
「――お待たせしました。すみません、寝入っていたもので…俺の話を聞きたいとか?」
仕方がない、と腹を括ることにする。ばれたらばれたでその時だ。
「いえ、こちらこそお疲れのところ申し訳ありません。昨日も一度城下でお目にかかっておりますが、我々は近衛からラムサス指揮官の指示でお話を伺いに参りました。」
生真面目そうな男性が堅苦しくそう俺に言う。名前は…何だったかな。副指揮官、だということだけは覚えているんだけど。確か…
「改めて、こちらはイーヴ・ウェルゼン副指揮官に、俺は補佐官の任にある、トゥレン・パスカムと言います。先ずは今回の件、王国軍を代表してお礼を申し上げます。」
「ああ、いえ…お気遣いなく。俺は俺の仕事をしたまでですから。」
改めて名乗ってくれて助かった。…まさか顔に出ていたのかな。
「それで、俺にどんな話を?ラーンさんとウェンリーから、既に話は聞いていると思うんですが。」
俺がこう言った後、彼らは互いに顔を見合わせ、副指揮官のウェルゼンさんが頷き、パスカム補佐官が切り出す。
「――単刀直入に伺います。Sランク級守護者ルーファス・ラムザウアー殿。貴殿は昨夜の侵入者と面識がおありなのか?」
「え…――」
それは思いもしない質問だった。
そばにいたウェンリーとラーンさんも驚いた表情をしている。
――これは…まさかとは思うが、疑われている…?
鬼神の双壁と呼ばれる二人を前に、俺はただその場に立ち尽くすのだった。
アテナ顕現。ルーファスは思いがけず、疑いを掛けられているようですが…?次回、仕上がり次第アップします。いつも読んでくださってありがとうございます!




