225 謎の手紙 ③
ラビリンス・フォレストの中をそうと知らずに彷徨い歩くトゥレンとペルラ王女。しかし水も食料もなく歩き回ったペルラ王女は、到頭衰弱して倒れてしまいました。その王女を抱き起こし、誰でもいいから助けてくれと懇願するトゥレンの前に、暗黒の大精霊を名乗る精霊が姿を見せましたが…?
【 第二百二十五話 謎の手紙 ③ 】
「頼む…誰でもいい!!どうかペルラ王女を…っ王女だけでも助けてくれ…!!」
俺は薄々気がついていた。このままでは自分達が助からないであろうと。
この森はなにかおかしい。五感を狂わされているだけでなく、なにかの見えない意思の力が働いて、俺と王女をここから出さないように仕向けている気がする。
あの獣人達はここが〝そういう場所〟だと知っているからこそ、深追いしなかったのではないか?もしくは意図的に入り込むよう追い込まれたかだ。
なんの罪もない獣人を、化け物と思い込んで殺したのは俺だ。だから俺が罰を受け、ここで命を落としたとしてもそれは仕方がないだろう。
しかしペルラ王女は違う。この方は俺を止めようとされ、あの巫女へ魔法を放とうとしたのもただ俺を守ろうとしただけなのだ。
幸いにして王女の放った魔法は俺に当たり、巫女を傷つけることはなかった。情状酌量の余地は十二分にあるだろう?
だからどうか、ペルラ王女だけは――
「ペルラ王女…俺はライ様と闇の主従契約を結んでおり、死して尚永遠にお仕えすると闇の大精霊『ネビュラ・ルターシュ』に誓っています。どんなに貴女様の思いに応えたくとも、俺のこの胸の内をお伝えするわけには行かないのです。だからこそ俺は、貴女様を心から愛し生涯大切にして下さるであろうアートゥルード殿下に貴女様のことをお願いしたかった。たとえ結ばれることはなくとも…他の誰かの元へ嫁がれたとしても、貴女様が幸せになられることを祈って――」
――トゥレンは衰弱して意識のないペルラ王女の冷え切った身体を抱きしめ、小さく〝死なないでくれ…〟と呟いた。
なぜなら彼は、既に王女の深刻な命の危険を感じ取り、その温もりが消え失せようとしていることに絶望し始めていたからだった。
しかしその時、トゥレンの告白に耳を欹てていたとある存在がその姿を現した。
『おい、そこの人間。貴様今、闇の大精霊〝ネビュラ・ルターシュ〟の名を口にしたな。』
驚いたトゥレンは顔を上げ、目の前にふよふよと浮かぶそれを見上げる。
猫に似た漆黒の身体に赤金の瞳。背中には蝙蝠のそれに近い大きな翼があり、そのなにかは禍々しい赤黒の靄を纏っていた。
「おまえは…?」
«姿形はどことなくあのネビュラ・ルターシュに似ているが…闇の大精霊と異なり、随分と禍々しい――»
トゥレンはそう思いながら警戒する。
『おいらは暗黒の大精霊<ノワール・トゥ・プルータス>、ノアディティク・ルターシュだ。』
「ルターシュ…闇の大精霊と関わりが…?」
『そんなのはどうでもいい。妙な気配を感じて来てみれば、なり損ないの聖騎士にブラカーシュの加護なし聖女とはおかしな組み合わせだな。』
暗黒の大精霊と名乗るその存在は不気味な笑みを口元に浮かべ、興味深そうにしてトゥレンとペルラ王女を交互に眺めた。
『貴様は〝加護持ち〟どころか〝識者〟でさえないだろう。なぜこの精霊族の領域であり人間が〝ラビリンス・フォレスト〟と呼ぶ森に足を踏み入れた?』
「!」
瞬間、トゥレンは全てを察した。
«ラビリンス・フォレスト…!!この森はラビリンス・フォレストだったのか…道理で…ッ»
いくら歩いても抜けられず、時間も方角も見失ってしまうわけだ。…そう思う。
一度足を踏み入れれば二度と出ては来られないというその森に入り、再び戻った人間はいない(知られていない)ため、森の中がどうなっているかなど誰も知らない。
そのこともあってトゥレンに、この森が〝そう〟だと気づけなかったのは当たり前のことだった。
「この森が精霊族の領域と言うことどころか、ラビリンス・フォレストだということすら知らなかった。」
トゥレンはノアディティクを訝しみながらも、掻い摘まんでここへ来ることになった事情を話した。
すると暗黒の大精霊は突然笑い出し、宙に浮いたままお腹を抱えてコロコロ転げ回る。
『いいな、実にいいよ!あの醜い獣人共を化け物呼ばわりした挙げ句、幾人かでも殺したなんて最高だ!!ネビュラ・ルターシュの立ち会いで闇の主従契約を結んだ人間が獣人の返り血に染まっているなんて知ったら、あれの主もさぞ落胆するだろうよ。中々に貴様、おいらを楽しませてくれるじゃないか…気に入った!!』
「な…なに?」
戸惑うトゥレンにノアディティクはすいっと近づき、その大きな赤金の瞳で顔を覗き込む。
『〝誰でもいい〟からそこの聖女を助けて欲しいんだろう?その願い、おいらが叶えてやろう。』
「え…」
驚くトゥレンにノアディティクはニタア、と薄ら寒い笑みを浮かべる。
『但しこれは〝暗黒精霊との正式な取引〟だ。当然対価を貰う。』
「対価…それは俺に払えるものか?」
精霊が人間のように金銭を欲しがるはずはない…これが伝え聞く悪魔なら願いを叶える代わりに『魂』を寄越せ、と言われるのだったか。
トゥレンは嫌な予感がしたが、それでも王女を見て背に腹は代えられない、と息を呑む。
『ああ。貴様らは二人いる…だから対価も各々が支払う計二つだな。』
「…俺のことも助けてくれると?」
『そこの聖女だけ助けて貴様が犠牲になれば、聖女は嘆いて自ら死にかねん。それでは助けたことにならず対価を受け取れないだろう。』
トゥレンが願ったのはペルラ王女を助けてくれる事だったが、ノアディティクは彼の腕の中で気を失っている王女を指差してそう告げた。
「意外に律儀なのだな…なにを支払えばいいのだ?」
『心配するな、害成すようなものは望まない。――先ず一つ。そこの聖女が支払う対価は〝聖女としての能力〟…つまりは〝聖女でなくなること〟だ。』
「な――」
なんだと…?
『命を助けてやるのだからそのぐらいは支払って当然だろう?どちらにせよ暗黒の大精霊であるおいらと取引をしてここを出るのなら、永遠に光の大精霊からは加護を受けられなくなる。そうなれば最終的にも聖女ではなくなるし、それどころか場合によって高潔潔癖なブラカーシュの怒りを買うことになり、光属性魔法に類する治癒魔法を含めた聖魔法の全ては一切使うことも出来なくなるかもしれないな。』
「な、なぜ聖女の能力を…?この方は確かに各国からもそう呼ばれていらっしゃるが、それは王女のお振る舞いと特殊魔法に優れておられると言うだけかと――」
『なんだ、貴様はそんなことも知らないのか。まあ聖女はもう何百年も世に現れていなかったしな…仕方がない、おいらが教えてやろう。』
ノアディティクは前足と後ろ足をそれぞれ、人間のように組んで講義を始めた。
フェリューテラに滅びの兆しが見え始めると、その厄災が始まる何年も前に聖なる力を持った『聖女』は生まれてくる。
それは気の遠くなるほど遥かな昔、光の神が人間を敵対存在による絶望と混迷から救い導くため、光の大精霊と盟約を結びその仕組みを作ったせいだ。
『現在は光の神でなく別の存在が精霊族と盟約を結びその機構を維持しているが、そこの聖女が本当の意味で真の聖女となるためには条件がある。』
一つは聖女の選ぶ『聖騎士』と結ばれ、光神の御前で愛の誓いを交わすこと。『聖騎士』とは身命を賭して聖女を守り、聖女と共に生きる守護者のことを言うが、これは正式な婚姻を結ばなくても、互いが互いの〝唯一〟であることを神に誓うだけでいい。
そうして聖女が聖騎士を得られれば『識者』同様の視る力と聞く力が覚醒し、精霊族の協力が得られるようになる。
真の聖女には荒廃した大地を蘇らせるという力も備わるため、自然を司る精霊族の協力は必須だからだと言えるだろう。
もう一つは聖騎士を得た後で聖女と聖騎士としての実力を示し、光の大精霊から『比類なき加護』を受けること。
これにより聖女は人々の救済だけでなく、数多くの人間を一度に魔物から守る術を手にし、強固な結界障壁を街や国単位で張ることが出来るようになる。
『――と言うわけだ。』
「………」
『ん?なに、おいらの説明じゃわからなかったか?』
「いや、先程の『なり損ないの聖騎士』とは…」
『ああ、既に自覚しているだろう?もちろん貴様のことだ。貴様は聖女に、聖騎士となるべく唯一として選ばれている。だが愛を告げられても闇の主従契約があり、聖女を唯一とすることはできないはず。聖女に選ばれた聖騎士は、必ず聖女を愛する運命にあると決まっているが、貴様はそこの聖女を愛していても聖騎士になるつもりがない。いや、なれるはずがない。…違うか?』
「…だからおかしな組み合わせだ、と?」
俯くトゥレンを眺めながら、ノアディティクはニヤッと意地の悪い笑みを向ける。
『あまりにも中途半端だったからな。』
«――それでも主従契約の主側が許し、立ち会ったネビュラ・ルターシュが認めればまだ聖騎士となる方法も残されているが、そのことを聞かれもしないのに教えてやらなければならない義務はない。どの道おいらの助けがなければ二人ともここで死ぬんだ。それはそれで面白そうだがな…»
「では俺の方の対価はなんだ?」
『ふふん、貴様の方は簡単だ。おいらがそうしたいと望んだ時、貴様の契約主に会わせろ。』
「なに!?」
『おいらは貴様の主君に興味がある。なんと言ってもあのネビュラ・ルターシュ自らが、聖騎士に選ばれるような人間と契約を結ばせてまで守ろうとしている人間だ。それが普通の人間であるはずがないからな。』
「なにを言って…」
想像だにしていなかったノアディティクの言葉に、トゥレンはもやっとした嫌な気分に襲われる。
«こいつはライ様が普通の人間ではないと思っているのか?エヴァンニュ王国の王族である、という意味ではなさそうだが一体…»
「そのようなことを言って、俺の主君がごく普通の御方だったならどうするつもりだ。」
『別に?どうもしないな。その時はおいらに見る目がなかったというだけの話だ。期待外れだったからと言って、他の対価を求めたりしないから安心しろ。』
「それだけでは駄目だ、俺の主君に決して危害を加えないと誓ってくれ。でなければ俺のことは放っておいて貰う。」
そんな条件を出したトゥレンに、ノアディティクは感心して目を細めた。
«ふうん…さすがはネビュラが選んだ人間だ。自らの命よりも主君の安全を優先するか…こいつは益々気になるな。»
『……元よりそんなつもりはないが、いいだろう、誓ってやる。取引は成立か?』
「いいや、まだだ。」
『チッ、随分勿体ぶるな?まだ望みがあるのか。』
ノアディティクは自分が強い関心を示したことで、いつの間にかこの取引がトゥレンの有利に働いていることは気付けない。
「聖女の能力だが…それを対価として差し出すまでの時間に猶予が欲しい。」
『なに?』
「俺はこの方を小王国ベルデオリエンスまで無事にお連れしなければならないのだ。その道中治癒魔法や魔物と戦う術を失くしては、命を落とされる危険が高まってしまう。それは無理なのか?」
『無理ではないが、貴様…そんなことを言って、おいらに助けるだけ助けさせて聖女に対価を支払わせないつもりだろう…!聖女が聖女でなくなった時、あの高慢なブラカーシュが吠え面をかく姿を拝んでやりたいのに、それでは意味がない!!』
「…ならば決裂だ。ここがラビリンス・フォレストだと言うのなら、永遠に出られず命を落としても諦めがつく。ネビュラ・ルターシュと違い、おまえのような得体の知れない存在を我が主君に会わせずとも済むことだしな。」
――トゥレンは精一杯慣れない演技をし、ノアディティクの譲歩を引き出そうとしていた。
自分が聖騎士になれない以上、どの道ペルラ王女は『真の聖女』にはなれないだろう。
だが聖女でなくなろうともペルラ王女なら変わらず人々のために力を尽くすであろうし、そんな王女をアートゥルード殿下なら大切にしてくれるはずだ。
ノアディティクへの提案は、トゥレンが真実そう思ってのものだった。
『なんだと…!?貴様、ネビュラ・ルターシュは良くてもおいらは駄目だと言うのか…!!』
「当然だ。俺の主君は闇の大精霊を信頼しておられた。それに俺は死して尚お仕えすることの出来る存在だ。たとえこの身が朽ち果て不死族となろうとも、おまえを近づけぬようにすることは可能だろう。」
«やはりこいつ…闇の大精霊に対して個人的な感情を持っているようだ。…ならば早く折れろ。なにも対価を支払わないと言っているわけではない、猶予をくれと頼んでいるだけだ。ペルラ王女のお身体が冷え切ってしまう前に、早く…!!»
『……小癪な人間め…仕方がない、ならば貴様の右手の甲と聖女の心臓部に、正式な取引を交わしたことを示す〝精霊印〟を施す。貴様が聖女の手を放しその傍から離れた時対価を受け取ろう。これならいいか?』
「ああ、いいだろう。意識を失われておられるペルラ王女には恨まれようと罵られようと、俺から代償についてご説明しておく。」
『ふん、ならば今度こそ取引は成立だ。』
暗黒の大精霊ノアディティク・ルターシュは、トゥレンの右手の甲へ暗黒精霊の『精霊印』を施し、ペルラ王女には心臓部に同じものを精霊術で刻んだ。
『これでいい。おいらが対価を受け取れば、取引は終了したと見做されてその精霊印は消える。だがそれまではなにを以てしても消せない上、他の精霊とも新たな取引を行うことは出来ない。わかったか?』
「わかった。」
『――ではこのラビリンス・フォレストから通じている森の出口まで、おいらの下僕に道案内をさせよう。精霊の案内があればものの数分で辿り着ける。そのすぐ近くに小さな人間の村があるから、そこで助けを求めれば聖女の命も助かるだろう。』
「感謝する、暗黒の大精霊ノアディティク・ルターシュよ。」
――こうしてトゥレンとペルラ王女は、思いも寄らない手段で九死に一生を得ることとなったのだった。
♢ ♢ ♢
「おい!いい加減起きろデウテロン!!」
ファーディア王国に入って翌朝。
ファッケルの宿の一室で枕を後頭部に当て、布団の蓑虫のような格好をしながら一向に寝台から出ようとしないデウテロンを、ウェンリーが勢いよく蹴飛ばした。
「ぐへえっ!!」
「〝ぐへえっ〟じゃねえ!!今何時だと思ってんだ!?」
「わ、わかってますって…あイダッ!!」
なんとか起き上がろうとはするものの、酷い頭痛に襲われたのか、デウテロンは両手で頭を押さえ蹲る。
「やれやれ…二日酔いか、仕方のない奴だな。」
『呆れている場合か?だから甘いと言ったんだ。なにが青春真っ只中だ…』
レインフォルスの厳しい言葉に俺は微苦笑する。
「初体験でするな。底なしの蟒蛇のくせに、珍しいこともありよるわ…だらしのない。」
俺が珍しく許可を出したものだから却って羽目を外したようで、デウテロンは言い付け通り日付の変わる前までには戻って来たものの、昨夜は泥酔状態だった。
「この様子じゃ薬がいるかな…プロートンに頼んで買ってきて貰うかい?」
ゲデヒトニスがそう言ったのとほぼ同時に部屋の扉をノックする音がして、そのプロートンとテルツォが入って来る。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません、ルーファス様。昨夜のあの様子からこうなると思い、即効性の薬を持って来ましたので十五分ほど御時間を下さい。」
「さすがプロートン、頼むまでもなかったね。」
「ああ、わかった。宿代の支払いは済ませておくから、デウテロンが動けるようになったらギルドのミーティングルームで落ち合おう。」
「はい、後ほど合流致します。」
デウテロンのことはプロートンとテルツォに任せ俺達は先に部屋を出ると、一階で待っていたサイード、イスマイルの二人と合流してから、宿の支払いを済ませそのまま真っ直ぐ魔物駆除協会へ向かう。
「ソリエーヴォ公国と違って、ファーディア王国内は基本的に歩きでラ・カーナまで向かうんだよな?」
早朝の街が動き出す時間の中、しゃっきりと目を覚まし、最近はすっかり頼もしくなってAランク級守護者らしくなったウェンリーが俺の横で尋ねる。
「ああ。ルートはいくつかあるから地図を見てこれから決めるが、この国の中心に当たる王都ベルンシュタイン近くに『世界樹の根』があるらしいんだ。馬車なんかの乗り物に乗って移動するとうっかり見落としかねないだろう?」
「マルティル様に頼まれておられる件でするな。」
補足してくれたリヴの言う通り、この件は精霊族の女王であり世界樹ユグドラシルの精霊マルティルから、フェリューテラ各地にある世界樹の根を守り、魔物から保護する障壁を張って欲しいと頼まれていることだ。
「うん。それと昨夜ゲデとリヴがギルドに寄って聞いて来てくれた魔物の情報によると、ファーディア王国はラ・カーナ王国から僅かに流れ込む瘴気の影響でかなり凶悪な魔物が多いらしいから、そっちも対応しないとだ。」
「ええ、道中それらを狩りながら進むのですね。逸る気持ちはありますが、私達は守護者ですから。」
「そうだ。出来るだけ先を急ぐことには違いないけれど、Sランク級守護者でも苦戦するような魔物は恐らく俺達でなければ安全に倒せない。だから自分達の都合だけを考えずになるべく率先して討伐して行くつもりなんだ。」
みんな俺の話を聞きながら各々頷いてくれる。
「――リヴグスト、この国のSランク級守護者についてなにか話は聞けましたの?」
「ふむ。各者とも評判は悪くなく、今ルーファスの言われた王都ベルンシュタインを拠点とする者が二人、北部の街に三人、南部と西部に一人ずつ、東部には最も多い五人のSランク級がおるそうぞ。」
「凄いよね、この国には十人以上もSランク級がいるんだそうだよ。」
「一概に数が多ければ良いとは言えないだろう。裏を返せばそれほど強力な魔物が多いと言う証拠なんだ。なにか気になる問題が起きているとか妙な事件がどこかで起きたとか、そういう噂話は耳にしなかったか?」
「そう言った類いの話は昨夜の時点でなにも聞きませんでしたな。」
「そうか…シェナハーン王国やメル・ルーク王国のように、もう高位守護者絡みのトラブルには巻き込まれたくないからな。」
この国では時間がかかるような問題で足止めを喰らいたくない。すんなりラ・カーナ王国まで行けるといいけど…
昨日俺がウェンリー達を待っていた門前広場へ差し掛かると、横を歩いていたウェンリーがなにかに気付いたらしく、急に俺達から離れて広場沿いの建物の方へ走り出した。
「おいウェンリー?どこへ行くんだ。」
「ちょっと!すぐ戻るから!!」
「どうしたんだ急に…」
「僕が追いかけるよ。」
「ああ、頼む。」
走って行くウェンリーの後ろ姿とそれを追うゲデヒトニスへ気を取られていると、今度はイスマイルが俺を呼び止めた。
「ル…ルー様!」
「ん?」
「ルー様、あれを見てください…!!」
「あれ…?」
イスマイルに腕を引っ張られ、彼女が指差す方へ視線を向ける。するとその先には乗合馬車の停留所があり、引き馬のついていない客車やこれからここを発つと思われる馬車に、奥の方には馬小屋などが見えた。
「乗合馬車の停留所か…あれがどうかしたのか?」
首を傾げながらイスマイルに尋ねると、彼女はテルツォのような仕草(両手を握って上下に振る)をしてじれったそうに続ける。
「違いますわ、客車を…馬車の客車を見てくださいな!御者台の背面部に標板が掲げられておりますでしょう?そこに書かれている文字をご覧になってください…!!」
標板の文字…?
「…あ!?」
イスマイルに言われそこを見てみると、木製の古びた標板に白い塗料で『SV/ML↔FK/FCr』と記号のような文字が書かれていた。
「あの表記文字、手紙の裏に記された暗号と似ているように思いませんか…!?」
「あ、ああ…確かに。ちょっとあそこへ行って御者さんに、なにを示している標板なのか聞いてみよう。ひょっとしたら暗号を解く鍵になるかもしれない。」
「では私とリヴはここで待っていますね。ウェンリーは反対側へ向かいましたし、すぐに戻ると言っていましたから。」
「な、なぜ予まで…?」
「あら、あなたは私を一人で待たせるのですか?」
「…い…いえ、そういうわけでは――」
「わかった。リヴ、サイードとここにいてくれ。行こう、イスマイル。」
ああ、予も一緒に行きたかった…とでも言うような顔をして手を伸ばしているリヴとサイードをその場に残し、俺はイスマイルと足早に乗合馬車の停留所へ向かった。
「あの、すみません…!」
「へい、いらっしゃい!ご乗車をご希望ですかい?」
「いえ、聞きたいんですが――」
――三十分後、俺達は魔物駆除協会の上階でいつものようにミーティングルームを借り、後から来た薬で頭痛の治まったデウテロンとプロートン達の合流後、全員で話し合いを始めた。
「ではあの手紙に書かれた暗号の一部は、このファーディア王国の地名を指し示している可能性が高いと言うのですね?」
「ああそうだ。」
俺の説明に頷くサイードは、興味深そうに例の暗号が書かれた手紙の裏を見ている。
御者台の背後にあった客車の標板は、このファーディア王国で主に使われている乗合馬車の『行き先表示』だったのだ。
「『SV/ML』でソリエーヴォ公国のモントレイナを表し、『FK/FCr』はファーディア王国のファッケルと言う意味だった。つまり――」
あの暗号文の〝FK〟はファーディア王国を示し、続く〝/T〟はファーディア王国のどこかの街を表していると考えられた。
そこで標板について尋ねた御者さんに聞いてみた所、FK/Tで表される地名はここからまだ大分距離のある、『ツェツハ』と言う街のことじゃないかと言われたのだ。
「そのツェツハという町はここだ。」
俺はゲデヒトニスが買っておいてくれたこの国の地図を卓上に広げ、その場所を指差してみんなに教える。
位置的にはファーディア王国の東北東にあり、間に広大な森を挟んでラ・カーナ王国への国境に最も近い場所だ。
「…わたくし達がこれから向かおうとしている、亡国ラ・カーナに最も近い街ですのね。」
「ああ、そうだ。そのことから俺は、FK/Tまでの意味は合っていると思うんだ。」
「ふむ…ならばこの暗号はそのツェツハ内のどこかを表しているのやもしれませぬな。例えばどこそこへ行けばなにかある、若しくは手紙の差出人がそこで待つ、という意味やも。」
「うん。まあ解釈が間違っている場合も考え、引き続きイスマイルには解読を頼むことにする。」
「ええ、お任せ下さい。――それで…ウェンリーはどうしたんですの?」
瞬間、全員の視線が分かり易く暗くなっているウェンリーへ注がれた。
門前広場で急に俺達から離れ、どこかへ走って行ったウェンリーは、眉間に皺を寄せたままずっと仏頂面をしており、「ミーティングルームで話す」と言って、ゲデヒトニスと戻って来てからもずっと黙り込んでいた。
「ウェンリー、ほら…全員揃ったんだ、いい加減なにがあったのかなにを見つけたのか話さないと。」
ゲデヒトニスに促され、はあ…と長い溜息を吐いてウェンリーは顔を上げる。
「――ん…まずはこれ…見てくれよ、ルーファス。」
そう言うとウェンリーはずっと右手で握りしめていたせいで、ぐしゃぐしゃになった四枚の紙を広げてあった地図上に並べた。
「…なんですか?これは…」
予想外のものにサイードは怪訝な顔をする。
並べられた四枚の紙は同じ男性と女性の写画が二枚ずつで、丁度一組ずつ見出しの異なる内容の貼り紙だった。
「両方とも同じ男女の写画ですが、片方は小王国ベルデオリエンス交付の『行方不明者捜索』を目的としたもので、もう片方はエヴァンニュ王国とシェナハーン王国の両国交付の『手配書』ですか…おや?この女性は…」
「なにやら見覚えのある美人でするな。」
綺麗な女性の写画にリヴはずずいっと身を乗り出した。
「またリヴグスト様は…俺も人のことは言えねえすけど、その形容詞は今いらねえんじゃ?」
「うるさいわよ、デウテロン。息がお酒臭いから喋らないで。」
ギロリと睨みながら強烈な一言を放ったプロートン(姉)にデウテロンはガンッとショックを受け、テルツォ(妹)は彼の近くの空気を手でぱたぱた扇ぎながらわざとらしく鼻を抓んだ。
いくらなんでもそれは…ちょっと可哀想だぞ、テルツォ。
「はい…」
自業自得の面もあるため、返事をして悄気たデウテロンには構わない。
「――ああそうか…見覚えがあるはずだ。この女性…シニスフォーラの国王殿入口に飾ってあった守り絵の聖女にそっくりなんだ。」
「いいえ、ルー様…〝そっくり〟などではなく、恐らくこの方はそのご本人――シェナハーン王国の王妹、ナシュカ・ザクハーン・ペルラ・サヴァン第一王女殿下ですわ。」
イスマイルは過去に面識があったらしく、間違いないと俺に断言する。
「違うんだよ…なあルーファス、そっちの女の人の方じゃなくってさ…男の方の顔見て、なんか気付かねえ?」
「え…?」
ウェンリーに言われ再度くしゃくしゃになったその貼り紙をまじまじ見ると、あることに気がついた。
――あ…れ?こっちの男性の方にもなんか見覚えが…
「この男性は…」
「ルーファスはあんま喋ってねえから覚えてないかもしんねえけど…この写画、トゥレンさんだ。」
トゥレンさん…?
「……!」
そこまで言われてようやく俺は思い出した。
「鬼神の双壁、トゥレン・パスカム王宮近衛補佐官か…!!」
――もう片方の双壁…イーヴ・ウェルゼン近衛副指揮官とは何度も顔を合わせたことがあり、王都での魔物召喚事件の時も合同会議に出席するなどしていたが、トゥレン・パスカム補佐官の方とは殆ど話したことがなく、写画を見てすぐに思い出せるほど印象に残っていなかった。
ただその彼の人好きのする明るい笑顔や、とても好感の持てる人物だったということは覚えている。
「あなたとウェンリーの知人なのですか?」
「いや、知人と言えるほどの知り合いでもないんだけど、エヴァンニュ国内では黒髪の鬼神の部下として、ウェルゼン副指揮官と共にかなり有名な人物なんだ。」
そうかウェンリーはこの人の写画を見つけたから、何事かと思って急に走って行ったのか…
ウェンリーはあの二人を『イーヴさん』『トゥレンさん』と呼んで、どこか年上の兄に接するような態度で懐いていたように見えた。
「それにしても…どうして『行方不明捜索』と『手配書』が同時に貼り出されているんだ?」
「側に立ってたファーディア王国の憲兵…ええと、『ハイレイン』だっけ?――の兵士が、トゥレンさんは王女殿下を連れて行方不明になってるらしいって言ってた。けどそれはベルデオリエンスから各国への通達で、エヴァンニュとシェナハーンでは二人とも国への反逆者として指名手配されてるって言うんだ。わけわかんねえ…」
つまりファーディア王国としては言い分の異なる両方に配慮し、双方が交付した貼り紙を並べて掲示しているのか。
知り合いが行方不明だと聞いて肩を落とすウェンリーに、俺達は一時黙り込んだ。
それにしてもベルデオリエンスだって…?俺達は立ち寄っていないが、このファーディア王国とも国境を接した小さな国のはずだ。
その国がどうしてエヴァンニュ王国の近衛補佐官とシェナハーン王国の王女の行方を探しているんだ?
確かにわけがわからないな…
「…確かペルラ・サヴァン王女殿下は、エヴァンニュ王国へ輿入れしたとログニックさんは言っていたよな?それに合わせて入口へ肖像画を移したと…」
「シニスフォーラを訪れた時の話ですね。ええ、そう記憶しています。」
トゥレン・パスカム補佐官が王女を連れて行方不明…
「――まさか、駆け落ち…でしょうか?」
「「「「え゛ッッ!?」」」」
一瞬その考えが思い浮かばなかったわけじゃないが、それでも下世話な推測だと振り払った俺に対し、そう言った話を嫌いそうなイスマイルがそんなことを言ったので、俺とサイード、リヴにプロートンはギョッとなる。
「駆け落ちって…マイル、なんかその根拠があんのかよ。」
「ええ、あるから言っています。実はペルラ王女殿下にはエヴァンニュ王国に思い人がいると本人から聞かされたことがあるのです。わたくしはシェナハーン王国でその…〝守り神〟として崇められていましたから、誰にも打ち明けることの出来ない悩みを相談されたことがありましたの。当時はもう二度と会えない御方だから諦めるしかない、と仰っていらしたのですけれど…」
「それがトゥレンさん…?まあトゥレンさんだったら優しいし、王女様辺りにでもかなり好かれそうだけど…なにがあったんだろ。本当に駆け落ちしたんなら、きっと国から追われることになるよな…」
ウェンリーのその呟きを聞いた瞬間、ずっと黙っていたレインフォルスは俺に声をかけて来た。
『おい…』
『ああ、わかってる。』
あの同情と心配で一杯の表情…下手なことを言い出す前に釘を刺した方が良さそうだ。
「もしそうだったとしても、俺達にどうにか出来る問題じゃないな。」
「ルーファス…!」
縋るような瞳をしてウェンリーが顔を上げた瞬間、やっぱり、と心で思わず呟いた。
「考えてもみろ、魔物絡みで救助要請が出ているわけでなし、特段本人達と親しいわけでもない。どこかでばったり出会しでもしない限り、顔見知り程度の俺達に首を突っ込めるような話じゃないだろう。」
「け、けどルーファス、トゥレンさんは俺に優しくしてくれて――」
『正真正銘の馬鹿なのか!?そんな件に首を突っ込んでみろ、中立の立場を保つどころじゃなくなるだろうが…!!』
ああ…レインフォルスの苛立ちが頂点に達して、ウェンリーに激しく腹を立てている。
「ウェンリー。はっきり言うが、今の俺達には関わりのない話だ。それに国家間で揉めそうな匂いのする案件に、太陽の希望のリーダーとしても手を出す気はない。下手に首を突っ込めば、俺達が争いの火種になり兼ねないことを良く考えてくれ。」
「争いの、火種…?ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ…わかったよ。」
『あの顔はおまえの言葉の意味をきちんと理解していない顔だぞ。』
『…大丈夫だよ、ああ言っておけばわからなくてももう言わないさ。』
――あのトゥレン・パスカム補佐官と聖女が駆け落ちね…もしイスマイルの言うことが正しければ、彼は『聖騎士』となるべく選ばれた人間なのかもしれないな。
聖女は自らが選んだ聖騎士以外を決して愛することはない。エヴァンニュ王国で元々誰に嫁ぐはずだったのかは知らないが、聖騎士と結ばれるためにそういう手段に出たとしても案外不思議はないかもしれなかった。
どちらにせよ暗黒神が復活して、フェリューテラ各地に滅びの兆しが見え始めれば、聖女は頭角を現して人々の救済を始めるはずだ。
そうなれば聖騎士は誰がなんと言おうとも、聖女の側を離れられなくなるだろう。
…なんて、これは全部自己管理システムのデータベースから、俺がたった今知った話なんだけどな。
ただこれだけは言える。聖女と聖騎士に関することは俺の手を出すべき領分じゃない。なぜなら聖女は元々、光神と深く関係のある存在らしいからだ。
下手に俺達が首を突っ込んで、またあの光神レクシュティエルに(今はどこにいるのか知らないが)睨まれでもしたら厄介だからな。
この後暫くの間ウェンリーは暗い顔をしていたが、やがて自分がいくら心配した所でどうにもならないことを悟ったのか、以降は貼り紙を見ても二度と彼のことを俺に言ってくることはなくなったのだった。
寒くなりましたね!次回、仕上がり次第アップします。いつも読んで頂きありがとうございます!




