215 歪んだ軌跡
災厄の迷宮でレインフォルスと入れ替わったルーファスは、長時間意識を失ったまま、中々目を覚まさなかったようでした。ウェンリーの声で起こされたルーファスは、サイードからレインフォルスの話を聞き、ライ・ラムサスは無事に逃がされたことを知ります。そうしてカラミティに危害を加えられたことから、深追いしないようにサイードに言われ、モナルカへ帰ることにしましたが…?
【 第二百十五話 歪んだ軌跡 】
『――…リー…ウェンリー…』
«この声…»
「…ルーファス?」
――その日、俺…ウェンリー・マクギャリーは奇妙な夢を見た。
遠くから俺を呼ぶルーファスの声が聞こえて、真っ白い霧の中であいつの姿を探しながら歩いていると、金色の光の筋がいきなり目の前に現れたんだ。
なんだ?この光…
その光は霧の中へ長く伸びるように続いてて、直感でそれを辿って行けば、ルーファスの所へ行ける…そう思った。
だから俺はその光の筋を見失わないように、細心の注意を払って先へ先へと直走った。
そうしたらあろう事か途中で、俺がリカルドの次に大っ嫌いなあいつが俺を待ってたんだ。
「てめえ…レインフォルス!なんでこんな所にいやがる!?ルーファスはどこだよ!!」
ルーファスより少し年上で、ルーファスと同じ顔に漆黒の髪、紫紺の瞳…愛想のねえ冷たい目を俺に向けて腕を組み、ぶすっとした顔してる。
そう言や前にバセオラ村で、こいつがルーファスの声真似をして俺を誘き出したことがあったっけ。まさかとは思うけど、今俺を呼んでたのって…?
まあそんな風に先に突っかかった俺も悪いけどよ、人の顔を見るなり心底嫌っそうな顔をしたあいつは、もっと悪いだろ?わかってるよ、レインフォルスの方だって俺のことが嫌いなんだろうな、知ってるよ!!
「――相変わらず煩い奴だ。こっちも好きでおまえの夢の中に入り込んだわけじゃない。どうせ目を覚ませば忘れるだろうから詳しい説明はしないが、ルーファスのためだ、手を貸せ。」
「ルーファスの?」
「ああ。深淵に沈んだまま俺やサイードがいくら呼んでも目を覚まさない。アストラルソーマにはこれと言った大きなダメージはなかったが、今の状態でさらに深い眠りへついてしまうと、最悪の場合は何百年、何千年と目を覚まさなくなるかもしれない。そうなればフェリューテラは滅び、おまえも守護七聖達も二度とルーファスには会えないだろう。」
「な…なんでだよ、なんでそんなことになってんだ!?ルーファスはインフィニティアへ、カラマーダを救う方法を探しに行ってんじゃなかったのかよ…!!」
俺が食ってかかると、レインフォルスはうんざりした様子で溜息を吐く。
「――俺に文句を言うな。だがまあ今回の寄り道には全く関係がないわけではないから、先に謝っておく。ルーファスを巻き込んで…悪かったな。」
「げげっ!!どういう風の吹き回しだよ…気色わりいッ!!!」
「言ってろ。」
レインフォルスが俺に謝った??空から槍でも降って来んじゃねえだろうな!?
「とにかくついて来い、深淵に案内する。」
――いつもの刺々しさは少なく、どこか元気のねえレインフォルスは、俺を顎で指図してこの霧の中を先導するように歩き出した。
ふと上を見上げると、あの金色の光の筋はまだ遥か先まで続いてる。
特段俺とレインフォルスの間で話すようなこともねえし、暫くの時間、俺達は無言で歩き続けた。
そうして俺がこのままこいつについて行って本当に大丈夫なのか?って疑念を抱き始めた頃、レインフォルスの方から唐突に妙な話題を振って来た。
「…ウェンリー。」
「あ?…なんだよ。」
「おまえはルーファスの記憶が戻ることは怖くないのか?」
「…は?…どういう意味だよ。」
「過去の全てを思い出す代わりに、ルーファスはおまえと過ごしたこの十年を忘れてしまうかもしれない。…そう不安に思ったことはないのか。」
「え…」
――いきなりそんなことを聞かれて、俺はドキリとした。
正直に言うけど、不安に思ったことは…ある。なにかの怪我や精神的なショックなんかで記憶喪失になると、その期間が長ければ長いほど、忘れてたことを思い出した瞬間に、記憶を失ってた間のことを忘れちまうことがある…そんな話を聞いたことがあるからだ。
けど今のところルーファスにその兆しはねえ。神魂の宝珠の封印を解く度に少しずつ過去を思い出しちゃいるが、変わりにヴァハでのことを思い出せなくなってるとか、おかしなことは起きてなかった。
だから俺も深く考えねえようにしてるだけだ。
「なんでそんなこと…」
「――時々思うんだ。俺とルーファスは、もしかしたら〝同じ〟なのかもしれない。ルーファスは俺でもあり、俺はルーファスでもある…俺達の魂はやがて混じり合い、二人だったものが一人になって、唯一絶対の存在になる…そんな時が来るような気がする。」
「…なに言ってんだ、てめえ…」
レインフォルスの様子がおかしい…?なんだかルーファスと話してるような気になる…変だろ、外見は確かにレインフォルスなのに――
「例えば、今おまえが見ている俺は、本当に俺か?髪と瞳の色が違うだけで俺は、いとも簡単にルーファスとなり切れてしまうだろう。――おまえに俺とルーファスの区別は本当につくか?――ルーファスはどうしておまえみたいななんの取り柄もないただの人間に、全てを託したんだろう。…今でも俺は納得が出来ない。」
「……?」
矢継ぎ早にそう吐き出すあいつは、俺の知るレインフォルスとはどこか違うような不気味な感じがして、俺は疑問を持っても口をつぐんだ。
なにか今下手なことを言うと、途轍もなく恐ろしいことが起きそうな気がして、余計な口を利かないようにした方がいいと思ったからだ。
「――着いたぞ、ここが深淵だ。」
そう言ってレインフォルスが立ち止まった先には、濃い霧の中にただただ真っ黒い漆黒の闇が広がる、底の見えない穴が地面にぽっかりと空いていただけだった。
「深淵って…ただの真っ黒い底なし穴じゃねえか。――どこにルーファスがいるんだよ。」
「だからこの穴の中だ。」
「はあ?…ふざけんなよ、俺にここから飛び降りろとでも言うのかよ!!」
「怖くて降りられないのか?ルーファスは間違いなくこの深淵の底にいる。偉そうに親友だなんだと言っても、ルーファスがおまえを大切に思うほどにおまえは、ルーファスを思っていないんだな。――もしそうなら俺の見込み違いだ。」
「てめえ…!」
「――そうして食ってかかっても構わないが、あまり時間はない。ウェンリー…おまえが行かなければ、ルーファスはもう戻らないかもしれないぞ。…どうする?」
「チッ…わかったよ!!行けばいいんだろ、行けば!!飛び降りてもしルーファスがいなかったら、次に会った時には俺の気が済むまでてめえをぶん殴ってやるからな!!覚えてろよ…!!」
「ああ、いいだろう…もしいなかったら、な。」
レインフォルスが俺を馬鹿にするような目で見て笑ったのを見届けた俺は、意を決してその深淵という穴の中へ飛び込んだ。
――そんな夢だった。
♢
酷く苦しい思いをして疲れ果てた身体を休めていたら、まだ眠いのに誰かが俺をしつこくゆさゆさ揺すって起こすんだ。
『いい加減に起きろルーファス、おまえなにやってんだよ!?俺らおまえが帰って来んの待ってんだぜ!!魔精霊に取り憑かれたカラマーダの連中を助けるんだろ、いつまでも寝てんじゃねえ!!』
――この声…ウェンリー?どうしてここに…
「ウェンリー…頼むよ、もう少し寝かせてくれ。なんだか疲れて身体が凄く重いんだ。」
『駄目だって!!いいから目を覚ませ!!帰って来てからゆっくり休めばいいだろ!!ほら、早く!!』
「わかった、わかったよ、起きればいいんだろ…鬼畜過ぎないか、もう…」
――せっかく気持ち良く眠っていたのに。そう思いながらウェンリーに叩き起こされた俺が眠い目を擦り擦り開くと、どうやらそれは夢だったようで、俺はまだ災厄の砦の地下層にいて薄暗い部屋の石床に横たわっていた。
「ルーファス…!ルーファス、良かった…意識が戻ったのですね!!」
「…サイード?」
柔らかくて温かい枕に頭を乗せ、やけに距離の近い状態でサイードの綺麗な顔が上から心配そうに俺を覗き込んでいた。
その心地いい枕がすぐにサイードの膝の上だと言うことに気が付き、驚いた俺は慌ててそこから飛び起きる。
「うわっ!!!ご、ごめんサイード!!俺、膝枕…っ」
サイードは不思議そうに首を傾げて、俺の頬へ手を伸ばした。
「?なにを謝るんです、それより気分はどうですか?随分長い時間、あなたは意識を失っていたのですよ。あまりにも目を覚まさないので心配しました。」
「え…?」
そうだ俺は…ライ・ラムサスを見つけた所で、転移して来たカラミティとマーシレスからいきなり攻撃を受けて――
自分になにが起きたのかを思い出した俺は、顔を上げてサイードを見ると、サイードの金色の瞳とその目の周囲が赤く腫れていることに気が付いた。
サイードの目が赤い…まるで泣き腫らした痕みたいな…?
「そうか…心配かけてごめん、俺はどのぐらい気を失っていたんだ?」
もしかしてかなり心配をかけたのかな…俺のせいで泣いていたとか…
「――八時間ほどです。」
「えっ…は、八時間!?」
そんなに…!?
「大変だ、そうだ…ライ・ラムサスは!?牢に閉じ込められていた彼を見つけたんだ!!すぐに助けないと…っ」
「落ち着きなさい、ルーファス。覚えていないのですか?あなたはまた、レインフォルスと入れ替わっていたのですよ。」
「!」
俺はサイードから、レインフォルスと入れ替わっていた間のことを、一通り詳しく話を聞いた。
それによるとサイードは対峙した敵を倒して魔法扉の罠を抜け、俺の後を追いかけて来た所でサイードを捜しに来たレインフォルスと出会したらしい。
そしてサイードに同行していたアドラオンの四精霊とリアンは、俺が入れ替わったことで強制的に俺の中へと戻されてしまい、サイードは彼らが消えたことで俺になにかあったことをすぐに察していた。
またそのアドラオンからは話を聞く限り、レインフォルスが表面化していた間はずっと眠っている状態にあったそうで、外でなにが起きていたのかは全くわからないと言っている。
「アドラオンは無事ですか?」
「ああ…大丈夫だ、みんな俺を心配して少し混乱しているが、彼らに怪我や異常はないそうだ。もちろん、サイードのことも無事で良かったと言っているよ。」
「そうですか…それなら安心しました。それとライ・ラムサスはレインフォルスが安全な場所へ逃がしたそうですから、彼のことは心配しなくても大丈夫ですよ。」
「そうか…」
落ち着いた様子で微笑むサイードの笑顔に、俺は安堵の溜息を吐いた。
――そう言えばレインフォルスは、俺と違って転移魔法が使えるみたいだった。あの状況から考えると、彼のことは魔法で逃がしてくれたのかな…?
事情を聞けなかったのは残念だけど、無事にここから脱出できたのなら、ライ・ラムサスとはまたいつか会うこともあるだろう。
そう思い、立ち上がった俺は服についた汚れを払いながら、周囲を見回した。
「ここは…一階の転送陣から出て来た地下層最初の部屋か。」
「ええ、そうです。迷宮化していた地下層の結界が壊れて修復作業が始まったことから、急いでここに避難しました。それからも随分時間は経っていますが、カラミティとマーシレスは現れていません。」
――俺の前に姿を見せたあれっきりだと言うことか…レインフォルスが撃退したのか?それとも…
「カラミティ達がライ・ラムサスを追って行った可能性はあるかな?」
「どうでしょうね…それはわかりませんが、もしそうだったとしても私達に出来るのはここまでです。ライ・ラムサスを攫った理由と目的はわからないままですし、カラミティがあなたに危害を加えたことからも、これ以上深追いするのはやめた方がいいでしょう。それともルーファス…あなたは災厄と闇の守護神剣を相手にもう一度対峙して、今度は勝てる自信があるのですか?」
「それは厳しいな…いや、多分無理だろう。俺自身カラミティとマーシレスに対して考えが甘かったと今は反省もしている。」
「そうですか…それなら私が言うことはありません。――遅くなってしまいましたが、今度こそモナルカへ帰りましょう、ルーファス。」
「…ああ、そうだな。」
レインフォルスがライ・ラムサスを逃がしたのなら、ライ・ラムサスには俺がレインフォルスと入れ替わる所をきっと見られただろうな…次に会った時、そのことを尋ねられたら、なんと言って説明しよう?変に怖がられたりしないといいけど…
――ライ・ラムサスを見つけた時、現れたカラミティとマーシレスが俺を攻撃してくるとは思っていなかった。
その油断が対応の後れを招き、レインフォルスに迷惑をかけて助けて貰うことになった。
人を救いたいのなら自分の身も守れなければ、本当の意味で守護者である資格はないだろう。それが俺の持論でもある。
そうでなければ、自分を犠牲にして誰かを助けても、それは助けた側の自己満足に過ぎず、助けられた相手は無用な罪悪感を抱くことになって堪ったものではないからだ。
俺はまだまだ力不足で、未熟者だ。こんなことじゃ暗黒神を倒せるはずがない。
そんな風に俺は自分の未熟さを思い知り、助けてくれたレインフォルスへ感謝と謝罪を心の中で呟きながら、サイードの転移魔法でウェンリー達の待つモナルカの宿へ戻った。
――はずだった。
シュシュンッ…トッ
「ふう、なんとか帰って来られたな…もう夜なのか。サイードごめん、部屋の灯りを点けてくれないか?誰もいないみたいだ。」
「ええ…」
借りていた宿の部屋へ戻り、誰もいないことを少し不思議に思いながらも、とりあえず上着を脱いで椅子に座ろうかと、衣服に手をかけたその時だ。
ガチャッ
「やあねえ、だからあの依頼は後回しにしようって言ったじゃない。」
「ははは、これだからリーダーは――」
「…えっ」
突然部屋の扉が開き、見覚えのない冒険者服の男女が室内へ入ってきた。
「えっ…」
一時の間、俺とサイードは彼らと顔を見合わせ、硬直する。直後――
「きゃあああっ!!あんた達、誰よ!?人の部屋でなにしてんの!?」
「なっ…」
「こいつら、泥棒か!?」
いきなり若い女性に悲鳴を上げられ、俺はその拍子に傍の椅子を思いっきり倒した。――瞬間、目の前の景色がモナルカの街の路地裏へと変化する。咄嗟にサイードが転移魔法を使って、俺と外へ移動したからだ。
「サイード!?今度はなんなんだ…!!」
「おかしいと思ったのですよ、部屋で待機しているはずのウェンリーやシルヴァンの姿がなく、ルーファスが戻ったことに真っ先に気づくはずのゲデヒトニスから、思念伝達での呼びかけもなかったでしょう。――ルーファス、ここで少し待っていてください。確かめて来ます…!」
「確かめるってなにを…サイード!!」
混乱する俺を置いて、サイードは引き止める間もなく一人でまたどこかへ転移して行った。
「参ったな…どうなっているんだ?これは――」
見覚えのある街並みに明光石の街灯のある夜の裏通り。特に変わった様子のない住宅街に、モナルカに張られている魔物除けの結界もそのままだ。
――ここは確かにモナルカの街だし、覚えている限りでは並んでいる建物にも大きな変化は見当らない…
帰る宿の部屋を間違えた、とか…?サイードの魔法の行き先が予定と違う場所だったのは、ライ・ラムサスの攫われる現場を見たのと同じかもしれないが、そう何度も失敗するかな?故意ならわかるけど、さすがにそれはあり得ないだろう…
「ルーファス!」
シュンッ
「わっ!!」
ほんの一、二分でサイードは戻り、慌てた様子のその手には紙束が握られていた。
「これを見てください、本日発行の情報紙…所謂、メル・ルーク王国の新聞です!!」
そう言ってサイードから手渡されたそれを見ると、真っ先に俺の目に入ったのは日付だった。
「な…」
FT歴1996年○月×日。
「――これは…一ヶ月以上も前の日付けじゃないか…!どういうことだ…?」
「この日にちが確かなら、この頃の私達はまだマロンプレイスにいるはずです。もしかしたらインフィニティアから戻る際、時空転移魔法でフェリューテラに戻って来たことから、帰還時間にずれが生じ、過去のフェリューテラへ着いてしまったのかもしれません…!」
なんだって…?――しまった…!!
「それはマズい…俺達はカラミティにライ・ラムサスが攫われた現場に居合わせ、既に彼を助け出してしまったんだぞ…!!もしそうなら俺達は、そうと気が付かずに過去を変えてしまったことになる…!!」
大変だ…!!
「と、とにかくマロンプレイスへ移動し、ステルスハイドで姿を消してこの頃の私達がいるかどうかを確かめましょう…!」
「あ、ああ、わかった。」
そうして俺とサイードはマロンプレイスへ急遽移動してみたのだった。
すると遅い時間にも関わらず、すぐにギルドから出てくるシルヴァンとプロートン達の姿を見かけ、ファーガス診療所へ行ってみると、病室の扉窓から寝台で眠っている俺自身の姿を見る羽目になった。
瞬間、傍に付き添っていたゲデヒトニスが、俺達の気配に気づいてこちらを見る。
まずい、気づかれた!?
この時の俺とそこにいた過去のゲデヒトニスは、なぜだか同調することはなく、サイードの機転ですぐにまた街の外へ転移して逃れた。
「ここは本当に過去なんだな…しかも俺がまだ目を覚ます前の状態だった。」
「ええ…ここから元の時間のモナルカへ帰るのは問題ありませんが、変えてしまった過去により、未来がどう変わっているかは想像も出来ません。」
「…レインフォルスはライ・ラムサスをどこへ逃がしたのか言っていたか?」
「いいえ。ですが恐らくは、エヴァンニュ王国のどこかではないかと思います。黒髪の鬼神は元々あの国の王国軍人でしたよね?」
「ああ、そうだけど…でももしそうならモナルカへ帰れば、無事に城へ帰ったとかどこそこで見つかったとか、ファロに聞けばなにかしらの情報は掴めるかもしれないな。元の時間軸ではこの一ヶ月後も、ライ・ラムサスは依然として行方不明のままだった。」
「そう思います。彼ほど有名な人となると、変えてしまった影響でなにが起きるかは予想出来ませんが、この時点でまた過去へ戻ってももう取り返しはつかないでしょうね…」
――サイードの言っている言葉の意味は良くわかる。
俺達がインフィニティアへ出発した時点での『現在』は、俺達が過去を変えた時点で、既に大きく変わる前の『別の未来』ということになる。
時間の流れにはある程度の柔軟性があることから、元の現在で俺達とライ・ラムサスに直接共に行動していたなどの接点はなく、魔精霊やカラマーダなどにそこまで大きな変化はないだろうと言うことだけは予想が出来る。
だがここからまたあの過去…つまりはカラミティがライ・ラムサスを攫った現場へ戻れば、既に変化した未来の歪みをさらに大きく広げる可能性は高かった。
なぜならどんな物も一度変化を加えると、二度と完全に元には戻せないことが殆どだからだ。
そうなると最悪の場合、この件に関わった俺やサイード、若しくはレインフォルスかライ・ラムサスの中で突然死者が出ないとも限らない。
こうなるともう未来が余程の事態になっていない限りは、下手に弄らない方がいいと言うのは話し合うまでもないことだ。
「参ったな…ライ・ラムサスは大丈夫だろうか?俺達が手を出す前の状態より悪い方向へ、なにかしらの影響が出なければいいけど…さすがに心配だ。」
「…もし私達が彼を助けに行かなければ、カラミティに囚われたままのライ・ラムサスはどうなっていたのでしょうね。」
サイードは険しい顔をして俯く。
――あの暗い砦の地下層で、誰の助けも得られないまま、孤独に長期間牢へ閉じ込められて…?想像しただけでもゾッとする。
「それはわからない…カラミティ達が彼を攫った理由がわかれば想像もつくけど、少なくとも俺はあまりいい方には考えられないな。」
「――そうですね、でしたら今は必要以上に悩むのはやめましょう。既に過去を変えてしまい、取り返しのつかない変化を起こしてしまいました。ならばそれに対する責任は、私達が取るしかありません。」
「…そうするしかないか…とにかく、今度こそモナルカへ帰ろう。これ以上過去にいて、ほんの僅かな変化でももう起こすべきじゃない。」
「ええ。」
こうして俺達は予想外に過去を変えてしまったことを知り、大きな不安と重い気分を引き摺りながら、ようやくモナルカへ帰ったのだった。
「お帰りなさい、ルー様!」
「イスマイル…ああ、ただいま。」
「思ったより早かったじゃん。」
――サイードの時空転移魔法で帰ると、宿の部屋ではイスマイルとウェンリーが俺達のことを待っていた。
そうだよな…正しくモナルカへ帰ったのなら、この部屋にはウェンリーなりイスマイルなりの誰かが必ず待っていたはずなんだ。
俺を笑顔で出迎えてくれたウェンリーと話しながら、ふと窓の外を見ると、現実時間のモナルカは少し空が赤く染まり始めた時間帯だった。
外はまだ陽が残っている…もうすぐ夕暮れ時か。インフィニティアへ発ったのはまだ明るい午後だったから、ウェンリー達の時間は殆ど経っていないんだな。
「あれ…なんかおまえ顔色悪いぜ?大丈夫かよ。」
考えてももうどうしようもないことはわかっていたが、それでも過去を変えてしまった不安が顔に出ていたらしく、ウェンリーにはそう心配されてしまった。
「インフィニティアでも魔精霊についてはなにもわからなかったのですか?」
「いや、それは大丈夫だ。ヴャトルクローフィの正体はわかったし、強力な助っ人も連れて来た。」
「助っ人?」
「アレンティノスのガーディアンだった精鋭一部隊が、俺の眷属精霊になってくれたんだよ。詳しいことは後で説明する。シルヴァンとプロートン達は出かけているのか?」
俺の後ろで椅子に腰を下ろしたサイードが、透かさず返す。
「私が今、共鳴石で連絡を取っています。イシーはリヴグストにも連絡を――」
サイードの言葉を聞き終わらないうちに、俺の頭の中へゲデヒトニスの思念伝達が響いた。
『戻ったね、ルーファス!!リヴからは連絡がないのに、カラマーダが転移魔法でいきなりこっちに現れたんだ!!もしかしたら僕らの監視に気づいたのかもしれない、様子を見て僕が罠へ嵌まるように誘導するから、準備を整えて出来るだけ急いでこっちに来て!!』
「!――わかった、すぐ行く!!」
俺が声に出して返事をしたことで、シルヴァンと話していたサイードと、リヴに連絡を取っているイスマイル、横にいたウェンリーが一斉に俺を見た。
「ゲデから連絡が来たのか?」
「ああ、カラマーダが転移魔法で森に現れたらしい。」
「は?あいつら転移魔法も使えんのかよ、家見張ってたって意味ねえじゃん!!」
「取り憑いているのがインフィニティアの精霊だからな…あり得ないことじゃない。」
「リヴ、ルー様の声が聞こえましたわね!?」
『聞こえたわ、予がここにいた意味がないではないか!!ぐぬぬ…無駄なことをさせおってからに…!』
「デウテロンをリヴグストの元へ向かわせました、交代したらここへ呼び戻してください。」
『それも聞こえたわ、承知致したぞ、サイード!』
イスマイルとサイードの共鳴石による会話が終わり、俺達は慌ただしく動き始めた。
「デウテロンにまだカラマーダの家を見張らせんのか?」
「ああ、保険だ。もし自宅に魔精霊がなにか仕掛けていたなら、異変が起きる可能性もあるだろう。街中に人の振りをして紛れ込んでいた理由がわからない内は、見張りを付けておいた方がいいんだ。」
「そう言うことか…!」
「ルー様、黒鳥族の長へも連絡を取った方がよろしいですわ。手空きの守護者を招集して頂きましょう。」
「ああ、ウルルさんだな、わかった。」
――こうして帰る早々に休む間もなく忙しくなった俺達は、念のためにデウテロンをカラマーダの家がある集合住宅の監視に残し、ウルルさんからモナルカのギルドへ通達を出して貰うと、手の空いている守護者に協力を仰いで、事が片付くまでの間はあの森…『アルソスの森』へは誰も近づけないよう街道の見張りに立って貰う手筈を整えた。
それ以外にもモナルカのギルドから即座に高位正守護者(Aランク級以上)への緊急招集がかけられ、不測の事態に備えて複数の守護者にアルソスの森付近で待機して貰う。
俺達『太陽の希望』に協力してくれることになった守護者との連絡役を、プロートンとテルツォに任せ、残る俺とサイードとリヴ、イスマイルにウェンリーと後から合流したシルヴァンの六人は、森で待つゲデヒトニスの元へ急いだ。
「ゲデヒトニス!」
「待ってたよ、カラマーダは魔精霊ごと転送陣で、僕の作った異空間に閉じ込めることには成功した。だけどさっきから辺りの様子がおかしいんだ、あのアジトの上にある巨岩の丘を見て!」
地下空洞へ続く転送陣から、少し離れた場所で俺達を待っていたゲデヒトニスは、合流するなり巨岩の突き刺さったような形の丘を指差してそう言った。
すると日が沈み始めて徐々に暗くなりかけのこの森で、丘全体がぼんやりと薄紫色に光を放っているように見える。
「なんだあれ…なんか光ってねえか…?」
「ああ、俺にもそう見えるな…なんだろう。」
隣で不安気にその光景を見つめるウェンリーが、異様さに息を呑む。
「地下空洞で見つけた遺体は主が浄化したと言ったな?」
「惨い状態だったからな、不死化しないように俺がきちんと浄化したよ。」
シルヴァンの問いかけに俺は頷く。
「シルはあの場に冥界の扉が開くことを案じておるのか?」
「いいや…可能性の一つとして考えただけだ。」
「――いえ、それはないでしょう…あれは冥界の扉と言うより、まるで…」
「ええ、まるで昆虫の卵か、羽化寸前の蛹のように見えますわ…。」
少し間を空けてリヴが尋ね、シルヴァンは首を振りながら答えると、その様子を固唾を飲んで見守るサイードが言いかけた言葉を、最後にイスマイルがそう紡いだ。
「卵か蛹って、やなこと言うなよマイル…!」
「冗談で言っているのではありませんの。暗黒神のいた千年前には、それはもうウェンリー、あなたには想像だに出来ないほど数多の、魔族や悪魔種、魔物が跋扈しておりましたのよ。――あの丘を見ていると当時を思い出して…なんだかわたくし、鳥肌が立って来ましたわ…」
――卵か、蛹…?
俺の肌も確かに、感じたことのない空気に鳥肌が立っている…
特に理由があったわけじゃないが、木々の切れ間から覗く夕暮れの空を見上げた俺は、あることに気づいてハッとし、急いでイスマイルに尋ねた。
「イスマイル、もしかして今夜は新月か!?」
«曇っているわけでもないのに、空に星が見えない…!!»
「え…ルー様?」
「どうなんだ、新月じゃないのか…!?」
「お待ちください、ええと…ええ、はい、今夜は確かに新月ですわ…!」
イスマイルからその答えを聞いた瞬間、俺の頭にザザザーッという雑音が響き、どこかで耳にしたその文言が思い浮かんだ。
〖――心せよ、愚かなる人族共。百四十九日の間、血と骨と肉を捧げられ、星々の明かりが消えし月のない夜に、我は大地に根ざす蛹から新たな生を受ける。〗
〖我は死へと誘う恐怖の女王なり。我が名は――〗
「――『ア・ドゥラ・ズシュガ』…冥界の死面蛾…そうだ、あれはア・ドゥラ・ズシュガの蛹だ…!!!」
「「「「「「!?」」」」」」
意図せず口をついて出た言葉に、ゲデヒトニスを含めた全員がその目を大きく見開いて俺に注目した。
「アドゥ…なんだ、それは!?主!!」
狼狽える俺の肩に手を伸ばし、シルヴァンが俺を問い詰める。
「――わからない…わからないけど、どこかで聞いた文言が響いて、俺の頭に強烈なイメージが浮かんで来るんだッ!!!」
俺の頭に幻覚のように浮かんで来るその恐ろしいイメージ…それは――
――蛹から孵った紫色の巨大蛾の…広げた四枚翅から猛毒の鱗粉を散蒔く小蛾と、死の病を齎す小蠅が数え切れないほどの数、黒い霧となってこの森から放たれて行く光景だ。
それは近くにあるモナルカの街どころか、瞬く間に空を覆い尽くして世界中へ飛んで行き、何千、何万という人間がバタバタ倒れて命を落とすと言う…
俺の頭に浮かぶ、この強烈なイメージは…エヴァンニュ王国の王都が魔物に襲われた日、地下水路で地上へ放たれるレスルタードの幻視を見た時と同じだ…!!
『ルーファス、僕にもそれを見せて!!』
『ゲデヒトニス…!』
聞こえてくるゲデヒトニスの声に意識を合わせ、言われた通りに俺はゲデヒトニスと記憶の同期を行おうとした。だが――
『――同期出来ない…ルーファス、記憶が読み取れない…!!どうなっているんだ…!?』
そんなことを言われても――
突然の幻視に混乱しているからなのか、頭の中でゲデヒトニスの声は響いているのに集中出来ず、同時に黒い霧となった羽虫に纏わり付かれ、悲鳴を上げながら次々に人が死んで行く幻覚が脳裏にこびり付き、俺は冷静さを失ってしまった。
駄目だ…幻視が消えない…!時間がないと感じるのに、俺の意識が現実に戻れない…!?なにが起きているんだ――!!
『落ち着け!!』
――!?
『落ち着くんだ、ルーファス!!焦らなくても日没まではまだ少し時間がある!!』
この声…まさか――レインフォルス…!?
『そうだ、俺だ!!すぐにシルヴァンティスとウェンリーに頼んで、蛹の周囲を囲むように結界石を配置しろ!!サイードと協力して半径一キロ圏内を覆う隔離結界を張るんだ!!』
これまでと違って、レインフォルスの声がはっきり聞こえる…!
「隔離結界…そうか、飛散する羽虫を閉じ込めるのか…!!」
『急げ!!』
レインフォルスの声に俺の意識が集中すると、頭の中を占めていた幻視が消えて俺は落ち着きを取り戻した。
「シルヴァン、ウェンリー!!急いで結界石を半径一キロ圏内に隔離結界を施せるよう配置してくれ!!」
「隔離結界!?」
「ウェンリー、結界石よ!!」
俺の指示にイスマイルは直ぐさまウェンリーに結界石の入った袋を手渡し、シルヴァンはその場で銀狼化して、ウェンリーはシルヴァンの背に飛び乗った。
「どこを中心に配置すればいいんだ!?」
「あの光っている丘が中心だ!!」
「了解ッ!!」
『行くぞウェンリー!!』
身を低くして銀毛に掴まるウェンリーを乗せたシルヴァンは、高速で俺達から離れて行く。
「こちら側は予も手伝いまする!!」
リヴは自発的に自分で持っている結界石を手に、走って近くからそれを配置してくれる。
「サイードは準備が出来たら、俺が隔離結界を張るのに手を貸してくれ!!あの丘を中心に半径一キロ圏内だ、かなりの大きさになる…!!」
「ええ、わかりました。」
「イスマイルは共鳴石でプロートンに連絡を!万が一に備え、守護者を除いてモナルカの民間人は直ちに自宅へ避難するように伝えてくれ!!ギルドから通達があるまで、決して外には出ないようにと念を押すんだ!!」
「わかりましたわ!!」
イスマイルは共鳴石を手に俺から少し離れて行き、この場には俺とサイード、そしてゲデヒトニスの三人が残った。
「記憶が共有出来ないなんておかしい、僕は君の分身なんだ。――これは大事だよ、ルーファス。」
「ゲデヒトニス。」
「異変が起きている最中だけど、急いでもう一度試そう。」
「…わかった。」
俺達はサイードの前で両手を繋ぎ、再度意識を集中して互いの記憶の同期を試みた。
なにも見えない…ゲデヒトニスの意識も流れ込んで来ないな、どうしてだ…?
「――駄目そうだな…」
本来であればこんなに時間をかけなくても、俺達の記憶の同期は一瞬で済むはずのものだ。
結局俺達はすぐに諦めて、繋いでいた両手を離した。傍にいたサイードは少し下がって、俺達のやり取りを無言で見ている。
「――君は僕と別れた後、どこでなにをして来たの?サイードと一緒にここを発った直後から、もう記憶が全く見えなかった。それと当然、さっきの幻視もだ。」
「…俺が今考えていることは伝わっているか?」
「いいや…それも駄目だね。思念伝達でのやり取りは普通に出来るけど、君と僕は『同じ』でなければならないのに、なにか大きな齟齬が生じてしまっているみたいだ。原因になんらかの心当たりはあるかい?」
「原因…」
――もしかしてゲデヒトニスと離れている間に、俺が過去を変えたせいか…?
「…あるんだね。――後できっちり話を聞かせて貰うよ、いい?」
「ふう…ああ、わかった。」
俺は溜息を吐いて渋々承諾し、ゲデヒトニスは俺に対して怒っているかのように、ぷいっと顔を背けてリヴの元へと駆けて行った。
その瞬間俺は、記憶の同期が出来なくなったというだけで、まるでゲデヒトニスが俺から完全に分離した『個』という別の存在になったかのような、奇妙な違和感を持った。
『結界石の配置を終えたぞ、ルーファス!!』
――そんな俺の頭に、シルヴァンの思念伝達が届く。
「ルーファス、こちらも準備はよろしいでするぞ!!」
「ああ、ありがとう!!サイード、さっき説明した通りに手を貸してくれ!!念のため三重の隔離結界を張る!!」
「ええ、了解です!」
ブオンッフオンッブブオオンッ
俺とサイードは二人並んで、自分を中心に各々が発動する、結界魔法の魔法陣を重ね合わせて行き、より強固な隔離結界を張る作業に入った。
程なくしてシルヴァンとウェンリーが戻り、俺達のすぐ後ろにシルヴァン、ウェンリー、ゲデヒトニス、リヴ、イスマイルが集まって来る。
フオオンッ
「「!?」」
この魔力は…!?
直後俺とサイードの二人以外の魔力が、作成中の結界魔法陣に流れ出し、どういうわけか三人分の力が魔法発動に加わり始めた。
『――俺も手伝う。俺達三人の魔力が合わされば、ア・ドゥラ・ズシュガの攻撃にも耐え切れるだろう。』
レインフォルス…!!
暑いです、暑いです、あちぃです…寝室のエアコンが壊れそうなのです。次回、仕上がり次第アップします。アイス~…




