214 カラミティの目的 後編
数々の仕掛けや罠を乗り越え、ライ・ラムサスが囚われている堅牢に辿り着いたルーファスは、それを見越したかのように現れたカラミティとマーシレスの攻撃を受け、窮地に陥りました。囚われた牢の中から、目の前でルーファスに起きる異変を目の当たりにしていたライは、やがて信じられない光景を目にし、混乱してしまいます。そうしてライはルーファスの秘密を知ってしまいましたが…?
【 第二百十四話 カラミティの目的 後編 】
――いったい、なにが起きているのだろう。そう思い、俺はただただ突然の出来事に混乱していた。
カラミティに放り込まれた堅牢で、いつどこでどう知ったのか、俺を助けに来てくれたらしいルーファスに名前を呼ばれ、彼はまたどこからともなく俺の前に現れてくれた。
彼からこの場所についての説明を聞いても良くわからなかったのだが、ルーファスはかなり大変な思いをして俺の所まで辿り着いてくれたようだった。
一つに束ねた長い銀色の髪を靡かせ、額に汗を光らせながら鉄格子越しに対面したルーファスは、ほんの一瞬あの優しげな青緑の瞳を見開いて、なにかに驚いている様子だった。
無事だった、良かった。――そう俺が安堵したのも束の間、辺りに響いたマーシレスの声と共にルーファスの前にカラミティが現れ、彼は身構える間もなくドス黒い靄に包まれて突然酷く苦しみ出したのだ。
わかっている…これは多分、ルーファスが俺を助けに来たせいでカラミティに攻撃されているのだ。
激しい苦痛に苦悶の表情を浮かべて叫びながら、両手で頭を押さえて身を捩る彼を見て、俺は俺の位置からは姿の見えないカラミティとマーシレスに攻撃をやめてくれるよう懇願した。
このままではルーファスが殺されてしまう。そう思ったからだ。
――ああ、これも俺のせいだ。凶悪な変異体やヘレティック・ギガントスのような化け物さえ倒せるルーファスでも、俺などに関わったせいでヴァレッタやジャンのように命を落とすことになるんだ。
俺のせいで――
ルーファスを庇いたくてどんなに手を伸ばしても、頑強な鉄格子に阻まれて虚しく空を掴むだけ…もうだめだ、俺では彼を助けられない。
レインにそっくりなルーファス…もしかしたらレインなのかもしれないと思っていたルーファス…いいや、ルーファスがレインではなくても、昔レインと共に行くことを夢見ていた時のように、いつかは自由の身になって彼のパーティーに入れて貰い、もう一度守護者として人生をやり直したかった。
「やめろカラミティ!!頼むからやめてくれ…っお願いだ…!!!」
俺は自分の無力さを呪い、悔し涙を流しながら膝から崩れ落ちた。
――だがその直後ルーファスの叫び声がピタリと止み、それに気が付いて顔を上げた俺は、信じられない光景を見ることになった。
ドス黒い靄に包まれて苦しんでいたルーファスが暴れなくなり、全身に纏わり付いていたそれを凄い速さで吸収して行く。
そうしてそれらがルーファスの体内へ完全に消え失せると、苦痛に天を仰いでいた彼の銀髪が、見る間に根元からサアッと漆黒へ変化し始めたのだ。
ルーファスは目を閉じたままふわりと少し浮き上がり、その手をだらんと垂れ下がらせてゆらりその場に漂うと、見えないヴェールの向こうでは、徐々にその顔付きや纏う雰囲気までもが明らかに変わって行った。
«ルー…ファス…?»
――いったい、なにが起きているのだろう。
目の前で変化して行くルーファスの姿に頭が追いつかず、俺はただただ呆然としてその成り行きを最後まで見ていた。
「……そ、んな……」
意図せず漏れ出る声は途切れ、息も止まりそうになる。
時間にすればそれはほんの数秒から十数秒くらいだっただろう。全ての変化が終わった時、ゆっくりと開いたルーファスの瞳はその輝きを紫紺に変えており、炎に包まれ滅び行く故郷で別れて以降、一度たりと忘れたことのない、俺の記憶の中にだけ生きていた最愛の養父――レインの姿でそこに立っていた。
俺は夢でも見ているのか…?どうなっている…ルーファスがレインに――
信じられない思いでそれが本当にレインなのか確かめようと、俺は震えながら小さく口を開いた。
「レ…」
だが目の前のレインは、俺が最後までその名前を呼ぶ前にこちらを向いて無表情に見ると、俺に左手を翳していきなり呪文を唱えた。
「『ウォラーレ・メタスタシス・デスティネーション<転移せよ、飛ばせ目的の地へ>』。」
キンッ
直後金属を叩くような聞き慣れない音がして、俺の視界が闇色に染まる。続いて身体がふわりと浮き上がったような感覚があり、その刹那瞬きをして次に目を開けた時にはもう――真っ暗闇の中だった。
「は、な……う、嘘だ……嘘だ、レイン…」
――なにも見えない世界で足を踏み出すと、履いていた粗末な靴の底で踏みしめる地面は柔らかく、さっきまで俺がいた堅牢の石床に触れている感覚ではなかった。
一筋の灯りもない漆黒の闇の中を、垣間見たレインの姿を探しながら手探りで歩き回ったが、進む度にザザッという草を掻き分ける雑音が響き、頬に触れる微かな風と鼻を突く植物の青臭さが、既にここがどこか別の場所の外であることを俺に思い知らせた。
「レイン…そんな、嫌だ…返事をしてくれ…!!やっと会えたのに…あんな一瞬だけだなんて嘘だっ!!!」
――この時の感情をどう言い表せばいいのかわからない。
ショックだった。あれは確かにレインだったのに、なんの感情も籠もらない瞳を向けられたことが。
俺がレインの名前を呼ぶ間さえ与えてくれずに、また、俺を見てもレインが名を呼んでさえくれなかったことに。
奈落の底へ突き落とされたような気分で、右も左もわからない暗闇の中をただふらふら歩き回っていたら、直後に地面のない場所へ足を踏み出したらしく、身体ごと空中へ投げ出される感覚に襲われた。
逆らうことの出来ない重力に引っ張られ驚いた俺は、自分でもどこから出ているのかわからない叫び声を上げながら真っ逆さまに落ちて行き、すぐに自分の重みで枝葉がバキバキと次々に折れる音がして来る。
その間顔や腕に連続してなにかがぶち当たり、最後にドンッと全身を叩き付けられるような強い衝撃があって、身体のどこかが不気味にゴキッと鳴った。
そのまま跳ねるようにしてまた身体が浮き上がると、今度は頭の左側をなにかにぶつけたせいで、急速に意識が遠のいて行く。
ここがどこなのかはわからない。目を閉じても開いても一切なにも見えない中、気を失う前俺の頭に浮かんでいたのは、微笑むルーファスに重なって見える無表情なレインの顔だった。
――再び災厄の迷宮・地下層。
ルーファスの助けを求める声に応じて急遽入れ替わったレインフォルスは、牢に囚われていたライを魔法でどこかへ逃がすと、全身に怒りの闘気を纏ってカラミティを睨みつけていた。
「これは一体なんの真似だ、カラミティ…今すぐ俺が納得出来るように説明しろ。事と次第によっては俺の持てる全力で貴様と刃を交えることも辞さん。」
「ふ…」
努めて冷静になろうとしながらも、既に感情を抑えきれず激昂している様子のレインフォルスを見て、カラミティは真紅の瞳を細めた。
「なにがおかしい…!!」
ゴッ
カラミティが笑っていることにさらに腹を立てたレインフォルスは、カラミティのそれに似た真紅の闘気の中へぶわりと漆黒の憎悪を混じらせた。
その怒りを纏った気は周囲に上昇気流を巻き起こし、一つに束ねたレインフォルスの黒髪を宙へと舞い上げる。
「その怒りは誰のための感情だ?レインフォルス。具現化した人間の持つ悪意の塊に激しい拒絶反応を起こし、アストラルソーマが傷つく前に助けを求めたルーファスか…それとも――」
ゴオッ
最後まで言わせずにカラミティの話を遮ったその瞬間、レインフォルスは赤々と血走る目を魔物のように光らせ、周囲の空間が歪んで飲み込まれんばかりの闇を全身から吹き出すと、無数の鋭い刃へ変化させカラミティへ最初の攻撃を仕掛けた。
ズザザザザザーッ
それらの何百と言う数もが一斉に、針のような刃となってカラミティに迫る。
その攻撃が眼前に迫っても当のカラミティは微動だにせず、代わりに右手に握られているマーシレスの刀身がブウンと震えて禍々しく光り、巨大な闇の盾でレインフォルスの攻撃を全て吸収してしまった。
『無駄なことを…闇の守護神剣たる我の存在を忘れているぞ?それがうぬの言う全力か…弱体化した暗黒魔法なぞ掠り傷ほどにも効かぬわ。』
「黙れマーシレス…おまえに用はない…!!俺の問いに対する答えになっていないぞ、カラミティ…約束を破るのであれば、二度と貴様らに手を貸さん…!!」
『ふ…くくくくく、クハハハハハッ、こいつは傑作だ…聞いたか?カラミティ。未だ守護七聖主に己が命を握られている分際で、随分と大きな口を利いたものだ。それにあの小僧…カラミティが答えをやらぬのなら、代わりに我が教えてやろう。あの程度のちゃちな封印で、我らの目を欺けると本気で思っていたのか?愚かにも程がある。』
レインフォルスを嘲るように笑い声を上げるマーシレスは、カラミティと真紅のオーラで繋がったまま自らその手を離れ、宙に浮いて禍々しい闇色の光を放った。
『良く聞け、レインフォルス。今のうぬはルーファスの身よりも、なぜ我らが小僧の存在に気づいたのか最も知りたいはずだ。』
「……ッ」
マーシレスの言葉にレインフォルスは否定も肯定もせず、空中で光を放つマーシレスの生体核を無言でギッと睨んだ。
『我らが千年の眠りから目覚めたあの日、小僧はなにも知らぬまま自らの運命に導かれあの場に居合わせた。しかも本能で我らの本質に恐怖を感じ、我らが封印から解き放たれるのを阻止しようと向かって来たのだ。』
必死に平静を装うレインフォルスだったが、ルク遺跡での出来事を詳細に語り始めたマーシレスに顔色を変えると、やがて俯いて歯を食いしばりながら握り拳を震わせ始める。
『絶対に勝てぬと理解しながらも、ちっぽけな正義感で立ち向かって来た小僧には触れもせず、カラミティが一瞬で吹き飛ばした様は笑えたぞ。――背中から壁に叩き付けられ、全身の骨が砕けた音は実に爽快だった。力無く項垂れた小僧は、我らの前で口から血反吐を吐き着ていた衣服が鮮血に染まって、苦しげな息も絶え絶えにヒューヒュー喉を鳴らしていた。――だがその時すぐに止めを刺さなかったのは、単なる我らの気まぐれよ。』
マーシレスはくくくく、と含み笑いをし、さらに続けた。
『放っておいても間もなく死ぬ人間のために、敢えて手を下してやる必要はなかろう?闇の守護神剣たる我と、災禍の化身たるカラミティに仇成そうとしたのだ、精々己の愚かさを呪いながら苦しんで死ねば良い。…そう笑いながらただ見ていた。命の灯が消えゆくのを、今か今かと待ちながら――』
そうしてカタカタと肩を震わせるレインフォルスに近付き、マーシレスは最後に耳元へこう囁いた。
〝残念ながらあの小僧は運良く生き延びたがな…〟
――それを聞いた瞬間レインフォルスの怒りは頂点に達し、身の内から発せられる高熱で、中心が真っ白に変化した業火が爆発してマーシレスを蹌踉めかせた。
「「う…ガアアアアアアアアアーッッ!!!!」」
ドオンッ
『…!!』
ゴオオオオ…
全身を赤と紫と橙に白色の揺らめく剛炎に包まれ、完全に理性を失ったレインフォルスは、凡そ人の物とは思えない声を発し、怒りの矛先をカラミティとマーシレスに向ける。
「「ヨクモ…ヨクモヨクモヨクモオオオオオーッ!!!!コロシテヤル…コロシテヤルウウウウーッ!!!!」」
『ハッ…やはり愚かだな、その怒りをぶつけるに相応しい相手は用意してある。』
レインフォルスの状態を確認したマーシレスは、彼の操る紫紺の炎が渦を巻きながら高速で襲い来る攻撃を転移して躱すと、瞬時にカラミティの右手へ戻った。
『瞋恚の焔が目覚めた、頃合いだぞカラミティ。』
まるで火竜の吐き出す炎球のような状態になっているレインフォルスへ、寒気がするほど美しい顔を歪ませて笑みを浮かべるカラミティは、次の攻撃が来る前にツイッと指先を動かすと、怒れるレインフォルスを一瞬でどこかへ転送してしまったのだった。
「――これで枷は外れよう。マーシレスに感謝しろ…レインフォルス。」
そんな呟きを残し、カラミティはマーシレスを手にまたどこかへ姿を消して行った。
その頃、ミノタウロス・レプリカと戦っていたサイードは、かなりの窮地に追い込まれていた。
――アルティレリゴがどうやって作り出した実験体かは知りませんが、これに災厄の相手をさせようとしていただけに、さすがに手強い…!
「くっ…!!!」
サイードの五倍はある巨体と対峙するには狭く感じる空間内で、広範囲に及ぶ針鉄球のハンマーを振り回す攻撃だけでなく、隙あらば牛頭を低く下げ、大角を突き立てる形で突っ込んでくる敵の猛攻に、サイードは今、一瞬の油断も許されない状況に置かれている。
アルティレリゴがいなくなった後、当初はルーファスが同行させてくれたアドラオンの四精霊と協力し、実質五対一という有利な状況で戦えていたサイードだったのだが、ミノタウロス・レプリカの体力を半分程まで削った辺りで、突然アドラオンの四精霊がなんの前触れもなく消えてしまったからだった。
その状況にサイードは、すぐにルーファスの身になにか起きたことを察したが、敵を放置してここから逃げ出そうにも前後の扉は固く閉ざされたままで、特殊な結界により転移魔法で移動することも叶わなかった。
ルーファスに次いで魔法を得意とするサイードが、なぜここまで討伐に苦労しているのかというと、ミノタウロス(レプリカも同様)にはフェリューテラと異界属性を合わせた全ての魔法攻撃に耐性があり、固有スキルによって物理攻撃のダメージも十分の一にまで軽減するという、非常に厄介な特性があるためだ。
――ルーファスがミノタウロスの特性を知っていたとは思えませんが、唯一精霊族の精霊術だけは軽減されることなく通用する…アルティレリゴではなくこちらから先に対処していれば、今頃は疾うに倒せていたのでしょう。
せっかくのお膳立てを無駄にして、心的外傷と一度敗北している苦手意識から、選択を誤ってしまいましたね…
「――それでももう残り体力は全体の三分の一もないはず…属性魔法は軽減されても、神力を用いた特殊攻撃なら大きくダメージを与えられるのに…!!」
疲れ知らずの猛攻撃で、その隙すら作れないとは…!
一対一の状況に凶暴化しているミノタウロス・レプリカは、決してサイードに背中を見せず、常に標的を正面に捉え、殆ど休むことなく攻撃し続けていた。
針鉄球のハンマーによる打撃を受ければ一溜まりもなく、サイードは絶え間なく走って逃げ続ける状態にあり、その疲労もかなり蓄積している。
「はあはあ、こう言う時にこそいつかルーファスの言っていた、『仲間の有り難み』をひしひしと感じますね、私はずっと一人でしたから…!」
消えたアドラオンの再合流は期待出来ない…ここは自力でなんとかするしかありません。ルーファス…私にあなたの元へ帰れるだけの力を――!!
グッと歯を食いしばり、足を止めてミノタウロス・レプリカを見上げたサイードは、最も詠唱時間が短く、最速で発動出来る光属性の単体下級雷魔法『トゥオーノ』を唱え、牛頭の鼻先目掛けて放った。
「半神とは言え、犬も牛も馬も熊も鼻先を打たれれば怯みます!!喰らいなさい、エーテルで強化した雷魔法!!穿て、『トゥオーノ』ッッ!!」
ガカカッ…ピシャーンッ
「ブオオオオオオーッ」
«怯んだ!!»
動物にとってはかなり敏感な鼻先に、ダメージこそ少ないものの通常の五倍威力を持つ雷撃を喰らわせ、自分から僅かな時間ミノタウロス・レプリカの視線を逸らすことに成功したサイードは、高速移動のバフを使って敵の背後へ回ろうと素早く動いた。
――が、ミノタウロス・レプリカはその行動を読んでおり、サイードが動いたと同時に同じ速度で躯体を捩ると、サイードの軌跡を辿って着地点に向かい、ハンマーを振り下ろした。
過去に敗北した時のように、サイードの頭上から黒い影のような針鉄球が迫り来る。
サイードは失敗した、と声を上げることも出来ずに、大きくその金色の瞳を見開いた。――その時…
ゴオッ…
ミノタウロス・レプリカの右方向から、突然巨大な炎球が高速で飛来し、サイード一人の攻撃ではビクともしなかったその巨体を、いきなり脇から押し倒した。
ドゴオンッ
「ブオッ!?」
「!?」
ズズズシィンッ
まるで巨大な岩石が空から落下した時のような轟音が辺りに響き、ミノタウロス・レプリカはサイードの目の前で為す術もなく転倒する。
予想外の不意打ちにミノタウロス・レプリカが直ぐさま起き上がろうとしたそこへ、またサイードの目にも止まらぬ早さで、巨大な炎球が牛頭を顎下から打ち上げるように突っ込んだ。
ドゴーンッ
各属性の魔法攻撃には耐性のある、強靱な肉体を持つミノタウロス・レプリカの牛頭が変わった色をした剛炎に包まれて行く。
「ブオオオオオオーッ」
ミノタウロスの頭に炎が――?
豪快に頭を振って燃え上がる炎を消そうとするミノタウロス・レプリカを、今度はその頭上から炎球が脳天目掛けて落下してくると、その衝撃であの巨体が耐えきれずに、頭から地面へめり込むような不自然な格好で、前のめりに身体をへし折られる。
「これは一体…あの炎球はどこから現れたのです?」
この時サイードには、超高速で飛び回る炎の球体が誰かの操る魔法にしか思えず、まるで意思を持ってサイードを庇い、ミノタウロス・レプリカを攻撃してくれているかのように見えた。
なんにしてもこれは絶好の機会、便乗しない手はありませんね!!
そう判断したサイードは、猛烈な速度で攻撃を繰り返す炎球に翻弄されて、防戦一方になったミノタウロス・レプリカへの『必殺技』とも言える特殊攻撃に取りかかった。
ブウオンッ
ミノタウロスと炎球から距離を空けた場に陣取り、聖杖カドゥケウスを両手で水平に掲げると、サイードを中心にした青銀の光が、円の内側から外側に向かって魔法陣を描き始めた。
「『――我は視る、汝らの生命の灯が我が神力の海に消えゆく様を。我は視る、何人も抗えぬ時空の渦に飲まれ、溺れ足掻き朽ちて行く汝らの様を。我の視る先は定められた汝らの未来なり。我が血脈に流れる青白銀のエーテルよ、呼びかけに応えよ、今こそ敵を屠る時なり。出でよ時の渦、カーラ・シュトゥルムヴィント・クロノオンダータ!!!』」
サイードの長い詠唱が終わると、ただ真っ白だった空間が青白く霞始め、そこかしこからなにかがパチパチと弾ける音が聞こえ出す。
その直後、サイードの姿はそこから消え、ミノタウロス・レプリカの巨体がぐにゃりと歪む。
するとこれから起こりうる異変に気付いたのか、繰り返し攻撃を続けていた炎球がそれの効果範囲から急速に離れると、灰と青、白銀の混じった霞の渦が出現し、ミノタウロス・レプリカを一瞬で飲み込んだ。
「ブモオオオオオオーッッ!!!ブモオオオオーッ!!!」
サイードの詠唱呪文にあった様の如く、ミノタウロス・レプリカは神力の海に溺れ始め、必死にそこから逃れようとジタバタ足掻いた。
――が、間もなくその巨体は色を失くし、赤く光っていた瞳から生命の灯りが消えると、灰の塊がぼろぼろ崩れるようにして全身が力の渦に砕け散って行った。
ミノタウロス・レプリカの消滅を見届けたサイードは、ホッと胸を撫で下ろし、思わぬ助太刀のおかげで勝利をもぎ取れたと安堵した。ところが…
ゴオオッ
「!?」
攻撃対象を失ったあの炎球が、今度はどういうわけかサイードを目掛けて一直線に飛んで来る。
「な…」
ボオオオオオッ
「ひっ!!!」
ジュッ
――サイードの脇、五十センチほどのすれすれを駆け抜けて行った炎球は、まだ場に残っていた神力の名残を一瞬で蒸発させて、サイードの左腕に火傷を負わせる。
ゾオッ
あの炎球…今度は私を標的にしたのですか!?もし今咄嗟に反応して私が回避行動を取っていたら、直撃を免れない軌道に…
ミノタウロス・レプリカを手玉に取った炎球に、皮膚を灼かれ軽度の火傷を負わされた左腕を見て、サイードは背筋に寒気が走り毛を逆立てる。
「どうやら味方だったわけではなかったようですね…一難去ってまた一難、ということですか…!」
――ミノタウロス・レプリカを完全に倒すため、たった今神力を使用したばかりのサイードは、連戦していたこともあり体力も魔力も疲弊している。
新たな敵対対象の出現に、また初めから抗えるほどの力は殆ど残っておらず、どうしたものかと頭を悩ませた。
今度こそ本当にまずいですね…魔法耐性のあるミノタウロスの頭部を燃やすほどの炎…直撃すれば私など一瞬で消し炭にされかねないでしょう。
「私にはまだやらなければならないことが沢山残っている…こんな所で消えるわけには行かないのよ!!!」
せめてあの飛行速度だけでも落とすことが出来れば――!
一瞬でも見失えば命取りになる程の高速で飛び回る炎球に、危機感を持ったサイードは、時魔法の真骨頂とも言える遅延魔法を戦闘領域へ使用した。
「良かった、無効化はされない…飛行速度が落ちましたね!!」
空中を留まることなく飛び回り、再びこちらへと向かってくる炎球の速度は明らかに落ちており、それを見て喜んだのも束の間、サイードは、赤、紫、橙、白の順に複雑な色をして燃え続ける剛炎の中に、全身の輪郭が崩れて良くわからなくなるほどの、真紅の闘気を纏っている人間の姿を視認して愕然とした。
炎球の中心に人!?あれは…まさか――ッ!!!!
ゴオオッ
飛行速度が落ちたことで、多少遅れても余裕を持って攻撃を避けることが出来るようになり、サイードは炎球を脇に飛び退いて避けた。
「なんてことなの…ではあれは『瞋恚の焔』!!正気を失って剛炎を纏っているのはルーファス…いいえ、レインフォルスだったのね…!!」
規則性無くただ闇雲に飛び回っている状態の炎球の正体が、レインフォルスであることに気が付き、サイードは聖杖カドゥケウスをしまうと敵意がないことを示して叫んだ。
「落ち着きなさい、レインフォルス!!こちらを見なさい、私がわからないのですか!?」
サイードの呼びかけに反応し、一度空中で動きを止めた炎球――レインフォルスは、燃えさかる剛炎の中で憤怒の炎の化身となり、空間を破壊する叫び声を上げた。
「「ガアアアアアアア――ッッ!!!!」」
「ぐうっ!!!」
その破壊力に急いで発動した魔法障壁で身を守りつつ、両耳を手で塞いだサイードの周囲で、結界により形作られていた災厄の疑似空間が罅割れパキンパキンと音を立てながら壊れて行く。
災厄の迷宮が…結界が壊れる…!!
「このままでは二人とも結界の崩落に巻き込まれる…!仕方ありません、下手をすればさらに悪化するかもしれない荒療治ですが――」
地震のような激しい揺れが起き、砦の地下層が元の姿に戻ろうとする力が働いて疑似空間の天井や壁などの建材が崩落を始める。
それでも正気に返らず、尚も叫び声を上げ続けるレインフォルスの下で、サイードは外見変化魔法を自身に施しその姿を変えた。
『――レイン!』
狂ったような状態にあるレインフォルスの耳に、まだ声変わり前の少年の声が響く。
『レイン、どこ!?怖いよ、助けて…!!』
次の瞬間、赤く異様な光を放っていたレインフォルスの瞳に紫紺の輝きが戻ると、その声が聞こえる下方をバッと見てレインフォルスは手を伸ばした。
『レイン…っ』
「ラ…、ライッ!!」
その時レインフォルスの目には、柔らかそうな猫っ毛の黒髪に、左右色違いの瞳をした七才ぐらいの少年が、泣きながら自分を呼んで探し歩いているように見える。
我に返り少年の名前を呼んで空中から瞬間移動したレインフォルスは、振り返った黒髪の男の子を抱きしめようとして駆け寄り両手を広げる。
――直後、少年の残像を残して変化魔法を解き、レインフォルスの背後へ回り込んだサイードは、その後頭部に手刀で強い衝撃を与える。
急所を打たれて遠のく意識に膝を折り、呻き声も上げず正面から倒れ込んだレインフォルスを、サイードは地面に伏す前に腕を伸ばして支えると、結界が壊れたことで使えるようになった転移魔法でレインフォルスごとその場から逃れる。
ゴゴゴゴゴ…
「――ここなら影響を受けないでしょう…危ない所でしたが、なんとか間に合いましたね。ライ君の声真似と幼い頃の姿にレインフォルスが正気に返ってくれて良かったわ。」
どこか遠くから地響きの続く中、地下層のスタート地点にあった転送陣の部屋へ移動したサイードは、気を失っているレインフォルスを膝枕するような形で横たわらせ、その頭を愛おしげに撫でた。
「それにしてもレインフォルス…あの子は既にあなたとそう変わらない外見に成長していますよ。なのにあなたの中のあの子はいつまでも子供のままなのですね。」
意識のないレインフォルスにそう呟き、サイードは聖母のような微笑みを向けてその顔をただ優しく見つめていた。
二十分後――
「…う…」
眉間に深い皺を寄せ、首の後ろに残る痛みに顔を歪ませながら、レインフォルスは目を覚ました。
「――気が付きましたか…レインフォルス。」
紫紺の瞳を見開いたレインフォルスは、自分の顔を心配そうに覗き込むサイードを見て、慌てて身体を起こした。
「サイード…俺は――?」
「なにがあったのかはわかりませんが、瞋恚の焔を覚醒させて私が戦っていた戦闘領域に乗り込んで来たのですよ。気分は大丈夫ですか?」
「あ…ああ、問題ない。」
記憶をはっきりさせるかのように二度ほど頭を振り、レインフォルスは落ち着いて答えた。
「でしたら覚えていることだけで構いません、なにがあったのか教えてください。ルーファスはどうしたのです?」
「ルーファス…ああ、あいつは――」
カラミティとマーシレスに対峙していた時のことを思い出し、ルーファスの身に起きたことを説明しようとしたレインフォルスは、そのままなにかに気づいてハッとし、両手を見つめて黙り込んだ。
「…レインフォルス?」
その態勢のまま固まって動かなくなったレインフォルスに、サイードは首を傾げる。
「どうしたのです、どこか具合でも悪いのですか?」
「――違う…サイード、俺は今ここで、ずっと気を失っていたのか?」
「…?ええ、そうですよ。あれ以上暴れられてはいくら私でも手がつけられなくなるので、急所を殴って気を失わせましたから。」
「どのぐらいの時間だ?」
「そうですね…二十分ほどでしょうか。それがなにか――」
サイードの目の前でレインフォルスの顔色がサッと変わり、愕然とした表情を浮かべた。
「おかしい…、こんなはずは…」
「――どうしたのです、なにがおかしいのですか?」
なにかに狼狽え始めた様子のレインフォルスに、サイードもなにか起きていると察して顔付きが変わる。
「サイード、ルーファスが…ルーファスが目を覚まさない…俺が気を失っていたにも拘わらず、本来なら表に出ているはずのあいつが、どうしてか俺と入れ替わらなかったんだ…!!」
「え…それはどういう意味です、初めから説明しなさい!!」
ルーファスの異変にサイードは口調を強め、レインフォルスの両肩を握って問い詰めた。
その後、レインフォルスからルーファスに関する詳しい説明を受けたサイードは、険しい顔をして口元に手を当て考え込む。
「――つまり普段ルーファスが眠っている時や、なにかで気を失うことがあったとしても、特定の条件が揃わなければ、あなたは外部の情報を夢に見ているような感覚で眠っている状態にあるため、ルーファスと入れ替わることはなく主導権は常にルーファスにある。」
「ああ。」
「逆に条件が揃ってルーファスと入れ替わった場合、あなたはある程度の時間で強制的に眠りへ落とされてしまい、長時間表に出られることは殆どない上、気を失えば即座にルーファスが表面化し、あなたのままで意識を失っている状態は先ずあり得ないと…そう言うのですね。」
「そうだ。若干の例外もあるようだが、俺がサイードに気を失わせられた時点で、例えルーファスが気を失っていたとしても入れ替わりは行われる。主導権がルーファスにあるというのはそう言うことだからだ。」
「…なるほど。」
「現時点で判明している俺が表に出られる条件の一つは、ルーファスがなんらかの窮地に陥ること。これはウェンリー達の前でも話したが、ルーファスが耐えられないような攻撃を受け、尚且つ俺が耐えられることと言うのが前提にあり、俺も耐えられなければ入れ替わることは出来ない。それともう一つの条件は、ルーファスが俺と入れ替わることを強く望んだ場合もあるようだ。」
「それはマロンプレイスの宿で私がルーファスを深層意識下に眠らせ、あなたを呼び出した時のことを言っているのですね。」
「…ああ。あれもただルーファスが眠っただけでは成功しなかった。俺達が入れ替わるのには、いつもルーファスの意思が深く関わっている。今回もルーファスはカラミティ達の攻撃に遭い、自分ではどうにもならないと悟って俺に助けを求めたから入れ替わった。俺はルーファスの魂を守る防壁の役目を果たしているというのが現状だ。」
「レインフォルス…」
淡々と自分の状況を冷静に話すレインフォルスを見て、サイードは哀しげに見る。
「――聞きたいのですが、なぜあなたとルーファスはこんな状態になったのですか?少なくとも最後に会った時はまだ…」
「…サイード、俺はルーファスとの約束を果たせなかったんだ。」
レインフォルスは首を振り振り言い難そうに下を向く。
「…あなたにしか決して見つけることの出来ない、〝鍵〟を探し出すことですね。ですがまだ暗黒神は目覚めていません。時間切れには僅かながらに猶予もありますよ、諦めるには早いでしょう。」
「違うんだ、サイード…そうじゃない。時間の問題ではないんだ…俺は十年前、ラ・カーナ王国が滅びた際に命を落とした。」
「――…な…ん、ですって…?」
耳を疑うように驚愕したサイードに、レインフォルスは悲しげに目を細め、力無く微笑んだ。
「俺はもう…既に死んでいるんだよ。」
次回、仕上がり次第アップします。いつも呼んで頂きありがとうございます!




