212 ライ・ラムサスの救出へ
ルーファスの為に作られたという精神世界で、思いがけずラファイエに再会したルーファスは、彼女が残した言葉の意味を考えます。それでも一度疑心を持てばそれが間違いであった時、取り返しのつかないことになるとその場で答えを出しました。結局ルーファスはラファイエの言葉を信用し、封印した記憶が戻るという道の先へは進みませんでしたが…?
【 第二百十二話 ライ・ラムサスの救出へ 】
基本的にダンジョンのような危険な場所は、いつなにが起きてもおかしくない。
知らずに罠を踏んで何階層も一気に転落するとか(逆に上る時もある)、見えない転送陣によって怪物だらけの隔離部屋に移動させられたり、中には現実世界と良く似た街がいきなり目の前に現れる、なんてこともあるくらいだ。
だからここが災厄の作った(?)迷宮であるのなら、起動した装置によっていきなり俺だけが別の場所へ飛ばされることがあっても、さして驚くほどのことじゃない。
元々ただでさえ俺は、自分の意思と関係なくあちこちに飛ばされるという経験もして来たし、却って傍に誰もいなかったことが幸いして、見知らぬ場所へ出ても冷静でいられた。
だがそんな場所でラファイエに再会したのは、これとはまた全く別の話だ。
彼女が姿を消してあの後暫くの間俺は、『行っては駄目』と言われた道の先に進むかどうかで悩んでいた。
なぜならラファイエが、この精神世界は俺のために作られた物だと言ったからだ。
もちろん彼女が俺の味方だとは限らないし、その前に間違いなく本物の本人であるという証拠すらなかったが、それでも突然現れて先に進むのを引き止めた挙げ句そんなことを言われれば、『誰が』俺の『なんのために』作ったのかと疑問を感じるのも当然だろう。
これまでの流れを思えば自ずと推測も付けど確かめる方法はなく、ラファイエの言葉を鵜呑みにするのなら、サイードのことまで疑わないわけに行かなくなってしまう。
«インフィニティアからフェリューテラへ戻る時、本当なら真っ直ぐモナルカへ帰るはずだったのがあんな現場に遭遇したのは…まさかサイードが仕組んだからだったのか?»
もしそうなら災厄とサイードは繋がっていて、ライ・ラムサスの拉致も初めから知っていたことになる。
彼が攫われる現場も、いつそれが行われるのかさえ――
――そう疑い出せば切りはない。
レインフォルスのこともサイードのことも…完全には信じるなと言ったラファイエのことでさえも、一度本気で疑念を抱いたのなら、もう二度と心からの信頼を向けることは出来なくなってしまうだろう。
だから俺はその場で良く考えて、自分なりにどうするか答えを出すことにした。
まず一つ結論から言うと、俺はラファイエの忠告に従ってあの道の先へは行かなかった。
俺が自分で封印したというのが真実なら、きっとなにかそれだけの理由があったのだろうと思う。実際、その記憶を思い出すのは僅かながら抵抗があった。
そうして俺は先へは進まずに踵を返し、ラファイエに言われた通り直前にいた闘技場のような場所を思い描いて、精神世界から現実の世界へと無事に戻ったのだ。
そののち俺の眷属精霊『アドラオン』から話を聞くに、どうやら俺は赤い宝石を装置に嵌めたことで吹き出した靄に包まれ、その場で石化したように固まって動かなくなっていたようだ。
慌てた彼らはなんとか俺の意識を取り戻そうとして、精霊術による回復や気付けを施してみたがなんの反応もしなかったと言っていた。
そのことからも俺の身体はこの場にあったまま、精神だけがあの世界に行っていたことはもう間違いない。
そうこうする内に近くに開いた出入口からサイードが駆け付け、俺が意識を取り戻すまでみんな必死に呼びかけてくれていたらしい。
俺は全員に心配をかけたことを謝り、お礼を言って自分の身体にも異常がないことを確かめると、そのままサイードが入って来た出入り口から、転送前にいた砦のエントランスへと一緒に戻った。
その際俺が精神世界でラファイエに会ったことや、俺の記憶に関してのことなどはなにも話していない。
サイードを信用するしない以前に、俺自身がまだ光神の巫女だということ以外、ラファイエのことを良くわかっていないからだ。
――そう言えば前回ラファイエに会った時は、シルヴァン達に彼女のことも話したんだった。
あまりにも突拍子のない内容だったせいか、シルヴァンもウェンリーも半信半疑だったし、もしかしたらもう忘れているかもしれないな。
サイードに話さないのなら、モナルカへ戻ったとしてシルヴァン達にも言わない方が良いだろう。
「大丈夫ですか?ルーファス。やっぱり気分が悪いのでは…」
一頻りそんなことを考えていると、隣を歩くサイードが心配そうな顔をして俺に尋ねた。
ラファイエのことどころか精神世界に行っていたことすら言わなかったが、石のように固まって動けなくなっていたと思えば心配もするだろう。
「いや…本当に大丈夫だ。それより早いところ仕掛けを解いて、ライ・ラムサスのいる地下牢への入口を見つけよう。彼は石牢に閉じ込められているけど無事だったんだろう?」
「ええ、それは間違いありません。私が飛ばされた部屋には、壁に離れた場所を映す監視画面装置があってそこに無事な姿が映されていました。」
「――そうか…大きな怪我をしていないなら良かった。カラミティに気づかれる前に助け出して一緒にここから脱出しないとな。」
「そうですね。」
淀みなくサイードはそう返事をして頷いた。俺はそんな彼女に目を細める。
因みに召喚したアドラオンの面々だが、彼ら五人には今、俺とサイードを守って貰っている。
それと言うのも、最初にサイードが斬られた『姿の見えない敵』の正体を彼らが知っていたからだ。
「インフィニティアの特異生物『インビンシブル』?」
『はい、そうです。完全に無色透明な躯体を持ち、回避には瞬間移動を使い、通常は非常にゆっくりとした浮遊移動をするため、気配を掴むことさえ容易ではありません。』
そう俺に教えてくれたのは霧精霊のミストだ。
インフィニティアからずっと俺の中にいた眷属精霊達は、俺とサイードの目には
見えなかったあの敵の姿が見えているのだという。
『ですが我々精霊族はインビンシブルの天敵でもあるため、このまま召喚された状態でお連れ下さればルーファス様方をお守り出来るかと存じます。』
「それは助かるけど…天敵だと言っても、ミスト達はそのインビンシブルを無理せず倒せるのか?」
この後アドラオンには、本当の目的であるカラマーダの救出を手伝って貰わなければならない。
力を温存しておいて貰うのは当然だが、万が一にも俺にとって不利な相手から彼らを守り切れずに、怪我をさせてしまうようなことになるのだけは避けたかった。
『それについてはご心配なくお任せ下さい。特に嵐精霊のムーランは、奴らの弱点である風の精霊術を使えますので、なんの問題もないでしょう。ルーファス様とサイード様はインビンシブルの攻撃を弾くことが可能な、石精霊であるこの俺が盾となり必ずお守り致します。』
「そうか…ありがとう、ロッシュ。アドラオンの誰も怪我をしないように、十分気をつけながら頼むよ。」
――と言うことがあって、俺達では姿の見えない敵の相手は彼らを頼ることにしたのだ。
そのおかげもあり、再度エントランスへ戻って以降は、順調に迷宮を進むことが出来た。
この災厄の迷宮は全部で地下を含めた五階層からなっており、各階の階段は見せかけだけで罠であり、特定の場所へ辿り着いてから仕掛けの転送陣で別の階へ移動し、エントランス→二階→四階→三階→四階→二階→三階→一階…と言った風に移動を繰り返すことで先へ進めるようになっていた。
そして例の『インビンシブル』だが、姿が見えなかっただけで相当数がいたらしく、先へ進むほどその数は増えて行き、ようやく地下へと通じる扉を見つけた時には、実に何十体もの敵が俺達を追って来ていたようだ。
「リアン!!」
敵を視認出来ない俺とサイードは為す術がなく、アドラオンの五人を盾にする形で見つけた扉の前に陣取った。
『私達は大丈夫です!敵の数は多いですが、それでも後れを取るほどのことはありませんから、ご心配なく!!』
そう言ったリアンの声を掻き消すほどにゴオオオッと言う轟音を立て、直後ムーランの引き起こす嵐のような風が見えないなにかを切り裂いて行く。
続いてロッシュが俺達の前で襲い来るインビンシブルの攻撃を弾き、頑強な石の身体で防御すると、すぐにハッとして上方へ顔を上げた。
『ルヴァイン!!』
『上は通さない!!』
俺とサイードには全く見えなかったが、インビンシブルは浮遊移動をして天井付近からロッシュを擦り抜けようとし、後方にいる俺達を狙おうとしたらしい。
そこにルヴァインの荊蔓が下から縦方向へと一瞬で無数に伸び、インビンシブルを串刺しにして止めてくれたみたいだ。
『良くやったルヴァイン!!ルーファス様方には近づけない!!覚えたてだ喰らえ、毒の霧!!』
そのインビンシブルを俺が教えた毒魔法を使い、ミストが緑色の霧となって殲滅して行く。
――だめだ、敵の声はそこかしこから微かにキイキイ聞こえるけど、加勢したくても姿が見えないからさすがに手は出せないか…!
ただ守られているだけでなにも出来ないことに歯噛んでいると、背後の閉ざされた扉を調べていたサイードが俺の肩を叩いた。
「敵が見えなければなにも出来ないのは仕方がありませんよ。調べてみたのですが私ではこの仕掛けは解けそうにないので、交代して下さい。」
「ああ…わかった、やってみる。」
アドラオンだけが激しく戦う中、俺達の行く手を阻んでいたのは、難解な古代文字の文面が刻まれたパスワード式の魔法扉だった。
「これは厄介だな…いっそのこと効果消去魔法で消せれば良いのに。」
「気持ちはわかりますが駄目ですよ。そんなことをすればどんな罠が発動するかわかりませんからね?」
「わかってる。」
サイードに叱られたこともあり、俺は諦めて仕掛けの解除へ集中した。
〖古の地で朝露に濡れるつぼみを見つけた。深き森、姿無き者の棲まう場所にて純白の薔薇は咲き誇る。暁の野に生き急く花は棘を持ち、触れ折るその手をただ拒む。〗
古代文字の文面はこんな内容だった。さらにその下には記号と古数字(フェリューテラの古代期以前に使われていた数字のこと)があり、要するに文章の中から数字に当てはまる一語一語を抜き出して呪文字に変換し、正しい答えを呪文のように唱えれば魔法扉が消える仕組みだ。
多分サイードはこの古数字が読めなかったんだな。だけど俺でもこれは解くのに時間がかかりそうだ。
じっくり考えている暇はないから、ここは自己管理システムに分析を頼もう。
そう思い、俺は数秒の間頭の中に正解が出て来るのを待った。
「わかったぞ、答えは古代語で『ユーラティオ(誓い)』だ!!」
その言葉を口にした瞬間、魔法扉はブウンッと音を立てて消え失せる。
«自己管理システム様々だな。これで通れる、ライ・ラムサスのいる地下牢はこの先だ…!»
魔法扉が消えた先は地下への転送陣が奥に光る大部屋だった。
「開いたぞ、サイード!」
「さすがですね、ルーファス!地下への扉が開きましたよ、アドラオンも撤収して――」
ズンッ
俺がサイードを振り返り、扉が開いたことを伝えた直後、固い石床の地面が闘技場でススブス・キュクロプスと出会った時のように大きな震動を起こした。
『ルーファス様、サイード様!!どういうわけかインビンシブルが撤退して行きます!!』
「リアン!?」
『その代わりになにか…』
ズシンズシン、ズシンズシンと、凄い早さでその足音だけが徐々に薄暗い廊下の奥から迫ってくる。
『なにか大きなものが来る…ルーファス様、お早く転送陣へ!!』
ロッシュもその気配に俺を振り返り、続いてムーラン、ミスト、ルヴァインが、まだ相手の姿も見えないのに恐怖に怯えた顔をして後退った。
上位精霊が怯えている…?一体なにが来るんだ!?
「撤収だ、アドラオン!!」
俺の帰還命令にアドラオンの五人は即座に俺の中へと戻った。
上位精霊が怯えるなんて普通じゃない…なにが来るにせよ、対峙する前に逃げるが勝ちだ!!
そう判断すると、直ぐさま俺は転送陣へ向かって走り出した。
「サイード、早く!!」
「あれは…」
「サイードッ!!!」
俺が二度目に名前を呼んでようやく我に返ったらしいサイードは、ハッとして転送陣の前で待つ俺の方へと駆け出した。
そうしてそれが室内へと廊下からその顔を覗かせた瞬間、地下へ転送される直前に俺は見た。
真っ黒い天鵞絨のような毛並みに長い鼻面。目は赤々と光り、頭の左右には水牛のような曲がった角が付いている。
――湾曲した大角の生えた…巨大な牛!?
シュンッ
ブオオオオオーッ
転送陣に入り、寸前で地下へ移動した俺達の耳に、上階で雄叫びを上げるその声が届いた。
「ミノタウロス…」
「ミノタウロス?あれが?」
サイードが呟いた『ミノタウロス』とは、牛の頭に強靱な人に似た肉体を持つという半牛半神のことで、迷宮の番人とも言い伝えられる伝説上の生物のことだ。
俺には牛の頭しか見えなかったが、サイードはあれを見ただけですぐにその正体がわかったらしい。
「ええ、そうです。まさかこんなところにあんな物までいるなんて…なぜそこまで?」
青ざめた顔をして口元に手を当て、サイードは深くなにか考え込んだ。
「そこまでって…なにがだ?」
その呟きに俺が疑問を投げかけると、彼女は顔を上げて首を振る。
「いえ…すみません、黒髪の鬼神一人を捕らえておくだけにしては、やけに警備が厳重だと思っただけなのです。嫌な予感がします、急ぎましょう。」
「嫌な予感?」
早足で俺の横を通り過ぎようとするサイードの腕を掴み、俺は彼女を引き止めた。
「待てサイード、なにかあるならきちんと説明してくれ。」
俺がその目を真っ直ぐに見て問い詰めると、不安げな顔をしたサイードは目を逸らさずに息を呑んだ。
――緊張している…?サイードが、俺に…?
「…言えないのか?」
「違います、そうではなくて…上手く言えませんが、なんだか仕組まれているようだと――」
仕組まれている?…なにがだ?半牛半神だと言われるミノタウロスの出現がそんなに引っかかったのか…?
「誰に?カラミティにか?」
「カラミティ?…ええ、いえ、災厄ではなくて…」
サイードは俺にどう説明すれば良いのかわからない、と言った様子で急に落ち着きがなくなった。
「…?」
どうしたんだ、突然…サイードの様子がおかしい。
「ごめんなさい、とにかくライ・ラムサスを探しましょう。もしかしたら、既に災厄には気づかれているのかもしれません。」
強引に話を打ち切ろうとするサイードに、困惑した俺は溜息を吐いた。
「そんな風に謝られてもな…わかった、話は後で聞かせて貰う。」
「…すみません。」
――サイードは一体、誰になにを仕組まれていると言うのか…カラミティでないのなら、闇の守護神剣マーシレスにか?だったらそう言うだろうし…わけがわからないな。
急変したサイードの様子が腑に落ちず、ミノタウロスとの関連がわからないまま俺は、地下牢にいるはずのライ・ラムサスを探しに薄暗い通路へと踏み出したのだった。
転送陣のあった小部屋から看守用の警備室を通り抜け、鉄格子の嵌まった石牢の並ぶ通路へ出ると、少し歩いただけなのに途端に俺の脳内地図がぐにゃぐにゃと乱れ始めた。
それと同時に上階にいた時は点滅していた、要救助者を示す緑色の信号も消え失せてしまい、ライ・ラムサスが今どこにいるのか全くわからなくなってしまう。
その上おまけに――
「これは…もしかして上階の廊下と同じ原理か?」
本来はいくつかの堅牢が並んでいるだけのはずが、侵入者避けのトラップが発動したのか、一瞬で地下層の構造が変化していた。
目の前に広がっているのは、災厄の迷宮に相応しく複雑な迷路状の巨大な空間だ。先が見えないほどに果てしなく続く通路が、一定の間隔で十字に伸びており、その両側に数え切れないほどの石牢がずらりと並んでいる。
点滅信号の消えた今、ここでなんの指標もなく彼を探すのは相当大変だろう。
「空間魔法の応用による罠ですね。いえ、実際には物理的に構造が変化したわけではないようなので、この場合次元湾曲と行った方が正しいかもしれません。恐らく立体的に見えていても平面状だったり、真っ直ぐ進んでいるつもりでもいつの間にか違う方向へ進んでいる、と言ったありがちな仕掛けが多数用意されていることでしょう。」
「骨が折れそうだな…でもそれならそれで開き直ったやりようがある。」
「…どうするのです?」
「至極古典的な方法だけど、ライ・ラムサスの名前を呼びながら歩けば良いんだ。呼びかけることで彼の方から返事をして貰って、その声を頼りに居場所を割り出すんだよ。」
「ルーファス…大声を出す行為は、敵をも引き付けると言うことですよ?先程のミノタウロスがここの番人だとして、声を聞いたあれが私達の後を追って来たなら戦闘は避けられません。」
「それは大丈夫だ。呼び声は魔法で発して、本人以外には聞こえないように細工すればいい。思念伝達と一緒で、声を送る対象を指定すればいいんだよ。」
「――ミノタウロスは半神ですし、先程のススブス・キュクロプス同様に魔法も使い熟します。その目を欺くなどそう上手く行くでしょうかね…でもわかりました、事前に心積もりはしておきます。遭遇したら戦うしかないでしょうしね。」
「戦わずに逃げ回ると言う手だってあるさ。」
俺の提案に難色を示したサイードだったが、最終的には呆れたように溜息を吐いてそれ以上なにも言わなかった。
「よし、それじゃここが最後だ、行こう。」
一方、その頃のライは――
サイードが画面装置で見た通り、暗い石牢の隅で子供のように膝を抱えて蹲っていた。
『我らが恐ろしいか?震えているぞ。』
ライは自分がカラミティに抱えられていた際、その右手に握られていた青黒い剣が光り、ブウンッと振動しながらそう笑っていたことを思い出す。それはここに連れて来られた時の会話だ。
『ああ…そうだ、まだ名乗っていなかったな。我は闇の守護神剣マーシレスだ。見ての通り剣の生体核の中で生きている。そして言うまでもないだろうが、この真紅の男は災禍の化身カラミティだ。覚えておけ、ライ・ラムサス。』
「…俺の、名前を…?」
カラミティから発せられる気に怯み、震える声でライはそれだけを返した。
その後カラミティはライを抱えたまま、マーシレスの転移魔法でこの場所へとやって来る。
終始無言で淡々と砦内を歩くカラミティに、少し恐怖心の薄れたライは自分で歩くから降ろせと頼んだ。だが――
『死にたくなければ大人しくカラミティに抱えられていろ。ここには侵入者対策として、異界生物のインビンシブルを大量に放してある。小僧のような人間は一瞬で奴らの餌食になるぞ。』
「こ…俺は小僧じゃない…!」
剣に小僧と呼ばれてムッとしたライは、顔を少し赤くしながら訴える。それに対してマーシレスはまたもライを嘲笑い、揶揄うように答えた。
『くくく、この世に生まれて高々二十年ほどのくせに向きになるな。永久の時を生きる我らから見れば、うぬなど赤子同然の小僧よ。なんなら小僧ではなく坊やと呼んだ方がいいか?』
「くっ…おまえ達は俺をどうするつもりだ?それにあの時、なぜ俺を殺さずに背中に妙な呪印を施した…!」
生きた剣の放つ言葉の端々に貫禄さえ感じて、ライは言っても無駄だと諦め話題を変える。
『ほう、瀕死の状態で完全に意識を失っていたはずだが…その呪印を施したのが我らであるとどうやって知った?現代において施術者を知る方法は数多にあれど、我らの印だとわかる者は限られている。』
「――海神の宮で海神が教えてくれた。」
『……なるほど。』
どうせ言っても信じないだろう、と思いながらリヴグストの名は出さずにそう答えると、意外なことにマーシレスは納得した様子だ。
「そんなことより、俺の質問に答えろ…!」
『ふん、生意気な口を利く…それを知ってどうする。気に入らなければまた逃げ出すか?用さえ済めば我らはそれでも一向に構わぬが、うぬは理不尽な死を目の当たりにして絶望に嘆き、居場所を失くして途方に暮れていただろう。そもそもなにか勘違いをしているようだが、小僧が我らをあの場へ呼んだのだぞ。』
「な、俺が!?」
『そうだ。その背中の呪印はうぬの意思や感情に従って――』
その時それまで一言も口を開かなかったカラミティがピタリと足を止め、凍るような冷たい一声を発した。
「――マーシレス。」
それは強く生きた剣であるマーシレスを諫め、僅かな怒気を含んだ有無を言わせぬ声だった。
『…なんだ、少しぐらい良いだろう?この小僧とていつまでもなにも知らぬまま、至高神に運命を玩ばれるのは不本意だろうが。』
「………」
言い訳でもするようにばつが悪そうな声でそう言ったマーシレスに対し、カラミティは無言のまま動こうとしない。
«至高神…?運命を玩ばれる…そう言ったか?»
「…なんの話だ。」
ライが二人の会話にそう聞き返すと、直後〝余計なことは聞くな〟と言わんばかりに、カラミティから放たれる気がぶわりと真紅に染まった。
その無言の圧力に屈して身体をビクッと揺らしたライは押し黙る。カラミティが怒っていると肌で感じたせいだった。
『わかったわかった、そう怒るな。――悪いな小僧、おしゃべりはここまでだ。カラミティを怒らせると手がつけられなくなる。』
「………」
――ライがこの石牢へ放り込まれる前、そんなカラミティ達とのやり取りがあったのだった。
マーシレスの言う通り、ここを逃げ出せてもどうせ俺には帰る場所なんてない。第一転移して来たのだから、魔法の使えない俺では逃げようもないだろうが。
もうどうでもいい…
愛するリーマに去られて陰謀により濡れ衣を着せられ、ジャンの死で悲嘆に暮れてティトレイの裏切りに衝撃を受け…最後は災厄の出現にすっかり意気消沈したライは自暴自棄になりつつあった。
そんなライの耳に、突然その声は届いた。
『――…ス、どこにいる!?返事をしてくれ!!』
膝を抱えた両腕の中に、顔を埋めて俯いていたライの指先が、ピクンとそれに反応する。
「…?」
«なんだ…?今誰かの声が頭に…――»
『ライ・ラムサス!!』
再度頭の中で、反響するようにして聞こえて来た自分の名を呼ぶその声に、ライはハッと顔を上げて真剣な表情になり耳を傾けた。
«聞き覚えのある声だ…俺を呼んでいる?――誰だ?»
『聞こえるか!?俺は太陽の希望のリーダー、Sランク級守護者のルーファス・ラムザウアーだ!!聞こえたら返事をしてくれ!!』
«な…ルーファス!?»
瞬間、ライは大きく目を見開いた。
「俺は夢でも見ているのか…?どうして彼がここに…いや、なんでもいい!」
ルーファスの名乗りを聞いて堰を切ったように立ち上がると、ライは通路側に嵌め込まれた鉄格子に近づき、隙間から外へ向かって右腕を伸ばしながら声を張り上げた。
「ルーファスッッ!!!俺はここだ、ここにいるーッ!!」
魔法で聴覚の感知能力を高めていた耳にすぐさまその声が届き、ルーファスは自己管理システムを使ってライのいる方角を割り出した。
「聞こえたぞ、ライ・ラムサスの声だ…!!まだ遠いが、あっちだサイード!!」
頷くサイードと共に走り出したルーファスは、再びライに呼びかける。
『返事は聞こえた、すぐに行く!!怪我はしていないか!?』
「あ、ああ…いや、これとは関係ないが、少し前に受けた傷がまだ治っていない。動けないほどではないが、あまり早くは走れないかもしれん。」
怪我を隠して強がったところで足手纏いになると判断したライは、今の自分の状態を正直に告げる。
ティトレイ達の馬車から逃げ出すことは出来たものの、長期間憲兵所でクロムバーズ・キャンデルから受けた暴行の傷は、まだ完全に癒えていなかったからだ。
『わかった、動けるも治療が必要なんだな?俺が行くまで無理はせず安静にして待っていてくれ、出来るだけ急ぐ!!』
ルーファスの返事にホッと安堵し、急に力が抜けたライは、その場で鉄格子を背にしてへたり込んだ。
なぜこんなところにいるのかはわからないが、ルーファスはまた俺を助けてくれるらしい。
これで何度目だ…そもそも俺はまだ、一度も本当の姿で直接ルーファスと言葉を交わしたことがない。それなのに彼はなぜこうも俺の窮地に居合わせるのだろう。
ライは絶望的な状況になった時、どこからともなくルーファスが現れては助けてくれることを不思議に思った。
一度目は偶然だったとして、二度目は目的が同じだったために必然、だが三度目は――?
…いや、ルーファスはバスティーユ監獄で出会った『リグ』が、俺であることを知らないはずだ。だからこれは彼にとって二度目になる…俺の考えすぎだ。
一人頭の中でそう考え、ライは首を振る。
なににせよ魔法を使えるルーファスが来てくれたなら、この見知らぬ場所から逃げることは可能だろう。
マーシレスの言っていた『用が済めば』との言葉の意味は知れなくなるが、逃げた後のことはまたゆっくり考えればいい。
そうだ、エヴァンニュに俺の居場所はもうないのだから、それこそこのままルーファスと一緒に行くことも――
そう思った瞬間、ライはついさっきまで自分が〝もうどうでもいい〟と自暴自棄になりかけていたことを思い出した。
それがルーファスという存在が現れただけで、あっという間に前向きな思考へと変化したことを、我ながら現金だと苦笑いする。
〝ルーファスと一緒に行く〟
――ジャンは俺のせいで死んだのに…なんの償いもせずに、か?それに…
ふとそう考えたライの頭には、自分がいなくても構わないだろうと思っていた、イーヴとトゥレン、そして自分を呼んで微笑むヨシュア三人の顔が浮かんでいたのだった。
「くそ、ここも行き止まりか…!」
ライの返事が届いてその居場所の方角は大体掴めたものの、相変わらずルーファスの脳内地図は乱れたまま表示されていなかった。
そのため常にライの声が聞こえた方向を目指しながら、ルーファス達は進むことが可能な道だけをマーキングツールを使って虱潰しに当たって行く。
「目的地はまだ先ですか?」
ルーファスとサイードはどこも同じように見える迷路状の通路を、ただひたすら正解を探して走り回っているために、大分息が上がって額にも汗を掻いている。
「ああ、でも確実に近付いている。通路に敵がいないのは有り難いな、そうでなければいつまでかかるか見当も付かなかった。」
「油断大敵ですよ、ここは戦闘を想定した〝如何にも〟な広さと幅のある通路になっています。天井の高さと言い、あの番人が走り回れるだけの余裕もあって、さっきから私は嫌な予感しかしません。」
「まああの巨体で追いかけ回されるのはちょっと御免だよな。サイードは随分ミノタウロスを警戒しているみたいだけど、なにか情報を知っているのか?」
来た道を戻り、十字路に『行き止まり』を示す目印を設置して、ルーファスはまだ通っていない方の通路へと率先して進んで行く。
かなり複雑な迷路だが、敵はいないため間違っては戻り、罠で別の通路へ飛ばされてはやり直しして、正解を探り当てながら出来るだけ素早く進むのだ。
「知っていると言えばそうですが、私はあれが本物なのかどうか判断しかねているのです。あなたが知っていることからも、フェリューテラには古い伝承なり口伝なりのなんらかの形で言い伝わっていたのでしょうが、半牛半神のミノタウロスはその特殊な生まれから他に類を見ない存在であり、この世には一人しかいません。」
«サイードのこの言い方…どうやらあのミノタウロスもインフィニティアの存在らしいな…»
「そうなのか…てっきり俺は、ミノタウロスと呼ばれる種族がいるんだと思っていたけど…」
「冗談ではありません、あんな恐ろしい存在がそう何人もいては困ります。半牛半神というのは知られざる真実であり、ミノタウロスは神獣ディアマントゥルスと光神レクシュティエルの義妹女神、ルーナフェレアの間に産まれた歴とした神族なのです。」
「神獣ディアマントゥルス、それって光神の…」
「そう、眷属です。王都で出会った有翼人のユスティーツが言っていましたね。フォルモールに操られているル・アーシャラーの第一位が、四十二人もの闇属性持ちの人間を供物にして喚び出そうとしていた神獣のことですよ。」
「………」
サイードからそんな話を聞き、ルーファスは眉間に深い皺を寄せて移動しながら考え込んだ。
「――私が嫌な予感がすると言ったのも、なんとなくわかるでしょう?」
「ああ…確かに。」
そうしてルーファスとサイードはさらにいくつかの十字路を調べ、着々とライの元へと近付いて行った。
それから十分後――
「ここから先へ進むには、またこれをなんとかしないといけないみたいだ。」
ライの居場所まで後少し、と言う所で、ルーファス達はまた仕掛けによって先へ進むのを阻まれていた。
十字路の左右は強力な結界障壁で塞がれており、唯一進めそうな通路の行く手は一階にあったものと同じ魔法扉が塞いでいたからだ。
「この魔法扉もパスワード式だ。今度の文面はなんだ?」
〖運命に捕らえられし憐れなる贄は、悪意に奈落へと追いやられ光と闇を腕に抱く。奪われた嘆きに善き心は消え失せ、悪しき心が牙を剥き、果てなき果てのさらに果て、回らぬ輪は永遠に生糸を紡がれぬ。贄たる者、その名を。〗
「これは…〝その名を〟で中途半端に文章が終わっていると言うことは、贄の名前を当てなければいけないのかな?……古数字もないし、答えはどこに書いてあるんだろう…良く周りを調べてみよう。」
「――………」
ルーファスがなにか手がかりはないかと周囲を調べて回る中、サイードはただじっと佇んでその碑文を睨んでいた。
「サイード?」
「ルーファス…どうやらさっきはあなたで、ここは私なら解けるようです。」
「これを読んでサイードには答えがわかったのか?」
「ええ、わかりました。――あなたは少し下がっていてください、ここの魔法扉は私が開きます。」
「ああ、頼んだ。」
サイードに言われるままルーファスが後方へ下がると、サイードは魔法扉の前で呪文のように答えを唱えた。
「扉よ消えよ。贄たる者、その名は――『ラファイエット・テネリタース』。」
«え…»
サイードが口にしたその名を聞いて、ルーファスは驚きに大きく目を見開いた。
「サイード、その名前は――」
ブウンッ
正解を唱えることで魔法扉が消滅した一階と異なり、サイードが答えを唱えた直後、ここの扉は回答者の足下に転送陣を光らせた。
«転送陣!?しまった!!»
「サイード!!」
シュンッ
その転送陣は魔法扉で閉ざされた先の通路へとサイードを転移させ、その場に残されたルーファスからは、透明に薄く光る扉向こうにその姿が見えていた。
と同時に、十字路の左側通路を塞いでいた結界障壁だけが消滅して、片方の道は通れるように開ける。
「ルーファス!」
慌てたルーファスは急いで魔法扉にサイードと同じ答えを告げてみるが、扉はもうなんの反応も示さなかった。
「これも罠だったのか…!」
――『ラファイエット・テネリタース』。サイードからその名前が出たことは、ルーファスにとって衝撃だった。
なぜならこれまでに、ルーファスからラファイエのことを話したことはなく、サイードがその名前を口にすると言うことは、元々サイードはラファイエのことを知っていると言うことに他ならないからだ。
«サイードがどうしてラファイエの名を知っているのか、すぐにも聞きたいところだけど…今はそれどころじゃない。それにこの碑文の意味も…»
『運命に捕らえられし憐れなる贄』
必ずしもそうだとは限らないが、それがラファイエのことを言い表していたのかもしれないと思い、ルーファスはきゅっと唇を結ぶ。
サイードの側からは戻れないことを確認し、サイードは扉越しにルーファスへ話しかけた。
「やられましたね…どうやらここからは二手に分かれる必要があるのでしょう。ルーファスはそのまま障壁の消えた左の通路を進んで下さい。私は罠から抜け出すためにこのまま直進します。恐らくどこかで合流できるはずですから、後で落ち合いましょう。」
«まさかサイードの嫌な予感がこんな形で的中するなんて…»
「一人で大丈夫なのか?もしあのミノタウロスに出会したらどうするんだ。」
「嫌なことを言わないでください。まあでも却って良かったです。あなたが一人で対峙するよりは百倍マシでしたね。多少なりとも私には、過去にミノタウロスと交戦した経験がありますから。」
「そうだったのか…それはいつの話だ?」
ルーファスの何気ない問いに、サイードの瞳が悲しげに揺らめいた。
「――『真なる者』にオルファランが滅ぼされた時ですよ。」
「!」
「あの当時はラナとヴァシュロンがいてくれましたからね…一人ではありませんでしたけれど、オルファランをめちゃくちゃにされた仕返しに、息も絶え絶えの瀕死にして送り返してやりました。」
そう言うとサイードはふふふっと笑い声を上げる。
「笑っている場合じゃないだろう…!」
「大丈夫です、そういうわけで私のことは心配要りません。あなたの方こそ気をつけて下さい、そろそろカラミティが気づいていつ戻って来てもおかしくありませんよ。」
心配は要らないと言い切るサイードに、ルーファスは不安を隠せない。
ここまでサイードがあれほどミノタウロスを気にしていたのには、なにか理由があるはずだと思っていたからだ。
「…わかった、だったらアドラオンを連れて行ってくれ。」
「え…」
「アドラオン、来てくれ。」
シュシュシュシュシュンッ
ルーファスの召喚に直ぐさまアドラオンの五人が姿を見せた。
「俺の中で話は聞こえていただろう?念のためみんなはサイードについて行ってくれないか。」
「ルーファス、私は大丈夫だと言ったでしょう。それにこの魔法扉は精霊でも越えられな…」
『――かしこまりました、ルーファス様。ですがリアンだけはルーファス様がお連れ下さい。もしサイード様になにもなくルーファス様になにかあった場合、リアンを通じて我々はすぐに合流が可能となりますから。』
「それはいいな、ありがとうロッシュ。それじゃリアンは俺とおいで。」
『はい、ルーファス様。』
リアンは空中で小さなスカラベ姿に変化すると、ブウンッと翅を鳴らしながらルーファスの元へ飛んで行く。
そうしてリアンを除いたアドラオンの四人は、魔法扉を難なく擦り抜けてサイード側へ移動したのだった。
「驚きましたね、精霊はこの魔法扉を通過出来るのですか。」
『いえ、それはサイード様がこちらにおられたからですよ。我々アドラオンはルーファス様のお味方であるサイード様を、現在〝仲間〟であると認識しています。精霊族には精霊族にしかわからない異空間の通り道がありますから、仲間であるサイード様を目印にして異空間を使用し、本来は障害となるはずの魔法扉を避けて通ったに過ぎません。』
「…良くわかりませんが、精霊族特有の方法で通り抜けたと言うことですね。」
『はい。』
驚くサイードにルヴァインがにこにこしながら説明をする。
「ルーファスは心配性ですね…でもありがとう、アドラオンの四人がいてくれるなら助かります。」
「そうだろう、頼りになるものな。」
ルーファスの褒め言葉にアドラオンは、空中で各々嬉しそうに身体を震わせながら喜んだ。
「ええ、ではルーファスも気をつけて…また後でね。」
ルーファスに笑顔で手を振ると、サイードはアドラオンの四人を連れて魔法扉から離れて行く。
「それじゃ俺達も行こうか、リアン。」
『はい。』
そのサイードの後ろ姿を見送ると、ルーファスはリアンを肩に乗せ、踵を返して左側の通路へ駆け出した。
«眷属精霊はなにかあって危なくなればいつでも俺の中へ戻れるし、ロッシュ達がいればサイードもきっと大丈夫だろう。ライ・ラムサスのいる場所はもうそう遠くない…とにかく俺は俺で進もう。»
――アドラオンの上位精霊四人を一緒に行かせたことでそう思うルーファスだったが、扉の前で笑っていたサイードの方はルーファスから離れるにつれその表情も一変し、緊張に顔を強張らせていた。
『サイード様…険しいお顔をされておられますが、なにかご心配が?』
石精霊のロッシュがサイードの顔を覗き込んで尋ねる。
「…ルーファスの手前ああ言いましたが、もしもの際は撤退の合図をしますから、あなた方はすぐに逃げて下さい。」
『サイード様?』
「お願いします。」
ロッシュ、ムーラン、ルヴァイン、ミストの四人は顔を見合わせて戸惑った。
やがてひたすら続く通路を真っ直ぐに進んで来たサイードは、幻影門のように大きな扉へ辿り着いた。
その扉にはミノタウロスを模した紋章が刻まれており、扉を開ける前にサイードは聖杖カドゥケウスを手に喚び出した。
「――この世界にはあり得ない『半牛半神』の紋章…やはり〝仕組まれて〟いるようですね。」
意を決したサイードは扉を手で押すのではなく、『アブリール・ドゥリース』と短い呪文のような言葉を唱えた。
すると大扉はサイードの目の前で、自分から勝手に開いて行く。
サイードが通れるほどに開いた扉から先へ進むと、そこにはなにもないただ真っ白な空間が広がっており、巨大な針鉄球のハンマーを構えたミノタウロスと、その横に黒いローブを着てフードを目深に被った人物が待ち構えていた。
コツコツとやけに反響する靴音を立てながら、サイードは聖杖を手に真っ直ぐ近付いて行く。
「なるほど…なにかおかしいと思えば、これはあなたの仕業でしたか。知りませんでしたね…いつから災厄と手を組んだのです?――アルティレリゴ。」
サイードは歩みを止めずに、黒ローブのフードに隠れて見えない相手の顔をキッと睨みつけた。
サイードが『アルティレリゴ』と呼んだ人物は、ローブの裾を右手でバッと飜し、嗄れた男女の声が二重に重なったような不気味な声を張り上げた。
「「その名で呼ぶな!!!私は災厄に奪われた『愛し子』を取り返しに来ただけだ!!ここで会ったが運の尽き…奴に対抗するため用意した実験体が、今度こそ貴様を――」」
「あら、せっかく付けてあげた呼び名が気に入らなかったかしら?――裏切り者には十分過ぎるほど相応しい呼び名だと…思うけれどッッ!!!」
サイードはアルティレリゴの言葉を途中で遮ると、いきなり先制攻撃を開始して無詠唱で極大の時属性攻撃魔法を放った。
ブウオオンッ
「「!!」」
足下に大きく輝いた灰色の魔法陣を見て、ミノタウロスとアルティレリゴは直ぐさま散開し初撃を避けようと左右に離れた。
その二人をルヴァインの荊蔓が、シュルルルルッと下から伸びてあっという間に拘束する。
「「貴様ァーッ!!!」」
「いつまで経っても学びませんね…ついこの間、三周目のあなたをモナルカで飛ばしたばかりなのに、何度敗れて二千年前に送り返されれば懲りるのかしら。」
灰色の魔法陣から同じく灰色の呪文字の帯が無数に渦を巻き、薄い灰色の光と濃い灰色の光を交互に明滅させながら、荊蔓に拘束されたアルティレリゴを捉えて行く。
「――私の大切なルーファスにもレインフォルスにも…そしてあなたが狙うあの子にも、この私が決して手出しをさせないわ…」
暑い…暑すぎます…今年は乗り切れないかもしれません…。バテて寝込んでいたために遅くなりましたが、次回はできるだけ早く投稿します。いつも読んで頂き、本当にありがとうございます!!




