208 夕陽の刻
以前エヴァンニュの王都でファロとなにかを話していたトゥレン・パスカムは、その日守護者そのものの格好をして、同国内プロバビリテに現れていました。彼の目的は実家に帰ることのようですが、いつもの軍服姿ではないことから、なにか理由があるようです。一方、インフィニティアへサイードと共に行っていたルーファスは、帰り道で予想外の出来事に遭遇して…?
【 第二百八話 夕陽の刻 】
――その日夕方近くになって、プロバビリテの貴族街に王宮近衛補佐官トゥレン・パスカムの姿はあった。
今日の彼の服装は、軽鎧に中剣と大剣の二本を装備した守護者の如き風体で、ここまで王都から歩いて来たのか、狩った魔物の血液で全体的にかなり汚れていた。
その上顔を隠すようにして深くフードを被っているため、貴族街を歩く護衛付きの貴婦人や擦れ違う馬車の御者などに訝し気な目を向けられている。
ここまでに一度、トゥレンは貴族街の入口で街の警備兵に止められていたが、身元を証明する『守護者の資格』を提示したことで、顔を出さずに名乗らなくても無事通して貰えていた。
本来彼の実家はこの地区にあるため、普段通りに近衛隊の制服を着て堂々と通れば止められることもなかったのだが、この日の彼は守護者の資格が持つ身分証明としての力を知るために、わざとそうしなかったのだった。
« 貴族の邸宅が集まるこの場所でも、IDカードを見せればそれだけで信用される…これが守護者の資格の持つ真の効力か。大したものだな…»
複雑な心境でそう思いながら苦笑し、トゥレンは出来るだけ目立たないように実家を目指した。
トゥレンの実家であるパスカム家は、貴族街でもプロバビリテの奥にあり、隣家のウェルゼン家と並んで広大な敷地を所有している。
当然門の前にはパスカム家を守る警備兵が立っており、彼らはかつて見たことのない格好をして門に近付いたトゥレンを警戒し、即座に槍を構えて立ち開かった。
「止まれ!!パスカム家になに用だ!!」
トゥレンの行く手を塞ぐようにして、二人の守衛は構えた長槍を交差させる。それを見たトゥレンは口元に笑みを浮かべると、顔が見えるよう少しだけフードを捲った。
「――危急の用件で連絡をせずに戻って来たのだ、すまん。久しぶりだな、ダイクス、ゲルト。」
ハッとした守衛の二人はトゥレンの声を聞いた瞬間に、直ぐさまそれが誰なのか気が付いた。
「そのお声は…まさか、トゥレン様ですか!?」
「ぼぼぼ、坊ちゃんッ、なんですかその格好は!!」
ダイクスとゲルトと呼ばれた彼らはトゥレンの一回り年上で、トゥレンが子供の頃からパスカム家に仕えており、これまでどんな時でも跡取りとして恥じない振る舞いをして来たトゥレンのその姿を見て、顔色を変えるほどに驚いた。
「父上と母上はおられるか?」
「は、はい、もちろんおられますが…一体――」
唖然とする彼らを尻目に、トゥレンはフードを外しもせず先を急いだ。
「では通るぞ。」
「か、かしこまりました。おい!トゥレン様だ、門扉を開けろ!!」
「えっトゥレン様!?」
「坊ちゃんですか!?は、はい、直ちに!!」
警備兵によって開けられた門を通り、トゥレンは前庭の奥に見える邸宅へと汚れた格好のままスタスタ歩いて行く。
「パスカム家の御嫡男がなんという姿をしておられるのだ…あれではまるで守護者ではないか。」
「トゥレン様はなぜ今日は近衛服を来ておられないのだろう?休暇だろうか…」
守衛と門番を合わせた五人ほどの警備兵達はその場に集まり、連絡もなしに突然戻ったトゥレンを見送りながら、全員が困惑を隠せない様子だ。
その後自宅へ入ったトゥレンは、同じように驚愕した使用人や家令に迎えられると、先に身嗜みを整えるように言われるもそれを断り、両親に急用があると言って応接間へ向かう。
程なくして急ぎ駆け付けた両親にも酷い格好だと驚かれたが、そこでトゥレンは理由あって数日前に守護者の資格を得たと打ち明けた。
軍属のトゥレンがなぜ守護者の資格を、と眉を顰める両親に、深刻な表情でトゥレンは告げる。
「その理由を含め…お父さん、お母さん。今日は俺から、最初で最後のお願いがあって参りました。」
いつもとは違う息子の緊張した表情と固く握りしめた拳を見て、トゥレンの両親はその〝お願い〟がただならぬ内容だと察し、顔を見合わせて眉を顰めた。
「…最初で最後のお願いとは、大仰な言い方をする。シャール王太子殿下が立儲され、貴族院からもあまり良い噂は流れて来ないが…城でなにかあったのか?」
「いいえ…まだなにか起きたわけではありません。――ですが俺は、今後パスカム家へ間違いなく多大なご迷惑をおかけすることになるでしょう。ですからその前に…」
実の父親と、継母とは言え血の繋がりもある実母と変わりのない女性を前に、トゥレンは一度言い淀んだ。
「その前に、なんだ。はっきり言いなさい。」
険しい顔をして問い返す父親は、次の瞬間、いきなり頭を下げた息子に大きく目を見開いた。
「――申し訳ありません…親不孝を致します。」
深く頭を下げ目の前の両親に詫びながら、この日トゥレンは、イーヴと同じように自らの廃嫡を願い出たのだった。
それから二時間ほどが過ぎ、夜空に星が輝き始めた頃、話し合いの末に父親の署名が入った廃嫡届けと脱籍申請書を手にして、トゥレンは実家を出ようとする。
「兄さん!!待って、トゥレン兄さんっ!!どうして――ッ」
「マキュアス…」
吹き抜けの階段を駆け降り、トゥレン最愛の異母弟が追いかけて来た。
マキュアスは汚れた姿にも拘わらずトゥレンにしがみ付くと、廃嫡の話を聞いたのか、トゥレンに行かないでと泣き縋った。
これまでも会うたびにそうして来たように、トゥレンはマキュアスを抱き上げると、その頭をくしゃくしゃ撫でて愛情を示すように頬ずりをする。
「すまない、マック…これからはおまえがパスカム家の跡取りだ。俺の代わりに父上と母上を頼むな。」
「いやだッ!!パスカム家を継ぐのはトゥレン兄さんだよ、僕じゃないッ!!」
「――ごめんな…」
「やだっ!!行っちゃ嫌だ、兄さんっ!!いやだーっ!!!」
泣いて訴える弟を最後にもう一度強く抱きしめると、トゥレンはマキュアスを自分から引き剥がして家令に手渡し、背中を向けて足早に外へ出て行った。
「トゥレン兄さんーっ!!!」
« すまないマック…こうするしかないんだ、許してくれ。»
トゥレンは最愛の異母弟と両親に別れを告げ、悲痛な面持ちでパスカム家の門からも出て行くと、邸宅が遠く見える通りで一度振り返り、名残惜しそうに目を細めた。
「お父さん、お母さん、マキュアス…どうかお元気で。」
♢ ♢ ♢
――インフィニティアの隔絶界(の一つ)である精霊界アレンティノスから、俺達が元いた時間と場所のフェリューテラへ戻るには、一度幻影門を通って無限界域に出てから時空転移魔法を使い、『神の門』と呼ばれる特殊な出入り口を通り抜ける必要がある。
これは無限界インフィニティアとフェリューテラの間に、異なる世界と世界を隔てる見えない壁(触れることも入ることも出来ない未知の空間のこと)があるために、互いの世界を容易には行き来できないようにするためらしい。
ではいつ誰がそんなことを決めて、異世界と異世界を繋ぐ門を作ったのかというと、俺はもちろんのこと時空神の娘であるサイードも知らないのだが、普通は接点を得られることのないインフィニティアと行き来できると言うだけで、常識外れに物凄いことをしているという自覚はあった。
それを可能にしてくれるのはサイードの時空転移魔法なのだが、自己管理システムの取得魔法リストに時空転移魔法や転移魔法はあるのだから、いつかは俺自身で使えるようになるのだろう。
だがまあ今は無理なので、負担をかけることはわかっていても彼女に頼むしかないのだ。
「――さて、私の自宅へ戻って来ましたが…少しだけ時間をくれませんか?ルーファス。庭の花にそろそろ水をあげなければいけないのと、フェリューテラに幾つかの魔道具を持って行きたいので、それを探す時間が欲しいのです。」
「ああ、構わないよ。俺はその間アドラオンに、詳しくフェリューテラのことと俺自身のことを話しておくから。」
「ありがとう、時間の調整は可能だとは言え、なるべく早く済ませますね。」
自宅の玄関前でそう言って微笑んだ彼女に頷き、中へ入って行ったサイードを見送ると、俺はそのまま前庭で待つことにして、俺の肩に乗っている小さなスカラベ姿のリアンを除いた残り四体の高位精霊、ロッシュ、ムーラン、ミスト、ルヴァインを眷属召喚で喚び出した。
リアンを含めたアドラオンの五体は、俺の前に並んで地面から五十センチほどの高さにふわふわ浮いている。
フェリューテラでもそうだが、精霊というのは霊体<スピリチュアル>であるため、皆同様に薄ら透けた姿をしており、宙に浮いているのが普通だ。
そして以前話したことがあったと思うが、精霊界での実体と霊体姿では似て異なる外見をしている。
元は神獣のスカラベだったリアンは、精霊界ではガラス様の透き通った女性のような躯体に、頭には束ねた髪に似たものと光る二本の触覚が付いているが、召喚体ではスカラベ姿に変わることが出来る、虫の翅を背中に付けた全身が虹色をした少女のように見える。
石精霊のロッシュは実体では動かずに身体を丸めていると、外見は大きな岩のようにしか見えない。召喚体では動きが滑らかなゴーレムという感じだ。
嵐精霊ムーランの実体は、小さな竜巻が寄り集まって人型を作ったような姿をしているが、召喚すると全身が緑に透けたカメレオンみたいだ。
霧精霊のミストは霧が集まって雲のようになった実体をしており、召喚体は限りなく現実の霧に近い。
最後、荊精霊は蔓薔薇の花を冠にした赤い顔に、全身小さな棘の突き出た蔓を束ねた身体をしており、召喚体はヒラヒラしたボンチョを着た薔薇の花に、目と口があるような感じだ。もちろん、手足には荊のような棘がある。
「一度召喚体を見ておきたかったこともあって喚び出したけど、みんなアレンティノスを出るのは初めてだよな?フェリューテラと俺の事情はこれから説明するが、一先ず召喚されてみてなにか気になることはあるか?」
『人界では識者以外に我々の姿は見えないのですよね?と言うことは、こちらからアプローチしない限り、触れることも出来ませんか?』
「ああ、基本的には識者であっても触れることはできないな。」
精霊の召喚体は霊体だ。従って基本的に手で触れることは出来ない。但し俺相手のように精霊側が識者を完全に信用している場合と、海神の宮に住んでいる土小人クレイリアンのように、精霊界ではなく現在もフェリューテラに残っている精霊ならまた別だ。
『ではルーファス様、私達がフェリューテラの生物から危害を加えられるとしたら、どんな手段でですか?』
「その方法はただ一つ、霊体に攻撃効果を持つ魔法だけだ。武器も人間の作ったものは効かないから、魔法以外で傷付くこともない。」
まあ例外として、俺に限っては武器に霊体特効の特殊効果を付けられるから、除外されるけど。
因みに不死族の霊体と精霊の霊体は存在が異なる。不死族の霊体はスピリットやゴーストと呼び識者でなくても見えることはあるが、精霊の霊体は識者でなければ見えず、スピリチュアルと呼ぶ。
そして召喚契約を結んだ大精霊を召喚すると識者でなくとも認識できるが、眷属召喚は識者でなければ視認できない。
少しややこしいが、眷属となった精霊を守るのは契約者の義務であり、そのことから他者に眷属精霊を視られなくするためだと思ってくれれば良い。
『逆に私達が人間や生物を傷つけることは…?』
「そちらはいくらでも可能だ、精霊術(魔法)を使えばいいだけだからな。」
『精霊術は人間に通用するのですか?』
「うん。精霊は自然を守る存在だから、人や動物といった自然の天敵に当たることのある生物を害する手段を持っている。それはアレンティノスの精霊である君らも変わりないと思うよ。」
『そう、なのですか…』
「ああ。但し、特にそうしなければならない理由がないのに生物を殺すような精霊術を使うと、必ずと言っていいほど魔精霊化するよ。なぜなら君らは、人や動物を傷つけたいと思わないだろう?普通の精霊は生物も自然の一部と考えるから、余程のことがない限り害そうとは思わない。だから相手を敵と見做して殺そうとする時は、それほどの憎しみを抱いていることが殆どなんだ。」
『なるほど…なんだか少し安心しました。』
――アレンティノスの精霊は蒼天界シェロアズールが滅んで以降、他種族と接したことが殆どない状態だ。
それだけにフェリューテラへ俺と一緒に来たいと思ってはいても、ほんの少し不安もあったみたいだ。
それぞれ精霊側から質問を受けた後、フェリューテラの状況や俺が守護七聖主と呼ばれる存在であることなどを詳しく話しておく。
そうこうしているうちにサイードの用事が済み、アドラオンを俺の中へ戻す(リアンだけはスカラベ姿で俺の肩にいる)と、サイードの時空転移魔法でモナルカへ戻った。
――はず、だったのだが…
シュシュンッ
サイードの自宅から以前と同じようにフェリューテラへ戻ったのだが、サイードはモナルカの宿へ直接飛ぶと言っていたのに、辿り着いた先は曇り空の森の中を通る、使われなくなった旧道のような道路脇だった。
「サイード?モナルカの宿へ帰るんじゃなかったのか?」
驚いた俺の問いに、混乱していたのは寧ろサイードの方だった。
「ま、待って下さい、私は確かにインフィニティアへ移動してから少し経った時間の、モナルカの宿へ着くように時空転移魔法を使いました…!」
「え…それじゃもしかして、なんらかの原因で変則事象が起きたのか?」
「時空転移魔法ですよ?転移魔法ならともかく、絶対正確性を求められるこの魔法で、それはあり得ません…どうなっているのか、私もさっぱり――」
サイードが困惑し俺が首を捻っていると、どこかすぐ近くからなにか人の争う声が聞こえてくる。
「近くに人がいるな…だけど喧嘩でもしているのか?」
『ルーファス様、サイード様、なんだか嫌な感じがします。身を隠した方が良いかもしれません。』
俺の肩にいるリアンが突然そんなことを言い始めた。
「そうか、念のためステルスハイドをかけてから、そっと様子を見に行こうか。」
「モナルカに戻らなくて良いのですか?」
「いや、戻るけどここがどこなのか知りたいじゃないか。」
サイードはなにも答えずに短く溜息を吐く。そうして俺はリアンの忠告に従ってステルスハイドをかけると、揉めているらしき人の声の方へ静かに近付いて行った。
するとそこで、思いも寄らない光景を見ることになった。
「!!」
――あれは…!!
その現場を説明すると、人が滅多に通らなさそうなこの道の端に幌の付いた馬車が止められており、そのすぐ傍で五人の男女が狂ったように互いへ怒鳴り散らし、激しい掴み合いをしていた。
だが俺がもっと驚いたのは、そのさらに奥の方に無表情で揉める男女を見ている、全身が真紅の男――カラミティが立っているのが見えたからだ。
『カラミティ…!!サイード、あそこに災厄がいる!なぜこんなところに!?』
慌てた俺は思念伝達を使ってサイードに災厄がいることを伝えた。
サイードには以前守護七聖や守護七聖主、カオスや暗黒神のことを説明した時一緒に、災厄という存在がいることも話してあった。
『あの全身紅い髪に紅い瞳をした男性がそうですか…?』
『ああ、あれが災厄…カラミティだ。』
なぜ災厄がこんなところにいて争う数人の男女を見ているのか、そう疑問に思っていると、やがてカラミティは足下からひょいっと人間を抱え上げた。
それはルクサールで俺がカラミティにそうされたように、うつ伏せの状態で背中からカラミティの小脇へ抱えられるような感じで、抱えられているのは体格や背格好も俺と同じくらいの男性だった。
『――あれは…誰か人を連れ去ろうとしているのでしょうか?良く見えませんね…』
なんとなく嫌な予感がした俺は、カラミティが抱える男性がどんな人なのかを確かめるために素早く場所を移動した。
そうしてただでさえ驚いていたのに、身体が動かず抵抗も出来ないのか、怯えた様子でカラミティとマーシレスを見ているそれが誰なのか知って、声を上げそうになるほどもっと驚く羽目になった。
漆黒の癖のある髪に左右色違いの瞳――あれは…
« ――ライ・ラムサス…!?»
どうなっているのか全く見当すら付かなかったが、カラミティが小脇に抱えているのは、エヴァンニュ王国の王宮近衛指揮官で、『黒髪の鬼神』と呼ばれているライ・ラムサスその人だった。
――どう、なっているんだ…?どうしてカラミティが、ライ・ラムサスを…
わけがわからずに呆然としていると、程なくしてカラミティはライ・ラムサスを抱えたまま転移魔法で姿を消してしまった。
『カラミティ…!どういうことかわからないけど、カラミティが黒髪の鬼神をどこかへ連れ去ってしまった…!!』
『黒髪の鬼神?それはもしかしてエヴァンニュ王国で行方不明になっているという、最上位クラスの王国軍人のことですか…?』
『ああ、そうだ、そうなんだ…ライ・ラムサスは今、行方不明になっているんだ。彼はエヴァンニュ王国になくてはならない人なのに、そんな噂が流れていたから俺は心配になって…それでファロに噂の真偽を確かめて貰っている最中だった。それなのに…どうなっているんだ?』
混乱する俺にサイードが、驚くような提案をして来た。
『ならばすぐに災厄の後を追いましょう。それほど必要とされている人なら、すぐに助け出した方がいいのでは?』
『それはそうだけど…後を追うってどうやって?カラミティは転移魔法で消えたんだぞ…!』
『ネアン…もとい、リアンがいれば可能です。そうでしょう、リアン?』
リアン?…そう言えば前世のネアンは、サイードの元で飼われていたんだった。当時も賢いと言っていたけど、そんな力まで持っていたのか…?
『サイード様…はい、転移直後ですし、私になら魔法の痕跡を辿って行き先を突き止めることは出来ると思います。ですが――』
カラミティが転移した場所へ近付くにも、激しく揉めている目の前の男女が喧嘩をやめてどこかへ行ってくれないと、ステルスハイドを解除することさえ出来なかった。
『一旦魔法で全員を眠らせてしまいましょうか。喧嘩を仲裁するより手っ取り早いと思いますね。』
『ああ、そうだな。あの分だとその内殺し合いにまで発展しそうだ。なにをあんなに争っているんだろう…?』
『ルーファス様、言い難いのですが…あの人間達は特殊な精神系魔法に侵されています。魔法で憎悪を煽られて、冷静に怒りを抑えようとする理性が効かなくなるように仕向けられているのではないでしょうか。』
『なんだって…!?』
まさか…あれはカラミティかマーシレスの仕業なのか?だとしたらカラミティが冷ややかに見ていたのは、魔法を放ったすぐ後だったからかもしれない。
――カラミティは災厄と呼ばれる存在だし、マーシレスは禍々しい気を放つ闇の守護神剣だ。
リアンの言う通り、可能性としてあり得ないことではないかもしれないが、マーシレスの一振りで人間をいとも簡単に殺すことの可能な彼らが、わざわざそんなことをする理由がまるでわからなかった。
俺が一人益々困惑していると、その直後今度はサイードがいきなり俺の腕を引っ張り、ステルスハイドをかけたままなのにも関わらず、なにかが来ると言って隠れるように促して来た。
『なにかが来るって…どうしたんだ。』
サイードの警告にとにかく身を隠すと、それから一秒と経たず上空になにかが出現した。
今度はなんだ…!?
――その気配に気づき空を見上げた俺は、正直に言って今はこれ以上驚くことはもうないだろうと思っていた。
インフィニティアから真っ直ぐモナルカへ帰るはずだったのに見知らぬ場所へ転移した上に、そこにいたカラミティがなぜか黒髪の鬼神を抱えてどこかへ連れ去ってしまった。
それだけで十分すぎるほど困惑していたのに、幅六メートルほどの道の上、十メートルほどの高さに出現したのは、スカサハとセルストイではない二人の有翼人種と共に、魔法で転移して来たリカルドだったのだ。
『リ、リカルド…!?どうしてリカルドまでここに――』
カラミティにライ・ラムサスに、今度はリカルドまで現れた。その状況で俺が混乱しないわけがない。
『ルーファス…リカルドと言うのは、あの上空に浮かんでいる…翼を持たない金髪を靡かせた男性のこと、ですか…?』
『あ、ああ…彼は有翼人種じゃなくて人族だ。あれは飛空魔法で浮かんでいるだけだろう。名前はリカルド・トライツィ…元トップハンターでSランク級守護者、以前は俺のパートナーだったし、ル・アーシャラー第一位でもある。エヴァンニュ王国の地下水路で出会ったユスティーツが言っていたのは、彼のことなんだ。』
『――つまり現状はフォルモールに支配されている、蒼天の使徒アーシャル…ですね。』
確かめるようにそう言ったサイードの表情が険しくなり、その顔色は血の気が引いたように青く変わった。
『…サイード?』
俺がそのサイードに気を取られた直後、俺達の目の前で、思わず目を覆いたくなるようなその恐ろしい出来事は起きた。
過去、俺が耳にしたことのない、リカルドの冷酷な声が響いてくる。
「――汚らわしき邪神を崇め、この世の滅びを願うケルベロスの信者よ。光神レクシュティエル様の御意思により、蒼天の使徒アーシャルが貴様らを滅する。死して永遠の闇へ落ちよ…天位聖光『ディヴァイン・オル・アニバルクシア』。」
ケルベロス?今、ケルベロスの信者と言わなかったか…?
カッ…
「!!」
いがみ合い、殴り合い、掴み合って既に衣服はぼろぼろの上、傷だらけだった男女を目掛け、リカルドと二人の有翼人が魔力を合わせると、その強力な威力を持つ光属性聖魔法を放った。
一瞬、無数の雷が落ちたのかと思うほどの轟音と閃光が輝き、その光を見上げた男女の眼球だけがジュッという音と共に、瞬く間に焼けて消滅する。
フェリューテラの教会には、穢れた魂を持つ人間が神の威光を直視すると目が焼けて失われ、そこには黒く眼孔が空くという言い伝えがあるのだが、正にそれを再現したかのように、彼らの顔には失われた目の代わりに穴が二つぽっかりと空いていた。
「ぎゃあああっ」
「痛い痛い痛い!!目がああああっ!!!」
辺りには耳を塞ぎたくなるような絶叫が響き、輝く光の中で針のように細く尖った欠片が、その身体を無数に穿って行く。
――そうして全てが終わると、そこには五人の男女の無残な亡骸だけが横たわっていた。
「リ…、リカル、ド…」
俺は信じられない光景を目にしたことで動揺し、小さくリカルドの名前を呼んで空を見上げた。
だが既にそこにはリカルドの姿も、一緒にいた二人の有翼人の姿もなかった。
リカルドがフォルモールに操られているというのは本当だったのか…でなければこんな惨いことを、あいつが遣って退けるはずはない…!
そうだよな?リカルド…
スカサハとセルストイはどうしたんだろう。俺はそんなことを思いながら、争っていた男女が息絶えリカルド達もいなくなったことで、呆然としながらステルスハイドを解除した。
見ると動揺しているのは俺だけのようで、これほど悲惨な遺体を前にしてもサイードは、一時感情をなくしたかのように酷く冷ややかな目をして彼らを見下ろしていた。
『サイード様、急がないと転移魔法の痕跡が消えてしまいます!』
俺の肩からブウンッ、と飛び立ったリアンがカラミティの消えた地面へ降りて行く。
「――ショックなのはわかりますが、ここはこのままにして急ぎましょう。ライ・ラムサスを助けるのでしょう?それとも救出は諦めてモナルカへ帰りますか?」
「いや…なにが目的なのかはわからないけど、カラミティを追って攫われた彼を先に助ける。」
「…なら行きましょう、ルーファス。あまり時間がありません。」
「ああ。」
リカルド…
サイードにそう促された俺は、消えたリカルドと横たわる男女の遺体を気にかけながらも急いでカラミティの消えた位置へ移動すると、リアンの痕跡を辿る力とサイードの転移魔法で、ライ・ラムサスを連れ去ったカラミティの後を追うことにした。
リアンの能力は神獣の前世から引き継いだ固有能力で、転移魔法によって生じる座標点を探し出し、そこから紐のように細く伸びた施術者の魔力を辿ることで、それが途切れた地点を割り出すという、特殊な力だった。
リアンの前世の記憶によると、神獣というのはその殆どが同じ能力を有しているそうで、狙われた者が転移魔法で神獣の追跡を撒こうとしても、この力によって必ず見つかってしまうらしい。
シュシュンッ
「――着いたか…普通の転移魔法より、移動時間が長かったな。」
「行き先が定まっていませんでしたからね…お疲れ様、リアン。神力を使ったのです、暫く眠った方がいいですよ。」
「そうか…ありがとうリアン。少し俺の中で休んでいるといい。」
『はい…ではお言葉に甘えて少し眠らせて頂きます。』
「ああ、ゆっくりお休み。」
カラミティの後を追うために疲弊したリアンを俺の中へ帰すと、俺とサイードは落ち着いて辺りを見回した。
「それで…ここはどこなんだろう?一応良く見かける植物が生えているから、フェリューテラのどこかには違いないんだろうけど…随分空が暗いんだな。」
「ええ。」
足元の雑草や近くに生えている木は、エヴァンニュやメル・ルークでも良く見かける植物だ。
俺達がいるのは森の間を通る、舗装されていない街道のようで、緩やかな弧を描く道が森の先まで続いていた。
だが少し異様に感じたのは、虫の一匹も飛んでおらず、人や動物の気配がまるでなかったことと、見上げた空が夕闇の迫る日が沈む直前のようにやけに赤黒く、星も見えなければ雲一つ流れていないことだった。
「フェリューテラにこんな場所があるなんて知らなかったな…。」
「…ルーファス、ここがフェリューテラとは限りませんよ。」
「え?」
真剣な表情でそう言ったサイードに俺は目を丸くした。
「でもサイードが使ったのは転移魔法だろう?」
「確かにそうですが、転移魔法で行き着く先が必ずしも同じ世界だとは限らないのです。――そう、例えば…フェリューテラと繋がった、隔絶界のような場所であることも、可能性として皆無ではないのですよ。」
「それはこの場所がそうだと言いたいのか?」
「ええ。空に太陽や月、星が全く見えません。それに植物は生えていますが、ここには当たり前にいるはずの生物の気配がないでしょう?…恐らくここは創造者以外には容易に入り込めない、特殊な空間だと思うのです。」
「創造者以外…つまりカラミティが作り出した世界、と言うことか。」
「そうです。それだけの力を災厄は持っているのでしょう。」
「…だったら、尚更ライ・ラムサスが心配だ。とにかく彼かカラミティの居場所を探そう。」
頷いたサイードと共にその足でとりあえず歩き出すと、前後にずっと続いているかのように見えたこの道は、数分歩いた所でいきなりくねくねと蛇行する坂道に変わり、それを登り切ると開けた平地に周囲を数多くの廃墟に囲まれた、巨大な城に似た建造物が見えた。
「ここは昔、街かなにかがあったのかしら…?殆どの家屋が土台に壁の残骸だけを残して壊れていますね。」
「うん…あれ?…なんだかあの巨大な建物、見たことがあるような気がする。」
「そうですか…それはどこで?」
「うーん…どこでだったかな…」
歩きながら徐々に近付いて来るその建物を見て、考える。
特徴的な塔の形に折れた尖塔。古びて外壁は罅割れ、塗装されていた外装も変色しているか剥げるかしており、元の色がどんなだったかさえわからない。
俺はその建物の元の姿を想像して、いつどこで見たのかを思い出そうとしたが、どうしても出て来なかった。
「…だめだ、思い出せない。でももしかしたらカラミティは、あの城のような建物にいるんじゃないか?」
「そうかもしれませんね、近くまで行ってみましょう。」
「ああ。」
今度は緩やかな坂道を下り、不気味なほどに静まり返った廃墟の入口まで来ると、かなり薄くなっていて読みづらかったが、街の名が書かれていたらしき標識を見つけた。
「ア…ペル、ピ…シア…『アペルピシア』と読むのかな?」
「多分この街の名前でしょうね…ルーファス、かなり遠いですがあの奥にも大きな建物が見えますよ。」
「本当だ…ライ・ラムサスはどこにいるのかな。」
「…災厄に気づかれないよう、出来るだけ魔力を少なくして広域探査をしてみてはどうでしょう?」
「そうだな…建物の中に入ってからより、外でスキルを使う方が感知され難いか…やってみよう。」
「お願いします。」
俺は自己管理システムに地図が表示されるよう、極力魔力を少なく使用して広域探査を行ってみた。
実はこの場所は俺の脳内地図が全く表示されていなかったのだ。
――地図が出なかったと言うことは、探索魔法を阻害されているか、俺のデータベースに情報が全くない場所かのどちらかだろうな。
後者だとしたら、建物に見覚えがあるような気がしたのは、気のせいだったのかもしれない。
程なくしていつものように、頭の中で地図が表示されるようになった。
「あ…周囲の地図が出るようになったから、サイードにも共有するよ。」
「助かります。」
「うん、探索フィールド展開。」
地図がサイードにも表示されるように探索フィールドを展開すると、城のような目の前の建物の内部構造まで表示され、意外なことに驚いた。
「これは…あの建物の中は外見よりも随分広いようですね。」
「外観と内部構造が異なっているのか…空間魔法の応用かな?」
「ええ、私の自宅と同じかもしれません。」
「そうか、サイードの家も外観と中が全く違う作りをしていたものな。」
「見た目は豪華で大きく、中は使い勝手を考えてこぢんまりと。そう思って作り変えて行ったらああなったのです。それより例の信号は現れませんか?」
「いや…一応一つだけ表示されてはいるけど、そこの建物じゃない。さっきサイードが言った、あの遠くに見える大きな建物の方だ。」
かなり縮小表示をして、やっと端の方に見えるほど遠くにある大きな建物に、恐らくは連れ去られたライ・ラムサスのものと思われる、要救助者を示す緑色の点滅信号が光っていた。
「と言うことは、カラミティは…?」
「どこにいるかわからない。他に点滅信号は出ていないから、カラミティは表示されないのか、もう近くにはいないのかのどちらかだろう。」
「少し心配ですが、念のため良く周囲に気をつけながら、その建物まで行きましょう。」
「そうしよう、カラミティがいないのなら逆に好機だ。」
――廃墟の街中を小走りに駆け抜け、俺達は目の前の城のような建物ではなく、遠くに見える大きな建造物を目指して素早く移動を開始した。
ここには人も動物もいない代わりに、魔物も存在していないようだ。そうなるとサイードの言うようにここはフェリューテラではなく、フェリューテラと繋がっている隔離された世界、というのは事実かもしれなかった。
「そう言えばサイード、リカルドがあの場で争っていた男女のことを『ケルベロス』と言っていたのを聞いたか?」
「ええ…確か、汚らわしき邪神を崇める、この世の滅びを願う信者、だと言っていましたね。」
「詳しくはライ・ラムサスに話を聞いてみないとわからないけど、リカルドに殺されたあの五人がケルベロスの信者だとしたら、あの場での彼とカラミティ、ケルベロスの関係はどういう状況だったんだろう?」
「それは…あの状況を見ただけではさすがにわかりませんよ。せめて災厄が黒髪の鬼神を攫った理由だけでもわかれば推測も出来ますが…情報不足です。」
「そうか…」
「――ただ、蒼天の使徒アーシャルが、ケルベロスの信者を粛清した理由は想像が付きます。『光神の御意思』と口にしていたことから、アーシャルはケルベロスを敵対存在として認識しているのでしょう。もしかしたらレスルタードを放とうとしたこともその理由の一つかもしれません。」
「…確かにケルベロスは王都に魔物を召喚したりして、意図的に多くの人を害そうとしている節が見える。それでも教祖以外は人間なんだ、生命と慈愛を司る光神は本当にあんなことを望んでいるのかな。」
「どうでしょうね…」
――光神の御意思と言ってケルベロスの信者を粛清しているのなら、有翼人種は今も光神を崇めているのか?蒼天界シェロアズールは彼の神の領域だったのだから、そうであってもおかしくはないか。
アーシャルは暗黒神やカオスとも敵対していると言っていた。もし協力関係を築くことが出来るなら、大きな力になってくれそうだけど…
そう考えてふと、リカルドの口にしたフォルモールの人物像が思い浮かんだ。
……いや、それはちょっとかなり難しいかな…俺はフォルモールをとてもじゃないが好きにはなれそうにない。
いくら暗黒神を倒すためでも、戦争に手心を加えて国を滅ぼしてみたり、ユスティーツに実験を繰り返したり…やっていることはカオスよりも酷いじゃないか。
そんな相手を俺が信頼できるはずもないしな…フォルモールが支配している限り、アーシャルとの協力関係は頭から外しておこう。
「なにか考え込んでいたようですが、纏まりましたか?」
隣を走るサイードが、俺を見て優しく微笑む。
「ああ、うん。」
「そうですか…――ではこちらに集中しましょう、建物が見えて来ましたよ。」
――廃墟からかなり離れた場所に、鬱蒼とした森の中に建つ、高さの異なる長方形の箱を幾つか繋げたような形をした、石造りの建造物があった。
屋上には矢避け石の装飾が施され、狙撃用の小窓が見えることから、この建物は要所を守る砦だったのかもしれない。
相変わらず生物の気配はなかったが、その建物の近くまで来ると俺達はあることに気が付いた。
「ルーファス、侵入者対策の結界障壁が張られています。」
「ああ…どうやらライ・ラムサスは、間違いなくここにいるみたいだな。」
青白く穹窿形の障壁表面を、時折魔力光が駆け抜けて行く。建物をすっぽり覆うように張られていた結界障壁は、解析魔法で調べてみると内外どちらからの出入りを拒む、隔離結界のようだった。
「これは隔離結界だな…外からも中からも、誰も出入り出来ないように張られているんだ。」
「私達のようにライ・ラムサスを助けに来る者も弾き、ライ・ラムサスが万が一にも逃げ出さないようにしていると言うわけですか…厳重ですね。」
「ああ。…それにしてもわからないな、どうしてカラミティがそこまで彼に拘るんだろう。」
「……それでルーファス、この結界を破ることは可能ですか?」
俺の呟きは聞かれても私にはわかりませんよ、とでも言うように、サイードに聞き流されてしまった。
「うーん…破壊することはできるけど、それをやると確実にカラミティが飛んで来るだろうな。話し合いに応じてくれればいいけど、ここまでしている所を見るに、ライ・ラムサスの解放を頼んでも断られる可能性が高そうだ。」
「ではどうするのです?」
「――ちょっと時間をくれ。結界を壊さずに通り抜ける方法がないか、詳しく調べてみるから。」
結界を通り抜ける方法をデータベースで探しながら、俺は以前リヴから聞いたことを思い出していた。
ライ・ラムサスの背中には、カラミティとマーシレスが施した『呪印』がある。
それがなんのためのものなのか、前に直接見せて貰って詳しく調べられないかと思ったけど、肝心のライ・ラムサスに会えなくて話が出来なかったんだよな。
バスティーユ監獄では彼の方が外見を変えて身元を隠していたし、俺はその後エヴァンニュを出てしまって接触する機会はなくなってしまった。
今日は少しゆっくりと話が出来る時間を取れるといいんだけど――
それも少し難しいかな、と内心で苦笑する。
モナルカに戻って、カラマーダに憑依した魔精霊を少しでも早くなんとかしなければならないし、ライ・ラムサスに俺のことを話すわけには行かない。
その上でカラミティの後をどうやってつけて来たとか、なぜカラミティのことを知っているのかとか、彼の方こそ俺に聞きたいことが山盛り出てくることだろう。
その問いには答えずに、背中の呪印だけを調べさせてくれと言って、快く承諾してくれるとは思えない。
そもそもここから逃げる方が最優先だから、そんな暇もないだろうしな。
――今回は諦めるしかないか。
「よしサイード、良い方法を思いついたぞ。」
「それは朗報です。では災厄に気づかれる前にさっさと救出を済ませてしまいましょうか。」
「ああ。」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。次回、仕上がり次第アップします。段々暑くなってきましたね…冬が待ち遠しい筆者でした。




