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Eternity~銀髪の守護者ルーファス~  作者: カルダスレス


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20 闇の気配

※細かな加筆が多いため、今回も長いです。 ウェンリーを巻き込み、昨日に飛んでしまったルーファスは、どうにか無事に二人で王都の公園に戻ってこられました。過去を変えたことで、現在がどう変わったのか先ずはユーナがいたはずのギルドを目指しましたが…?


 ポウ…


 ――人気のない王都立公園の、芝生が敷き詰められた広場に、白く輝く光が出現する。

 その日差しとは異なる光は薄曇りの空の下、ほんの一瞬パアッと強く輝くと、その中から二つの人影を生み出した。


 シュシュンッ…トトンッ


 空気が狭い場所を通る時のような圧縮音がして、直後に遊歩道の地面に飛び跳ねて着地した時のような、二人分のずれた足音が微音を立てる。

 そうしてそこに立っていたのは、飛ばされた先からたった今戻って来たばかりのルーファスとウェンリーだ。


 ルーファスはきょろきょろと周囲を確かめるように見回すと、小さな声で不安気に呟いた。



「…元の王都の公園…だよな?」


 ――見覚えのある木々の並びに背の低い植木と花壇。青々とした芝生の広場とそこを通る遊歩道に丸太のベンチ、無灯火の街灯に挟まれた公園入口の開かれた門と境界を隔てる柵が見える。

 公園内の掲示板には国際商業市(ワールド・バザール)開催の広告が貼られており、祭りを知らせる祝い旗が掲げられていて、大通りの方からは遠くに聞こえる陽気な音楽と時折打ち上げられている花火の音がする。

 そしてすぐ前の通りには、笑顔で歩いて行く大きな買い物袋を抱える人や、風船を手に持った子供連れの家族らしき姿も見えていた。


 飛ばされる前の王都の空は薄曇りで、時間は午前…ラーンさんと約束した待ち合わせの時間にはまだ余裕のある、お昼前だった。


 間違いない、ここは現在の王都だ。


「はあ…良かった、無事に戻って来られたみたいだ。」


 初めて自分の意思で時空転移魔法を使用して戻って来た俺は、心底ほっとして両手を膝につき前屈みになると、大きく安堵の息を吐いて並び立つウェンリーを見上げた。


「ウェンリー大丈夫か?同行者を保護する防護障壁は自動的にかけられていたけど、どこか身体がおかしいとか、眩暈がするとか異常はないか?」


 上体を起こして向き直ると、ウェンリーに異変がないか上から下まで具に見る。一応顔色は悪くないし、どこか痛がっている様子も違和感を感じている節もなさそうではあった。


「全然ねえって、平気だよ。それよか俺らが飛ばされてから、どんぐらい経ってるんだろ?向こうにいたのは多分、二時間ぐらいだったよな?」

「えーと…そうだな…」


 けろりとした顔でそう尋ねるウェンリーに確かめてみると、俺の頭に表示されたAthena(アテナ)の記録では三秒ほどだった。


 飛ばされていた時間は三秒。…最短記録だ。


「…僅か三秒ほどみたいだな。」

「うえっ!?二時間が三秒!?…マジか…。」


 〝昨日〟という過去で『根無し草(ダックウィード)』のメンバーと別れてから、空き地の時空点に辿り着くまでの間、事後説明にはなったが、俺はウェンリーになにが起きたのかだけは簡単に説明しておいた。

 俺がこの十年間、時と場所を選ばずに、ウェンリーの前で何度も飛ばされたことのある、原因不明の転移現象。

 それと同じことが起こり、その現象にウェンリーを巻き込んで、一緒に過去の世界へ飛ばされたのだと言うことをだ。


 既にそれとなく気がついていたらしいウェンリーは、〝あ〜、やっぱそうなのか〟と一言口に出しただけで、時間と空間を飛び越えたことに対しては、難しいことは後で考えると言って、それ以上なにも聞いては来なかった。


「なんかさ、おまえがいつも俺に、どのくらい時間が経ったかって聞いてた気持ちがわかったわ。こんな経験ばっか繰り返してたら、そりゃあ時間の感覚が狂うよな。」

「ウェンリー…」


 ――ウェンリーは然もなんでもないようにそう言って、いつもと変わらずその濃い琥珀色の瞳を俺に向ける。

 そこには同情でも、奇異でも、畏怖でもなく、俺と同じ感覚を共有したことに喜んでさえいるような感情が見て取れた。


 普通なら恐れ慄くところだろうに、おまえは本当に…俺のどんなに異質ななにを知っても、変わらないんだな。だから俺は記憶がなくても自分を恐れることなく、おまえの傍にいられるんだ。


「んで、このままギルドに行くんだろ?」

「…ああ。」


 俺達は予め話し合っておいた通りに、ギルドへ向かって歩き出す。もちろん、過去を変えたことによる現在の変化を確かめるためだ。


 昨日へ飛ばされる前のギルドには、俺達がそこへ案内し、手を引いて連れて行ったユーナがいたはずだ。だがユーナと俺達が知り合ったのは、ユーナの兄であるスコットさんを探して、ユーナがギルドへ行こうと泣いていたからだ。

 その知り合うはずだった要因が消えたのなら、俺達は初めから知り合っていないんじゃないか、と言うのが先ず俺とウェンリーの一つの推測だった。


 俺は今まで、何度も過去(多分だが未来ではないと思う)に飛ばされたことがある。だがその殆どで人などに接触することはなく、戻る条件も特定の場所に辿り着くとか、なにかを見つけるとかいったものが殆どで、誰かを助けるなどの現在に大きな変化を齎す行為は、一度もしたことがなかった。


 それがなぜ今回はこんなことになったのか…その理由として挙げられることがあるとしたら、ただ一つ、俺のあの激痛を伴った身体の異変だけだ。

 だがあの胸の痛みが起きた原因は元より、それとあの時発動した『緊急保護システム』の関連がわからない。

 それになぜそのことが『時空術』や『時空転移魔法』の発動に繋がるのか、それはもっとわけがわからなかった。


 使用可能な魔法の一覧にある『時空転移魔法』の項目は、魔法名が一切表示されず、暗転していてもう使えなくなっているし、時空点のような場所でなければ俺の意思で自由に使うことは出来ないらしい。


 その時空点を含め、色々と疑問があって聞きたいことは数多くあるのに、頭の中でAthena(アテナ)に何度問いかけても、『回答不能』と表示されるだけで埒が明かず、結局その答えは出てこなかった。


≪回答不能って言うのは、知らないから答えられないのか、教えられないから答えられないのか、どっちなんだ。≫


『…………』


 返事をしなくなったな…聞いても無駄か。…はあ、やれやれだ。


 ――不満は募るが、自分に苛立っても仕方がない。今は諦めよう。


 俺とウェンリーは公園を出ると、その足でギルドに入った。入口を入ってすぐの階をぐるりと見回すも、ユーナの姿も、スコットさんの知り合いだと言った女性の姿も見当たらない。


「やっぱそうだよな、いるわけねえんだ。でないとおかしい――」


 その広々とした階の中央辺りに立って、ウェンリーが微苦笑しながらそう口にした直後だ。


「わっ!」


 ドンッ


「おわっ!?」


 誰かに後ろから押されて驚き、ウェンリーが体勢を崩して蹌踉めいた。


 すぐに振り返ったが、そこには誰の姿もない――と思いきや、足元にいたのはあの幼い少女ユーナだった。


「ユーナちゃん!?どうして――」


 困惑して俺とウェンリーは思わず顔を見合わせる。


「えへへ、あかいかみのおにいちゃん、み〜つけた!ゆーなをつれてきてくれてありがとう!!」

「え…――」


 …どういうことだ?


 〝まさか、過去は変わっていない…?〟


 一瞬そう思ったのだが、その答えはすぐに判明する。


「あっ!おにいちゃーん!!」

「こらユーナ、危ねえから走んな。…って…あ!あんたらは――」


 俺達の前からユーナが嬉しそうに、たたたっと誰かの元へ走って行く。そうして彼女が駆け寄り足に抱きついたのは、紛れもなく双剣使いのスコットさんだった。


「あ…スコットさんじゃん。(良かった、無事じゃんか。)」


 俺達はホッとして胸を撫で下ろした。


 彼は俺達に気づくと、ユーナの手を引いて破顔しながらこちらに歩いて来る。


「ルーファス、ウェンリー。王都に戻って来てたんだな、会えて嬉しいぜ。」

「あれえ?おにいちゃん、あかいかみのおにいちゃんのこと、しってるの?」


 ユーナがスコットさんを見上げながら、不思議そうに首を傾げる。それはそうだろう。ユーナにしてみれば、俺達と出会ったのはついさっきのことだ。


 ウェンリーは過去で根無し草(ダックウィード)と別れる時に、スコットさんに対してユーナのことを口に出してしまっていたから、俺は内心ヒヤリとする。

 現実世界で俺達がユーナと出会う前に、然もユーナを知っているように言ってしまったからだ。

 まあユーナがなにか言っても、誤魔化す方法はいくらでもあるとは思うが、余程鋭くない限りスコットさんの方も、多少不思議に思ったところであまり深く考えることはないだろう。…と思いたい。


「ああ、まあな。ユーナが迷子になってここへ連れてきてくれた兄ちゃんってのはあんたらのことだったのか。妹まで世話んなってすまねえな。ユーナ、兄ちゃんこの人達に助けて貰ったんだよ。だからユーナも良く礼を言ってくれな。」

「うん!ありがとう、おにいちゃんたち!!」


 …良かった、どうやら気づかれることもなく突っ込まれなくて済みそうだ。


 ユーナの心から嬉しそうな笑顔を見た俺は、少し焦りはしたものの、それだけで彼を助けられて良かったと思ってしまう。


 俺達の前で「おにいちゃんだっこー!」と甘えたユーナを、スコットさんは、いつまでも甘えん坊で仕方がねえな、と言いながら照れ臭そうに抱き上げる。

 その笑顔は、兄妹二人きりでも寄り添い合って生きる、幸せな一家族の姿に違いなかった。


 ユーナが天涯孤独にならなくて本当に良かった。


 二人を見ながらそう思うと、俺の胸に温かさが満ちて行くのを感じる。


「お?ルーファスとウェンリーじゃねえか。」

「ああ本当だ。良かった、戻って来てたんだね!」

「フォションさん、ヴァレッタさん。」


 上階からちょうど降りて来た、スコットさん以外のメンバーが集まり、これで全員が勢揃いした。これでもう間違いない、Aランク級パーティー『根無し草(ダックウィード)』が全滅した事実は消えた。俺は確かに過去を変えたのだ。


 それから俺達は根無し草(ダックウィード)と一緒に場所を公園に移し、しばしそこで話し込む。


 彼らは昨日、討伐の証拠部位を持って帰れなかった(そもそも暗黒種(ダークネス)は倒すとなにも残らないから採取は無理だ)ため、依頼達成とはならず、失敗した時の最低報酬は貰えたそうなのだが生活費には足りないので、これから今日の食い扶持分を稼ぎに魔物狩りに出るのだそうだ。


 因みに証拠部位がなくても、討伐対象が排除されたことは容易に信じて貰える。その確認には嘘を感知する魔法石が使用されるため、適当なことを言ってもすぐにばれるからだ。

 だったら成功報酬を全額出してくれても良さそうなものだが、証拠部位を提出し、それをギルドの方でも、職人協会や商業協会に卸して換金することで、運営資金や報酬金を捻出しているらしいので、規定で定められた通り最低報酬しか出せないのは仕方がないのだろう。


 その後夜に下町の酒場で飲まないかと誘われたが、ウェンリーの父親のところに来ていることを説明し、いつかまた機会があったら、と言うことにさせて貰った。


 そうして彼らと別れた後、俺とウェンリーは歩きながら考察する。過去を変えたのに、なぜユーナと知り合った事実が消えなかったのかについてだ。


 ――俺はこう推測する。


 俺達が過去に行った時点で、ユーナと知り合ったことは、変えようのない必然的な決定事項だった。そこが覆ると、過去に飛んだ事実そのものが消失してしまうため、俺達はここへ戻れなくなってしまう。

 その矛盾を解消するために、“ユーナが兄を探して泣いていた” という事実が、“ユーナが迷子になって泣いていた” という形に変化したのだと考えられた。


 そのことからすると、他に俺と大きく関わった存在として、守護者専用階の受付嬢が挙げられるが、依頼の話そのものはなくなって、それ以外では会話の内容が少し変わっているだけの可能性が高いだろう。


 そうなれば完全に消滅したのは〝根無し草が全滅した〟という事象だけになる。


 もちろん、生死に関しては他の問題が出てくる可能性もあるが、俺は左程心配は要らないと考えている。

 何故なら、もし未来が全て決まっているものだとしたら、恐らく俺が過去に飛んでなにをしても、必ず同じ結末に辿り着くはずだからだ。

 実際、俺の起こした行動で彼らを救うことが出来た。〝未来は決まったものではなく、変えることが可能なもの〟なのだと、俺はこのことがそれを証明しているような気がする。


 まあとにかく、今後も俺に『時空転移魔法』という特殊な力がある限り、同じような出来事が起こらないとは限らない。

 その時にどんな行動を取るのかは、結局のところ俺次第だが、過去を遡れば遡るほど、大きな注意が必要だと言うことだけは、精々肝に銘じておこうと思うのだった。


 正午が過ぎ、俺達はラーンさんとの待ち合わせ時刻が近付いて来たので、再び大通りへ向かうことにする。約束した待ち合わせ場所は、通りに面したテラス席のあるレストランだ。

 そのレストランのテラス席は、建物に沿って直角に設けてあり、そこで休憩や食事を取る人の姿が表からはよく見えるようになっていた。そのためかラーンさん曰く、待ち合わせなどに多く利用される人気の店なのだそうだ。


「あ、いたいた、親父〜!」


 ラーンさんの姿をすぐに見つけたウェンリーは、声をかけて手を振る。


「…って、あれ?」


 テラス席の端の方に座っていたラーンさんは、所々に置かれている観葉植物の影で見えなかったが、傍に誰かいて話をしている様子だった。

 そのまま近付いて行くと、傍らに軍服を着た二人の男性が見える。俺はその人達に見覚えがあった。


 あの人達は昨日の――


 そこにいたのは、軍施設のエントランスで印象に残っていた、『鬼神の双壁』と呼ばれていた近衛服の二人だったのだ。


「ああ、来たかウェンリー、ルーファス。ちょうど良かった。」


 ラーンさんは俺達を見るなり、おいでおいでと手招きをする。


「息子のウェンリーとその友人のルーファス君だ。私の休暇に合わせてヴァハから遊びに来ていてね、昨日から私のところに滞在している。」


 そう紹介されてウェンリーは「どうも、息子のウェンリーです。」とぺこりと会釈をし、俺はなにも言わずに軽く頭を下げるに留めた。


「こちらは近衛隊のイーヴ・ウェルゼン副指揮官殿と、同じくトゥレン・パスカム補佐官殿だ。二人は今、人を探していてね。おまえたちも話を聞いてくれないか?」

「人捜し?…なんかあったの?」

「いや、そういうわけではないのだが…」


 ラーンさんが言葉を濁すと副指揮官だという男性が話に入る。


「なにかの事件というわけではありません。こちらの事情で捜しているだけですので、そこはどうかお気になさらず。我々が捜しているのは、ライ・ラムサス将軍閣下です。民間では『黒髪の鬼神』という綽名の方が広まっているそうですが――」

「え…黒髪の鬼神!?」とウェンリーが驚いて声を上げた。

「閣下を御存知ですか?」


 隣に立っていた大柄の男性…近衛隊の補佐官が、黄緑色の瞳を向けてこちらを気遣うようににっこりと優しげな笑顔を見せた。

 その人柄が透けて見えるような、かなり好感度の高い笑顔だ。


「あ…とすいません、話の途中で。俺らその御方の顔を知らないんで…会ってもわからないと思いますよ。なあ?ルーファス。」


そう呼ばれるからには、おそらく俺の銀髪と同じようにエヴァンニュではあまり見ない黒い髪色をしているのだろうが、それだけで個人を特定するのは難しい。


 俺はウェンリーに話を振られて黙って頷いた。


「そうですか、ではこちらの写画をご覧下さい。この方がライ・ラムサス将軍閣下です。」


 副指揮官の男性は淡々と言って素早くその写画を俺達に見せる。


 冷ややかな紫紺の瞳でこちらを見て、不機嫌そうな顔をして写っていたその男性は、ウェンリーと同じ年だと聞いていた通りまだ若く、思っていたよりも幼い顔付きをしていた。


 右目を前髪で隠しているのか…傷でもあるのかな。左目しか見えないけれど、随分と冷たい目をしている。


 それが俺の写画から受けた第一印象だった。


「へえ…この人が黒髪の鬼神かあ、やっぱ若えな。」

「ああ。…で、おまえは見かけたか?」

「んにゃ、顔云々の前に、黒髪の人間すら見てねえと思う。」

「俺もだな。すみません、俺達は多分見かけていないと思います。」


 そう答えて顔を上げた瞬間、副指揮官の男性と目が合った。


 〝あ…あれ?〟


 ほんの一瞬、その目の光から受けた感覚にはなんとなくだが覚えがある。どこがどう、と言うわけではないが、なにか違和感を感じたのだ。


「わかりました、ご協力ありがとうございます。」


 それがなんなのかを確かめる前に、副指揮官はふいっとすぐに俺から目を逸らすと、軍服の物入れ(ポケット)に写画を仕舞いながら続ける。


「もし閣下を見かけましたら、近衛の誰かにご一報ください。」

「では失礼します。」


 補佐官の男性と二人並んでラーンさんに敬礼をすると、彼らは足早に去って行った。


「――親父、あの二人『鬼神の双壁』だろ?ライ・ラムサスって王宮近衛指揮官に昇進したのか?」

「あまり大きな声で言うな、一応まだそのことは未発表だ。」

「なに言ってんだよ、未発表でもあの二人が近衛の制服着てたらバレバレじゃん。元々アンドゥヴァリの所属だったんなら、今って休暇中じゃねえのかねぇ?きっちりと軍服着込んじまって、軍人さんは大変そうだな。」


 ウェンリーはさして興味がなさそうにそう言うと、椅子に腰を下ろして傍にあった料理表を開いた。


 俺達はそのままラーンさんと一緒に昼食を取り、今度は三人で軽く通りを歩いて見て回った後、商業市は三日間あるのだからまた明日にして、少し早めの時間にラーンさんの部屋へと戻ることにした。


 夕方近くになってラーンさんが用事で出かけると、今晩は軍施設内の食堂(と言っても結構ちゃんとしたレストランのようだ)で夕食を食べようという話になり、それまでの時間を俺達は部屋でゆっくり過ごすことにする。

 ラーンさんは暫く戻らず、部屋にいるのは俺とウェンリーの二人だけだ。そうなれば当然、今がその時と約束を果たすべく、もう遠慮はしないとばかりにウェンリーは俺に詰め寄った。


「さーてと、そんじゃあ一切合切洗いざらい、吐きまくって貰おうかねえ、ルーファス君。」


 絨毯が敷かれた室内の床に胡座をかいて座った俺の前に、ウェンリーは踏ん反り返って仁王立ちすると、ふふふふ…と不気味な笑いを浮かべて俺を見下ろした。


「…いや、そんなに偉そうにしなくたって、ちゃんと話すから。」

「ほんとかよ。」


 俺だって上手く説明できるのなら、疾っくに話していたと思う。…多分。


「あのな、これでも俺、結構我慢して待ってた方だと思うぜ?おまえが考え込んでばかりだったから、話しにくいこともあるんだろうなって思ってさ。」


 ウェンリーはぼやきながら俺の前にドカッと腰を下ろし、胡座をかいてさらに続ける。


「けどこんだけ一気におまえに変化があるとさ、後でまとめて話されても頭が追いつかねえんだよ。俺は馬鹿だしな。」


 馬鹿だって?なにを言っているんだか…そんなことはないだろう。おまえは人の話を良く聞いていて、偏見や固定概念に囚われず、広く柔軟に受け止めて考えるから、事前知識がなくても要点を理解するのは他人より早い。

 無意識に勘を働かせてその言葉の裏にある意図まで暴くし、俺がなにか隠そうとしてもすぐ簡単に見抜くくせに…本当にそう思っているのだとしたら、自分を知らな過ぎる。


 〝――で?〟とウェンリーは早速俺の話を聞く体勢に入った。


「うーん、なにから話せばいいかな…どれから聞きたい?」


 その切っ掛けを作るために、先ずは聞いてみる。端から話すのは要領を得ない。俺自身が理解できていないことを今ここで話しても、ウェンリーにだってわからないだろう。

 それを掻い摘まんで説明するためには、ウェンリーが知りたいことから話すのが一番いいと思った。


 ウェンリーは少し考えた後、昨日俺と離れていた中継施設でのことから聞きたいと言って来た。


 やっぱりそこからだよな。サイードのことも…俺の中ではまだ整理出来ていない部分はあるけど、隠してはおけないか。


 俺は昨日あったサイードとの出来事を、事細かく全て話すことにした。


 サイードが記憶を失う前の知り合いらしいことは一先ず置いておいて、突然魔法を教えると言い出したことから、俺の額に触れて魔力回路を正常に戻したと言っていたこと。そのおかげで俺は体内を巡る魔力を感じられるようになり、教えて貰った治癒魔法や防御魔法が使えるようになったことなどだ。


「――つまり、おまえは()()魔法が使える人間だったってことか?」

「ああ、そうだろうな。」


 それはもう自己管理システムを見た時点で確定している。俺が初めから使用可能な魔法は、サイードに教えて貰ったものだけではなかったからだ。


「サイードが教えてくれたのは、治癒魔法と防御魔法だけだって言ったよな。でもおまえは他にもなんか色々やってるよな?」

「え…?」


 ウェンリーはずいっと顔を近付け、俺を指差して覗き込む。


「おまえさ、まさかマジで俺が気が付いてなかったと思ってんの?んなわけねえよな?今までと行動が違いすぎて、違和感ありまくりなんだよ。」

「いや、さすがにそこまでおまえを侮ってはいないけど…」

「へえ?――まあ隠すつもりがなかったってんなら、それはそれで構わねえけどさ。」

「…そんなに俺の行動は違ったか?」


 俺としては至って自然に振る舞い、上手く隠していたつもりでいたんだけど…違和感ありまくり?…そんなに?


 ――まずい、冷や汗が出て来た。


 俺は額と背中にだらだらと冷や汗を掻きながら、ジト目で尚も俺を追求するウェンリーから視線を逸らした。


「まあな。まず第一になにか行動するのにも、俺の意見を聞かなくなった。まるで最初から最善の答えがわかってるみたいにな。今日の飛ばされた先での行動だってそうだろ?悲鳴の相手が誰か、なにが起きてんのかもわからねえ俺に対して、おまえは助けるのが然も当然のように決断して突っ込んで行っちまうし。」

「あ…」

「ここでの行動だって同じだっつーの。王都には数えるほどしか来てねえはずなのに、初めて通る道も詳しく知ってるみたいに、迷いもせずスタスタ歩くよな?」


 …そうか、なにかあるとすぐにAthena(アテナ)が状況を知らせて、答えをくれるから…今までの俺なら、悲鳴が聞こえたとしてもすぐには動けず、一旦そこで事態と状況を把握する時間が必要だった。

 王都の道に関しても、頭の中に簡易地図が表示されていて、行きたい場所を思い浮かべるだけで道順と目的地がすぐにわかるし、それを当たり前だと思って動いていた。


 間抜けすぎるだろ、俺は阿呆か…!!


「極めつけがさ、あんなに汚れてた昨日の服が、洗濯もしてねえのになんでおまえだけ綺麗になってんだよ。おかしいだろ?」


 ――うっ…そっちもばれてたのか。昨夜の服はすぐに風呂場で着替えたから、わからないと思ったのに…!


 ウェンリーにしてみれば突っ込みどころ満載だった俺は、自分の呆れた間抜けさに、大きく長い溜息を吐いてから下を向いて項垂れると、確かにウェンリーはかなり我慢強く、俺が話す気になるまで待ってくれていたのだと身に染みて感じた。


「あー…ええと…うん、それなんだけど…――」


 さすがに気まずくなった俺は、鼻先を人差し指で引っ掻きながら、さらに説明する。今度は()()についてだ。


「――『自己管理システム』?…なんだそりゃ。」

「自分の魔力を使って常に発動し、自分自身に関わる身体的な補助から日常生活で得た全ての情報まで、完全に管理してくれる超高位魔法、なんだそうだ。」

「なんだそうだ、って…誰に聞いたんだよ。」

「…Athena(アテナ)だ。俺にわからないことがあると、頭の中で教えてくれるんだよ。俺の自己管理システムの補助役みたいなものだな。」


 俺の説明に苦虫を噛みつぶしたような顔で、〝益々わからねえ!!〟とウェンリーは頭を抱えた。


 そこで俺は、自分の頭に現れる簡易地図や駆動機器の画面のようなものを、紙に図で描いて具体的に見せることにした。


「…はあ?…魔法ってこんなことが出来んのか?自分の身体能力を数値化って…てか、こんなもん要るのかよ?」

「要るかどうかは別にして、かなり便利だと感じるのは確かだ。例えば俺の場合、この自己管理システムの中にある一覧を見る限り、どうも過去に得た魔法やスキルが軽く二千以上もあるんだよな。(しかも現在もなにかあると増えている)」

「に…二千!?」


 ウェンリーが素っ頓狂な声を上げて驚いた。…まあその気持ちはわかる。通常普通の人間が得る技能は、どんなに鍛練を積んだハンターでも多くて五十が限界だ。

 それには並外れた努力と経験が必要だし、普通に生きているだけではまず得られない。

 それだけでも俺が生きている年数を暗に物語っているような気がする。


「俺も最初はその数に驚いたけど、これまで生きて来た年数が正しければ、それも不思議じゃないかなとも思ったんだ。なんせわかっているだけで一千年以上、だからな。」

「あ…」


 ウェンリーもなるほど、と納得した顔をした。


「ただ今は、どういうわけかその中の八割ぐらいが使えなくなっている。よくわからないが、封印されているみたいなんだ。」


 今ざっと自己管理システムのスキル、魔法一覧を見ても、その殆どが暗転していて使うことが出来ない。

 使用可能な魔法は下位級のものが多く、その威力、効果共にやや低めだ。ただそれを頻繁に使い込むことでも、封印が解除されて使えるようになるみたいだし、時空転移魔法みたいに、状況によってその時使えても、すぐに使えなくなるものもあるらしい。それらを全て把握するのは物凄く頭痛がするほど大変だ。


 俺の口から出た封印と言う言葉を聞いて、一瞬でウェンリーが顔を曇らせる。


「その理由はわかんねえのかよ?アテナってのに聞いてさ。」

「わからないみたいだな。…と言うか、色々と突っ込んで聞いてみても、『回答不能』って答えしか返ってこないんだ。質問の答えを知らないのか、知っていて答えられないのかどっちなのか尋ねてみたけど、それすら答えてくれない。だから今はこれ以上聞くのを諦めた。自分に腹を立ててもどうにもならないからな。…まあこれについて纏めると、要するに――」


 俺がなにかしようとして、先ずはどう動くか行動を考える。その行動を自分が出来るか出来ないか考慮した上で、最初からこうすればいいですよと、誰かが教えてくれたらこんな便利なことはないだろう。

 それにいつ、どこでなにがあったとか、全てを覚えていられる人間など、特殊能力でもない限りまずいない。

 だから大抵の人は、得た情報や経験したことを忘れないように帳面に書き残したり、魔法石に記録して大事なことは残すようにしたりする。

 それと同じことをこの自己管理システムはしてくれて、必要な時に必要な情報を瞬時に抜き出して教えてくれるのだ。


「魔法の呪文だってこれだけの数があったら、頻繁に使うもの以外はとても全部は覚えていられない。スキルだって同じだ。それが使いたい時に頭に浮かんでくれるんだから、便利だろう?」


 俺が説明して少し便利さがわかったのか、ウェンリーは両腕を胸の前で組んで目を閉じた。


「うーん…それだけ聞くと、なんだか俺もそれが欲しくなってきた。得た情報や経験を記録して管理し、必要な時に抜き出す、か…俺お袋に怒られた時、なんて言い訳するかいっつも考えるのに苦労するんだよな。」

「………。」


 その空気を読まない台詞に、思わず冷たい視線を向ける。


「…って冗談だよ!んな目で見んな!!」

「――まあとにかくそれで、俺はこのシステムを使って自分の行動を判断して動いていたし、王都の簡易地図が頭に出ていたから道にも迷わず、Athena(アテナ)に自動で洗濯できる魔法があったらいいのにな〜と尋ねたら、そんな技能(スキル)と組み合わせた魔法を持っていることを教えてくれた。だからそれを使って服も洗濯せずに綺麗にした、と言うことだ。…これで全部だよ。」


 俺がそう締めくくると、ウェンリーはボソリと〝これで全部、ねえ…どうだか。〟と呟いた。


 いや、本当に全部だぞ?もう隠していることはない…はず。…ない、よな?


「――良くわかった。まだ聞き足りねえこともあるけど、いっぺんに聞いても俺の頭が破裂しちまうから、今日はこんぐらいで納得しておく。けどな、ルーファス。おまえあんまその自己管理システムって奴と、アテナってのに頼り過ぎんな。じゃねえとおまえがなにを考えて動いてんのか、俺がわからなくなる。」

「ウェンリー。」


 ほんの一瞬、本当にほんの少しの間だけ、ウェンリーが酷く不安げな表情をした。


 俺にまだ聞き足りないことがあると言った中に、おまえにそんな表情をさせた問いがあったのか、この時点で俺はそのことを聞くべきだったんだろうか。


 俺が知る限り、ウェンリーは俺に対してまず隠し事をしたがらない。ウジウジ悩むことを嫌い、こうと決めたら頑として譲らないウェンリーは、俺になんでも話せと言う代わりに、俺が聞く前に自分から悩んでいることを打ち明けてくるのが普通だった。


 だからなにか気にかかるような心配事があっても、それが俺に関することなら、すぐになにか言ってくるだろうと思っていた。


 だがそれは、俺の身にこの急激な変化が起きる前までの話だったのだ。




                ♦ ♦


 ――閉め切られたカーテンの隙間から、僅かに光が差し込む。だがその光は薄暗く、窓のすぐ外が隣接する建物の壁で日陰になっているのだと推測できる。


 天井から下げられた明光石(ライトストーン)の灯りが消えると、この部屋はこんなにも暗いのか。


 このままここで微睡んでいると、なにもかもを忘れて、居心地の良さに気の済むまで寝入ってしまいそうだった。


 …今、何時だ?


 顔を上げて時計を探す。さっき鳴いた鳩時計を見ると、もう夕方に差し掛かっている。

 俺が城を出て、七時間が経とうとしていた。さすがにあの二人が騒ぎ出す頃かもしれないな。


 左腕に僅かな重みを感じながら、指先に絡む薄茶色の長い髪を少しの間弄ぶ。腕の中の微かな吐息が肌を擽り、直に触れるその温もりに、離れ難いと思いながらも俺は仕方なくそこから出て身体を起こした。


 足元に脱ぎ捨てた衣服を拾い、手早く身に纏い直す。シャツの釦を留めていると、すぐ後ろでその裾をくいくい、と二度引っ張られた。


「…帰るの?」


 上掛けの寝具から顔を出し、乱れた髪を口元に絡ませながら、その薄いアクアマリンのような青い瞳が俺を見つめる。

 さっきまで散々その甘い吐息に酔いしれ、極間近で覗き込んでいたのだが、本当に吸い込まれそうに透き通った、宝石の様に美しい瞳だと改めて思う。

 彼女のその瞳はある種の熱を含んで未だに潤んでおり、ずっと眺めていても飽きることがない。


「…ああ。なにも言わずに出て来たからな、必要以上に騒がれると後が面倒だ。」


 リーマは傍らのシャツを取り、それを羽織りながら上体を起こした。


「私の…夢の時間は終わりね。我が儘を聞き入れてくれてありがとう。」


 彼女は俺に礼を言うが、なぜか俺から視線を逸らすと、そのまま俯いてこちらを見ようとしなくなった。

 俺はもう一度彼女の顔をよく見ようとして右手を伸ばしかけたが、続く言葉に途中で止める。


「あなたはまた、遠い戦地に行ってしまう。私のことはこれきり忘れてしまってもいいの。でも…お願い、死なないで。どんなことがあっても、生きていて。私はここからあなたの無事を祈っているから。」


 乱れた髪がさらに俯いた彼女の顔を覆い隠す。だがそこからぽたぽたと涙の雫が零れて行き、寝具の白布を濡らした。


 ――そういうことか。彼女は俺がまた休暇明けにはミレトスラハへ戻ると思っているのだ。確かに戦地に赴けば無事に生きて帰れる保証はない。だからこそ永遠に会えなくなる可能性を恐れて、こんな行動に出たのだろう。

 俺を好きだと言いながら、一度だけ、とはどういうことかと思ったが、その言葉の意味にもやっと納得した。


 当然のことだが、彼女は俺が王宮勤めになることをまだ知らないのだ。


「…無事を祈ってくれるのは嬉しいが、休暇が終わっても、もう俺がミレトスラハに戻ることはない。」

「えっ…?」


 リーマがぱっと目を見開き、顔を上げて俺を見た。


「アンドゥヴァリの指揮官は変更になった。未発表だが、俺は近衛の指揮官に任命されることになる。つまり今後は、王宮勤めだということだ。」


 俺のその言葉を聞くなり、リーマは心の底から安堵して涙ぐみ、合わせた両手で口元を覆うとまた輝くように微笑んだ。


「良かった…!もう戦地には行かないのね。あなたはいなくならない――」


 向けられたその笑顔に、俺は無意識に手を伸ばして彼女を抱きしめた。


 胸の中に俺が感じたことのない温かさが広がる。鼓動が少し早まり、彼女が心から俺を思ってくれているのだと、そう理解しただけで嬉しくなった。


「ラムサス、さん…」


 彼女は俺の胸に顔を埋めてそっと背中に手を回す。掴んだ衣服にきゅっと力が籠められるのを感じた。


「〝ライ〟でいい。俺もリーマと呼ばせて貰うが、構わないか?」

「もちろん…!」


 リーマはそう答えて嬉しそうに頷いた。


 ――まさか自分にこんな感情があるとは、想像もしていなかった。乾ききった土に一滴の水が一瞬で吸い込まれるように、リーマから告げられた思いは、すんなりと俺の心の中に入り込んできた。


 家族以外の誰かに身を案じて貰えることが、義務でも義理でもなく、こんな風にただ自分のことを心から思って貰えることが、こんなにも嬉しいことだと初めて知った。


 マイオス爺さんを喪って…もう本当に俺には誰もいないのだとそう思ったが、今日知り合ったばかりでも彼女が俺を思ってくれている。それだけでまた、前に進めそうな気がした。


 ただ…――


 俺は彼女から離れ、身なりを整えると帰り支度を済ませて立ち上がった。その俺を追うように、リーマが急いでシャツの上からローブを身につける。

 入口の前に立ち扉に手を伸ばすと、リーマが後ろから俺に抱き付いて来た。


「――リーマ。」

「ごめんなさい、帰る前に一つだけ…聞いてもいい?」

「…なんだ?」

「…また、会える?」

「――ああ。」


 俺は振り返り、リーマのその宝石の様な薄青い瞳を見つめてこくりと頷いた。



 ――リーマの部屋を出て階段を降り、外套のフードを目深に被ってから、人目につかないように急いでその場を離れる。

 足早に通りを城に向かって進むと、背後から下町にある教会の鐘が四つ、カーン、カーン、と鳴り響いた。


 十六時を知らせる鐘の音だ。…いくらなんでも遅くなりすぎた。警備兵に王都から出るつもりはないと言ったが、それが伝わっていたとしても、これだけ俺との連絡が途絶えればあの二人が動かないはずがない。


 面倒な騒ぎになっていなければいいが――


 そう思いながら尚も先を急ぐ。裏通りから城門前広場が遠くに見える辺りに差し掛かると、前庭の正面から少し右側に、見慣れない衣服の集団が見えた。


 まずい!!あの制服は、イーヴとトゥレンの――!!


「ちっ、あいつら…っ」


 俺は仕方なく息を切らせて走る速度を上げる。戦場以外で命も懸かっていないのに、ここまで必死になることはないほどに急いだ。


 “あれ”を城下に放たれた後では、簡単な言い訳では通用しないと知っている。下手をすれば以前黙って城を抜け出していた時のように、当分の間軟禁状態にされ、二十四時間監視付きでしか自室でも過ごせなくなる。それだけは御免だ…!!



 王城正門前では、イーヴとトゥレンが険しい顔で兵の準備を整えていた。


「――まさか帰国からこんなに早く私兵を動かすことになるとは…」


 トゥレンは沈鬱な表情で腕を組み、右手を口元に当てている。


 王国軍の中でも入軍直後から上位士官を務めてきたこの二人は、表向き通常と変わらない勤務をしているが、その裏でライ付きの護衛として様々な特権が与えられている。


 その一つが緊急時に絶対権限で動かせるこの『私兵』だった。


 二人の私兵は、それぞれ各六名ずつの計十二名による精鋭部隊で構成されており、彼らは普段、隠密行動が主で二人の手が回らない〝裏方〟の職務を熟すために私服で動いている。

 だが今日のように公に捜索などを行う場合に限り、イーヴが浅葱、トゥレンが萌黄の各色使いの制服を着て二人の指示に従う。

 また私兵の兵士は基本的に外見を変化させる魔法石を使用していて、その素顔はそれぞれイーヴとトゥレンだけしか知らず、各々の命令しか聞かないように訓練されており、ライの命令には従わない。


 だがそんな特権があると言っても、この二人の場合、ライの側近であるが故の大きな不利益があった。公に私兵を動かすと、一定期間、国王による制約が課せられるのだ。

 その内容は状況により様々だったが、今回はライの捜索に動かそうとしているため、その結果如何では、イーヴとトゥレンは減俸と謹慎処分、ライは最低でも一週間は自室で監視付きの軟禁処分になる可能性があった。


 それだけにイーヴとトゥレンは、出来る限り自分達の手でライを捜し出したかったのだが、五時間かけて城下を捜しても手がかり一つ掴めず、とうとう私兵を動かす決断を下したところだった。


「…時間だ、手は尽くした。諦めろ、トゥレン。」


 イーヴが隊列の前に立ち、捜索開始の指示を出そうと右手を動かした、正にその時――


「待て!!」


 息を切らせたライが、自分とわかるようにフードを脱いで顔を出し、声を上げて正門から飛び込んで来た。既のところでどうにか間に合ったのだ。


「ライさ…ラムサス閣下!!」


 トゥレンがホッとしたように、ぱっと明るい顔を見せてライを迎える。


 その姿を確認したイーヴは、すぐに命令を撤回してその場に私兵を待機させた。


「はあ、はあ…貴様ら…これはなんの騒ぎだ…!!」


 二人の元に辿り着くなり、ライは苦しそうに肩で息をしながらその言葉を吐き出す。


「まさかとは思うが、見慣れぬ私兵などを使って、今から俺を捜しに出ようとしていた…などと言うのではないだろうな…!!」

「――その〝まさか〟です。」


 流れる汗を手で拭うライを無表情で見ながら、イーヴは平然と答える。ライはイーヴのその態度にカッとなって声を荒げた。


「ふざけるな!!一人で外にも出られぬ子供ではあるまいし、休暇中にたかが数時間城下をぶらついたぐらいで行方不明者扱いか!?目障りだ、今すぐ私兵を解散させろ!!」


 ライの言葉に従い、イーヴとトゥレンは直ちに私兵に解散を命じた。


 それを確認すると、ライは憤懣遣る方ない顔で舌打ちをして、二人を腹立たしげに一度睨んでから、後は無視して踵を返し、そのまま城の警備用通路へと歩き出した。


≪ この二人がいる限り、今後も俺は自由に外へ出ることすら叶わないのか!?…忌々しい…!≫


 そのライの後を慌てて追うトゥレンと、さらにイーヴが足早に続く。


「お…お待ちください!このような時間まで、お一人でいったいどちらに――」


 トゥレンはライを捜してイーヴと二人、散々城下を歩き回った。人混みだけでなく、公園やギルド、人気のない工場地区や公共施設が多い商業地区に至るまで、ライが立ち寄りそうな場所を片っ端から手分けしてだ。

 それなのに見かけたという情報さえ得られず、遂に見つけられず仕舞いに終わり、このままでは護衛をも担う側付(そばづ)きとして納得がいかなかった。


「うるさい!俺がどこへ行こうと俺の勝手だ。言ったはずだ、これからは好きなようにさせて貰うと。」


 王宮に入り、紅翼の宮殿に向かって人の少ない通路を、ツカツカと歩いて行くライに、今度はイーヴが食い下がる。


「では我々は、その〝好きなように〟との御言葉を、どの程度と捉えればよろしいのですか!?お答えください、ライ様!」


 珍しく大きな声を出したイーヴに、ライはピタリと歩みを止める。


「――四年前、ファーディアで交わされた国王陛下との交換条件は、マイオス老人が亡くなられた時点で効力を失いました。言うなれば今現在の貴方様は、()()()自由の身です。」


 イーヴは振り返らないライの後ろ姿を、冷静な目で見てさらに続けた。


「そのような状況でなにも仰らず、長時間行方を晦まされれば、我々が私兵を使ってでも捜索に出るのは必然のこと。今後も同じことを繰り返されるおつもりですか…!」


 ライはゆっくり左側から振り返り、憎々しげにイーヴをギロリと睨みつける。その全身からは、午前中にラカルティナン細工と偽って、細工品を売ろうとしたあの露天商に対して向けたものよりも、遙かに激しい怒りの闘気を立ち昇らせていた。


「――だからなんだ、イーヴ。俺がどうのという以前に、それが貴様ら監視役に与えられた役目なのだろうが。貴様らに俺の言葉や意思がなにか関係あるのか?心配なのは俺に逃げられることだけだろうが。俺が好きに出て歩き回るのがそんなにも嫌なら、いっそのこと首に縄でも付けてどこかに監禁すればいい。力尽くでそれが出来るものならな。」


 ライの左側しか見えないその紫紺の瞳には、イーヴとトゥレンに対する不信と敵意しか浮かんでいなかった。

 それは戦地で自分の部下達を傷付ける、ゲラルドの敵兵に向けられたものと同じ色を含んだ、『鬼神』と称される憎悪の目だった。


 イーヴはその瞳を見て、諦めたように短く溜息を吐いた。


≪やはり近衛の件でさらに悪化したな。まともな信頼を得てもいない上に、最早完全に敵と見做されている。…この方には今なにを言っても無駄か。≫


 ライが口にする通り、ライをこの国から出すわけにはいかないと、イーヴは唇をきゅっと強く結んだ。


≪ 仕方がない、これ以上は――≫


「――わかりました、では御言葉に甘えてそのように手配させていただきましょう。いくら貴方様と言えど、私とトゥレン、そして我々の私兵全員を相手にお一人では、抵抗なされてもさすがに逃れる術はないとお思いください。」

「貴様…」

「イーヴ!!」


 ライの怒りが頂点に達する前に、意外にもすぐさま反応したのは、トゥレンの方だった。


「いい加減にしろ!!いくらライ様の真意を測りかねるからと言って、おまえのやり方では益々この方のお心が我々から離れて行ってしまう!!」


 イーヴとライの間に立ち、イーヴを諫めるように言うと、トゥレンはくるりとライに向き直り、真剣な表情で訴える。


「ライ様、我々を監視役と仰るその御言葉を、俺に否定することはできません。ですがこれだけは信じて頂きたいのです。我々は国王陛下のご命令だけでこれまで貴方様に付き従って来たわけではありません。」


 トゥレンはなんとかライに自分の胸の内を伝えたいと、誠意を込めて話していた。


 自分が生涯お仕えするに相応しいのはこの方だ。俺が忠誠を捧げるのはライ様しかおられない。今はまだご自身の境遇から荒れておられるが、誠心誠意お仕えし、いつか必ず、その信頼を勝ち取ってみせる。


 トゥレンがライに対してそう思うようになったのは、もう四年も前の出会った初めの頃であったのだが、その思いは未だライには届かず、反対に激しく拒絶されることの方が多かった。

 それでもトゥレンは、ライが表には出さないその人柄を、今まで傍で見てきて知っていた。

 それだけにこの国を好きになって欲しい。いつか国王陛下の後を継ぎ、この国の頂点に立って欲しいと、誰よりも望んでいたのもトゥレンだった。


「そして俺もイーヴも、この国に留まる理由のなくなったライ様が、いつエヴァンニュを出られても不思議はないのではないかと、懸念を抱いております。言い訳にしか過ぎませんが、だからこそ先程のように私兵を使わざるを得ない事態に――」

「そんな言葉に俺が耳を貸すと思うのか?真意がどうとか、心が離れるだとか、あの男の飼い犬のくせに、なにを考えている。おまえ達は自分の保身のために、ただ俺をこの地に縛り付けておきたいだけじゃないか…!!」


 その言葉とは裏腹に、ライはトゥレンの真っ直ぐ自分に対して向けられた瞳を見て戸惑い、心を掻き乱されて苛立っていた。

 なにか自分が間違ったことをしていて、それを責められているような気分になっていたからだ。


「御言葉ですがライ様、我々が保身に走るほどの理由があるとするのなら、そのなにを御存知なのか、お聞かせください。」


 トゥレンはその人好きのする優しげな顔と声で、我が儘を言って駄々を捏ねる子供に接するように、ふっ、と微苦笑しながらライに問いかけた。


「…なに…?」


 ライは初めて考える。普段あまり大声を出すことのないイーヴが、ここで自分に食い下がって来た意味。普段はイーヴに自分への対応は任せ、一歩控えて見ていることの方が多いトゥレンが、真剣な顔をして自分に向き合おうとしている意味。

 そして今までは見ようとして来なかった、この二人にはそれらしいものが思い当たらない事実。

 ライが〝あの男〟と軽蔑する国王は、損得尽くで付き従う人間を、王宮に出入り自由な側付きに重用しない。王族直属の配下に必要以上の金と権力を与えると、それに執着する者は固執して画策するようになるからだ。


 イーヴとトゥレンはそれなりの権限が与えられているとしても、自由気ままにそれを行使して動けるわけではなかった。

 護衛でもあるが故に有無を言わさずライと共に戦場へ送られ、ライはそれを突っ撥ねていたが、常にライの盾となるべく行動するのが当たり前だった。

 なにかあれば二十四時間いつでも動かなければならず、今日のように貴重な休暇中であってもライのために丸潰れとなる。


 以前偶々そういう機会があって、ライは二人の給料がどの程度優遇されているのか調べたことがあったのだが、特別に報酬を貰っている様子もなかった。

 おまけに実家は両方とも名家で、王家の援助など必要ともしていないのだ。


「――……」


 ライがトゥレンから視線を逸らして、黙り込んだ。それはこの二人が滅多に見ない、ライの珍しい姿だった。

 見ればその闘気も完全に消え失せ、瞳に落ち着きを取り戻している。


 ライに自分の言葉が届いたことに気づいたトゥレンは、ここぞとばかりに畳みかけた。


「これまで戦地においてもお側にいながら、未だ信頼を得られぬのは我々の力不足なのでしょう。今ここでそれを言っても始まりません。ですから我々の懸念を払拭するために、一つだけライ様のご本心をお聞かせください。ライ様のお心に、このエヴァンニュを〝自国〟と思うお気持ちが少しでもおありですか…?」


 ――『自国』…


 そう聞いてなるほど、とライは思う。ここから逃げ出す気があるか、と問われて馬鹿正直に答える者などいない。


≪俺がエヴァンニュを自国と思っているのなら、国を捨てて逃げ出すことはないだろうと、その答えを聞いて判断したいのか。…だがここは、母親がミレトスラハで出産した俺の生まれた国ですらない。自国と全く思わないわけでもないが…≫


 イーヴとトゥレンは固唾を呑んで、ただじっとライの答えを待っている。


「…俺の本当の故郷はファーディアではなく、亡国ラ・カーナだった。」

「…!?」


 その一言でイーヴとトゥレンは驚愕した。それはライ本人以外、誰も知らない事実だったからだ。


「ラ・カーナを滅ぼしたエヴァンニュとゲラルドを…俺は憎んでいる。その憎しみは、どれだけ時が経とうとも変わることはないだろう。だが…」


 そこで一度言葉を切り、ライは今日出会ったばかりのリーマの笑顔を思い浮かべた。


「…俺にはもう帰りたいと思う故郷(くに)も、会いたいと思う友人も…既にこの世にはない。どこででも生きて行けるが、今俺が身を置けるのはこの国だけだ。…これで答えになるか?」


 それはライがこの四年間で、初めて自分から二人に身の上を話した瞬間だった。


「ライ様――」


 トゥレンはライにかける言葉が見つからず、なにも出て来なかった。


 ライはそのまま踵を返し、振り返ることなく紅翼の宮殿へと去って行った。その場に残された二人は、ライの後ろ姿を黙って見送る。


「――今はあの御言葉が聞けただけで十分だ。」


 イーヴはトゥレンを労うように、その肩をポン、と叩くのだった。




 ――その夜…


 軍施設内部の研究棟や監視塔では、研究者らしき白衣を着た人間や、夜勤の見回りの兵士に警備兵が深夜にも関わらず各々の職務を全うしていた。

 この軍施設は、高さの異なる二つの建物が並んで建ち、外観からは一体となって一つの建造物に見える構造をしている。

 その片方は研究棟、もう片方は居住棟と呼ばれ、最下層の地下は戦艦の整備場や軍用車両の車庫などに続いており、王国軍人の住居は元よりそれらに関わる様々な施設が集まっていた。


 ここの研究棟では、主に魔法国カルバラーサから輸入されている各属性の魔法石を、様々な用途に利用する方法を研究している。

 その研究結果から作られた魔導回路(魔法の方向性を誘導するための基板のこと)は、国民の生活の中にも幅広く転用されており、各家庭にある調理用焜炉や冷蔵庫の駆動源となる、魔法石の魔力変換用心臓部などに使用されている。


 エヴァンニュ王国ではそういったものの研究を含め、様々な極秘技術の開発などをこの研究棟で行っているのだが、それ以外にも実は重要なものがここにはあった。それは、建国当時からの膨大な情報を記録した、管理用の端末駆動機器である。


 普段から厳重に警備され、そこに入る人間も限られるそれが設置された部屋は、研究棟の最上階にあり、情報を閲覧するにはその重要度によって最高権力者…つまりは国王陛下の許可が必要だ。

 当然入室にも厳しい審査があり、たとえ高位軍人であっても、許可がなければ空を飛んで来ない限り、容易に近寄ることすら出来ない場所だった。


 だが――


 夜空に浮かぶ月が流れゆく雲に隠れて、闇が深まったその時…研究棟最上階の屋根にある、突き出した旗柱(きちゅう)上に黒く渦を巻く塊が現れた。


 そこからぬうっと出現し、スタン、と軽快な音を立て、その細い足場に着地する黒い影。

 その影が、闇の中に金色の猫のような目を光らせて人語を話す。


「――へえ…ここがエヴァンニュ王国か。なるほど、確かに護印柱の効力は弱まっているみたいだね。おかげで僕が千年振りにこの地へ侵入可能になったワケだ。」


 その影がクスリと笑ってその口元を歪ませた。


 胸元に下げられた闇色の石が、薄闇の中でも蠢いて見える黒き靄を纏い、鈍色に禍々しい光を放っている。


『中の様子はどうだ?シェイディ。我は入れそうか?』


 ブウン、と微かな音を立て、その石から低い男の声が響く。


「うーん、それはやめた方が良さそうだよ、ザイン。マスタリオンの守護壁はまだ生きてる。半分〝人〟の僕だからどうにか無事でいられるんだ。」


 雲を抜けた月が再び辺りを照らして行く。


 月明かりに浮かび上がる『シェイディ』と呼ばれたその影の主は、まだ十四、五才くらいに見える、小柄な少年だった。

 オレンジ色の髪が途中から白く変色し、外に向かってピンピンと撥ねたくせっ毛の、まだあどけなさの残る少年は、一瞬ギラリと飢えた獣のような瞳をして眼下の街を見下ろした。


「まあ貴方はそこで大人しくしててよ。封印された守護神剣(ガーディアンソード)の在処は、ちょいちょいっと僕が調べてくるからさ。」


 少年はふふふっと楽しそうに邪悪な笑みを浮かべる。


『――では任せたぞ。』

「りょーかいっ!!」


 胸元の石から光が消える。


「――さあてと、この国にとって千年振りの『血の祝宴』と参りますか。」


 そう呟いた少年は、一瞬でその場所から姿を消していなくなった。

 

差し替え投稿中です。※2023/03/13現在。

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