197 暴君シャール
イーヴから手紙を受け取ったという伝言をヨシュアに残し、そのまま行方のわからなくなっていたトゥレンは、何者かによって罠に嵌められ、アラガト荒野にあるシャトル・バスの旧中継施設に監禁されていました。それが突然解放されたようで、一刻も早く王都へ帰ろうと出口へ向かう途中に、人の気配と走ってくる足音が聞こえ、不意打ちを仕掛けようと考えました。ですがその攻撃は難なく受け止められてしまい…?
【 第百九十七話 暴君シャール 】
「トゥ…トゥレン!?」
「イーヴ…!」
四日もの監禁の末、ようやく解放されたらしき俺…トゥレン・パスカムは、薄暗い廊下の曲がり角で走ってくる足音に気づき、てっきり敵だと思い躊躇いもせず剣を振り下ろした。
だが相手は不意打ちを察知していたのか、俺の剣を難なく受け止めて見せる。そうしてその顔をよくよく見てみれば――
――ずっと行方がわからなくなっていたイーヴだった。
「どうしてここに…!?」
「それは俺の台詞だ…!!」
こんなところでまさかイーヴに会うとは思いもよらず、顔だけでなくその全身をまじまじと見る。
ずっと着たっきりのような皺だらけで薄汚れた近衛服に、普段あれほど身だしなみには口煩いのに、顎には剃り残しの髭が目立っている。
心なしか窶れて頬が少し痩けており、今の俺と同じようなイーヴのこの姿は、まるで――
「まさかおまえも…?このシャトル・バスの中継施設に、おまえもずっと監禁されていたのか…!?」
「おまえも、と言うことは…貴殿もか。」
俺達は互いに顔を見合わせ、安堵と落胆の混じった大きな溜息を吐いた。
「いつからここにいる?」
「私は既に十日は過ぎている。城へ戻ったのはペルラ王女の護衛で城下へ出たあの日が最後だ。…貴殿は?」
「俺は四日ほどだ。まさかこんな場所に監禁されていたとは…近衛を使って王都中随分行方を捜したぞ。」
「そうか…面倒を掛けたな、すまない。ここはシャトル・バスの中継施設だと言ったな?…となると、アラガト荒野にある放置された旧施設か。」
「ああ。ここから王都までは歩くと何時間もかかるだろう。」
「そうだな…すぐにも帰りたい所だが、その前に先ずは互いの状況報告と情報交換が必要だ。」
「イーヴ、悪いが呑気に話をしている時間はないのだ。…もしかしたらもう、既に手遅れかもしれんが…ライ様の…ライ様のお命が危ない。」
「…なに?それはどういうことだ、トゥレン…!」
ライ様のお命が危ない。そう告げた瞬間に顔色を変えたイーヴに、俺はイーヴがいなくなってからライ様の身に起きた一連の出来事を詳しく説明した。
「馬鹿な…ライ様が民間女性を殺した?返礼品の高級酒に薬物が混入していただと…あり得ない…!!あの高級酒は国内外問わず王族御用達の特注品で、わざわざ誰にも知られないように国外で発注し、事前に対象指定の魔法封印を施した贈答品だ。ハッサー卿か陛下御自身でない限り開けられないようにしてあったのだし、私が直接お渡しした後で誰かに別物とすり替えられたか、もしくはハッサー卿か陛下御自身が直接混入しない限り、薬物など入るはずがない…!」
「なに…?それは本当か?」
「本当だ、必要ならいくらでも証拠を提出できる。ライ様が陛下へ返礼品どころか贈り物をすること自体が初めてなのだ、それだけに万が一にでもイサベナ王妃に付け込まれないよう、私は徹底して細心の注意を払った。絶対にあり得ないと断言できる。」
「ではどういうことだ…検査による分析でも、酒の中から薬物が検出されたと…」
「陛下かハッサー卿が混入したのでないのなら、酒が別物だったか検査の結果に問題があるのか…とにかく考えられる原因は他にある。しかし私かヨシュアが疑われるのならともかく、なぜライ様が犯人にされてしまう?おかしいだろう!!」
納得できずに腹を立てるイーヴに、俺はライ様御自身が罪をお認めになったことを告げた。
「裁判所に…署名入りの罪を認める供述書が提出された…?そんなことをなされたら、ライ様は極刑に…」
「――だからお命が危ないと言っている。」
この場合、公開処刑には王太子(王子)か王妃、または両方の立ち会いが必要となる。そしてイサベナ王妃は国王陛下のご病気を理由に、シャール王子を戦地から呼び戻した、そのことも伝えた。
「シャール王子は二日前には戻って来たことだろう。城にはヨシュアがまだ残っているが…もう、ライ様は処刑されてしまったかもしれん。…だが俺は、この目で見るまでは信じない。急いで王都へ帰れば、まだ間に合うかもしれないだろう…?」
俺は自分でそう口にしながら、絶望していた。そして俺の話を聞いたイーヴはもっと愕然として、俺と同じように狼狽するかと思っていた。
だが予想に反しイーヴはとても冷静で、頻りになにか思案を巡らせている。
そうして須臾後、返って来たのは意外にも確信めいたその言葉だった。
「――いや…大丈夫だ、ライ様はきっと生きておられる。皮肉な話だが…ライ様の御身を狙う者は、イサベナ王妃とシャール王子だけではない。だから…」
「…?」
「…とにかく王都へ戻るぞ、トゥレン。上手くシャトル・バスの運行路へ出られれば途中で拾って貰えるかもしれん、急ごう。」
――ライ様の御身を狙う者は王妃と王子だけではない…?
俺はまだイーヴから届いた手紙のことや、イーヴがレフタルと密会していたことについてなど、尋ねたいことは山ほどあった。
だがそれよりもライ様が心配で、今は一刻も早く王都へ帰ることを優先することにしたのだ。
それから俺達は監禁されていた建物の入口へ向かうと、そこに持って行けと言わんばかりに用意されていた、水の入ったボトルが二本と、砂避けの外套、そしていくつかの液体傷薬を傍にあった小さな鞄に入れ、アラガト荒野へ出発した。
「――随分とまあ、親切な人攫いがいたものだ。監禁中に飢えない分の食料と真新しい寝具が用意されていただけでなく、ここから逃げ出す際の最低限必要な備品まで置いておいてくれるとは…逆にどういう了簡かと呆れてしまうぞ。」
「…貴殿も私も同じ魔法罠で捕らえられたようだが、装備を奪われているわけでなし、掠り傷一つ負わされていない。…どうもやられたことと後の行動がちぐはぐで、善人なんだか悪人なんだか犯人像が掴めんな。」
「そうか?全く顔を見せずに抵抗する間もなくいきなり罠に嵌め、声を覚えられないように会話の一つすら交わさない。その鮮やかな手口と徹底して身バレを塞ぐ手法から、恐らく相手はこういうことの専門家だろう。寧ろ殺されなかったのが不思議なくらいだ。」
監禁犯がなぜ俺達を殺さなかったのかは疑問だが、この犯人を捕らえるのはほぼ不可能だろう。…そう思った。
その後俺達は何度か魔物に襲われて撃退しつつも、無事に運行路でシャトル・バスに出会えて拾って貰い、どうにかその日中に王都へ帰り着くことができたのだった。
だが王都では、俺達の想像も付かない予想外の事態が発生していた。
「こ、これは…」
普段なら多くの人が行き交う二重門前の広場に、ごく疎らにしか人の姿が見えない。
しかも歩いているのは武器を装備した人間が殆どだと言うことから思うに、冒険者や守護者ばかりなのだろう。少なくとも一般の王都民は、誰一人出歩いていないようだった。
「そう言えば…普段は混雑しているシャトル・バスも随分乗客が少なかった。二重門は閉鎖されているわけではないし、この前のように魔物の襲撃があったようにも見えん…それなのに、なぜこんなにも人の姿が少ない?」
「わからんが…ラインバスも動いていないようだな。先に守備兵の詰め所に寄って情報を得た方が良さそうだ、行こう。」
俺達は真っ直ぐ城へ向かうのではなく、二重門の中にある守備兵の詰め所へ事情を聞きに立ち寄ることにした。すると――
「ウェルゼン近衛副指揮官、パスカム近衛補佐官…ご無事だったのですか!?」
「ああ、一応無事だ。何者かによって、アラガト荒野にあるシャトル・バスの旧中継施設に監禁されていたのだ。それよりこの王都の状況はなんだ?やけに人通りが少ないようだが…」
「…それは…」
二人の守備兵達は顔を見合わせ、返事に窮していたようだ。
「――許可された者以外の王都に住む民間人には、三日間の外出禁止令が出されているからです。現在も二重門は開け放たれていますが、その間、都外の国民も許可証のない者は王都へ入ることが出来ません。」
「なんだと…?」
「国王陛下による戒厳令が発動されたのですか?なにか王都で余程の事態が発生したとか…」
「お二方は御存知ないでしょうから、ご説明致します。先ず三日前の夕刻過ぎ、ライ・ラムサス王宮近衛指揮官の身柄を不当に拘束しているとして、五十名ほどの軍兵や民間人の有志が反乱を起こし、憲兵所を襲撃して憲兵隊と武力衝突するという事件が起こりました。」
「「!?」」
その守備兵の話によると、統括官のクロムバーズ・キャンデルは惨殺され、たったの三時間ほどで憲兵隊は降伏し、あっという間に有志団が勝利したという。
「ではライ・ラムサス閣下は助け出されたのか!?」
「いえ、それが…我々も詳細は知らされていないので良くわかりませんが、ラムサス閣下は有志団に紛れ込んでいた賊により何処かへ連れ去られたご様子で、その消息は現在も不明な状態です。」
「な…、なんだと…!?」
連れ去られた?ライ様がか…!?
「反乱を起こした有志団を制圧したのは、ラムサス近衛指揮官に代わり臨時に着任しているジルアイデン指揮官代理による近衛隊ですから、詳しくは私共より城でお聞きになった方がよろしいでしょう。」
「つまりこの王都の状況はその反乱が原因ということか?」
「――違います。」
「なに…?」
「ラムサス近衛指揮官のことは切っ掛けに過ぎず、これは国王陛下が戒厳令を布告されたわけでもありません。先程も申し上げましたが、王都民は三日間の外出禁止令を出されて自宅に引きこもっております。…が、なにか特別な理由があるというわけではないのです。そしてその他にも食料品など生活必需品を扱う商店と医療機関に一部の宿泊施設など、国による権利侵害の及ばない魔物駆除協会を除いた全ての店舗が休業命令を出されています。そしてそのご命令を下されたのは…」
「――昨日帰国されたシャール王子なんですよ。あの暴君クソ王子…帰る早々に王太子を名乗り、今後このエヴァンニュ王国は自分の所有物だと宣言したんです!!」
「おい!!」
横暴に怒り心頭だったのか、片方の守備兵が腹立たしげにそう暴言を吐いた。
「双壁のお二人ならなにか御存知なのではありませんか!?なぜ国王陛下は突然帰国された王子の横暴をお止めにならないのです!!おまけに王妃陛下は三日後にシャール王子の立太子式を執り行うそうで、そうなったらもう、この国はお終いだ…!!」
「た、大変申し訳ございません!どうかこいつの暴言は内密に…っ」
俺達にとっては一介の守備兵が暴言を吐いたことよりも、予想通り既にシャール王子は帰国していたことの方が重要で、王妃が通達している王子の立太子式のことや、早くも王子自身がとんでもない問題を起こしていたことの方に愕然とした。
俺は守備兵に暴言のことは心配しなくていいと告げ、イーヴと一緒に二重門の詰め所を早々に出た。
「ライ様が連れ去られたとは…賊とは言うが、いったいどこの誰だ…!!」
「――カルト宗教団体ケルベロス。」
「…え?」
「ライ様を連れ去ったのは、恐らくそこの信者達だ。」
「な…」
「これでも随分調べたのだが…こうも早く動かれたのでは圧倒的に時間が足りなかった。なぜライ様を攫うのかその理由はまだわからないが…少なくともお命を奪うつもりでないことだけは確かだろう。目的がわからない内は幸いと言えるかどうか微妙だが、それでも…これでライ様が王妃と王子に処刑される心配だけはなくなった。」
「――どういうことだ、イーヴ…おまえはなにを知っているのだ?」
「…歩きながら話そう。」
――そこから俺は、イーヴがこれまで俺やヨシュアになにも言わずに、影で一人なにを調べて動いていたのかを聞かされることになった。
「一番最初の切っ掛けは、動けないライ様に私が用意した『魔吸珠』だった。貴殿もジャン達から、死ぬかと思うほどの苦痛を味わい、二度と使いたくないとライ様が仰っていた、そう話を聞いただろう。」
「あ、ああ…以降無理を強いることもできずに放置していたが…それが?」
「何度も言うが、私は少しでも危険のある物を人に勧めたりはしない。魔吸珠に関しても事前に自分の身体で実際に体験し、ライ様のご負担にならないことを確かめてからお渡ししたのだ。――それなのに、おかしいと思った。」
その後この王都が、カルト宗教の信者により召喚された魔物の襲撃を受け、イーヴはその対応に追われることとなった。
その際太陽の希望というSランク級守護者がリーダーのパーティーから、原因についての報告を受ける会議にも出席していたのだが…そこでイーヴは、『魔吸聚珠』という、魔吸珠とは良く似て非なる物の存在を知らされたらしい。
「太陽の希望から得られた情報以外にも、独自の調査で魔吸聚珠は九割の使用者を死に至らしめるほどの激しい苦痛を齎すのと同時に、外見からでは全くわからないある種の『呪詛』を体内に施すことも可能なようだと知った。そのことを詳しく調べた私は、もしかしたらライ様に渡した魔吸珠を、知らないうちに誰かにすり替えられたのではないかという考えに至ったのだ。」
そこでイーヴはすぐにライ様の魔吸珠を返して貰い、それを用意した魔物駆除協会の協力を得て専門家に調べて貰ったのだそうだ。
「すると私が用意した魔吸珠は確かに魔吸珠で間違いなかったが、一度使われれば使用者が登録されているはずなのに、全く使われていなかったことが判明したのだ。つまり――」
つまりライ様が使用したのはイーヴの用意した魔吸珠ではなく、誰かが用意した魔吸聚珠だった可能性が高くなったのだ。
ではそんなことが可能な人間は誰なのか。イーヴはすぐにある人物へ疑いを向けた。
「――『ティトレイ・リーグズ』…ライ様を〝先輩〟と呼んで慕っているが、私は彼以外にすり替えの可能な人間は他にいないと思った。」
ライ様の側にいて親身に尽くす振りをして、なにか別の目的を持っているような真似を、まだ子供であるジャン・マルセルにできるはずはない。
なによりもあの少年は、ライ様を本当に慕っていた。毎日きっちり三食分、料理人顔負けの食事を作り、目の見えないライ様が安心できるようにと、付きっ切りで世話をしていたことも良く知っている。
俺の目にはティトレイ・リーグズも、同じように献身的にしか見えなかったのだが――
「だろう?私も騙されたが貴殿でさえそう思うのだ、ライ様に疑わしいことを告げたらどうなると思う。ようやく体調が良くなられて来たのに、精神的なご負担をかけるわけには行かなかった。だからジャンやヨシュア、況してやすぐに顔に出る貴殿になどには、はっきりするまで言うことはできなかったのだ。」
「――まさか、それでライ様の御目が見えるようになった早々に、二人を紅翼の宮殿から追い出したのか?あまりの対応にライ様のおまえに対する失望は深く、俺達は許可なく室内へ立ち入ることさえ禁じられたと言うのに…」
「私がライ様にどのように思われようと、なにを考えているのかわからない危険人物を、あのままお側に置いておくより百倍マシだ。親しく思う相手を無下にされたとライ様に恨まれても、私はライ様を守れるのなら一向に構わない。」
「イーヴ…」
――なんと言うことだ。…俺は自責の念に駆られた。
俺がイーヴに疑いを向けていた間、イーヴは影で一人、ライ様をお守りするために正体不明の敵の行動を調べて回っていたのだ。
ではもしや、ヨシュアの目撃した密会というのも…
「聞きたいのだが、イーヴ…おまえは俺に、イサベナ王妃とレフタルのライ様を陥れようとしている証拠を掴んだ、そういう内容の手紙を出したか?」
「?――なんの話だ。」
その瞬間、俺は愕然とした。
まさか…
「では…では、おまえはレフタルやクロムバーズ・キャンデルと、夜間にこそこそ密会をしていたか?」
「密会?…おいトゥレン、さっきからなにを言っているのだ?手紙だの密会だのと…誰になにを聞いたか知らないが、私がなぜ夜間にレフタルだのと会わねばならん?どういうことだ。」
――どういうことだ。そう尋ねたいのは俺も同じだ。…まさかヨシュアが俺に嘘を?いや…そんなはずはない、ヨシュアは真面目すぎる嫌いはあっても、平気で嘘をつける人間ではないからだ。
イーヴを見たと告げた時も心を痛め苦しそうにしていたのに、あれが演技とは思えん。そうなるとイーヴを見たのは間違いないのに、イーヴには身に覚えがない…そう言うことになる。
「…どうなっている…だがあの手紙は確かにおまえの筆跡だと、俺はそう思ったから証拠を預けたという人間に会いに行ったのに…まさか、あれも…?」
――守備兵が告げていた通り、食料品店以外の店は閉まり、まるで王都が死んだように静まり返っているメインストリートを歩きながら、俺は一人混乱していた。
そうしてイーヴになにも説明できないでいる内に、やがて門前広場が見える位置まで帰ってきたのだが、突然隣を歩くイーヴが足を止めた。
「………」
「イーヴ?どうし…」
「――トゥレン…あれはなんだ?…なぜあんなものが、門前広場に設えられている…?」
イーヴのその言葉を聞いて俺が視線の先を見ると、そこには――
――重犯罪者の公開刑を行うための、処刑台が用意されていたのだった。
これはイーヴとトゥレンが監禁から解放される二日前に遡り、有志団による憲兵所への反乱が起きた翌朝の話だ。
以前までライが指揮官を務めていた戦闘輸送艦『アンドゥヴァリ』は、エヴァンニュ王国より遥か遠い戦地ミレトスラハから母国へと、悪逆非道の暴君と呼ばれる悪魔のような男を乗せて来ていた。
フェリューテラで現在、異界から齎された人工因子『フィアフ』によって存在する『巨大遺物』は、エヴァンニュ王国の所有するこの一隻しか残っていない。
そしてアンドゥヴァリは、遠く離れた戦地への兵士や必要物資を輸送する、エヴァンニュ王国にとってはゲラルド王国と戦うために、なくてはならない艦でもあった。
それ故に、これまで指揮官を務めて来た上官は、常にアンドゥヴァリへの敬意を払い、国と国王への不満を持っていたライでさえも、整備や艦内清掃に至るまでを徹底的に行わせて厳しくチェックしていたものだった。
ところが現国王ロバムの息子である、王子シャールは――
「………。」
シャール王子が私室として使用している指揮官用の執務室は、毎日24時間欠かすことなく護衛の兵士が扉前に立っている。
その兵士は、今日も室内から漏れ聞こえてくる若い女の悲鳴や、すすり泣きに閉口していた。
「…おい、そんな顔をするのはやめろ。もし誰かに見られたら、明日には咎められて物理的に首が飛ぶかもしれないじゃないか。」
扉を挟んで左右に立つ二人の護衛の内、片方の兵士が横の兵士に忠告をする。
「どうせ国に帰ればお役御免なんだ、最後くらいいいだろう。…現地近くの町や村から王子が攫って来て寝所へ召し抱えた女達…可哀想に、いったいこの後どうなるんだろうな。中には妊娠初期の子を身ごもった女性もいるらしいぜ。」
「…知るか。気にしたって俺達にはどうすることもできやしないだろう。我が身が可愛かったら見て見ぬ振りをしろ。俺は無事に家へ帰りたいんだ、余計なことは間違っても口に出すなよ。」
二人は重暗い表情をして黙り込む。――そこへシャール王子付きの従者、ディクラン・サリドはやって来た。
彼は青味がかった少し変わった茶色の真っ直ぐ伸びた長髪をしており、一重に切れ長の目と、どんなことでもシャールの命令を忠実に熟すことから、周囲にも恐れられている人物だった。
そのディクランは、王子の部屋の扉前に立つなり、眉を顰めて護衛兵を見た。
「――昨夜の内に女共を部屋から追い出しておけと言っただろう。なぜまだ声が聞こえる?」
「…お言葉ですが、我々は殿下のご命令に逆らえません。そのことをサリド卿は良く御存知でしょう。」
「…ふん、役立たずが。とっととそこを退け。」
高慢な態度で悪態を吐くディクランに、護衛兵の二人は慣れているのかすぐに脇へ避けて道を開ける。
ディクランは扉脇の開閉釦を押す前に、扉をノックして室内にいる王子へ呼びかけた。
「シャール王子殿下、ディクランです。――入りますぞ。」
開閉釦を押すことで横に動く防音性能の高いそれが開くと、一気に耳を塞ぎたくなるような女性の悲鳴が護衛兵達の耳を劈いた。
「いやあああっやめてえーっもう許してえっ…!!誰か助けてえーっ!!」
――ディクランが室内へ入ると、その声を遮るようにしてすぐさま扉は閉まり、護衛兵はさっき話していたように見て見ぬ振りを決め込むと、青ざめた顔をしながらも現実から目を背けたのだった。
臣下が部屋に入って来たことにも気づかず、一心不乱で泣き叫ぶ女性を甚振りながら行為に耽るその姿を見て、ディクランは溜息を吐く。
「…殿下。」
薄暗い室内に、若い女性が五人もいた。一人は天蓋付きの寝台に両手足を縄で括り付けられ、獣のように髪を振り乱すまだ若い男に強姦されている最中だった。
残る四人の女性は既に乱暴された後なのか、引き裂かれた衣服を着たまま部屋の隅で耳を塞ぎ、身を寄せ合って震えながらただ怯えている。
「殿下。」
ディクランはその光景を見ても眉一つ動かさず、寝台の前に立ち姿勢を正して声をかけた。
だが二度目の声を無視されると、口元に右の握り拳を当てて「ん、んん。」と咳払いをし、部屋の外まで聞こえるような大声でその名を呼んだ。
「シャール王子殿下!!」
瞬間、寝台上の獣のような男がピタリとその動きを止める。
「――ディクランか…なんだい?僕のお楽しみ時間を邪魔しないで欲しいな。」
ディクランは構わずに話し始める。
「間もなくパスラ山上空へ差し掛かります、そろそろご準備を。」
「…はあ、もう着くのか…面倒臭いな。」
シャールは無造作に放り投げてあったローブを掴んで裸体に羽織ると、寝台から降りて壁にある釦を押し、執務室の防護壁を開いた。
ガーッ、という音を立ててそれが開き、外の光が差し込んで一気に室内が明るくなる。
するとディクランでさえも眉を顰めたくなるような、室内の乱れた惨状が顕わになり、床に脱ぎ散らかされた衣服や食い散らかしたままなぜか割れている食器に、中で暴れたのか書棚の一部は破壊され、指揮官専用机は椅子ごと引っくり返っているという、めちゃくちゃな光景が飛び込んでくる。
「殿下…申し上げたくはありませんが、このような状態でアンドゥヴァリを引き継がれますと、軍の重鎮達は黙っておりませんぞ。」
「煩いな…だったら引き継がなければいいだろう。僕が王位を継いだら、ゲラルドとの戦争は終わりにするよ。あんな村一つ存在しない荒れ果てた地、もうくれてやったっていいじゃないか。戦争が終わればアンドゥヴァリで兵や物資を輸送する必要もないしね、この屑鉄も役目は終わりさ。」
「――世界に一隻しかないこのアンドゥヴァリを、屑鉄と申されますか…まあそれはともかく、ミレトスラハの大地をゲラルドめに渡すのは考え直された方がよろしいでしょう。国王陛下がこれほどまでにあの地へ執着されるのには、旧同盟国が滅ぼされたと言うこと以外にも、なにか別の理由があるのではないかと愚考致します。」
シャールは退屈そうに欠伸をしながら答えた。
「そんなのはどうでもいいな…僕は僕の国でただ好きなように思い通り生きられればそれでいい。どうせ人間の寿命は八十年もないんだ、遊んで暮らせる金と誰にも口出しされない権力を持つ玉座があれば、それ以上望まないよ。」
「…左様ですか。」
「ああ…それよりさ、ディクラン…この娘達をこのまま国に連れ帰ったら怒られるかな?」
「ええ、それは当然でしょうな。ご危篤の国王陛下はともかくとして、王妃陛下は烈火の如くお怒りになるでしょう。側女一人でもきちんと身分の釣り合う女性をと、常に仰っておられますから。」
「そうか…玩具にするのに気に入った娘もいたんだけど、仕方ないな。」
シャールは徐に泣いて怯える娘達に半裸で近付き、目の前にしゃがんでこんな質問をした。
「――お前達、国に帰りたいかい?」
ここまでその娘達にして来た行いとは不釣り合いの笑顔を向けて、そう尋ねたシャールに五人の娘達は泣き濡れて怯えた顔を上げ頷く。
「そうかそうか、なら解放してあげようね。――ディクラン、ここの娘達を甲板に連れて行ってあげてよ。服を着たら僕もすぐに行くから。」
「…は、甲板にですか?」
ディクランは首を傾げて聞き返す。
「僕はそう言ったよ。まさか二度言わせるのか?さあ、早く。」
「――かしこまりました。」
王子の言葉に喜ぶ娘達は手を取り合い、ディクランの後についてぞろぞろと部屋から出て行った。
「ふふ…」
汗を流すこともせず服を着替えながら、王子シャールは不気味に笑う。
「――甲板通路を開放しろ。」
「は…?サリド卿、艦は飛行中ですよ!?魔法障壁があるとは言え、危険です!」
「シャール王子殿下のご命令だ、娘達を甲板へ連れて行けとのな。すぐに殿下もこちらへおいでになる。」
「え…殿下もですか!?し、しかし――」
「いいから扉を開けろ。殿下を怒らせてはならん。」
「…しょ、承知致しました…。」
安全のために甲板へ出る扉の監視をしていた兵士は、どうしてこの女性達を危険な甲板へ出すのだろう、とディクランを訝しんだ。
だがシャール王子の命令だと言われれば、誰もが従わざるを得ない。
ゴッ…
そうして扉が開くと、魔法障壁によってある程度まで弱められてはいるものの、艦内へと強い風が吹き込んで来る。
「きゃっ…!」
「…っ」
その勢いに押されて倒れそうになった一人の娘を、四人の娘達は囲む様にして守っていた。
「大丈夫?ミーリャ…気をつけてね、私の手に捕まるといいわ。」
「あ、ありがとう…ブランカ。」
「風が強くて怖い…私達、本当にアレインヴォーグへ帰して貰えるの?」
怯える娘達に、少しして後ろからきちんと衣服を着て来たシャールは告げる。
「そんなに心配しなくてもちゃんと解放してあげるよ。――ディクラン、彼女達を船首台へ一列に並べろ。」
「は?…はい。」
≪船首台?≫
船首台というのは、文字通りこの艦の先端部分にある、少し高くなった甲板のことで、そこに立つと進行方向の前方がよく見える監視台のような場所のことだ。
命令を受けたディクランを始め、シャールの護衛に付く兵士達は、いったい王子はなにを考えているのだろう?と首を捻った。
――だが彼らは程なくして、この王子の恐るべき所業を目の当たりにすることになる。
「これでよろしいですかな?殿下。」
「ああ。」
シャッ
「「「!?」」」
シャール王子は徐に腰に装備した細剣を引き抜くと、それを手にスタスタと船首台に並ぶ娘達の方へ歩いてきた。
「さて…お前達は見目が良かったから気に入って連れて来たが、そこのディクランが言うには、このまま国へ連れて帰ると母上に怒られるそうなんだ。かと言ってもうここまで帰って来てしまったし、今さら戻るわけにも行かないだろう?だからエヴァンニュに到着する前に、今ここで解放してあげることにしたよ。」
王子の理解できない言葉に、娘達は動揺してざわめいた。
「今、ここで…?」
「ど、どういうことですか、王子様…なにを仰っているの?」
不可解な言動にさすがのディクランも王子に尋ねる。
「殿下…今ここで解放すると仰っても、ここはシェナハーン王国上空を飛行中の甲板上ですが。」
シャールはムッとしたように不機嫌な顔でディクランを睨む。
「僕を馬鹿にしてるのか?そんなことはわかっている。国へ帰りたいと望んだのは彼女らの方だぞ。せっかく解放してやるとこの僕が言っているのだから、直ちに艦から降りて貰うのは当然だろう。」
「は…」
その瞬間、この甲板にいた全員が、王子の考えていることを察して戦慄した。
「――まさか殿下…あの娘達にここから飛び降りろと…?」
ディクランの問いに、シャールはニヤッと邪悪な笑みを浮かべる。
「ひっ…」
「い、いやああっ!!」
「知っているか?アンドゥヴァリに張られている魔法障壁は、外部からの攻撃を防いでくれる物だが、こちらから外へ出る物に関しては影響がないそうだ。つまりお前達が飛び降りる分には、魔法障壁を通過できるということだ。せっかくの良い機会だから、空へ投げ出された人間が地上へ落ちるとどうなるのかを含め、一度この目で見ておきたくてな。」
手にした剣の切っ先を娘達に向け、彼は続ける。
「ははは、そんな顔をするなよ。六千メートルの高さがあるとは言え、お前達は我が国の民と違い魔法を使えるのだろう?運が良ければ風魔法で浮くなりして生き残れるかもしれないなぁ。さあ、とっとと僕のこの艦から出て行け!!」
「いやあああっ!!」
「死にたくない、助けてーっ!!」
「おい、女達を押さえろ!!逃がすんじゃないぞ!!」
「…っ」
――狂気の沙汰としか思えない命令に、甲板に立っていた兵士達は命令に従うのではなく、慌てて踵を返し艦内へと逃げて行く。
「ご、ご容赦下さい!!俺には無理です!!」
「ひ、ひい…そんな残酷なことをできるわけがない…!!殿下がご乱心だーっ!!」
「なんだと?腰抜けめ…まあいい、ならば僕が自ら手を下すまでだ。」
「で、殿下…おやめ下さい、いくらなんでもそのような――」
「なんだディクラン、ならお前が先に手本を見せるか?僕の側付きにお前を命じた母上には、立派な最期だったと伝えてやるぞ。」
「い、いえ…滅相もございません…!!」
「ならばさっさと手伝え。」
「…は。」
ディクランは顔色悪く青ざめながらも、もう王子に逆らうことはできなかった。
そこから先は、正に筆舌にし難いほどの残虐な行為が、王子自らの手によって行われていった。
悲鳴を上げて逃げ回る娘達を、シャールはまるで鬼ごっこでもしているかのように剣を振りながら追いかけ回し、一人一人足を傷つけたりして順々に捕まえて行くと、お姫様抱っこをするように抱えては船首台に乗り、そこからポイッと次々に外へ投げ落として行ったのだ。
そうして五人いた娘の内、最後の一人となったその女性は恐怖に震えながら、涙ながらに命乞いをする。
「お、お願いです王子様…っわ、私のお腹には、アレインヴォーグ王国マーダン領主様のご子息…フレイオス様の子がいるのです…どうかお助けを…っ」
「アレインヴォーグ…ああ、ミレトスラハと国境を接するあの小国か。度々忍び込んで若い娘を攫ったり、逆らう男を殺したりした僕の行動にも、エヴァンニュは大国だからと口出しできなかった王のいるあの国だね。ならば聞くが、お前を助けて僕になんの得がある?領主の息子というのは、お前を攫う時に僕が斬り殺した恋人のことだろう。死んだ男の恋人と子供を助けて、後々命を狙われては敵わんな…僕ならきっとそうするだろうから。さあ、わかったらさっさと逝け。」
「あ…」
命乞いをしてシャールの衣服を握りしめた女性の手を力ずくで引き剥がし、シャールはその娘も無慈悲に甲板の外へ投げ落とした。
「――どうだ、ディクラン。これで母上に怒られる前に片付いただろう。」
「…そ、そうですな…見事です。」
≪…なんと恐ろしいことを思いつかれ、平然と行われる御方だろう。動物や物を投げ落とすのとはわけが違う…最早狂人としか言いようがない。元々手に負えない悪癖を多数お持ちではあったが、戦地で死を目の当たりにするようになって、生命を尊ぶどころか非道に拍車がかかったようだ。≫
ディクランは満足げに笑うシャールを見て苦笑し、人の残虐性を集めたようなこの王子が国王になったのなら、間違いなくエヴァンニュ王国は滅ぶだろうとゾッとして身震いした。
だが彼には、実はこのシャールが王位に就くことを望む思いもあった。故に信頼を得るため、度重なる暴挙にも目を瞑って来たのだが、そこには現国王が座にいる限り叶えられない野心から、画策している願望があってのことだ。
「ああ、そうだ…下船までの間にお前が知っているシェナハーン王国の至宝、ペルラ王女について話を聞かせろ。この僕の正妃になる女だ。母上によると聖女と噂されるかなりの美人だそうだからな。」
「…御意。」
≪――ペルラ王女殿下は黒髪の鬼神に嫁ぐとして国王陛下が決められた相手だったはずだが…気の毒な王女は是非ともシャール王子に娶っていただき、殿下には必ず王位に就いていただかなければ…≫
暴君シャールを乗せた戦闘輸送艦アンドゥヴァリは、こうしてライをエヴァンニュへ無事に連れ帰ったように、その悪魔をも地上に降臨させたのだった。
次回、仕上がり次第アップします。




