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Eternity~銀髪の守護者ルーファス~  作者: カルダスレス


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196 失われて行く光 ⑥

ライを助けるために重犯罪者拘束房へ侵入したシンは、突然襲ってきた憲兵を敵と見做し、剣でその身体を貫いてしまいました。ところがその憲兵は、ライを殺さないで、と懇願します。敵だと思った相手からの思いも寄らない言葉に、顔面蒼白となったシンは、それが誰なのかを確かめますが…?

        【 第百九十六話 失われて行く光 ⑥ 】



 シンは頭の中で、たった今聞いた言葉を何度も反芻する。


 〝ライを殺さないで、お願いだ。〟うつ伏せに倒れた憲兵は、確かにそう言ったような気がした。


 そうしてシンは青ざめた顔で持っていた剣を床に置くと、その場に跪いて恐る恐る手を伸ばし、お腹を押さえながら身を屈めている人物を仰向けに転がした。


「う、うう…」


 ――薄暗い室内で苦悶の表情を浮かべている、まだ少し幼さの残る顔。その顔を見た瞬間に、シンは愕然とした。


『そ…、そんな……嘘だろ…どうしてこいつが、こんなところに……っ』


 なぜなら言葉を交わしたことこそないが、よく見知っていた相手だったからだ。


 ≪憲兵の制服を着ちゃいるが、間違いねえ…ジャンだ。ライが大切にして可愛がっている、あの少年…!!≫


『なんでだよ…なんでこんな子供が…わかるはずねえだろぉよーッ!!!』


 襲って来た憲兵の正体が、ライが弟のように思って大切にしているジャンであることに気づいたシンは、どうしたらいいのかわからずに狼狽えて恐慌状態に陥った。


『お、俺はなんてことを…っなんでこいつが憲兵の服着て襲って来るんだよ!?どうすりゃいいんだ、どうしたらいい!?』


 ≪そ、そうだ…命の秘薬…!!どこかに残ってねえか!?一本でもあれば助けられる…っ≫


 慌てて命の秘薬を探すが、たった今その全てをライの命を救うために使い切ってしまったばかりだ。

 ジャンの腹部を貫いた傷は致命傷で、そこから流れ出る血を止めるには治癒魔法を使うか、命の秘薬を使うしかない。シンはその二つしか、致命傷を負った人間が助かる手段を知らなかった。


 だがシンに治癒魔法は使えない。


 ≪…だめだ、どうしようもねえ…っ≫


『す、すまねえ…っすまねえっ!!おまえまだ子供なのに…っ』


 もうなんの手立てもなく、自分のしたことを目の当たりにするシンは、憲兵の帽子を取ってそれを当て布代わりに、彼の手の上から一緒に出血箇所を押さえてやることしかできなかった。


 その時――


「…う…」


 命の秘薬で一命を取り留めたライが、呻き声を上げて意識を取り戻した。


「…っ」


 背中にその気配を感じたシンは、怖れ慄いて肩を震わせる。


 自分はここへライを助けに来たのに、目の前に血塗れで倒れているジャンを見たら…ライはどう思うだろう、と。


 ――そしてその瞬間は左程待たずにやって来た。


 一命は取り留めても、すぐに立ち上がれるほどには回復しない。『命の秘薬』とは、肉体の損傷によって失われた生命力を取り戻す薬だ。

 だから命だけは助かるが、強力な治癒魔法のように一瞬で怪我が治ることはなく、ライはまだ、仰向けからうつ伏せに態勢を変えるのがやっとだった。


「…そこで…なにをしている…?」


 その声に、シンは背を向けたまま、全身を大きくビクッと揺らした。




 ――僅かな光さえない暗闇の中で、誰かと話をしていた気がする。


 その声は俺の存在価値がどうとか言って、俺の肉体はまだ死ぬ時にないと妙な言い方をしていた。


 だがこうして目が覚めると、ここはまだあの窓さえない薄暗い拷問部屋だ。


 気を失う前と少し違っていたのは、分厚い灰色の扉が開け放たれていて、傍にクロムバーズではない憲兵と思しき人間がいたことだった。

 確か最後に見た光景では、そこの隅にある丸椅子に奴が腰かけていて、命令された部下が笑いながら俺を足蹴にしていたはずだ。


 俺はそのことを思い出し身体を起こそうとしたが、ここへ連れて来られてから毎日暴行を受けていた上に、ほぼなにも口にしていないため、身体中が激しく痛んで腕にも足にも上手く力が入らなかった。

 それでも苦痛に呻き声を出しながらどうにかうつ伏せになり、逆さまだった視界を正常に直してから、そこでなにをしているのかと憲兵に声をかけてみた。


 ――そして気が付いた。


 しゃがんでいる憲兵の前に、もう一人…同じ制服を着た誰かが倒れている。


 よく見ると振り返らない憲兵の足元には、まるで…たった今できたばかりのような大きな血溜まりがあった。

 しかもその血溜まりは、今なお広がり続けている。


 こんな光景を、俺は何度もミレトスラハで見たことがあった。


 倒れているのは死にゆく兵士で、それを別の誰かが看取っている…そんな姿だ。


 だが、ここは戦場ではない。それなのにまた、俺を助けようとしたあの若い憲兵のように…誰かが殺されたのだろうか?


 …そう思いながら俺は、床を這って倒れている憲兵に近付いて行った。


「……?」


 ――そこで俺は、あり得ないものを目にした。…おかしい、もしや俺はまだ、夢の中にいるのか?

 なぜなら、目の前に横たわっている憲兵が、どうしてかジャンの顔をしているように見えたからだ。

 こんなものが現実であるはずがない。だって、あのジャンが憲兵の制服を着て倒れているんだぞ?


「……ジャン?」


 そうだ、これは夢だ。俺はきっと、目を覚ましたという夢を見ているんだ。


 そうだろう?


「…ラ、…イ…」


 だが夢の中のジャンは俺の呼びかけに、力無く血塗れの手を伸ばして俺の名を呼び、微笑んだ。

 俺はどこの誰かも知らない、微動だにせずしゃがんでいる傍の憲兵に両手でしがみ付き、それを支えにして必死に上体を起こすと…血に塗れたジャンの手を取った。


 …温かい。…まさかこれは…夢、じゃない…?


「ジャン…ジャン?…おまえなのか?…本当に、おまえなのか…?どうして憲兵の制服なんか…」


 ジャンは弱々しく俺の手を握り返した。


「よ、かった…、ライ…生きて…る…あれは…毒…じゃ、なかった…んだ…」


 その目が一瞬だけ隣にしゃがんでいる憲兵を見たかと思うと、ジャンは〝俺、間違えたんだな〟と、途切れ途切れに呟いた。


「毒…?間違えたって…なにを言っているんだ、ジャン…この血はなんだ?どうして倒れている…なにが…なにがあったんだ…?」


 俺はわけがわからず、ただ狼狽えていた。仰向けに横たわるジャンの、着ていた憲兵の制服がぐっしょりと血で濡れ染まっていたからだ。

 混乱した俺が横の誰かを押し退けると、そいつは声も出さずに立ち上がり、後ろへ後退ったようだった。

 ジャンはそいつをまた一瞥すると、俺を見て顔を曇らせる。


「…ライ…顔…そ…んなに…腫れ上がって…」

「そうじゃない、ジャン…おまえになにがあったかを聞いているんだ…!」


 ジャンは俺の問いに返事をせず、まるで眠気に襲われて耐えられないかのように、一度目を閉じかけてからハッとしたように再び目を開ける。


「そう、だ…こ、れ…」


 服の胸ポケットの辺りを漁るように手を動かし、それからジャンはなにかを取り出そうとしていた。


「……ラ…、イ……」


 ――だがその手はそのまま、なぜだか急に動かなくなってしまった。


「…ジャン?」


 ジャンの手を握っていた俺の力が弱まると、その手が俺の手を擦り抜けて床にぽとりと落ちて行く。


 ――ジャン…?どうして動かない…?


「…ジャン…、ジャン…?…どうしたんだ…返事を、してくれ…」


 頬は温かいのに、俺が触れても閉じかけの瞼はもう、ピクリとも動かなかった。


「嘘だ…嘘だあ…嫌だ、ジャン…返事をしてくれ…っジャン…っ」


 ――動かなくなったジャンに両手でしがみ付き、俺は何度も何度も…その身体を揺すった。

 もしかしたら気絶しただけかもしれない。疲れて眠ってしまったのかもしれない。ジャンの身体から流れ出る血が俺の手足を赤く染めても、目で見る現実を頭が否定し、大声で呼べば目を覚ますだろう、揺すれば驚いて起き上がるだろう。…そう思い、俺は思いつく限りのことをジャンにしてみた。

 きっとすぐに俺を見て笑い、なにすんだよ。…そう言ってジャンが俺の手を掴むと信じていたからだ。



 だがジャンは、二度と俺を見なかった。



 ――苦しそうに喘いでいた息遣いが聞こえなくなり、ほんの僅かずつ、ジャンの手が冷たくなって行く。

 暫くの間俺はジャンの顔を見つめたまま動くことが出来ずに呆然としていたが、最後にジャンはなにかを取り出して俺に渡そうとしていたように思え、ふと気になった。

 俺はなぜだか視界が滲んで良く見えない目を震える手で何度か(こす)り、なにか握りしめているジャンの手をそっと開いてみた。


 白っぽく淡い緑に光る石。特徴的な魔法紋が刻まれている。


 それを見た俺はあることに気づいて声を失い、全身がぶるぶると震え出すのを止めることが出来なかった。なぜなら、その手に握られていたのは…


 ≪…治癒、魔法石…≫


 ――ああ、そうか…目がよく見えないのは、どうしようもなく涙が溢れて来るからか。


 俺は目の前の現実を認めたくないのに、どう見てもそうとしか出て来ない答えに、自分が泣いていることを理解した。

 続いてやりきれない悔しさが湧き上がって来て、腹の底から叫びたくなる。


「ふ…ううっ……どう、してだ……ジャン…っ、こんな…治癒魔法石を持っていたのなら…どうして自分に使わなかったんだ――ッッ!!!!」




 ――ライの慟哭が響き渡り、俺の耳にこびり付く。


 今すぐ、ここから逃げ出したい。あの少年の名を呼んで泣き叫ぶライが俺の存在に気づき、俺を見て全てを悟り、俺に怒りと悲しみ、そして激しい憎悪を向ける前に。


 …そう思うのに、足が動かねえ。壁に背を凭れて立ってんのがやっとで、俺の足が、腕が、ガクガク震えて止まらねえんだ。


 こんなはずじゃ、なかった。本当なら今頃は、目を覚ましたライに隣国でのことを謝って、俺の正体を打ち明け…一緒に転移魔法でここから逃げ出して…ああ、そうだ、リーマのことを話すんだった。


 それがなんでこんなことになっちまう。もしかしてこれは、これまで散々人を殺めて来た俺への天罰なのか…?


 俺はライの叫び声を聞いた後、その手から落ちた魔法石を見て…なんでジャンがここに来たのかすぐにわかった。


 ≪――そうか…有志団と一緒に、こんなところまでライを助けに来たんだ。…俺が憲兵の制服を着てたから、ライを傷つけようとしているように見えたのか?だからライを守ろうとして俺に襲いかかって…≫


 治癒魔法石を持ってたのに使わなかったのは、すぐに思い出せなかったこともあったんだろうが…多分ライのための物だったからだろう。そう考えれば納得が行く。だからジャンはライの腫れ上がった顔を見て、それのことを思い出したんだ。


 ――最後まで自分に使うことなど思いつきもしないで…


 ああ、本当に俺はなんてことをしちまった…頭がおかしくなりそうだ。なんの罪もない子供を、俺が殺した。殺したんだ。ライが大切に思っていた、あの子供を――!!


 俺が罪の意識に気が狂いそうになってる間に、ライは傍に落ちていた血の付いた剣に気が付いた。

 そうしてピタリと泣くのをやめると、ゆっくり、ゆっくりと振り返って壁際に立ってる俺の方を見る。


 その瞬間、ライの目が大きく見開いた。


「お、まえ…は…国王殿で俺を殺そうと襲って来た――」


 やっぱりか…ああそうだよな、わかってたさ。俺の白髪とこの銀色に光る魔眼を見れば、あの日のことを真っ先に思い出すよな。


 …わかってる、それも俺の犯した大きな過ちの一つだもんな。


 一瞬でライの目が、激しい憎悪の色を浮かべた。紫紺の瞳が絶望を含み、前髪から覗くあの緑の瞳が血のように紅く染まった。

 それだけで今からなにを言われるのかもうわかる。ああ、そうだよ…ライ。


 その少年(ジャン・マルセル)は俺が殺したんだ。


「――そうか…おまえがジャンを殺したんだな…なにがあったのかまではわからんが、不思議だな…あえて尋ねなくとも、はっきりそうだという確信が持てる。こんなところまで追って来るほど…そんなに俺を殺したかったのか?」

「………」


 ――違う、そうじゃねえ…俺はおまえを助けに来たんだ。…そう言いたかった。


 だがそう言って俺がシンであることを告げたら…ライはどうする?そこの少年を失ったばかりなのに、その子を殺したのが孤児院で一緒に育った俺<シン>であることを知ったら、怒りをぶつけることすらできなくなって、さらに苦しむんじゃねえか…?


 それはだめだ…これ以上、ライを苦しめたくねえ。


 俺は好きなだけ罵られるのを覚悟した。どんな憎しみの言葉を向けられても、俺はそれだけのことをしたんだ。だがライは――


「だったら、殺せ。今すぐ、この場で今すぐにだ…ッ!!!こんな子供すら手にかけられるんだ、そのぐらい簡単だろう!!さあ、今すぐ殺せっ!!!俺を殺せ――ッッ!!!」


 ――立ち上がることもできないその身体で、俺を罵るのでも殺そうとするのでもなく、あらん限りの声を振り絞って…そう叫んだ。

 そのライに俺は…もうこの場にいること自体が耐えられなかった。


『す、まねえ…』


 零れ落ちる涙に魔眼でライを見ていることさえ出来ずに、俺は本来の目的だった救出を諦めて…転移魔法で逃げ出した。


 逃げ出したんだ…この後ライがどうなるか、なんてことはなんも考えられずに。




「逃げるなああ――ッッ!!!!」


 あの白髪(はくはつ)に銀色の瞳…忘れもしない。床にしゃがんで横たわるジャンを見ていたのは、イサベナ王妃かシャール王子から俺を殺すように依頼された、いつかの暗殺者だ。


「逃げる、な…ここまで来て…、なぜ俺を殺さずに逃げる…う、うう…」


 ジャン…


 ――ジャンは…もう二度と目を覚まさない。ほんの数分前まで、俺を見て微笑んでいたのに…身体がもうこんなに冷たい…


「ジャン…どうしてだ…なぜおまえがこんなところで死ななきゃならない…?おまえはまだ十五なんだぞ…!!」


 ジャンが死んだのは誰のせいだ…俺が恨むべきはあの白髪銀瞳(はくはつぎんめ)の暗殺者か…?いや、違う…あの暗殺者は自分の仕事をしに来ただけだ。

 元を正せば、俺を殺すように依頼した、イサベナ王妃かシャール王子が悪いのか。あの二人とクロムバーズの企みで嵌められ、俺はここに捕らわれて暴行を受け続けた。ジャンはきっと俺を助けるためにここへ来たんだ…だがどうやって?


 誰がジャンをこんなことに巻き込んだんだ…いや違う、そもそも俺なんかと出会わなければ、ジャンはこんなに早く死ななくて済んだんだ。


 そうだ…誰のせいでもない、俺のせいだ。


 俺がこの世に生まれて来たから、あの男は俺に執着する。俺さえいなければ、イサベナ王妃もシャール王子も俺を殺そうとなんて思わなかったはずだ。


 俺さえいなければ――


 俺は傍に落ちていたジャンの血に塗れた剣を掴み、いっそのことここで死んでしまえばいいと、刀身を首に押し当てた。


 ――だがその瞬間、ジャンが俺にさっき言った言葉を思い出した。


『よかった…ライ、生きてる。』


 冷たい床に今はもう静かにただ横たわるジャンを見て、俺は手を止めた。剣を握る手を放し、血溜まりに手をついてジャンへ身体ごとにじり寄る。


 こんなに出血して…痛くて苦しかっただろうに、おまえは俺を見て微笑んでくれたんだな。

 …死ねない。おまえは俺が生きていることを死の間際まで喜んでくれたのに、その俺が…自分から死ぬわけには行かない。


 それなら、やり場のないこの怒りと悲しみはどうすればいい?胸が痛んで堪らなく苦しいんだ。だがジャン…おまえはもっと苦しかっただろう。



 ――ライは自ら命を絶つことを諦め、ジャンの亡骸にしがみついて泣き崩れると、弱り切った身体への精神的なショックから、そこでまた、意識を失ってしまった。




 その頃中庭では――


 ガキィンッ


 ティトレイ・リーグズがクロムバーズ・キャンデルの剣を弾き飛ばし、その喉元に刃の切っ先を突き付けていた。


「ひっ…た、頼む、命だけは助けてくれ…!!」


 クロムバーズは両手を上げて降伏の意思を示し、腕や顔、手足から流血しながら命乞いをする。


「俺はキャンデル家の跡取りなんだ!!俺を殺せば家が黙っていないぞ…っ!!」

「ハアハア、それがどうした…!!」


 ティトレイは肩で激しく息をし、流れる汗にも構わず、クロムバーズを睨んだまま剣を握る手を緩めない。


「貴様はそうやって同じように命乞いをした人間を、どれほど殺して来た?残念だが俺は貴様を許さない。つい先日殺された憲兵の若者…クラバント・メリウスの両親からも、必ず息子と同じ目に遭わせ、その首を持ち帰って欲しいと頼まれているんだ…!!覚悟しろ、クロムバーズ!!!」

「く…っ」

「リーグズ危ない!!」


 ティトレイがクロムバーズに気を取られている隙に、と脇から部下の憲兵が襲いかかろうとする。

 それに気づいたクロムバーズは好機と見て逃げようとするが――


 ティトレイは相手を見もせずに右手の剣で部下憲兵の首を刎ね飛ばし、そのまま両手の双剣を交差するようにして、逃げようとしたクロムバーズの首も背後から刎ね飛ばした。


「最後まで浅ましい奴め…!!」


 部下憲兵とクロムバーズの身体は、ほぼ同時にドサリと音を立てて地面に倒れ伏した。


「大丈夫か!?」

「…ああ、問題ない。」


 返り血を拭うティトレイの前でユーシス・アルケーは地面に転がるクロムバーズの首を拾うと、それを掲げて叫んだ。


「統括官クロムバーズ・キャンデルを討ち取ったぞ!!憲兵隊は直ちに降伏せよ、我らの勝利なり!!」


 ――その一声に有志団の仲間からは歓声が上がり、クロムバーズに仕方なく従っていた憲兵の面々は即座に武器を捨てて投降した。


「アルケー、リーグズ!!連絡通路へ来てくれ、イリスが!!」

「「!」」


 有志団の仲間に呼ばれて、ティトレイとユーシスが北棟と東棟を繋ぐ連絡通路へ向かうと、そこには魔法石によって倒された複数の憲兵と、憲兵に斬り殺されたと思われるアルマ・イリスの遺体が横たわっていた。


「アルマ…」


 ティトレイは事切れたアルマの開いた瞼を、そっと手を添えて閉じさせた。


「ジャン・マルセルの姿はあったか?」

「いや、見当たらない。そこの扉は閉まっているが、上手く東棟へ入れたんじゃないのか。」


 ユーシスは扉に手をかけて開けようとするが、鍵がかかっていて開かなかった。


「マルセルには解錠魔法石を渡してある。あれは拘束室の扉を開くためのものだが、やむを得ずここで使ったのかもしれないな。」

「ああ、俺達がここから入るのは無理だ。一度憲兵の誰かを連れて警備室へ向かい、東棟への扉を開けさせよう。」

「おい、ラムサス近衛指揮官をお運びする担架を持って、何人かは俺達について来い!!」


 ティトレイとユーシスはこの場の後始末を他の有志に任せ、一人の憲兵を連れて警備室へ向かうと、北棟、南棟両方の連絡通路にある東棟への扉を開けさせて、七人ほどの小隊を伴い東棟へ入った。


「…やけに静かだな。何人か軽犯罪者も収容されているはずだが…一人の警備も残っていないとは、少し様子がおかしいぞ。」

「ジャン・マルセルが倒したとか…」

「馬鹿を言うな、それなら死体が転がっているだろう。」

「…気になるんだが、俺達に中庭の憲兵隊のことを教えてくれた男は、どこの誰だったんだ?」

「わからん。…とにかく十分注意して進んだ方が良さそうだ。」

「………」


 ユーシスと有志がそんな話をしている間、ティトレイは緊張した表情で黙り込んでいた。


「心配するな、リーグズ。マルセルもラムサス閣下もきっとご無事だ。」

「…ああ、そうだな。」


 仲間にポン、と肩を叩かれ、ティトレイは頷いて目を伏せた。だが――


 ティトレイとユーシス、そして有志団の小隊がそこへ辿り着くと、既に息を引き取っていたジャンの遺体と、そこに覆い被さるようにして倒れているライを見つけた。


「マルセル、ライ先輩!!!」


 クロムバーズとの戦いで痛めた義足のため、すぐにしゃがめなかったティトレイに代わり、ユーシスと有志の一人がそれぞれライとジャンの生存を確かめる。

 有志の男はジャンの状態を確かめるとティトレイに首を振り、ユーシスはライが無事であることを口にした。


「全身に酷い傷を負っていらっしゃるが、閣下はご無事だ。…いったいなにがあったのか…」

「――坊主の方は腹を貫かれてるな…これが致命傷になったんだろう。まさかラムサス近衛指揮官が手にかけたとは思えんが…どうなってる?」


 ティトレイはジャンの傍に片膝をつき、その肩にそっと手をかけた。


「…だから忠告したのに…()()()()こうなってしまったんだね、マルセル…残念だよ。」

「わからんな…渡した治癒魔法石は未使用でここに転がっている。誰かに腹部を刺されたのならすぐに使えば助かっただろうに…とりあえずこいつは閣下に使うぞ。」

「ああ、頼む。」


 ユーシスは傍に落ちていた治癒魔法石を拾うと、それを使ってライの怪我を治そうとした。ところが…


「…む?――おかしいぞ、リーグズ。治癒魔法は発動しているが、閣下の傷が治らない。まさか…治癒魔法が効いていないのか?」

「なんだって?」


 ティトレイはすぐにライに近付き、ユーシスの言葉を確かめる。


「――本当だ、どうして…」

「とにかくこのままでは危ない、リーグズは下がっていろ。おい手を貸せ、閣下を担架に乗せるぞ。」

「は!」


 ユーシスと一緒に来た有志の男達は、それぞれ意識のないライの身体を労りながらそっと持ち上げると、その下に担架を潜り込ませて運び出せるように整えた。


「よし、揺らさないように静かに持ち上げろ。そっとだぞ…」

「アルケー、坊主の遺体はどうする?」

「憲兵に調べさせる、一旦はそのままにしておこう。」

「アルケー、リーグズ!!大変だ、近衛隊が動き出したぞ!!」

「「!」」

「俺達を反乱兵と呼び、憲兵所から出るなと通告してきている!!」


 ユーシスとティトレイは顔を見合わせる。


「ジルアイデンめ…やけに協力的だと思えば、俺達が閣下を助け出すタイミングを見計らっていたな。」

「ん…先手を打たれたのかもしれないね。」

「…そうか。おい、俺とリーグズはラムサス閣下の護衛としてこの場に残る。貴殿らは外の仲間に閣下のご無事と近衛隊が来ることを知らせ、無闇に抵抗しないよう伝えてくれ。でないと殺されてしまうからな。」

「了解した。」

「私は残ってお手伝いします。」

「俺も護衛に残ります。」


 一緒に来た七名の内、男女一人ずつがそう申し出て、この場にはティトレイとユーシスを合わせた四人が残ることになった。

 有志団の小隊五人は地上へ戻り、ティトレイとユーシスに言われた通り、中庭で待機していた有志達に伝言を伝えに行く。

 有志団の面々はこれ以上抵抗の意思なしと武装を解除し、大人しく中庭に集まって近衛隊が来るのを待つことにした。


 ――それから僅か五分後、エルガー・ジルアイデン指揮官代理の率いる近衛隊が、反乱鎮圧を名目に憲兵所へ雪崩れ込んでくると、暴動を起こした罪で有志団に参加していた生存者二十名ほどは即座に捕らえられた。


「ライ・ラムサス閣下はどちらだ?」

「地下の重犯罪者拘束房です。ご無事ですが気を失っておられお怪我も酷く、護衛に四名が付き添っています。」


 ジルアイデンの質問にそう答えたのは、先程まで地下でティトレイ達と一緒にいた有志団の男だった。

 彼に反抗的な面はなく、ジルアイデンは信用に足るとして顔を上げる。


「近衛第四小隊と救護班は私と一緒に来い。ラムサス閣下をお助けするぞ!」

「は!!」


 近衛隊が憲兵所で起きた反乱を鎮圧(の名目で)し、その後間もなく東棟の地下にある重犯罪者拘束室へ降りて行くと、なぜかそこは既に蛻の殻となっていた。


「ライ・ラムサス閣下!!どちらにおいでです!?」

「ラムサス閣下!!どこにおられますか!?」

「全ての房を隈なくお探ししろ!!」

「は、はい!!」

「ジルアイデン閣下、こちらを!!」

「なんだ?」

「――床に大量の血痕です。それとラムサス閣下の物と思われる、ぼろぼろの近衛指揮官の制服が…」

「…どうやら閣下はこの房に囚われておられたようだな。」


 ≪…しかしこの血痕は…まさか、殿下の…?≫


 ジルアイデンの表情は極めて険しくなる。


「ジルアイデン指揮官代理、駄目です!!護衛の四人という者も、ラムサス閣下もどこにも見当たりません!!」

「なに?――しまった、遅かったか…!!」


 ここにライの姿がなぜないのか、その理由に心当たりのあるらしいジルアイデンは、握り拳に力を込めて悔しげに歯噛んだ。


「恐らく無駄だろうが…直ちに全王国軍へ通達を出し、『ユーシス・アルケー』と『ティトレイ・リーグズ』両名を指名手配しろ!!国境街レカンへ緊急連絡!!彼らを国外へ逃がすな!!」

「「は!!!」」

「残りは憲兵と共に閣下の行方について、なにか手がかりになるような物がないかを洗いざらい探せ!!」

「「は!!」」


 自分の命令で部下の近衛隊士達が直ちに動いたのを見届けると、エルガー・ジルアイデンは近衛服の内ポケットから共鳴石を取り出し、それを使って徐にどこかへ連絡をする。


「――ジルアイデンです。…申し訳ありません、逃げられました。…はい、ライ様は連中に連れ去られたかと。…かしこまりました、では直ちに――」


 そうして報告をする彼は最後に、共鳴石でこう言った。


「――国王陛下。」





                * *


 ――荒れ地の細かな砂の舞うアラガト荒野を望む地で、その粗野な男はどこか大きな建物の屋根で椅子に腰かけ、足を組む。

 その手には王国軍で使うような共鳴石による通信機を持っており、それで誰かと話をしている様子だ。


「…へえ、そうかい、クロムバーズは死んだか…いけ好かねえ野郎だったが、まあ予定額の倍を提示しておいて正解だったな。こんなこともあろうかと先に前金を貰っておいて良かったぜ。あん?本当ならもう半分も貰えただろうって…十分吹っ掛けてやったっつうの…馬鹿言うな、ああいう奴が客の時はな、欲を掻きすぎると命まで持ってかれちまうんだよ。…そんで次の仕事は?いくらお偉いさんからの命令でも、もうこの国の軍に関わるのはお断りだぞ。――ほう、今度はまともだな…了解だ。ああ、じゃあな。」

「支配人から連絡かい?ネシティ。」


 額に青いバンダナを巻いた、冒険者のような衣服を着た屈強な男は尋ねる。


「おう、依頼主は死んだってよ。な~にが成功報酬は奮発する、だ。色々と厄介な仕事だったし、甘い言葉に騙されなくて万々歳だ。」


 『ネシティ』と呼ばれた無精髭の、筋骨隆々としたその粗野な男は、折り畳むことのできる椅子から立ち上がってそれを片付けると、良く晴れた空に向かって大きく背伸びをした。


「くう~…彼此半月近くかかったか、ようやくエヴァンニュから解放されるな。おい、この仕事は終わりだ、引き上げる準備しろや。」

「合点だ。んで、今預かってる荷物はどうすんだよ。」

「いつも通り時限式の解錠魔法をセットしとけ。扉さえ開きゃあ、後は勝手に逃げるだろ。俺らの面は割れてねえし、顔を合わせることもねえさ。ほれ、とっととずらかるぞ。」

「ほーい。おう、撤収だ!!三十分で引き上げんぞ!!」


 ――その声に荷物を片付け始めた集団の人数は、男ばかりの六人だ。それぞれがかなり屈強な身体付きをしており、言葉遣いは悪いがネシティを中心として非常に統率の取れた一団だった。

 先程男が三十分で引き上げると言った通りに、やがて荷運び用の駆動車両(カーゴ)に荷物を積み終わると、六人全員がそれに乗り込んであっという間に出発して行く。


 荒野へと砂埃を巻き上げながら消えて行くそれの背後に見えるのは、以前ルーファスがハネグモの特殊変異体(ユニーク)を討伐した、今はもう使われていないシャトル・バスの中継施設だった。


 ルーファスがここに棲み着いていた魔物を駆除して以降、一部の建物は時折破落戸や窃盗団等に利用されることがあり、シャトル・バスの運営会社は見回りを強化していたが、彼らはきちんと許可を取ってこの場所に滞在していたのだった。


 そのことからもわかる通り、ネシティと五人の男性集団は、表向き真っ当な商売をしている一団でもあった。


 ――但し、稀にどうしても断ることのできない、高額な依頼が入ることがある。それが国に仕える組織からの依頼であったり、商業組合などの自分達とは切っても切れない縁のある相手からの仕事である。


「しっかし今回はヤバかったね…危険な匂いがプンプンだったよ。俺ら、本当に犯罪に加担したわけじゃねえんだよな?」

「ねえよ。…多分な。」

「多分かよ!」

「俺達は運んだ荷物の中身がなんなのかを詳しく知らされちゃいねえ。鍵付きの部屋に放り込んで今日まで見張ってただけだ。…ま、呻き声を上げてたし、食料だ水だ用意させられたんだ、十中八九ありゃ人間だっただろうがな。」

「今さらすけど、リーダーはなんだってこんな仕事やることにしたんすか?」

「ばーか、断れねえ相手だったっつってんだろ。依頼主の後ろにゃ、この国の王妃様がいたんだよ。さすがにまだ殺されたくなかったしな。」

「ひい~、おっかねえ…」

「ああ、俺もこりごりだ。おまえらの命を楯に取られちゃ、逆らうこともできねえしよ…とにかく今日中にシェナハーンへ出るぞ。んで今後この国には二度と近寄らねえ。エヴァンニュ絡みの仕事は全部お断りだ、いいな?おまえら!!」

「「「「了解~!!」」」」


 ――ネシティと男達は自分達がなにを運び、なにを見張っていたのか…それ以上気に止めず、エヴァンニュを出たら酒場に寄りたいだの、娼館に行きたいだのとわいわい騒ぎながら去って行った。



 その一時間後――


 ネシティ達の去ったシャトル・バスの中継施設には、元は従業員の宿舎だったと思われる建物があり、そこは魔物の侵入を防ぐために、一階が全て窓のない頑強な作りをしていた。

 大体各階に二十から三十ほどの個室に寝台とトイレ、水の出る流しが完備されており、今でも正常に動く魔石駆動機器による集中的なキー・ロック機構で、各部屋は寝具さえ整えれば十分に人が住める状態にあった。


 その最奥の一室に、四日ほど前からトゥレンが監禁されていた。


 ライの無実を晴らすために奔走していたヨシュアへの手紙を残し、それっきり行方不明になっていた彼は、イーヴからの手紙でとある場所へ向かい、そこで何者かによる魔法罠に嵌められてしまい、気づけばこの見知らぬ場所で木箱に詰め込まれたまま目を覚ましたのだ。


 トゥレンは激しく怒っていた。ライの窮地に間抜けにも罠に嵌まり、もう四日もここに閉じ込められている。

 自分の元へ届いたイーヴの手紙はどう見ても本物だった。つまり自分はイーヴに騙されたに違いない、そうとしか思えず、またそれでもイーヴを信じたい気持ちを棄て切れないことへの怒りも抱いていた。


 目を覚ました初日は、どうにかしてここから出ようともがき、暴れて室内を破壊しまくった。

 だがトゥレンをここへ閉じ込めた何者かは一切接触してくることはなく、どんなに喚いても叫んでも、誰かの声が返って来ることは一度もなかったのだった。


 落ち着いてなにかないかと室内を見回すと、十日ほどは十分に食べられる飲食物と、ご丁寧に寝台には真新しい寝具が用意されていた。

 それを見たトゥレンは、自分を監禁している相手に、殺すつもりはないのだと言うことは理解した。

 そして用意されている食料を見るに、遅くとも十日後には解放される可能性があることも察した。


 しかし、それでは遅いのだ。


 何者かに囚われたあの日の時点で、ライを助け出す猶予は一日しか残っていなかったからだ。


 ≪――今頃ライ様は、帰国したシャール王子によって既に殺されているかも知れない。主の危機にこのような醜態を晒すとは…≫


 闇の主従契約によって、もしもライが命を落とすようなことがあればすぐにわかると言うことすら忘れ、そんな絶望に暴れたトゥレンはあちこち怪我も負っていた。


「ライ様…」


 キンッ…ガチャン…ガコッ


 食事も殆ど喉を通らずに髭は伸び放題、しかも寝台に用意された寝具にではなく、床に大の字になって寝転がっていたトゥレンは、唐突に入口の方から響いて来たその音にガバッと起き上がった。


 ――見ると、どんなに暴れても開かなかった扉が勝手に開いている。


「扉が…ッ!!」


 ここへ運ばれた時、不思議なことに装備していた武器などは取り上げられていなかった。

 トゥレンは急いで剣を装備し直して、四日間着たっきりだった近衛服の前を(はだ)けたまま、慎重に部屋から外へ出る。


 ≪…人の気配はない…ここはいったいどこだ?≫


 やけに古びた印象を受ける建材に、狭くて長い廊下が続いていた。通路の両側に同じような個室が五つずつ並んでおり、形状こそ異なるがまるで軍の宿舎のようだった。

 とにかくここから出よう。そう思い、全神経を索敵と聞こえてくる音に集中してゆっくり慎重に、尚且つできるだけ素早く出口を探した。


 ――壁に内部地図が…


 建物の地図を見つけたトゥレンは、ここが王都から結構離れた場所にある、シャトル・バスの古い中継施設であることを知った。


 ここから王都までは歩くと数時間かかる。それにアラガト荒野は魔物だらけだ。


「…それでも運が良ければ、運行中のシャトル・バスに拾って貰えるかもしれん。出口は…あそこの扉を出て廊下を左か。」


 建物の構造と出口の位置を知ったトゥレンは、どこからも感じられない人の気配に、自分はもう解放されたのだと悟る。

 結局、監禁していた犯人はどこの誰なのか、全くわからないままだ。


 そう思いながら、トゥレンは廊下を走り、真っ直ぐ出口を目指した。ところが――


「!!」


 反対側の廊下から、誰かが走ってくる足音が聞こえる。


 ――まずい、敵か!?


 トゥレンは剣を構え、相手に不意打ちを食らわせようと、タイミングを見計らって襲いかかった。


「ハアッ!!!」

「…ッ!!!」


 ガキィンッ


 ――瞬間、剣と剣が激しくぶつかり合い、音を立てる。


「な…」


 薄暗い通路ではっきりと相手の顔を確かめたトゥレンは、あまりのことに驚愕する。


「トゥ…トゥレン!?」

「――イーヴ…ッ」


 トゥレンが敵だと思い振り下ろした剣を受け止めたのは、自分と同じように少し髭が伸び、顔が窶れた姿をしたイーヴだった。





次回、仕上がり次第アップします。

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