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Eternity~銀髪の守護者ルーファス~  作者: カルダスレス
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01 ヴァハでの暮らし

ウェアウルフに追いかけられ、ヴァンヌ山から戻った村の門前で、魔物を撃退したルーファスは、眩い光に包まれて見知らぬどこかに飛ばされました。それはルーファスにとってもう慣れっこになっていた現象のようですが…?


 ――次に目を開けた時、その景色は一変していた。


 真っ暗だった日暮れ後の星空は、どんよりとした曇り空の、まだ明るい昼間らしき時間帯に変わっており、ウェンリーの姿が見えていたヴァハの村門前にいたはずが、草木の生い茂る森か林の中にでもいるように鬱蒼とした場所にいるのだ。

 おまけに周囲に転がっていたはずのウェアウルフの死骸も消えており、手に触れた地面の感触は完全に腐葉土のような軟らかい土だった。


 俺はすぐに状況を把握し、大きく溜息を吐くと、今にも雨が降り出しそうな灰色の空をしゃがんだままの状態で見上げる。


 また()()()()()のか。…それも、選りにも選ってこんなタイミングで――


 〝…勘弁してくれ。〟と俺は目を覆うように右手を顔に当てる。


 もう、何度目だろう?こんな風にいつも突然で、時と場所を選ばず、なんの前触れもなしに…見知らぬどこかに移動する。

 それは大抵酷い耳鳴りと、吐き気を催すほどの激しい眩暈を伴い、真っ白い閃光に包まれたと思ったら、いつの間にか違う場所にいる。


 初めてこの現象に襲われた時は、さすがに混乱して慌てふためいたものだった。少なくともこの十年間で、100回近くは見舞われたと思う。

 なのにそれだけの回数起きていながら、未だにこの現象が起きる理由も原因も、防ぐ手立てさえも全てが不明なままだ。


 不可思議な現象、と言えば、一応この世の中には『魔法』と呼ばれる力が存在している。

 その中には様々な種類があって、『転移』という一瞬で遠くに移動出来るこの現象に似たものがあるらしい。だがそもそも俺は、その『魔法』自体が使えない。

 どうやって使えるようになるのかも知らないし、呪文とやらも聞いたことはあるが意味がわからず、全く理解不能だった。


 それにもしこれがその『転移』という『魔法』とやらだったとしても、だ。時間まで変わるというのは本来、()()()()()()()()ことだろう。


 なのに俺のこの現象には、なぜかその時間の変化までもが起きている。


 今のように夜から昼に変わったり、明らかに目に見える風景が今の時代と違っていたりして、それは二つとして同じ景色がなく、恐ろしいまでに様々だ。

 ただ不思議なことに、飛ばされた先で人や魔物、なにかの特別な動物に出会ったことは一度もなかった。

 遠くから街や集落らしきものを見かけたり、遺跡や洞窟といった場所にいることがあっても、詳しく調べようとする前になにか見つけたところで、大抵すぐに元の場所へと戻されてしまうからだった。


 それでも…このことにはなにか重要な意味があるような気がして、俺はいつもできる限り飛ばされた先でのことは、こと細かく覚えておくように心がけていた。


 そしてそれは今日も同じだ。溜息を吐いて項垂れたところで、動かないままボケッとしていても帰ることは出来ない。それは以前試してみて確認済みだった。

 要するに飛ばされた後は、見えない何らかの条件を満たさないと、元の場所には戻れないのだ。


 ――そのために俺は諦めて立ち上がると、とりあえずこの鬱蒼とした草木に囲まれた場所から、"なにか" が見える場所まで移動を始めた。

 ガサガサと背の高い草を掻き分け、少し明るく見える方へと進んで行く。


 …森とか林って大抵どこでも景色が似通っているよな。特別その場所固有の植物とかなにかの目印でもない限り、正直に言って一体どこの森(または林)なのか、さっぱりわからない。

 そんな場所を何回見ただろう?…もう覚えていないな。…ざっと見回した感じじゃ、ここも特別変わったものはなさそうだし、周囲の木や草も、これと言って特徴がなさそうだ。…そう思った時だった。


 低木が途切れ、少し開けた場所に出たそこは、なんだか見覚えがあるような山道で、木々の隙間に見える崖の形や、岩の配置に普段から見慣れた印象を受けたのだ。

 あれっ?と思い足元に視線を移すと、道端の草叢に、風に揺れる真珠色の小さな花が群れを成して咲いていた。


「…!?この花は――」


 見間違えるはずもない。それは今日、ウェンリーと二人苦労して一日がかりでやっと集めた、神の花…『ヴァンヌ草』だった。

 言うまでもないが、ヴァンヌ草は栽培が不可能な上に、なぜかヴァンヌ山にしか咲かない。…ということは、ここはまさかのヴァンヌ山だということだ。


 ここはヴァンヌ山なのか…!?…でもそれにしては普段とほんの少し違うような…?

 そもそもこんなにたくさん、この花が咲いていること自体おかしい。そう思い、目の前のヴァンヌ草を眺めていると、ポツ、ポツン…ポツンと、一つ、二つ、と雨粒が落ちてきて、すぐにザアアーと音がするほどかなりの量の雨が降り始めた。


 この雨…なんだろう、なんだか…胸がモヤモヤして、凄く嫌な気分だ。


 不安になる、と言えば良いんだろうか?胸騒ぎ…とも違う。ただ雨が降ってきただけなのに、とにかく胸の辺りに複雑な感情が渦を巻いているような、なんとも言えない嫌な気分になり、俺は濡れるのにも構わず、暫くの間そこに立って空を見上げていた。


 飛ばされてこんな気分になるのは…初めてだ。…ここがヴァンヌ山なら、麓にはヴァハの村があるはずだし、なにがあるのかはわからないが、ここに突っ立っていても仕方がない。…とりあえず下って行ってみるか。


 泥濘み始めた地面の水溜まりが、パシャ、パシャン、と俺が歩く毎に音を立てている。もう着ている衣服もびしょ濡れだ。

 この状態で元の門前に戻ったら、また村の人達に気味悪がられそうだな、と思う。なぜならどれだけ飛ばされた先で時間が経っても、戻ると精々五分ほどしか経っていないからだった。

 既にここへ来て一時間ほどの時間が過ぎた感覚だし、そろそろヴァハへの道標も見えてくるだろう。

 雨も少し降りが弱くなって来たか?そんなことを思った時だ。不意に視線を感じた俺は、その場に立ち止まり、警戒して周囲を見回した。


 これまで飛ばされた先で人や動物に出会ったことがないと言った通り、当然誰かに見られているように感じるのもこれが初めてのことだった。

 額から滴る水を手で拭いながら視線の(ぬし)を探す。ハッとして上を見ると、十五メートルほどの崖の上から、じっとこちらを見ている、とても大きな銀色の狼を見つけた。


≪銀色の…狼…?魔物じゃないな。だけど雨が…なにかに弾かれてでもいるみたいに、身体全体が光っている…?≫


 それは見るからに不思議な雰囲気を持った狼だった。


 バシャンッ


「!」


 数メートル先で水溜まりを踏む音と、人の気配を感じてそちらに視線を向ける。すると聞き覚えのある、子供の声が耳に飛び込んで来た。


「ま、待っててくれよな、すぐに大人を呼んで来るから…っっ!!!」


≪この声…!?≫


 俺は急いで声の主を確かめようと、遠ざかって行く足音を追いかけるようにその場所へと向かう。

 坂道を駆け降りて行く、辛うじて見えた赤毛の少年の後ろ姿に、俺は驚いて目を見開いた。


 ――やっぱり…ウェンリー!!


 ヴァハに来て以来、ずっと傍にいてくれる俺の親友…どれほど時が経ち成長しても、以前の姿を見間違えるはずがない。

 一瞬呆然となるも、再びハッとなって銀色の狼がいた崖の上をもう一度見上げた。…けれど既にもうその姿はなかった。


 どうやら今回のこの現象は、今までとかなり違うみたいだ。会話こそ交わしていないが、人や動物に出会ったのはもちろん、その相手が子供の頃のウェンリーで…実際には出会ったことのない、初めて見かける銀色の狼まで登場した。

 そしてヴァンヌ草がまだ群生しているヴァンヌ山…はっきりとわかる、ここは()()()()()だ。

 どのくらい前だろう…?ウェンリーのあの姿…出会った最初の頃に近いか?


 出会った当時のウェンリーはまだ少年で…俺のことをルーファス兄ちゃん、と呼んでいつも後を付いて回っていた。

 さっき見かけたあの姿は、声といい、身長といい、その頃のウェンリーに近いような気がしたのだ。


 不意に襲ってくる不安。止みかけた雨が、霧雨のように細かくなって、さらに俺の前髪から水を滴らせる。

 さっきから強くなるその胸のモヤモヤに、再び嫌な気分が増して来た、次の瞬間だ。


「…そこに…いる、のか…?ルー…ファス…――」


 全身の毛という毛が逆立ち、背中を冷たいものが瞬時に駆け抜ける。これを、恐怖、と言うのだろうか?


 すぐ近くから聞こえたそれは…『俺の声』だった。


 あり得ない。俺は、ここにいるのに。どんなに否定しても耳に聞こえた声は、確かに自分のものだった。

 まるでなにかに吸い寄せられるように、ふらりと足がそちらへ向かう。頭では、よせ、行かない方がいい、絶対に!!と警告を発しているのに、抗えない。

 …どうしても確かめずには…いられなかったからだ。


 ――雨に濡れた岩の影に、凭れるようにして… “彼” はいた。


 全身傷だらけで、ズタズタに裂かれた衣服は鮮血に染まり、銀色の髪からも水滴に混じって真紅の液体が滴っている。その流れ出した血液が、地面までもを広範囲に渡って赤く染めていた。


≪…どうしてそんなに、酷い怪我をしているのだろう。誰に、なぜやられたんだ。≫


 まるで他人を見るように、彼を見て、俺はそう思った。


 ああ、そうか…ここは十年前のヴァンヌ山…俺がウェンリーに助けられた、その日か。

 鏡を見るように互いが互いの瞳を真っ直ぐに見つめる。


「…もう…時間が…ない…」


 今にも意識を失いそうに朦朧としながら、やっと息を吐き、彼は告げる。


「お…まえ、が…過去から…来たのか…、未…来から…来たのか…は、わから…ない、が…――」


 キイィィィ―――ィィィ…ン…


 再び唐突にそれは始まった。


「ア…―――…に…気を…―――…」

「まっ…」


 〝待ってくれ〟そう言おうとしたのだが、その前に "条件" を満たしたのか、元の場所――


「ルーファス!!」


 俺を見てすぐに駆け寄って来るウェンリーの姿が見える。


 ――つまりはヴァハの門前に戻されてしまったのだった。


 そこはまた、いつもの見慣れた景色で…俺は少しの間その場に立ち尽くす。


 ≪最後の言葉…よく聞き取れなかったけど…――≫


 なにが言いたかったのだろう。そう思う俺の顔を覗き込み、ウェンリーは大丈夫かと尋ねた後で、ポタポタと水が滴るずぶ濡れの衣服に驚き、「なんでこんなびしょ濡れなんだよ!?」と唖然とした。


 俺はたった今この目で見てきたものが、あまりにも現実離れし過ぎていたことに呆然となりながらも、俺のこの突発的な現象にすっかり慣れてしまっているウェンリーに、飛ばされた先で雨に降られたことを告げた。

 半ば呆れたように、さらになにか口ごもったウェンリーだったが、小言は後、とでもいうようにまあいいや、と呟くと、怪我をしていないか俺の身を案じる。


 ウェンリーにとって重要なのは、俺が怪我をしているかいないか、であって、異質なものと気味悪がられる体質のことなど一切関係がない。

 傷を負って簡単に治ろうが消えようが、痛みを感じることに変わりはないと、いつだって真っ先に心配してくれるのだ。

 その俺に対する偽りのない優しさが、俺にとってなによりの宝だった。純粋に他人を思いやる飾り気のない優しさと温かさ。真っ直ぐな気質と、出会った時から変わることのない俺に向けられる、絶対的な信頼。

 それはとても稀有なもので、俺には(まばゆ)く輝く光その物に見えるのだ。


 そんなウェンリーを、俺が誰より大切に思ってしまうのは、至極当然のことだと思わないか?


 俺を心配するウェンリーに、大丈夫だと返しながら俺はもう一度周囲を見回す。飛ばされる前に散らばっていたはずの死骸が、既に脇に積まれて土をかけられ(死骸が他の魔物を呼び寄せるのを防ぐためにする)、片付けられていた。

 今日のはいつもと違ったし、戻るまで時間がかかったのかもしれない。そう思った俺はウェンリーにどのくらいの時間消えていたのか尋ねた。


「えーと…精々――」


 俺の問いに答えようとしたウェンリーを遮り、突き刺すような視線を投げかけて、少し離れたところにいた中年男性が答える。


「精々5、6分だ。」


 そしてもう一人その隣に立ち、俺を冷ややかに見ていた男性が、間を空けず苛立った口調で続けた。


「おい、中に入りたいのならさっさと入れ!こっちは門を閉めなきゃならねえんだ、いつまでそうしてるつもりだ!?」


≪まずい、迷惑をかけている。≫


「すみません、今入ります!」と慌てて立ち上がりそう言って、俺は急いでウェンリーと一緒に門の中へと駆け込んだ。


 彼らは今日の見張り当番で、この後も一晩中四人一組で門前を見張り、急な来訪者や魔物の襲撃がないか、寝ずの番をしてくれるのだ。

 俺はと言えば、守護者は襲ってきた魔物を駆除するのが仕事だと免除され、見張り番が回ってくることはない。…と表向きはそうなっているが、実際はウェンリー以外誰も俺とは組みたがらず、一人で当番は熟せないため、結局は外されることになったのだ。(因みにウェンリーは俺と一組で考えられているらしい)


 まあそれでも、魔物が押し寄せて門に近付き、追い払っても諦めない場合などにはすぐに呼ばれることになるので(そんなことは滅多にないが)、いつでも戦えるようにしておかなければならないことに変わりはない。


 その擦れ違い様、中にいた門番の一人に舌打ちをされる。


「…ちっ、相変わらず薄っ気味の悪い…消えたと思ったら数分でずぶ濡れになって戻りやがって。」


 その言葉は、俺に聞こえるようにわざと言っていた。案の定この姿を気味悪がられてしまったのだ。

 こっちは雨も降っていなければ池や川もすぐ近くにはない。単純に考えてずぶ濡れになる要素がなにもないのだから、そう思われても仕方がないと思う。


 普段から俺は終始こんな感じで、おそらくは悪態のつもりで投げかけられる言葉なのだろうが、ほとんど気にしたことはない。

 この村の人達の口から出る言葉は、単に俺を異質な存在と不審に思っているだけで、殺して排除しようとか、袋叩きにして危害を加えようとか、明確な憎悪や悪意から来るものではないと知っていたからだ。

 それはここのように閉鎖的で小さな集落にはよくあることで、大きな変化を嫌い、余所者を受け容れ難い風習を持つ地域には、得てしてありがちなものでもある。


 それでも、ここの人達は俺に出て行けとは言わない。俺に記憶がなく、どこにも行く当てがないと知っているからだ。気味が悪いと疎みながらも俺がここにいることは認めてくれている。

 だからこそ俺には感謝の気持ちの方が大きく、俺に出来ることでこの村を守り、少しでもその恩を返したい、と思っていた。


 でもそんな俺の気持ちはウェンリーにはわからないらしく、今のように俺に向けられた言葉に、すぐに反応して食ってかかることが当たり前のようになっていた。


 そしてこの瞬間も――


「おい、おっさん!!」


 子犬が気に入らない相手に歯を剥いて唸るように、今にも噛みつきそうな勢いだ。


「ウェンリー…!」


 俺はその左腕を右手で掴んで引き寄せる。


「ふん、そうして並んでいると、どうしてウェンリーよりおまえの方が幼く見えるんだろうな?その見て呉れ…いつまで経っても十年前と全く変わらねえ。あの突然消えて現れる妙な力と言い、気色悪いんだよ、化け物め…!」


 その中年男性に、貶んだ視線を投げかけられた。


「んだとこのクソじじい!!もっぺん言ってみろこの…っ…!!」

「ウェンリー、いいから!」


 掴んだ腕の抵抗値が振り切れる前に、さらにぐっと押さえ込んで諫める。俺にしてみれば、こんな風に言われて相手に突っかかって来られることよりも、俺を庇うことでウェンリーが喧嘩を仕掛けることの方が、余程嫌だった。


 事を荒立てたくなくて、俺はウェンリーに早く家に帰ろう、と促す。俺がお世話になっている長の家では、きっとゼルタ叔母さん(長の奥さんをそう呼んでいる)が心配して帰りを待っているはずだからだ。

 ウェンリーは相手をギッと睨みつけた後、渋々俺と一緒にその場を離れて歩き出す。そのぶつけられなかった不満が俺への苛立ちに変わり、口をついて放たれた。


「なんで何も言い返さねえんだよ…!おまえがいつもそうやって好きなように言わせておくから、あいつら付け上がるんだろうが!!」


 ――〝化け物〟か…久しぶりに言われたな、と俺は苦笑する。


 どちらかと言えば最初は記憶を失くした俺に同情的だった村の人達も、七年ほど前のある出来事以降、少しずつ俺から遠ざかり始め、ここへ来て五年ほどが過ぎた頃から、ウェンリーとウェンリーの母親であるターラ叔母さん、そして村長とゼルタ叔母さん以外は、誰も俺の傍に近寄らなくなった。


 だがそれには理由がある。


 ここで俺の今現在の外見について話しておこう。俺の髪は白に近い銀色で、前髪と脇は長めの不揃いなザンバラ切りに、普段は後ろ髪を一本に結んでいるが、腰より少し上ぐらいの長さがある。

 眉は髪と同じ銀色で、瞳の色は青に近い緑色をしており、顔は童顔で少し子供っぽく、どう見ても二十歳そこそこにしか見えない。

 ここまで言えばわかる人にはわかると思うが、要するに、ここへ来た当初から全く変わっていないのだ。


 そう口で説明したところで、信じて貰えるかはわからないが、どうやら俺はこの外見から一切年を取らない体質らしい。とどのつまりは『不老』だ。


 そのことに気が付いたのは五年ほど前になるか、ここへ来た当初、俺は村の若者達の代表格である、三人の男性とほぼ同年代だと思われていたのだが、彼らが成人して年を重ね、年々いい大人になっていくのに対し、俺はと言えば、徐々に成長するウェンリーとの差の方が縮まって行き、気付けば殆ど変わらなくなってしまった。

 いくら普段一緒にいて日々の差は僅かだと言っても、五年も経てばさすがにおかしいと周囲も気付き始める。

 そうして誰からともなく俺のことを〝化け物〟と影で噂するようになったのだ。


「そう言うなよウェンリー、第一俺はそこまで気にしていないんだ。見た目が変わらないのも本当のことだしな。」

「だからってあんな言い方される筋合いはねえ!!おまえ、少しは腹立たねえのかよ!?」


 目くじらを立てて詰め寄るウェンリーに、どう答えたものかと逆に悩む。


 正直に言って腹を立てるとか、そういう感情は湧いて来ないんだよな。残念だとか寂しいとか、少し悲しいなとかは偶に思う時もあるけれど、これは俺にとって怒るようなことじゃない。


 そう思った通りに口にしたら、ウェンリーがもっと怒り出した。


「おまえな…!」と並んで歩いていた足を止め、俺の左腕を掴んでウェンリーが引っ張る。

 その時不意に奔った腕の痛みに、俺は思わず顔を歪ませた。


「痛っ…」

「!?…って…怪我してんじゃねえかよ!!」


 着ていたシャツにいつの間にか血が滲んでいて、ウェンリーがすぐに袖を捲くると数カ所に牙による深い噛み傷が付いていた。それを見てようやく俺は戦闘中の出来事を思い出す。


 ああ、そう言えばさっきウェアウルフに左腕を噛ませたんだった。


 今の今まで完全に忘れていた俺に対し、一気に怒りが冷めたのか、ウェンリーはその表情を一変させると、急いで頭のバンダナを外して俺の腕に巻き始めた。


「悪い…俺気付かなくて強く引っ張っちまった。とりあえず止血するけど、早く手当てした方がいいよな…大丈夫か?」

「ああ、大したことはない。俺自身すっかり忘れていたくらいだから大丈夫だよ、ありがとうウェンリー。」


 そんなに心配しなくてもこの程度の傷なら、すぐに治ってしまうんだけどな。…そう思いながらも自然に顔が綻ぶ。


 直前まで怒っていても一瞬でその態度が変わるほど、ウェンリーは俺を心配してくれる。そもそもその怒っていた理由も結局は俺を思う感情から来るものだ。

 さすがにもう大きくなって子供の頃のようにはいかないけれど、それでも俺はこんなウェンリーが弟のように思えて可愛くて大事で仕方なかった。


 心配してくれるのは素直に嬉しい。そんな感情が顔に出ていたのか、俺は無意識にウェンリーに対して微笑んでいたみたいだ。

 その俺の顔を見ると、ウェンリーはほんの一瞬その琥珀色の瞳を曇らせて視線を逸らし、またその表情を変えた。


「――畜生…クルトの奴、許せねえ。」

「…?」


 なぜここでその名前が出て来るんだ?と俺は不思議に思い首を傾げる。


 クルトというのはヴァハの有望株若手三人組の一人で、ネメス病にかかってしまったエリサの兄、次期村長であるシヴァンを筆頭に、もう一人ラディという名の男性と共に、なにかと俺に絡んでくることのある人物の名前だった。


「あいつが門を閉めなけりゃ、おまえだって隙を見て村ん中に逃げ込めたのに…!!」


 悔しそうに歯噛みするウェンリーは独り言のようにそう言った。


 そうか、門を閉めるように指示したのはクルトだったのか。ウェンリーの言葉から俺はそう推測する。でもそれは怒るようなことじゃない。

 確かに俺も戦闘を避けて逃げ込めるか、とは一瞬考えたけれど、そもそも俺は魔物から人や村を守るための職にある守護者だ。

 守護者が魔物を討伐するのは当然のことだし、たとえ村の中に逃げ込めていたとしても、あのままウェアウルフの群れが引き下がらなければ、結局は戦うことになる。


 ウェンリーが俺のためになにを悔しがっているのか、その気持ちはわからないでもないが、そもそもの前提が間違っていた。

 そう宥めようとした俺を置き去りに、突然ウェンリーが走り出し、もの凄い勢いで脇を擦り抜けて行った。


「ウェンリー!?」


 どうしたのかと驚いて振り返ると、ウェンリーが誰かに向かって一直線に突進して行くのが見えた。


 ≪あれは――≫


「クルト、てめえっっ!!!」


 少し手前で攻撃態勢に入ったウェンリーは右腕を脇に引き絞り、誰かが止めに入る間もなくそのまま相手に殴りかかって行く。


 ガッ…ダァンッ


 相当な怒りと、俺の前から走って行ったその勢いも加わって、力と速さの乗ったその拳がクルトの左頬に炸裂する。

 血の気が引いた俺の視線の先でクルトは吹っ飛び、すぐ近くにいたラディの脇に背中から倒れ込んだ。

 その全ては一瞬のことで、気が付いたら俺は、尚も暴れてクルトに食ってかかろうとするウェンリーを後ろから押さえ込んでいた。


「許せねえ!!てめえ今、笑ったな!?ルーファスが怪我したのを見て笑っただろ、この野郎…っ!!!」

「ウェンリー!!ウェンリー、止せ…!!」


 その敵意を剥き出しに、感情のまま顔を歪ませるウェンリーを見て、俺は…ただ悲しかった。ウェンリーにこんな顔をさせているのは、他の誰でもない、俺だからだ。

 心配してくれるのは嬉しい。俺を思って怒ってくれるのも、少し複雑だけど…時と場合によっては嬉しいと思うこともある。だけど俺はウェンリーにこんなことをして欲しいと思ったことは一度もなかった。

 ウェンリーにはいつものようにただ、俺のそばで笑っていて欲しいだけなんだ。


 …どうしたらわかって貰えるのか――


「放せって!!もっと殴らせろ、この…――っ」


 ウェンリーが俺の目を見た瞬間、その動きを止めた。


 腹の虫が治まらない、という顔をしながらもその熱が一気に引いて行くように、急にその穂先を下ろしたのだ。

 ホッとした俺は押さえていた力を緩めてウェンリーの身体から手を放すと、殴られて既に頬が腫れ始め、口の端から血を流したクルトの元に行き、助け起こそうと手を伸ばした。


「大丈夫か?クルト。」


 そう声を掛けた俺をクルトは一瞥し、その目になんの感情も映さずに立ち上がると、同じように声を掛けたラディに大丈夫だ、と返事をして、後はこちらを見ることもなく俺達から離れて行った。


 ――周囲にいた他の人達は、なにも言わずに俺を冷ややかな目で遠巻きに見ている。その視線が、誰からもウェンリーに向けられなければそれでいい。


 クルトに掴んで貰えなかった差し出した手をきゅっと握ると、俺は顔を上げて少し俯いていたウェンリーに笑いかける。


「帰ろう、ウェンリー。ゼルタ叔母さんが家で待っている。」


 俺達は村の奥に向かって再び歩き出した。



 ――俺達が住むヴァハの村の一番奥に、村内で最も大きな木造平屋建ての建物がある。


 ここは村長(むらおさ)の自宅であり、宿泊施設のないヴァハでは、稀に訪れる客人は皆この村長の家に滞在することになっていた。

 また、この家は役所のように会議を行う集会所や、僅か80人ほどしかいない住人の緊急時避難場所もかねており、様々な村の歴史的史料、住人名簿や王都との連絡を取る通信設備など、重要な施設の役割も担っていた。


 この家の(あるじ)であり、俺が最もお世話になっているその(おさ)の名は『バジル・ラムザウアー』という。俺は普段彼を『(おさ)』と呼んでいるが、長は医療施設もない村唯一の医師兼薬師であり、もう七十を過ぎた高齢の知恵者だ。

 長には七つ年下の奥さんがいて、俺はその女性を、『ゼルタ叔母さん』と呼んでとても大切に思っていた。

 なぜなら夫妻の間には子供がなく、記憶を失って行き場のなかった俺のことを、まるで実の息子のように思い、本当の母親のようにいつも優しく接してくれていたからだ。


 そのゼルタ叔母さんが、甥っ子のウェンリーと俺のために、食事を用意して待っていてくれた。家の中に入ると、夕食のいい匂いが廊下に漂っていたからすぐにそうとわかったのだ。


「ただいまあー!」


 …というこの第一声は俺じゃない。リビングの扉を慣れた様子で俺より先に開けて入った、ウェンリーの声だ。


「おまえの家はここじゃないだろう。」


 呆れた俺がそう言うと、ウェンリーは悪びれもせずニッと歯を見せて笑う。


「気にすんなよ、ここも俺の家みたいなもんだし。」


 ウェンリーの家は、村の中心にある井戸広場からほど近い場所にあって、村唯一の小さな雑貨屋を、母親であるターラさんが一人で営んでいる。

 そのターラさんがゼルタ叔母さんの年の離れた実妹で、ウェンリーにとってゼルタ叔母さんは、本当の意味で "叔母さん" だ。

 だからここも家のようなものだ、と言いたいらしい。


 普段となんの変わりもない俺達のやり取りを見て、ゼルタ叔母さんは安心した顔をして微笑んでくれた。


「お帰りルーファス。ウェンリーもね、今日は大変だったろう?」


 ゼルタ叔母さんは亜麻色の髪を後ろで丸めて留めた髪型に、亜麻色の瞳を持つ、少しふくよかな女性だ。血が繋がっているせいか、どことなくウェンリーとも似ていて、とても優しげで家庭的な温かみのある雰囲気を持っている。


「ただいま戻りました、遅くなってすみません。あの…ゼルタ叔母さん、タオルありますか?」


 俺は髪から滴る水を服の袖で拭いながら尋ねた。


「どうしたんだい、ずぶ濡れじゃないか…!」


 ゼルタ叔母さんは驚いた顔をして、すぐ傍に畳んで置いてあった洗い立てのタオルを俺に手渡してくれた。


「ああ、平気平気、ルーファス()()雨に降られたんだよ。」


 さらりとそう言ったウェンリーのその一言で、俺になにがあったのかを察したゼルタ叔母さんは、それ以上なにも聞かなかった。

 …実は俺は、ゼルタ叔母さんの目の前でも、今日のように突然 "飛ばされた" ことが何度かあった。

 俺のあの現象は、時と場所を選ばず、普段からなんの前触れもなくああして、人前でも構わずにいきなり起きるのだ。

 その度に誰か人を巻き込まないか、といつも俺は慌てる。今のところ誰かを巻き込んだことはないが、もし万が一ウェンリーやゼルタ叔母さんを巻き込んだら、と思うと気が気じゃなかった。


 ウェンリーは腹が減った、と口に出した後、言わなくてもいい余計なことをまた口に出す。放っておいても短時間ですぐに治るのに、俺が左腕を怪我しているから治療してやってくれ、と言ったのだ。

 心配をかけたくなくて黙っているのに、そんな俺の気遣いなど少しもわかってくれない。

 案の定ゼルタ叔母さんは心配して声を上げ、薬箱を手に「すぐにお見せ!」とおいでおいでをする。


 俺は抵抗せずに大人しく怪我した腕を見せた。


「縫わなくても大丈夫そうだけれど、傷が深いね…痛むかい?少し沁みるよ。」

「…痛っ…」


 消毒薬の刺すような刺激に思わず顔を顰める。大半の傷はすぐに治ってしまう俺は、逆に薬の刺激が実は苦手だ。

 俺の自然治癒力が異常に高いことを知っているウェンリーとゼルタ叔母さんは、それでも俺の身体を心配して極当たり前のように治療してくれる。

 そんなゼルタ叔母さんに、俺は申し訳なく思って謝ると、叔母さんは俺が無事ならそれでいい、と包帯を巻きながら微笑んでくれた。


 そうして俺とウェンリーは、ゼルタ叔母さんが用意してくれた少し遅い夕食にようやく有り付いた。


 その夜、ウェンリーがとんでもないことを俺に言い出すまでは、俺のヴァハでの日常は、大体がこんな感じだった。

 

修正投稿中につき、番号等おかしな部分があります。ご了承ください。

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