187 時間逆行<クロノ・リバース> 前編
無の神魂の宝珠を解放したにも拘わらず、突然消失した魔力に息をしていないイスマイルを見て、ルーファスは愕然としました。きちんと封印を解いたはずなのに、どうして失敗したのかがわからなかったからです。困惑するルーファスに、サイードは原因を探るため、過去へ飛ぶことを提案してくれましたが…?
【 第百八十七話 時間逆行<クロノ・リバース> 前編 】
イスマイルが、息をしていない…?そんな――
なにが起きたのかわからないまま、俺は混乱しながらもシルヴァンに抱き起こされているイスマイルの元へ急いだ。
「イ、イスマイル…っ」
「イスマイル様!イスマイル様、目を開けて下さい!!」
ログニックさんはどうしたらいいのかわからない様子で、おろおろしながらただ彼女の名前を呼び続けていた。
「下がっていろキエス!リヴ、我と二人で治癒魔法をかけるぞ、もしかしたら身体が弱っていたのかもしれぬ!」
「承知した!!」
シルヴァンとリヴは、すぐさまその場でイスマイルに治癒魔法をかけ始めた。だが俺は彼女の近くに来ただけで、イスマイルの体内に〝あるはずのもの〟が欠けていることに気づいてしまい、みんなにこの事態をどう説明すればいいのかさえわからずにまた混乱する。
身体が弱っていた…?…違う…そんなんじゃない…これは…この状態は…
本来なら俺が真っ先にそうしなければならないのに、シルヴァン達の必死な治癒魔法による、淡い緑光が辺りを照らす中…必死に纏まらない答えを纏めようとして足掻いていた。
「…ファス!ルーファス!!しっかりしなさい、あなたが呆然としていてどうするのです!?」
そんな俺はサイードに腕を掴まれ身体を揺すられて、やっとどうにか顔を上げると彼女を見る。
サイードも困惑し焦っているように見えるが、それでも俺よりは遥かに冷静だった。
「こんなはずじゃない、なんだかおかしい、と言いかけていましたね?今わかることだけでいいのです、なにを言いたかったのかもう一度私に話してご覧なさい!」
「サイード…」
真剣な表情でそう言われ、俺は狼狽えながらも、さっきおかしいと感じたことをなんとか掻い摘まんで話した。
「神魂の宝珠はキー・メダリオンにきちんと融合したのに、流れ込んで来た魔力はどこかに消えてしまい、封印されているはずの記憶は戻らず、解除される無属性魔法も使えないまま…これで合っていますか?」
「あ、ああ…そうだ。封印の解除に失敗したわけはないと思う…俺は間違いなくきちんとイスマイルを解放したはずなんだ。それなのにどうして…?」
僅かほんの少し前、自分が行ったことを何度具に思い返してみても、どこが悪かったのか、なにがいけなかったのかどうしてもわからなかった。
「落ち着いてルーファス、時間がありません。イスマイルさんの魂はどこです?あなたになら見えるのでしょう、彼女の魂は本体に戻っていますか?」
サイードが俺に的確な質問をしてくれたおかげで、俺はようやく自分の言いたかったことを口に出すことができた。
「ああ、それだ、俺はそのことを言いたかったんだ…!いないんだ…彼女はあそこにいない、イスマイルの魂も一緒にどこかへ行ってしまったみたいなんだ…!!」
「…!」
サッと顔色を変えたサイードと共に、治癒魔法をかけ続けていたシルヴァンとリヴ、そしてログニックさんも青くなって俺を見た。
その表情はすぐにも俺に理由を尋ねたそうにしていたが、俺が混乱していることもわかっていて敢えて彼らはグッと堪えてくれていた。
サイードが俺を落ち着かせようとしているのに、彼らが煽ればその分、余計収拾がつかなくなることを知っているからだと思う。
「どうすればいい?サイード、俺はどうすれば…っ!!」
――このままではイスマイルは死んでしまう。生命維持装置のクリスタルから既に出された本体は、生命の核である魂が戻らなければ、その活動を維持することは出来ないからだ。
それを証明するかのように彼女の桜色だった唇は紫になり、頬の赤味は段々と血の気が失せて青白くなって行く。
もうあまり時間がない。そう思いながら、刻一刻と迫る命の危険に、急速に変わって行くイスマイルを横目に見て、俺は完全に我を失っていた。
「大丈夫です、ルーファス!まだ間に合います、息をしていなくても彼女はまだ生きています!!そしてあなたには私がいる…説明している暇はありません、封印解除の際になにが起きたのか、少し前の過去に戻ってその原因を探るのです!…行きますよ!!」
「…サイード!?」
なにをするのかと尋ねる間もなく、サイードはすぐさま俺と自分にだけ時空転移魔法を使用した。瞬間、シルヴァン達の時間が止まっているのを見た。そこに時空点が作られた瞬間だ。
だが今回サイードが使ったのは、俺達の身体自体は移動せず、精神(意識)だけを数分前の過去に移動させるという、特殊な時魔法だった。
「これは…!?」
――生命維持装置にクリスタル…中には眠っているイスマイルの本体がいる。そして六角形の聖櫃前にもう一人の俺が立ち、その後ろにシルヴァンとリヴ、さらに下がって入口近くに、やはりもう一人のサイードとログニックさんがいた。
「見てわかる通りここには数分前の私達が存在しています。実体を伴う転移では、同じ時間軸で過去の自分達と鉢合わせてしまいますから、それを避けるために意識だけを過去に飛ばしました。ルーファス、神魂の宝珠の封印を解く自分と生命維持装置の状態や、周囲の状況を良く観察して、なにか異変が起きていないかを調べるのです。私も手伝いますから、協力してああなってしまった原因を見つけ出しましょう。」
「ああ…、ありがとうサイード…!」
そうか…俺がもし解除に失敗したのだとしたら、自分自身を客観的によく見ていればわかるはずだ。
そしてもし他に原因があるのなら、それもきっとわかる…だからサイードは俺をここに連れて来てくれたのか…!
俺は落ち着きを取り戻し、急いでまず生命維持装置とクリスタル、呪文画面出現前の聖櫃や室内の状態をしっかり歩き回って調べてみた。だがなにもおかしな点は見当たらない。
俺達は数分前の過去に来たが、ここで "過去の俺達" の時間は正しく未来へ流れている。ぐずぐずしていたらあっという間に封印は解かれ、現在の俺達の時間になってしまうのだ。
今となっては、俺が生命維持装置の前でイスマイルと話をしていた時間が、途轍もなく貴重だった。
――だめだ…なにもない。そうだよな…なにかあれば室内に入ってすぐに気づいたはずだ。そもそもそれ以前に、守護七聖主の扉は無の神魂の宝珠がここに安置されて以降、千年間閉ざされたままだったんだ。
この部屋自体が髪の毛一本、蟻の子一匹入ることのない、俺の施した結界で覆われていたんだし、窓もない完全な密閉空間なんだから、俺達の他に誰かがなにかを仕掛けようとしても入れるはずはないんだ。
だとすると…この部屋に原因はない?
「室内には特になにもないようですね。」
「ああ、俺も生命維持装置や聖櫃を見てみたけど目ぼしい物はなにもない。」
俺達が動き回っていた間、まだ過去の俺はじっと目を閉じて、聖櫃の前に佇んでいた。
「封印解除前の暫くの間、あなたはああして生命維持装置の前でなにもせず、じっとしていたようですが…あれはなにをしていたのです?」
「あれは泣いていたイスマイルの魂と、話をしていたんだ。彼女は自分のしたことで俺達が国王に追われることになったと、悔やんでいたから…」
「そうだったのですか…ああ、ルーファス、始まりますよ。あなたが封印の解除に入るようです、良く見ていましょう。」
――サイードから説明はなかったが、これだけ動き回っても俺達の姿は数分前の俺達には見えず、話し声も一切聞こえないみたいだった。
こんな非常時に不謹慎だけど、ほんの少し前の自分を横から見ているなんて、なんとも言えない奇妙な感じがする。
まるで硝子越しに現映石の中に入った自分達を見ているような、ここは全く同じ場所なのに、今の俺達は別の空間にいるかのような…そんな風に思えてとても不思議だ。
俺がこれまでに経験したことのある時空転移魔法とは、かなり違うな。
数分前の俺が解除の呪文を唱え、聖櫃の蓋が開いて『無の神魂の宝珠』が飛び出して来た。
イスマイルの許可によって出現した、画面に表示されている解除の呪文に間違いはなく、俺も一言一句言い間違えたりはしていない。
そしてすぐに神魂の宝珠は俺の手にあったキー・メダリオンの上に移動して、俺の身体に膨大な魔力がブワッと全身に覆い被さるように流れ込んで行くのが見えた。
「…!」
サイードには見えていないようだけど、俺には見える…我が力ながら、なんて強大で膨大な魔力だ…!!
客観的に見たせいなのか、それははっきり言って自分でもゾッとするほど異常な量だった。
良くあれほどの魔力量がこれまで俺の身体に収まり切って来たな…自分ではわからなかったけど、こうして見ると器に入りきらない魔力が、無理やり体内に収まろうとして悲鳴を上げているように見える。…まさかあれのせいで俺は以前倒れたんだろうか。
いや、今はそれどころじゃない。――間違いない、神魂の宝珠から戻った俺の魔力は、確かに俺の身体に移動している。それなのになぜ…?
「あっ…!!?」
――その時起きた異変は、一瞬のことだった。
神魂の宝珠から移動し、俺の身体に無理やり収まろうとした膨大な魔力が、フッと、掻き消すように消えてしまったのだ。
「俺の魔力が…魔力が消えた!!」
なんだ今のは…どうなったんだ!?
慌てた俺は過去の自分の前に回り、その様子を窺う。封印の解除に集中している俺は、その異変に全く気付いていなかった。
そしてあの時、身体と額がカアッと熱くなっていたように、初めて目にする俺の額には、アハム文字で無属性を示す記号が浮かび上がっており、強く熱を帯びて白っぽく光っていた。
――あのアハム文字は、神魂の宝珠に封じられていた無属性の力が、俺の体内に戻ったことで浮かび上がったものだ。
だけどこの時点で俺の魔力量は、封印解除前と全く変わっていない…これはどういうことなんだ?
そうこうしているうちに過去の俺は封印の解除を終え、全身から眩い光を発すると生命維持装置のクリスタルは霧散して消えて行く。
まずい、もう時間がない…俺達の現在の時間が近づいている…!!
「ルーファス!!」
その時、過去の俺を背後から見ていたサイードが、ハッとしたようになにかに気づいて俺を呼んだ。
「サイード、なにか気づいたのか!?」
「ええ、一瞬のことだったので再度数分前に戻り、今度はあなたの目で確かめて下さい!時間がありません、急ぎますよ!!」
サイードが〝時間がない〟と言ったのにはわけがある。ここから先は見るまでもなく、俺の狼狽えた行動も焦るみんなの行動もわかっているが、その前にこれ以上長居すると、今度はまだ見ぬ未来への境界線を越えてしまうことになるからだ。
もしそこがイスマイルを失った未来だとしたら、それを垣間見た時点で彼女の死は決定してしまうかもしれない。
それを避けるためサイードは急ぎもう一度、意識だけを移動させる時空転移魔法(コルテンポス・ヴァンデルンと言う魔法名らしい)を唱え、俺と二人また数分前に戻った。
――冷静になって情報を整理してみよう。
まず無の神魂の宝珠から移動した俺の魔力は、間違いなく俺の身体に入っていたことはわかった。
外からそれを見たことではっきり言えるが、本来ならあの魔力量が一気に雪崩れ込んだことで、俺は恐らくその負担に耐えきれず、これまでと同じようにここで倒れるはずだったんだと思う。
それがなんらかの要因で、俺の魔力は消え去った。それは体内から外に出るのではなく、その場でフッと消えたような…なにかどこかおかしい妙な感じがしていた。
「ああ、あれです!ルーファス、見えますか!?」
さっきサイードが俺を呼んだタイミングが来て、全身が光に包まれている最中の過去の俺の背中を指差した。
すると俺自身の光があまりにも眩しくて見づらかったが、なにか半透明の球体が俺の身体からスッと飛び出し、封印が解除されたことで結界の消え去った遺跡の外壁から、外へ逃げ去って行くのが見えたのだ。
「半透明の球体…!?なんだあれは――」
ピロン
そしてその疑問に答えるように、いつも通り俺の自己管理システムは通知音を鳴らした。
『――警告。暗黒界ゲヘナへクロス浮遊生物〝ヘクロス・アブソーバ〟の存在を検知。無の神魂の宝珠による返還魔力は消失しました。』
「ヘクロス・アブソーバ…?」
なんだそれは、と思い、すぐに俺のデータベースで検索してみる。ほぼ一瞬で答えは出てきたが、俺はそれを見て愕然とした。
〖<ヘクロス・アブソーバ>魔力を吸収・捕食して魔法を無効化、体内に蓄積する暗黒界浮遊生物。外見は無色透明の球体状で無音のため非常に発見・視認しにくく、稀に他生物の体内へ入り寄生する。宿主は被寄生時無痛で被魔力吸収以外ほぼ無害だが、吸収され激減した魔力は、対象を討伐しても消滅してしまい返還されない。〗
「――魔力吸収生物…今数分前の俺の身体から外へ飛び出して行ったあの球体が、俺の魔力を吸収して奪って行ったということか…!?」
あんな生物が、俺の体内にいつからいたんだ!?まるで気付かなかった…!!
「サイード、今の奴がいつの間にか俺の体内に寄生していて、神魂の宝珠から戻るはずの魔力を全て奪って行ったんだ!!もう取り返しがつかない…たとえ見つけ出して討伐しても、もう失われたものは戻って来ないって…っ」
ヘクロス・アブソーバ…魔力と一緒に俺の記憶と、イスマイルの魂までも奪ったのか?倒して戻るのならまだ良かった。だけど逃げられた上に、見つけて倒したとしても吸収されたものは戻って来ないなんて…!
「待ってルーファス、原因に目星はついたのです、諦めてはいけません。見間違いかとも思っていたのですが…私にあの球体を見たような心当たりがあります。さらに時間を遡って飛びましょう。」
「あれを見たのか!?心当たりがあるって、いつ?」
「確信はありませんが、行けばきっとわかります。急いで移動しますよ。」
「わかった、ありがとう…イスマイルの命が懸かっているんだ、頼む…!」
サイードは俺に少し眉尻を下げて小さく微笑んだ。その表情は〝任せて〟と言ういつもの雰囲気ではなく、どこか力無く微苦笑している感じだった。
その表情は気になったものの俺は尋ねず、サイードに任せてさらに時空転移魔法で時間を遡ることにした。
それは封印解除からさらに三十分ほど遡った辺りだった。
「ここは…シエナ遺跡の一階?」
まだ俺達の姿はそこにないが、地下に人の気配がある。恐らく俺達は『古代文字の間』を出た直後で、階段に向かって歩きながら話をしているところだろう。
そんな俺達の気配を察したかのように、一階の空気が見る間に変化して澱んで行く。サイードの表していた言葉通り、それはまるで水に浮かんだ油のように、様々な色が滲んで歪んでいるように見えた。
「この様子は…一階の異変は俺達が来てから起き始めたみたいだな。」
サイードはこくり頷く。
「実際そうだったのでしょうね…この現象の狙いは、初めからルーファスだったように思いました。あなたが私の平手打ちですぐに正気を取り戻したこともあり、なにが起きたのかを深く考えず、詳細に調べなかったことが悔やまれます。」
「…つまりサイードは、俺が幻覚を見て自分で自分の首を絞めたことと、ヘクロス・アブソーバには関係があると思っているんだな?」
「ええ、そうです。それを言うと最終的にはあのサイファー・カレーガによるもの、と言えなくもありませんが…とにかくあなたが私達に気をつけろ、と叫んだ直後に注意してあなたの様子を見ていてください。」
「…わかった。」
サイードは少し緊張した面持ちで周囲の様子を窺っている。それは見えないなにかを探してでもいるようだった。
サイファー・カレーガ…サイードの口から、またその名前が出るのか。なぜサイードはそこまであの男に拘るんだろう?
…今は気にしている場合じゃないな。
――やがて地下からガコン、と音がして、通路奥の壁が動き、そこから階段を先頭に上ってくる俺の姿が見えた。
全員が一階に出たところですぐにこの異変に気づいた俺は、〝みんな気をつけろ、遺跡内の空気がおかしい!〟と口にした覚えのある警告を叫んだ。その直後だ。
「!!」
警戒している過去の俺に、暗がりからスゥーっと近付いてくるものがあった。不死族の霊体よりもかなり影の薄い無色透明で、現れると知らなければ先ず気づけないあの球体が、音もなく俺に重なりそのまま体内へ吸い込まれてしまったのだ。
「ヘクロス・アブソーバはこの時俺に寄生したのか…っ!!」
「やはりそうだったのですね…」
それを確かめた途端に、サイードはなぜかショックを受けた様子だったが、俺はそれに気付きながらも敢えて触れず、目の前の難題に意識を集中した。
――ここで体内に入り込まれたことがわかっても、過去の自分に警告することはできない…どうすればあれに魔力を奪われずに済むんだ?なんとかしないとイスマイルを助けられない…最悪俺の魔力と記憶は奪われたとしても、彼女だけは救いたい。
ヘクロス・アブソーバに寄生されたことにも気づかず、目の前の過去の俺はサイード達が言っていたように、一人なにもいない空間に向かって話しかけていた。
「サイード達の言っていた通り、ここから見ると俺は確かに幻覚を見ていたみたいだ。…あれはともかく、寄生されたヘクロス・アブソーバをなんとかして追い出さないと――」
「ルーファス…一度現在時間に戻りますか?シルヴァン達なら、なにかいい方法を思いついてくれるかもしれません。」
少し沈みがちにそう言ったサイードに、俺は首を横に振る。
「いや、ここで考えないと駄目だ。現在時間に戻ったら、すぐに動かないと間に合わない。ここにいてもそんなに時間はないけど…」
――そもそもあの『ヘクロス・アブソーバ』はどこから来たんだろう?あんなもの、フェリューテラにいるのか?
暗黒界の浮遊生物だと自己管理システムのデータにはあった。少なくとも過去どこかで、俺が一度でも遭遇したことのある生き物だと言うことだよな…でもエヴァンニュやシェナハーンでは見たことがない。
暗黒界…暗黒界?…まさか――
「まさか…繋がっていた?全て…」
「え?」
――長い間放置されていた高難易度依頼に、それを邪魔する〝Sランク級守護者〟達…魔物の集団と変異化を促す、シェナハーン王国各地に置かれている〝赤黒い結晶〟に、俺を狙うこの異変と〝ヘクロス・アブソーバ〟…
だとしたら――
「サイード、頼む。すまないがもう少し時間を戻して、俺をサイファー・カレーガのところへ連れて行ってくれないか?どうしても確かめたいことがある…!」
「構いませんが…シルヴァン達は一緒でなくてもいいのですか?なにか気づいたのなら、来て貰った方がいいのでは…」
「いや、とりあえず今は俺とサイードだけでいい。」
「…わかりました、では行きましょう。」
サイードは理由も聞かずに俺の頼みを聞いてくれ、俺達はさらに一時間ほど時間を遡り、宿の一室で眠らされていると言うサイファー・カレーガのところへ、今度は実体を伴って時空転移した。
この時間、俺達はまだメル・ルークのマロンプレイスにいて、アパトには来ていない。だから過去の自分達に遭遇する危険はなかった。
――アパトの宿の一室に時間と場所を転移すると、二人用の大きな寝台でカレーガはガーガー鼾をかいて寝ていた。
「変わらず眠っていますが、術を解いて叩き起こしますか?」
「……いや、必要ない。」
俺はそう答えるとスタスタ寝台脇まで歩いて行き、大きく息を吸い込んで片足を振り上げ、寝ているカレーガを思いっきり蹴飛ばした。
ヒュッ…ドガンッ!!
「痛ええーっ!!!」
俺の渾身の一蹴りに、カレーガは蹴られた太ももを抱えて飛び起き、痛みに転がってこの広いダブルベッドの反対側から転げ落ちた。
「な…?」
その様子に驚いて絶句したのはサイードだ。俺がカレーガをいきなり蹴飛ばしたからじゃない。サイードの魔法効果中にも拘わらず、呆気なくカレーガが覚醒したからだ。
俺は効果消去魔法を唱えておらず、普通ならサイードほどの魔力所持者にかけられた精神系魔法は、人に蹴られた衝撃ぐらいで目を覚ますはずがなかった。
「――やっぱりか…サイファー・カレーガ、あんたサイードの魔法にかかった振りをしていたな。いや、最初は本当にかかっていたんだろうけど、途中で解けた、或いは誰かに解いて貰った…違うか?」
カレーガは寝台の向こうでむくりと起き上がり、端に掴まりながら平然と立ち上がった。
「はあ、正解。まだ『神魂の宝珠』って奴の魔力を奪えてねえのに、随分早くばれちまったなあ、オイ。」
「サイファー・カレーガ…!!あなたの仕業だったのですね!?」
頭をガリガリ掻きながら、煽るようにそう言ったカレーガに、珍しくカッとなったサイードは、まだ起きていない出来事を追及しそうになり、ハッとしてそこで言葉を飲み込んだ。
「んー?なにが俺の仕業だって?…ったく、酷えよなあ、せっかく姉さんとあんなことやこんなことが出来ると思って有頂天だったのに、人の個人情報洗いざらい吐かせるわ、なんもさせてくれねえで魔法で眠らされちまうわ、おまけにそいつの仲間だなんてすっかり騙されたぜ。」
そんな減らず口を叩くと、カレーガは次に右手で顎を掴んでニヤニヤしながら、俺を無視してサイードを眺めた。
考えてみれば今のサイードは変化魔法を使っておらず、服装は守護者らしい格好だが髪や瞳は本来の姿だった。
「青銀の髪に金の瞳か…それが真の姿なのかよ。いいねえ、姉さんホント美人だ、マジで最っ高に俺好みなんだけど。どう?もっかい俺とあの日の夜をやり直さねえ?俺上手いぜ、満足させてやるからさあ。」
「なん…っ」
――瞬間、なにか言い返そうとしたサイードを遮り、先に俺の怒りが爆発した。
ゴッ…
「おわっ!?」
カレーガは俺の変化に素っ頓狂な声を出す。
「サイードに無礼な口を利くな…おまえ、俺に殺されたいのか…?」
「ハッ、いくらSランク級でもお前みたいな青二才がなに言ってやが――」
「――『ヘル・バインド』。」
カレーガが最後まで言い終わらないうちに、俺は沈黙、麻痺、痛覚倍増の三つの効果を付けた闇属性拘束魔法を放った。
紫の魔法陣を描いた板張りの床から、無数の棘が突き出た荊の蔓が伸びて男に巻き付き、容赦なく締め上げる。
「ぐあああーっ!!!」
「誰が青二才だ。…あれ?おかしいな、『沈黙』の状態異常も付けたはずなのに、なぜ声を出せるんだ?」
ギャーギャー喚くカレーガを無視して、俺は魔法を継続し具に観察する。因みに他の宿泊客に迷惑なので、防音結界は施し済みだ。
――魔法植物の荊で拘束しているから、痛みは感じているみたいだけど…麻痺も効きが鈍いような…?
「…そうか、わかった。あんた、状態異常耐性が普通よりもかなり高いんだな。これぐらいじゃ効果は鈍るか…」
俺の『真眼』を使って調べると、カレーガの能力値は並みの人間にしては驚くほど高かった。どうやらSランク級だというのは、口だけでなく真実らしい。
俺は自分の能力値だけでなく、他者のものも数値化して見ることが可能だが、この男は神魂の宝珠による強化前の、獣化能力を封印した千年前のシルヴァンくらい、ステータス値があったからだ。
…それでもサイードに下衆な言葉を浴びせたこの男は許せない。効き難いと言うのなら、もっと魔力を込めて強くすればいいかな。二度とそんな口が利けないように――
「ルーファス!!ルーファス、落ち着いて!それ以上やると死んでしまいますよ!!」
――気づけばヘル・バインドの効果を限界まで上げていた俺を、サイードは必死に止めようとして来た。
カレーガは息も絶え絶えに声も出せず、全身を麻痺させてピクピク痙攣を起こしている。
だがそれを見てもまだ俺の怒りは治まらず、普段と違い全身から真紅の闘気を立ち昇らせ、赤い光が視界の端に揺らめくほどだった。
…この感じ…なんだか俺の中のレインフォルスまで、一緒に怒り狂っているような――
「こんなことをしている場合ではないでしょう、カレーガのなにを確かめたかったのですか…!?」
「…!」
その言葉に、ようやく俺は我に返って魔法を止めた。
そうだ…こんなことをしている場合じゃないんだ、怒りに我を忘れるなんて…どうかしているぞ、ルーファス。
俺は自分の行いを恥じて気を取り直し、サイードに謝った。
「はあ…ごめんサイード、確かにその通りだな。」
俺の凶悪な拘束魔法が解けたカレーガは、床にへたり込んでゲホゲホと酷く咳き込んでいる。ここまでしても気絶しないなんて、なんてしぶとい男なんだ。
「俺はあんたに聞きたいことがある。この国の各地に置かれた赤黒い結晶を知っているな?あれを置いたのは、あんたか?」
「………」
カレーガはまだ声が出しにくいのか、喉を押さえながら口を動かした。
「ぜ、全部じゃねえよ…ピエールヴィからメテイエ辺りまでの分だけだ。それもあんたらが、集まってた魔物を全て倒して壊したんだろ。」
「…誰の指示でやった?」
「正体は知らねえぞ。随分と怪しげな男だったけど、前金で五十万G<グルータ>もくれたんだ。残りは今日、あんたらの邪魔が成功したら貰えるはずだったんだけどな。」
「………」
――正体は知らない、か…
「嘘は吐いていませんね…ですがあなた、その結晶を放っておいたら、後に近隣の街や村がどうなるか知っていたのではないですか?」
サイードの問いかけにカレーガは笑い出した。
「ハハハ!そりゃ知ってたさ。あのまま誰も気づかなけりゃ、いずれ集まった魔物は変異化し、さらに共食いして最後に生き残った個体は、特殊変異体を通り越した最強の超凶悪種に変異してただろうな。」
――超凶悪種<ディアボルス>…?あの結晶はそんな新種を生み出すためのものだったのか。
「そうなった魔物は飢えから人間の集落を襲い、高位守護者でさえ簡単には倒せねえ。この国の民の多くは魔物に食い殺され、やがてその魔物は隣のエヴァンニュ王国にも入り込むんだ。そうなればきっと――」
「エヴァンニュ?この国だけでなく、エヴァンニュにも被害が及ぶことを、あんたは喜んでいるのか?」
「………」
カレーガはチッ、と舌打ちをしてなぜか黙り込んだ。
その後どうやって神魂の宝珠の魔力を奪うつもりだったのか聞き出すと、カレーガは既にシエナ遺跡に仕掛けた罠の存在を仄めかし、それが発動する『引き金』はサイードであることを暴露した。
「私が引き金…?」
「おう。なんせ姉さんは俺が完全に眠っていると思い込んで、横で色々話してくれてたしな。で、姉さんとそこの…名前をまだ聞いてねえが、ルーファス、だっけ?あんたらが神魂の宝珠ってのに関係があるって気付いたわけだ。だから姉さんの髪を仕掛けに登録して、姉さんが遺跡内に入って罠に近付くと、それが発動するようにしたんだよ。」
「…なんてこと…」
それきりサイードはショックを受けて塞ぎ込んでしまう。
「おまえ…観念してべらべら喋るのはいいが、サイードをこれ以上傷つけるのなら次はもう容赦しないぞ。」
「好きにしろよ、どうせ姉さんには振られたんだ。」
「その前に相手にされていないだろ…」
――カレーガと話している間に詳しくこの男を調べてみると、サイードが言っていた通り、深層意識…つまりはカレーガの魂に関わる部分に、恐ろしい数のあるものが取り憑いていた。
俺は興味本位でそれのことを尋ねてみることにした。
「…ところであんた、あんた自身は時々意識が無くなるとか、寝て起きたら見知らぬ場所にいたとか…身体に長いこと不調を感じているとか言うことはないのか?」
俺の質問にカレーガは目を丸くして、次に片方の眉を上げて俺を笑った。
「は?なんでそんなこと…もしかして心配してくれんの?俺を?初対面で偉い毛嫌いされた上に、未だ名前を直接名乗られてもねえのに?」
「――それは悪かったな。だがあんたも最初は名乗らなかっただろう、お互い様だ。…それで?どうなんだ。」
「…?……ああ、そうか…もしかしてこいつのせいか?」
不思議そうな顔をしていたが、カレーガは急になにか思いついたようにして、左手の平に右の拳の底をポンと当てて鳴らすと、瞑想してとんでもないものを喚び出した。
「「!!」」
「な…」
俺とサイードは、室内の半分を埋め尽くすそれらをまともに見てしまい、思わず尻込みをして壁際まで後退る。
「あはは、やっぱ視えるんだ?まあそんなに怯えんなよ、時々人の命の源?っつーの?〝マナ〟とかいうのを欲しがって騒ぐけど、普段はそんなに悪さしねえから。」
そう言ってドサン、と寝台に身体を投げ出すようにして腰を下ろしたカレーガの背後には、貴族のような衣装を身に着けたカレーガそっくりの、あの眼孔の空いた真っ白い男に数え切れないほどの人間の霊魂が、おどろおどろしい怨念の塊集団となって宙に浮かんでいたのだった。
次回、仕上がり次第アップします。