186 イスマイル・ガラティア
シエナ遺跡にサイードの転移魔法で入り込んだルーファス達は、地下から一階へと隠し階段を使って辿り着きました。ですがその後遺跡内の空気に異変を感じ、ルーファスの目の前には『サイファー・カレーガ』が壁から滲み出るようにして現れたのです。様子のおかしい彼に対峙したルーファスですが、話しかけるも彼はおかしな原動を繰り返すばかりで…?
【 第百八十六話 イスマイル・ガラティア 】
服装は奇抜な上に、やけに血の気のない顔色をしているけれど…間違いない、あれはサイードが宿で眠らせてあると言っていた、サイファー・カレーガだ。
「どうしてここに…どうやって遺跡内に入って来たんだ!?」
壁を擦り抜けるようにして目の前に滲み出てきたような気がした。あんな転移魔法は見たことがない…そもそも転移魔法、だったのか…?
いや、そんなことよりも…この不気味な空間はこの男の仕業なんだろうか。いくら魔法を使えても、ここまでのことができるようには見えなかったのに…
カレーガは瞳のない真っ黒い眼孔をこちらに向けていたが、俺の問いかけには答えず、ふらふらしながら一歩一歩ゆっくり近づいて来る。
え…目が、ない…ええっ!?
驚愕する俺の耳に届く彼の足音は、なぜだかぺたん、ぺたん、と固い床を裸足で歩いているように聞こえる。
ちらりと足元を見てみると、着ている衣服は豪華なのに、靴を履いていなかったのだ。
『…輝ける命の光…(命の光…)おまえだ…(おまえだ…)おまえが…(おまえが…)』
「?…いったいなにを言っているんだ?」
なんだか様子がおかしい…これは本当にあの男なのか…?外見は確かにそうなんだけど、生者に見えないというか…背筋が薄ら寒くなってくる。
徐々に距離が縮まってくる彼に、恐怖ではなく不安というか…とにかく言い知れないものを感じて俺は後退った。
『…おまえの光を…(光を…)寄越せ…(寄越せ…)寄越せ…(寄越せ…)寄越せ…(寄越せ…)』
真っ白い顔をしたカレーガは、不死族さながらに両手を伸ばしてその言葉を繰り返す。
やがてそれはこの歪んだ空間で反響するようにして段々大きくなって行き、また男とも女とも判別のつかない声で、四方八方から何度も何度も繰り返し聞こえ始めた。
「くっ…止めろ…止めてくれっ…!!あ…頭が…ッッ…」
耳から入って頭蓋内でも反響しているのか、寄越せ、寄越せ、という声が繰り返し響き、音でガンガン頭を殴られているような気がして、堪らず俺は両耳を塞いで身を捩った。
だが次の瞬間、残像を残し床を滑るようにスウーッと目の前まで移動してきたカレーガは、慄く俺に真っ白い顔を近付けてガアッと両手を伸ばすと、いきなり俺の首を絞め始めた。
ギリ、ギリリ、と人ならざる物凄い力で絞められ、首を吊るようにして持ち上げられた俺の身体は浮き上がってしまう。
「ぐう…っ…く、苦、しい…っは…放、せ……っ」
ジタバタと足を振り、締め付ける両手を掴んで必死に抗うも、カレーガは容赦なく真っ黒い眼孔を俺に向けて見上げる。
まるで殺意は感じないのに、それに相反する冷酷な行動に少しずつ俺の意識は遠のいた。
まず、い…もう…意識、が…
――その時だ。
「ルーファス!!!」
バシンッ
「…っ!?」
誰かに左頬を思いっきり強く平手打ちされて、クラリと眩暈に襲われる。
「しっかりしなさい、ルーファス!!私を見て!!」
――その必死な声が耳に届き、呆然としながら顔を向けると、目の前には切羽詰まって不安げな表情をしたサイードと、俺を囲んで身を屈め、心配そうに顔を覗き込んでいるシルヴァン達が見えた。
「サ、イード…?」
俺が彼女の名を呼んだ瞬間、サイードを含めた全員が、ホッと安堵の息を漏らすのが聞こえた。
「良かった…私がわかるのですね、心配しました…!」
サイードはそう言うと、目に涙を滲ませて俺をぎゅうっと抱きしめる。
さっきまでカレーガに身体が浮き上がるほど首を絞められていたのに、いつの間にかあの男は消えており、俺は冷たい遺跡の床に座り込んでいた。
え…どうなっているんだ?気絶していたサイード達は、いつ目を覚まして…
「ふう…参った、一時はどうなることかと思ったぞ。」
「正気を取り戻されたのですな、良かった…良かったでする、予の君いぃぃぃ…!」
心底安心したようにそう呟いたシルヴァンと、サイードと同じようになぜか涙ぐんでいるリヴに、俺は益々混乱する。
「え…?ええと…あれ…?おかしいな…どうなっているんだ…??階段を上って…一階に出たら、周囲の空気がおかしくなって――」
「ええ、まるで水に滲む油のように、空気に色が見えて遺跡の中がいきなりおかしくなりました。それに気がついたあなたは、私達に気をつけろと叫びましたね?そのことは覚えていますか?」
俺から離れたものの、まだ俺の肩に手を置いたまま顔を見て目元を拭うと、サイードは確かめるように俺に尋ねた。
「ああ、もちろん覚えている。だけどその後で――」
俺はサイード達に突然壁からサイファー・カレーガが現れたことや、奇妙な声が頭に響いてカレーガに首を絞められたことなどを説明した。すると…
「いいえ、首を絞めていたのはサイファー・カレーガなどではなく、あなたです。ルーファス、あなたは自分で自分の首を、意識を失いそうになるほど強く締め上げていたのですよ。」
「え…」
俺が…自分で首を絞めていた…!?
サイードから話を聞くに、ログニックさんを含めた四人は一切気を失ってなどおらず、俺に起きた出来事の一部始終を傍で見ていたという。
俺は異変に気付いてみんなに気をつけろと警告を叫んだ後、突然見えないなにかに語りかけるようにして独り言を言い始め、サイード達が声をかけて名前を呼んでも、意識を向けようと何度も強く腕を掴んで引っ張っても、まるで感じていないかのように全くの無反応だったらしい。
俺の様子がおかしいことに気づいてサイード達は慌てたが、やがて俺はみんなの掛け声にも耳を塞いでしまい、やめろ、と叫びながら抵抗したかと思うと、今度はいきなり硬直して自分の首を絞め始めたのだという。
驚いたシルヴァンとリヴは必死に俺の腕を解こうとしたのだがビクともせず、すぐにログニックさんも加わって、結局三人がかりで腕を引っ張ったのに駄目だったそうだ。
「自分で自分の首を力一杯に絞め、見る見るうちに青ざめて行くあなたを見て、私達は焦りました。シルヴァンは予想外の魔法にかけられたのかと思い、効果消去魔法ディスペルを使いましたが変化はなく、リヴグストが異常なほどにあなたの魔力が高まっていると警告したため、私が頬を思いっきり引っ叩きました。幻覚を見ているらしきあなたを正気に戻すには、もうそれしか思いつかなかったのです。…ごめんなさい、痛かったでしょう?赤くなってしまいましたね。」
そう言いながらサイードは、赤くなっているらしい俺の左頬を優しく撫でてくれる。――瞬間、俺は猛烈に恥ずかしくなって顔が熱くなった。
いや、子供じゃないんだから!!
「だ、大丈夫だから…!良くわからないけど、サイードのおかげで正気に戻れたんだな、ありがとう!!」
俺は慌ててサイードから離れた。
「なににせよ、あの異変はルーファスだけに影響を及ぼしたということか…サイード、そなたが転移杭を仕掛けに来た時遺跡内の様子はどうだったのだ?」
「いえ、特にはなにも…入口が閉ざされていたこと以外、おかしな点は見当たりませんでしたよ。なにか気づいていれば言っています。」
「すまぬ、そなたに落ち度があると責めているわけではないのだ。」
「ええ、わかっていますが…ルーファス、先程サイファー・カレーガを見たと言いましたね?首を絞めたのも彼だったと…」
「ああ。ただ…どういうわけか見慣れない貴族が着るような衣服を着ていたし、なによりも顔が死人のように真っ白で、髑髏でもないのに目の無い真っ黒な眼孔が二つ、ぽっかり空いていたんだ。あれはとてもじゃないが、生きている人間には見えなかった。」
「………」
俺がカレーガのことをそう言うと、サイードは目線を落とし、なにか異変が起きた原因に心当たりでもあるのか、少しの間考え込んでいるように見えた。
「サイード?」
「いえ…すみません、ルーファス。確信があるわけではないのですが、もしかしたらこれは私の落ち度だったのかもしれません。地下でサイファー・カレーガについて意外な事実を知ったと言ったでしょう?実は彼は――」
そこで俺はサイードから、カレーガの意外な話を聞くことになった。
「――なにかに取り憑かれている?」
「ええ。それも一体二体ではないのです。なにかを隠れ蓑にでもしているのか表には見えず、かなりの深層意識にまで潜り込まないとその存在を感知できないほど、深いところに〝なにか〟がいます。そしてそれらは自分達の目的のために、わざと彼に犯罪を犯させているのではないかと感じました。」
「…つまりカレーガは操られているということか?」
「それは…」
サイードはそこで一度、返事が途切れた。
「…正直に言ってそれはわかりません。もしなにかに操られているのなら、あれほどしっかり自我を保ち続けていられるとは思えないからです。」
「…意味がわからないな。結局サイードは俺に、サイファー・カレーガをどういう奴だと言いたいんだ?」
「――わかりません。魅了状態で強力な魔法を使い自白させたりしたので、彼という人間がまだどんな人間なのかわからないのです。根は悪くないと思いますが、完全に操られて犯罪を犯したのだという確信も持てません。」
サイードがサイファー・カレーガを擁護している。俺にはそう感じられてまた面白くなかった。
どういうわけか俺は、あの男が嫌いらしい。第一印象が悪かったからなのか、効かないとわかっていても、魅了をかけられていたことが不愉快だったのか…そのどちらかは(どちらもか?)わからないが、サイードがあの男のことを口にすると余計腹が立つのはなぜだろう。
「はあ…それで、あの男がなにかに取り憑かれているのと、サイードの落ち度かもしれないということはなんの関係があるんだ?」
「――先程ルーファスを襲ったのは、カレーガに取り憑いていたものの可能性があると考えたからですよ。」
「ええ…?」
予想外の言葉が返ってきて、俺は目を丸くした。当然、傍で話を聞いていたシルヴァンはこれには黙っていなかった。
「聞き捨てならぬな、どういうことだサイード。遺跡内に異変はなくとも、そなたが捕らえている人物に懸念があったと言うことか?他者に取り憑いているものが、なぜルーファスを襲う。」
「理由はわかりません。根拠としてはたった今ルーファスが、サイファー・カレーガを見たと言ったからです。そしてそれはルーファスだけに影響を及ぼし、ルーファスにしか見えなかった。原因を考えれば人外の仕業である可能性は高いでしょう。ですがこのシエナ遺跡にそれらしいものはいません。でしたらルーファスが関わったことのある場所や存在で、思い当たるものがいるのか…私はただそう推測したに過ぎませんよ。」
「サイード殿の筋は通っておるな。まあシル、そのように女性に目くじらを立てるものではなかろうぞ。サイード殿は落ち度と言うが予測できなかったのだ、悪いのはあのサイファー・カレーガであろう。怒りは奴めにぶつけるが良い。」
「ああ、良いことを言うなリヴ、俺もその意見に賛成だな!」
「「ルーファス…」」
サイードとシルヴァンは顔を顰めると、同時に俺の名を呼んでハモった。
「サイード、あの男が取り憑かれているものに唆されて犯罪を犯しているのだとしても、犯罪者は犯罪者だ。死刑になるほど悪いことをしているんじゃなければ、やっぱり守護騎士に突き出して罪を償わせるべきだと俺は思うよ。」
あれ?死刑になるほど悪いことをしていたのなら、余計突き出すべきなんじゃ??操られてそこまで悪いことをしてしまったのなら、俺は助けるつもりなのか?おかしい…自分でもなにを言っているのかわからなくなった。
「…それは彼をどうするかということに言及していますか?」
「ああ。どう判断するかはサイードに任せるけどね。なんならログニックさんに、カレーガの罪はどのぐらいの刑で済むのかを尋ねてから突き出せばいいだろう?ね、ログニックさん。」
「は?え…私ですか??」
この話はここまでに、結局なにが起こったのかわからないままだったが、俺はこの後みんなに心配をかけたことを謝り、今度こそイスマイルの待つ最上階を目指して移動を開始した。
このシエナ遺跡は発掘されて大分経っているせいか、内部に魔物などの気配は一切ないが、その代わりあちらこちらに、普段は考古学者や研究者など人が身近に暮らしていたらしき生活感が残っている。
二階から五階までの各所の部屋には、散らばる書物や脱ぎ散らかされた衣服、本棚に机に木製のクローゼットや簡易ベッドまで、それは長い間イスマイルと共に、ここに多くの人がいたことを語っていた。
思えば俺の思い出せた記憶の中に僅かに残るイスマイルは、寂しがりな一面を持っていたような気がする。
いつも俺達の誰かの傍で本を読んでいたような気がするが、一人自室に籠もっているようなことはあまりなかったように思う。
そんな彼女が、眠りから目覚めて俺達が迎えに来るまでの間、独りぼっちでいられただろうか?暫くは耐えられても、きっと人恋しくて寂しかったことだろう。
イスマイルがシェナハーン王国の人々のために、自らの知識を使って災害が起きることを警告したり、近くにいる人々をなんとか守ろうとして来たことを、責める気は微塵もない。だが恐らく彼女は、そうは思わないだろう。
前にも言った通り、俺と守護七聖<セプテム・ガーディアン>達は、魂の奥で深く繋がっている。
それを俺は『魂の絆<リアン>』と呼んでいるが、それは命懸けの戦場などにおいて助け合うために、互いの生存や仲間の生命の危険を感じ取る役目を持ち、日常でもある程度の距離まで離れた仲間の位置を感じられるなど、俺達にしかわからない様々な効果がある。
それは時に強い感情までもを伝えてくることがあるほどだ。
その証拠に、上階へ上がって行くほど、イスマイルが今感じている心の痛みが胸を突いてくる。
やはり間違いなく彼女はここにいる。そして俺の予想通り、彼女はとても悲しんでいる。
つまり俺が言いたいのは、守護七聖主の俺と守護七聖のシルヴァン、リヴがこのシエナ遺跡に来ていることは、ここに神魂の宝珠があるイスマイルには既にわかっているはずだと言うことだ。
――それなのに、未だ彼女から俺への呼びかけはない。
「…イスマイルが、泣いている。」
階段を上りながら、もうすぐそこに感じられる、無の神魂の宝珠の気配が小さく震えていた。
目を閉じるとイスマイルの魂が膝を抱えて丸くなり、悲しみに涙を流しているのが見えたのだ。
俺が呟いたその一言に、真っ先に反応したのはログニックさんだ。
「ルーファス殿、それはどういう…いえ、やはりイスマイル様はまだ、ここにいらっしゃるのですね!?」
俺は黙って頷いた。
「――神魂の宝珠の中で泣いているのか?我には悲しんでいる感情だけが伝わってくるが…」
「ああ、そうだ。…シルヴァンに会って俺達が迎えに来ることはもうわかっていたから、自ら仮の身体である魔力体を消して中で待つことにしたんだな。」
「…予にはなんとなくイスマイルの気持ちがわかるような気が致す。身近に深く関わってしまった存在がいると、いざ主が迎えに来た時、己が発つことを言い出し難くなるものです。予がクレイリアンのデズンらと別れた時と同じう、彼女もそうなのではありますまいか?」
「ほほう、リヴは主と来るよりも土小人の方が良かったか。」
「茶化すでないわ、真面目に言うておる!」
シルヴァンもリヴもイスマイルの悲しみを感じているのだろう。俺よりはっきりしなくても、それがわかるからこそ、俺達の感情が暗くならないようにシルヴァンはリヴの言葉を茶化した。
なぜなら、イスマイルの感情が伝わってくるように、俺達の感情も彼女に伝わってしまうからだ。
一歩一歩階段を上りながら、俺は彼女に語りかける。
――イスマイル、迎えに来たよ。もう、泣かなくていい…君の気持ちは痛いほど良くわかるから、泣かなくていいんだ。
待たせてごめん…寂しい思いをさせてごめん。でももう俺達がいる。君がどんなに悔やんでいても、君は俺達の仲間だ。だから安心していいんだよ。
俺が心の中でイスマイルに語りかけているのをわかっているかのように、サイードはただ黙って隣で目を細めながら俺を見ていた。
「…なに?サイード。」
「いいえ、なんでも。」
階段を上りつつ、なんだかじっと見られていると落ち着かなくてそう尋ねたが、サイードは微笑みながらただ首を横に振った。
シエナ遺跡は上階へ行くほど階層が狭くなっている、縦に長い台形をしているようだが、最上階は十三階で、そこに至る階段前に守護七聖主の紋章によって閉ざされた扉があった。
「あった…守護七聖主の紋章扉だ。やっとここに来られた…」
本当はバセオラ村を発ってすぐにアパトへ向かうはずだったのに、不思議穴で愚者のザインに出会し、仕掛けられた罠に嵌まって遠い過去に当たるインフィニティアまで飛ばされてしまった。
おかげでサイードを仲間にすることはできたけど、その分イスマイルを待たせることになった。
もしかしたらそのことがなければ、もっと早くここに来られて、シグルド国王との揉め事もなく静かに封印を解くことができたかもしれない。
言っても仕方がないことだけれど、イスマイルに悲しい思いをさせたのは俺にも責任がある。
≪ 紋章に並んだ七つある記号のうちの一つが、キー・メダリオンに反応して光っている…ここに来て初めて気が付いたな。≫
シルヴァンの時には初めてのことで全く気づかず、リヴの時には守護結界に守られて海中に沈んだ城内にあり、封印された扉がなかったこともあってわからなかったが、よく見ると守護七聖主の紋章にはそれぞれの属性を示す、俺にしかわからない文字が使われているみたいだ。
今後もこの文字がまたあの暗号文のように出てくる可能性を考えて、俺はこれを自分という意味を持つ『アハム文字』と呼ぶことにする。
そしてここにはフェリューテラ七属性の内、『無』属性を示すアハム文字が光っていた。
――俺に暗号文を残した人は、少なくとも俺にしか読めないこの『アハム文字』の読み書きをできる人、と言うことだな。
その人は一度今の俺と同じようにこの扉の前に立ち、なにを思っていたんだろう…あの暗号文の通り、俺との約束を必ず果たす…そのことかな。
無の神魂の宝珠を解放することで僅かでもいい、その人に関する手がかりになるような記憶もなにか戻るといいけれど――
「よし、キー・メダリオンを使って扉を開ける。みんなは一旦少し下がっていてくれ。」
俺の頼みに、ログニックさんを含めた四人は俺から距離を取って離れた。
ええと…前の二人とは勝手が違うけど、手順は思い出せている。確か中央の窪みにキー・メダリオンを嵌め込んで、俺の声紋による呪文を唱えるんだったな。
「『我が名はルーファス。太陽の希望と呼ばれし守護七聖主なり。キー・メダリオンに正しき魔力を流す。閉ざされし扉よ主が前にここへ開け。』」
フォン…
――キー・メダリオンが俺の魔力に反応し、その縁をなす呪文帯が青く光り輝いた。瞬間、ゴゴゴ、という音がして、突然目の前の扉にいくつかの大きな亀裂が入り、崩れ始める。
「え…なっ、崩れるのか!?」
今ここにウェンリーがいたら、きっと〝開くんじゃなくて壊れんのかよ!!〟と慌てて叫んだことだろう。
てっきり上か下か将又横かに動いて開くものだと思っていた俺はキー・メダリオンを扉から取ると、焦ってディフェンド・ウォールを使い、みんなと自分の身を守ったくらいだった。
そして崩れた扉は、三つほどに分かれ倒れた後で跡形もなく消え去って行った。
思うにあの扉は現実の鉱物や素材で出来たものではなく、俺の魔力で作り出された扉形の結界だったように思う。
もしそうなら、きっと誰にも開くことはできないだろう。単なる物質としてそこに存在しているわけでなく、破壊することもできないというのは、魔力によって何者にも干渉されない結界だからこその成せる技なのだと、初めて気が付いた。
なるほどな…シルヴァンのところのはちゃんと扉があったけど、これでは俺以外の誰にも開けられないわけだ。…記憶を失う前の俺は、今よりももっと魔法技術に長けていたみたいだな。
その全ての記憶を取り戻せれば、きっと今よりもっと強くなれる。そうすればカオスもアクリュースも…いずれは暗黒神だって、また倒せるようになるはずだ。
みんなに怪我がないことを確かめると、俺達はそこに現れた十三階への階段を上って行く。
そして辿り着いた最上階の大きな部屋には、シルヴァンやリヴの時と同じく、六角形の聖櫃が嵌め込まれた生命維持装置と、台座上で青緑に光る巨大なクリスタルがあり、その中に当時の衣服を着たまま眠る、イスマイル・ガラティアの本体が浮かんでいた。
「あ…ああ…ああ!!イスマイル様…イスマイル様の、本当のお姿が…っ!!!」
ゆらゆらとクリスタル内で靡く薄紫の長い髪に、彼女は眼鏡をかけたまま昏々と安らかな顔で眠っている。
その姿を見た途端に、ログニックさんは倒れ込むようにして膝をつき、祈るように組んだ両手を掲げたのだった。
それを見ただけで、イスマイルがどれほどシェナハーン王国の人々に『守り神』として崇められていたのかが良くわかる彼の行動だった。
サイードは膝をついて噎び泣くログニックさんを労り、彼を立たせて生命維持装置から距離を置く。
シルヴァンとリヴは俺の後ろに控えていたが、俺はイスマイルに再度呼びかける前に、ふとあることを思い出して二人に頼み事をした。
「シルヴァン、リヴ…一つ頼まれてくれるか?」
二人は意外そうな顔をして、クリスタルに浮かぶイスマイルから俺に視線を移した。
「どうした?」
「予は無論構いませぬが…如何なされた?」
「ああ…大したことじゃないんだけど…いや、大したこと、かな?もしかしたら俺は、無の神魂の宝珠の封印を解いた後に、また倒れるかもしれないだろう?もしそうなったら、ファーガス医師に身体に触れて魔力の状態を診て貰って欲しいんだ。」
瞬間、二人は眉根を寄せてその表情を一変させる。
「それは自身の身体に不安があると言うことか?」
「確かに予の時も倒れられましたな、シルの時もそうだったのでするか?」
俺が答える前に、シルヴァンが透かさずリヴに言う。
「我の時は倒れはしなかったが、後日高熱を出してメクレンで三日ほど寝込んだのだ。」
「それは…さすがにちとおかしいでするな、予らの主は…」
「リヴ。」
リヴがなにか言いかけた言葉を、シルヴァンは首を振って遮った。ここにはログニックさんがいる。
なにを言おうとしたのかはわからないが、彼には聞かれない方がいいと判断したんだろう。
「シルヴァンの時は高熱で三日ほど寝込んだ。そしてリヴの時は同じように高熱を出して一週間も意識がなかった。地の神魂の宝珠は俺の手にあるが、まだ封印を解けていないせいか身体に影響は出ていない。だけど無の神魂の宝珠を解放したら次はどうなるか…すっかり忘れていたけど今そのことを思い出して、急に不安になったんだ。」
「…体調はどうなのだ?先程のことはともかく、どこかおかしなところはあるか?」
シルヴァンが珍しく不安げな顔をした。恐らく俺が本当に心配しているのがわかるんだろう。
「いや、それは大丈夫だ。少なくともどこにも異常はないと思う。…リヴも龍眼で見えるよな?」
「…はい、見えまする。特におかしな点は見当たりませぬが…予はウェンリーの異変も見逃しました故、少々自身がありませぬ。」
「はは、まあそう言うなよ、ウェンリーのことは俺だって気づけなかったんだ。」
「…でするな。」
リヴは力無く苦笑いを浮かべる。
「――とにかく頼んだよ、二人とも。イスマイルにはこれから俺が話すけど、彼女のフォローも一緒に頼む。もし俺が長い期間目覚めないようなら、エヴァンニュかメル・ルークで守護者の資格を取得させ、シルヴァンが副リーダーとしての権限で『太陽の希望』のメンバーに加えておいて欲しい。」
シルヴァンは不安を振り払うようにして顔を上げ、俺に大きく頷いた。
「心得た、任せよ。…だが一番はあなたが無事であることを望む。目覚めない主を待つのは、たとえ短期間であっても不安で堪らぬからだ。」
「そうですぞ、ルーファス…万が一にもあなたがいなくなれば、フェリューテラは滅んでしまう。どうかそのことをお忘れなきよう願いまする。」
「リヴ…それじゃ俺とフェリューテラのどっちを心配しているのか、わからないじゃないか。」
「なっ…!!あんまりですぞ、予の君っ!!」
「ごめんごめん、冗談だよ、わかってるから。…それじゃ、よろしく。」
二人が頷いたのを確かめた後、俺はサイードとログニックさんにも笑顔を向ける。
――そうして俺は生命維持装置に嵌め込まれ、神魂の宝珠が入っている六角形の聖櫃の方を向き、キー・メダリオンを手に集中してイスマイルに話しかけ始めた。
…イスマイル…『イスマイル・ガラティア』。俺の声が聞こえるか?…俺だ、ルーファスだ…俺には君の泣いている声が聞こえる。だから君にも、俺の声は届いているはずだ。…答えてくれ。
さっきよりもずっとはっきり、イスマイルの悲しげな泣き声が聞こえてきた。
『…ルー様…聞こえます、あなた様の声が、わたくしにもはっきりと…』
泣き声に混じり、イスマイルからその返事が届いた。
『申し訳ありません、ルー様…あれほど再びお目にかかれる日をお待ちしていたのに、わたくしはあなた様のお側にいる資格を失ってしまいました。大きな過ちを犯したわたくしはもう、守護七聖<セプテム・ガーディアン>に相応しくありません。どうか封印はこのままに、無の神魂の宝珠だけをお持ち下さい。』
――それはできない。君は願いの森を越え、時狭間の願い屋に自力で辿り着き、俺と約束を交わした。
そして守護七聖は今度こそ暗黒神を完全に倒すために、必ず全員揃わなければならないんだ。
それが千年前、俺達が最後に交わした約束だったはずだ…忘れたのか?
『いいえ、いいえ…忘れるはずはありません。十年ほど前に目を覚ましてからと言うもの、毎日みんなとまた会える日を心待ちにしておりました。なぜなら、わたくしの家族はルー様と守護七聖のみんなしかいないのですから。ですが…』
イスマイルはシルヴァンに再会した後、ここで一緒に過ごして来た歴史学者や研究者、そしてなにより、亡き前国王夫妻の一人娘である『スザナ王女』に、もう間もなく別れの日が来ることを打ち明けたのだそうだ。
これまでこの国の人々を守り、何度も災害から救ってきたイスマイルは、喜びのあまりこのシエナ遺跡から出て、ようやく家族と共に旅立てるのだと告げたのだが、一緒に喜んでくれると信じていた周囲の反応は、イスマイルが思っていたのと大きく異なっていた。
彼女がそのことを告げた直後、一斉に顔色を変えた周囲の学者や研究者達は、直ちにイスマイルの言葉を守護騎士に伝え、アパトとシエナ遺跡の警備をより厳重なものとし、それまで時折ここを訪れていた信者とも言える民間人を完全に遮断して、限られた者以外はイスマイルと会えないようにしたのだという。
――その時イスマイルは、自分が間違っていたことに気づいたのだそうだ。
前国王夫妻はやがてイスマイルがここを出ることを知っており、その日が来ても引き止めないことを約束してくれていたそうだが、シェナハーン王国の人々は感謝を口にしていても、誰もイスマイルを見てイスマイルのことを思ってくれていた人はいなかったのだと。
『守り神』と崇めていても、所詮は籠に囚われた鳥のように、この遺跡内に永遠に閉じ込めて利用し、生涯ここから逃がすつもりはないのだと。
それでも俺達はどんなことがあっても必ず迎えに来てくれる。そう思えば思うほど、シェナハーン王国の王族や守護騎士が、俺達をどうするだろうかと心配になった。
そしてイスマイルにはわかっていた。手の平を返すように自分への態度を変え、表向きはいつも通りに接し優しい言葉を話していても、結局この国の人々は自分達のことしか考えていないのだと。
ならばこの国は俺達に、必ず牙を剥くだろう。自分を迎えに国内に入れば守護七聖主の容貌を知る一部の人間によって監視を付け、良くて懐柔しようと企み悪ければ敵と見做して仇を為す。
守護七聖主である俺を守るべき立場にある守護七聖の自分が、主を危険に晒すのだ。愚かなことをしてしまった、大人しく誰とも関わらずにずっと眠っていれば良かった。そう彼女は涙する。
俺の思っていた通り、イスマイルはそんな未来を予測して自分のしたことを嘆き、後悔しながらシルヴァンと再会して二日と経たないうちに、シェナハーン王国の人々の前から自らの意思で姿を消したのだった。
――うん、そうだと思ったよ。だけどイスマイル…君はなにも間違っていない。俺達は救世主じゃない、各々の願いを叶えるということもあったけど、自分達にできることで魔物から人を守り、カオスや暗黒神を倒すために戦って来ただけだ。
そんな俺達は、目の前で命を落としそうになっている人を、いつだって見過ごすことはできなかった。
そのせいで助けられなかった人の遺族に、怒鳴られたり恨まれたりしたこともあったよな。
でも俺達は、誰かに感謝されたくてこんなことをしているわけじゃない。そして俺達は俺達が持つこの力故にどこの国にも属さず、中立の立場にいなければならない。
それでも国という組織は自分達の国を思うがために、時に強引なことを仕掛けてくることもある。
そんな大きな組織に抗いながらも、俺達は俺達のままで救える命を見過ごさないように、魔物と戦い生きて行くんだ。
だから君は間違っていないよ、イスマイル。君は変わらずに俺の大切な仲間だ。辛いのなら俺とみんながいる。悲しいなら、以前と同じように、俺達の前で泣けばいい。俺達は家族なんだろう?
『ルー様…ルー様…っ、わたくし…っ』
――うん、一緒に来るよな?シルヴァンとリヴも待っているんだ。
イスマイルの噎び泣く声が聞こえたが、それに混じり彼女は俺にはっきり〝はい〟と返事をしたのだった。
それから俺は封印から解放された後にイスマイルが驚かないように、もしかしたら自分が倒れるかもしれないことを掻い摘まんで話した。
隠したところですぐにわかるだろうし、原因はわかっていないことも正直に伝える。そこには彼女の類い稀な知識と分析能力で、俺が倒れる理由についてもファーガス医師と協力し、調べてくれることを願う期待があった。
なんとなくだが俺には、俺の倒れる原因は魔力に起因するのではないかという、漠然とした感覚があったからだ。
それじゃイスマイル、封印を解くよ。再会したら最初に君の笑顔を見せてくれ。
『はい、ルー様…どうかよろしくお願い致しますわ。』
明るく答える彼女のその声と共に、クリスタルの前にあの光る画面が出現した。
「『――我、汝を従える主なり。我、再び汝の力を欲す。時は満ちたり。我が身より分かたれし無の力よ、今ここに封じられし御魂を解き放ち、我が身へ還れ。ネアン・リーベルタス。』」
カッ…パアアア…
そこまで唱えたところで、これまでと同じようにキー・メダリオンと聖櫃が共鳴し、激しく震動を始めると眩い閃光を放った。
すぐにパカッと聖櫃の蓋が開き、その中から無色透明の光り輝く球体が飛び出し宙に浮かび上がる。
――問題はここからだ。今度も意識を失うんだろうか…心配はあるけど、シルヴァンもリヴもいる。きっと大丈夫だ…!
程なくして目も開けていられないほどに眩く輝き出した宝珠は、音もなく俺の手に握られたキー・メダリオン上に移動すると、やはり吸い込まれるようにして一瞬で盤面に溶け込んで行く。…とその直後、俺の身体に巨大な力が一気に流れ込んで来た。
ドオンッ
「ぐう…っ…!!」
背後でシルヴァンとリヴが緊張しているのを感じる。もしここで俺が倒れ解除に失敗したら、イスマイルの命は失われてしまうからだ。
絶対に気を失わないように、俺は流れ込んでくる魔力の奔流に必死で耐えた。三度目ともなれば蹌踉けずに衝撃も堪えられたが、また身体がカアッと熱くなり、額が燃えているような熱を感じる。
額に…多分文字が現れている、もう少しの辛抱だ、イスマイルを解放する呪文を…!!!
「『解き放たれし七聖が "無" 、イスマイル・ガラティアに命ず。誓約に従いて長き眠りより目覚め、再び透の守護者となれ…!!』」
全ての呪文を言い終わると同時に、キー・メダリオンに神魂の宝珠が完全に融合して紋章の一部分が光り出す。
そしてイスマイルの眠っていたクリスタルは急速にその輝きを失い、細かい光の粒子となって霧散すると、彼女の本体はドサンッと音を立て台座に倒れ込んだ。
「イスマイル様っ!!!」
倒れたイスマイルに最も早く駆け寄ったのは、ログニックさんだ。その行動は目の前にいたシルヴァンやリヴも顔負けで、二人は面食らっていた。
だがこの時俺は、前回と違い意外にも身体の負担に耐えきって、拍子抜けするほど普通に意識を保てていた。
――…あれ…?おかしいな、イスマイルの記憶が戻って来ない…彼女の記憶どころか、なにも変化が起こらない?
待ってくれ、魔力は流れ込んで来たように感じたのに…嘘だろう、なにも思い出せないなんて…そんな…!
神魂の宝珠の封印を解けば、俺の力と一緒に内包されている記憶も戻ると思っていた。…なのにそれは勘違いだったのか?
自分の身体の変化と、自己管理システムの魔法一覧に変化があるかを確かめてみる。ところが更新されるはずの無属性魔法にも、一切変化が起きていないことに気づき、俺は愕然とした。
どうしてだ…なにかおかしい…!なにが起きた…?
「ルーファス?大丈夫ですか?倒れるかもしれないと言っていましたが、意識もあるようですね、良かった…」
「…違う、こんなはずじゃ…違うんだ、サイード、なんだかおかしい…!!」
顔を上げて俺がサイードを見たのと同時に、シルヴァンとリヴから慌てたような声が上がる。
「ルーファス!!大変だ、イスマイルが…イスマイルが、息をしていない!!」
「え…?」
真っ青に顔色を変えたシルヴァンが、イスマイルを抱きかかえて、そう言った。
――俺はその言葉を、その場から動けずにただ呆然として聞いていたのだった。
次回、仕上がり次第アップします。