184 翠竜ヴィヒリアソル・ドラグニス
シェナハーン王国の国王がルーファス達を罠に嵌めたことにより、ルーファスは激怒し、シェナハーン王国を敵と見做す、そう口にしてしまいました。散り散りにされた仲間と合流し、サイードの転移魔法で国王殿から逃れようとしましたが、その時、シグルド国王によって翠竜が召喚されてしまいます。その翠竜と戦うことを決めたルーファスでしたが…?
【 第百八十四話 翠竜ヴィヒリアソル・ドラグニス 】
シェナハーン王国国王シグルド・サヴァンによって、緑色に輝いた召喚魔法陣から突如出現した翠竜は、全長が二十メートルはある巨竜だった。
そこにいるだけで国王殿の前庭三分の一が埋まり、開いていた黒鋼の城門扉を背後に、出口を塞ぐような形でゴツゴツした顔をこちらに向けている。
尾は長く、躯体にキラキラ反射する緑色の風を纏い、頭の上部左右には大きく長い、弧を描く角が後方に向かって生えていた。
五角形の背鰭がずらりと並ぶ背中には、空を飛ぶのには適さない、小さめの両翼が二枚ずつ付いており、それをはためかせることで小規模のつむじ風を巻き起こせるようだ。
フェリューテラ上に現存している竜種の一角でもある『海竜』のリヴは、初めて見る翠竜の姿に驚き、その手に得物を出現させて戦闘態勢を取る。
「深緑の竜だと…?予の同族とは気配が異なる…あれはいったいなんぞか…!?」
「おい貴様、あの国王は馬鹿なのか!?このような場所であんなものを召喚したら、城下の街と民に被害が出るであろう!!」
想定外の出来事にシルヴァンはその横で、ログニックさんの胸座を掴んで食ってかかった。
「く…っ返す言葉もない、まさかシグルド様が王家の秘を持ち出されるとは…っ」
どうやら『王家の秘』とは、国王の手にあるあの香炉のような道具のことらしい。呪文帯によって封印されていたところを見るに、この翠竜を閉じ込めていた亜空間式捕獲器のようなものだろう。
グオオオオオオオーッ
上空に向かって翠竜の上げる、シェナハーン中に響き渡りそうな恐ろしい咆哮に気づいて、城下は既に民衆が恐慌状態に陥っていた。
耳を劈く咆哮の影で、堀と城壁を挟んだここまでも、逃げ惑う人々の悲鳴や混乱する物音が聞こえて来る。
当然だろう…シニスフォーラのど真ん中に、いきなりこんな巨竜が現れたのだから。
――解析魔法でも隷属紋(強制的に命令を聞くように従わせる魔法紋のこと)は見えない…王家の守護竜と言ったが、誰の命令にも従わない上に、一度召喚したら元には戻せないタイプの召喚魔法か。
ふざけるなよ…実体を伴っているけど、そもそもこれは普通の竜じゃないじゃないか。フェリューテラの竜種は、こんな風に躯体に風魔法を纏えないんだ。
この翠竜は全身が燃えさかる炎で包まれていた、あの『アリファーン・ドラグニス』と同じだ…!
以前ルクサールでカオスに召喚された炎の竜は、先代の火の大精霊『イフリート』が魔精霊と化したものだった。
あの時はカラミティと共闘した俺の手で倒したことで、イフリートは解放されたと聞いている。
この『ヴィヒリアソル・ドラグニス』はそれと同じ…つまりは大精霊が魔精霊となり、その姿を生態系の頂点である『竜種』へと変化させたものに違いなかった。
――身に纏っているのは緑色に光る風だから、魔精霊と化しているのは風の大精霊『シルフィード』か…?先代イフリートもそうだけど、どうして大精霊が魔精霊になったんだ?
そう言えばグリューネレイアに行っても、風の大精霊についてだけは話を聞かない…ウンディーネがシュテルクストをくれた時も、素材を提供してくれたのは風の精霊からだった。あれはなにか理由があったのか…
マルティルはなにも言っていなかったけど…なににせよ、このまま放っておくことはできないな…!
「全員、戦闘態勢を取れ!!デウテロンはすぐに戦闘領域から離脱、背負っているウェンリーの守護を最優先に頼む!!テルツォはデウテロンの護衛を、プロートンはログニックさんと戻って、国王殿から来る守護騎士の足止めを頼む!!残る俺とサイード、シルヴァン、リヴの四人で戦うぞ!!」
シャッ
俺はみんなに指示を出してそう叫ぶと、腰のクラウ・ソラスを引き抜いた。
住人が避難していたルクサールと違って、ここには多くの民間人がいる。一刻も早く倒さなければ、下手をすると被害は甚大になるだろう。
「待ちなさいルーファス。戦うのは構いませんが、ウェンリーの容態が心配です。デウテロンとテルツォを先に転移魔法石でメル・ルークへ逃がしましょう。」
「!…そうか、確かにその方が安心だ、頼めるか?デウテロン…!」
「かしこまりました、お任せを!」
「デウテロン、メル・ルークに着いたらマグナイド・ファーガス医師を探しなさい。確か個人で診療所を開いているはずです。」
「了解しました、テルツォ来い!俺達はウェンリーを一刻も早く医者に診せるぞ!!」
「うん…!ルーファス様、サイード様、プロートンも…みんな気をつけて…!」
デウテロンとテルツォはウェンリーを連れて、手渡した転移魔法石で即座にここから離れて行った。
「ありがとう、サイード。ウェンリーを傍から離すことは思いつけなかった。」
「いいえ、これも事前に万が一に備え、シエナ遺跡と隣国メル・ルークへの転移を可能にしておいて欲しいと言った、あなたの指示があったからですよ。プロートン!」
礼を言った俺に対しサイードは優しく目を細めると、次の瞬間には凜として顔を上げ、プロートンに向き直った。
「ルーファスの指示は聞こえましたね?」
「はい、直ちに参ります。キエス魔法闘士、安全のためにも守護騎士とあなたの主君を戦闘領域に入れないで下さい。私がやると手加減できませんから。」
「わ…わかりました、シグルド様と守護騎士の無効化は私にお任せ下さい。このような事態を招いた主のお詫びに、せめて私だけでも全力を尽くさせていただきます…!」
続いてプロートンとログニックさんは、国王殿のエントランスに連れ立って走って行く。
「では戦闘を開始する!対翠竜『ヴィヒリアソル・ドラグニス』、戦闘フィールド展開!!敵の弱点は火だ、風属性魔法は全て無効化されるので注意!バスターウェポン、エンチャント火属性付加!!」
「私がバフをかけます!全能力上昇『エクス・フォースフィールド』!!」
――こうして俺とサイード、シルヴァンとリヴの四人は、ヴィヒリアソル・ドラグニスとの戦闘に突入した。
翠竜は俺達が武器を向けた途端、〝おまえ達が敵か!〟と言わんばかりに攻撃態勢を取る。これほどの巨竜に殺気を向けられるのはなかなかだ。
鋭い歯の並ぶ鰐のような長い口に、爬虫類のそれに似た特徴的な龍眼をギラリ金色に光らせ、五角形の背鰭をぶるるるっと小刻みに震わせると、鼻先に緑色の魔法陣を描いて初撃を放った。
あの魔法陣は…やっぱりか、精霊魔法だ…!!
「来るぞ!!」
サイードやシルヴァン達にはわからないと思うが、ヴィヒリアソル・ドラグニスのその攻撃は、中級風属性魔法『サイクロン』に似た風の精霊魔法だった。
『サイクロン』は、竜巻状の風が近くにある軽い物体を巻き込んでそれを凶器とし、風刃と共に遠心力で吹き飛ばして対象を切り裂く魔法だが、翠竜の放ったそれの威力は桁違いで、魔法自体がくびれた砂時計の器のように形状を変えると、地面に敷き詰められていた広範囲の玉砂利を巻き込んで高速で吹き飛ばした。
≪あんな強力な魔法なのに、発動が早い!!≫
猛烈に吹き荒ぶ風と共に、早過ぎて最早目には見えない石弾が、ビュンビュン空を裂き飛んで来る。
「ま、守れ、ディフェンド・ウォール・ヴェントゥス!!」
キンキンキンッ
ゴオオオオッ
――魔精霊と化していてもさすがは風の大精霊、と言うべきだろうか。本来大精霊は自身の属性攻撃にのみ究極特化し、呼吸をするように精霊魔法を使うことができる存在だ。
精霊魔法と通常魔法の大きな違いは、精霊界で使えるか否か(グリューネレイアに限ってだが)とその特殊性に魔力の性質などだが、大精霊が魔精霊化すると暗黒属性の力が一部使えるようになる代わり、フェリューテラの自然に与える影響力でもある『精霊力』が落ちるため、これでも弱まっている方だった。
それでも翠竜の放った精霊魔法は、発動からこちらへの襲撃速度も、瞬間詠唱を使って発動した防護魔法が間に合わないかと思うほどだ。
巻き上げられた玉砂利が、高速でバチバチ音を立てて障壁を撃つ。ディフェンド・ウォール・ヴェントゥスは風魔法を無効化・魔力を吸収(後に反撃に変換)してくれるはずだが、障壁外の視界が一時的に遮られるほど薄暗くなった。
「まずい、視界が…翠竜の姿が見えない!!」
当然だが、姿が見えなければ次の攻撃は読めない。最悪の場合、魔法が止んだと思ってすぐに動くと、待ちぶせにあって反撃される怖れもある。
「この攻撃が止んでもすぐに動いてはいけませんよ!!ルーファスはディフェンド・ウォールをこのまま切らさないで!初手は私の特大火魔法を使います!!」
そう言うなりサイードはその場で魔法詠唱に入った。
――そうか、サイードは火属性魔法も使えるんだよな…!
「了解だ!シルヴァンとリヴはサイードの攻撃効果の有無を確認後、注意して攻撃行動に移行してくれ!!」
「「心得た!!」」
ちらっと翠竜の背後に見えたが、既に城門と城壁の一部は振り回された尾によって破壊されていた。
国王殿と城下町の間には堀がある分、尻尾による被害は街の建物に届き難いだろうけど…この風魔法が外に向けられたら、さすがにマズいな。
できるだけ攻撃を仕掛けて俺達に敵意を引き付けないと…!!!
「攻撃魔法が途切れる!!頼んだ、サイード!!」
シルヴァンとリヴは翠竜のいた方向を睨んで武器を構え、俺はサイードに言われた通り、ディフェンド・ウォールを維持したままその姿が見える瞬間を待った。
「頼まれましたよ!――行きます!!灼熱の剛炎は風を受けて燃え上がり、其の攻撃をも吸い尽くす。来たれ獄炎の覇者よ、来たれ贄焼き尽くす憤怒の炎よ、彼の者を滅せよ!!『エクスプロード・イクスティンクション』!!!」
視界が晴れてその姿が見える前に、まるでそこにいるのをわかっていたかのように、サイードは超特大の攻撃火魔法を放った。
煮え滾った溶岩を丸めて炎を纏い、燃えさかる球体にしたようなそれが、一直線に飛んで行く。俺の『エクスプロード』の最上級強化版だ。
…とほぼ同時に薄暗かった周囲が急速に明るくなり、俺達の目の前には、極悪な猛毒混じりのブレスを吐こうとしている、翠竜の大口が開いていた。
予想通りか、突っ込んでいたらブレス直撃だ!!
「ポイズンブレスだ!!サイード!!」
「想定内です、大丈夫!!」
黒みがかった翠竜の長い長いブレスが、サイードの火魔法に押し戻されている。それはやがて拮抗し、俺達の眼前で炎の球体を境に左右に分かれると、俺達の脇をゴオオッと轟音を立てて駆け抜けて行った。
ドゴオオオオオンッ
ブレスに競り勝ったサイードの火魔法は翠竜の口に直撃し、まるで空から魔法弾を撃ち込まれたかのような特大火柱を上げる。
瞬間、猛烈な爆風が襲って来たが、防護魔法を発動したままなので、俺達は一切の被害を受けない。
ギャオオオオオウ…グアウオウ…
「翠竜にサイードの魔法が直撃!!効いている、シルヴァン、リヴ、追撃を!!火魔法で援護する!!!」
炎と黒煙の中で、翠竜は身を捩り悲鳴を上げていた。
「出番だぞ!!!」
「ヤー!!!」
炎に包まれた翠竜に突撃し、二人は火属性を付加した得物で攻撃を仕掛ける。シルヴァンは斧槍による斬撃を、リヴは棍による打撃を。だがその直後――
ボゴオオオオオンッ
「な…!?」
なぜか背後から物凄い轟音が響いた。
驚いて振り返ると、翠竜の放ったブレス攻撃の半分は、なんと俺達の脇を駆け抜けた後に国王殿の入口まで届いて直撃し、辺りは真っ茶色の土煙に包まれていた。
「国王殿の入口が…!?プロートン、ログニックさんっ!!!」
焦った俺にサイードは、聖杖カドゥケウスを手に火魔法を放ちながら、冷静な声を発する。
「心配要りません!プロートン達は、ウェンリーが分けてくれたあなたの魔法石を所持しています!建物の被害はともかく、防護魔法石で身は守れるはずですから!」
「…!」
――ウェンリーが俺の魔法石をプロートン達に分けた?いつの間に…
そう言えばシェナハーンに出発する前夜のルフィルディルで、ウェンリーが魔法石の補充をして欲しいと言ってきたっけ…随分大量に欲しがるから、訓練に使って足りなくなったのかと思っていたけど、あれは…
サイードの言葉通り、土煙の中で磨り硝子のように光る俺のディフェンド・ウォールが見えた。
ウェンリー…おまえはプロートン達三人のことを、俺よりもずっと心配していたんだな。
俺の目にはウェンリーが笑顔でプロートン、デウテロン、テルツォの三人に、フェリューテラで慣れない魔法石の使い方を教えている姿が浮かぶようだった。
俺はプロートン達は大丈夫だと信じ、翠竜に意識を集中させる。
シルヴァンとリヴは連係攻撃を仕掛けて、まだ炎燻る翠竜に絶え間なくダメージを与え続けて行った。
そこにサイードの魔法が加わり、俺は俺で今の段階で持てるできるだけ強力な火魔法を撃ち続けた。だが――
火属性攻撃はきちんと効いている…だけど今一歩与える損傷が少ないような…?
「ルーファス!!此奴風属性の回復魔法で損傷を自己修復している!!風魔法を封じねば倒せぬぞ!!」
「風属性の回復魔法…『ヒールウインド』か!!」
ヒールウインドとは、継続的に受けた傷と体力を回復してくれる魔法だ。これは精霊魔法ではないが、風の大精霊なら使えても不思議はない。
そう叫んだ直後、シルヴァンとリヴは翠竜の放った風魔法で身体を浮かされ、尻尾による横薙ぎの強烈な反撃を受けて、俺とサイードのところまで吹っ飛ばされてきた。
すぐさま受け身を取り体勢を立て直した二人は、ズザザザザッとそれぞれ玉砂利の地面に筋を作って勢いを殺す。
そこへ俺を含んだ全員を対象にした、究極の精霊魔法『シュトゥルムヴィント』が翠竜から放たれた。
「まずい!!あれは攻撃範囲が広すぎる――ッ!!!」
俺達(魔法石を持つプロートンも含む)は俺の防護魔法『ディフェンド・ウォール』でなんとかやり過ごせるが、精霊魔法『シュトゥルムヴィント』は、本来風の大精霊がフェリューテラで台風のような自然災害を起こすために使用する魔法だ。
さっきも言ったが、大精霊は自身の属性攻撃に究極特化し、呼吸するように精霊魔法を使える。
よって弱化しているとは言ってもその発動も高速で、膨大な精霊力の集中にそれが危険であることには気づけても、俺にその魔法自体を止めるのは到底難しかった。
――そして昼間だというのに、さっきよりも遥かに暗く俺達の周囲は陰った。
上空に黒灰色の暗雲が湧き、物凄い速さで嵐の目を作り上げて行く。この魔法に魔法陣はなく、効果消去魔法で解除することもできない。
為す術もなく精霊魔法が発動する刹那、俺が最後に見たのは、ヴィヒリアソル・ドラグニスの全身が黒い靄を纏って深緑に鈍く輝いた姿だ。
それは僅か一、二分の時間に過ぎなかったが、その間ずっと急激な気圧の変化と轟音に耳がおかしくなり、終始キイーンという耳鳴りがしていたように思う。
次に視界が開けた時、辺りの景色は一変していた。
翠竜を中心にして発動した『シュトゥルムヴィント』は、国王殿の城門、城壁と堀にかけられていた朱色の橋を広範囲に跡形もなく吹き飛ばし、さらには国王殿よりももっと城下町に甚大な被害を齎していた。
ここからでは良くわからないが、吹き飛んで破壊された家屋が幾つも見えるようだ。あの分では住人にも被害が出ていることだろう。
前庭に植えられていた木々は根こそぎ消え失せ、俺達が乗せられてきた魔力原動車両なども引っくり返ってぐしゃりと潰れている。
騎士舎らしき小さな駐屯所は、完全に上物がなくなって土台だけ残されていた。今はみんな国王殿に出払っているのだろうが、完全に留守であることを祈るばかりだ。
「なんと言うことだ…」
ディフェンド・ウォールの中でシルヴァンは、そう呟いたきり絶句する。
これほどの精霊魔法を使った直後は、翠竜もすぐには動けないようだ。絶好の攻撃機会だが、俺達の身体は麻痺したように動かなかった。
「城下に急いで救援を向かわせた方が良いのではないか?恐らく人死にも出ておるであろうぞ。」
「いいえ、それは私達の仕事ではありません。そうでしょう?ルーファス。」
リヴの提案にサイードが否と言う。
サイードにはわかっているのだ。俺が今、この惨状を見て怒っていることを。
どうしてこんなことになったんだ、と翠竜を召喚したシグルド国王だけにじゃなく、俺は自分にも腹を立てている。
――国王からの正式な文書だからと言って、ノコノコこんなところまで来たのがそもそもの間違いだ。
そのせいでウェンリーはあんな状態に陥り、王都シニスフォーラはこんなことになった。
ある意味この惨事は、俺の所為だ。
俺は後悔と反省を胸に、二度と同じことはすまいと決めた。やはり俺は…いや、俺達は、特定の有事以外で国という組織の上層部に関わってはいけないのだ。
イスマイルは…この惨事を予想していたのだろうか?だから姿を消したのだろうか。
だとしたら今頃彼女は…
俺はサイードの問いに大きく頷く。
「ああ。俺達のすべきことはこれ以上被害が出ないように、一刻も早くヴィヒリアソル・ドラグニスを倒してここから脱出することだ。これ以上この件に関わるべきじゃない。」
「ルーファスがそう言われるのであらば、承知致した。」
「戦闘継続!!今の攻撃で翠竜は一時的に魔法を使えなくなっている、全力でかかれ!!!」
「「「了解!!!」」」
――相当精霊力を消費したのか、翠竜はかなり動きが鈍くなっている。
考えてみれば当たり前だ。本来あの精霊魔法は、大精霊が自身の生命と引き換えにして発動する、自然破壊者に対しての『天災』なのだ。
魔精霊と化していることで弱化していたからこそこの小規模で済み、翠竜の命も奪われなかったんだろう。
それほど『シュトゥルムヴィント』とは、恐ろしい精霊魔法だ。
そして翠竜がそれを使用したと言うことは、魔精霊となったシルフィードはフェリューテラの生物に対して、激しい怒りを持っていると言うことだ。
――折を見てマルティルから話を聞いた方が良さそうだな。
精霊魔法を使えなくなった翠竜は、俺達の猛攻に物理攻撃でしか抗えなくなり、見る間に弱って行く。
ここシェナハーン王国は自然豊かな国ではあるが、精霊魔法を使った後の大精霊が体力を回復できるほどの『霊力』はない。
後は俺の手で止めを刺されて解放され、精霊界グリューネレイアに転生して帰るしか救われる術はないのだ。
最終的に翠竜が瀕死状態に陥ったところで、みんなには攻撃の手を止めて貰い、俺がクラウ・ソラスで止めを刺した。
バセオラ村の一件で、俺が精霊族に愛されて大切に思われている理由は良くわかった。俺は識者であるということの他に、俺の手には、精霊が選んだ人間を精霊として生まれ変わらせたり、魔精霊と化した精霊を元の精霊に戻せる(転生させる)力があるのだ。
俺の手で滅んだ魔精霊となった大精霊の身体は、ホロホロと分解するように消えて行き、翠竜として実体化していても戦利品としての部位はなにも残らない。
――はずだったのだが…
「うん?なんだこれ…木製の横笛?」
戦いの終わった場所に、不似合いな物が落ちている。
ヴィヒリアソル・ドラグニスが消えたそこに、地面に転がる古びた横笛を見つけたのだ。さらにその傍には緑色に光る霊力の結晶まで落ちていた。
俺は不思議に思いながらその二つを拾うと、考えるのは後にして無限収納の貴重品にしまい、シルヴァン達にはここで待機しているように告げて、急いで国王殿の入口があった場所へ戻った。
「プロートン、ログニックさん!シニスフォーラを離脱します、サイード達のところへ!!」
「ルーファス様…!」
国王殿の入口付近は翠竜のブレスと精霊魔法で破壊され、あの聖女の肖像画も無残に引き裂かれていた。聖女の祈りによる稀少な守り絵だったのに、あれではもう修復しても加護は消えてしまうだろう。
二人の周囲には、ログニックさんが麻痺させてプロートンが眠らせたらしき、多くの守護騎士が倒れている。
そして地面に座っているログニックさんの膝に頭を乗せ、負傷した状態で横たわるシグルド国王もそこにいた。
「シグルド国王…気を失っているのか。」
俺はログニックさんに近付き、腕や顔から血を流して意識のない国王を見下ろした。
まだ俺の胸には国王に対する怒りが残っている。もしもあのままウェンリーが目を覚まさなかったら、俺はここに戻ってこの男を殺すかもしれない。
「はい。致命傷は負っていませんので、放置してあります。私はルーファス様が敵と見做した相手を許可なく治療することは致しません。」
「うん、プロートンはそれでいいよ。死なないのなら放っておいていい。俺もそうするから。ログニックさん、あなたは俺達と来て下さい。まだこの国と国王について聞きたいこともあるし、俺達に味方をしたあなたを残して行くことはできない。」
「……そうですね…わかっております。」
ログニックさんは徐に着ていた騎士服の上着を脱ぎ、それを畳んで丸めると、枕代わりに国王の頭の下へ敷いてから立ち上がった。
「じきに城下からも人が来るでしょう、急ぎましょう。」
「ああ。」
――こうして俺達はログニックさんを連れ、サイードの転移魔法でシェナハーン王国の北に位置する隣国、『メル・ルーク』へと逃れたのだった。
国王殿で国王に面会した時はまだ昼まで時間があったのに、俺達がメル・ルークに転移した時には既に正午を回っていた。
「ここがメル・ルーク…?随分と長閑な印象の街だな。」
てっきり俺はシェナハーンとの国境街に移動したと思ったのだが、それにしては国境も守備兵も見当たらない。
確か俺の得ている情報では、メル・ルークも王制でエヴァンニュ王国と同じく、王家に仕える兵隊が組織されているはずだ。
だがこの街は背の高い石造りの外壁に囲まれているが、緩やかな傾斜のある大通りと、段々に作られた煉瓦製の住宅が奥に見え、周囲には広大な果樹園が広がっている。
目の前の通りは一応商店街らしいが、人通りも左程多くなくとても静かな街だった。
「転移先が国境では、両国の兵士に訝しまられますからね。メル・ルークは兵士が優秀ですので怪しまれないためにも、国境寄りの東に位置する果樹栽培の盛んなこの小さな街を選びました。」
サイードの説明によるとこの街は『マロンプレイス』という名で、その名の通り栗を栽培している農園が最も多い農業が盛んな町らしい。
「このマロンプレイスには、魔力を原因とする病や身体障害に詳しい医者がいます。あの場であなたを狼狽させるわけには行かなかったので黙っていましたが、ウェンリーのあの状態は身体を巡る魔力に異物が混入した時の特異症状です。」
「魔力に…異物!?」
サイードのその言葉を聞くなり、脇からシルヴァンとリヴが身を乗り出す。
「それはまさか、あれか!?」
「ボスケ湿地帯でウェンリーが赤黒い結晶に触れた時の――!!」
「あ…」
俺もすぐに思い出した。ピエールヴィで受けた討伐依頼の現場で、魔物を倒した後俺が止める前にウェンリーが手で触れてしまい、あの結晶の魔力らしき物を体内に吸収してしまったことだ。
「でもあの時すぐにウェンリーの身体を俺とリヴで調べたんだ。どこにも異常なんて見つからなかったのに…!」
「原因に心当たりがあるのですね。恐らくそれは混入直後だったので見えなかっただけでしょう。今調べればきっとあなた達にもわかると思いますよ。」
「調べている時間なんてなかったよな…サイードには一目でわかったのか?」
「ええ。過去に似たような状態の子供を何人か見たことがあったので、すぐにわかりました。あれは手遅れになると視力や聴力を完全に失ってしまいます。そうなると命懸けの訓練の果てに、無限界生物から魔力で物を見る『魔眼』を入手し、これまでと異なる世界を見ることになるか、魔力言語『ヘクセレイコル』を時間をかけて習得し、内耳に魔力用の補助魔道具を埋め込んで、音声変換による聴覚を身に着けるより術がなくなってしまいます。」
「そんな…!!ウェンリーは…ウェンリーが目も見えなくなって、耳も聞こえなくなるって言うのか…!?」
「大丈夫ですよ、ルーファス。ここにいるマグナイド・ファーガス医師は、その異物混入症のこの世で一人しかいない権威です。彼にしか使えない魔法と医療技術で治療を続ければ、ウェンリーはちゃんと元通りに治ります。とにかく町の人に場所を聞いて診療所を訪ねてみましょう。」
「あ、ああ…」
――ウェンリーがあんな状態になったのは、あの赤黒い結晶が原因だったのか…それじゃ偶々あの時に発症しただけで、シグルド国王は本当に関係なかった…?
「………」
…だとしても、心からの謝罪でも受けない限り、やっぱりあの国王は許せない。ああは言ったものの、国王の犯した過ちのせいでシェナハーン王国の国民を見捨てることはさすがにないけれど、サヴァン王家の王族に手を貸すかどうかはまた別の話だ。
大通りを六人で歩いて行き、店の前にワゴンを出して雑貨商品を売っている中年女性に、サイードとリヴが診療所の場所を聞いて来てくれる。
その間も俺の頭はヴィヒリアソル・ドラグニスやシグルド国王、そしてウェンリーの心配で一杯だった。
そんな俺に気を使ってか、シルヴァン達も話しかけては来ない。
「せっかく守護者の資格を取ったのに、全員密入国になってしまいましたね。」
「プロートン…そなた今気にするのはそれではなかろう。」
「はは…あなた方だけでなく、私もです。人の使う転移魔法自体を初めて見ましたが、所持している身分証は魔法闘士としてのものだけですので、メル・ルークの兵士に露見すると国際問題にもなりかねませんね。」
「私達はそれこそ転移魔法で一度国(この場合はエヴァンニュのこと)に帰り、そこから手続きを踏んで入国し直すことはできますけど…キエス魔法闘士は難しいですよね。」
「ふむ…だが我らと来るのであれば、ウルルに頼んで名を変え別人になり、新たに守護者の資格を取ることは可能だぞ。さすれば身分証の問題だけは解決しよう。」
「そのようなことができるのですか…?魔物駆除協会は一切の不正は行えないと聞いておりますが…」
「あくまでも非常手段であって不正ではないが、時と場合によるな。既に知っての通り、ルーファスと我らは特別なのだ。本気で望むのなら遠慮なく我らの伝手を使えば良い。そなたはルーファスとウェンリーを国王から逃がしてくれたのだろう?ならば我も手を貸すのはやぶさかでないからな。」
「……ありがとうございます。」
プロートンとシルヴァンの話に、ログニックさんは複雑そうな表情を浮かべていた。
ログニックさんは国王に逆らうのか、と言われた時も違うと言い放ち、間違った道へ進むシグルド国王を諫めるのが役目だと言っていた。
そのことから思うに、もし俺が一緒に来ることを提案しても、彼はついて来ないような気がする。王への忠誠が失われたわけではないだろうからだ。
だとしたらどこかにほとぼりが冷めるまで身を隠せて、さらにはシェナハーン王国のために働ける場所を見つけられるといいけど…
「診療所の場所がわかりましたよ。この大通りを真っ直ぐに坂道を上って行き、看板の立っている脇道に入って行った奥にあるそうです。」
「ウェンリーを背負ったデウテロンとテルツォも、あのご婦人に聞いて向かったようですぞ。」
「そうか…ありがとう、サイード、リヴ。俺達も向かおう。」
戻って来たサイードとリヴを加え、俺達はデウテロン達が先に着いているはずの『ファーガス診療所』を目指した。
煉瓦造りの住宅地を抜け坂道を上って行くと、『王国指定特別医療施設』の表記と『ファーガス診療所』の看板が見えた。
サイードが聞いて来た通り矢印の示す脇道に入り、鉄柵に仕切られた敷地の林を通って石畳をずっと歩いて行く。
すると周囲の自然に溶け込むような、薄緑色の外壁をした赤茶色屋根の建物が見えて来た。
高台の林を抜けた奥まったところにある『ファーガス診療所』は、俺の予想よりもずっと大きな建物だった。
診療所と入院施設、それにファーガス医師の自宅が繋がっており、薬草用の温室と栽培所に、薬を作れる薬剤施設まであるらしい。
「個人経営にしては大きいな…診療所と言うよりも、外観は違うけどエヴァンニュにもある病院みたいだ。」
建物の入口に立ち、上を見上げて思わず漏らす。一階が診察室と処置室、患者の待合室になっているのは窓から見えるが、建物は四階建てだ。
「国からの資金援助は受けていますが、診療方針や経営方針などに口を出してくることはないそうです。ですからシェナハーン王国であのようなことになっても、メル・ルークの兵士が王命で私達を訪ねに来ることもありません。」
「良く知っているんだな。」
「ええ、まあ…ルーファス、少しプロートンを借りてもいいですか?アパトの様子を見て来たいのです。恐らくシニスフォーラの出来事で遺跡の警備にもなんらかの影響が出るでしょうから、先手を打って色々と仕掛けを施しておきます。」
「いいけど…着いたばかりなのに休まなくて大丈夫なのか?サイードも翠竜と戦って疲れているだろう。」
「私は大丈夫です。ついでにマロンプレイスの宿を予約しておきますので、今日はこの街に一泊しましょうね。」
私は大丈夫って…結構魔力を使ったと思うのに、そんなに転移魔法で行ったり来たりしても平気なのかな。
魔泉箱として神魂の宝珠を使っていたくらいだから、いくらなんでも俺と違って魔力に制限なしということはないはずだし…でもサイードに疲れている様子はなさそうか。…顔色も悪くはないし、しつこく聞くのもな。プロートンも…うん、大丈夫そうだ。
「…わかった、ありがとう頼むよ。」
「ええ。では行きましょうプロートン、すみませんがもう少し私に付き合って下さい。」
「かしこまりました。」
サイードはそう言って自分とプロートンに変化魔法を施すと、せっかく歩いて来た道をまた二人で戻って行った。
「…思うのだが、ここの医者とサイードは顔見知りなのではないか?先手を打つというのが嘘とは言わぬが、ここまで来ておきながら我には会うのを避けてアパトへ向かったように感じたぞ。」
「うん…そうかもしれない。なにか理由があるんだろうけど…まあそれは後で聞いてみるとして、中に入ろう。ウェンリーが心配だ。」
「でするな。」
結局俺達はログニックさんを含めた四人で診療所に入り、受付でウェンリーが入院することになったと聞くと、急ぎデウテロンとテルツォが付き添っていると言う三階の病室へ向かった。
「ルーファス様!」
病室に入ると、椅子に腰かけていたデウテロンとテルツォがすぐに立ち上がる。この病室は二人部屋のようだが、寝台に横たわっているのはウェンリーだけで、片方は空いていた。
「デウテロン、テルツォ!ウェンリーの容態は…!?」
寝台に横たわるウェンリーの腕には、細長い管のようなものが何本か繋がれていて、始めて目にするウルルさんのところにあったような駆動機器に通じていた。
この駆動機はなんだ?内部に変わった魔法石が仕込まれている…どうしてウェンリーの腕と管が繋がって…?
戸惑いながらウェンリーに近付く俺に、テルツォは両手で俺の腕を掴んで答えた。
「大丈夫。一週間ほど治療を続ければ後遺症もなく目を覚ますって。」
「テルツォ…そうか、良かった。」
そう聞いてホッと安堵し、力の抜けた俺は不謹慎だが隣の寝台にへたり込んだ。
「二人とも…ウェンリーをここまで連れてきてくれてありがとう。」
デウテロンとテルツォはただ黙って頷き俺に目を細める。
「ルーファス様、ファーガス医師が治療の説明も兼ねて話を聞きたがっているっす。なんでもウェンリーがこうなったのは魔力に異物が混入したせいだとかで、直近で原因に思い当たることがないか知りたいらしいすよ。」
「ああ、そうか…サイードの言っていたことは間違いなかったんだな。…わかった、俺はどこに行けばいいって?」
「二階の院長室に来て欲しいって言ってました。それと…あんま大人数では行かない方がいいかと…」
「そうか、なら――」
「では予が付き添いましょうぞ。シルとキエス殿はここでお待ちくだされ。」
珍しくシルヴァンではなく、リヴが進み出る。後になってわかったことだが、リヴは龍眼によって魔力の流れを感知することが可能で、もし今後も同じようなことが起きた場合に備え、もう二度と見過ごさないように、詳しい話を聞いて初期症状や対処法を学んでおきたいと思ってくれていたらしい。
「ウェンリー…」
俺はリヴと病室を出る前に、国王殿にいた時とは違って、穏やかな寝息を立て昏々と眠るウェンリーの頭をくしゃりと撫でた。
「インフィニティアに行ってからと言うもの、ずっと働きっ放しだったもんな…暫くはゆっくり休むといい。…すぐに気づいてやれなくて、ごめんな。」
「…我が傍に付いている。」
「ああ。…行こうか、リヴ。」
「御意。」
――サイードはウェンリーのこの症状をなんて言った…?確か〝異物混入症〟…だったか。
過去に同じような状態の子供を見たと言っていたよな…それはいったい、いつの話だ…?
…サイードが戻ったら聞いてみるか…。
リヴと一緒に階段を降り、壁の案内板に従って院長室というのを目指す。二階の階段から西側は事務室などがあるようで、病室はなく入院患者の姿は見えない。
…と言うか、ここはエヴァンニュの診療所とは違って、特別な症状でない患者はいないみたいだ。
「そこが院長室のようですぞ。」
リヴの声にその扉を見つけ、ノックをして訪ねる。
「すみません、ルーファス・ラムザウアーと言います。今日入院したウェンリー・マクギャリーについて、話をしに来ました。」
「どうぞ、お入りください。」
中からまだ若い、優しげな男性の声が返って来る。
「失礼します。」と言って室内に入ると、正面の大きな机についていたその人は、立ち上がって俺の方に歩いてきた。
「お待ちしていました、僕がこの診療所の院長をしています、マグナイド・ファーガスです。」
「改めて守護者のルーファス・ラムザウアーです、よろしく。」
俺はファーガス医師に微笑んで、握手をしようと手を差し出した。ところが――
「守護者の方ですか、なるほど…患者さんを連れていらした男性と女性も同業者の方だったのかな?だとすると、マクギャリーさんは仕事中に負傷されたのかもしれませんね。」
――ファーガス医師は俺にただにこにこと微笑んでいた。少なくとも、俺の差し出した手を無視するような人には見えない。それなのに、彼は俺の手を取らなかった。
その時、ようやく気が付いた。
彼は眼鏡をかけていたが、その奥にある目は閉じたままで一切開いていなかったのだ。つまり…
「失礼ですがファーガス医師…もしかして目が…?」
「え…あれ?聞いていませんか…これは失礼しました。ええ、お察しの通りです。僕は子供の頃に受けたある負傷が原因で、目が見えないんですよ。」
ウェンリーより一つ年下だという、マグナイド・ファーガス医師は、まるでなんでもないことのようにそう言って、俺に優しげな笑顔を向けていたのだった。
次回、仕上がり次第アップします。