183 聖女の肖像画
ログニック・キエス魔法闘士とシニスフォーラの国王殿に着いたルーファス達は、そのエントランスで美しい女性の肖像画に見蕩れます。その時ルーファスはその絵画が『守り絵』であることに気づきましたが…?
【 第百八十三話 聖女の肖像画 】
――王都シニスフォーラは、噂で聞いていた通りの華やかで美しい街だった。
今日は原動車両に乗せられたまま、真っ直ぐ国王殿に向かわなければならないので観光する時間はないが、そうでなければゆっくりと街中を歩いてみたいところだった。
人で賑わう商店街に沢山の屋台が並んでいて、特にウェンリーとデウテロン、テルツォの三人は、遊びに来たんじゃないと念を押さなければ、勝手に抜け出してでも城下へ行きそうな勢いではしゃいでおり、今日は駄目だと説得するのが大変だった。
守護騎士の運転する原動車両は大通りを真っ直ぐ国王殿に向かい、やがてそのまま堀にかけられた朱色の橋を渡って、黒鋼の扉が開く城門ごと国王殿に張られた結界障壁をくぐり抜けた。
瞬間、また俺に結界が強く反応する。これも同じく俺の力に結界力が競り負けたことを示す、抗反応だ。
今度はキエス魔法闘士も気が付き、驚愕の表情を浮かべて俺を見ている。
そんな彼の目には覚えがある。ヴァハで村の人達にいつも向けられていた、得体の知れないものを見る目だ。
その態度から思うに、彼は守護七聖主の話を聞いているようで、その実あまり詳しくは知らないようだ。でなければ一々俺の為すことにあんな顔をするはずはないだろう。いや、知っていたとしても、話しに聞くのと実際に見るのとでは大きな差があるのかもしれないけど。
現代のフェリューテラの常識的に考えて、街を守る結界を施すと言うのは、誰にでもそう簡単にできることじゃない。
恐らくは魔法国カルバラーサから力のある魔法士を呼び、その協力の下シェナハーン王国でもかなり魔法に長けた者が張ったのだろう。
だが俺は千年以上も不老不死で生きている存在だ。仮に元は普通の人間だったとしても、それだけ長く若いまま生きていれば、必然的に能力値はその分だけ伸びて行き天井知らずになる。
俺の場合は神魂の宝珠に自分の力を一部封じてあるとは言え、それでも精々百年ほどしか生きていられない常人に比べれば、劣ることないのは当然だ。
千年前の魔物はもっと強力だったのかもしれないな…魔物が弱くなって知らず知らず人の能力も低下しているのかもしれない。
暗黒神が眠っている間に人は繁栄したけれど、同時に脅威に対する力も弱まっている…それはこの国だけに限ったことじゃないのかもな。
十分ほどで国王殿に着き、車両を降りる前に俺は、キエス魔法闘士にあることを問いかけた。
「――あなたが守護七聖主についてどの程度御存知なのかは知りませんが、あなたを含めこの国に俺に敵う人間は誰もいないでしょう。それでもあなたは俺という存在を信じ、俺達を国王殿に入れてもいいんですか?」
ここまで来ておいて今さらな質問だが、一国の王がいる城に足を踏み入れる前ならまだ間に合う。あくまでも俺達は呼ばれたからここにいるのであって、こちらの希望で来たわけではないのだ。
彼は一瞬答えに詰まった。それでも少し経って息を吐き、自分を落ち着かせるようにして答える。
「…確かにガレオン様ご夫妻に比べると、私は詳しいことを殆ど知らないと言ってもいいでしょう。ですが千年前の救世主だと文献に残されていたからではなく、今、目の前にいるあなたを、私は信用します。それに…あなたは冒険者ではなく、守護者だ。世界共通で魔物駆除協会に属する『守護者』とは、魔物から人々を守る者を言い、彼らの敵は魔物であり、人ではない…そう聞いています。」
そう言った彼を見て、本当に惜しいな、とまた思う。俺に多少なりとも怖れを抱いているのだろうに、それでも信用すると言い切るからだ。
国に仕える人間は、君主の命令如何によって簡単に裏切ることもある。ただそれでも彼が俺を信じると言うのなら、俺もこの人を信じないとな。
――広大な前庭で降車しそこからエントランスまで、真っ白い玉砂利の敷かれた地面をキエス魔法闘士について歩いて行く。
ここまで運転してきた二人の守護騎士は、シニスフォーラに一泊した後またメテイエに帰るそうだが、決して好意的ではない視線を俺達の背中に向けると、すぐにどこかへ立ち去って行った。
あれは多分俺達のことを、ここの守護騎士に報せに行ったのだろう。
足音がやけに煩いなと思えば…随分と綺麗な砂利だな。まだ新しそうだから、最近になって敷かれたのか?…ああそうか、なるほど…この細かな石は景観を良くするだけのものじゃない、侵入者対策にもなっているんだ。
足下を見ながら、へえ…と思わず感心する。俺達が歩く度にジャリジャリと大きな音が響くからだ。
これでは浮遊魔法を使わない限り、ステルスハイドやシャドウヴェールをかけていたとしても、居場所がはっきりわかってしまい隠密行動は難しそうだ。
因みに今はさすがに魔法を解除してある。警戒が厳重な国王殿に入るのに、姿が見えない相手を信用する人間はまずいないだろうからだ。
階段を上って入口から殿内に入って、最初にその美しさに目を見張る。柱は紺色の木に見立てられ薄桃色の花が咲き、上方には空を示す薄青色を使うなど、なんというかそのエントランス全体が一枚の風景画のように見えたからだ。
中でも正面にかけられた肖像画は特に目を引き、エントランスの景観を損なわずにいて、そこに溶け込むように美しい女性の姿が描かれていた。
――艶やかな狐色の髪に深緑のような瞳…誰だろう?しかもこの絵画…まるで『守り絵』だ。
画家が魂を込めて描いた肖像画は、そこに描かれた人物の本質をも写し出すことがある。
ルフィルディルに保管されていたマリーウェザーの絵がそれに当たり、彼女はそこに思いを残して呪われた絵画となったほどだ。
だがこの肖像画は恐らく、描かれた女性が相当な光属性の素質持ちだったんだろう。絵画その物がこの城を守ろうとする思いに満ちており、ここに住む人々に加護を与えているようにさえ感じる。
「…この肖像画の女性、恐らく極稀に見る『聖女』だ。誰からも愛されて大切にされ、心優しく慈愛に満ちた芯の強い女性じゃないかな。もしかしたら相当な治癒魔法の使い手かもしれない。」
思わずそう口にすると、キエス魔法闘士が「肖像画を見ただけで、そんなことまでわかるのですか!?」と驚いた。
「この肖像画の女性は、我が国の至宝と呼ばれるペルラ王女殿下です。王族の間に飾られていたものを殿下のお輿入れに合わせ、ここに移したものなのですよ。確かに殿下は治癒魔法の優れた使い手でもあられ、良く聖女のようだと称され民にも愛されています。…驚きました。」
「それじゃこの方がエヴァンニュに嫁がれた王女殿下なのか…この肖像画はできるだけ大切にされるといいですよ。なにしろ聖女の祈りが込められている『守り絵』と言っても過言じゃなく、この国王殿とここに住む人達をも病や怪我などから守ってくれるでしょう。」
「そうですか…、では国王殿の皆にもそのように伝えておきましょう。客室にご案内します、こちらへどうぞ。」
――シェナハーン王国の王女殿下が『聖女』だったことを知った後、キエス魔法闘士の案内で俺達は客室に通される。
キエス魔法闘士は俺達をそこへ案内すると、夕食を侍女が持って来るまで、一部の国王殿内は自由に見てもいいと告げ離れて行った。
扉の前には国王殿の守護騎士が二人立つようで、あの様子だと表向き護衛と称し俺達を監視するように言われているみたいだ。
まあ当然というか、予想通りというか…
俺達が一晩だけ滞在するのに通された部屋は、浴室とトイレが完備された、多人数用の大部屋だった。
内装は落ち着いた印象のシェナハーン王国らしい装飾で、メテイエのように豪華過ぎず国王殿にしては質素だな、と感じたくらいだ。
――第一印象は堯階三尺、というところか…建物は隅々まで手入れされているが、美術品も調度品も国産の物が殆どで贅を尽くしているようには見えない。
魔物駆除協会の支部不足で魔物が脅威となっている以外は、国民も幸せそうだし生活も安定している。
イスマイルのこと以外では、全く悪い王様という感じはしないな。
「しかしこの国の王女がまさか『聖女』とはな…千年前にも一人いたが、当時は光神信仰が盛んだった故宗教に頼る人民が多く、いつの間にか出現したという印象だったが…あの様子だと本人は自覚もないのではないか?」
「そうだな。まあでも一般人じゃない分、警護は万全だろう。自覚がないのなら無闇矢鱈と力をひけらかしたりはしないだろうし、治癒魔法だけなら使える人間は他にもいるから、早々周囲に知られないさ。」
「もし破魔の聖光術に目覚めれば、暗黒神の復活後に狙われるやもしれませぬぞ。」
「あのな、リヴ…民間人ならともかく、俺達がエヴァンニュに嫁いだ王族にどうやって接点を持つんだ?聖女は魔物を祓えるようにはなるけど、カオスや暗黒神は倒せないんだ。俺達の仲間になるならともかく、手が出せる相手じゃないだろう。」
「…なあ、盛り上がってるとこ悪いんだけど、聖女ってなに?」
黙って話を聞いていたサイードを含め、ウェンリーとプロートン達五人は、『聖女』という言葉自体を知らなかった。
――フェリューテラにおける『聖女』とは、そこにいるだけで人心に安らぎと希望を与え、時に勇気を奮い起こさせる、精神的な柱となるカリスマ性を持つ女性のことだ。
類い稀な光属性の資質を持ち、誰からも愛され誰にでも優しく、『祈り』の力を持って人に加護を与えることもできる。
治癒魔法や守護魔法に長け、訓練すれば非常に強力な魔物除けの結界を張ることも可能で、『破魔の聖光術』と呼ばれる聖女の固有能力に覚醒すると、多用はできないが俺の広範囲魔法並みに魔物を殲滅可能になる。
聖女はフェリューテラのどこかで極稀に生まれて来ることはあるが、早くに自覚して研鑽を積まない限り魔力は伸びないし、魔法を学ばなければ下級の治癒魔法ぐらいしか使えない。
おまけに周囲に愛される分、悪人からも好かれ易く、執拗に付き纏われたり、独占欲から命を狙われたりしやすいという境遇にもある。
だからこそ聖女には対とも言える『聖騎士』という存在がいて、大抵はまだ若い内に出会い、聖女自身が聖騎士を見出すことでやがては伴侶となり、互いを守り合って行けるようにも定められているそうだ。
聖騎士を選ぶのは聖女だが、要するに俺達なんかお呼びじゃないのだ。
――そんな話をしていたら、太陽の希望の現地要員である『ファロ・ピオネール』から精霊の鏡に連絡が入った。
エヴァンニュ王国でなにか異変が起きたのかと思いきや、仕事を一緒に熟せる数人の仲間を見つけたことと、昨日振り込まれた報酬金の割り当てについてだった。
ファロが言うに、一昨日四万G<グルータ>の入金があって、昨日が十万近い金額なのは、桁を間違えているか入金間違いじゃないか、と慌てていたのだ。
もちろん、間違いであるはずがない。
俺達太陽の希望は現在十人のパーティーだ。俺の決めた規則通り、依頼報酬は人数で割って均等に配分する。個人で受けた依頼の戦利品は個人の物になるが、何人かで一緒に仕事をした時は、それも当事者内で均等に分ける。そうして渡される戦利品の換金分は個人の収入になるし、素材として売らなくても自由だ。
俺はその旨をもう一度説明し、昨日一昨日で受けた依頼の報酬合計金額が百四十万を越えていたことを話した。
言うまでもないが、これは依頼が長期間放置されていたことによる、吊り上げられた報酬が原因だ。
今後はそこまでの金額にはならないから、安心して受け取れとファロには言う。もちろん、彼がエヴァンニュで受けた依頼の報酬だって、きちんと俺達に入っているんだから気にする必要はないのだ。
そんなこんなで話を終えファロとの通信を切り、国王殿内を広域探査で部屋から出ずに調査すると、今後のことなんかも(遮音結界を張って)相談している内にあっという間に夕食の時間になった。
侍女さん達が大量(なんせ八人分)の美味しそうな料理を運んでくれたが、そこでまた問題が起きた。
俺達の料理に毒こそ入っていなかったものの、思考を鈍らせる効果、体調を崩す効果、ある言葉を鍵に言うことを聞かせる効果、のある魔法が、それぞれ料理にかけられていたのだ。
それを見た俺は、明日の会談で友好的な話し合いは絶対に無理だな、と諦めた。
百歩譲って国王の指示ではなかったとしても、俺は生きる糧を得るための食事にこういうことをされるのだけは、本当に我慢ならないのだ。
――いいさ、そっちがそう言うつもりなら、挑発に乗ってやろうじゃないか。
…とはならず、こんなことが見破られないと思っているのなら呆れるし、見破られても構わないと思っていたのなら、腹を立てるのは相手の思う壺だと冷静になって考え直した。
この後魔法のかけられていた食事は、全て綺麗に解除して念のために解毒もし、もちろん一つ残さず全部美味しくご馳走になりました。
結局この日俺達は部屋から一歩も出ず、下手に顔を覚えられたくなかったことと、後で妙な難癖を付けられたりしないように、大人しく室内で過ごしたまま終えたのだった。
翌朝九時少し前。俺は全員にいつでも連絡が取れるよう、新しく用意した『共鳴石』を渡しておき、迎えに来た守護騎士の剣士数人に案内され(囲まれ)て、二つあるという謁見の間の片方へ向かった。
途中中庭に面した渡り廊下を延々進むと別棟の建物に入り、さらにまだ奥へと歩かされる。
――随分奥まで行くんだな…歩いているのは国王殿敷地内の北西部当たりか?謁見の間は二つあると言ったけど、本当にこんな奥にあるのかな。
そう疑いを持ったが、さらにまた渡り廊下を通った先には少し古いが独立した御殿があって、壁に掛けられた案内板によると、もう一つの謁見の間と言うのは確かにそこにあるようだった。
その御殿内に入り、やけに幅の広い廊下に出ると、正面に豪奢な装飾の施された大扉が見えてくる。
どうやらここの建物はずっと以前に使われていた場所らしく、厳重に閉ざされている裏門から入るとすぐの位置にあるらしい。
――事前に広域探査で国王殿内の状況を把握しておいて良かったな…でなければ迷って戻る道もわからなくなりそうだ。
十字に伸びる廊下の中程まで来た時、先導する守護騎士が立ち止まり、「あちらの大扉が謁見の間です、どうぞお進み下さい。」と俺に手を伸ばして丁寧に誘導してくれた。
守護騎士の先導はここまでと言うことか…
「ああ、ありがとうございます。」
俺がお礼を言って足を踏み出し、そこから数メートル歩いた時だ。
フオンッ…ポポポポポポポポッ
俺達全員の足下になんの前触れもなく、突然、金色の魔法陣が輝いたのだ。
「な…!?」
「ルーファス!」
シュンッ
後ろから俺の名を呼ぶサイードの声が聞こえた次の瞬間、身体がふわりと浮き上がる感覚に襲われる。
シュンッ…トッ
そうして秒の間に見知らぬ場所へと運ばれてしまった。どうやら通路に仕掛けられていたのは、巧妙に隠されていた転送陣だったらしい。
油断した…!まさか国王殿内の廊下に罠を仕掛けるなんて…!!
俺が飛ばされたのは、緑色に金糸模様が入った絨毯の敷かれた部屋で、四方が三十メートルほどの大広間だ。
着地してすぐに周囲を見回したが、傍にみんなの姿はなく、俺だけが一人ここに送られたらしい。
みんなは無事なのか、と仲間の身を案じた時だ。
「目の前に扉があると、その先へ進むには当然それが開くものだと思い込む。先祖が施した随分昔の罠だが、魔力を注ぎさえすればまだ使えるようだな。」
「!?」
窓はカーテンが閉められ、灯りもなく薄暗い閑散とした大広間に、比較的まだ若い印象を受ける男性の声が反響した。
「人間には珍しい、銀色の束ねた長い髪に青緑の瞳。永き時を生きているようには見えない、優しげで年若い風貌の青年…貴殿が千年前の救世主『太陽の希望』こと『守護七聖主』とやらか。」
その声に振り向き警戒して身構えると、そこには狐色の髪に深緑の瞳をした男性が、台座上の玉座に腰かけ、肘を着いた腕の拳で傾けた顔を気怠げに支えていた。
「私がシェナハーン王国国王、シグルド・サヴァンだ。」
この人がシェナハーン王国の現国王陛下…!
暗い上に少し離れた位置から見たせいか、酷く顔色が悪く、かなり疲れているように見える。様子がおかしいと言っていたキエス魔法闘士の言葉は本当みたいだ。
「――お初にお目にかかります、と用意しておいたご挨拶をきちんとしたかったところだけど、こんな歓迎の仕方をされるとは思いませんでしたよ。」
俺は一旦心を落ち着かせて姿勢を正す。最早一国の王に対しての敬意など吹っ飛んでいるが、俺のクラウ・ソラスはシルヴァンが持っている。つまり今の俺は丸腰なのだ。
「俺の仲間達をどうしたんですか?」
近くに守護騎士の姿はなく、この広間には今、俺とシグルド陛下しかいない。だが俺の地図は、一つ壁向こうに赤い点滅信号と化した、大勢の守護騎士が待機しているのを表している。
俺に動きがあればすぐにも雪崩れ込めるように、臨戦態勢を取っているのだろう。
急ぎ俺は頭の中で地図を拡大、国王殿内を広範囲に表示させると、仲間を示す黄緑色の信号を探した。すると――
国王殿の各所に散り散りにされている…!?
二階の北側の部屋に二つ、西と東の端部屋に二つずつの信号が点滅していた。だが俺達は八人…一つ信号の数が足りなかった。
一人足りない…どこか別の場所に飛ばされたのか…!?
「なに、私は貴殿と一対一で話したかったのでね。ご覧の通り護衛も外で控えさせている。もちろん、お仲間は皆無事だ。少々別室へ飛んで頂いただけだからね。」
嘘吐きだな…物は言いようか。同じ部屋にいるわけじゃないし、全員無事でもないじゃないか。俺にわからないと思って適当なことを言うな。
「…でしたら初めからここには俺だけを呼べば良かったんじゃないですか?」
俺の問いにシグルド陛下はふふっと笑った。…笑ったのに、目の下の黒い隈が目をギラつかせているようで、なんだか薄気味が悪い。
「いいや、それでは駄目だ。貴殿を囲い込み我が国の言いなりにさせるには、話すだけでは足りないだろう?料理に仕込ませた魔法は効かなかったようだが、仲間の身が危ういとなればさしもの貴殿も私の願いを聞かざる得まい。」
〝どうかね、守護者業は続けて構わないから、我が国に仕える気はないか?〟とシグルド陛下は続けた。
「………」
――あの料理にかけられた魔法は、やっぱり陛下の指示だったのか…嘗められたものだ。
仲間の身が危ういだって?俺の仲間が徒人に過ぎない守護騎士達に後れを取るとでも思っているのか。
…そう言ってやりたいところだけど、誰がいないのかがわからない以上、下手に煽るのは危険か。
共鳴石は首に提げたままでも使えるが、声を発しなければ会話はできない。俺はシグルド陛下と話しながら、影でシルヴァン達と思念伝達を使って連絡が取れないか試みることにした。
「俺を囲い込み言いなりにさせる?随分と身勝手で傲慢なことを言いますね。あなたが俺を呼んだのは、イスマイルについて話をするためだったんじゃないんですか?」
シルヴァン…聞こえるか!?聞こえたら返事をしてくれ!!リヴ、サイード!!
――思念伝達が使えるのはシルヴァンとリヴ、サイードの三人だ。だが必死に呼びかけてみるも返事はない。ここは別棟だから少し距離があって届かないらしい。
「無論最初はイスマイル・ガラティアの予知能力が欲しいがために、貴殿と交渉するつもりだった。現在は守護者パーティーとして有名になりつつある、『太陽の希望』を国として支援する代わりにここへ置いて行けとな。だがよくよく思えば彼女は突然姿を消したのだ。それはなぜか?曾ての主である貴殿の元に行くからだ。ログニックの報告によると貴殿らはエヴァンニュ国籍を得ているが、エヴァンニュ王国を特別扱いしているわけではないという。ならば貴殿らを我が国に属させれば、必然的に彼女の予知能力も手に入ると考えただけだ。」
どうも話がちぐはぐだな…俺が封印を解かない限り、イスマイルはシエナ遺跡を離れられないことは知らないのか。
俺が曾ての主だと言っておきながら、守護七聖<セプテム・ガーディアン>という言葉は一度も出て来ないし、『神魂の宝珠』についてもなにも知らないらしい。
この様子だともし知っていれば、イスマイルの力よりも国さえ滅ぼせる力を秘めた宝珠の方を欲しそうだから、不幸中の幸いと言えるのか。
「…シグルド陛下、キエス魔法闘士も何度も告げたそうですが、イスマイルは予知能力者ではありません。彼女の能力は、これまでに得た様々な知識と情報から起こりうる出来事を導き出す、『危険予測』に過ぎません。彼女が本当に予知能力者なら、前国王陛下ご夫妻の死は避けられたはずです。違いますか?」
俺の言葉にもシグルド陛下の反応は薄く、故人を惜しむような表情もない。
「…兄上達はログニックが止めるのも聞かず、一人の護衛すら連れずにエヴァンニュへ向かったそうだから、愚かなことに言うことを聞かなかっただけだろう。奇跡的に遺体は見つかり国葬も済ませたが、最後は乗っていた馬車ごとサンドワームに喰われたそうだ。全く、昔から自分勝手だった兄上らしい死に方だ。」
「な…ご自分のお兄さんをそんな風に言うなんて…!!」
――前国王夫妻は偶然手にした『キー・メダリオン』を、世界を滅ぼさないためにイシリ・レコアへ戻そうとしてくれたんだ。
その行動は讃えられこそすれ、愚かだなんて言われる筋合いはない!
この人は世界のために命を落とした兄に対する、兄弟の情さえどこかに失くしてしまったのか…?
腹立たしいと言うよりも、失望と悲しみの方が勝っていた。
一国の王が国を思わなくなったら終わりだが、誤った認識で力を求めるのは大間違いだ。
一体なんのためにイスマイルの力を欲しているんだろう…これまで同様に国を守りたいのなら俺の気を引くためにそう言うだろう。力が欲しいとは言うが、なぜそう言わない…?
――理由を聞いてみた方がいいかもしれないな…話してくれれば、だけど。
「もう一度言います、イスマイルは予知能力者ではありません。彼女はただ自分の持てる知識を使って、目の前で失われて行く命を救いたかっただけだ。あなたはその彼女の思いを踏みにじり、彼女の力を勘違いしたまま欲するのか…」
〝いったい、なんのために?〟――そう続けようとしたところで、頭の中にサイードの声が響いた。
『ルーファス!聞こえますか!?』
サイード!?聞こえる!サイード、無事か!?
『私達は無事です。距離があって思念伝達が届かないので、魔法による感知エリアを広げました。ただシルヴァン達とも連絡は取れましたが、ウェンリーがいません。二人ずつバラバラに離されて飛ばされたようなのですが、ウェンリーだけ何処にもいないのです。共鳴石による呼びかけにも返事がありません…!』
え…
ウェンリーが、いない…?一人足りないのは、ウェンリーだったのか…!?
『これから私は転移魔法を駆使して、全員を監禁部屋から逃がします。必然的に守護騎士との戦闘は避けられませんから、覚悟して下さい。私達の方でウェンリーを探しますが、あなたは自力で脱出できますね?なにかあれば思念伝達で私に連絡を下さい。無事に脱出できたら、国王殿の入口で落ち合いましょう…!』
――わかった、サイードも十分気をつけてくれ。
一人足りなかったのはウェンリーだった…ウェンリーをどこへやった?シグルド国王…!!
サイードとの思念伝達を終えた俺は、イスマイルの力を欲する理由を聞くことも頭から吹っ飛び、湧き上がる怒りにシグルド国王を睨みつけた。
国王はそんな俺の変化に気づき、なにが面白いのか口の端で笑っている。
ウェンリーだったのは偶々か?それともわざと?どっちでもいいが、許さないぞ…!!
「――〝仲間の身が危ういとなれば〟…あなたはさっき、俺にそう言ったな。」
守護七聖主について知る知らないはもう関係ない。俺の最も逆鱗に触れる行為はなんなのか…簡単な話だ、それは俺の大切な仲間に手を出すことだ。
その相手がたとえ一国の王であろうとも、俺は決して許さない。
「生憎俺の仲間は守護騎士程度に後れを取ることはない…そう思っていたが、一人だけ俺が最も大切にしていて、特別な力をなにも持っていない仲間がいる。もしあなたが、その仲間だけを別に捕らえて質に取り、俺を脅そうとしているのなら…覚悟した方がいい。俺は俺の仲間に手を出した人間を許さない。そしてあなたが俺を敵に回せば、この国の未来はなくなる。なぜなら、今後起こりうる災厄時にも俺が救いに手を貸さず、見捨てるからだ。シェナハーン王国国王、シグルド・サヴァン陛下。あなたにはその覚悟があるのかな?」
ゴオッ
俺は全身に魔力の奔流を解き放ち、怒りの闘気を纏った。
「――ウェンリーはどこだ。」
俺がこれほどの魔力と怒りを放っているのに、シグルド陛下は寧ろこの状況を楽しんでいるようにさえ見える。
本当におかしいな…どうかしているぞ、国王シグルド・サヴァン…!!
「ふむ…なぜわかるのかは疑問だがそれはさておき、たった一人の仲間のために、フェリューテラ三大王国の一つである我が国を見捨てるのか?貴殿は救世主だろう。」
答えをはぐらかして俺に冷静さを失わせるつもりか?なにを考えている…!!
俺は益々苛立った。
「いいや、違う。救世主というのは俺自身が名乗ったわけじゃない。俺の行いを見た当時の人達が勝手にそう呼んだだけだ。暗黒の神が降臨し世界が暗闇に覆われた時、それを俺が払い、太陽の光を取り戻したことで『太陽の希望』とも呼ばれるようになった。だけど俺は――」
そう、俺は自分の大切なもののためだけに、戦っていただけだ。
その当時の思い出せない記憶の中にある、その思いだけが胸を突く。
「もう一度聞く…俺の仲間には赤毛の青年がいる。ツンツンした髪型の若い男だ。その赤毛の青年…ウェンリーはどこだ。答えないのなら、この建物を俺の魔法で粉々に吹っ飛ばすぞ。」
焦れて来た俺の怒りが頂点に達する前に、シグルド陛下はニヤリと笑いながら右手を上げた。
「おい、赤毛の若者を連れて来い!!」
――シグルド陛下が座っている玉座の後方にある、壁一面に掛けられた天幕の隙間から扉の開く音がする。
その暗がりから、両腕を肩に回しているような格好で支えられ、力無く俯くウェンリーが二名の守護騎士にずるずると引き摺られて来た。
瞬間、俺の魔力が風を伴ってブワッと広がる。
「ウェンリーッッ!!!」
なぜなら、こんなに近くにいたのに、ウェンリーの存在を示す『黄緑色』の信号が光っていなかったからだ。
ぐったりとして動かないウェンリーの姿を見て、俺の理性は吹き飛ぶ。
身体から怒りの闘気と共に魔法ではない魔力だけが放たれ、大広間の空気をビリビリと震動させた。
その攻撃にも似た魔力の放出に、すぐさま守護騎士達が天幕の後ろから雪崩れ込んでくる。
床に降ろされたウェンリーは、まるで魂が抜けたかのようにぺたりと座り込み、倒れはしないがだらんと両腕を垂れ下がらせて、人形のように動かない。
「ウェンリーになにをしたーッ!!!!」
そう叫んで駆け寄ろうとした俺の前に、複数の守護騎士が武器を手に立ち開かる。ウェンリーを連れてきた守護騎士の一人は、国王になにか耳打ちをしていた。
俺は完全に冷静さを失ってフーフー激しく息をし、彼らをこの手にかけそうなほど激昂していた。
落ち着け…落ち着け!!ウェンリーにはアテナの腕輪がある、たとえ魔物が相手じゃなくても死に至るようなことには絶対にならないはずだ…!!
その言葉を必死で自分に言い聞かせた。
「少し落ち着いたらどうだ?私はなにもしていない。本当は元気な姿で腕を拘束されているだけのはずだったのだが、転送陣で奥の部屋に移動した直後から、こんな風に様子がおかしくなったのだそうだ。仲間に危害を加えれば、貴殿は話しも聞かないだろう。これは私の所為ではない。」
〝私の所為ではない〟と言った国王の言葉に、落ち着こうとする気持ちが逆撫でされる。
「直接危害を加えたのでなかったとしても、俺達を罠に嵌めたあなたが原因だろう!!あなたは俺を囲い込み、言いなりにさせたいのだったな、絶対に断る!!仲間に手を出した人間を、俺は許さない!!俺はシェナハーン王国をたった今から敵と見做す!!今後イスマイルは愚か、俺達の誰もこの国の王族には手を貸さないだろう!!」
「――そうか…ならば仕方あるまい。そこの男は我が国を敵と見做す、そう言った。皆の者、確かに聞いたな?直ちに捕らえよ!!」
「「「はっ!!!」」」
国王シグルド・サヴァンのその一声によって、俺は二十人以上もの守護騎士に取り囲まれた。
殺さなくても無力化はできる。だが守護騎士の壁に隠れて見えない、ウェンリーを人質にされればそれすら厳しいだろう。
――どうする!?せめてウェンリーだけは逃がしたい…一刻も早くウェンリーの身になにが起きたのか調べないと…!!ここはサイードを呼ぶべきか…!?
なにか対策を取らなければ、と焦った時だ。どこからかその勇ましい声が響いた。
「お止め下さいシグルド陛下!!」
「ログニック!?」
俺の窮地に駆け付けてくれたのは、国王に仕える側のキエス魔法闘士だった。
「キエス魔法闘士…!?」
「魔法闘士ログニック・キエスが命ず!!我が配下にある守護騎士達よ、国への誓約によりて繋縛の呪を発動す!!良いと言うまで何人たりとも動くでないぞ!!」
彼は驚いて玉座から立ち上がる国王に構わず、錫杖を水平に掲げて広間内の守護騎士達に向かい、いきなり魔法を放った。
「ま、魔法闘士…っ!!!」
「か、身体が…動かな…へ、陛下…っ」
キエス魔法闘士が放ったのは、配下にある守護騎士を麻痺させて動けなくする魔法だったようで、そこにいた守護騎士全員が動けなくなった。
「ルーファス殿、急いで!!」
「あ、ああ!!」
キエス魔法闘士が味方してくれたこの隙に――!!
俺はウェンリーの元へ走ると息をしていることを確かめ、虚ろな目をして脱力しているウェンリーをその場で背負った。
「出口まで私が案内します、行きましょう!」
「お願いします、キエス魔法闘士…いえ、ログニックさん!!」
俺を信じると言ってくれたこの人は、俺達の味方だった。俺に〝ログニックさん、いい人だぜ〟と言ったウェンリーの見る目は確かだったのだ。
この事態に怒りを顕わにしたのは、もちろんシグルド・サヴァン国王陛下だ。
「待て貴様、国王たる私に逆らうか!!」
魔法で施錠されていた大広間の扉を、暗号魔法で解除し押し開けてくれた彼は、その場に足を止めて振り返ると国王に向かって強く言い放った。
「そのようなつもりはございません!陛下は御存知ないようですが、我が国の古い文献にも亡国ラ・カーナ同様に残る言い伝えがございます。『その者、太陽の希望と称されし守護者なり。相対すれば滅びを招かん。忘るるな、決して彼の者の自由を奪うこと勿れ。』あの一文は今現在のこのような事態を警告してのものだと申し上げます。陛下がこの者と敵対する道をお選びになり国の滅びを招くのであらば、私はそれをお諫めするのが役目!延いてはガレオン様に託された、シグルド様の御身のためでもあります!!」
「戯れ言を…!!もう良い、他に誰かいないのか!!誰か!!」
――シグルド・サヴァン国王陛下にキエス魔法闘士…ログニックさんの言葉は届かないようだ。
ログニックさんは悲しげな目で国王を一瞥すると、後ろ髪を引かれる思いを振り払い、前を向いて走り出した。
「ログニックさん、ウェンリーが…!」
背中に背負って走っていても、激しい揺れに一向に正気を取り戻さないウェンリーに、ログニックさんならなにかわかるかと聞いてみる。
「こんな状況になり信じて頂けないかもしれませんが、ウェンリー君のこの様子は確かに陛下がなにかをされたわけではありません。傍にいた守護騎士達も狼狽えていましたし、間違いないと断言します。」
「……そうですか、わかりました。俺達の味方をしてくれたあなたの言葉を信じます。」
この人は仕えている国王を諫めてまで味方をしてくれた。信じないわけにはいかないよな。
だけどウェンリー…いったいどうしたんだ。おまえになにが起きた?頼む、大事にならないでくれよ…ここから脱出したら、すぐにアナライズで視てやるからな…!
俺はウェンリーが一緒であることを思念伝達でサイードに伝え、ログニックさんと一緒にひたすら出口を目指した。
途中次々に現れる守護騎士は、ログニックさんがさっきと同じように全て無力化してくれる。
俺の予想以上に魔法闘士という立場は、守護騎士の中でも上位に位置することを目の当たりにする光景だ。
おかげで俺はウェンリーを背負ったまま、戦うことなく安全に国王殿のエントランス前に辿り着けたのだった。
「ルーファス!!」
ウェンリーを背負った俺がログニックさんとそこに着くと、既にサイードの手で脱出していたシルヴァン達全員が待っていた。
「ウェンリー!?どうしたのだこの様子は…なにがあった!?」
シルヴァンはウェンリーの状態を見るなり心配して尋ねて来る。リヴもデウテロンもテルツォも…ウェンリーのあまりの様子に声を失い、その身体を摩ったり頬に触れたりしている。
俺は胸の痛みをぐっと堪え、不吉な考えを振り払いながら答えた。
「わからないんだ。俺が見た時には既にこの状態で…ここは敵だらけで危険だから、とにかく一刻も早く安全な場所に逃げて、ウェンリーの身体を調べたい。」
守護騎士の殆どはログニックさんが止めてくれたが、こんなところでぐずぐずしている暇はない。
「ルーファス様、ウェンリーは俺が背負います!」
「デウテロン…ありがとう、頼む。シルヴァン、俺のクラウ・ソラスを出してくれ。ここから先は剣が要る。」
「うむ。」
「では急いで前庭に出て転移魔法を使いましょう。ウェンリーのことは予想外の事態ですが、アパトではなく先にメル・ルークへ逃れます。転移先の街に腕の良い医者がいますので、そこでウェンリーを見て貰えれば――」
「ああ、そうだな急ごう。ログニックさんも今は俺達と来て下さい。」
「…わかりました、そうさせて頂きます。」
俺はシルヴァンから受け取ったクラウ・ソラスを装備し、デウテロンはシルヴァンの手を借りてウェンリーを背負うと、飛んだり走ったりしてもいいように、プロートンがウェンリーの身体とデウテロンの身体を紐でしっかり括り付けた。
「よし、新たな追っ手が来る前に行こう。サイード――」
サイードに声をかけて、急いで国王殿を飛び出そうとした時だ。
「待て、逃がさん!!」
背後から息を切らせて走って来たらしきシグルド陛下の怒声が響く。
「シグルド様!?」
「あくまでも私に手は貸さんと言うのであれば、守護七聖主にもう用はない!!今日ここでサヴァン王家の秘、召喚術の餌食となるがいい!!」
俺達の背後でそう叫んだシグルド陛下の手には、なにか呪文帯が交差して円形に回転する光を放つ、香炉に似た魔道具のようなものがあった。
「あれは…いけない、すぐに逃げて下さい!!召喚魔法が発動します!!」
「召喚魔法…!?」
「急ぎなさいルーファス!!早く!!」
ログニックさんの言葉に俺達は一斉に前庭へと走り出した。
だが逃げるのに間に合わず、前庭の白い玉砂利が敷かれた地面に、高速で超巨大な召喚魔法陣が描かれて行く。
――そして眩い緑色の光が輝き空まで同色に照らすと、そこから深い光沢のある緑色の鱗に包まれた、巨大な翠竜が俺達の進路を塞ぐようにして目の前に、その姿を現したのだった。
直後翠竜が大地を揺るがす恐ろしい咆哮を上げる。
「深緑の鱗を持つ翠竜…!?…いや、違う、この竜はまさか…アリファーン・ドラグニスと同じ――!?」
「見たか!!これが我が王家の守護竜『ヴァヒリアソル・ドラグニス』だ!!」
巨竜の咆哮に混じって高らかにその名を告げる、国王シグルド・サヴァンの声が、俺達の背後にある国王殿の入口から聞こえていた。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。次回、仕上がり次第アップします。