182 シェナハーン国王シグルド・サヴァン
ログニック・キエス魔法闘士と待ち合わせているメテイエの街に到着したルーファス達は、予め指定されていた宿には泊まらず、外見を変えたまま別の宿に泊まりました。翌朝ここで合流することになっているサイード達を、ステルスハイドで姿を消し情報を盗み聞きしながら、ルーファスは街門の外で待っていましたが…?
【 第百八十二話 シェナハーン国王シグルド・サヴァン 】
私の名はログニック・キエスと言う。隣国エヴァンニュよりも歴史の古い、シェナハーン王国のサヴァン王家に仕える守護騎士の魔法闘士である。
今年まだ若くして亡くなられた『ガレオン・ザクハーン・オルバルク・サヴァン』前国王陛下は、幼い頃より自由奔放で、我が国に眠る古代期の歴史を探究することに生涯を費やした御方であった。
だがその影で、国王とは名ばかりだった前王に代わり、長い間王太子として国のため、民のために、国政の全てを担ってきた方がおられる。
それが現国王陛下『イラオイフェ・ザクハーン・シグルド・サヴァン』様だ。
私は陛下にファーストネームを呼ぶ許可を与えられていないため、公式名のシグルド様とお呼びするが、陛下を語る上で外すことのできないサヴァン王家の三兄弟は、前国王陛下のガレオン様、現国王陛下のシグルド様、王妹のナシュカ様で、ガレオン様とシグルド様は八つ違い、シグルド様とナシュカ様は四才差のとても仲の良いご兄弟であられた。
先々代の国王陛下がご病気で身罷られ、ガレオン様が王位に就き王太子となられた後からのシグルド様の口癖は、〝人には与えられた役目と向き不向きがある〟とのお言葉で、ガレオン様が国政を嫌がり国王殿には殆ど戻らず、アパトに居を構えシエナ遺跡に入り浸りでも、ただの一度さえ御自身の不満を漏らされたことはなかったほどだ。
実際、長い間お三方はその状態で上手く行っておられた。
ガレオン様と王妃陛下であられ隣国ベルデオリエンスより嫁いでいらした、レイアーナ様との間にお生まれになったのは王女殿下であり、我が国は女王制を認めていないため、王太子は変わらずシグルド様で決まっておられたこともある。
なによりも王妹ナシュカ様の存在は大きく、シグルド様の常に傍にいて公私ともに支えておられたことから、シグルド様はナシュカ様を誰よりも大切に思い、溺愛されていた。
そのナシュカ様は類い稀な才を持ち、母御譲りの美貌から『サヴァン王家の至宝』とも称されておられたが、他国の王族から降るような縁談にも中々首を縦に振らずにいらした。
しかしなんの縁か、ガレオン様の国葬に出席されていた隣国の隠された第一王子をお気に召し、ナシュカ様は嫁がれたも同然に隣国へ行かれてしまった。
以降シニスフォーラの国王殿はまるで火が消えたように寂しくなったが、ただそれでも私は、ガレオン様亡き後問題なくシグルド様が王位に就き、これからも我が国は恙無く続いて行くのだと、そう思っていた。
――シグルド様が、守護騎士の持ち寄った『現映石』により、我が国の守り神はシエナ遺跡にて、現実に存在しているのだということを、お知りになるまでは、だ。
この世に神など存在しない。国と民を守るのは国王の責務であり、目に見えぬものを頼るなど論外だ。常日頃からそう仰っていた陛下は、その言葉通りイスマイル様を『守り神』だとは思われなかった。
代わりにもっと悪いことに、彼の御方を『予知能力を持つ稀少な人間』だと勘違いをし、頑なにそう思い込まれてしまったのだ。
ガレオン様と異なり、古代期の伝承や歴史に興味を持たれないシグルド様は、イスマイル様が千年の時を眠りについて越えられた、『普通の人間』であることを御存知ではない。
私はガレオン様の遺言から、何度も陛下にその旨をお伝えしたが、元々はガレオン様付きの臣下であった私の言葉は到頭聞き入れられなかった。
私に国王となる自分の元に来て、先代と同じように助けて欲しいと仰ったのは、誰でもない国王陛下だったのに。
――ナシュカ様のご婚約が整い、隣国に行かれてから一月以上が過ぎた。
シグルド陛下のお側に付き添い、公務の手伝いから各地に派遣される守護騎士の視察、町村代表者からの申請や意見陳述の聞き取りなどを担当していた王女殿下がいなくなられ、後任に入った補佐官達は能力的に劣っており、殿下の代わりは中々務まらなかった。
本来であればこれらは国王陛下の伴侶となる王妃陛下の仕事だが、シグルド様はナシュカ様以上に齎される縁談に乗り気になられず、未だご婚約者さえ決まらぬお一人身でいらっしゃる。
このままでは法律を変えてガレオン様の一人娘であられる『スザナ王女殿下』を王太女とせねばならなくなるため、側近の大臣達にも責付かれ、嫌々ながらも見合いをしなければとは思っておられたようだが…このところどうも陛下のご様子がおかしい。
元々シグルド様は我慢強く、腹を立てるようなことがあっても滅多に声を荒げたりする御方ではなかったのだが、ナシュカ様がいなくなられてからと言うもの、執務室からは毎日のように陛下の怒鳴り声が聞こえ、陛下を補佐する役目の大臣達でさえも、戦々恐々としているのだ。
あまり睡眠を取られていないのか、目の下には隈ができ、頬も少し痩けてお顔色も良くは見えない。
今さらながらナシュカ様が如何に兄君の健康に留意し、精神的にも支えとなられていたのかを目の当たりにするも、こればかりは今ここにいる者達で陛下をお支えするしかないのだ。
――そうしてかく言う私も、これからシグルド様のお叱りを受けに御前に参るところだ。
その理由はこれからわかるが、明日会談が予定されている『太陽の希望』という名の守護者パーティーに関わりがある、とだけ申し上げておこう。
「全く…陛下はいったいどうされてしまったのだ。書類のご説明をしようにもすぐにうるさいと仰って、まともな会話すらおできにならぬ。ペルラ王女殿下がいなくなられてからと言うもの、イライラされっぱなしのようでほとほと困り果てるぞ。」
国王殿の廊下をブツブツとそんな独り言を言いながら、書類を手にした補佐官が私の横を足早に通り過ぎて行く。
よく見ていると各所の女官や侍従達まで気が立っており、殿内全体がピリピリしているようだ。
≪僅か一月ほどでここまで国王殿が変わってしまうとは…≫
私は溜息を吐きながら執務室前に辿り着くと、深呼吸をして扉をノックした。
「――シグルド陛下、ログニック・キエスです。入ってもよろしいでしょうか。」
すぐにシグルド様の不機嫌そうな声が返って来た。
「ああ、入れ。」
〝失礼します〟と言って扉を開け室内に足を踏み入れた途端、一瞬やけに気温の低い暗闇の中に入り込んだような錯覚を起こした。
ゾクリ…
な…?
一時的に視界までもが暗くなったような気がして、バッと顔を上げ陛下を見たが、機嫌のお悪い様子なだけで執務室は普段と何ら変わりはなかった。
――気のせいか…
「国境を越えた後、例の守護者パーティーは行方を掴めたのか。」
私を見ようともせず、冷ややかな声が問いかける。
「申し訳ありません、依然として不明です。」
バンッ、と陛下が両手の拳を机に叩き付ける、大きな音が室内に響いた。陛下は座したまま大きく身を乗り出し、狂ったように血走った目で怒りをぶちまけた。
「貴様はいったいなにをしている、もう三日だぞ!?各所に守護騎士を配置しておきながら、なぜどこからも報告が上がって来んのだ!!見つけ次第軟禁し、国内を自由に歩かせるなと言ったはずだ!!」
「承知しております。ですが魔物駆除協会に協力の要請は不可能な上、入国の際には会談に応じるとの返答があり、本日私が迎えに参ります以上確実にメテイエまでは来るはずです。以降は監視に私が付きますので、じきイスマイル様の行方についてもなにかしら判明することでしょう。」
ご自分を律することに優れ、穏やかで従者にさえ労いの言葉をおかけ下さるお優しい方だったのに…いきなり激昂されたかと思うと、次の瞬間にはスッとそれが引くように静かになる。
やはり陛下はおかしい…情緒不安定とはこのような状態を言うのだろうか。
「ああ、そうか…現映石によるとイスマイル・ガラティアは必ず太陽の希望に合流するとのことだ。価値のわからぬ者共の元にいるより、守り神と言うからにはこれからもシェナハーン王国のために役立って貰おう。予知能力を持つあの者さえいれば、他国に侵略戦争を仕掛けても敗北することはないだろう。つまり我が国がフェリューテラ唯一の帝国となるも夢ではなくなるのだぞ。」
――その言葉を聞き、私は困惑する。シグルド様は突然なにを仰っておられるのかと、耳を疑った。
我が国は遥か昔から他国が戦争をしていても、できるだけ関わらず中立の立場を貫いて来た歴史がある。それなのに…
誰になにを吹き込まれたら、たった一月の間でそのようなお考えに至られるのだ?陛下の側近に侵略戦争を唆すような、愚かでおかしな人間は一人もいないはずなのだが…
そもそも、その現映石を齎したという守護騎士とはどこの誰だ。存在を口にされておられるのは陛下のみで、誰一人としてその者を知らないと言うのに…いったいどうなっている。
「お戯れは申されめさるな、シグルド陛下。それと何度も申し上げますが、イスマイル様は予知能力者ではございませんし、彼の御方は我が国の所有物でもありません。どうか今一度、そのお考えを改めて下さるようお願い申し上げます。」
「もういい、貴様のそれは聞き飽きた。とっととメテイエに向かい、守護七聖主とやらを連れて来い。」
「……かしこまりました。」
――これまで古代の歴史に微塵も興味を持たれなかった陛下が、なぜその呼び名を御存知だったのか…私は一言も申し上げておらず、彼らに書簡を送る以前までは『太陽の希望』とパーティー名をお呼びだったのに。
ナシュカ様が嫁がれて、陛下に苦言を呈する者もすっかり及び腰になった。表面化しているだけでもおかしな点は尽きないが、ならば陛下になにが起きているのかと言って、それすらわからない。
ガレオン様、レイアーナ様…私はどうすれば良いのでしょう?教えて下さい…
♢ ♢ ♢
――メテイエに迎えに来ると約束をしていたその日、予定時間よりも一時間ほど早くログニック・キエス魔法闘士は街に到着した。
全部で八人もいる俺達をそれに乗せてシニスフォーラまで運ぶつもりなのか、中型の多人数用魔力原動車両でここまで来たらしい。
俺は一度騎士服を着た彼に会っているため、運転席から一人降りて来た姿を見てすぐに気付いたが、その表情には覇気がなく随分と暗い顔をしている。
あの表情…少しは俺達に対して、思うところがあるのかな。
そうであって欲しい、と俺は願う。
バセオラ村に俺達を訪ねて来た時の彼は、元王妃陛下を丁重に葬ったことから、俺に本心で感謝しているように見えたし、あわよくば国の味方に引き込もうとしている節はあったが、イスマイルのことで敵対したいようには見えなかった。
そうでなければ、俺がまだなんの警戒もせず準備もしていなかったあの時点で、村の人間や復興を盾に取り、強引な手段で拘束することもできたはずだからだ。
俺は今、ステルスハイドで完全に姿を消し、近くに立つ守護騎士に混じってサイード達が到着するのを街門の外で待っている。
そんな俺の傍にいる守護騎士の元に、俺に全く気づいていない様子の彼は車両を降りたその足でこちらへとやって来る。
ちょっと行儀は悪いが、彼らの会話を盗み聞きするために、俺がここにいることも知らないで、だ。
「お待ちしておりました、ログニック・キエス魔法闘士。早朝からこちらまでご足労様です。」
「未だに報告は上がって来ないが、例の守護者パーティーは到着したか?」
「いえ、まだ確認できていません。我ら守護騎士の配備状況を見て警戒し、陛下との会談を反故にするつもりではないでしょうか?」
守護騎士の返答を聞いてさすがにムッとする。
――なんだって?俺がそんなことをするわけがないだろう。守護騎士を警戒していたのは当たっているが、それじゃ俺達がなにか後ろめたいことをしていると認めることになるじゃないか。
いったい人をなんだと思っているんだ。
だがキエス魔法闘士はそれを聞いて首を横に振る。
「いや、それはないだろう。リーダーのSランク級守護者は、こちらを騙して一度応じると決めたことを簡単に覆すような人間ではない。必ず私との約束の時間までに姿を見せるだろう。ただその際はくれぐれも丁寧に接し対応に気を配るように。間違っても〝たかが守護者〟と侮り、無礼な態度を取るのでないぞ。」
「…は、かしこまりました。」
守護騎士は納得が行かないのか、ほんの一瞬だけ遅れて返事をし、キエス魔法闘士に敬礼をする。
彼はそのままメテイエの街門を潜って、街中へと歩いて行った。
「………」
惜しいな…彼を味方にできれば、シェナハーン王国での頼りになる協力者となっただろうに…
昨日からステルスハイドを使ってこっそりと守護騎士から情報を集めた限り、キエス魔法闘士はやはり国の上層部にいる人間で、国王陛下の側近とも呼べる存在らしい。
だが元々は先代国王…つまりは俺とウェンリーがヴァンヌ山に埋葬した女性のご主人だが、そのオルバルク国王付きの臣下だったこともあり、近頃はなにかと国王とは上手く行っていないようなのだ。
――イスマイルとの面識があり、俺の話を少しでも聞いていたのなら、俺の最も逆鱗に触れることがなんなのかを知っていそうなものだけど…エヴァンニュと違って考古学にも熱心な国だという割りに、伝承も信じない国王を諫めることができないのなら仕方ないな。
ピロン
『感知範囲に指定対象を確認』
俺の自己管理システムに、メテイエから一キロ範囲内に入ったサイード達を見つけたら報せるように設定しておいたので、頭に通知音が響く。
俺は街門から離れ、ステルスハイドをかけたまま、王都街道を歩いてくるサイードの元まで急いだ。
そうだ…サイードならステルスハイドをかけていても、俺に気づきそうだよな。…試してみるか。
そんなほんの小さな悪戯心で浮遊魔法を使い、駆動車両並みの高速でそこに近付く。すると――
まだ外見に変化魔法を使用したままのサイードは、三十メートルほど手前で俺の気配に気づきハッと顔を上げると、その場でピタリと立ち止まった。
――ああ、やっぱり気づかれたか。
「イド様?」
サイードと歩いていたプロートン達も足を止める。
ヒュンッ…ストッ
俺は彼女達の目の前でステルスハイドと浮遊魔法を解くと、周囲の人間には街道脇の草叢から現れたように見せかけた。
「おはよう、無事にここまで来られたみたいだな。」
「「「ルーファス様!?」」」
プロートン達は突然目の前に現れた俺に驚いたが、サイードは涼しい顔をして微笑んだ。
「おはよう、ルーファス。わざわざあなたが迎えに来てくれたのですか?」
「ああ。このまま街門から入るんじゃなく、転移魔法でウェンリー達のいる宿に行きたいんだ。頼めるかな?」
「ええ、構いませんよ。――では行きましょうか。」
――そう言うとサイードは人目に付かない木の影に移動してから、魔法無効化の結界を物ともせずに、俺達が昨夜泊まった宿の一室まで一瞬で移動してくれたのだった。
「おっ!来た来た、お帰りプロートン、デウテロン、テルツォ。少しはフェリューテラに慣れたかよ?」
四人部屋のリビングでシルヴァン達と待っていたウェンリーは、俺が戻るなり椅子から立ち上がってプロートン達に歩み寄った。
「ウェンリー、私への労いの言葉はないのですか?」
一人声をかけて貰えなかったサイードが、不満を顔に出さず婉然としてウェンリーに言う。
「サイードは俺よりも、ルーファスに〝お帰り〟って最初に言われた方が嬉しいだろ。違った?」
瞬間、サイードが驚いたように目を丸くしてから俺を見て、なぜか少し恥ずかしそうに頬を染めると、俺から目を逸らして口元に右手の指先を当てる。
「え…ええ、そうですね…確かに。」
「??…なんだか良くわからないけど…お帰り、サイード。サイードがついているからそんなに心配していなかったが、プロートン達もみんな無事で良かった。」
「ただいま、ルーファス。」
サイードが微笑むとプロートン、デウテロン、テルツォも笑顔で俺に頷く。
全員が揃ってホッと胸を撫で下ろしたところで、各々適当な場所に腰を下ろし、早速シルヴァンがサイードに問いかける。
「合流するなりすまぬが、首尾はどうだった?サイード。」
「問題ありません。昨日連絡した通り、アパトへ入るのに偶然声をかけて来たSランク級守護者、『サイファー・カレーガ』に魅了をかけて協力させましたが、無事シエナ遺跡の地下一階に転移杭を設置できましたから。」
「あの不愉快な男…まさかピエールヴィで別れた後にアパトへ移動するとは思わなかった。タイミング的には俺達と別れてから、そう経たないうちに向かったんだろう。裏がありそうだから口を割らせると言っていたけど、なにかわかったのか?」
「ええ、わかりましたよ。ですが思い出すと不快なので、それは後にしましょう。彼はアパトにいてまだ施術を解いていませんから、きっと後ほどあなたの役に立つと思います。」
「…役に立つ?」
ほんの一瞬だけ、サイードの優しい顔にフッと冷たい微笑が浮かんで、そこに恐ろしげな裏を感じ背中がゾクッとした。まさかとは思うが、あの男となにかあったのだろうか?
そう思っていたところへ、テルツォが俺に爆弾発言をする。
「ルー様〜サイード様ね、あのスケベ男にハニートラップを仕掛けたのですよ。」
「えっ…今、なんて…?テルツォ…」
ずいっと横から顔を出して人差し指を立てると、デウテロンがバチンとウインクをする。
「ハニトラです、ルーファス様。色仕掛けで誘惑し骨抜きにしてから一晩かけて、色々とじーっくり人に言えないような拷問をしたらしいっすよ。サイード様、怖いっすよね…」
両腕で自分の身体を抱きしめるようにして、ぶるるっと身震いをしたデウテロンに、吹雪を纏ったサイードは氷の微笑を浮かべた。
「――誰が怖いですって?デウテロン…あなた、やはり突き飛ばしてでも崖を飛び降りさせれば良かったですね。問題児がオルファランで散々私に手を焼かせ、山一つ吹っ飛ばして拘束されるまで尻拭いをさせて来たというのに…本当の恐怖を見たいのですか?」
「いっいえ、結構です!!すいません!!」
「ルー様、ハニトラ知ってる?」
多分フェリューテラに来てその言葉と意味を知ったばかりなのだろう。純粋な少女のような顔をして、テルツォはにこにこしながら俺を見る。
「いや、いくら俺でもさすがにそれくらいは知ってるけど…あのなテルツォ、その顔でそんな言葉は口にしない方が良いぞ…周りが変な誤解して驚くから。」
「?」
ハニートラップって…あの男に、サイードが…?魅了をかけて骨抜きにして…、なにをしたんだ…?
――俺はただでさえあの男に不快感しか持っていなかったのに、サイードとあの男がベタベタしているのを想像した瞬間、自然と口がへの字になってなんだか物凄く腹が立った。
人は殺せないけど、あの男は血祭りに上げてもいいかな…
シルヴァン達は俺の怒りのオーラを感じ取り、リヴがささっと話題を変える。
「そ、それでサイード殿、イスマイルには会えなんだか?」
彼女がどうして『消えた』とされているのか、心配しているのは俺だけでなくシルヴァンとリヴも同じだ。
「ええ、守護七聖主の閉ざされた扉も見て来ましたが、会えませんでしたね。と言うか、シエナ遺跡は完全に閉ざされており、内部に人の気配が全くなかったのです。それに短距離障害物の擦り抜け魔法が私にあって幸いでしたよ。でなければ中には入れなかったでしょうから。」
えっなにその魔法、とウェンリーがサイードに口を出す。サイードはそれににっこり笑って、それがどんな魔法なのかを短く説明していた。
「我が訪れた時は、遺跡へ守護騎士や歴史学者などが頻繁に出入りしていた。なぜ扉は閉ざされたのだろう…?」
「わからないが…シルヴァンがインフィランドゥマを侵入者から守っていたように、イスマイルも遺跡の警備システムを把握している可能性は高い。そう考えると、なにか理由があってわざと扉を閉ざしたのかもしれないな。遺跡自体に争った形跡や攻撃されたような痕跡はなかったんだろう?」
「ええ、一切なにも。そのことから思うに、カオスなどに神魂の宝珠が奪われた可能性はかなり低いでしょうね。」
「――サイードがそう言ってくれるのなら安心した。イスマイルはシエナ遺跡で無事だと判断する。ならば予定通りシニスフォーラへ行き国王シグルド陛下に会い、イスマイルについてなにを話したいのか聞いてから、それ如何でどうするかを決めよう。場合によって俺はシェナハーン王国との敵対も辞さない。念のため俺とウェンリーの武器はシルヴァンとサイードが空間魔法に収納。リヴ、プロートン、デウテロン、テルツォは各自で、こちらから仕掛けるつもりはないが、守護騎士と戦闘になる可能性もあると全員心積もりをしておくこと。前に話した通り、俺に人を殺すことはできない。だが殺さずに俺の魔法で無力化することは可能だから、最悪の場合でも許可なく命を奪うことはできるだけしないで欲しい。」
俺の話が終わると、返事が聞こえてくるまでの僅かな間静まり返った。
最初にふうー、と息を吐いて返したのはシルヴァンだ。
「相変わらずだが…まあ了解した。」
「予も心得ましたぞ。」
リヴが頷き、サイードも同意する。
「私はもちろん、リーダーに従いますよ。」
「俺も…てか、人殺すとか無理だし。」
ウェンリーは少し戸惑い気味だが、プロートン達三人は言わずもがなだ。
「かしこまりました、ルーファス様。」
「俺も了解だぜ。」
「はーい、テルツォも。」
全員が俺の意見に同意してくれ、フェリューテラ三大大国の一つを敵に回すことも辞さない、と言ったことに反対はしなかった。
「ありがとう。…それじゃ、そろそろキエス魔法闘士との待ち合わせ場所に、堂々と行こうか。」
――こうして俺達は宿の支払いを終えて外に出る(人数が倍に増えていたけど特に咎められなかったな)と、人目に付かない場所で変化魔法を解き、認識を阻害する魔法『シャドウヴェール』を施してから、指定されていた宿泊施設のロビーへ行き、時間まで待つことにしたのだった。
そこへ行ってみて驚いたが、先方が指定していた宿泊施設は最高級宿で、俺達のような一般人が容易に泊まれるような場所ではなかった。
ウェンリーは一生に一度くらい泊まって見たかったと呟いたが、豪華すぎる内装に椅子に座ることさえ躊躇われる。
普段は貴族や王族などが利用する宿なのだろうが、国王に直接会談を申し込まれたことから、恐らくキエス魔法闘士が俺達を来賓として扱うように配慮してくれたのだと思う。
まあ結局は守護騎士だらけのこの宿には泊まらなかったことだし、もし泊まっていたら監視が付き身元も明かさなければならなくなって、なにをするにも気が休まることはなかっただろう。
そして約束の時間…午前十一時になる。
メテイエにある騎士の詰め所から来たのか、二名の守護騎士を連れ待ち合わせ場所へ姿を見せたログニック・キエス魔法闘士は、広いエントランスのソファに腰かけ、八人の集団で固まっている俺達に全く気づかなかった。
――ステルスハイドをかけているわけじゃないんだ、魔法を使える人間なら集中して用心するだけで最低違和感を覚えるはずなんだけど…やっぱり魔法無効化の結界があるから油断していそうだな。
暫くの間は黙って見ていたが、俺達が来ないことにキエス魔法闘士は焦りだし、このままだとすっぽかしたと思われそうなので、俺は席を立ち彼に近付いて声をかけた。
「こんにちは、ログニック・キエス魔法闘士。なにをそんなに慌てているんですか?」
我ながら少し白々しいが、特定の数人以外に顔を覚えられたくないのでこんな手段を取ることにする。
光属性魔法の『シャドウヴェール』は、主に光の屈折を利用して強制的に認識を妨げる効果がある。早い話が俺達はちゃんとここにいるのに、いないように見せかける魔法だと言うわけだ。
ステルスハイドほど完全な隠形効果はないため、魔法を得意とする人や神経質な人、勘の鋭い人などには見破られることもある。
だが守護騎士に至っては、俺が結界に反応したにも拘わらず街中に入ったことにさえ気づかなかったくらいなので、まだ来ていないと思い込んでいるキエス魔法闘士と連れの守護騎士二名には、突然俺がふうっと目の前に湧いて現れたように感じたことだろう。
「ル、ルーファスく…いや、ルーファス殿、いついらしたのですか…!?」
無理もないが、彼を含め三人とも一瞬で血の気の引いた顔色になる。
「十五分ほど前からそこのソファに腰かけて、あなたを待っていましたよ。おかしいな…まだ見えませんか?」
にっこり微笑んでそう告げると、彼らは俺の仲間達全員の姿を認識できるようになって驚愕している。
因みにこれは魔法を解いたのではなく、俺から声をかけることで正しく認識させただけだ。
「馬鹿な…貴様ら、どうやって街に侵入した!?街門は守護騎士が監視していただろう!!それに今のはどういうことだ、魔法は無効化されているはずなのに姿が見えなかったぞ…!!」
守護騎士の片方が憤慨したように食ってかかる。
ここから俺は今後のことも考えて演技を交え、守護七聖主と太陽の希望のリーダーとして嘗められないように、使えるものは全て使いつつ己の力を誇示して行くことにする。
俺がこの国に侮られれば、今後他国もそれに倣い〝たかが守護者〟と馬鹿にされた挙げ句、肝心な時に話も聞いてくれなくなるだろう。
リヴを解放した時に思い出した記憶の中で、俺が国王や国の重鎮達と連絡を取り合い、なにかあれば手を貸していたのには、そう言った事情もあったからなのだと思う。
…と言うわけで、俺は俺に食ってかかった守護騎士に、魔力の片鱗を見せて脅しをかけた。
「――喧嘩を売る相手の力量も測れない守護騎士に、貴様呼ばわりされる覚えはないな。俺達は国王陛下に会談を申し込まれたからわざわざ来たのに、この国の騎士は客人に対する最低限の礼儀も弁えていないのか?」
「なっ…なんだと!?」
「止せ!!この方を怒らせてはならん!!」
あえて不遜な態度を取ってみたが、怯みながらも俺を睨む守護騎士と違い、キエス魔法闘士は冷静だった。
「部下が大変失礼をしました、お詫び申し上げます。ですが一つ伺いたい…私はロビーに入った瞬間からあなた方の姿を探していたのですが、見つけられなかった上に…今その場にスッと浮き上がるようにして見えるようになったのはなぜなのでしょうか?」
彼は俺の行動の意図を察して、緊張から顔を強張らせている。
――俺がシャドウヴェールをかけてここで待っていたのには、できるだけ守護騎士達に顔を覚えられたくなかったことを含め理由がある。
一つは魔法無効化の結界内にいても、俺達にはそれが通用しないことを示すため。もう一つは自分達の姿を国内に曝さないことで、こちらが決して好意的ではないことをわからせるためだ。
「さあ…なぜだと思いますか?」
「…失礼ながら、質問に質問で返されるのは感心しません。」
「聞くまでもなくわかっているはずなのに、尋ねるからですよ。――以前お会いした時は答えをはぐらかしましたが、今日は違います。俺を前回と同じ相手だと思わない方が良い、とだけ忠告しておきましょう。」
俺は自分に冷ややかな空気を(こっそり隠形魔技で氷魔法を使って)纏って、偽の笑顔を向ける。本来俺は、人を脅したり恐怖を感じさせるというのは(余程腹を立てていない限り)苦手なので、(ちょっと情けないが)感覚的に気温を下げてゾクッとして貰おう。
――そんな俺の演技に気づいており、後ろのソファでウェンリーが俺から反対方向に顔を背け、捩った身体をぷるぷる震わせながら込み上げる笑いを必死に我慢している。
シルヴァンとリヴもなぜだか生温かい目で俺の背中を見ており、苦笑いをしたくなった。
仲間内からしたら俺が全然本気に見えないことと、無理して相手を脅していることを似合わないとでも思っているんだろう。
おまえ達がそんな顔をしていたらばれるじゃないか。
ところが彼らはシルヴァン達が不敵な笑みを浮かべていると勘違いしたようで、俺の態度が演技だとばれるどころか逆にゾッとして震え上がった。
「……承知しました、肝に銘じましょう。」
うん、結果良ければ全て良しだな。
――それから俺達はキエス魔法闘士の案内で、予想通りあの街門前に停めた中型の魔力原動車両に乗り込む。
キエス魔法闘士と二名の守護騎士以外には俺達の姿が見えておらず、街門前にいた守護騎士達は皆一様に目を擦ったり、首を傾げたりして不思議そうな顔をしていた。
「彼らにはあなた方の姿は見えていないのですか?」
半信半疑でキエス魔法闘士がそう尋ねてきたが、俺はただ黙って彼を一瞥しただけだ。少なくとも味方だと断言できない相手に、手の内を晒すほど愚かじゃない。
この状況にあって彼には既に、俺達の力が結界を上回るものであることはわかっただろう。今与える情報はそれだけで十分なのだ。
メテイエからシニスフォーラまでの道程は、この原動車両で四時間ほどだ。この車両は運転者の魔力で操作されて動くため、メテイエからついて来た守護騎士二名が交代で運転を担い、キエス魔法闘士は運転席と仕切られた長椅子状の後部座席で俺達と一緒に座っている。
「運転席の守護騎士にここでの会話は聞こえません。ですので先に謝罪しておきますが…陛下からの書簡は大変一方的で無礼な物であったと聞いています。あの方がご自分で認められて書簡を送ることは滅多にないのですが、それでも応じていただきありがとうございます。そして陛下に代わり、この場でお詫び申し上げます。」
車両が動き始めた途端、唐突にそう言って頭を下げて来たキエス魔法闘士に、俺は面食らう。さっきは周囲に守護騎士達の目があり、表立って頭を下げることはできなかったようだ。
そうしてここだけの話にして欲しいと言って切り出された内容によると、ここ一月ほどの間でやはり国王陛下との関係が上手く行かなくなり、苦言を呈しても聞き入れられなくなったと言うことだった。
「陛下はお人が変わったように、国王殿付きの臣下や侍女侍従にまで怒鳴り声を上げられるようになりました。それと言うのも王妹のペルラ王女殿下が、エヴァンニュ王国へ嫁がれてからなのです。」
「え…」
シェナハーン王国の王女がエヴァンニュに嫁いだ?…初耳だけどな。
詳しく聞くとお相手が誰なのかは教えて貰えなかったが、まだ婚約が内定しているだけで正式に発表はされていないそうで、道理で俺達が知らないわけだと納得した。
そして国王シグルド陛下はその王妹ペルラ王女を溺愛しており、キエス魔法闘士によると最愛の妹が傍にいなくなったことで政務も増し、忙しさに追われる中御自身の寂しさを持て余しているのではないかと言うことだった。
「陛下にはイスマイル様が、ごく普通の人間であることを再三に渡り申し上げています。ですが陛下は歴史に興味を持たない御方で、イスマイル様は守り神でなく、これまで隠されていた予知能力者だと思い込んでいるのです。」
――そこに中途半端な形で太陽の希望とイスマイルの関係をどこからか聞かされたことで、俺達が突然消えた彼女をどこかに隠したのではないかと思っているようだ。
「…なるほど、会談を申し込まれた経緯は理解しました。イスマイルが消えた理由は俺達にもまだわからないので、行方を聞かれてもお答えできないでしょう。」
「…そうですか…。」
キエス魔法闘士はガックリと肩を落とした。
それから俺はこの移動中に、対処が急務なあの結晶についての話をし、あれを放置していた場合の危険をキエス魔法闘士に訴えた。
彼は真剣に話を聞いてくれ、早急に陛下へ報告して各地の守護騎士に探させることを約束してくれる。
少なくともこれで魔物駆除協会と守護騎士の両面から捜索と破壊を行って貰え、変異体の集団が町や村を襲うかもしれない事態は避けられることだろう。
――イスマイルは俺がアパトに行き、封印を解いて連れて行ってしまう。そのことをキエス魔法闘士にも告げておくことはできないが、守り神がいなくなって魔物による災害が起きた日には、俺達のせいだと名指しで言われかねないだろう。
だからせめて魔物の方だけでも手を打っておきたい。守り神を奪ったと誤解されることによる弊害は、最終的にシェナハーン王国の国民が追うことになるので、できるだけ避けたいのだ。
魔力原動車両は俺達を乗せて、王都街道を軽快に走って行く。俺は車窓からぼんやりと流れゆく人や景色を見ながら、シグルド陛下とはどんな人だろう、と呑気に考えていた。
国王殿での会談で、まさかあんなことが待っているとは、想像もできずに――
――その頃、執務室で机に向かっていたシグルド・サヴァンは、漆黒の靄に身体を蝕まれ、苦しんでいた。
「う、うう…おまえ、は…いったい…誰、なんだ……」
彼の耳には、容赦なく何者かの声が聞こえ続ける。
〝奪え…奪え…憎め…憎め…殺せ…殺せ…〟
〝おまえは全てを支配するに相応しき位に座す者…それだけの力を手にするべき資格を持つ者だ…〟
シグルド・サヴァンはその声に抗うことができず、漆黒の靄を目や耳、口や鼻から体内にドンドンと吸収して行ってしまう。
「……上弦の月は雲に隠れ…下弦の月が真紅に染まる…やがて満ちる残された月は…最後の扉を開く鍵となる……」
机に両手を着き、その瞳を赤く光らせながら、シグルド・サヴァンは苦しげに胸元の衣服を握りしめると、その言葉を一人ブツブツ呟くのだった。
次回、仕上がり次第アップします。