181 王都シニスフォーラへ ⑤
ピエールヴィの前でルーファスと別行動を取ることになったサイードは、プロートン達三人を連れ、ようやく遺跡街アパトの前へ辿り着きました。もしもの場合を考えてあることを頼まれていたサイードは、封鎖された街の中へどうやって入ろうか悩みます。ところがその時、軽薄そうな男が声をかけて来て…?
【 第百八十一話 王都シニスフォーラへ ⑤ 】
「――これでも結構急いだのですが、すっかり夜になってしまいましたね。」
ピエールヴィの前でルーファス達と別れたサイードは、真っ直ぐパスラ街道をプロートン、デウテロン、テルツォの三人を伴い、ここまでやって来た。
ようやく一つ目の目的地であるその街の入口が見え、まだ少し距離のある篝火の明かりと、その奥に石造りの民家から漏れる暖かな光が揺らめいているのを眺めながら、そこに立ち止まった。
「………」
街門の扉はぴっちり閉ざされ、その前にはずらりと並ぶ五、六名の守護騎士が立っている。
さらにそこでは、北や西、南から街道を通ってやって来た商人や旅人、武器を装備したハンターや隣街の住人まで、数多くの人が街中へ入ることも出来ずに、彼らと揉めているようだ。
ここは遺跡街アパトを眼前に見る、パスラ街道の最東部だ。
アパトの街から距離を取ると、外壁に囲われた街並みの遥か奥に、木で足場の組まれた古代遺跡の最上部がちらりと見えた。
それを大して変わらないのに、わざわざ背伸びをして額に手を翳し、もっとよく見ようとしているプロートンは、黙って街門を見ているサイードに問いかけた。
「サイード様、あの奥に見えるのがルーファス様の仰っていた古代遺跡でしょうか?」
道行く旅人らしくフード付きの外套を着て、目立つ外見を変化魔法で変えているサイード達は、街道の端に避けて守護騎士達の様子を窺う。
「ええ、そうでしょう。ですが街を避けて遺跡に入るのは難しそうですね。…ところでローティ、私の名は『イド』ですよ。もう忘れたのですか?」
「え…っ」
サイードはプロートンを指差して今一度確かめるように偽名を告げた。
サイードは『イド』、プロートンは『ローティ』、デウテロンは『テロン』、テルツォは『テリィ』。それがサイードの決めた当面の間の偽名だ。
フェリューテラでの身分証明を得るために守護者となり、『太陽の希望』のメンバーともなった今、ルーファスが国王に呼び出されている正確な理由がわからないため、サイード達もこの国とこの国の軍隊に当たる『守護騎士』には、素性がばれないよう警戒するに越したことはなかった。
そのため、外見を変えるだけでなく偽名で呼び合い、エヴァンニュ王国から来たことも暫くは隠すことにしたのだ。
「どこで誰が聞いているかわからないのです。周囲に人がいなくても油断してはなりませんよ。」
「は、はい。」
「それと、リーダー達の名を口にするのも禁じます。三人ともいいですね?」
「かしこまりました。」
「うす。」
「はーい。」
プロートン、デウテロン、テルツォのそれぞれらしい返事を聞き、サイードはくすりと微笑んだ。
「――それでイド様、この後どうされるつもりなんすか。リーダーに頼まれたのは、古代遺跡内部…もしくはできるだけそこに近い場所への転移杭設置ですよね?あれじゃ中には到底入れそうにねえんすけど。」
デウテロンは真面目な顔で握り手の親指を立ててアパトの街へ向けると、もう片方の手を腰に当て街路樹に背を凭れた。
「そう言えばシル様は銀狼姿で裏山に入り、そこから侵入したって仰ってたよな。」
「うん…隠形魔法をかけてから崖を飛び降りたって言ってたね。」
「あの方は獣人ですもの、足場のない絶壁でも可能でしょうね。けれど私達には無理だわ。」
「…だよなあ。」
≪フェリューテラの人族を知らなすぎると言って、街中に入るのを躊躇っていた割りには、三人ともルーファスに任された初仕事を熟そうと一生懸命ですね。≫
真剣に街への侵入方法を考える三人を見て、次にサイードは真顔で口を開く。
「――いいえ、できないこともないでしょう。テロン、あなた昔取った杵柄でささっと行って崖を滑り降り、転移杭を仕掛けて来なさい。」
「え…いや、ちょっとマジすか!?俺の身体、以前と違うんすけど…っ」
「…なんて冗談です。ちょっと言ってみただけですよ。」
サイードの悪質な冗談に傷ついたデウテロンは、「イド様が虐める〜!!」と言ってプロートンにわっと泣きついた。
「冗談はさておき、アパトに入る方法を考えなければいけませんね…」
泣きベソをかくデウテロンに構わず、サイードは街門を見ながら思案に耽る。
「イド様の時魔法を使うというのはどうすか?」
おや、もう立ち直りましたか。
「駄目よ、テロン。前に教わったでしょう?それは本当に困った時の最終手段で、無闇に使うと何処に歪みが出るかわからないの。況してやここはインフィニティアではなく、人界なのよ。それができるのなら、疾うにやっておられると思うわ。」
「ローティは聡いですね、さすがは長女です。」
「えっ…えっと…褒めていただき、ありがとうございます。」
サイードの褒め言葉にプロートンは、ぽっと頬を染めて嬉しそうに微笑んだ。そのプロートンの外套の裾をくいくいっと二度引っ張り、彼女よりも背の低いテルツォは脇から見上げる。
「ねえお姉ちゃん…テリィお腹空いた。お昼に食べたっきりなんだもん…なんか食べたい。」
「ちょっと、あなたは空気を読みなさいよ…!今はそれどころじゃ…」
「そうですね、私も空腹ですよ、テリィ。お腹が空くのは生きている証拠です。私が言えた義理ではありませんが…あなた達を失わなくて本当に良かった。リーダーには感謝してもしきれません。」
「イド様…」
ほんの一時しんみりした雰囲気になったそこへ、街道を西から歩いてきた男が立ち止まっている四人に気づき声をかけてくる。
「わーお、お姉さん達すっごい美人だね…こんなところでなにしてんの?」
街道の所々に街灯はあるものの、日暮れ後の暗がりでそう言ってきた男の声に振り向くサイードは、僅かな時間、男の出立ちをじっと見てにっこりと微笑んだ。
男はサイードの微笑に胸をドキンとときめかせる。
「あなたはこの辺りの方ですか?私達はそろそろ宿を取って休みたいのに、アパトに入れなくて困っているのです。封鎖されているようだとの噂は聞いていたのですが、まさか身分証明を見せても通して貰えないとは思いませんでした。」
サイードはわざと男心を擽るような表情で頬に手を当てると科を作り、色目を使って相手の気を引く策に出た。
その横でプロートン達三人は、これまでに一度も見たことのないサイードの一面に驚き、〝別人…〟と戸惑いながら苦笑いを浮かべている。
――サイード達に声をかけて来たのは、二十代半ばぐらいの男性で、薄茶色の短髪にやけに長い緑色のバンダナを頭に着けていた。
男の腰の左右には高価そうな双剣が装備されており、使い込まれた武器用の腰帯を着け、動きやすそうな身軽な服装をしている。
サイード達と同じようにパスラ街道を西からやって来たのに、大した荷物も持っておらず、サイードは一目で男が有資格者のハンターであることに気づいた。
なぜならサイード達は、無限収納を持っているにも拘わらず、旅人を装うためにわざわざそれらしく荷物を手に持っているからだ。
「ああ、お姉さん達もアパトに用があるのか…だったら俺に任せろよ。一緒に来れば街の中に入れてやれるぜ。」
男はそう言って得意げに自分の胸をドン、と叩き、サイードにドヤ顔をした。
「あなたはアパトの方なのかしら?住人以外は入れて貰えないそうなのだけれど。」
サイードは内心、軽い上にちょろいですね、と呆れつつも男を利用してアパトの街に入ることを画策する。
但し男の単純さに対して、あの厳重な警戒をどうやって潜らせるつもりなのかという疑問も抱いていた。
「いや、俺はシェナハーンのSランク級守護者なんだ。だから国内ならどこの街でも顔が利くんだぜ。」
――どこの街でも顔が利く、ねえ…私達を単なる旅行者と見て侮りますか。国内のSランク級守護者と言うだけで、あの街門を通れるはずはないでしょう。自分の正体をそう言えば、私達が感歎して納得すると思っているのでしょうね。
サイードはプロートンとテルツォに、〝話を合わせなさい〟という意味を込め促すようにちらりと視線を送る。
過去サイードの下で働いていた三人は、それだけで意図を汲み行動することができるからだ。
「わあ、凄〜い!!お兄ちゃんSランクなんだ!!とっても強いのねっ!!」
一番若く見えるテルツォが、先ずははしゃいで男の気分を持ち上げる。
「素晴らしいですわ(あなたよりもルーファス様の方が)、私(この国の)Sランク級守護者の方には(全然見えませんけど)初めてお目にかかりました。」
プロートンはサイードの口調を真似、軽薄そうな男が気に入らなかったのか、間々に心の声を挟みながら男を褒める。
「へえ…顔が利くってことは、兄さん奥にある古代遺跡なんかにも詳しいのか?俺らはアパトにいるっつう『守り神』様にお祈りしたくて来たんだけどよ。確かいくらかお布施をすれば遺跡の前までなら入れて貰えるんだよな?」
「あー、残念だが今はそりゃ無理だな。街には入れてやれるけど、遺跡には近付けねえと思うぞ。さすがの俺でも奥は駄目だ。あそこには今、魔法闘士様がいらしてるらしいからな。」
「まあ、そうなのね…」
――街には入れても魔法闘士がいるから奥は駄目…ですか。
「で、どうするよ?一緒に来るか?」
男の言葉にサイードは口の端に笑みを浮かべる。
「ええ、ありがとう。街に入れるだけで構いませんので、お言葉に甘えさせていただきます。」
こうしてサイード達はSランク級守護者だという男について行き、アパトの街門へ向かうことにした。
街には入れず守護騎士達と言い合いをしている人々の中には、諦めて街門前の街道脇に天幕を張り、封鎖が解除されるまでそこに居座るような者もいるようだ。
それでも入れて貰えない人達は守護騎士と一触即発状態に見えるが、サイード達はそれを避けて大回りをし、一番端の守護騎士がいる方へ近付いた。
「止まれ!!遺跡街アパトはシグルド陛下の命により、住人以外の立ち入りは禁止だ!!」
「よお、お疲れさん。相変わらず物々しいな。」
手にした槍の矛先をこちらに向け、男を止めた守護騎士は、その目を見た直後コロリと態度を変えた。
「おまえは…なんだサイファーか。ピエールヴィで仕事があったんじゃなかったのか?」
「うーん、俺はあっちに必要なさそうだから戻って来たんだよ。…で、入れてくれんの?くれねえの?」
「…後ろの連中は?」
「俺の仕事仲間だよ。」
「またおまえは…いい加減きちんとパーティーを組むなりして、信用出来る仲間を見つけたらどうなんだ。毎回毎回違う人間と連みやがって…まあいい、咎められる前にとっとと通れ!」
「サンキュー。さあこっちだ、ついて来いよ。」
サイード達は促されるまま街門脇にある、小扉の通用口からアパトの街へ入ることに成功する。
街門から真っ直ぐ古代遺跡の発掘現場へと続く大通りは、まだ寝静まるには早い時間なのに街が封鎖されているせいで人通りも少なく、閑散としている。
「ここが遺跡街アパトですか…普段はきっと賑やかなのでしょうね。」
「ああ。ここがこんなに観光地として発展したのは、遺跡にお住まいの守り神様のおかげだってえ話だ。過去何度も国内で起きる災害を予知し、国の守護騎士を通じて数多くの国民を救ってくださったんだとさ。」
「なるほど…ではもしお目にかかれたら、多大な御利益がありそうですね。」
「ははっ、会えりゃあな。残念だけどよ、なんでもお隠れになっちまったみたいだぜ?死んだんじゃなくって、消えちまった方だけどな。」
「そうですか…それは残念です。」
――守護七聖の〝透〟が消えた…ルーファスからの連絡にあった噂通りのようですね。消えたのは確かでも街から出たのかどうかはわからないため、封鎖していると言ったところでしょうか。
サイードはアパトの説明をする男の話を聞きながら、ラウム・パーセプションの魔法を使い街全体の構造を把握して行く。
巡回している守護騎士の配置や、彼らの詰め所の位置、魔物駆除協会のある場所や、検問が設けられている遺跡への裏道など全てを頭に叩き込んだ。
その後デウテロンとも意気投合した男の誘いで同じ宿に部屋を取ることにし、男――サイファーを含めた五人で夕食を済ませる。
宿に四人部屋を取ったサイードは、サイファーと離れる際〝なあ、後で部屋を抜け出して来いよ〟と耳打ちをされ、色好い返事をするとあえて夜のお誘いにも自ら応じることにした。
下心に鼻の下を伸ばすサイファーと一旦別れ、四人部屋に入るとすぐに遮音結界を張り、声が漏れないようにしてサイード達は話し合う。
「あの男…ルーファスの情報にあった、魅了持ちのSランク級守護者に間違いないようですね。外見がそのままだったので、最初に声をかけられた段階で気づき『マインドガード』を施しておきましたが、知らなければ危ないところでした。」
「…あいつ、サイファーでしたっけ?ルーファス様や俺らの正体に気づいているんすかね?」
「どうでしょう、私の見立てでは今のところ、私達に声をかけて来たのは単なる偶然だと思いますね。用心するに越したことはありませんから、この後私は誘いに応じて罠にかけ情報を引き出すことにします。」
「肝心の転移杭の方は如何なさいますか?」
「それも私がやっておきますから、あなた達は明日以降に備え、今日はしっかり休んで英気を養っておきなさい。人界にはまだ慣れていないのですから、疲れているでしょう。いいですね?」
「かしこまりました。」
「了解す。」
「はあい。」
話し合いが終わると各々入浴を済ませ、プロートン達三人が寝台に入ったのを確認し、サイードは扉に鍵をかけて部屋を抜け出した。
コンコン
――深夜、聞いていた部屋番号の扉を彼女はノックする。
すぐに扉が開いて、中からサイファーが顔を出した。
「待ってたぜ、入ってくれよ。」
入浴後、楽な私服に着替えたサイードの首元はほんのり紅色に染まり、髪や身体からは石鹸のいい匂いがしている。
サイファーは〝うひょ〜っ〟と天にも昇る気持ちになって大興奮し、内心飛び上がって喜んだ。
こんないい女が俺の魅了に引っ掛かって、誘いに乗ってくるなんて…生きてて良かったぜ…!!
そう思いながら歓喜の涙を心で流す。
「お邪魔します。…この部屋は一人部屋なのに、寝台は二人用のダブルなのですね。」
「そりゃあな。いい女と一夜を過ごそうってのに、ベッドが狭くちゃ冷めるだろ?なあ、一杯やるか?良い酒持ってんだよ。」
「ありがとう、ご馳走になります。」
サイードの女神のような微笑みに有頂天となって、いそいそとグラスに高価な蒸留酒を注いだサイファーは、小さなテーブルを挟んでサイードと椅子に腰を下ろした。
「俺達の奇蹟のような出会いに乾杯!」
「ええ、乾杯。」
上等な酒の入ったグラスを飲み交わし、ほろ酔い加減になったところで、サイファーはサイードの手を取り立ち上がるとグイッと抱き寄せる。
そのまま彼女の腰を抱いて唇に口づけようとすると、サイードの人差し指がサイファーの口元を縦に塞いだ。
「ふふ…焦らないで、寝台に行きましょう?」
「…!!…!!…っっ!!!」
今度は逆にサイードに手を引かれ、寝台にドサッと押し倒されたサイファーは、次に起こるはずの出来事にドキドキしながら目を閉じて唇を突き出し、その瞬間を待った。
――が、彼の意識があったのは、ここまでだった。
「私の身体に触れようなどとは図々しい…おかげで鳥肌が立ってしまいましたよ。まさか自分の方が私の魅了にかけられているとは、思わなかったでしょうね。ルーファスに声をかけた理由も含め、なにか企んでいるのかどうか…洗いざらい調べさせていただきますよ、お馬鹿さん。」
さっきまでとは打って変わって、サイファーの間抜け顔を嫌悪の混じった笑みを浮かべ見下ろすサイードだった。
♢ ♢ ♢
『おう、俺だルーファス。マジでこの粉で連絡が取れるんだな…おめえ今どの辺にいやがるんだ?』
フスクスの街にもある魔物駆除協会で、ピエールヴィ支部に張られていたものとほぼ同じ高難易度依頼を受けて来た俺達は、前日よりもかなり早いペースで変異体の討伐依頼を熟していた。
それと言うのも、掲示板に残っていた高難易度の依頼全ての場所で、あの赤黒い結晶が見つかり、その効果と影響が魔物にどう及んでいるのかを確かめるため、見える場所にあったものは真っ先に砕くように作戦を変えたからだ。
赤黒い結晶を先に砕くと、集められていた通常体は変異体を狩る前にも拘わらずすぐに散って行くことがわかり、変異しかけていたものを除いて雑魚には構わない方法を取ることにした。
そのおかげで討伐速度は格段に上がり、昨日のように妙な連中が追いかけてくることもないため、フスクスを発った後の午前中だけで既に半分の依頼を終わらせていた。
その丁度変異体を狩り終わった直後の昼休憩中に、バセオラ村に住むフェルナンドから『精霊の鏡』へと連絡が入ったのだ。
どうやら用件は昨日シルヴァンに伝えて貰った、赤黒い結晶についてらしい。
「どこって…そうだな、フスクスとメテイエの間ぐらいかな?ベルコルソ大平原のど真ん中ら辺だよ。」
ベルコルソ大平原とは、周囲を森に囲まれた中にある広大な草原地帯のことだ。シェナハーン王国の中央南部に位置し、ピエールヴィとフスクス、メテイエの間に森林地帯を挟んで広がっており、小さな湖やいくつかの廃墟なんかも点在している。
『なんだってそんなところにいんだ?きちんと街道を通って安全に王都まで行けや!おめえらになんかあるといざって時に俺らが困るんだよ!!』
「ええ…?おいおい、おまえだって仮にもAランク級守護者だろう。実力的にはSランク級にも劣らないのに、なに情けのないことを言っているんだ。それよりやっぱりそっちでも結晶が見つかったって?」
実力のある同業者から頼りにされるのは悪くないが、珍しく弱気なことを言うフェルナンドにおや?とは思った。
『おう…そんでな、気をつけろってシルヴァンにも言われてたんだけどよ…そこにいた変異体が異常に強くって、やられちまったんだわ。』
「…やられたって、誰が。」
『俺に決まってんだろうが、ホレ。』
フェルナンドは鏡の向こうで、グルグル巻きにされた包帯だらけの右腕を見せる。
「怪我をしたのか…!傷は大丈夫なのか?」
『おう、おめえの治癒魔法石があって心底助かったぜ。なんせ利き腕を失くすところだったからな。その礼も言いたくてよ…』
倒すのにかなり手子摺ったのか、心なしフェルナンドは少し落ち込んでいるように見える。
「礼なんかいいんだ、無事で良かったよ。メテイエに着いたらすぐ、ギルドから追加の治癒魔法石を多めに送っておく。他にも欲しい魔法石があったらリストをギルドに送ってくれ、いくらでも用意するからな。それで礼を言いたかっただけなのか?」
『いや、その結晶だがな、東の林と国境近くの洞窟、それと元農村のあった廃墟にも見つかったぜ。言われたとおり変異体は倒して全て破壊しておいたが、ありゃあいったいなんなんだ?得体が知れなくてちょっと不気味なんだよ。』
フェルナンドもなにか感じているのか…
「ごめん、まだわからない。調べようにもすぐに消えてしまうんだ。」
『そうかよ…まあいい、なにかわかったらすぐ教えてくれや。あんなんに変異体を集められて集団で襲われた日にゃ、いくら結界障壁があってもここもやべえぞ。努力はするが、俺らだけじゃ守り切れねえこともあるかもしれねえ。』
「そんなことになる前に結界障壁を二重にするとか手は打つよ。だがわかった、くれぐれも気を付けてな。またなにかあったらいつでも連絡をくれ。」
――フェルナンドが怪我をしたか…まだ包帯を巻いていると言うことは、俺の魔法石でも完全には治らないほどの大怪我だったんだな。
豪胆者は無茶をせず、自分達の命も守りながら戦う慎重なパーティーだ。それが弱気になるほどの強さを持った変異体だったと言うことか…フェルナンドの言う通り、そんなのの集団に襲われたら、俺の結界障壁でも壊されないとは言い切れないだろう。
精霊の鏡での通信を終えて小さく溜息を吐くと、傍で話を聞いていたウェンリーが心配そうに声をかけてくる。
「らしくねえよな、フェルナンドの奴…余っ程ヤバかったのかな?」
「うん…魔物に手足を奪われる恐怖というのは、経験した人間にしかわからないだろう。普通はそのまま命を落とすことが殆どだから、危なくなったら迷わず使えと言って、エクストラヒールの高位治癒魔法石を渡しておいて良かったよ。」
通常の治癒魔法石(ヒール)では受けた傷を治せても、欠損部位は再生しない。それをわかっていたからこそ、念のためにと作ったそれを、バセオラ村を守ってくれるフェルナンドには非常用に提供しておいたのだ。
「そうか…まあ精神的な外傷は立ち直るまで少しかかるであろうが、彼奴ほどの強者であればきっと大丈夫であろう。」
俺を含めウェンリー達も、豪快で男らしく仲間思いで優しい面のあるフェルナンドのことは、親しい友人と言うだけなく仲間同然に思っている。
バセオラ村の守りを任せていることもあるが、彼と彼のパーティーメンバーには怪我などせずに元気でいて欲しいのは当然だ。
「…そうだな。」
「しかしルーファスの予想が当たって、この国の各地にあれがあるとするのなら、少しでも早く破壊せねば後々大変なことになりましょうぞ。」
「ああ、それもわかってはいるけど…」
――俺達だけでシェナハーン中を回り、変異体を倒しながら結晶を探すのは無理がある。一応ウルルさんに頼んで、魔物駆除協会の方から全有資格者に不審な結晶を見かけたら壊すよう手配して貰ったが、高難易度の依頼が放置されているような今の状況だとあまり当てにはならないだろう。
残るは事情を話してこの国の軍隊に当たる、守護騎士の協力を得ることだけど…それも多分難しいだろうな。
単になにかありそうだとか嫌な予感がすると言うだけでは動いてくれないだろうし、深刻な脅威は目の前に迫ってからでないと危機感を持てない人間は多い。
今朝サイードに聞いた話だと、イスマイルが消えたというのは事実らしいし、もしかしたら中途半端に過去を知ったばかりに、守り神が消えた原因は俺達にあると国王に思われている可能性もありそうだ。
ただ…もしそうだとしても、イスマイルは守護七聖であり俺の仲間だ。この国にある古代遺跡の中に神魂の宝珠が安置されていると言っても、彼女を国の所有物のように思われるのは心外だ。
イスマイルは善意で人を助けてきただけで、決してここがシェナハーン王国だったからという理由で助けたわけじゃない。
それなのにそのことを勘違いして、自国のものだと彼女を縛りつけようと言うのなら、俺は迷わずこの国を敵に回すだろう。
――そうなれば本当に困るのは俺じゃなく、この国だ。
「よし、そろそろ休憩は終わりにして残りの依頼を済ませるぞ。今夜俺達は一足先にメテイエ入りする予定だ。明日はサイード達と合流し、シニスフォーラへ発つから仕事を受けることはできない。今日受けた依頼は今日中に終わらせる。」
「「「了解。」」」
その後日暮れまでかけて全ての討伐依頼を終わらせ、見つけた結晶を砕いた俺達は、わざわざ街道には戻らずそのままベルコルソ大平原を北へ突っ切り、街道沿いの森林を抜けてメテイエ近くまで行くことにした。
メテイエの街から王都シニスフォーラへ続く、南から北方向へと伸びる主要街道は良くある『王都街道』と呼ばれているそうだ。
この街道はエヴァンニュ王国でも軍の一部が使っていた、『魔石駆動車両』やシェナハーン王国の『魔力原動車両』など、馬車の他にかなりの速度で移動を可能にする乗り物が通る。
そのため道路面の中央は石畳で整備されており、それを挟んで両脇の土路を主に人が歩いて行くような感じだ。
普通は徒歩で道行く人こそ舗装された面を歩くべきだと思うのだが、ボサッとしていると後ろから来た馬車に撥ねられることもあるそうだから、端を歩くのは仕方ないのかな。
まあそんなわけでその『王都街道』へと、そこに森への出入口があるわけでもないのに背の高い草むらをガサガサかき分け、街道との境界になっている森からぬうっと俺達が出てくると、魔物との緩衝地帯に入った途端、道行く人にギョッと驚かれたのだった。
「あんたら…どっから出て来るんだ、魔物かと思って驚くじゃないか。」
行商人らしい大きな荷物を背負った中年男性にそう声をかけられる。
「驚かせてすみません、俺達は守護者なんです。ベルコルソ大平原での討伐依頼を終えて来たところで…メテイエへはこの王都街道を進めば良いんですよね?」
「ああ、そいつはご苦労さん。確かにその通りだけど、ベルコルソ大平原に行ってたんなら、なにも道のない草叢を抜けて来なくても、もう少し行けばきちんとした林道が整備されているだろう。」
「え…」
そう言って男性が指差した方向を見ると、『←ベルコルソ大平原林道入口』と掲げられた案内看板が街道脇に立っていた。
「あ、はは…そうだったんですね、良く知らなくて方角しか見てなかった。」
なんせ俺の脳内地図ではどこまで行っても平原で、端は全て森になっているようにしか見えていなかった。
後で気づいたが、広域表示に変えれば出入り口はきちんと示されていたのだが。
俺は行商の男性に軽く頭を下げて別れると、メテイエの方向へ歩き出した。
「ルーファスって時々抜けてるよな。まあ俺らも探索フィールドで地図はわかってんのに、スタスタ先を行くルーファスに黙ってついてくだけだからいけねえのか。」
「我らの道は主の行く道だ。方向は合っていたのだから、特に口を出すこともなかろう。」
「予もシルも歩けさえすれば構わないでするしな。」
「大雑把ッ!!」
「はは…そう言えば地図を見て安全なルートを探してくれるのは、いつもユリアンの役目だったな。地属性が主のユリアンは、魔法による地形操作が上手くて…みんなが疲れないようにって、良く悪路を整備してくれていた。…懐かしいな。」
ふと振り返って俺を呼ぶユリアンの笑顔を思い出し目を細めた俺に、シルヴァンとリヴも微笑んだ。
「地の神魂の宝珠は既にルーファスの手にあるのだ。そう遠くなく必ずまた会えることだろう。」
「…うん。」
「――して、あの小高い丘の辺りに見えるのが『メテイエ』ですかな?」
緩やかな曲線を描く王都街道の先に、今日の目的地『メテイエ』が見えて来た。
「フスクスで話には聞いていたけど…地下鉱脈の上に作られた街なんだったな。」
「うむ。街の下に坑道があり、稀に可燃性の天然ガスが噴き出すこともある故、安全面から結界によって街中での魔法は無効化されていると聞いたぞ。」
「へえ…それがあの薄ら青白く透き通って見える、障壁みたいな奴のことか。」
「………」
歩いて行く先に近付くにつれ見えてくるメテイエの街は、なんというか黒と灰の重々しい雰囲気を持つ街だった。
ぐるりと街を囲む外壁に使われている建材も鉄や金属が多く、奥の方に見える建物は同じように魔法や衝撃で破壊されにくい素材で作られていた。
地下に坑道があるというのは確かなようで、エヴァンニュ王国のメソタニホブ同様に街のあちこちから高く蒸気が立ち昇っているのも見え、それが噴き出す際に立てるシューシュー言う音も聞こえていた。
「どうした?」
「…いや。」
思案に耽って街の外観を具に見ながら街門へと歩いて行く。
メテイエは特に封鎖されていないようだが、やはりここにも街門の左右にしっかりと、計六名の守護騎士が立っている。
俺は街に張られている、魔法を無効化するという結界を解析魔法で見ながら、サイードがかけてくれたままの変化魔法を解かずに街境を潜った。
キィン
――俺がそこを通った瞬間、耳に届いた甲高い反応音にハッとする。
今のは俺に反応した魔法無効化の結界力が弾かれ、俺の魔力に競り負けた音だ。きちんと警備をしている魔法の使い手なら気づくはずだが、守護騎士の誰も動く様子はない。
アナライズで見た限りでは、ここの結界を張った施術者よりも俺の魔力の方が遥かに上回っているため、普通なら反応音が聞こえた時点で変化魔法の効果も消えるはずが、この結界はそれさえも解除できないようだった。
――シェナハーン王国の守りを担う施術者の程度が知れる…千年前の主要都市に施されていた守護結界に比べるとかなり脆弱だ。
こんな弱い結界じゃ、カオスの下級魔法さえ防げないだろう。この先暗黒神が復活した後のことを考えると恐ろしいな…。
魔法無効化の結界があることで油断しているのか、守護騎士達は結界が反応したにも拘わらず、変化魔法の解けないまま門を通った俺達に到頭気づくことはなかった。
障壁の強度を見た時点でわかっていたことだが、どんなに厳重な警戒をしていても守護騎士があれではなんの意味もない。
正直に言って俺は少し呆れた。
エヴァンニュ王国の魔法を使えない軍兵の方が余程まともだったからだ。国がこれじゃ悪意を持って入り込む輩はやりたい放題だろう。
それらは既に事を起こそうとして画策し、その種を撒き散らしているようだと言うのに、だ。
「…ウェンリー、シルヴァン、リヴ、聞いてくれ、気が変わった。サイード達がここへ来るのは明日の午前中だから、今夜泊まる宿は変えよう。」
石畳の代わりに鉄の板が敷き詰められた通りを歩き、金属の上を歩く靴音をカンコン響かせながら俺は、徐にそう提案した。
「なに?だが予め宿泊先は指定されていただろう。我らがここに着いたことは、そこにいる守護騎士を通じて王都に報告されるのではないのか?」
「うん、だからだよ。俺達がエヴァンニュから国境を越えてシェナハーンに入ったことは、疾うに各地の守護騎士にも知らされているはずだ。多分イスマイルのことだけでなく、俺達の行動を把握するためもあって、各街に騎士が派遣されているのだと思う。でも実際、姿を変えている俺達に誰か一人でも気づいた者がいただろうか?」
「…おらぬな。」
「今も魔法は無効化されずに結界を擦り抜けたくらいでする。」
「だろう。そのことから思うに、シグルド国王は俺達のことを殆ど知らないのだと俺は最終的に判断する。守護七聖<セプテム・ガーディアン>についても碌に知らないと考えると、俺達のことは少し魔法が使えるだけの存在くらいにしか見ていないだろう。だから国の王たる権限を使い、強気に出れば従わせられると思っている。それならそれで抗うのは簡単だが、それだけじゃ駄目なんだ。」
――前国王夫妻が存命なら、もっと早くから国の守りを固める政策を立てて必死になっていたことだろう。なぜなら、これまで災害を予想し国を守ってくれていた『守り神』は、俺という迎えが来ればいなくなってしまうからだ。
だが現シグルド国王は、恐らく守り神を失うことを恐れている。だから俺達との会談目的は、イスマイルを国に縛り付けるための交渉だろう。
イスマイルは予言者じゃない。『生き字引』と呼ばれるその意味も知らないで。
「とにかくシグルド国王陛下と守護騎士には、俺の力をある程度まで知って貰うことにする。差し当たっては先ず、〝徹底的に監視していたのに、いつの間にかメテイエに入り込まれていた〟作戦だ。」
なんだそれ、と言わんばかりに、三者三様に変な顔をしたウェンリー達を尻目に、俺はにっこりとただ微笑んで返したのだった。
次回、仕上がり次第アップします。