178 王都シニスフォーラへ ②
新年、明けましておめでとうございます。今年もどうぞ、よろしくお願い致します。さて…すっかり体調の良くなったライですが、王都が魔物の襲撃に遭ってから三日、目が見えるようになったことをイーヴも知り、仕事への復帰とペルラ王女との正式な婚約などについて、イーヴとトゥレンの二人を前に話をしていました。そこでウジウジしていたトゥレンから思いがけない話を聞いて…?
【 第百七十八話 王都シニスフォーラへ ② 】
――それは昨日のことだった。
前日王都が魔物に襲われ、それを誰からも隠された俺は、背に羽根の生えたユスティーツと名乗る有翼人の手を借りて城を抜け出した。
その理由は言うまでもない。下町に住むリーマを守りたかったからだ。
目も見えず、思うように動かない身体を引き摺りリーマの自宅へ向かったが、その途中襲い来る魔物の気配に、手も足も出ずにいた俺を屈強な守護者の男が助けてくれた。
その男は俺の目が見えないのは魔物にやられたのだと勘違いをし、その場で治癒魔法を施してくれた。
それは以前ルーファスがかけてくれたものと同じく、かなり強力な癒やしの力をもつ魔法だった。
そのおかげで体力と共に視力まで回復し、俺は走れるほどに動けるようになって、リーマを探しに下町へ辿り着くことができたのだった。
ところがリーマは、見ず知らずの男に肩を抱かれ、俺が呼んでも氷壁に阻まれたせいなのか、到頭気づいてはくれなかった。
おまけにどこからか後を追って来たトゥレンに、俺が叫んだせいでリーマの名を知られてしまい、トゥレンがあの男に報告をするのではと気が気でなくなってしまった。
だがもしその時は、躊躇わずにトゥレンをこの手で殺してしまえばいい。そう考え直した。俺の意に反してやはりあの男に告げるのならば敵同然だからだ。
そんなことにはならないことを願うが、俺からリーマを奪おうとする者はそれが誰であっても許さない。
それが主従契約を結んだトゥレン、おまえであってもだ。
俺はトゥレンへの疑念と不安を怒りでかき消し、ついてくるなと行って城へ帰ろうとした。その後道を歩いている最中、上空を巨大な飛竜が飛んで行ったのを見たのが最後、俺はそこでどういうわけか気を失ってしまった。
そうして目が覚めてみれば翌朝になっており、誰が運んだのか(どうせトゥレンだろうが)俺は自分の寝台の上にいて、何事もなかったかのように朝食を運んで来るジャンと、まだ俺の目が見えないと思っているティトレイが戻っていた。
トゥレンは既に俺の目が見えており、身体も走れるほどに回復していると知っているが、その朝は珍しく診察当番をすっぽかして俺の元に来なかった。
どうせ顔を合わせ辛くて避けているのだろうが、今はその方がいい。もしあいつがリーマについてなにか聞いて来ようものなら、また俺は本気で殺意を向けかねないだろう。
そんな重い気分でいたら、午後になって突然イーヴが部屋に駆け込んできた。
らしくなく慌てているような感じで、寝室に入るなりいきなりティトレイとジャンを俺の自室からかなり遠くまで追い払った。
そうして俺に魔吸珠はどこかと尋ね、部屋の棚の引き出しにティトレイが入れたと言っていた、そう告げると、その魔吸珠を取り出して真剣に調べ出したのだ。
俺はイーヴのあんな顔を見たのは初めてだった。なにかを深く悔やんでいるような、大きな失敗をしてしまった、とでも言うような、不安と後悔の滲んだ顔だ。
その魔吸珠がどうかしたのかと尋ねると、イーヴはこちらを見ようともせず横に首を振り、なんでもありません、とだけ言ってそれを持ったまま足早に部屋から出て行った。
その様子は少し気になったが、トゥレンの診察がなく代わりに来たのかと思えば、普段あれほど俺のことに注意深いあいつが、それも忘れてこの目が見えていることにさえ気づいていなかったようだった。
考えてみればあの魔吸珠は、イーヴが配布されたものをギルドから受け取って持って来たものだ。
軽く眩暈を起こす程度で大した苦痛はないと聞いていたのに対し、死ぬかと思うほどの激しい苦痛を味わわされ、一度手にして以降はジャン達に何度言われても魔力の吸引を拒否していた。
まああれを持って行ってくれたのなら、再度使えとはもう言うまい。
――そして今日、イーヴとトゥレンが二人揃って俺の前に姿を見せた。
ティトレイとジャンをリビングに追いやり、きっちりと近衛服を着込んで、背丈の違う二人はピシッと背筋を伸ばし立っている。…が、トゥレンの方は顔だけが俯き気味で目は俺を見ていなかった。
「おまえ達が二人揃って俺の前に顔を見せるのは久しぶりだな。…で、雁首を揃えて今日はどうした?」
今俺は寝室で私服の楽な格好をして椅子に腰かけ、足を組み肘掛けについた右手で頬杖を付いている。
トゥレンが一緒に来たと言うことは、恐らく俺の目が見えていることを聞いたのだろう。イーヴは以前のようにまた、無表情でこちらを真っ直ぐに見ていた。
「ライ様、お目が見えていると言うのは事実ですか?」
「…なんだイーヴ、やはり昨日は気づいていなかったのか。」
魔吸珠を探すイーヴをしっかりと目で追っていたのに、そんな俺には気が回らないほど、やはりあれに気を取られていたんだな。
「では本当に…」
「ああ、元通り見えるようになった。身体の方も少し走れるぐらいには回復した。剣を握るにはまだ心許ないが、暫く運動をすれば勘もすぐに戻るだろう。」
イーヴはあまり表情を変えずにいたが、それでもホッとしたのか、深く息を吐くように肩の位置を下げるのは見えた。
「…そうですか、予想よりもずっと早くご回復なされて安心致しました。ライ様の体調次第ですが、公務にはいつ頃から復帰なされるおつもりで考えていらっしゃいますか?」
「そうだな…タイミングは見計らうが、二、三日もすれば戻って問題ないだろう。いきなり出勤しても場を乱すだろうからな。」
「承知しました、いつ戻られても良いように手配しておきます。――では本題に入りますが、お目が見えていらっしゃるのであれば直にこちらをどうぞ。」
そう言うとイーヴは徐に、持っていた書簡を俺に差し出した。
「国王陛下からライ様への勅命にございます。」
「………」
――直接ここへ顔を出されないだけマシだが、いつまでも放っておいてくれるはずはなかったか。
俺は短く溜息を吐き、不愉快さを隠さずにそれを受け取って開いた。
〖我が国の第一王子ライ・ラムサス・コンフォボルに、シェナハーン王国王妹ナシュカ・ザクハーン・ペルラ・サヴァン王女との婚約を命ず。エヴァンニュ王国国王ロバム・コンフォボル〗
わざわざ書簡に記す必要があるのかと思うような、たったそれだけの、簡潔で短い文章だった。
「……なるほど、これで正式に俺とペルラ王女の婚約が決まったわけか。」
「はい。ライ様は事前に知っておられましたが、これまではあくまでも内々の話であり、陛下から直接ご婚約についてのお言葉はありませんでしたが、このご命令にライ様のお返事となる『返礼品』を国王陛下にお贈りすることで、確実な合意と見做されることになります。」
「返礼品…俺からあの男に〝喜んでお受けします〟と言う意味での贈り物をしろと言うことか?」
――そう言えばエヴァンニュ王国の習わしについて勉強させられた中に、そんな昔からの風習があると聞かされたことがあったな。
例えば高位貴族などに国王が齎した縁談には、僥倖だと喜びを表すため返礼品を贈る必要があったんだか。
その縁談を受けることができない、または不満だという時には、返礼品を贈らずに貴族院を通して断りを入れることも可能なんだとか…そんな感じだったな。
「その通りです。因みに国王陛下からはその必要はないと言われております。ライ様の意思表示は要らぬと仰せで、この婚約は既に決定していることだとお伝えせよと仰いました。」
「ふん…それで俺が返礼品を贈らなければどうなる?その言葉通りペルラ王女との婚約は不服であり、仕方なく命令に従っていると思われるのだろうな。…それではサヴァン王家にもペルラ王女にも礼を欠くことになるだろう。」
俺の言葉は意外だったのか、イーヴは少しだけ目を見開き、トゥレンはなにか言いたげに顔を上げた。
「…では如何なさいますか?」
「――聞くまでもない。俺はこの縁談を有り難く思い、自分で受けると決めたのだ。なににするかはともかくとして、エヴァンニュ王国の風習に則り、国王陛下には慣例通り俺から返礼品をお贈りする。そうだな…いっそのことどこかで入手して『死神の血』でも送りつけてやるか?貴様のせいで俺はこいつで死にかけたんだ、という意味を込めてな。」
「ライ様!?」
「冗談だ。品物についてはおまえ達に任せて構わんな。別に俺が選ぶ必要はないのだろう。」
「……かしこまりました。相談の上、我々の方でご用意して一両日中にも陛下にお贈りしておきます。」
「ああ、頼んだ。」
イーヴの返事を聞いた後、俺は次にその目をトゥレンに向けた。
何故なら、さっきからこの男はなにをしに来たのか、一言も口を利いていないからだ。
「――それでおまえはなにをしにここへ来た。人の前にイーヴと並んで立っておきながら目を逸らし、一言も喋らんのならついて来る必要はあったのか。」
「!」
自分でも驚くぐらいに冷ややかな声を出した。いつからこいつはこんなにウジウジした態度を取るようになって、俺を苛つかせるようになったんだ?
「い、いえ…俺の話はイーヴの件が終わった後にと思い、黙っておりました。俺の態度でご不快にさせたのでしたら謝罪します。」
俺の方から話しかけたことでようやく俺を見たトゥレンは、無視されなかったということの方に安堵した顔をする。
「――ライ様、トゥレンは明日より三日間、国王陛下より謹慎を申し渡されております。その理由と今後についてご説明するために、今日は私に同行しているのです。」
「…なに?」
それでこんなにウジウジしているのか?…あの男に直接謹慎を食らうとは、なにをやらかしたんだ。俺が仕事に戻っていないこの状況下で、イーヴの負担を増やすような下手なことをする馬鹿ではないはずだが…
意外に思った俺は目を丸くしてトゥレンを見る。
「まだ全ての用件は済んでおりませんが、先に本人からご説明させた方がよろしいですか?」
「ああ、そうしてくれ。トゥレン、なぜ謹慎など受けることになった?」
「はい…ご説明させていただきます。実は…」
直前のようにウジウジはせず、少し落胆した話し方で事の説明をしたトゥレンの話を聞いて俺は驚いた。
それはついさっき二人がここへ来る直前の出来事で、あの男に謁見の間へ呼び出されたトゥレンは、王城内や一部の近衛隊の中でペルラ王女に関わる噂を立てられており、そのことについての厳しい叱責を受けたということだった。
「――その噂とはどんな内容だ?」
トゥレンは胸に握り拳を当て、苦汁に顔を歪めながら口を開く。
「…口に出すのも恐れ多いことですが、国王陛下がお決めになるペルラ王女殿下の婚約者は俺なのではないかとか、俺とペルラ王女殿下が想い合っているように見えるなど…想像するのも烏滸がましいものです。」
「おまえはそんな噂を立てられるほど、ペルラ王女に護衛の域を超えて馴れ馴れしくしていたのか。」
「と、とんでもありません、これでも俺は身の程を弁えています!!陛下にもそう申し上げましたが、それでも他者にそう見えたのであれば俺に責任があると仰られて…まさかライ様までも俺をお疑いですか…!?」
必死な顔をして訴えるトゥレンに、俺は首を振った。
「――そうではない。そもそもペルラ王女の護衛や外出時の同行をおまえに任せたのは俺だ。今だから言うが…それが元々王女殿下たっての希望だったからだ。」
「え…?」
トゥレンは特に馴れ馴れしくしていたわけでもないのに、周囲に噂を立てられるほどペルラ王女と仲睦まじげに見えたと言うことだ。
その意味を、こいつは微塵もわかっていないのだろうか。…鈍いにも程がある。
間抜けな顔をして戸惑っているトゥレンに、俺は深い溜息を吐いた。
「…自分に非がないと思うのならその辛気臭い顔はやめろ。それで?おまえが謹慎を受けたのなら、その間ペルラ王女の付き添いはどうなる。」
「謹慎中だけでなく、俺はペルラ王女殿下への接近を禁じられました。謹慎解除後ももう護衛に付き添うことは許されません。」
「つまりイーヴかヨシュアに任せなければならないのか。」
イーヴには俺の復帰後、補佐に専念して貰いたかったのだが…ペルラ王女の相手をヨシュアに任せるには荷が重いか。王女殿下の方はともかく、ヨシュアが緊張から体調を崩しそうだ。
「ご療養中のライ様にこのようなことでご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんが、俺の代わりはイーヴに任せるべきだと進言致します。既に王女殿下にもその旨を御了承いただきました。」
ペルラ王女も了承した、か…その時の哀しげな顔が目に浮かぶようだな。単に受け入れたというわけではなく、そうせざるを得なかっただけだろう。
「ライ様、トゥレンが申し上げました通り、明日以降は私が外出時など王女殿下の護衛につきます。それでよろしいでしょうか?」
「いいもなにもそうするしかないのだろう。だがトゥレン、おまえはそれで良いのか?」
この鈍感男は、俺へ潔白を証明することしか頭にないのか、申し訳なさそうな顔をするだけで躊躇なく断言する。
「ペルラ王女殿下の名誉に誓ってやましいことなどありませんが、今は国王陛下のご叱責に己の不徳を恥じ入るばかりです。俺はライ様に顔向けできないことは決してなにもしておりません。ですがそれでも陛下のご決定に、俺からはなにも申し上げることはございません。」
――やれやれだな。こいつの心を動かすのは、巨岩を人力で移動させることよりも難しそうだ。
「そうか…わかった。イーヴ、明日からはおまえがペルラ王女についてくれ。必要なら信の置ける近衛隊士を伴っても構わん。くれぐれも国王の親衛隊や王妃の『レフタル』に隙を見せて取って代わられるなよ。療養している俺の言うことではないかもしれんが、彼女を守るのはあくまでも近衛の仕事だと心しておけ。いいな?」
「は、厳命承知致しました。」
――イーヴの目礼を受け、これで話は終わりかと思いかけたが、すぐにイーヴは最後の用件を申し上げます、と続けた。
「ライ様の目がお見えになり、お身体ももう問題ないのでしたら、ティトレイ・リーグズ士官学校教官とジャン・マルセル殿には、本日すぐに紅翼の宮殿から退出していただきます。」
俺の意思も問わずに無表情で淡々と言い放ったイーヴに、俺は一瞬でカッとなった。
「そんな勝手な…礼儀知らずにも程がある!!こちらの都合でこれまで散々俺の面倒を見させておいて、もう良くなったからすぐに出て行けと言うのか!?」
「お怒りはご尤もですが、その通りです。なにも彼らにもう二度と会うなと申し上げているわけではありません。ここは王城の敷地内であり、本来は彼らが立ち入ることのできる場所ではないのです。あくまでも今日までの措置は特例中の特例であり、ライ様のお命に関わるものとして、陛下が例外をお許し下さっただけだとお思い下さい。」
「イーヴ、おまえは…」
――相手に対する思いやりもへったくれもない。
碌に動けず目の見えない俺の世話を、食事から入浴まで全てしてくれていたジャンとティトレイに対し、あまりにも冷た過ぎないか。
二人が傍にいてくれたからこそ、俺は少しずつ気力を取り戻せたというのに…有り難いと思いこそすれ、そんな態度はあんまりだろう。
…いや、これが本来のおまえなのか。少しは俺に対して親身になってくれる情があるのかと思ったのは、やはり間違いだったのだな。ならば俺は――
「――良くわかった。ジャンとティトレイには俺から話す。おまえは世話になった二人への謝礼を用意し、後で彼らに届けてくれ。…これで話は終わりだな?」
「はい。」
――わけのわからない感情が、俺の心を冷たく冷やして行く。こいつがこういう奴だと最初からわかっていたはずなのに、なぜ俺はまた絆されそうになっていたのだろう。
「そうか、ならさっさと出て行け。目が見えるようになり、歩けるようにもなったのだ、用があれば俺の方から近衛の詰め所に出向くことにする。明日からはここを訪ねる前に廊下の親衛隊を通して事前に伝えろ。今後は許可なく直接ここを訪ねることを禁じる。」
「……かしこまりました。では失礼致します。」
顔を背けた俺にイーヴは頭を下げ、それに倣ってトゥレンもぎこちなく会釈すると、二人は寝室からすぐに出て行った。
残された俺は、ズキズキする胸の痛みに説明のつかない思いを抱き、椅子に腰かけたまま前屈みになって頭を抱え俯いた。
「は…そうだな…元よりあの二人はあの男の飼い犬なんだ。今さら……」
胸を突くこの感情をなんと言えばいいのだろう。
――そんなことを考えながら俺は、ここから城下へ戻って貰うために、隣室にいるティトレイとジャンを呼んだのだった。
♢ ♢
ピエールヴィのギルドを出た後、昼食を取りに賑わうレストランに入り、あまり人目に付かない席に着いた俺達は、さっき俺が絡まれていたSランク級守護者についてと、みんなに街中で集めて貰った情報を纏めることにした。
「――して、先程の守護者となにがあったのでするか?」
俺はテーブルに運ばれてきた料理を指で摘まみ、あの不愉快な男の顔を思い出してぶすっとしながらリヴに答える。
「別になにがというほどのものじゃない。高難易度の依頼票を剥がしたら、近付いて来て難癖を付けられたんだよ。挙げ句の果てには依頼を一緒に受けさせろとか言われて、きっぱり断ったのに付き纏われるわ、勝手に知り合いになる予定だとか言われるわ、あれほど図々しくて不躾な男は見たことがないな。」
「うわ、ルーファスが初対面の奴をここまで嫌うなんて超珍しい。メクレンで絡んで来たフェルナンド達にだってそこまでじゃなかったじゃん。」
「ウェンリー、あんなのをフェルナンドと一緒にするなよ、全然違うだろう。」
憤慨した俺を見て、ウェンリーとリヴは目を丸くした。
「人相はフェルナンド殿の方が余程悪いと思いますがな。ふむ、やはり人族は顔ではないと言うことでするか。」
「何気にフェルナンドに対して失礼なこと言ってら。そこら辺が思い人に振られる原因なんじゃね?」
「なっ…」
「だがこの国のSランク級守護者なのだろう?親しくなって情報を得るのも悪くはないと思うが。」
警戒はしていたものの、強者が好きなシルヴァンは、Sランク級だというだけで好意的になりそうで、俺はあの男がなにをしてきたかをぶち撒ける。
「ごく短時間とは言え、おまえ達に気づかせなかったくらいだから、尚更要注意人物だな。いいか、シルヴァン。あの男は俺達全員に、魅了効果のある精神系魔法か技能を素知らぬ顔して放っていたんだぞ。」
「なに…!?」
本当に微塵も感じていなかったことに愕然として、シルヴァンは手に持った串焼きを落としそうになる。
「え、魅了効果って…あれ?頭がぽ〜っとなって、相手がすっごく美人に見えたり格好良く見えたりしちまって、どんな理不尽なことをされても言われても逆らえなくなった上に、なんでも許しちまうってあのやつ!?」
「随分具体的に知っているんだな。(どこで知ったんだ?)ああ、ウェンリーの言う通りそれだ。俺が気づいてディスペルを使いその場で『マインドガード』を施さなければ、もしかしたらおまえ達三人ともあの男の魅了にかかっていたかもしれないんだぞ。」
「ガーン!!」
ウェンリーはわざわざ擬音を発し、三人とも分かり易く衝撃を受けて口をあんぐりと開けた。
「全く気づきませなんだ…なんと恐ろしい。どうせ魅了魔法にかかるのであらば、予は男ではなく赤毛の美女が良い。」
おまえはどこに衝撃を受けているんだ、リヴ…そうじゃないだろう!赤毛の美女にかけられるんなら魅了魔法を受け入れるのか?王都の彼女はどうしたんだ。
呆れてジト目になる俺に、はっと我に返ったシルヴァンは、串焼き肉を良く噛んでゴクンと飲み込んでから言う。
「この馬鹿の言うことはともかく、我とリヴは精神系魔法に耐性があると言うのに…それを上回る効果を持っていると言うことか。」
「そうだ。さすがに俺には効かなかったが、ここからはエヴァンニュ王国と違って誰もが魔法を使うことができるんだ。その中でもあの男は恐らく相応の力があるんだろう。ただ…」
あまりゆっくりしている時間もないため、目の前の料理を口に入れてはもぐもぐしながらウェンリーが聞く。
「ただ?なんだよ。」
「…しつこく絡まれている間もずっと周囲を観察していたんだが、ピエールヴィを拠点にしていると言っていたわりには、あの男に声をかけてくるハンターは一人もいなかったんだ。」
「――地元のSランク級だと言いながら、それは少し妙だな。高位守護者はどこの国に行っても敬われ、賞賛と羨望を受けるものだとウルルはいう。故に我とリヴもあなたに相応しくあるよう早々に昇格を決めたのだ。」
「ああ、どこの国でもSランク級になる道は結構厳しいはずだしな。それが挨拶をするどころか気にも止めず、誰も声をかけて来ないのはおかしいと思うだろう?だから俺はあの男の言うことを信じられないんだ。」
あの男…それなりの力はあるのかもしれないが、俺は正直に言ってSランク級に値するだけの実力があるかどうかも疑わしいと思っている。
良く知りもせず最初から疑うのは俺らしくないが、馴れ馴れしさの中に狡猾さが見え隠れしていたような気がして、マインドガードを施した後もあの男に対する不快さはまだ残っているからだ。
そのことからも、俺の嫌いなタイプの人間であることだけは間違いないだろう。
「ふむ、その話は後でまた詳しく聞かせて貰おう。」
「うん。それで…おまえ達の方はなにかわかったのか?」
「うむ、守護騎士が各所に配置されたのは十日ほど前のことらしい。そのタイミングとしては、完全に我がイスマイルに会いに行った後のことだな。」
串焼き肉の次は『アベストルース』という魔物の骨付き肉を噛み千切りつつ、シルヴァンは香りの良い薬効茶をズズズっと音を立てて啜った。
シルヴァンは肉ばかり食べてしょうがないな、野菜ももっと食べた方がいいんだけど…そう思いつつ、俺はひょいパクひょいパクと連続して、一口野菜の揚げ物を頬張りながら次はウェンリーの話に耳を傾けた。
「そんで俺は連中の捜索対象が、ラベンダーの花色みたいな薄紫の髪に眼鏡をかけた女だってことを聞いて来たぜ。」
「……え?」
「なるほど…では極めつけは予であるな。数日前に旅の商人から流れて来た噂によると、この国でかなり有名な『守り神』が、ついぞ前に忽然とその姿を消してしまい、大騒ぎになったらしいのだそうな。」
「ちょっと待った、それってまさか…」
――イスマイルのことか?姿を消したって、そんなはずは…
守護七聖主の紋章扉はきちんと閉ざされていたとシルヴァンは言った。もしそこに『神魂の宝珠』があると知られたとしても、ちょっとやそっとの力では壊すこともできないし、カオスのような何者かがそれを狙って襲撃したのなら、そもそも扉と遺跡を破壊する前に住人と街が無事であるはずはない。
つい先日までイスマイルは、魔力で作り出した身体で人と接触しながら活動していたのだ。そんなことになればこの程度の騎士配置では到底済まないだろう。
周囲の環境を鑑みても、年単位での長期ならともかく、数日で異変が起きるとは考え難いんだけど…
「この国の上層部は、我らのことをどの程度まで知っているのであろうな。それ如何によっては深刻な事態とも、大した問題ではないとも判断が付き兼ねる。」
シルヴァンの言う深刻な事態とは、カオスやアクリュースのような敵に神魂の宝珠が奪われたことを言い、大した問題でないというのは、イスマイル自身の意思によって再度眠りについたなど、あまり心配の要らないことを言う。
「ああ、そうだな…それなら俺達がやるべきことは一つだ。」
「…であるな。」
「え?え?」
「――とっとと受けた討伐依頼を済ませて、次の街に向かうぞ。」
レストランで昼食を済ませた俺達は、通りに立つ守護騎士に気をつけつつ、必要な品を雑貨屋などで買い揃え準備を整えると、彼らに止められることなく再び街門を通りピエールヴィを後にした。
今日はこの後受けた四件の依頼を全て熟し、日付けが変わるまでには次の街『フスクス』まで行くつもりだ。
変化魔法は解かずにそのまま東へ向かってパスラ街道を二十分ほど歩き、討伐対象がいる『ハス森林』の林道入口から中へ入ると、普段通り探索フィールドを発動して俺の地図を共有してから、依頼内容について詳細に説明して行く。
引き受けた討伐依頼四件の内、一件はここハス森林の内部だが、残りの三件はさらに奥へずっと入って行った、『ボスケ湿地帯』の広範囲に散らばっている。
三人が余裕で横に並んで歩けるくらいの幅がある林道を、俺を先頭にすぐ後ろをウェンリー、次にリヴ、殿はシルヴァン、というようにある程度広がりつつ纏まって進んで行った。
「湿地帯へ行く前に、ここに出現する『グランバイデス』の変異体から先ずは倒してしまおう。」
「グランバイデスって…確か別名『槌の子』って綽名なんだっけ?斑茶で土色の外見から『土の仔』とかとも呼ばれてんだよな?」
ウェンリーはリカルドが置いて行った図鑑で、引き続きシェナハーン王国に生息する魔物について勉強しているらしく、あまり他国では知られていない内容を確かめるように聞いて来た。
因みに俺の方は、自己管理システムのデータベースを見ている。
「良く勉強しているじゃないか、偉い偉い。ウェンリーの言う通り『ツチノコ』と記して表されていることが多いみたいだ。依頼票による目撃情報だと変異体の体長は約一メートル二十センチ、非常に動きが速く毒液を吐き、地属性魔法による攻撃も仕掛けてくるようだ。見た目には潰れた守宮のような感じだが手足はなく、どちらかというとちょっと太めの蛇に似ているかもしれないな。」
「うへぇ、にょろにょろしてんのかな…当然、通常体を引き連れてんだろ?蛇玉みてえになってたら気色悪そ。」
ウェンリーの言う『蛇玉』というのは、雄雌の交尾中にフェロモンに引き寄せられたり、その相手を奪おうと邪魔をしたりなどの様々な理由で他の蛇が集まってきて、やがて蠢く球体のようにもつれ合って見えるようになることを表す言葉だ。稀に蛇の巣や沢などの水辺で、何百匹もの蛇が集まっているのを見ることがある。
「そこまで蛇っぽくはないさ。湿地帯手前の岩場に毒を吐いて腐らせた木をへし折って巣を作り、そこに群れているそうだ。」
「蜘蛛でないだけマシですな。」
「なんだリヴ、討伐対象は違うけどこの辺りにもフォレスト・タランチュラとアクエ・タランチュラは出るぞ。」
「ふふん、集団でさえなければ恐るるに足りませぬぞ、予の君。」
「その呼び方はやめろ、仕返しのつもりか。」
「あ、そんなこと言っていいのかよリヴ?バラしちゃうぜ。俺が作った木彫りの蜘蛛に悲鳴上げたのって誰だっけ?手の平大のちっけえ置物だったのにさ。」
「それはウェンリーが布団の中にこっそり入れおったからであろう!!置物でも蜘蛛と寝床に入る趣味はないわ!!」
「こらこら騒ぐな、ここは街中じゃないんだ。騒ぎ声に気づいた魔物が寄ってくるだろう。」
「………」
俺の説明にはきちんと耳を傾けているようだが、ウェンリーとリヴのじゃれ合うおふざけにも関せず、殿のシルヴァンは一緒に歩きながらもなにか後方を気にしている。
俺がそのシルヴァンを流すようにしてちらりと見ると、シルヴァンはすぐに俺の視線に気づきなにか思うところがあったのか、眉間に皺を寄せた。
俺は彼に目を細めて、ふっと口元に小さく笑みを浮かべる。瞬間、シルヴァンはなにやらとても嫌そうな顔になって苦虫を噛み潰した。
――俺と守護七聖<セプテム・ガーディアン>達の絆はとても強くて深い。過去何度もカオスや魔物相手に死線をくぐり抜けており、多くの戦場を駆け抜けた際は目まぐるしく変化する戦闘状況に、こんな呑気になにかを説明している暇などなかった。
それでも俺達の後ろを守る役目を任されることの多かったシルヴァンは、声のはっきり届かない距離にいて、いつも俺と目が合っただけで俺の考えていることを察する能力に長けていた。
だから多分、今のもそうなんだろう。俺がシルヴァンの気にするなにかをわかっていて、あえて放っているのだと感づき、この後起こりそうな厄介ごとを早くも察してしまい、あんな風に嫌そうな顔をしたのだ。
そんなことを知ってか知らずか、俺の忠告など構わずにリヴはウェンリーとギャーギャー騒いでいる。
おかしいな、リヴも守護七聖のはずなんだけど…この所少し呆けているんじゃないか?
そのせいでシルヴァンから林道の前方に視線を移した途端、左右の草叢から複数の魔物が飛び出して来た。まあ、地図に赤い点滅信号が出ていたから、そこにいるのはわかっていたんだけど。
「全く、そうやって騒ぐから早速魔物が出て来たじゃないか。二体はリヴの大好きなフォレスト・タランチュラだ。ここは二人に倒して貰おうかな。」
戦闘フィールドを展開し、俺は一応腰のクラウ・ソラスを引き抜いた。
「んなっ!!」
「集団じゃなけりゃ恐るるに足らねえんだろ、ほら行けリヴ!俺が後ろで援護してやっから。」
ウェンリーは揶揄うように笑いながら、エアスピナーを持った手でリヴの背中をぐいぐい押し出す。
するとフォレスト・タランチュラは、近付いて来るリヴにシュシャシャシャッと触肢を擦り合わせるようにして音を出し威嚇する。
「やめよ、押すでないウェンリー!!ぎゃあ、こっちに来るな!!」
「喧しいわ!!いい加減にせよ、素人か!!」
――どこまでがおふざけで、どこからが本気なのかわからないが、結局リヴは即座に棍を手元に出現させ、ウェンリーと協力して二体のフォレスト・タランチュラと三体の蟻に似た魔物『ミュルメクス』の集団に突っ込んで行った。
「ルーファス。」
その隙に、俺の後ろに近付いて来たシルヴァンは、なにか言いたげな顔をして俺の名を呼ぶ。
「気づいているのだろう、まだ遠いが後ろに――」
「ああ、いいからおまえは気にするな。もう手は打っている。」
「…わかっていると思うが、もしもの際は手加減せぬぞ。」
「大丈夫だ、心配いらない。」
俺はウェンリーとリヴを魔法で援護しながら、訝しげに俺を見るシルヴァンにまたにっこりと微笑んだのだった。
いつも読んでいただきありがとうございます。次回、仕上がり次第アップします。