176 王家からの文書
カオスと暗黒神に関する話を新たに仲間になったサイード達にしていると、様子のおかしくなったシルヴァンティスとリヴグストが、実は記憶に関する強力な魔法をかけられていると判明しました。ルーファスにはその痕跡が見えず、そのことに気づいたサイードに解除できないかと頼みましたが…?
【 第百七十六話 王家からの文書 】
シルヴァンとリヴが何者かによる、記憶を弄るような強力な魔法を受けている。
そう口にしたサイードの言葉に、俺はシルヴァンとリヴの二人を『真眼』や『アナライズ』などの技能と解析魔法を駆使して調べてみた。
だが俺の目には二人ともなんの異常はなく、サイードの言う『強力な魔法』の影も形も見えなかった。
サイードの言葉を疑うわけではないけれど、思わず俺はサイードに困惑顔を向けてしまう。
その魔法の痕跡はサイードに見えて、俺には見えないものなのか、サイードが嘘を吐いているかしか答えはないからだ。
だけど――
…サイードが俺に嘘を吐くはずがない。第一、そんなことをする理由も利点もないだろう。だとしたら本当に…?
この時になって俺はハッと気付く。
「――そう言えばシルヴァン、おまえは神魂の宝珠からの解放後、自分の記憶に欠けている部分があるようだと言っていたよな?あの時は長い間生命維持装置の中で眠っていた影響かと思ったけど…今はどうだ?やっぱり思い出せないか?」
俺がヴァハを出る前夜、シルヴァンに俺の家族についてなにか知らないかと尋ねた時のことを思い出していた。
あの時のシルヴァンは、確かに記憶の欠如があるようだと言っていたからだ。
シルヴァンは目線を落とし、沈思黙考している。恐らく自分の記憶を頭の中で色々と辿っているのだろう。
「…すまぬ、やはり思い出せぬようだ。」
暫く経って大きな溜息を吐き、首を横に振って脱力したように、ようやくそれだけを答えた。
「…なんの話?」
隣にいるウェンリーが心配そうに俺を覗き込む。
「ああ…いや、俺達がヴァハを出る前の日の夜、シルヴァンに俺の家族についてなにか知らないかと聞いたんだよ。だけどその時シルヴァンは、その部分の記憶が失くなっていて、どうしても思い出せなかったんだ。」
「そんなことあったんだ?」
ウェンリーがシルヴァンに問いかけると、戸惑い気味にシルヴァンは頷く。
「うむ…リヴはどうだ?ルーファスの家族について、過去話を聞いた覚えがあるであろう?それなのに、その内容だけがすっぽりと抜け落ちている。そのような感覚はないか?」
「……シルの言う通りであるな、確かに予も…いや、七聖の全員がその場におったはずなのに、その光景は思い出せても話の内容が一切出て来ぬようだ。…これはいったい…」
――困惑するシルヴァンとリヴは、どう話せば良いのかわからない、という目で俺を見た。
…となるともう、間違いない。
「…どうやらサイードの言う通り、記憶に関するなんらかの強力な魔法を受けているのは、間違いなさそうだな。」
当然だが、二人は声を失った。
「ルーファス、あなたは気づいていなかったようですが、彼らに施された魔法の痕跡が見えないのですか?」
二人に魔法がかけられていると言ったサイードは、なぜ俺には見えないのか、かなり不思議に感じている様子だ。
「ああ。見えていたら疾うに気がついている。だからこれまで不思議にも思わなかったんだ。」
「――あなたほどの魔法の使い手に見えないなんて…」
「うん、厄介だよな。サイードにならその魔法を解除することはできないか?痕跡の見えない俺に解除は不可能だ。」
魔法をかけられた対象が目の前にいても、肝心なかけられている魔法が見えないのでは手も足も出ない。
だから少しの期待を込めてサイードに聞いてみるも、サイードはもう一度シルヴァンとリヴをじっと見てから横に首を振った。
「無理ですね…あれほど複雑に構築された魔法の痕跡は、私も見たことがありません。恐らく施術者でない限り、永遠に解けない類いのものでしょう。下手に弄るとシルヴァンティスとリヴグストを廃人にしてしまいかねませんから。」
「……そうか。――なら、この話はここまでだ。」
「ルーファス!」
「それで良いのであるか!?予らの知らぬところで、あなたの情報を何者かに渡しておるかもしれぬのですぞ!?」
サイードに笑えない冗談だと言ったくせに、真っ青な顔をしてリヴは身を乗り出した。
「だとしても多分過去の話だろうし、俺にもサイードにも解けないものはどうしようもないだろう。記憶の欠如や混濁以外に直接的な異常があれば考えるが、今のところその様子はなさそうだしな。もしその欠けた記憶の部位がどうしても必要になるようなことでもあれば、また別に方法を探すことにしよう。シルヴァンもそれでいいな?」
「……承知した。」
シルヴァンもリヴも険しい顔をしていたが、今は諦めて俺の言葉に頷くしかなかった。
「話が逸れたが、引き続きカオスと暗黒神についてだが――」
その時俺の耳に精霊の鏡から、突然ウルルさんの大きな声が響いた。
『ルーファス様!!』
驚いた俺はビクッとなって大きく身体を揺らす。
「待った、ウルルさんから連絡だ。なにか慌てているようだけど…ウルルさん?どうしたんだ?」
急ぎ精霊の鏡を取り出した俺は、それをテーブルの上に出してみんなにもその声が聞こえるように支柱で立て掛けた。
『魔物駆除協会を通して、シェナハーン王国のサヴァン王家より〝太陽の希望〟宛ての文書が届いたのです!ですがその内容が――』
通常ハンター宛ての書簡などをギルドで勝手に閲覧することはないが、この文書には魔物駆除協会に事前に見ても構わないという許可が出ており、不審に思ったウルルさんは内容を確認したようだ。そうして聞いた文書の正確な全内容はこうだ。
〖フェリューテラの救済に当たる守護七聖主こと太陽の希望殿、我が国の守り神イスマイル・ガラティアについて貴殿らとの会談を望む。近日中に王都シニスフォーラ国王殿まで来られたし。尚、会談なしに封鎖した遺跡街アパトへの立ち入りは、王命により認めぬものとする。連絡を待つ。――シェナハーン王国国王イラオイフェ・ザクハーン・シグルド・サヴァン〗
それを聞いた俺は全く予想外のことに目を丸くする。
「――なんかこの文書、随分と攻撃的じゃないか?」
封鎖した遺跡街アパトというのは…イスマイルの神魂の宝珠がある古代遺跡を発掘中の街の名前なんじゃ…?
『そうなのです。それと遣い鳥による情報ですと、シェナハーン王国にあるアパトという街が守護騎士によって封鎖されたのは事実でした。なんでも遺跡に侵入者があったとかで、警備を厳重化したようなのです。』
「遺跡に侵入者?え…ちょっと待った、それってまさか――」
事前にイスマイルの話を聞いていた俺は、目の前に座っている不思議そうな顔をしていたシルヴァンを見た。
「…先に神魂の宝珠とイスマイルの存在を確かめに行った、シルヴァンのことじゃあない、よな…??」
「なっ我か!?」
自分のことだとは微塵も思っていなかった様子で、シルヴァンは己を指差しギョッとした顔になる。
『わかりません、他の侵入者の可能性もあります。それとルーファス様、守護騎士は復興中のバセオラ村にも滞在し、ルーファス様が戻られるのを待っているようです。今のところ変わった動きはなく、バセオラ村に移り住んだパーティー〝豪胆者〟のリーダー、フェルナンド・マクランは警戒しつつも、特に問題を起こさずに上手くやってくれているようですが、連絡のないルーファス様を気にし始めています。』
「フェルナンドか…俺の留守中連絡がつかず、ギルドに伝言はなかったから心配していなかったんだけど…わかった、明日バセオラ村に寄ってからアパトへ行く前にシニスフォーラへ向かうことにするよ。それからサヴァン王家への返事は俺の方でするから、ウルルさんは心配しないでくれ。」
『かしこまりました。ルーファス様、サヴァン王家が相手だと少し厄介です。どうかくれぐれもお気を付けください。』
「うん、ありがとう。」
ウルルさんとの通信を切った俺は、また面倒なことになったなと深く溜息を吐いた。
「隣国の王家から、脅しに似た半ば強制的な会談の申し込みですか。…人族の王の権力と軍隊は非常に強いと聞きます。」
ウースバインのイゼスが心配そうに言う。
「ああ。実はインフィニティアに飛ばされる前、エヴァンニュ王国の軍隊に当たる守護騎士の魔法闘士に、それとなく俺の正体について探りを入れられたことがあるんだ。あの時ははっきりと俺が守護七聖主であることは認めずに、イスマイルの存在を確認してから改めて話をしようと思っていたんだけど…」
「我とリヴがあなたのいない中、神魂の宝珠を確認に行ったのがまずかったと言うことか…?」
自分が余計なことをしたのかと気に病むシルヴァンに、リヴが言わなくてもいいことを口に出す。
「予は行っておらぬがな。シル、なにかヘマをしたのであるか?例えば現地の人間を傷つけたとか――」
「人聞きの悪いことを言うでないわ!!我は人の少なくなる夜を待ち、精霊の粉を散蒔いて騎士共を眠らせただけだぞ!!」
「リヴグスト、あなた…余っ程私に嫌われたいようね?」
ずっと静かでなにも言わず、シルヴァンの横にただ座って話を聞いていたマリーウェザーが、顳顬に青筋を立てるとシルヴァンの怒りに反応し、その影から負のオーラを纏いつつリヴをギロリと睨んだ。
「ひっ…そ、そのようなことはございませぬぞ、奥方!」
「リヴは少しマリーウェザーに怒られた方が良いかもな。もし侵入者がシルヴァンのことだったとしても、責任はないから気にするな。その話はまた後にするとして、今は説明に戻るぞ。」
「なあルーファス様、テルツォ寝ちまってんだけどいいんですかね?」
「え?」
「あ、ほんとだ!!」
「…アティカ・ヌバラ大長老?え…まさか大長老まで居眠りをしてらっしゃるわけではありませんよね!?」
「この馬鹿もん、わしは起きとるわ!!顔が毛に覆われて見えんだけじゃ!!」
イゼスの問いかけにアティカ・ヌバラ大長老が腹を立て、俺はデウテロンが握り拳の親指を向けた先を見てみると、壁際の長椅子でスウスウと気持ち良さそうに寝息を立てるテルツォの姿があったのだった。
――翌朝早くに食事を済ませると、俺達はルフィルディルから転移魔法石を使って一度、エヴァンニュ王国とシェナハーン王国の国境にある国境街『レカン』へ移動する。
ここは正式な手順を踏んで隣国に入るために以前通ったことがあり、俺とウェンリーはインフィニティアに飛ばされたこともあって、実は出入国が少し曖昧だ。
もしかしたらシェナハーン王国から戻った形跡がないのに、また出国するなんておかしいと咎められるかもしれない、そう心配したのだが、出国手続きと入国手続きは別々に行うせいなのか特に足を止められることはなかった。
国の国境管理がこれでいいのかとも思うが、互いが古くからの友好国であることと、人がまともに通れる国境がここしかない(多くは国境壁に阻まれ、ルフィルディルがあるデゾルドル大森林は幻惑草の群生地があり誰も近寄れない)のもあって、人よりも魔物を警戒するのが中心となり少し警備が緩いのかもしれない。
だが実際はそのことよりも俺達が太陽の希望であることと、Sランク級守護者が三人もいたことで騒がれたことの方が面倒だった。
イーヴ・ウェルゼン副指揮官が言っていたような封鎖こそなかったが、Sランク級守護者が三人も一度に国境を越えるのはこれが初めてのことであり、王国軍の国境兵が危機感を持ったからだ。
そこで俺はサヴァン王家から太陽の希望宛てに会談の申し込みがあったことを告げ、そのためにシェナハーン王国の王都『シニスフォーラ』へ向かうことになったと話した。
通常であれば一介の守護者にそんな話が来るものかと笑い飛ばされるところだが、『太陽の希望』の名前は既に王国軍にも知れ渡っており、国境兵も納得してくれたようで「お帰りをお待ちしております。」とわざわざそう言って送り出してくれたほどだ。
そう言われても当分は戻って来られないだろうから、ちょっと申し訳ないなと思いつつ、シェナハーン王国側の国境街『リーニエ』に入るとすぐに国境を守る守護騎士に会って、イラオイフェ・ザクハーン・シグルド・サヴァン国王への返事を伝えることにした。
リーニエの守護騎士は俺達の話を上から聞いていたらしく、身分証を確認しただけで俺の返事を聞くなり、直ちにシニスフォーラへ連絡をしていた。
そこで会談の日時は四日後となり、それまでに俺達はシニスフォーラに最も近い『メテイエ』という名の街に辿り着き、そこで魔法闘士のログニック・キエス氏の迎えを待つことになった。
徒歩で向かうには王都シニスフォーラは遠く、四日しかないと間に合うかどうかは微妙なのだが、そこはシルヴァンが先にアパトへ向かった際に途中の街に立ち寄っていたため、いざとなれば転移魔法を使えば一瞬なので気にする必要はなかったのだ。
逆に四日もあれば、こちらの情報収集を十分に行えるだけの時間がある。
アパトの警戒を強めた侵入者とは果たしてシルヴァンのことなのか、シグルド・サヴァン国王が攻撃的な文面で俺に文書を寄越したのは、俺をたかが守護者と思い敵対しても構わないという意図の表れなのか、その辺りを調べる必要もある。
――と言うことで、国境を越えた俺達は人目につかない場所で、また転移魔法石を使い、バセオラ村まで一気に飛んだのだった。
飛んだ先は俺がシェナハーン王国の商業ギルドの紹介で来て貰った、料理人が営んでいる食堂の中だ。
いきなり集団で現れた俺達に、そこにいたフェルナンド達『豪胆者』のメンバーは椅子を引っくり返すほど驚いていたが、彼ら自身も俺からの報酬で転移魔法石を使っているので、すぐに落ち着きを取り戻してくれた。
「ルーファス、この野郎!来るなら来るって連絡ぐらい寄越せや!!がっはっはっ!!」
そう言って俺の首に手を回し、いつも通り豪快に笑ったフェルナンドは、サイードとプロートンを見て美人だ!と照れまくり、ウェンリーやシルヴァン、リヴとデウテロンを交えて挨拶を交わすと、バセオラ村に滞在している守護騎士について教えてくれた。(因みにテルツォはフェルナンドが大きすぎて怖いと言って、プロートンの影に隠れて出て来なかった。)
「別にこれと言ってなにかしてくるわけでなし、かと言って復興を手伝う様子もねえ。全部で十人ほどが村の宿泊所に泊まり込んじゃいるが、二班に分かれて交代で常にどちらかが村を監視してるって感じかねえ。おめえらが村の入口を通らずにいきなりここに現れたんじゃ、すぐにすっ飛んで来るんじゃねえか。」
「その前に去らせて貰うよ。つまり守護騎士は、村に出入りする人間を見ているということか?」
「ああまあ、そんな感じだな。現にここに住んでる俺らや、他の住人に対しての態度も悪くはねえ。正直言ってなにが理由で留まってんのかはさっぱりだ。あ、ガーターの爺さんも元気にしてっから安心しろや。」
「……そうか。」
――まあこのバセオラ村は復興に俺が力を注いでいると言っても、今は拠点にしているわけじゃない。
いくらなんでも守護騎士が自国の国民になにかするとは思えないし、落ち着くまで復興資金の援助とこの村に住んでくれる人材集めを手伝う以外は、あまり顔を出さないように気をつければ大丈夫かな。
「なんだよ、なんか上の怒りを買うようなことでもしちまったのか?」
「いや、そんなんじゃない…と言いたいところだけど、どうだろうな。俺にもいまいち良くわからないんだ。」
「前に魔法闘士が尋ねて来たことと関係あんのか?」
「それは多分ありそうかな。フェルナンド、俺が渡した『精霊の粉』は持っているよな?」
「おう、売ったりせずに大事に持ってるぜ。」
「売るなよ。もし守護騎士が不穏な動きをしそうな時は、すぐ俺に連絡をくれ。そんなことにはならないと思うが、念のために言っておく。」
「…わかった覚えておくぜ。」
フェルナンドに一通り話を聞き、そんな風に注意をして念を押すと、村内の巡回に出ているという守護騎士に気づかれる前に俺達は、僅か十数分ほどでバセオラ村を後にした。
この後最短距離をシニスフォーラへ向かって行くのなら、パスラ山を越えた先にある『ピエールヴィ』に行くのが早いのだが、再び転移魔法石を使ってあえて今度はパスラ山にある峠の集落『コリュペ』に飛んだのだ。
この集落は山越えをする地元の人のために作られた、僅か五軒ほどの建物しかなかったとても小さな集落で、魔物駆除協会もなく商業地とは名ばかりの、宿屋が一軒と店とは言い難い売店がある。
もし俺とウェンリーが罠に嵌まってインフィニティアに飛ばされていなければ、不思議穴での屍鬼退治の後で訪れているはずだった場所だ。
「転移魔法石を使うのであらば、パスラ山を越えた先にあるピエールヴィの方がよかろうに…なぜわざわざここに来た?」
下手をするとここの住人よりも数が多いかもしれない俺達が、ぞろぞろ連れ立って門から中に入ると、なんだなんだと言わんばかりに集落内の人々がこちらを見てくる。
少し意外だったのは、こんな魔物だらけの山の集落で、頑丈な外壁を作ることもできずにどうやって集落を守っているのだろうと思いきや、ヴァハの村と同じような木製の外壁と両開きの門扉に、結界石による防護魔法がかけられていたことだった。
――そうか…ここはエヴァンニュ王国と違って、民間人も普通に魔法が使えるんだったよな。…とそんなことを考えていると、隣を歩いていたシルヴァンが徐にそう尋ねてきた。
その原因は、シニスフォーラへ行く前に情報を集めるのなら、もっと人の多い街へ行くべきだと言ったシルヴァンに対し、俺がどうしてもコリュペに来たいと言い張ったせいだ。
「だから先に行っていてくれてもいいと言ったじゃないか。ここに来たがったのは俺だけなんだから。」
「そう言うことではない、なんの用があって来たのかを聞いているのだ。」
この集落に立ち寄りたい理由を告げずに、俺一人だけここに来るから先にピエールヴィへ行っていてくれと言ったのがまずかったのか、シルヴァンは何度もわけを尋ねてくる。
「………」
――事情を話せるのなら話しているさ。滅亡の書のことを言うわけには行かないし、俺自身どうなっているのか全くわからないのに、あのことをどう説明すれば良いと言うんだ。
俺がここに来たかった理由はただ一つ、滅亡の書によって『最後の希望』だと示され、パスラ山のどこかで空から降って来たところを俺が助けた、『ミーリャ』という名の女性のことを調べたかったからだ。
なにか呪詛のようなものをかけられて話すことが出来ず、生きて行くための生命力…霊力が極端に少なかった子を妊娠していた彼女は助けを求めていた。
彼女自身とお腹の子は何者かに命を狙われていたようで、放っておけば彼女は殺されその子も流れてしまい、恐らく生まれてくることはできなかっただろう。
滅亡の書に記されていた『最後の希望』が母と子のどちらなのかがわからなかったため、俺はどちらも救うことに決め、誰にも見つからないよう霊力の満ちたグリューネレイアで精霊女王マルティルに匿って貰うことにしたのだ。
それなのに、翌日になって様子を見に精霊界へ行くと、どういうわけかミーリャはマルティルの記憶ごと消えてしまっていた。
俺の中で最後の希望を失ったのではないかという不安は消えず、ミーリャという女性の手がかりがなにか見つからないかと思い、パスラ山上方にあるこの集落を訪ねたかったのだ。
「止せ止せシルヴァン、こいつがこうなったらなにを言っても喋らねえって言っただろ?おまえの方が付き合い長いはずのくせして、なに無駄なことしてんだ。」
俺のだんまりを見兼ねたウェンリーが助け船を出してくれる。ウェンリーは昨日ラーンさんとターラ叔母さんに会って、すっかり調子を取り戻したみたいだ。
ちらっと話を聞くに、二人には立派になったものだと、大分褒められて帰って来たらしい。
実際その通りだろう。一緒にいるのが規格外の俺達だからこそ、思い通りにならずすぐに落ち込んでしまうだけで、一般守護者から見ればウェンリーはまだ新人守護者な上に、昇格前のBランク級にしてはかなり頑張っている方なのだ。
「そなたは諦めるのが早過ぎる!ルーファスが何事かを考えておるのに、それを我らに打ち明けぬ時は、後に碌なことが待っていないという前兆なのだぞ!」
「…シルの言葉を否定できぬのが、予としても辛いところであるな。」
「同意して頷くんじゃない、リヴ。おいシルヴァン、それはどういう意味だ?人のことを疫病神みたいな言い方をするな。」
「おお、やれやれ〜!ルーファス様がムッとしてらっしゃる、揉め事大歓迎!!なんなら外出てバトりますか!?あ、俺ルーファス様側に付くからな!」
「ちょっと!止しなさいデウテロン、サイード様に怒られるわよ!?」
「ねーねー、プロートン、あそこの売店見てきてもいい?」
「ええ?待ってテルツォ、今はそれどころじゃ…」
「はいはい、一人だけ違う方向を見ているお子ちゃまがいますが、ただでさえ大所帯で注目を浴びているのです、こんな入口で揉めるのはやめましょう。」
――こんなはずじゃなかったのに、わやわやと騒がしくなってしまった俺達を、サイードがしれっと仕切る。
プロートン達三人はともかくとして、俺とシルヴァン達までサイードに頭が上がらなくなりつつあるのは、なぜなんだろう。…解せぬ。
「売店の前に野外の休憩所があるようです、一度解散しましょうか。」
「ああ、そうして貰えるかな。」
サイードの提案に一旦俺達は散けることにした。…と言っても、サイードはプロートン達三人を連れて売店に行き、ウェンリーとシルヴァンにリヴは俺にくっついて来ようとしている。
「いや、俺は一人でいいから。三人ともぶらついて来いよ。」
小さい集落だから自然以外になにもないけどな。
「…わかった、じゃあ俺リヴとその辺で適当に暇潰してるぜ。行こうぜ、リヴ。」
「シルはどうするのだ?」
「我はルーファスから離れぬぞ。なにかあってこれ以上イスマイルに怒られたくはない。」
「ええ?一人でいいって言ってるのに…ついて来るのなら横で口を挟むなよ?」
まだ封印を解いてもいないのに、シルヴァンは既にイスマイルに怒られたのか…彼女と合流後は昔のような光景が数多く見られそうだな。
「では後ほどな。」
ウェンリーとリヴは俺から離れて行き、結局シルヴァンだけは俺の元に残ったのだった。
「で、なにをするのだ?」
「――住人に話を聞くだけだ。…先ずは宿屋からだな。」
というわけで、俺はシルヴァンと一緒にこの集落で最も大きい建物でもある宿屋へ、ミーリャの情報を求めて向かう。
擦れ違った住人に聞くと、コリュペに一軒しかないこの宿は、夫婦二人と八歳の男の子がいる一家で営んでいるそうだ。
「すみません、ちょっと聞きたいことがあるんですが…」
ドアベルの付けられた扉から中に入ると、受付で両親の手伝いをしているらしき椅子に腰かけた男の子が、顔を上げて俺を見る。さっぱりした短めの髪に、くりっとした大きな目の可愛い男児だ。
「なに、おきゃく?とまんの?なんにん?」
――そのあどけない可愛らしい顔に似合わず、ぶすっとした不機嫌な表情とぶっきら棒な(ちょっと滑舌の悪い?)物言いに呆気に取られる。
「いや…ごめん、客じゃないんだ。ええと…宿のご主人はいる?」
「なんだ、きゃくじゃねえんならとっととかえれよ!こっちもヒマじゃねえんだ。」
「え…」
この子は字が読めるのか、膝の上に子供向けの絵本を広げ直すと、信じられないことに、ちっ、と舌打ちをしてそう答え、ぷいっと顔を逸らして目を落とした。
「ええと…?」
外国では民間人の識字率があまり高くないと聞いていたけど、この宿の跡取りになる子なのかな?絵本を見ながら自分で字の勉強をしているように見える。とても偉いんだけど…
困ったな、と思った次の瞬間、俺の斜め後ろでいきなりシルヴァンがブチ切れた。
「小童!!それが訪れた客に対する態度か!?無礼にも程がある!!」
「んにゃっ!?」
男の子は猫の獣人が驚いた時に上げるような声を出し、椅子から飛び上がって絵本を落とした。
「おいシルヴァン、子供相手だぞ?そんな大声を出すなよ。」
「子供だからこそ大人が躾ずどうする!まだ己で食い扶持も稼げぬくせに、親にこの場を任されておるにも拘わらず、客商売を蔑ろにしておるのだぞ!これが質の悪い輩であれば、直ぐさま斬り殺されるやもしれぬわ!!」
「いやだからそんなことをこんな子供に言ったって…」
人間の子供には反抗期というのがあって、悪ぶってみたり親にわけもなく反抗したりと、こう言う態度を取ったりする時期があるらしい。
もしかするとこの子もそれに該当する時期なのかもしれないし、なにか理由があってこんな物言いなのかもしれない。
そう思った俺がシルヴァンの怒りを宥めようとしていると、受付の中から男の子の泣き声がし出した。
「ふ…ふえええええん!怖いよう…びええええええーっ!!」
「ああっ!!」
「ぬ!?こら小童、泣いて済むと思うな!!」
燃え上がる火に魔石を追加するような(他国では火に油を注ぐとも言うらしい)シルヴァンの言葉で、さらに男の子は激しく泣き出した。
「びええええん、びええええん、わあああん!!」
「ちょっ…こいつがごめんね、泣かないで!くっ…シルヴァン、おまえのせいだぞ!?この子に謝れ!!」
「我は悪くないぞ、此奴の態度が――」
「どうしたの?テソロ。なにを泣いて…あら?」
泣き続ける男の子の前で俺が慌てていると、泣き声に気づいた二十代後半ぐらいの女性が奥からこちらに出て来る。
「申し訳ありません、お客様ですか?息子がなにか失礼を…」
「そなたが親か?幼子と言えど最低限客人に対する言葉遣いくらいは――」
「もういいから黙れ、シルヴァン!だから一人でいいと言ったのに…おまえはもうウェンリー達のところへ行っていろ!!」
尚も子供の躾云々を初対面の相手に言おうとするシルヴァンに、遂には俺の方が切れて追い出した。
ちょっと話を聞きたいだけなのに、こんな子供相手に騒ぎを起こすなんて…
シルヴァンは渋々外に出て行く。
「すみません、今の男がお子さんに怒鳴ってしまって…怖がらせてしまったようで、泣いてしまいました。…ごめんね、悪い奴じゃないんだけど、大きな声を出して驚かせたね。」
ぐずりながらも、母親らしき女性にしがみ付いて泣き止んだ男の子に、俺は屈んでそう謝った。
男の子はまだ涙を溜めた目で俺を見やると、母親の影にサッと隠れてしまう。どうやらそう簡単には許して貰えないようだ。
「いいえ、こちらこそ…言葉遣いがどうとか聞こえましたが、この子が失礼なことを言ったのでしょう。以前ここに来た冒険者の悪い言葉を真似するようになってしまって、困っているんです。それで、今日はお泊まりですか?何名様で?」
「ああ、違うんです。ちょっと話を聞きたくて寄っただけで…」
まだ申し訳なさそうにしている女性に、俺はミーリャという名の女性を知らないかと尋ねてみた。
「亜麻色の髪に綺麗な顔立ちをしている若い女性で、声が出せずに話すことが出来ません。その上初期ですが妊娠していてお腹に子供がいるんです。」
「まあ、それは大変ね。…でも残念ながら、心当たりはありません。名前に聞き覚えもないですし…お腹の子はあなたの?」
「えっ!?ち、違います!!詳しくはわかりませんが、相手の男性はなにか事情があって傍にいないのか、もしくは既に亡くなっているかのどちらかだと思います。あの、他の住人の方々から話を聞いたことは?」
「ご覧の通りここはとても小さな集落でしょう?毎日全員と顔を合わせているけれど、そんな珍しい話は聞いたことがないわ。」
「ああ…そうですか。」
――俺とウェンリーがいたヴァハの村よりも小さい集落だ、住人同士が助け合っていなければ維持することも出来ないだろう。
ある程度予想はしていたが集落内の住人とのやり取りは密で、外部からの人間が来れば先ずこの宿に泊まるはずだから、知らないというのは本当なのだろう。
「最後にもう一つ聞きたいんですが、この集落か…もしくはパスラ山中で行方不明者が出たとか、殺人事件があったとか…最近そんな話はありませんか?」
「行方不明者なら一年に何人かの割合で出ますけれど、このところはないわ。殺人事件なんて、以ての外ですよ?縁起でもないわ。」
「…わかりました、お手数をおかけしてすみませんでした。」
「いいえ、御役に立てずすみません。」
俺はこの女性にもしミーリャという女性についてなにか聞いたり、わかったりした時には、魔物駆除協会へ『太陽の希望』宛てに連絡をくれるようパーティー名と自分の名前を書いた紙を渡した。
「まあ…Sランク級守護者の方だったんですか!?残念だわ、次にお立ち寄りの際は是非泊まって行って下さいね。」
「あはは…はい、そうします。」
「いつでもお待ちしておりますわ。」
女性から丁寧なお誘いを受け、俺はまだ影に隠れている男の子に手を振ると、その宿を後にする。
外へ出ると木製の低い宿屋の柵に寄りかかり、腕を組んだシルヴァンが待っていた。
「子供は泣き止んでくれたようだな。」
「はあ、おまえがそれを言うのか?」
呆れてジト目になる俺に、シルヴァンは悪びれもせず踏ん反り返った。
「今言わねばあの子供はいずれ痛い目を見る。我の親切心だぞ?」
「心的外傷になってお手伝いをしない子になったらどうするんだよ。そんなんじゃマリーウェザーとの間に子供が生まれた時、厳しすぎる父親になっちゃうぞ。」
俺としてはこの時、今後二人の子供ができたら、という意味で言ったのだが、なにか勘違いをしたシルヴァンは訝しげな顔をする。
「む…?誰から聞いた?その可能性は高いと言っていたが、まだはっきりしたわけでもないと言うのに…!」
「…?…なんの話だ。………えっ!?」
一瞬なんのことかと思ったが、すぐにその言葉から俺は察した。
獣人族の血を強く引く子供の、妊娠初期段階での成長は人族よりもかなり早いと聞く。
通常は人族同士の子供である場合、妊娠から出産までに十月十日がかかると言うが、獣人族と人族間の場合、遺伝的な関係で形成過程が早く、その二月ほど短い八ヶ月くらいで生まれてくると言う。
況してやマリーウェザーがシルヴァンの子供を授かるのは、ヴァンアルムに続く二度目だ。前回と同じく身体の変調を感じているのなら、すぐにそうだと気づくことだろう。
もしシルヴァンが今口を滑らせたのが、マリーウェザーの妊娠のことであるのなら、時期的にも子供を授かったばかりの初期段階である可能性は非常に高い。
妊娠がはっきりするまではまだ誰にも話していないのだろうが、俺が言った言葉を知っていると勘違いしたシルヴァンは、ついポロッとそのことを口に出してしまったんじゃないだろうか。
「――そうだったのか…いや、おめでとうシルヴァン!二人に良く似た可愛い子が生まれると良いな!!」
「な…え?待て、知っていたのではないのか!?」
早とちりだったことに気づいて急に真っ赤になったシルヴァンは、冷や汗を飛び散らせながら照れている。
「うん、だから今のおまえの言葉で気づいたよ。マリーウェザーもさぞ喜んでいることだろう。国を出て来たばかりだけど、妻を気遣って時々帰ってやらないとな。」
意外な場所でおめでたい話を知ることになったけれど、俺としても本当に嬉しい。千年前、戦争によって引き裂かれることになった二人が、時を超えて結ばれたのは偏に二人の愛し合う思いが強かったこともあるだろう。
そして今度こそシルヴァンは、本当の意味で自分の子を腕に抱くことができるのだ。
シルヴァンのこの話のおかげで俺は、ミーリャのことを追求されずに済んだこともある。
ちょっと不謹慎だけど、誤魔化せて気を逸らせて幸運だったかな。
「それじゃウェンリー達のところへ戻ろうか。」
「他の住人に話を聞かなくて良いのか?」
「ああ、もういいんだ。」
多分なにもわからなそうだし――
その足で歩き出し、シルヴァンとウェンリー達のいる方へ移動し始めた時だ。
「まって!えすランクきゅうしゅごしゃの、ぎんいろのおにいちゃん!!」
「…え?」
俺のこと(銀色のお兄ちゃんって、多分そうだよな?)を呼び止める男の子の声が聞こえて後ろを振り返ると、宿屋の裏手からさっき大泣きした男の子が走ってくる。
「えっと…確か、テソロ君、だったかな?…俺になにか用?」
「おれのなまえ、おぼえてくれたんだ…あの、えすランクきゅうしゅごしゃって、ほかのひとたちより、つよいんだよね!?」
「…?ええと、まあ、守護者の中では最上位の等級には違いないね。」
「やっぱり!さっきはごめんなさい!!おねがいです、おれのいらい、うけてもらえませんか!?」
縋るような瞳で必死にそう訴えた男の子に、なにか事情がありそうだなと思った俺だった。
次回、仕上がり次第アップします。