164 ヘレネクトベント ④
ユラナスの塔に戻ったルーファスは、そこで慌てた様子のプロートンから、意外な話を聞きます。ヴァシュロンの結晶体の横に新たに現れたと言うそれは、ルーファスが良く知る人物の姿をしていて…?
【 第百六十六話 ヘレネクトベント ④ 】
「ヴァシュロンの姿をしたエーテル結晶…」
戸惑い気味の表情でクリスは首を傾げる。
ツァウバー・リーニュでユラナスの塔側の停留所に戻ると、俺はその場でクリスに、あの彫像のようなヴァシュロンのことを先に話しておくことにした。
事前にサイードに聞いたところ、俺達がヴァシュロンの神力を削るために、これからエーテル結晶を破壊しようとしていることや、そのエーテル結晶の前にヴァシュロンの姿をしたそれがあることは話していないと言っていたからだ。
ただでさえこの状況にショックを受けたばかりなのに、知らずに結晶体を見たならば、クリスはまた動揺してしまうだろう。この後地上で本当のヴァシュロンに対峙する可能性を考え、少しでもその負担を軽くしてあげたかった。
「それがボクを待ってる…?」
「ああ、そうなんだ。俺達がここに着いてエーテル結晶に触れた時、俺達の頭にヴァシュロンの記憶が流れ込んで来たんだ。そのことから思うに、あのエーテル結晶は地上にいるヴァシュロンの精神と繋がっているんだろう。もしかしたらこの後俺達がエーテル結晶を壊すだろうことに気付いて、クリスになにか言いたいことがあって現れたのかもしれない。俺達はそう思ってエーテル結晶を壊す前に、クリスを迎えに行ったんだよ。」
「そうなの…ヴァシュロン…ボクに会いに来てくれるって言ってたから、そのことを気にしてるのかな?ボクの方こそ…長い間守ってくれてありがとうって直接言いたかった。また会えると思ってたから、碌にお別れも言ってないんだ。こんなことになるんなら、あの時ちゃんとお礼を言えば良かったなぁ。」
ヴァシュロンと別れた時のことを思い浮かべたのか、クリスはまた目に涙を滲ませる。それを見てすぐに、ウェンリーがクリスの慰め役を買って出てくれた。
「――話は終わったようですね。ルーファス、後ではやり取りをしている間がなくなりそうなので、今ここであなたにこれを渡しておきます。」
後ろで俺とクリスの話が終わるのを待っていたサイードが、唐突にそんなことを言い出して、何処からともなく一振りの中剣を取り出すと俺に差し出した。
「これは…」
手渡されるままに受け取ってそれを鞘から引き抜くと、薄らと青白い光を両刃の刀身に放つ、柄にやけに立派な装飾が施された見たことのない剣だった。
――値が付けられそうにないほどの一品だな…刀身に創世文字が刻まれている…?見ただけでわかる、なんて凄い剣だ。これほどのものは初めて見たぞ…!
「サイード、この中剣は…?」
胸を躍らせつつ剣を掲げながら尋ねると、サイードは俺の心を見透かしたかのように、にこにこしながら説明してくれる。
「『輝ける剣』という意味の名を持つ、『クラウ・ソラス』です。属性はありませんが、これは不死族や霊体、魔族などに特効のある、インフィニティアでも唯一無二の聖剣なのですよ。あなたの精霊剣シュテルクストは、世界樹アミナメアディスを蘇らせるために大精霊となって消えてしまったでしょう?あなたに釣り合う得物をと方々を旅して私が入手したものです。その銀製の剣では戦闘能力に見合っていませんし、今後必ずあなたの役に立ちますから使って下さい。」
「こんな立派な剣を俺に…ありがとう、サイード!!」
普段ならこんな高価な物は貰えないと遠慮する俺だったが、この時は素直に〝嬉しい〟という喜びの方が勝ってしまい、そんな言葉は出て来なかった。
これから地上に出た後多くの戦闘がある可能性を考えて、装備している予備のシルバーソードでは心許ないなと困っていたところに、なによりもサイードが俺のことを考えて、これほどの剣を見つけてきてくれたことが嬉しかった。
クラウ・ソラスは中剣なのに、シュテルクストほどではないにせよ、見た目よりも遥かに軽い。試しに刀身に魔力を流してみると、まるで俺用に誂えたかのようにすんなりと馴染んで行く。とても相性がいいみたいだ。
俺は早速シルバーソードを無限収納にしまって武器ホルダーを調整すると、盗まれたり失ったりしないように占有魔法をかけてからクラウ・ソラスを装備した。
「嬉しいな、大切にするよ。」
「喜んでくれて良かったわ。」
サイードはそう言って俺に微笑んでくれる。
それから俺達は四人で停留所を出て、エーテル結晶がある部屋に向かった。行きと同じように通路を通ってそこに入ると、俺に気づいたプロートンが慌てた様子で走ってくる。
…?なにかあったのかな。
「ルーファス様!良かったお戻りでしたか、共鳴石でご連絡しようかと思っていたところでした…!!」
「どうした?」
俺の背後でクリスがウェンリーに問いかけている。
「…あの人達、誰?」
「ん?ああ、えっとな…」
その説明は任せて、俺はプロートンに事情を聞きながら、彼女についてエーテル結晶の前に急いだ。
「つい二分ほど前のことなのですが、エーテル結晶からオーサ殿と同じような別の結晶体が新たに現れました。」
「なんだって!?」
「外見はオーサ殿ではなく、見知らぬ全く別人のものです。私達に攻撃をしてくるわけでもなく、オーサ殿の結晶体の隣に並び立つとそのまま動かなくなりました。ルーファス様見てください、あれがそうです…!」
ここからではヴァシュロンの影になってよく見えなかったが、確かに同じようなエーテル結晶の人型が隣に並んでいるようだ。
――エーテル結晶がヴァシュロンの精神と繋がっていて、なにかクリスに言いたいことがあるから現れたんだと思っていたのに…まさか増えるとは思わなかったな。…どうなっているんだ?
結晶体の前には腕組みをして考え込んでいる様子のデウテロンと、退屈そうにしゃがんで地面に魔法で落書きをしているテルツォが待っていた。
「おっ、ルーファ様こっちだ。」
「…お帰りなさい。」
デウテロンが手を上げて、テルツォが汚れを払いながら、ちゃんと落書きを消した後で立ち上がる。
「ああ、今戻ったよ。もう一つ結晶体が現れたって?」
「こいつがそうだ。」
デウテロンの指差したそれを正面から見て、思わず俺は息を呑んだ。
ヴァシュロンよりも小さく、俺とウェンリーの間ぐらいの身長に、肩までの髪上部だけを後ろに結んでいる。童顔で優しげな目元に、鼻筋の通ったキリッとした口は固く結ばれていてどこか寂しそうだった。
――その青年の顔を、俺は良く知っていた。リヴグストを『神魂の宝珠』から解放した時に、はっきりと思い出した懐かしい顔だったからだ。
「ルーファス、もう一つ結晶体が出たって?…誰だ、こいつ。」
俺の周りにウェンリーやサイード、クリス達も集まって来る。俺は愕然として絞り出すように小さな声で呟いた。
「ユリアンだ…どうしてなんだ、どうしてこんなところに、ユリアンの姿が…?」
「ユリアン?……って、まさか『ユリアン・ロックウッド』!?」
もちろんウェンリーは面識などないが、シルヴァンから詳しい話を聞いており、一通り守護七聖<セプテム・ガーディアン>全員の種族や年令、名前などを覚えている。だからこそ俺の呟きにすぐに反応したのだ。
そう大きな声を上げた直後に、ウェンリーは俺の腕を引っ張ってみんなから急ぎ離れた。
サイードやプロートン達は俺が守護七聖主であることも、カオスや暗黒神を倒すために神魂の宝珠と守護七聖を探していることも知らない。
シルヴァン達に相談もせず勝手に話すわけにも行かず、俺が普通の人間ではないことに彼らが気づいていたとしても、なにか言うつもりはまだなかった。
「ちょっ…ルーファス、それって守護七聖<セプテム・ガーディアン>だよな…?確か『地の神魂の宝珠』に封印されてるんじゃなかったっけ?…間違いないのかよ…!」
俺がなにも打ち明けていないことを知っているウェンリーは、プロートンやサイード達に聞こえないよう、後ろを気にしながら小声で聞く。
「俺がユリアンの顔を間違えるわけがないだろう…!ヴァシュロンの結晶の横に並んで後から現れたのは、彼と瓜二つの別人でない限り、間違いなく守護七聖のユリアンだ…!!」
俺はなにがなんだかさっぱりわけがわからなかった。だってそうだろう?ここはフェリューテラじゃなくインフィニティアの…それも旧オルファラン、今では『ヘレネクトベント』と呼ばれている場所なんだ。
こんなところに地の神魂の宝珠があるはずはないし、況してやフェリューテラの人族だったユリアンの本体と生命維持装置がインフィニティアに隠されているとは到底考えられなかった。
それなのになぜエーテル結晶がユリアンの姿を取って俺の前に現れたのか、全く見当も付かなかったのだ。
「ねえサイード様、ボク、ヴァシュロンのこれに触ってもいい?触れると記憶が見られるんでしょ?」
「あ…ええ、そうですね。ヴァシュロンがなにを言いたかったのか…あなたが触れればなにかわかるかもしれません。」
俺が混乱して狼狽えている内に、クリスはサイードに話しかけてヴァシュロンの姿をしたエーテル結晶に触れていた。
「――そうか…ユリアンの姿をしたエーテル結晶がなぜ現れたのか、俺もユリアンに触れてみればわかるかもしれない…!」
クリスを見てそのことに思い至った俺は、ウェンリーをその場に置いて急いでユリアンの姿をしたエーテル結晶の前に行くと、心を落ち着かせるために深呼吸をしてから手を伸ばした。
「ルーファス?」
サイードの俺を呼ぶその声が聞こえた直後、俺の中にそれは流れ込んで来た。
霞のかかった白い靄の中に、他人の目で見るような景色が浮かぶ。
どこか見知らぬ雪深い小島に、崩れかけた神殿様式の遺跡の入口が見えた。瓦礫に塞がれたその入口から階段を降りて行くと、いくつかの小部屋があって、細い通路の奥には破壊された守護七聖主の紋章扉が見えた。俺とキーメダリオンがなければ、決して開かないはずのあの扉だ。それが拉げて壊されていたのだ。
さらにその奥に進んで行くと、床一面に粉々に砕かれた石像の破片が転がっていた。そこにはシルヴァンやリヴが眠っていた生命維持装置などはなく、その手前には大きな板状の台座があって、ぽっかりと空いた六角形の窪みがあるだけだった。
ここの紋章扉の奥は、生命維持装置がないのか…。だけどあの窪み…あの窪みは…そうか、思い出したぞ、神魂の宝珠が入った聖櫃が嵌められていた窪みだ。
あの台座には本来、聖櫃が嵌め込まれていたはずなんだ。神魂の宝珠が仕舞われていた、櫃はどこだ!?
ユリアンの魂が封じられた『地の神魂の宝珠』はどこに――!!
そこでその記憶は途切れた。
――俺がそれを読み取ると、役目が終わったと言うことなのか、ユリアンの姿をしたエーテル結晶は、すぐにパキンパキンと罅割れてやがてその場で砕け散ってしまった。
砕けたエーテル結晶は硝子の破片がぶつかるような、シャラシャラという音を立てて俺の足元に欠片の小山となって積み上がる。
その時俺の隣では、同じようにしてクリスに思いを伝えたらしきヴァシュロンのそれが、砕けて欠片の小山となっていた。
クリスはサイードに抱きしめられながら、わんわん声を上げて泣いている。
「ルーファス、どうだった?なにかわかったか?」
俺の意図を察していたらしいウェンリーが、心配そうに尋ねて来る。気になるのは当たり前だ。今の俺達にとって神魂の宝珠と守護七聖は最も重要な旅の目的であり、俺は自分の記憶と仲間を探すためにヴァハを出たと言ってもいい位だ。
「ああ…ちょっと頭を整理するから時間をくれ。」
「わかった、サイードとプロートン達に一人にしとくよう言って来るわ。」
俺に考える時間をくれ、ウェンリーはサイードとプロートン達の元へ話をしに行った。俺はそこから離れてエーテル結晶の台座に腰を下ろすと、これまでに得た情報から、なぜこの場にユリアンの姿をした結晶体が現れたのか理由を探した。
――神魂の宝珠は全てフェリューテラにあるものと思っていた、俺の考えが間違っていたのか…?あの雪深い小島はどこの風景なんだろう。…多分フェリューテラだと思うんだけど…それならなぜ、ここにユリアンの姿が?
短いその誰かの記憶らしき情報がなにを伝えたかったのか、必死に考える。
そして俺は、最終的に思い至った。どういうわけかわからないが、今、このヘレネクトベントに、地の神魂の宝珠があるのだと言うことに。
そうしてそれが、ヴァシュロンと繋がっていると思われる、エーテル結晶を通じて俺にその存在を知らせてきた。つまり神魂の宝珠は…
俺は立ち上がってサイードの元に行き、彼女にあることについて相談することにした。
「――サイード、頼みがあるんだ。」
「ルーファス…構いませんが、どうしました?」
「フェリューテラから俺の仲間を二人、ここに召喚したいんだ。俺は時空転移魔法が使えないから、手を貸してくれないか?」
*
エヴァンニュ王国の王都、下町と中級住宅地の間にある路地裏の一角で、知る人ぞ知る、稀代の占い師『ラーミア・ディオラシス』は、薄汚れたローブに身を包み、人目に付かないようにしてひっそりと今日も人の行く末を占う。
よくよく探さなければ見つからないようなその場所に、老婆が小机を置いてわざわざ気配を断っているのは、真に老婆の占いを必要としている『運命の岐路』に立つ者にこそ、ここに辿り着いて欲しいと願っているためだ。
この姿で占いを始めてから、もうどの位経つだろう。そんなことを思いつつ老婆が覗き込む虹色の水晶玉には、黒い靄に包まれるフェリューテラの姿が見えている。
それを薄紫色の瞳で眺めながら、老婆は間もなくここに来るはずのある人物を待っていた。
「占い師のおばあちゃん、こんにちは!」
その明るい声に、ラーミアは口角を上げる。待ち人が来たのだ。フードを深く被ったまま顔を上げると、そこには先日ある助言をした若い赤毛の女性が立っていた。
「この前頂いた魔法石のおかげでやっと彼に会えたの。どうしてもお礼を言いたくて…本当にありがとう。」
「そうかい、役に立って良かったさね…おまえさんが来るのを待っておったよ。さあ、そこにお座り。」
ラーミアは向かいに置いてあった商売道具の丸椅子に座るよう、女性を促した。
「私はリーマ・テレノアと言います。名乗るのが遅くなってしまってごめんなさい。」
「おや、名を教えてくれるのかい?わしのような胡散臭い者に、名前を告げるのは嫌がるもんだけどねえ。」
「いいえ胡散臭くなんかないわ、おばあちゃんはわざとそんな格好をしているのでしょう?どうぞ私のことはリーマと呼んでね。」
「そうかいそうかい、それじゃあそう呼ばせて貰うかねえ…リーマよ、早速じゃが今朝わしが見たおまえさんの知りたいことを教えよう。」
ラーミアは目を細めてリーマに再び助言を与える。
そのリーマとラーミアを、物陰に隠れて見ている女がいた。鮮やかなワイン色の髪を持つ、派手な印象の美人…カレン・ビクスウェルトだ。
「――なによ…こんな時間に出るから、てっきりライ・ラムサスと会うのかと思ったのに、リーマったらあんなお婆さんになんの用なの?」
カレンは姿の見えなくなったライをいつも探しており、ほとぼりが冷めるまで大人しくしているだけで、まだ諦めたわけではなかった。
ただアフローネの女主人『ミセス・マム』が、自分にとっても母親のような存在であることもあり、リーマにちょっかいをかけていたことを咎められ、目立つような嫌がらせはやめていた。
その一方で、ライに近づくために身体を使って親しくなった王国軍人、『レフタル』の『クロムバーズ・キャンデル』には、時期が来たら連絡すると言われたきり、会うのを避けられている。
――やがて助言を聞いて十五分ほどが経つと、リーマはラーミアからまた「これを持ってお行き」と手紙と一緒にいくつかの魔法石を渡される。
「いいかい、リーマ。この先どうしようもなく困った時に、その手紙を読むんだよ。その時が来る前に封を開けて読もうとしても、文字は現れないからね。渡した魔法石も今はただの石ころだ。」
「この前の時と同じね。魔法石は高価なのに、どうして私にこんなに良くしてくれるの?」
ラーミアはリーマに優しく目を細める。
「わしが手助けをしておるのは、なにもおまえさんだけに限ったことじゃない。じゃがなにか理由があるとすれば、それはおまえさんに対するものではないが、わしなりの罪滅ぼしなのさ。」
「罪滅ぼし…?」
「ああ、そうさね。わしは過去に、とても大きな過ちを犯したことがある。それを償うため運命の岐路に立つ人々に、細やかな道を示しておるのじゃよ。」
「…良くわからないけれど、私はお言葉に甘えた方がいいのね?」
「そうじゃ、それがわしのためになる。おまえさんは素直な良い娘じゃのう。」
リーマはラーミアの好意を素直に受け取り、お礼を言って去って行く。ラーミアはそれを見送ると、次の客が来るのを待った。それは、もう目の前まで来ている。
「ねえ、お婆さんは占い師よね。お代を払えば私のことも占ってくれる?」
先程まで物陰に隠れてこちらの様子を窺っていた、派手な見てくれの小娘だ。ラーミアはリーマに対するものとは異なる、少し不気味な笑みを浮かべて答えた。
「――構わんが…おぬしはなにを言っても、わしの助言なぞ聞かぬじゃろう。暴言を吐いて金を叩き付けておるのが見えるんじゃが。」
「な…そんなの、まだわからないじゃない!」
「そうかのう…ならお代はいらんから、一つ助言をしてやろう。今おぬしの心を占めておる執着を棄て、相手の幸せを願うことじゃ。さすれば禍いは過ぎ去り、いつか本当の幸せを掴むことができるじゃろうて。」
「それって、私にライ・ラムサスを諦めろって言っているのよね?リーマからなにを聞いたの!?」
「ほらのう…誤った受け取り方をし、ありもしない憶測で物を言う。おぬしにわしの占いは必要ないんじゃ。これが、たとえ命に関わる助言であったとしてもの。」
カッとなったカレンは酷く腹を立てると、偽占い師だの詐欺師だのと罵り、始めに告げた言葉通りラーミアに代金の百G<グルータ>硬貨を投げつけて去って行った。
「――いらんと言ったのに金を置いて行くとは律儀じゃの。僅かな不安を無視せずに、わしの助言に少しでも耳を傾ければ命を落とさずに済むじゃろうが…あれでは恐らく無駄じゃな。…詮無いことよ。」
ラーミアは溜息を吐いて手元の水晶玉を撫でるのだった。
♢
エーテル結晶前の広い床に、サイードがミスリルの粉で召喚魔法陣を描いて行く。通常召喚ならこんな風にわざわざ魔法陣を用意する必要はないが、今回は彼女が俺の頼みを引き受けてくれて、俺とサイードで協力し異世界であるフェリューテラから特定の人物を喚び出す。
そのために、外側から界渡り用の呪文などをサイードが書き、残りの中心までの対象者を指定する部分を俺が書く。そして出来上がった召喚魔法陣に二人同時に魔力を流すことで、一つの召喚魔法を二人の力で発動することが可能になると言うわけだ。
現実に存在する特定の人間などを喚び出す際に気をつけなければならないのは、関係のない周囲の存在を巻き込むことだ。だがそれに関してはサイードが、予め魔法陣に対象者以外が忌避するよう、特定範囲に結界を施してくれるそうだから大丈夫だ。
因みに俺がこれから喚び出そうとしているのは、説明するまでもないと思うが守護七聖のシルヴァンとリヴの二人だ。
単にここから脱出し、ヴァシュロンを鎮めてクリスと一緒にフェリューテラに帰るだけなら、今ここにいるメンバーだけで十分だった。
だが俺の前にユリアンの結晶体が現れ、それによってこの件に『地の神魂の宝珠』が関わっていると判明した以上、シルヴァンとリヴに来て貰う必要があると判断した。
神魂の宝珠やそれがどこに関わっているのか、なぜフェリューテラから仲間を呼ぶ必要があるのかなど、一連の事情はウェンリーを含めサイード達に話していない。
今後確実に同行者になるクリスはともかく、俺との関係性が今一つ不透明なサイードと、俺から解放して生きて行くことになるプロートン達を、カオスとの戦いに巻き込むつもりはないからだ。
「――よし、これで召喚魔法陣は完成した。ウェンリーにクリスとプロートン達はできるだけ離れていてくれ。」
「うーす。」
「了解です。」
俺とサイードだけを魔法陣に残し、五人が離れたことを確認すると、サイードと顔を見合わせて召喚魔法の詠唱に入った。
『疾く開け、異なる世界の狭間を隔てる扉よ。時空の神たるダン・ダイラム・オルファランが娘、サイード・ギリアム・オルファランがここに命ず。』
『我、魂の絆にて結ばれし〝白〟と〝青〟に命ず。主たる我の召喚に応じ、異なる世界の狭間を隔てる扉を潜り、直ちに我が元に馳せ参じよ。』
『『来たれ彼の者ら、扉は開かれり、ここに招かん!!』』
俺達の詠唱が終わると召喚魔法陣全体が閃光を放ち、一瞬なにも見えなくなる。
そうしてその魔法光が消えると、召喚魔法陣の上には呆然とした二人の見慣れた姿があった。
「シルヴァン、リヴ!!」
「「ルーファス!?」」
なにが起きたのかわからない、という顔をしつつ、シルヴァンとリヴは同時に俺の名前を呼んだ。
「無事に召喚出来たようですね。事情を説明する時間が要るでしょう?私達はあちらで待っていますから。」
「ああ、ありがとうサイード。」
サイードと入れ替わるようにしてウェンリーが駆けて来る。
「シルヴァン、リヴ!なんか久しぶり!!」
「ウェンリー、そなたも無事であったか。」
「やれやれ…大概のことには驚かぬと思っておったが、相変わらず予の君は予らの想像もつかぬ事をして下さる。…推察するに、予らは召喚魔法でこの場にたった今喚び出されたのですな?」
「その通りだ。パスラ山の洞窟で別れた後、俺達は遥か昔のインフィニティアに飛ばされたんだ。色々あってなにがあったのか全てを話すには時間がかかるから、それは後にしてなぜおまえ達を俺がここに喚んだのか、そのことから説明する。」
シルヴァンとリヴを見て、俺はさすがは守護七聖だな、と思った。恐らくは突然足元に魔法陣が現れ、わけがわからないままここに来たんだろうに、彼らは俺の顔を見た瞬間、冷静さを取り戻していた。
「先ずここは、インフィニティアのヘレネクトベントと呼ばれる世界で、『ユラナスの塔』という施設の地下にいる。俺達がここに来た目的は、あそこにいる青い髪のクリスという女性を仲間に迎え、フェリューテラに連れて帰ることだった。」
俺は掻い摘まんでこの世界の地上が既に滅ぼされ、ケツアルコアトルという種族の長だったヴァシュロンが、正気を失っていることなどを話した。
「本来ならおまえ達を喚ばなくても問題なく帰れるはずだったんだが…事態が急変した。どうやらここにはユリアンが封印されている、地の神魂の宝珠があるらしいんだ。」
三人は相当驚いたらしく、ウェンリーでさえ声を失っていた。
「――神魂の宝珠がインフィニティアに…?」
「千年前の説明では、守護七聖は全てフェリューテラに封印されるという話であったが…?」
「ああ、確かに元々は雪深いどこかの小島にある、神殿のような遺跡の中に安置されていたみたいだ。それがどういうわけかインフィニティアに運ばれて…無限に魔力を湧き出す『魔泉箱』として扱われていた。」
「…ユリアンの神魂の宝珠は、我らと異なり生命維持装置を動かす必要がない。常に取り込んでいる魔力を自然放出するとは聞いておらぬが、主がそうだと感じるのであらば、間違いないであろう。」
「生命維持装置を動かす必要がないだって…?それはどういう意味なんだ、シルヴァン。」
「地の神魂の宝珠に直接触れればわかるはずだが…肝心な聖櫃はどこなのだ?ルーファス。」
「……さっき話した、ヴァシュロン・オーサの腹の中だ。」
「はあ!?」
俺と一緒にヴァシュロンの記憶を見ていたはずなのに、ウェンリーが最も大きな声を上げた。
シルヴァンとリヴはガックリと肩を落として溜息を吐く。
「――それで我らを喚んだのか…」
「つまり、そのケツアルコアトルという種族の者が正気を失ったのは、ルーファスの力そのものである神魂の宝珠を身に取り込んだせいか。…なぜそのようなことになったのかは知らぬが、相手を生かして取り出すのは容易ではないぞ…どうする。」
二人はその場で頭を抱え込んだ。
「とにかくそういうわけでおまえ達を召喚した。ここから先は地上に出て、ヴァシュロンに会ってみないと作戦の立てようもないだろう。」
「…うむ、そうだな。」
「ルーファス、一緒にいた彼らにまさか守護七聖主であることを――」
「いや、話していない。この先も俺達と来る予定なのは、今のところクリスだけなんだ。下手に事情を話して巻き込むわけにも行かないしな。」
一通り簡単な状況を説明し終わると、俺はウェンリーと一緒にシルヴァンとリヴを連れて、サイード達と合流した。
「話は済んだのですか?」
「ああ、全てじゃないけど簡単にな。…クリスは大丈夫か?」
「………」
酷く暗い顔をしていたクリスが気になって尋ねてみたが、俯いたままで返事がない。
「ヴァシュロンの結晶体に触れてなにを見たのか、私にも教えてくれないのです。暫くはそっとしておいた方が良いでしょう。」
「…そうか。それじゃ、この後のことだけど…エーテル結晶を破壊して地上に出てからのことを相談しよう。」
その後俺達は話し合い、ヴァシュロンに会ってから戦うかどうかは判断することにして、地上ではサイードと俺、シルヴァン、リヴの四人で主に戦闘を担い、デウテロンとテルツォは俺の指示に従って補助隊としての行動を、プロートンとウェンリーはクリスの護衛に付き、安全な場所で待機するように担当だけは決めた。
地上に出る前に、いよいよこのエーテル結晶を破壊することになった。俺の防護魔法を反転してエーテル結晶を丸ごと包み込むと、無属性魔法で攻撃し、重力魔法で内側に圧力をかけ粉砕する。
砕けたエーテル結晶の大小様々な破片は、防護魔法を解除する前に、俺の無限収納に全て仕舞い込む。こうすることで床に散らばらずに一度で片が付くからだ。
ユラナスの塔を動かしていたエーテル結晶がなくなると、地下は一瞬で真っ暗になった。全ての動力がなくなり、サイードの研究所へ向かうツァウバー・リーニュも昇降機も使えなくなって、トゥルム・ガードナーを動かしていた警備機構もこれで完全に停止した。地上に徘徊していた不死族以外の敵はいなくなり、ヴァシュロンの神力が弱まることで、少なくともあの数十本もの竜巻は消滅したことだろう。
非常灯のような小さな明かりだけが転々と灯り、俺達はそれを頼りに非常用の転移装置に辿り着くと、それを使用して全員で地下から脱出した。
――ユラナスの塔地下深部から地上に出ると、あれほど吹き荒れていた暴風が止み、砂嵐で見えなかった破壊されたユラナスの塔や、旧オルファランの景色が星明かり(正確には星ではないが、たとえとして)の下で如実にその姿を現していた。
草木の一本さえ残っていない、赤茶けた土と岩だけが転がる、かつては草原があった大地。俺達の背後には、無残に破壊されたユラナスの塔の瓦礫が転がっている。
警備機構が停止したことで、元はトゥルム・ガードナーであったあのブロックが、至る所にバラバラになって散らばっていた。
まだヴァシュロンの姿は見えず、予想外にも外は静かだ。
「ルーファス、スケルトン・ウォリアーだ。」
シルヴァンがカタカタと骨を鳴らしながら数十メートル先を歩くそれを見つけ、斧槍を手元に取り出した。相手はまだこちらに気づいていないようだ。
「不死族の処理はシルヴァンに任せる。最終的には出所を閉ざして殲滅するが、襲って来なければ今は放置しろ。…それより、ヴァシュロンはどこだ?」
俺の地図上には不死族のものと思われる、小さな赤い点滅信号が疎らにあるだけで、ヴァシュロンを示していたあの大きな赤い信号は消え失せていた。
「――ルーファス…あそこを見てください。あの地面に蹲っている巨大な塊は、もしやヴァシュロンではありませんか…?」
「え…」
星明かりに照らされた荒れた地上にある、俺が大きな岩だと思っていた塊を指して、サイードが言う。
「ヴァシュロン!!」
クリスにはすぐにそれがそうだとわかったんだろう。彼の名を叫んで手を伸ばし、すぐさま駆け寄ろうとした。
「駄目だってクリス!!」
そのクリスの腕を掴んでウェンリーが引き止める。俺達は歩みを止めず慎重に進んで行ったが、少しずつ近付くにつれ、その身体から黒い靄が立ち昇っていることに気づいた。
「なんだ、あの黒い煙…なあ、ルーファス…!」
「――…不死化している…」
ウェンリーの問いかけに、俺が言えたのはそれだけだった。
身体から立ち昇る黒い靄は、冥界に堕ちた不死族の中でも、特に強大な力を持つ存在が放つ瘴気だ。
それらはネクロマンサーやアンデッドマスター、スカルドラゴンのように不死族を冥界から召喚し、己の手足として使役する術を持っている。
プロートンもデウテロンも…三人ともこれを見たのに俺に言わなかったのは、気を使ってくれたんだな。だけどこんな再会になるなんて…本当に残念だ、ヴァシュロン…。…俺はそう、心に呟いた。
――全く予想しなかったわけじゃない。デウテロンから不死族がいると聞いた時点で、もしかしたら、と薄々感じていた。だけど…考えたくなかった。
不死族の出所は冥界の扉ではない。不死化したヴァシュロンが召喚したのだ。
「…対不死化有翼蛇竜ヴァシュロン、戦闘フィールド展開。」
俺は深い悲しみと強い胸の痛みを堪えながら、クラウ・ソラスを引き抜いた。サイードとシルヴァン、リヴが静かに倣い、俺と並んで各々得物を出して構える。
「ヴァシュロン…俺が今、あなたを永遠の苦しみから解放するよ。」
ゆっくり、ゆっくりと起き上がり始めた不死族となったヴァシュロンに、俺は唇を噛みながら右手で昇華魔法『ルス・レクイエム』を放つのだった。
次回、仕上がり次第アップします。