16 束の間の休日 ②
トゥレンに引き摺られて来た軍事棟のエントランスで、イーヴは銀髪の青年と擦れ違います。その瞬間、〝マスター〟という誰かの声が聞こえたようですが…?一方ルーファスはウェンリーの父親であるラーンと再会し、自宅へと招かれます。翌日、六年ぶりに国際商業市という名のお祭りがメインストリートで開かれるようですが…?
――そこかしこから木霊するざわめきと、笑い声…その場には歓談に夢中で、普段とは異なる顔を見せる軍兵達と、その家族らしき民間人達の姿が見える。
早ければもう眠りにつく者が出始める時間だというのに、今日のこの軍事棟のエントランスは、破顔する人々で一杯だ。
「おお、なんだ随分と混んでいるな!もしや今日は一日中ずっとこんな有様か?」
私はこの度ライ・ラムサス王宮近衛指揮官の部下として、その副指揮官の任につくことになった、エヴァンニュ王国の軍人『イーヴ・ウェルゼン』だ。
部屋にはこの休暇中に仕分けをして、今後ライ様に伸し掛かる膨大な量の仕事を円滑に行えるようにするため、詳細を頭に叩き込まねばならない書類が山と積まれている。
それなのに驚嘆の声を上げて前に立つ、この人好きのする幼馴染は、面会などに用のない私を無理に引っ張って来ておきながら、吹き抜けの階段上で出入り口を塞ぐように立ち止まり、暢気に周囲を見回している。
「おいトゥレン、こんなところで立ち止まるな。下へ降りるのならさっさと行け。」
そう言って大きな背中を握った拳の手の甲で、小突くように押しやった。
「ははっ、見てみろイーヴ、凄い人だぞ。」
上からでは混雑した人の頭しか見えないというのに、なにが楽しいのかトゥレンは、階下を指差してこちらを振り返ると、昔から少しも変わらぬ屈託のない笑顔を向けている。
「ああ、そうだな。おかげでおまえの家族を探すのが大変そうだ。人が多くてうるさい、挨拶だけしたら私はすぐに帰らせて貰うぞ。」
無理をしておまえに付き合ってやるのだと、わざと嫌味を交えて素っ気なく言い放つ。こうでも言わねば、後どのぐらい付き合わされるかわかったものではない。
ところがトゥレンは、ニヤリと含みのある笑みを浮かべて、「ふん、帰れるものなら帰ってみろ。」と言い返してきた。
先程から気になる物の言い方をする。ここ数年、トゥレンがこんな顔をすることは殆どなかった。
幼い頃は口げんかをして私に負ける度に、幼稚な仕返しを企んで驚かすと、してやったりとばかりに今のような表情を見せることはあったが…今日はなんだ?
なにかあるのかと不穏な気配を感じながら、大きくて広い壁のような背中の後に続いて歩いて行くと、階段を降りたところで「トゥレン!」とその名を呼ぶ女性の声がした。
見覚えのある貴婦人が、その喜びを表した笑顔で手を上げている。トゥレンの実母が亡くなった後、パスカム家に入った後妻のケティ夫人だった。
夫人はトゥレンの叔母(トゥレンの実母の妹)に当たる親類で、後妻と言っても彼と全く血の繋がりがないわけではない。
所謂早くに亡くなった母親の代わりに、幼い子供の面倒をみて家の手伝いをしている内に…というあれだ。
なので私自身も幼い頃から良く知っている相手であった。
目の前の家族に、心の底から嬉しそうな笑顔でトゥレンは駆け寄って行く。
――血の繋がりのある、本当の意味での『家族』。彼らを少し離れた後方から見ている今の私は…端からするとどんな顔をしているのだろう。
微笑んでいるように見えるのか、愁えているように見えるのか…他者に悟られまいと感情を表に出さぬようにしていたら、いつの間にか他人に “無表情” だと言われるようになった。
そんな私がトゥレンとその家族の姿を前にして感じているのは、決して誰にも打ち明けることの出来ない複雑な思いだ。
この胸の内は、たとえトゥレンであっても話せはしない。
私には他人に知られてはならない、ある『秘密』があるのだ。
私は一度視線を落とし、誰よりも私の感情の変化に敏感なトゥレンに、心の中を悟られまいと気を取り直すと、顔を上げた。
だがその時、この目に飛び込んで来たのは――
――ゆっくりとこちらに向かって歩いて来る、銀髪の青年の姿だった。
剣を装備している…?
最初にそのことに気づいた。普段ライ様の身辺警護に気を張っているせいか、自分の守備範囲に入る、軍人以外の人間が持つ武器には警戒してしまうのだ。
この軍事棟で武器の携帯を許されているとなると…随分若いが、まさか守護者か?それも高ランクの…
特になにか理由があったわけではない。明光石の光が反射して輝く、その銀髪が珍しかったのは確かだが、なぜ目が釘付けになったのかはわからない。だがその青年と擦れ違った瞬間――
――『マスター!!』
私の頭の中にはっきりと〝それ〟は聞こえたのだった。
直後、青年が顔を上げて振り返り、その青緑色の瞳と目が合った。そして理解する。今の呼びかけは、この銀髪の青年に対してのものであったのだ、と――
「イーヴ!」
「…ああ。」
トゥレンの手招きと呼び声に、イーヴは足を早めて先を急ぐ。擦れ違った銀髪の青年を一瞥しながらも、それ以上気に止めることもなく、いつものように、無表情で。
イーヴが自分に追いつき、斜め後ろに立ったことを確認すると、トゥレンは目の前の両親と下を向かないと見えない、年の離れた異母弟に改めて挨拶をする。
「お久しぶりです、お父さん、お母さん。マキュアスも元気そうだな!」
「お帰りなさい、トゥレン兄さん!」
トゥレンと同じ髪色、同じ黄緑色の瞳をした、まだあどけなさの残るマキュアス少年は、大好きな年の離れた兄にやっと会えたことを喜び、もうすぐ十三になるというのに、なんの抵抗もなくその両手を伸ばした。
トゥレンは実家に帰る度にそうして来たように、よっ、と掛け声を出して腰を屈め、少年を抱き上げる。
「おお、重くなったし、やっぱり背が伸びたなマック〜。」
〝マック〟というのはトゥレンだけがそう呼んでいる異母弟の愛称で、軽々と抱き上げられたマックは、両手をトゥレンの肩越しに後ろへ回してぎゅっと抱きつくと、愛おしそうに頬ずりをした。
そんな年の離れた異母弟が可愛くて仕方がない、と言うように、トゥレンは目尻を下げてその身体を片腕で支えると、癖の付いた栗色の猫っ毛をくしゃくしゃと豪快に撫でた。
その光景はさながら幸福な家族の絵姿を切り取った一場面のようで、互いを思い合う兄弟の姿は、誰が見てもきっと微笑まずにはいられないだろう。
それはイーヴも同様だった。
「――ふ…兄弟の対面と言うより、おまえ達はまるで親子だな。」
トゥレンのあまりにもデレデレな兄馬鹿ぶりを見て、イーヴはほんの少し口の端を上げて首を振る。
異母弟に対してでさえこの様子では、いずれ自分の子が出来た際は、どれほどの親馬鹿ぶりを発揮することか…そう呆れながらも、極僅かな羨望を含んだ生暖かい眼差しを向けている。
「イーヴも息災でなによりですね。」
「ケティ夫人もお変わりなく。お久しぶりです、ゼライン叔父さん。」
トゥレンと同じ黄緑色の瞳を向け穏やかに微笑む夫人に会釈をすると、イーヴはその横に並び立つトゥレンの父親と握手を交わした。
「トゥレンがいつも世話になっている。君も立派になったものだ、イーヴ。だがアルベインにいつまでも心配を掛けているのは少々頂けないぞ?」
そう言って息子と良く似た笑顔を浮かべるトゥレンの父親に、イーヴは思い当たる節がないのか首を捻った。
アルベインというのはイーヴの父親の名前だ。実家が隣同士のイーヴとトゥレンは、その両親も古くから仲の良い親友同士で、長年家族ぐるみの付き合いをしてきた。当然、トゥレンの父親であるゼラインにとって、親友の息子であるイーヴのことは実の息子同様にも思っているのだ。
「聞いてよトゥレン兄さん、今朝シャトル・バスが止まっちゃって大変だったんだよ!せっかく朝一番で来ようと思っていたのに、おかげでこんな時間になっちゃったんだ。」
一頻り触れ合いを堪能した後、トゥレンの足元に下ろされたマキュアスは、左右の拳を握って駆け足の構えをするように、それを上下に振っている。その仕草に可愛いなあ、と思いつつ、トゥレンは母親に尋ねた。
「それは知らなかったな…故障かなにかのトラブルですか?」
「運行中の車両が魔物の集団に襲われたそうなの。王都からメクレンへ向けて出発した便の乗客が全滅したのですって。」
乗客が全滅したと聞いて、イーヴとトゥレンの表情が険しくなる。
「午後になってようやく対応できる守護者が見つかったらしく、無事に全て討伐されたそうだけれど、なんでも『変異体』と呼ばれる凶悪な魔物の仕業だったとか…恐ろしいわね。」
「変異体、ですか…知っているか?イーヴ。」
聞き慣れない言葉にトゥレンは両手を胸元で組み、イーヴに視線を投げかけた。
たとえ自分がそれを知らなくても、博識なイーヴが知識として知っていれば、後で情報を共有することが出来るからだ。
「噂程度には。」と、すぐにイーヴは頷き返す。
「そうか…ミレトスラハの戦場にはまず魔物が紛れ込むことはないので、すっかりそういう情報には疎くなってしまったな。」
「ああ…あそこは相変わらずか。」
「はい。」
魔物とミレトスラハ――戦地の話が出て、ゼラインは納得したようにトゥレンに呟いた。トゥレンの父親はまだ五十五才と若いが、ある理由から退役した元軍人であり戦地のことも良く知っていた。
「やれやれ、兄さん達は暢気だなあ、僕だって変異体ぐらい知っているのに。」
「なにぃ?マックのくせに生意気な!」
両手を腰に当てて踏ん反り返り、ドヤ顔をしたマキュアスにトゥレンは大きな手をワキワキさせて擽り始める。
きゃははは、と笑い声を上げて身を捩るマキュアスに、釣られてその場にパスカム家の哄笑が響いた。
温かな一家の雰囲気に居心地の悪そうな顔をして、イーヴはそろそろ頃合いかとトゥレンの肩をトン、と手の甲で叩いた。
「…トゥレン、そろそろいいか?私は仕事が――」
「まあ待て、そう急くな。…お母さん?」
「そうね、もうそろそろお見えになられると思うのだけれど…」
トゥレンとケティ夫人はイーヴにわからない内容の言葉を発し、相槌を打っている。…と、そこへイーヴを呼ぶ可愛らしい女性の声が響いた。
「イーヴ兄さま!」
聞き覚えのあるその声にイーヴが顔を上げて振り返ると、その胸にイーヴと同じ髪色をした女性が飛び込んでくる。
ドンッ
「ア…アリアンナ…!?」
アリアンナと呼んだ女性に抱きつかれたイーヴの表情は、驚いていると言うよりも酷く動揺して強張って見える。
アリアンナは薄い蜂蜜のような透き通った瞳で見上げると、輝くような笑顔を向けてイーヴを責めた。
「酷いわ兄さま、戦地からお帰りになったのに、私達に連絡の一つもくださらないなんて…!!」
「そ、れは…」
落ち着いたら連絡をしようと思っていた。…そう言おうと思うのに、突然のことに言葉が出ない。
狼狽えるイーヴは続く声にさらに追い打ちを掛けられた。
「イーヴ。」
「お帰りなさい、イーヴ…!」
「ち…父上、母上…――」
――〝決して顔を合わせるのが嫌なわけではなく、今回は仕事が忙しいから見送るだけだ。〟
〝休日でもやることは沢山ある、また折を見て手紙でも書けば良いだろう。〟
これまでそんな言い訳を自分の中で繰り返し、家族との面会を何度も先送りにしている内に、イーヴは戦地に行っていた間の一年半どころか、もう三年近く両親と妹に会っていなかった。
お節介なトゥレンにしてやられた、とイーヴにしては珍しく、どう言い訳をしようかと頭を悩ませる。まさか勝手にウェルゼン家に連絡を取られ、家族を呼び出されるとは思ってもいなかったのだ。
低く穏やかな声と物静かな口調で〝近衛に昇進おめでとう〟と肩に手を伸ばす父と、その横で〝無事に戻ってくれて嬉しいわ〟と愛情の籠もった優しい眼差しを向ける母に、イーヴの戸惑いの色はさらに濃くなって行く。
「一緒に着いたのに遅かったのだな、アルベイン。」
「宿でアリアンナの支度が遅くてな。まったく年頃の娘というのは…そうそう、連絡をありがとうトゥレン。忙しいのはわかるが、イーヴはどうにも遠慮がちでな。君からの知らせがなければ、せっかく近衛に昇進したというのに、この晴れ姿も見られず、私達はまた暫く息子に会えないところだったよ。」
アルベインとゼライン、トゥレンの三人は親しげに握手を交わす。
「やはりそうでしたか。近頃のイーヴは俺にも平気で嘘を吐くので、そんなことではないかと思っていました。なにを話せば良いかわからないだの、暫く会っていないから気恥ずかしいだのと、まったく家族だというのになにを遠慮しているんですかね。」
あっはっは、と豪快に高笑いをする。
「――…。」
そんな彼らを前に、当のイーヴは唇をきゅっと結び、沈鬱な顔をして視線を他所へと向けていた。それは到底家族との再会を喜んでいるようには見えない。
「…兄さま?」
「イーヴ。」
ハッとしてその声に我に返るとイーヴは顔を上げる。
「元気そうで本当に安心しました。でも…少し痩せたのではない?きちんと食事は取れていますか?母に顔をよく見せてください。」
「母上…はい、大丈夫です。母上もお元気そうで…碌に手紙も出さず、すみませ――」
イーヴの母…ロザーナは、そっとその手を伸ばしてイーヴの頬に優しく触れる。…が、イーヴは瞬間、身体が萎縮してビクッと反応してしまうのだった。
ロザーナはそのことにすぐに気づくが、それでも愛おしげに向ける瞳と態度は何ら変わることはない。
「…偶には家に帰っていらっしゃい。あなたがいつでも休めるように、部屋はそのままにしてあるのです。私達はいつでも待っていますからね。」
「はい…ありがとうございます。」
自分のぎこちない態度にも関わらず、昔と変わらぬ優しい母に、イーヴは申し訳なさそうな顔をすると、やっとの思いで笑顔を見せる。
それは酷く無理をして作った、イーヴにとっては精一杯の、母に向けた親愛の情から来る誠意だった。
「…?」
――今、なにか聞こえたような…
俺はすぐに顔を上げてその声が聞こえた方向を振り返ったのだが、擦れ違い様に傍にいた男性と目が合っただけで、周囲の人間にこれと言って変わりはなかった。
これだけ大勢の人がいる中だ、頭に直接響いたような感じがしたけど、気のせいかな。…そう思い、ウェンリーが向かった受付に、ほど近い場所へ移動してから一息を吐く。
途中ちらほらと聞こえていた周囲の会話から、ここにいる殆どの軍人がミレトスラハから帰国したばかりの、アンドゥヴァリに乗っていた人間ばかりだと知った。
既に家族との面会を終えたのか、これからなのかはわからないが、すぐ近くに数人の軍人同士で固まっている集団からその会話が耳に飛び込んでくる。
「黒髪の鬼神が王宮近衛指揮官?ジルアイデン将軍の後任ってことか。」
「異例の昇進じゃないか。確かあの方は生粋のエヴァンニュ人じゃないだろう?他国の出身だと聞いたぞ。」
「ああ、でも今までの功績が認められたんだろう、国王陛下直々の辞令だって話だ。任命式は休暇明けになるそうだが…我らアンドゥヴァリの守護神もこれで見納めだな。」
彼らは長い溜息を吐いた後顔を上げて、俺がさっき擦れ違った、見慣れない制服を着た二人の男性に視線を注いでいる。
「それであのお二方の近衛服姿か…」
「鬼神の双壁も当然行ってしまうよな…残念だ。」
言葉通り余程残念なのか、ガックリと肩を落とす様子が見て取れ、二度、三度と漏れ出す大きな溜息がここまで聞こえてくるほどだった。
――『黒髪の鬼神』に『鬼神の双壁』…双壁というのはあそこにいる二人のことで、着ている衣装は近衛隊の制服だと言うことか。…道理で見かけないと思ったわけだ。
特に興味があったわけでもないのだが、その会話が聞こえて来た軍人達の視線から、俺はふとそんな風に推測した。
王国軍の中でも近衛隊は、基本王宮に在駐していて、有事がなければ外には出て来ないし、俺が王宮に来ることなんて滅多にないから、知らなくて当然だな。
それに黒髪の鬼神か…俺は見かけたこともないから顔を知らないけど、確かウェンリーと同じ年令で名前はライ・ラムサス…だったかな。
その若さで王国軍の最高位に当たる近衛指揮官に昇進するなんて、いったいどんな人物なんだろう。
ほんの少しの関心を持ったところで会うことがあるわけでもないし、今後も関わり合いになることなどないだろう。…この時の俺はそう思っていた。
「おーい、ルーファス!こっちこっち!!」
名前を呼ばれてその方向を見ると、ウェンリーはいつの間にか来ていたラーンさんと一緒にいて手を振っている。
俺が人込みを擦り抜けながら急いで駆け寄ると、ラーンさんはウェンリーと良く似た笑顔で迎えてくれた。
「やあルーファス、良く来たね。君も元気そうだ。」
「ご無沙汰しています、ラーンさん。俺まで招いて頂いて…ありがとうございます。」
「いや、こちらこそ君が一緒に来てくれて助かるよ。商業市でウェンリーに付きっ切りはさすがに骨が折れるからね。」
「あー…」
「え…そういうこと!?ひでえ、親父!!」
三人で思わず笑い声を上げる。
短い挨拶を交わした後、とりあえず部屋に行ってからゆっくり話そうと、ラーンさんの後について行く。
豪奢な変成岩を使って建てられた王宮と違って、無機質な印象を受ける灰色の通路を通り、居住棟へ向かうと、前から来た若い兵士達がラーンさんに敬礼をしてから通り過ぎて行った。
ラーンさんは軍務大佐だったよな。俺には階級とか良くわからないけど…軍人ってああして敬礼をしないと、通路で上官と擦れ違うことも出来ないのかな。…ちょっと面倒臭そうだ。そんなことを思いながら微苦笑する。
「それにしても、シャトル・バスが運休していると聞いていたから、もう今日は来られないだろうと思っていたよ。どうやら無事に復旧したようで良かった。」
「あはは、親父ィ、その問題を解決したのってこいつだから。」
「ウェ、ウェンリー…!」
笑いながら俺を指差して、なにがあったのか話そうとするウェンリーを、俺は慌てて止めようとした。
だがウェンリーは揶揄うようにニヤニヤしながら、〝なんだよ、照れなくったって良いじゃん。〟なんて言いながら調子に乗る。
「そうか、ルーファスが解決を…では魔物が原因の運休だったのだな。」
「うん、変異体って知ってるか?普通の魔物より遙かに大きくて強い、凶悪な奴。そいつがシャトル・バスを襲わせてたんだってさ。」
ウェンリーの説明にラーンさんの表情が険しくなる。
「王国軍にも情報だけは色々と入って来ているが…変異体という上位種の国内での襲撃例が増えているというのは事実か。」
「はあ?なにそれ…今さらかよ。やっぱ軍は遅れてんだな。俺でさえこの目でもう二度も見てるんだぜ?魔物駆除協会に任せっぱなしだから、ぶったるんでんじゃねえの?」
ウェンリーがそんな風に皮肉ると、ラーンさんは〝息子にそう言われると耳が痛いな〟と苦笑していた。
俺はその時なにも言わなかったが、ギルドでの情報を見るに変異体の出現頻度は凄い速さで高くなっている。しかもここ一、二週間のところでだ。
それはあまりにも驚異的な変化で、今に通常の魔物と入れ替わり、変異体が当たり前のように闊歩するのではないか、という懸念を抱くほどだった。
もしそうなれば、魔物と戦うのがハンターだけではもう、対処できなくなってしまうだろう。
民間人は自己防衛のために訓練する必要が出てくるし、軍も戦争どころではなくなり、国民と町や村を守るために動かなければならなくなるはずだ。
出来ることなら今の内から少しずつ体制を変えるべきだとさえ思っているが、こればかりは一守護者である俺がなにか言ったところで、どうにかなる問題ではなかった。
国内の魔物事情にも積極的に目を向けてくれるような人間が、王国軍の上層部にいてくれればいいんだけど…実際はもっと被害が増えて、国民から批判を受けるようになってからやっと重い腰を上げる、と言うところが関の山だろう。
――幾つかの検問所を通過し、昇降機で五階へ上がり、渡り廊下を通って居住棟に辿り着くと、同じような扉が並ぶ一室の前で立ち止まり、ラーンさんがその鍵を開いた。
「さあ、入りなさい。すぐに食事を頼もう。」
「あー、疲れた疲れた!」
扉が開くやいなや、ウェンリーはズカズカと部屋に入り、慣れた様子でリビングを抜けて隣室へ向かう。
父親の自宅なのだから当たり前だが、ウェンリーはここへは何度も来たことがあって、自分の家と変わりがないのだ。
「来いよルーファス、客室はこっちだから。」
俺はラーンさんにお邪魔します、と挨拶をしてからウェンリーの後を追う。手招きをするウェンリーについてその部屋に入ると、そこには客用の寝台が二つ用意されていた。
とりあえず無限収納から着替えを取り出してその上に置くと、横でウェンリーが「親父ー、俺ら埃まみれだから、先に風呂入るなー!」と無駄に語尾を伸ばした大声を出した。
直後広げたタオルを手に、よし行こうぜ、となぜかウェンリーは然も当たり前のように俺を風呂に誘ってくる。
温泉や共同風呂じゃあるまいし、と眉間に皺を寄せて一緒に入るつもりなのかと聞き返した俺に、男同士なんだし、広いから一緒に入ればいいじゃん、とウェンリーは言い放った。
男二人でむさ苦しいとは思ったが、ここはウェンリーの父親であるラーンさんの自宅なんだし、結局〝まあいいか〟と俺も着替えとタオルを持って浴室へ向かった。
浴室の壁に設置された駆動機器の作動ボタンを押すと、ザーッという音を立てて勢いよく天井から雨のようにお湯が降って来る。
先に浴室へ駆け込んだウェンリーが、それを頭から浴びて気持ち良さそうな〝ひゃ〜〟という享受の雄叫びを上げた。
俺はと言えば、あまりにも汚れた自分の姿を鏡で見て絶句する。
考えてみれば中継施設で爆発を起こし(黒い煤を浴びた)、ハネグモを退治して(緑色の体液を浴びた)変異体を倒した(強酸液と粘着液がちょっとついたし、地面をほぼほぼ滑りながら移動した)、そのままの格好でここまで来たのだ(こ…この酷い服でラインバスに乗ったのか…俺)と、我ながらさすがにこれには青くなった。
良く他の乗客から汚いと苦情を言われなかったよな。…ウェンリーが風呂を急かすわけだ。と、今着ている衣服を指で抓んで引っ張り見る。
今日の出来事に限らず、魔物との戦闘では体液を浴びたり、粘液を飛ばされたり、毒液を吐かれたり、地面を滑りながら移動したり、魔物の上に乗ったり、下をくぐったり…とにかく衣服がドロドロに汚れて破れたり、ボロボロになるのは日常茶飯事だ。
それは俺だけに限らず、誰しもが頭を悩ませる最早職業病で、精々無限収納に着替えを常に何枚か入れておくぐらいしか対策がない。
俺は溜息を吐きながら服を脱ぎ、〝俺の個人スキルに、洗濯してくれるものもあったら良かったのに〟と心から思った。
するとまた突然頭の中にあの画面が開いて、推奨スキル魔法が現れた。
「あ。」
――あるのか。
もしかしたら、とは少し思ったよ?なんと言っても戦利品の自動回収という、あんな便利な技能があるくらいだから、ってね。
ひょっとして俺が家事も碌に出来なかったのは、魔法でなにもかもやっていたせい…なんてことはないだろうな。
まあいいや、と思いつつ、ウェンリーが見ていないうちにこっそりとそれを使ってみる。すると脱いだばかりの衣服に小さな青色と緑色の魔法陣が一瞬だけ光り、あっという間にあの酷い汚れが消え去った。
感動だ。これで俺は洗濯からも解放された。きっと今の俺の瞳はキラキラと、三割増しぐらいで輝いていることだろう。
これというのもサイードが魔力回路を直してくれたおかげだな、と思わず〝サイードありがとう〟と感謝する。このスキル魔法も自動に設定しておいて、いつも衣服が清潔に保てるようにしておこう。
…と呑気にしていたら、後ろでウェンリーが「なにしてんだよ、早く入れって」と頭を石けんの泡だらけにしながら顔を出した。
わかってるよ、と返事をして俺が背中を向けた途端、ウェンリーが突然、驚いたような声を上げた。
「ルーファス!おまえ…なんだよ、それ…!?」
一瞬、魔法を使って洗濯したのがばれたのかと思ったが、ウェンリーの顔色を見てすぐに違うと気づいた。その上に、ウェンリーの視線はなぜか俺の身体に注がれている。
「え?」
「え?じゃねえよ、背中!!穴みたいな大痣になってんぞ!?」
「…背中?」
よく見ようと自分の裸体が映った鏡を見て、さらに俺は驚いた。
「――なんだ、これ…?」
ウェンリーは背中に、と言ったが、胸の正面…それもちょうど心臓の辺りに、楕円形の大きな『痣』がいつの間にか浮かび上がっていた。
「って胸にもあんのか!?今日の戦闘で変異体にやられたのかよ、それ…!!」
青ざめた顔をしてウェンリーは、泡を付けたまま俺の腕を引っ張った。
「いや…覚えがない。そもそも痛くも痒くもないし、おまえに言われるまでまったく気がついてもいなかったよ。」
「はあ?鈍いにもほどがあんだろ!!」
触れても痛みは感じない。内出血のように黒味を帯びた紫色の痣で、長さは十〜十二センチくらいだろうか?それ以上に、すぐにあることに気づいて、鏡越しに俺はその痣をじっと見つめた。
…おかしい。俺は怪我をして傷を負ってもすぐに治ってしまい、切り傷だろうが内出血だろうが、普段なら跡形もなく消えてしまうのだ。それに昨日風呂に入った時には、こんなものは浮き出ていなかった。
今日の戦闘で強く打ち付けた覚えはないし、第一…この痣の位置と形状はまるで――
「…まるで剣で貫かれた傷痕みたいだな。」
そう思わず口をついて、心の中の言葉が表に出てしまった。
すぐにハッとしてウェンリーを見たがもう遅い。なにか思い出したのか、そんな記憶があるのかと、猛烈に詰め寄られてしまった。
俺はそれを慌てて否定し、ただそんな風に思っただけだから、と伝えたが、結局この一言がウェンリーに、今後これからの余計な心配の種を植え付ける結果となってしまった。
――風呂から出ると、リビングのテーブルには軍施設内の給仕業者から届いた料理が並べられていた。パンに、前菜、肉料理に煮込み料理まで…立ち上る湯気からはいい匂いが漂っている。
「おおっ美味そう〜!!」
ぐうう〜と腹を鳴らしたウェンリーは大喜びで席に着く。
「食堂に行っても良かったが時間も遅いし、今夜はゆっくり家で食べよう。極上のワインも持って来て貰ったから、ウェンリー…」
ワインと聞いて透かさずウェンリーは肘から上の両腕を交差させて、首をブンブン横に振りながら拒否を示す大きなバツを作った。
「…はだめだったな、ルーファス、少し付き合ってくれるかな?」
「喜んで。」と代わりに俺が大きく頷いた。
男三人、食卓を囲み美味しい料理に舌鼓を打ちながら、ヴァハの話や近況報告などで会話が弾んで行く。
時折ウェンリーの頭をくしゃくしゃと撫でるラーンさんを見ながら、俺は父親ってみんなこんな感じなのかなと羨ましく思う。
俺に家族の記憶は未だ戻っていないが、両親や兄弟はいるのだろうか?…もしいるのであれば、やっぱり俺と同じように不老不死だったりするのかな、などとぼんやりしながら思いを馳せる。
そうでなければもう疾うにこの世にはおらず、俺が再び家族に会える日は永遠に来ないだろう。
酒が飲めないウェンリーの代わりに、ラーンさんの相手をしてワインを飲みながら、俺はかなり遅くまで温かい時間を過ごして今日一日を終えた。
そして翌日の朝――
早朝からドオン、ドオン、パパン、パーンと打ち上げ花火の大きな音が聞こえる。聞き慣れないその爆音に、うるさいな、と俺は、うつ伏せに寝ていた後頭部に枕を押し当てて耳を塞いだ。
そのままベッドの中でもう少しの間微睡もうとしているのに、ウェンリーがゆさゆさと激しく身体を揺すってきて、俺を起こそうと躍起になる。
「ルーファス!おいルーファスってばよ!!」
「うーん…ウェンリー頼むよ、もう少し…あと五分、寝かせてくれ…」
昨夜調子に乗って酒を飲み過ぎた俺は、珍しく寝起きが悪かった。
「親父に付き合ってあんな遅くまで酒飲むから起きれねえんだろ!?だめだって、今日は商業市の初日なんだから!!」
青筋を立てたウェンリーに、無情にも布団を捲り上げられ、枕も引き剥がされて取り上げられた。
…わかったよ、起きるよ。こういう時だけは早起きで元気なんだからな。
俺は大きく伸びをして寝台から出ると、横で早くしろと急かすウェンリーを尻目に、洗面所に行って顔を洗うことにしたのだった。
同じ頃、紅翼の宮殿三階にある部屋で、薄曇りの上空へと何度も打ち上げられる花火を、怪訝な顔で窓から見上げるライの姿があった。
「――花火…?」
今日は城下でなにかあるのか…そう思い、街の様子を見ようとしたが、ライの目に映るのは真下に見える手入れのされただだっ広い中庭と、視界を遮る背の高い、頑丈な城壁だけだった。
以前自室のあった軍事施設の居住棟では、部屋に閉じ籠もっていても街の様子が少しは見られたのに、と苦々しく思う。
あの日ライが〝あの男〟と呼ぶ国王に斬りかかってから、翌日の朝に使用人が掃除に入って以降、若い侍女が食事を運んで来る以外は、イーヴとトゥレンの二人も顔を見せていない。
おかげで落ち着きは取り戻したものの、なにもする気が起こらず、ライは一歩も部屋から出ていなかった。
そして今、薄灰色の空を昏く沈んだ瞳で見つめながらライは思う。
マイオス爺さんが、死んだ――
子供の頃からの俺と、レインを知る唯一の存在であり、俺にとっての家族だった。
どういう関係なのかは知らなかったが、俺を連れて旅をしていた時も、常に人を避けて行動していたレインが…マイオス爺さんにだけは心を許し、親しく付き合っていた。
ヘズルの爺さんの家に遊びに行くと、いつも俺が知らないレインの話を聞かせてくれたな。甘い物に目がなくて、楽しくてお茶目で、優しくて…大好きだった。
その爺さんが…もういなくなってしまった。四年前に別れたあの日のまま、とうとう一度も会えずに――
『行くなライ!行ってはならん!!騙されるな…!!!』
動かない足を引きずり、寝たきりになった寝台から落ちそうになってまで…俺を引き止めようとしていた。
『レインは必ず戻ってくる…!あいつがおまえを置いて死ぬはずがないのだ、だからわしの傍を離れるな…!!』
助け起こそうと駆け寄った俺の腕を、痛いほど強く掴んで必死にそう言っていた。それなのに俺は…
『国王が約束してくれた。俺がエヴァンニュに行けば、爺さんは治療を受けられるんだ。薬さえあれば、病気の進行を止められるんだぞ?俺は爺さんに長生きして欲しいんだよ。』
〝大丈夫だ、時々会いに戻ってくるから。〟…そう言ってその手を放した。
――俺の考えが甘かったことを知ったのは、この国に着いたその日のうちだった。
ツェツハへ俺を訪ねてきたイーヴと、その幼馴染だというトゥレンの二人を監視に付けられ…以降なに一つ自由にはさせて貰えなかったからだ。
こんなことになるのなら、実の父親だという言葉などに惑わされず、爺さんの言うことを聞いて傍にいれば良かった。そうすればたった一人で死なせることはなかったんだ…!!
後悔したところで…もう遅い。生きた爺さんに会える日は二度と来ない…。
それなら、とあの男に今までの恨みと憎しみをぶつけて、殺せないまでも一矢報いてやれば、少しは俺の気持ちもわかるだろうと思った。だが結局それすらも叶わない。
一国の王に剣で斬りかかったのだから、すぐに囚われて処刑されるだろうと思ったのに…あれきりなんの通告もないとは熟々救えないな。
イーヴとトゥレンが邪魔をしなければ、恐らく俺は本当にあの男を殺していただろう。そんな俺をなんの咎めもなしに放っておくとは…国王もあの二人も随分と甘い。
それならそれで、俺はもう好きなようにすればいい。マイオス爺さんがいなくなってしまったのなら、薬のために無理をしてまでこの国に留まる必要はなくなった。すぐにでも逃げ出すことは出来るが…
…逃げてどこへ行く?…どこへ行っても生きて行くことは可能だ。だが…生きては行けても、誰もいない。…腹立たしいことに、この国以外に俺には、待つ人どころか知る人さえいないのだ。
あの国が滅びた時に、俺は爺さん以外のすべてを失っているのだから。
「…は…、笑えるな。俺には本当になにもないし、誰もいないのか。」
堪えきれずに手を強く握りしめ、そのまま腕で俯いた顔を隠す。…どうしようもなく孤独だった。
コンコン
――その時、間が良いのか悪いのか、ライがいる寝室の扉を誰かが叩いた。
「おはようございます、ライ様。朝食の用意が整いました。」
それはライが食べようと食べまいとに関わらず、毎日決まった時間に三度、食事を運んで来る若い侍女の声だった。
その侍女は扉の外に立ち、シンと静まりかえった寝室から、今日も返事がないかもしれないと理解した上で、ライに呼びかけていた。
ライ様はもうずっと閉じ籠もられたままで、お食事を一切召し上がっていない。このままでは倒れてしまわれるのではないかしら、と彼女は心配している。
そこで今日は返事がなくても、もう少し声を掛け続けてみようと、心に決めてきたのだった。
「あの――」
もう一度扉を叩こうとその手を上げた時、予想に反して扉が開いた。
ガチャッ
「……。」
驚いた彼女の横を、無言でライが通り過ぎる。
そしてそのまま歩いて行き、既に食器が並べられていたテーブルの椅子に、カタン、と音を立てて腰を下ろしたのだった。
ハッと我に返った侍女は、慌てて給仕用の台車から料理をライの皿によそって行く。
「け…今朝のお飲み物はなにになさいますか?」
緊張して上手く言葉が話せない。この前と違って今のライは不気味なほどに静かで、それだけに体調や機嫌の善し悪しどころか、話しかけても良いのかすら判断がつきかねているのだ。
「オレンジジュースとコーヒー、紅茶の三種類がご用意できますが…」
それでもなんとか口を利いて貰おうと健気に話し掛けると、ようやくライが口を開いた。
「…紅茶がいい。…他は苦手なんだ。」
「は、はい、かしこまりました!」
≪ ライ様が始めて口を利いて下さった…!≫
ホッとしてすぐにティーポットからカップへと紅茶を注いだ彼女は、心からそう喜んでいた。
――その侍女を見て、ライは疑うように様子を窺う。この王宮の中に、自分の味方など一人もいないと思っているからだ。
素直そうに見えても、裏ではなにを考えているかわからない。そうと意識していなくとも、聞かれればなにも不思議に思わず、俺の様子を他者に報告する…体の良い監視役に違いはないだろう。
本当なら自分から話しかけるようなことをしたくはないが――
「…そう言えばまだ名前を聞いていなかったな。…いや、初日に言われたのかもしれないが、覚えていない。もう一度教えて貰えるか?」
「あ…はい、私はイーヴ様とトゥレン様のお言いつけで、先日からライ様のお世話をさせて頂くことになりました、アルマ・イリスと申します。」
アルマと名乗った侍女は、精一杯の笑顔を向けて教えられたように胸元に右手を当てながら挨拶をする。ここで使用人が胸に手を当てて名を名乗るのは、真心を込めて仕事をさせて頂きます、という意味を持っていた。
ただ残念なことに、身の回りの世話を使用人にさせたことなどなかったライは、その姿勢の意味など全くわかっていなかったのだが。
「先々週に紅翼の宮殿付き使用人として上がらせて頂いたばかりなので、至らない部分もあるかと思いますが、なんなりとご遠慮なくお申し付け下さい。」
そう言ってアルマは最後に、ぺこり、と大きくお辞儀をした。…が、その拍子に台車の持ち手に頭をぶつける。
ガシャンッ
きゃっ、と短く声を上げ、慌てて台車を押さえたアルマに、入れて貰った紅茶を飲もうとしてカップを口に運んでいたライの手が止まり、目が丸くなる。
「す、すみません…!!」
すぐに謝ったアルマの顔は、恥ずかしさで真っ赤になっており、そんなアルマを見てほんの少しだけライの表情から硬さが消えた。
「イーヴとトゥレンの言いつけと言ったな。あの男の指示ではないのか?」
「はい…?えっと…あの男とはどなたのことでしょうか?」
本当にわからないのか、アルマは首を傾げている。
「いや…わからないのならそれでいい。…ところで、朝から花火が上がっているようだが、今日は城下でなにかあるのか?」
勘繰られる前にそれ以上余計なことを言うのは止め、ライは知りたかった情報を求めてアルマに話しかける。
朝から何度も聞こえていた花火が、なんのために上がっているのか…それが知りたくてライは寝室から出て来たのだった。
もし城下で気晴らしになるようなことがあれば、今後どうするかを含め、自分の考えを纏めるために外の空気を吸いに行きたいと思っていたからだ。
アルマは少し驚いた顔をして答える。
「御存知ないのですか?今日から三日間、大通りで国際商業市が開催されるんですよ。」
「国際商業市…?」
興味を持ったライはすぐに聞き返す。
「はい。数年に一度、国境を越えて世界中から様々なものを持ち寄る、商人達のお祭りです。それはそれはたくさんの露店が並ぶのですよ。」
祭りと聞いてライは、懐かしい故郷での盛大な感謝祭を思い出す。考えてみればこの十年というもの、そう言った類いのものからは縁遠く、一切触れることも叶わなかった。
この国に来て以来、仕事以外で外に出ることは殆どなく、エヴァンニュという国を、俺は全くと言っていいほど知らない。今後のことはともかくとして、この機に城下を少し見て回ってみよう。
そう思い、ライはほんの少し元気を取り戻すと、アルマが用意してくれた食事を食べ進めるのだった。
差し替え投稿中です。※2023/03/13現在。