162 約束と再会と髪飾り
ルーファスとウェンリーはオルファランのユラナスの塔から、エーテルを使った時空転移魔法でサイードに1996年のフェリューテラに送って貰ったはずが、気付けばそこはまたインフィニティアでした。
サイードの時空転移魔法が失敗したのかと一瞬思ったルーファスでしたが、すぐに時間移動はしていたはずだと気付きます。そうして間もなく、そこに転移して来たサイードが姿を見せて…?
【 第百六十二話 約束と再会と髪飾り 】
「なんだよ、ここ…フェリューテラじゃねえぞ…どこだよ、サイード!!!」
――地面にぺたりと座り込み、星々が輝く夜空のような空に向かって、吠えるようにウェンリーがそう叫んだ。
落ち着いて周囲を見回すと、確かにここはフェリューテラじゃない。
頭上に広がるどこまでも続く宵闇の中に星のように見えるのは、さっきまでいた『インフィニティア』の無限界域に浮かぶ隔絶界だ。
――足元は白岩とは違うみたいだけど…向こうに見える土色の実がなった特徴的な植物は、ウェンリーが空腹でも不気味だからと警戒して食べなかった『アファルセック』の木だよな。…と言うことは…
つまり俺達は、まだインフィニティアにいると言うことだった。
「サイードの時空転移魔法が失敗した…?かなり長い間移動したように感じたのに、転移魔法が発動しただけだったのか…?」
不思議に思いながら俺はそんな独り言を呟く。
――その割には俺の身体にやけに負担がかかっていた。あの感覚は、確かに時間移動をしたに違いない。
もしそうなら、辿り着いた場所がインフィニティアだっただけで、時間軸は俺達が元いた1996年の可能性は高いんじゃないか…?
「やっと俺らの世界に帰れると思ったのに、どうなってんだよーっっ!!!」
不満を打ちまけるかのように、またウェンリーが叫んだ。
「落ち着け、ウェンリー。それより身体は大丈夫か?まさか立てないから座り込んでいるわけじゃないよな?」
口を尖らせて不満げに俺を見上げたウェンリーは、溜息を吐いてからすぐに立ち上がった。
「別になんともねえって。…ってか、ここってまだインフィニティアってか?俺が食うのを避けた果物のなった木が生えてら。」
「ああ、そうみたいだな。まあそれならそれでケツアルコアトルが飛んで来ても良さそうなんだけど…」
有翼蛇竜『ケツアルコアトル』は、クリスに出会った白色岩島群を含む『ファーゼスト・ナダ・カニエーツ』を守る番人だ。特にフェリューテラから来た人間のことは、無限界生物に襲われたりしないよう早目に保護していたようだった。
彼らは広域を探査する力を持っており、無限界域を守りながら回遊しているのなら、すぐに俺達の存在に気付くはずだ。
「そんでここにクリスの乗ったヴァシュロンが来たら、俺それこそ吠えんぞ!?」
「そう言うなよ…怒ったって仕方ないだろう。」
「違うっての!!俺はおまえがサイードに騙されたんじゃねえかって思って腹立ててんだよ!!」
「サイードが俺を騙す?そんなはずは――」
その時俺の背後から、転移魔法で誰かが移動してきた際に聞こえる、空間圧縮音が響いた。
シュンッ
「ルーファス、ウェンリー!!」
「「!」」
俺達の名を呼んだその声に後ろを振り返ると、そこには急いでここに転移して駆け付けた様子のサイードがいた。
「サイード!?」
青銀の長い髪を緩く編んで片側から垂らし、女性らしい動きやすそうな軽装に、ベージュに緑の刺繍が入ったフード付きのローブを着て、まるで冒険者のような恰好をしている。
以前のように変化魔法で姿を変えてはおらず、さっき別れた時よりも幾ばくかさらに落ち着いた印象だ。
彼女は少し小走りに俺達の元へ来ると、俺が口を開く前にすぐさま事情を話し始めた。
「すみませんルーファス、今のあなたとウェンリーは、ユラナスの塔で私が時空転移魔法を使った直後だと思います。実は急遽フェリューテラに帰るはずだったその行き先を捻じ曲げ、ここに辿り着くように仕向けたのは現在の私なのです。理由があって移動中のあなた達を無理やり召喚しました。」
「はあ?なんだそれ…!」
「時空転移魔法の効果中に召喚って…そんなことができたのか!?」
ウェンリーは断りもなく行き先を変えられたことに憤慨していたようだが、俺はサイードがとんでもないことを遣って退けたことに驚愕した。
だってそうだろう?時空転移魔法で移動中の俺達は、次元の狭間を光よりも速い速度で一方向に飛んでいる、微粒子のようなものなのだ。
言うなれば嵐の中を強風に煽られて舞い飛ぶ特定の塵を、それだけを選別して掴まえたのと同じことだ。そんなのは常識から考えても、まずあり得ない。
「もちろん条件が整わなければできませんよ?あなた達を送った施術者が私自身だったからこそ使えた裏技です。過去に遡って自分の魔力の行き先がどこなのかを割り出し、そこに干渉して真っ直ぐだった移動路にちょっと手を加えれば可能でした。かなり乱暴な方法ですけれどね。」
「いや…その前に普通はそんなことをしようとは誰も考えないから。」
参ったな…俺達が無事にフェリューテラへ辿り着いてから呼び出すんじゃ駄目だったのか?時魔法を使えない原因を割り出すためにプロートン達を生み出したことと言い、サイードはどこか非常識と言うか…俺の予想もつかないことをするんだな。
それに持っている魔法能力とその知識は、俺なんかより遥かに上みたいだ。学者頭っていうのか?研究と実践にのめり込むと一直線になりそうで怖い。
「おいサイード…その乱暴な方法って、成功する確率はどんぐらいだったんだよ。」
俺が驚愕したのとサイードの簡単な説明を聞いただけで、なにやら考えなくても良いことを考えてしまったらしいウェンリーが、さらに聞かなくても良いことを尋ねた。
サイードはにっこり微笑んでウェンリーに告げる。
「――そんなことをあなたは知りたいのですか?………どうしても知りたいのなら教えますが、世の中には知らない方が幸せなこともありますよ?」
「んなっ…」
知りたいのか、と言った後の間が怖い。即座にウェンリーが「じじ、じゃあやっぱ聞かねえっ!!」と青くなって返してくれて正直ホッとした。思うにその確率は、決して高くなかっただろうからだ。
「俺達がフェリューテラに着かなかった原因はわかったけれど、あなたがそんな手段を取ってまで行き先を変えたのはなぜなんだ?」
「それについては場所を変えて話しましょう。ここはあまり安全とは言えないので、私の自宅へ行きます。…本当は家の前に着くように指定したはずなのに、どうして座標がずれたのかしら。」
サイードが最後に女性らしい言葉遣いで、小さくサラッと恐ろしいことを呟いたので、俺は背筋がゾッとした。
――それからすぐ、俺達はサイードの転移魔法で、サイードが『自宅』と言った建物の建つ場所へと移動した。
俺とウェンリーはてっきり、あのオルファランにあった城のようなお屋敷に辿り着くんだとばかり思っていたのに、予想外にもそこはファーゼスト・ナダ・カニエーツ内にある、土の地面の浮島だったのだ。
「ここは…」
十キロ四方の大きな島に、あのお屋敷ほどではないが、部屋数は幾つぐらいあるんだろうと不意に思う、貴族の住む館のような建造物が広大な庭と共に、ででん、と鎮座していた。
こんなところに境界もなにもないと思うが、きちんと敷地を区別したかったのか、二メートルほどの高さの鉄柵を使った外壁にぐるりと囲まれている。
正面の庭にはオルファランの植物と、フェリューテラの植物が半々ぐらいに植えられた花壇や樹木があり、その傍には白いガーデンテーブルとガーデンチェアが置かれていて、玄関までのアプローチには石畳の小径が続いていた。
「敷地には強力な結界を施してあるので、無限界生物の他にも許可無く何人も入ることは出来なくしてあります。裏手には小規模の畑と井戸もあるのですよ。」
「井戸…もしかして、ここって…?」
井戸と聞いて俺は、クリスのあの家にあったそれを思い出した。
「――大分景色は変わってしまいましたが、あなたが想像している通りです。ここには遥か以前、クリスの家が建っていました。」
「やっぱりそうなのか…あの浮島を魔法でこんなに大きくしたのか?凄いな。」
「まあそうですね。とある方の力を借りて栄養の豊富な土壌を作成して貰い、元あったあの島を大きく広げていただいたのです。」
「へえ…そんなことも出来んのか。頼めばフェリューテラの海上とかに陸地なんかも作れそう。俺ら専用の島とかさ〜♪」
「いや勝手に作ったら駄目だろう。それにあの大きさの小島をここまでの規模に広げるだけでも、そう簡単にできるようなことじゃない。余程地属性魔法に長けていないと無理だな。」
「なんだ、残念。」
ウェンリーの魔法に対する夢と欲望は尽きないらしい。
結界の張られた門から敷地内に入り、サイードの後について歩いて行く。大きな両開きの玄関扉は施錠されておらず、サイードがそれを押し開いてくれると、促されるまま館の中に入った。
――そこでエントランスから見えた景色に、思わず俺は面食らう。
「なんじゃこりゃ!?狭っ!!!」
横で同じように驚いたらしいウェンリーが、俺達の住んでいたヴァハの家々を忘れたかのようにそんな感想を口に出す。
いや、村の民家に比べたら、全然狭くはないのだ。ただ外観からは全く想像も出来なかった、こぢんまりとした家屋内だっただけだ。
そのエントランスは、田舎にある邸宅を宿泊施設にしたような、宿の入口くらいの広さだ。正面に上階に続く階段があって、一階の左右に多分リビングや水回りなんかがあるんだろう。
まあ要するに、表から見たのとは予想外の内部だったわけだ。
「そんな声を上げられるほどではないでしょう。…最初は外観通りの建物でしたが、いくらなんでも私一人が住むには広すぎたので、必要範囲だけに魔法で整えたのです。」
「はあ?んじゃあなんで外観だけそのままなんだよ?こんなの変だって。」
「――見栄です。」
「…え?」
「考えてもみてください、元はオルファランのあの城に住んでいたのですよ?せめて見てくれだけでも豪華にしたいじゃありませんか。」
「ええと…冗談、だよな?」
思わず聞き返した俺に、サイードはただにこっと微笑んだだけだった。
――その後俺達はリビングに移動し、そこでウェンリーが豪快に腹を鳴らしたため、先にサイードが用意しておいてくれた食事をご馳走になると、一息吐いて落ち着いてから話に入った。
「ここまでのサイードの言葉を聞くに、俺達が今いるインフィニティアは、1996年のフェリューテラと同じくらいの時間軸なんだな。」
「そうですね…以前説明した通り、時間の概念が違うので全く同じではありませんが、それに近い辺りだと言っておきましょうか。ユラナスの塔で別れてから、フェリューテラの換算で言えば二千年ほどが経っています。」
「あー、そうなんだ!道理でサイードが老けたな〜と思ったぜ♪」
その瞬間、俺はギョッとした。
ウェンリー…選りにも選っておまえは、これから真剣に話をしようとしているこの時に、なんでそういうことを…もう少し言い方ってものがあるだろう?どうしてそう思った通りいつもそのまま口に出すんだ。
「――…なんですって?」
女性に対しての禁句を口にしたその無神経な台詞で、ピクリとサイードの顳顬に青筋が立った。
「ルーファス…ウェンリーにはいい加減、女性に対する礼儀と言うものを教えた方がいいですね。言って良いことと悪いことの区別もつかないのかしら。」
「ごめん、サイード…まだ子供だから許してやってくれないか。」
これは俺やサイードの生きている時間に対して、という意味で言った。サイードはインフィニティアの時間軸で恐らく二十代の後半ぐらいだが、フェリューテラのに当てはめると軽く二千年以上は生きていることになる。俺は言わずもがな、それに比べたらウェンリーはまだ赤ん坊も同然だ。
「どういう意味だよ!!」
「――仕方ありませんね…いいでしょう。ウェンリー?次にわたくしの年令や外見について、褒め言葉以外になにか言うようでしたら、女性に対する礼儀を学ぶまでの間、魔法で特定の言葉を発せられないようにしますからね。…わかりましたか?」
再度にっこり微笑んだサイードだったが、一人称が『わたし』ではなく、『わたくし』と言ったそこには、有無を言わせぬ迫力があった。それに気圧されたウェンリーは、さすがに良くないことを言ったと気付いてコクコク頷く。
「よろしい。――話を戻しますが…ルーファス、私があなた達をここに呼んだのは、約束を果たすためです。別れ際に約束したでしょう?クリスをあなた達の元に必ず送ると。ですが時空転移魔法で彼女を一人送るには、あなた達と違って未知の危険があり、事情を打ち明けて協力して貰うことになったヴァシュロンと話し合って、安全を第一にと考慮した結果、クリスには超低温状態で長期間眠って貰うことにしたのです。」
「超低温状態…それはもしかして人工的に冬眠させるようなものか?」
そう聞いて俺は、シルヴァンとリヴグストが眠っていた生命維持装置を思い浮かべた。あれの構造を俺は良く知らない(思い出せない)が、器の中にいたシルヴァン達の身体は長い間眠っていたからだ。
「いいえ、冬眠よりも遥かに低温環境です。魔法で時間を止める手段を使わずに当時のままの姿を保ち、肉体の老化や崩壊を完全に止めるため凍結状態にしたのです。」
「クリスを凍らせたのか…確かに生物は超低温で生命活動を著しく低下させ、仮死状態に近くなることで躯体を維持し、後に温めることで覚醒させることは可能だ。マイナス100度以下の世界でも、フェリューテラに現存する植物の種子が氷の下で生きているように、適切な温度管理をして環境を保つことが出来れば不可能なことじゃないものな。」
「なにそれ…普通そんな寒けりゃ死ぬだろ!凍ってんのに生きてるとか、あり得ねえ!!」
「もちろんそれには様々な準備と条件が必要だ。一見して途方もないことのように思えるけれど、フェリューテラには異界から来た人工因子『フィアフ』があるだろう?ここがその異界で、あんな技術がインフィニティアにはあるのなら、そんなに難しくないんじゃないかな。」
俺はエヴァンニュ王国の『アンドゥヴァリ』に使われているような未知の技術は、この世界に来てインフィニティアから齎されたものじゃないかと思っていた。
潜るだけで長距離を移動可能な無限界域の転移門といい、特定の場所に通じる幻影門やユラナスの塔も…あれは明らかに誰かが作った建造物だ。
つまり空中に浮かぶ巨大なものさえも作り出せるような高度技術が、インフィニティアにはあるということなのだ。
「――フェリューテラで広く『フィアフ』と呼ばれているものは、魔力を含む結石『魔石』ではなく、無限界では『神力』とも称される『エーテル』が結晶化したものなのですよ。」
「フィアフがエーテルの結晶!?」
「エーテルってユラナスの塔で見た、あの青い液体だろ?マジかよ…」
――でもそうだとしたら納得だ。クリスから俺が聞いた説明だと、神力は魔力の百分の一ほどの微力で通常威力の魔法が使えると言う。
その神力の元となるエネルギーが『エーテル』であるのなら、それを結晶化すれば、アンドゥヴァリのような巨大な物体をも浮かせられるほどの力を生み出すことは可能だろう。
『神力って言うのはね、インフィニティアに住む一部の種族だけが生まれつき使える特殊な力なんだって。』
そう言っていたクリスの言葉を思い出した。
…もしかしてインフィニティアの生物は、身体構成に魔力以外にもエーテルを持っているのか…?だからヴァシュロンは神力を使えた…そういうことなのかもしれない。
エーテルというのは相当な力なんだな。
「フィアフについてはまたの機会にして、話が逸れましたがクリスの現在の状態は今説明した通りなのです。」
「――ああ、つまりクリスが眠っている場所に行って凍結状態から解放し、俺達で目覚めさせなければならないんだな。」
「ええ、その通りなのですが…実はこのフェリューテラ時間で二千年ほどの間に、インフィニティアではとても大きな問題が起きて、その地に容易には近付けなくなってしまったのです。」
「なんだって…?…それでクリスが眠っているのはどこなんだ?」
そう尋ねた俺に、サイードは淀みなく返した。
「オルファランにあるお館様もその場所を知らない、私個人の研究施設です。」
「サイードの研究施設…プロートン達を生み出した場所か。」
「なんだ、オルファランなら楽勝じゃん。ヴァシュロンに乗せてって貰えば――…って、あっ!!…そっか、ヴァシュロンはもう…?」
「いいえ、ケツアルコアトルの寿命から言えば、まだ死を迎える年令ではありません。ですから彼もその娘のラナンキュラスも存命ですよ。…ただ、ヴァシュロンの場合は…あれで生きている、と言えるのならば…ですが。」
「え…――」
サイードが俺達から目を逸らし、悲しげな表情を浮かべた。
「無限界域を守護していた有翼蛇竜ケツアルコアトルの一族は、ある出来事が原因でラナ達を除いて全てが彼らの隔絶界に帰り、この世界から消え去ってしまいました。現在インフィニティアに残っているのは、ヴァシュロン・オーサただ一人です。」
「な…」
俺の横でガタン、と音を立て椅子から立ち上がり、血相を変えたウェンリーが尋ねる。
「ラナさんは!?存命だって言ったよな、ラナさんはどうしたんだよ!?」
無限界域の番人であるケツアルコアトルがいなくなった…?彼らの隔絶界に帰ったと言うことは、それを続ける理由がなくなったのか。
しかもヴァシュロンとラナは一緒に行かず、インフィニティアに残っているのはヴァシュロンだけ…もしかしてラナは――
俺はその時、ラナの行方について一つ思い当たる節があった。
――そう、フェリューテラだ。
フェリューテラの時間にして千年以上も前に、俺は多分どこかでラナと出会っている。もしかしたら俺のことを覚えていたラナの方から、その時俺を見かけて声をかけて来たのかもしれない。
それから親しくなって、ラナのことを思い出した時に見た、孤児院を建てるという話に繋がっていくのだろう。…思い出せたわけじゃないが、そんな気がした。
「ウェンリー…多分彼女はフェリューテラだ。きっとなにか理由があって、随分前にフェリューテラになんらかの方法で降り立ったんだ。――それで俺は昔、素性を隠し人間として生きるラナと知り合った。クリスの家でラナに会い、あの時俺は彼女に関する記憶の片鱗を思い出したんだよ。」
「は?なんだよそれ…んな話、聞いてねえぞ…!」
「話す暇なんてなかっただろう。――そうなんだろう?サイード。ラナはヴァシュロンを残してフェリューテラに行った。今も彼女はフェリューテラのどこかにいるのか…?」
サイードは少し不思議そうな顔をして微笑んだ。
「あなたがどうしてわかるのか不思議ですが…そうです、ラナンキュラスは現在、フェリューテラのアヴァリーザ民主国にいます。そこで人族として『ソル・エルピス』という名の孤児院を営みながら、身寄りのない子供達と一緒にひっそりと暮らしているのですよ。」
「――やっぱりそうなのか…」
――アヴァリーザ民主国…王制のない、国民が主体となって代表者を選び政治を行う民主主義国だ。その国が記憶の片鱗で見た、かつて俺とユリアンが孤児院を建てた場所なんだろうか…?
「なんでラナさんがフェリューテラに…」
「それは今度彼女と再会した時にでも、本人の口から聞くと良いでしょう。」
「うん、ラナの話はまた後だ。それよりヴァシュロンがあれで生きていると言えるのならば、とはどういう意味だ?ヴァシュロンになにかあったのか。」
「そのことはクリスが凍結状態で眠っていることと、深く関係があります。彼は動かせないクリスを守る為に、その場にあった身に過ぎた力を取り込んでしまい、正気を失っているのです。詳しくは実際にその目で見て貰うのが一番でしょう。ですが今日のところはここで一晩ゆっくり身体を休めて、明日早い時間に私の転移魔法でオルファランへ向かうことにしましょう。すっかり時間の感覚が狂っているでしょうが、二人ともユラナスの塔を攻略し疲れているはずですから。」
「疲れ――モガッ」
「うん、ありがとうサイード、是非そうさせて貰うよ。」
俺の横で、すぐさまサイードになにか言い返そうとした(多分疲れてるのは誰のせいだ、とかサイードのせいだろうとか言おうとしたんだと思う)ウェンリーの口を、慌てて後ろから回した左手と前から押さえた右手で塞ぐと、俺はサイードの提案を素直に受け入れ、好意に甘えて今夜はここで休ませて貰うことにした。
ウェンリーと交代で浴室を借り、汚れた衣服を魔法で綺麗にすると、俺は着替えてから無限収納を開き、そこからある物を取り出して、どこかにいるはずのサイードを探した。
俺の手には今、国際商業市で買った、金の花びら型の土台にサファイアの宝石がついた髪飾りがある。
あの時サイードが身に着けていたカチューシャと合わせて、青銀の髪に似合うものをと俺が選んだ贈り物だ。
――そう言えば今のサイードは、あのカチューシャを使っていないんだな。俺の前で変化魔法を解いた際に、この姿を見ても思い出せないかと聞かれたから、普段身に着けていることの多い服装なんだとばかり思っていたけれど…
今日再会したサイードは、どちらかと言えば活動的な印象だ。あの日見た彼女の姿は、俺が思わず見惚れるほど綺麗だったんだよな。
それになによりも、俺を見つめる金色の瞳がとても優しくて…なにも思い出せないのに、俺が彼女の言葉を信じるのには十分な理由になった。
「こんな安物の髪飾りじゃ迷惑かもしれないけど…俺の魔力回路を治してくれたお礼だし、受け取って貰えるといいな。」
そんなあまり感じたことのない仄かな感情と、サイードが喜んでくれるという小さな期待を胸に、俺はリビングやキッチン、サイードの部屋まで訪ねてみたが、中々その姿を見つけることが出来なかった。
――もしかして外かな?そう言えば花壇に、ソムニウムの花が植えられていたよな…オルファランにしか自生していないはずの花がこんなところに、と思ってちょっと驚いたんだ。
俺は風呂から出て来たウェンリーに廊下で鉢合わせると、サイードに用があるからと言って、先に彼女が用意してくれた客室で休むようにだけ伝えた。
そしてエントランスに向かうと、鍵のかけられていない両開きの扉から、様々な植物が植えられた前庭に出た。…思った通りだ。すぐに見つけられたサイードは、ソムニウムの花壇の前にある、白いガーデンチェアに腰かけて花を見ていた。
俺は足早にサイードの元へ行くと、後ろ手に髪飾りを隠しながら声をかけた。
「探したよ、サイード。…ソムニウムの花を見ていたんだな。」
「ルーファス。」
「もしかしてこの花が好きなのか?」
サイードは一瞬だけ目を見開き、そのままふっと少し寂しそうに微笑むと小さく頷いた。
「ソムニウムはオルファランにしか咲かない花を持つ、時属性の魔力を帯びた植物なのです。この花をここで咲かせることが出来るのも、ルーファス…あなたのおかげなのですよ。」
「…俺の?」
「ええ。あなたが私の封印を解き、魔力回路を治してくれたから…私の時魔法の魔力を土に与えてこの花を守ることが出来たのです。」
「花を、守る…?」
不思議に思って聞き返したが、サイードは目を伏せて暫く黙ると、次に顔を上げた時には話題を変えた。
「私を探したと言いましたね、なにかありましたか?」
「あ…いや、少し話をしたくて…それと、サイードに渡したいものがあるんだ。気に入ってくれると良いんだけど――」
俺はなぜだか胸をドキドキさせながら、後ろに隠していた髪飾りをサイードの前にさっと差し出した。
考えてみれば、俺の生涯で女性になにか自分から物を贈るのは、これが初めてかもしれない。
アテナに揃いのバングルを用意したことはあるが、あれは俺の魔力を含んだ魔石を取り替えられるようにする必要があって、作っただけだ。
でもこの髪飾りは違う。俺がサイードに喜んで貰いたくて買った物だった。
「まあ…綺麗な髪飾り。嬉しいわ…これを私にくれるの?」
サイードの話し方が女性らしい口調に変わり、ぱあっとその表情を明るくして嬉しそうに微笑んだ。
良かった、喜んでくれたみたいだ…ようやく渡せる。俺はホッとして照れながら頭を掻いた。
「うん…俺の魔力回路を治してくれてありがとう。サイードのおかげで俺は、自分に関して失っていた記憶も少しずつ取り戻せている。なにかそのお礼がしたくて…高価な物じゃないけれど、真珠が鏤められたあの紺色のカチューシャとも合うと思うんだ。受け取ってくれる?」
――俺は、サイードの直前の表情からしても、喜んで受け取ってくれると思っていた。
なんだかちょっとだけ恥ずかしくなって、サイードの顔を直視出来なくなっていたんだけれど、すぐに返事がなかったことからおかしいな、と思って顔を上げた。
すると――
「……ごめんなさい、ルーファス。そういうことなら、受け取れません。」
「え…?」
予想だにしない返事だった。
「どうしてだ?今嬉しいと言ってくれたのに…」
サイードは酷く戸惑った表情をして目を伏せている。
「――私ではないからです。」
「…?なにがだ?」
「…あなたの魔力回路を治したのは、私ではないからです。ですからそのお礼として、というのであれば…私がその髪飾りを受け取るわけには行きません。」
俺は、サイードがなにを言っているのか、一瞬わからなかった。
服装や雰囲気、俺に向けられる目や仕草など、確かにあの時のサイードと少し違うな、とは感じていた。
でも十七才だと言ったサイードならともかく、どうして今になっても自分じゃないとはっきり言えるんだろう?…わけがわからない。
「あれがサイードじゃないって…わけがわからないな。1996年のフェリューテラと近い時間なら、つい最近サイードがエヴァンニュ王国のメクレンを訪れていたことになる。ギリアムの姿をして守護者の振りをし、俺と一緒に緊急討伐依頼を受けて特殊変異体を倒したのも、自分じゃないって言うのか?」
「そうです。ルーファス…それも私ではありません。」
「え…」
――いったいどういうことなのかと、俺はサイードに聞き返した。はっきり自分ではないと言い切れるからには、その根拠があるはずだ。
「なぜなら、私がその場所を訪れた時には、既にあなたは魔法を使えるようになっていたからです。」
サイードが言うには、俺から聞いていた『魔力回路を治す日』が来るのを、過去を変えないように注意して、ずっとメクレンで兄ではない別の姿を取りつつ待っていたのだそうだ。
サイードが俺から聞いて知っていたのは、1996年だと言うことと、メクレンで発生した緊急討伐を受けた、と言うことだけだった。
やがてその時が来て、王都からのシャトルバスが魔物の集団に襲われ、緊急討伐の依頼が出たという騒ぎを聞き、俺とウェンリーの姿を探したが結局見つけられなかったという。
「直感でしたが、なにかに遮られているような…どうしても私はここで今、ルーファスを見つけられないのだ、という異様な感覚がありました。それからギルドで待っていると、シャトルバスの中継施設で特殊変異体が討伐されたという情報が入ってきました。私はすぐにその場所へ向かい、そこにいたあなたの姿を見つけましたが――」
そこには魔法で魔物の死骸を回収し、独り言を呟く俺がいた。当時の俺はまだ鈍く、すぐ傍に隠形魔法で姿を消したサイードがいたことにも気付かなかったが、サイードは俺の傍で俺の魔力回路が正常に治っているのを確認したと言うのだ。
「――そんな…」
そんなことが、あるのか?…じゃあ、俺の魔力回路を治してくれたあのサイードは…誰なんだ。俺はそう思い、混乱した。
「実はルーファスのことだけではないのです。私がラナンキュラスと再会したのは、ある日突然、私の元に助けを求める彼女からの連絡が届いたことが切っ掛けでした。」
それも、いつからそこにあったのかわからない、エーテル結晶を使った通信用の魔道具が自室の机の上にあり、それに触れた途端に入ったらしい。
「ラナンキュラスは酷く取り乱しており、ラ・カーナという国で孤児院の子供達が何人か酷い怪我を負ったと言っていました。中でも二人の男児は重傷で命こそは取り止めたものの、一人は盲目になり、もう一人は視力を失っただけでなく、鼓膜が破れたため耳も聞こえなくなってしまったと泣いて訴えるのです。」
「ラ・カーナ…?」
ここでその名前が出たことに驚いた。レインフォルスが俺にラ・カーナに行けと言うのと、なにか関係があるんだろうか。
「そこで私はその子供の治療をするために、今はフェリューテラのアヴァリーザ民主国にいるという、そこに行って彼女と再会したのですが…ラナンキュラスが言うのです。私は何度もラ・カーナにあった孤児院を訪れており、いつもなにか困ったことが起きた時には、助けて貰っていた、と。…でも私にそんな覚えはありません。ラナンキュラスと会ったのも、どれぐらいぶりだったか…そもそも私がフェリューテラに行ったのは、次元穴に飲み込まれた義弟を探しに行ったその時だけです。以降はオルファランに帰り、ずっとインフィニティアから出ていなかったのですから。」
サイードは額に手を当てて項垂れると、いったいどうなっているのか…私にはわかりません、と呟いた。
わからないのは俺も同じだ。まるでどこかにもう一人、別のサイードがいるみたいじゃないか。
――結局サイードに髪飾りは受け取って貰えなかった。
翌朝、サイードはまるでなにごともなかったかのように、俺に接してきた。
俺はこの件についてサイードに触れることは諦め、渡せなかった髪飾りは無限収納の貴重品に再び仕舞い込んだ。
色々と疑問に思うことはあるが、今はまずクリスを俺達のフェリューテラに連れ帰ることを優先しようと決めたのだ。
そのためにはクリスを守っているという、正気を失ったヴァシュロンにも会う必要があったのだが、その目で見るのが一番だとサイードが言っていたように、彼女の転移魔法で俺とウェンリーは、その場所へと連れて行って貰ったのだ。
――辿り着いたそこは、吹き荒ぶ嵐のような暴風が視界に入る広範囲に何十本もの竜巻を引き起こし、赤茶色の砂が地面から常に巻き上げられ、その世界全体が砂嵐の中に沈んでいるような場所だった。
空は暗く、辛うじて昼間だと言うことはわかるが、巻き上げられた砂が上層で塊となってぶつかり、多分雷を引き起こしているのだろう。雨が降ることはないが、無数に空を駆ける蛇竜のように、絶え間なく四方八方に稲妻を走らせていた。
俺の防護魔法<ディフェンド・ウォール>で自分達を守りながらでないと、とてもじゃないが目も開けていられない。いったいここはどこなんだ。
「おいサイード、オルファランに行くんじゃなかったのかよ!!」
砂嵐のような真っ茶色の世界を、障壁越しに睨みながらウェンリーが言った。
そうだ、俺達はクリスとヴァシュロンがいる、オルファランに来るはずだったんだ。そう思った次の瞬間、サイードはなにも映さない昏い瞳でその光景を見つめながら、信じられないことを口にした。
「――ですから、ここがそのオルファランです。かつて至上の楽園、とまで呼ばれた、あの美しかった世界の…これが現在の姿なのですよ。」
その言葉に、俺とウェンリーは愕然としたのだった。
眠気に勝てず、一日遅れての投稿です。(笑)次回、仕上がり次第アップします。