表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Eternity~銀髪の守護者ルーファス~  作者: カルダスレス
163/272

159 魔力暴走

ヒュールで大きな音を聞き、駆け付けたその現場には悲惨な光景がありました。それを見たシルヴァンとマリーウェザーは、それでも落ち着いて直ぐさま調査に入ります。そうしてそこに漂うあるエネルギーを感知したシルヴァンは、ここでなにが起きたのかこれまでの情報から推測がついたようです。その後その場は駆け付けた自警団に任せ、リヴグストと合流すべくギルドへ向かいましたが…?

          【 第百五十九話 魔力暴走 】



 なんと言うことだ。その悲惨な現場を見たシルヴァンは、思わず呟いた。


 道幅は三メートル弱、天井までの高さは三メートルほどの、建物と建物の間にある廊下のような細い通路で、それは起きた。

 被害者は、連れ女性の右側を通路左寄りに歩いていたのか、左壁には丁度一人分の空白を残して、赤い塗料をぶち撒けたばかりのような鮮血が滴っていた。


 事件の知らせを受けて駆け付けたヒュールの自警団員は、既に町長から話を聞いていたらしく、シルヴァンが守護者であることとパーティー名を告げると、簡単な挨拶だけをしてすぐ現場整理に当たってくれた。

 その自警団員によって、床にへたり込んでいた茫然自失状態の女性は、急ぎ診療所に運ばれて行く。

 シルヴァンはそれを横目で見送ると、人一人分の血液で真っ赤に染まった辺りを冷静に見回した。


 ――なにかこの場にだけ、濃度の高い魔力が漂っておるな…まさかこれは、被害者のものか…?


 噎せ返るような血の匂いに混じり、現場の空気に普段あまり感じることのない、ある種のエネルギーが漂っていた。


「シルヴァン、見て…遺体は悉く粉砕されているのに、着ていた衣服に損傷がないの。これは物理的な爆発では絶対にあり得ないことだわ。」


 血溜まりを調べていたマリーウェザーが指差した地面を見ると、そこにはまるで中身だけが抜け出たような、被害者の衣服と持ち物が残されていた。

 履いていた靴は歩幅に開いて置いてある。つまり被害者は、歩いている最中に突然爆死したのだ。

 それなのに衣服は破れ飛ぶどころか、そのままの形状を保ち、捨てられたかのように落ちている。ただどれも砂粒よりも少し大きい、小片が混じった液体で真っ赤に染まっていた。


「調査資料に衣服については記されていなかったな。『爆発』と聞けば普通、衣服や所持品も砕け散ると思いがちだが…死因に関わりが無いとされて省かれたか。」

「原因を知るにはかなり重要な手がかりだと思うけれど、魔物を駆除する組織と警察機構が分かれているのなら、そう言った判断もあり得るのかしら?わざと伏せたのでないのなら、はっきり言って怠慢よね。」


 マリーウェザーは憤慨したように腰に手を当てて呆れた。


「それもそうだが…もう一つマリー、そなたにはわかるか?既に薄まっているが、この場に魔力溜まりが出来ていたようだ。」

「魔力溜まり?…いえ、わからないわ、どういうこと?」

「ふむ…」


 ――魔力の扱いに長けたマリーウェザーでさえも感じられぬか。人族は自然界において当たり前にあるものを感知する力が弱い。況してやすぐに消えてしまうような小規模の魔力溜まりでは、一般の人間がこれに気付くのは難しいであろうな。


 シルヴァンは一人そんなことを考えて、なにかに納得をする。


「説明は後だ、ここは自警団に任せて先ずはリヴと合流するぞ。資料の見直しも兼ね、気付いたことを話し合った方が良かろう。」


 困惑気味に首を傾げる妻の問いには答えずそう言うと、シルヴァンは自警団に声をかけてから、リヴグストと待ち合わせをしている魔物駆除協会(ハンターズ・ギルド)へ向かうことにした。


 ヒュールのギルド支部は、中階層にあった役所と同じ階にある。いつもは街に到着したら真っ先に立ち寄り、パーティー『太陽の希望(ソル・エルピス)』として高難易度の討伐依頼をいくつか受けるのだが、今回は多方面に渡っての移動を要する依頼を引き受けているため、それは後回しだ。


「――随分と賑やかなのね…表から見るとそうでもなかったのに、中はこんなに広いなんて驚いたわ。」


 ギルドに入ると、地中に向かって奥に延びる、役所よりも広い内部を見て、マリーウェザーは吃驚する。

 ここは二階層を貫くようにして上下階がギルドになっており、他と同じように民間人用の一般窓口がある階とハンター専用階に分けられていた。


 専用階に続く、階段前のセキュリティゲートを通って二階に上がると、二人はすぐにそこにいるはずのリヴグストを捜した。

 彼は紺碧の髪に二メートル近い身長があり、かなり目立つ姿をしているため、多少人が多くても左程労せずに見つけられるはずだ。


「シルヴァン、あそこ。いたわ、リヴよ。……なあに、あれ?」


 目敏くリヴグストに気付いたマリーウェザーがその方向を指差すと、シルヴァンの目に、かつては良く見た光景が飛び込んでくる。

 リヴグストは二人が自分の姿を見つけ易いようにと、敢えて長椅子には座らず、鉢植えの観葉植物と並んで壁の置物のように立って待っていた。

 彼は腕を組んで壁に背を預けた態勢で、ただそこにいるだけなのだが、どこから集まったのか、二十代前半くらいまでの若い女性が四、五人、きゃいきゃい楽しそうに黄色い声を上げて取り囲んでいた。


「――我が一族の女性には見向きもされなかったが、人族の女子(おなご)は見目に引き寄せられるか…昔はアルティスと並んで二人、ああして良く囲まれていたものよ。」

「モテるって本当だったのね…身体から魅了の媚薬でも発しているのかしら?」


 真顔でそう言ったマリーウェザーに、シルヴァンは思わず苦笑する。


「リヴの好みは赤毛で純情可憐なタイプなのだ。美人でなくとも構わず、瞳が薄青ければ尚良い。」

「随分と好みの容姿が具体的なのね…それってなにか理由があるの?」

「まあそれは昔の我と似たような理由からだが、そなたと結ばれた我と異なり、あちらは完全に振られている。よって気になろうとも(つつ)いたりして古傷を抉るでないぞ。」

「そう…わかったわ、気をつける。」


 二人はそんな話をしながらリヴグストに近付いた。


「待っておったぞ、シル、奥方も…!」


 シルヴァン達に気付くと、リヴグストは縋るような瞳をしてこちらを見て、周囲にいた女性達に「待ち人が来たので失礼する!」と告げて、そそくさ逃げるように駆け寄ってきた。


「なんだ、我の助言を受けて、早速その気になったのではなかったのか?」


 シルヴァンは茶化すように、ニヤニヤと笑いながらリヴグストを揶揄った。


「予は武器を装備した強い女子(おなご)は遠慮したい!ああ見えて彼女らは、全てBランク級以上のハンターであるぞ、遊びで相手をするなぞ恐ろしゅうてできぬわ…!!」


 シルヴァンの背中を両手で押しやり、女性らに聞こえないよう急いでその場を離れると、リヴグストはそんなことを言って真顔で訴える。


「付き合うのなら予が命懸けて守りたくなるような、か弱い普通の女子(おなご)が良い。武器を持った彼女らを見て、すっかり記憶から消え去っていた、あのヴァルキリー(※とある国の女騎士を表す総称)を思い出したわ。」

「ほう…そう言えばそのようなこともあったな。リヴに惚れ込んだあまり、ほぼストーカーと化したあの女騎士…名をなんと言ったか?」

「『スペルビア』だ、『スペルビア・ファート』。もし死した後に生まれ変わったなら、来世は()好みの女子(おなご)になるから嫁に貰う約束をしろと言って、槍を手に予を脅迫したヴァルキリーぞ。」


 苦虫を噛みつぶしたような顔でリヴグストは言う。


「それは凄いわね…でもそこまで思われるなんて少し見直したわ。それでその彼女と約束はしたの?」


 マリーウェザーのリヴグストに対する今の印象はあまり良くない。なぜならリヴグストがルフィルディルで大暴れしたりして、獣人族に迷惑をかけたことを良く思っていないからだ。それ以来彼女は、なにかとリヴグストに意地悪く当たることがあった。


 興味半分で尋ねるマリーウェザーに、横からシルヴァンが答える。


「アルティスに逃げるのは諦めろと説得され、泣く泣く彼女の『グングニル』(槍の名前)に誓わされていたぞ。転生後が()()()リヴ好みの女子(おなご)だったらな、と念を押してな。」

「余計なことを言うでない!千年も経てばそのような約束は無効ぞ。それよりミーティングルームを借りておいた、仕事の話に戻るぞ。」


 どこのギルドにも、高ランクパーティーが優先して使うことの出来る、打ち合わせ用の会議室がある。三人はそこへ場所を移動すると、落ち着いて依頼についての話を始めた。


「つい先程も人死にが出たそうだな。騒ぎに気付いてはいたが、二人が既に向かったであろうと思い、予はギルドで待っておった。」

「うむ、現場のすぐ近くにいたおかげで、事が起きた直後でなければわからなかった手がかりも見つかった。」


 シルヴァンは現場に『魔力溜まり』があったことと、被害者は爆死したにも関わらず、着ていた衣服に損傷無く残されていたことを、リヴグストに掻い摘まんで説明する。


「昔、北方の国でカオスに使われていた人間が、魔法を封じられた上で牢に拘束されていたのに、衣服と血溜まりを残して消えた事件があっただろう。この件はあれに似ておらぬか?」

「何者かが口封じのために、囚人の体内で魔力暴走を起こさせて殺した、あの事件か。…確かに似ておるな。」

「魔力暴走?そうなればあんな風に人が亡くなるものなの?」


 マリーウェザーの質問にシルヴァンは頷く。


「この世界では魔物を含め、全ての生物の肉体を構成する細胞に魔力が含まれている。魔力は生物だけでなく、目には見えぬ大気を含め、ありとあらゆる物質に含まれているのだが、魔物や人のような生物は特に体内に多く所持していると言われている。」


 ――魔物は生きている時間が長いものほど、結晶化した『魔石』に魔力を溜め込む性質を持っているが、体内に魔石を持たない人などの生物は、身体を巡る血液と一緒に魔力も循環しており、魔法を使う以外にも、日常生活で身体を動かすエネルギーと共に消費されたり、食事を取ることで補給されたりするのだという。


「ルーファスから以前聞いた話によると、血液の流れる血管と魔力の流れる回路はまた別物らしいのだが、魔力は毛細血管だけでなく、神経系統や細胞にまで影響を与える力だ。だからこそ魔法を使って身体能力を一時的に強化したり、また魔物を弱めたりが可能なのだという。つまり――」


 その細胞レベルにまで影響を及ぼす魔力が、なにかの切っ掛けで体内暴走をすれば、肉体はその構成を維持出来なくなって、あんな風に爆発し崩壊することも考えられるとシルヴァンは言った。


「なにかの切っ掛けで、と言うことは、病気などで自然に起きるようなものではないのね?」

「この街に一軒しかない診療所で、住人全員分あった診療記録によると、亡くなった四人は全て何の問題もない健康体ぞ。恐らく病などではなかろうが、魔力を感知出来なければ異常にも気付かぬ。魔法が使えないと言うのは、この国に住む民であらば共通する事柄だが、魔力について尋ねたところで、一般ではその力の存在を知っておるかどうかさえ怪しいな。」

「うむ…」


 リヴグストが調べて来た被害者の診療記録を前に、シルヴァンは腕組みをして首をコキリと鳴らした。彼が深く考え込む時に良くやる癖だ。


「依頼主から提示された書類を見るに、この街だけでなく他所での死亡者にも共通しているのは、非戦闘職にある成人した男女と言うことぐらいかしら……あら?」


 事件の詳細が記された書類を調べていたマリーウェザーが、なにかに気付いたように手を止める。


「シルヴァン、もしも魔力暴走が爆死の原因だとするのなら、この資料に記載された情報には足りない項目があるわ。」

「ふむ?」

「それはなにか、奥方。」

「個人が生まれ持って所持している、主属性の記載が無いの。私とシルヴァンなら光属性、リヴは水属性でしょう?普通は魔法を使うことで、子供のうちに主属性を知ることが出来るけれど…」

「エヴァンニュでは難しいな。魔法石があることで七属性については周知されているであろうが、フェリューテラの生物が生まれつきなにかしらの属性を持っていることは知られておらぬかもしれぬ。」

「だとしたら依頼主に、早急に面会した方が良いかもしれないわね。魔力が関係している事件なら、被害者の主属性を知ることはきっと重要な手がかりになるはずだわ。」


 ――こうして色々と話し合った結果シルヴァンは、黒鳥族(カーグ)の長『ウルル=カンザス』に相談して、魔法が使えなくても主属性を知る方法と、亡くなった被害者の主属性を知る方法をなにか考え出して欲しいと連絡をして頼み込んだ。


『無茶を言うな、シルヴァンティス。前者はともかくとして、後者は不可能だぞ。魔力は生体エネルギーの一種で、生命活動が停止すれば身体が動かなくなるように、魔石でも残らなければすぐに跡形も無く消え去るものだ。死骸を好む毒這虫(たいしゃちゅう)の幼体なら、僅かな魔力の残滓によって食した死体の属性色に光ることもあるが――……待てよ、その方法があったか…前言撤回だ、二日ほど時間を寄越せ、なんとかしてみる。』


 物凄い早口で抗議をし、なぜ駄目なのかを説明しておきながら、直後になにか思いついて捲し立てると、シルヴァンの返事を待たずにウルル=カンザスは、勝手に完結して通信を一方的に切った。


「忙しない奴め、まだ全て話し終えていないものを、もう切ってしまいおった!!次に動力が溜まるまで三時間以上かかるではないか!!」


 憤慨したシルヴァンは、ウルル=カンザスが自分との連絡用に新たに開発した、五センチ四方の箱型『強化共鳴石(トークボックス)』を睨んだ。

 この道具は、一定の時間シルヴァンが所持していることで魔力を取り込み、貯めておいた力を一気に使うことで、ノクス=アステールとの長距離通信を可能にするという小型の魔石駆動機器だ。


 この道具の良いところは、たとえ魔法を封印された結界障壁の中に閉じ込められていても、障壁を無視してウルル=カンザスと連絡が取れるところにある。

 盗聴などの防犯対策もしっかりしており、使用者を固定し、使用者の魔力のみを使うことでしか起動しない、特殊な外装をしている。

 だが現在はまだ試験運用中のため少々欠点があり、一度起動すれば三十分ほど話すことは出来るが、途中で通信を切ってしまうと、また一から魔力を溜めないと通じないのだ。

 シルヴァンはまだ話したいことがあったのに、それを聞かず急いて切ったウルル=カンザスと、道具自体の使い勝手の悪さに腹を立てたのだった。


「怒らないで、シルヴァン。なにかある度に、いつも彼に頼っているのは私達の方なのよ?真剣に対処しようとしてくれているのに、感謝しこそすれ腹を立てるのは間違いだわ。」

「ぬう…」


 マリーウェザーに窘められ、シルヴァンはぐうの音も出ない。


「ウルル殿のあの様子なら、近日中に連絡が来るであろう。この後()らは如何する?」

「転移魔法石を使って同じ事件の起きた各街へ赴き、王都で依頼主に会う前にある程度被害者についての調査は終わらせるつもりだ。」

「この街を調べただけで、爆発の要因については目星がついたもの。後は他所も同じ状況なのかを確かめてからね。」

「そうだ。死亡者数に差はあれど、事件が発生したのはヴァハとルフィルディル、崩壊したルクサールを除いたほぼ全ての町村だ。その結果を以て、これが意図的に何者かによって起こされている犯罪なのか、他に原因があるのかを見極めるのだ。」


 三人はそれぞれ顔を見合わせて大きく頷くのだった。





               * * *


 ライの自室がある紅翼の宮殿三階の廊下は、中庭に面した窓から差し込む、夕焼けの光に赤く染まっていた。

 ほんの数分前に仕事の報告を兼ねてライの元を訪ねたヨシュアは、その廊下を歩きながら窓の外に目をやると、なにか他に出来ることはないんだろうか、と思いながら溜息を吐いた。


 ヨシュアの心が沈んでいるのは、主君であるライの状態が思ったよりも良い方に向かわないためだ。

 ペルラ王女の助言を受け、ヨシュアを含めたイーヴ、トゥレンの三人は、気を許せる親しい者が傍にいれば、ライがすぐにも気力とやる気を取り戻してくれるだろうと思っていた。ところがそのライは未だ寝台から出ようとしない状態だ。


 ――侍女が命を狙ったわけではないことも判明し、真犯人についても双壁のお二人が必死に突き止めようとなさっているから、直になにかわかることだろう。

 後はライ様が復帰のために、身体を動かす訓練を自発的に始めて下されば良いのだけれど…


「待ってヨシュアさん!」


 そんな物思いに耽っていると、自分を呼び止めるジャンの声がして、ヨシュアは足を止め振り返った。ジャンは扉前に立つ護衛の親衛隊士になにか言うと、長い廊下を半ば走りながらやって来る。


「ジャン君…なにか用かな?」


 急いでライの部屋を飛び出して後を追って来た様子のジャンに、ヨシュアは優しく問いかけた。ジャンの真摯な励ましと懸命な介護のおかげで、ライは普通に食事を取るようにだけはなっている。

 それに感謝しているヨシュアは、ここ数日でジャンと大分打ち解けており、イーヴやトゥレンの前以外では互いに名前で呼び合うようにもなっていた。


「あの…ライのことで、ウェルゼン副指揮官達には内緒で、どうしても相談したいことがあるんです。食事は俺が作っているから残さず食べてくれるけど…ライはあのままじゃ駄目だ。ヨシュアさんも気が付いてるんでしょ?」


 ジャンは縋るような瞳でヨシュアを見上げると、心底ライの身を案じているようで、同意を求めるような言い方をする。


「ジャン君…ライ様は寝台からあまり出たがられないご様子だね。そろそろ身体を自発的に動かされないと、足が萎えてやがて歩くことも出来なくなってしまう。君はそのことを心配しているのかな。」

「それもあるけど…問題は多分そこじゃないと思うんです。ウェルゼン副指揮官とパスカム補佐官には、ライの生きる気力を取り戻して欲しいって頼まれたけど、今のライに本当に必要なのは、俺達じゃない。ライが誰にも言えずに心から望んでいて、本当に会いたがっている人に会わせてやらないと、自分から動きたいって思えないんだと思う。」


 ジャンがなにを言いたくて誰のことを言っているのか、ヨシュアにはすぐにわかった。ジャンはヨシュアも良く知っている『ある人物』とも面識があり、ティトレイやイーヴ、トゥレンが知らないことを、唯一ヨシュアだけが知っていると、その人物から聞いてわかっているのだ。

 だがヨシュアも、ライの様子を見て同じことを思わなかったわけはない。ただこの警備が厳重な今、紅翼の宮殿に彼女を双壁にも知られないように注意して、隠れて連れて来るのは非常に困難なことだ。

 おまけにそうすることがライにとって、本当に良い結果を生んでくれるのかわからないために、頭の中で思うに留めていただけだった。


「――ライ様はまだ、目が見えないんだよ?君達に会った時もそうだったと思うけれど、君の言うその人に会わせてあげても顔を見ることが叶わなくて、却って気を沈ませてしまうかもしれない。そのことも考えたかい?」

「考えたよ。けどライはリーグズ教官と違って、元気になれば目も見えるようになるんだろ?もしかしたら顔が見たいと思うことで、すぐに治るかもしれないじゃんか。あ…ないですか。」


 敬語が飛んですぐにジャンは最後だけ言い直した。


「……双壁のお二方にもリーグズ教官にも知られずに、どうやって連れて来るんだ。万が一露見したら、ライ様はもっと大変な思いをなさるかもしれない。それを思うと賛成はしかねるな。」

「だったらヨシュアさん、せめてウェルゼン副指揮官とパスカム補佐官が、同時に公務で留守にする日を教えてよ。そんぐらいならいいだろ?後は俺がなんとかするから…!!」

「君がなんとかするってどうやって…」


 食い下がるジャンに戸惑っていると、ジャンはヨシュアの腕を掴んで引っ張り、顔を近付けてぽしょぽしょと耳打ちをした。

 それを聞いた瞬間、ヨシュアは大きく目を見開いて表情を変える。


「――そうか…そんな方法があったのか、驚いたな。…わかった、それなら上手く行くかもしれない、協力しよう。」

「本当か!?」

「ライ様のためだ、すぐに予定を調べるよ。」


 ヨシュアの瞳にはライを思う決意が浮かび、失敗すれば職をも追われることを覚悟した上で、ジャンの計画に協力することを決めたのだった。




                ♦ ♦ ♦


 ――ジャンがここの厨房を借りて俺のための食事を作り、毎日三度運んできてくれる。前から思っていたが、ジャンの料理の腕はプロ並みだ。

 飲食店で下働きをしたことがあり、その時に料理を作る調理師の技術を見て、マリナ達のために勝手に覚えたんだと言っていた。


 以前からここで取る食事を美味いと感じたことはなかったが、ジャンが俺のために作ってくれた食事は別だ。手探りで皿の位置を探し、ジャンとティトレイの手を借りて食べるため、いつも時間がかかるがそれでも美味しかった。


 その朝食も、今朝はあまり喉を通らない。


 ジャンとティトレイが俺の世話をしてくれるようになって、数日が過ぎた。食べられるようになって少しずつ体力は回復してきたが、目が覚めても灰色がかった暗闇の中で、自分が今、本当は何処にいるのかわからなくなる。


 いつまでもこうして、ただダラダラと過ごしていて良いわけがないのはわかっているが、俺が復帰すればすぐにペルラ王女との婚約式が行われるだろう。それがなによりも憂鬱だった。

 誰がどこで話を聞いているのかわからないために、俺はジャンともヨシュアともリーマの話をすることができなかった。

 彼女は今、どうしているのだろう。俺がリーマの顔を見たのは、王女が来る前日に会ったのが最後だ。

 出来るだけ会いに行くと言ったのに、訪ねて来ない俺をどう思っているのか…殺されかけて目が見えないと知ったら、きっと悲しむことだろう。

 リーマに会いたい。そうは思うが、目が見えなければ、あの、俺だけを映す水色の瞳を覗き込むことも叶わないのだ。


「――いっそのことずっとこのままでいれば、あの男も諦めるかな。」

「え…ライ?あの男って誰?」


 口をついて出た呟きに、傍にいたジャンが反応する。その声の調子が一瞬で沈んだように思えた。俺が持っていたスプーンを手から放すと、それがカチャン、と食器に当たる音がする。


「いや…すまない、ジャン。今朝はもう食べられないようだ。せっかく作って貰っているのに、悪いな。」

「まだ殆ど食べてないのに…食欲、ないんだ?…なあ、ライ。リーグズ教官もいるんだし、少しそこから出て歩いてみねえ?そろそろ本格的に身体動かした方が良いって。」

「ジャン…」


 ジャンの言葉に追随して、違う方向からすぐにティトレイの声がする。


「そうですよ、先輩。まさかこのまま歩けなくなっても構わないと思っているわけではないでしょうね?」

「そうは言わないが…気が乗らん。動けるようになったところで、目が見えなければどこにも行けないしな。」


 言った後でしまった、と思った。既に片目を失明しているティトレイは、いずれ必ずもう片方の目も失明すると医者に言われている。

 そのティトレイを前に俺がこんなことを言っては、彼を傷つけてしまうだろう。ティトレイに対する言葉には普段から気をつけていたのに、それを忘れて無神経なことを口にした自分に呆れる。


「俺の前でそれをあなたが言うんですか?…らしくないなあ。」


 憤慨されたかと思ったが、ティトレイに腹を立てた様子はなく、その声から思うに、ただ苦笑しているだけのようだった。


「失言だったな、すまん。――悪いが昼まで一人にしておいてくれるか。今日はなんだか身体が懈いんだ。」

「それは良くないですね、ウェルゼン副指揮官かパスカム補佐官をお呼びしますか?風邪でも引いたのかもしれませんよ。」


 こういう時のティトレイは厄介だ。本当はわかっているくせに、わざと俺を叱る意味で嫌味を言っているのだ。本気で俺のことを心配してくれている分、俺は強く言い返せない。


「診察なら朝一番に受けただろう。…そんなのではないから大丈夫だ。…頼む、ティトレイ。」


 一時の沈黙の後、溜息を漏らすのが聞こえた。


「…やれやれ、ライ先輩はすっかり子供に戻られてしまったみたいだな。わかりました、隣室にいるのでなにかあれば呼んで下さい。それと昼前に士官学校の件でルーベンス第二補佐官に呼ばれているので、一時間ほど席を外します。その間マルセルだけになりますが、あまり困らせないで下さいよ。…行こうか、マルセル。」

「……はい。」


 暗い声で返事をして、俺が全て食べきれなかった朝食を下げると、ジャンの気配が傍から遠ざかって行く。


 ――それからどのぐらい後だろう。一時間か、それ以上か…時計を見ることが出来ないからはっきりしないが、ともかく俺はいつの間にか眠ってしまっていた。

 そうして夢現に、扉が開いた微かな音がして、誰かが室内に入って来た気配を感じ取った。


 殆ど音を立てずにそっと近付くそれに、俺は最初ジャンがこっそり様子を見に来たのだと思った。

 ぼうっとした意識下で、寝台脇に移動してきた気配が、静かに息を殺して俺の顔を覗き込んでいるような気がする。


 ――違う…ジャンではないようだ、誰だ…?


 そう言えば時々、一人のはずの室内に誰かいるような気がしていた。音も立てず気配もないのに、部屋の空気が隙間風よりも小さく僅かに動いていて…今日のは、いつものそれとも少し異なるようだ。


 不思議なことに俺に警戒する気持ちはまるでなかった。今の紅翼の宮殿は、至る所に親衛隊士が立っていると聞いている。その警備を掻い潜って不審な者が入り込む余地はないだろう。

 そう思いつつ俺は目を開けず、それがこれから俺になにをするのかを、ただぼうっとしながら待っていた。

 昔まだ子供だった頃、熱に浮かされていた俺に、心配したレインがそうしてくれたように、誰とも知れぬ相手が優しく頭を撫でてくれるのを期待していたのかもしれない。


 ところがそれは静かに手を伸ばし、突然俺の左頬にふわりと触れた。


「!!」


 ここでようやくハッとなり、しっかり覚醒した俺は、すぐに右手でその手をパシッと掴んだ。目を見開いて前を見るも、そこは僅かに灰色がかったなにもない暗闇で、やはり相手の顔を見ることは出来なかった。


「誰だ…どうやってここに入った?」


 俺は敢えて大きな声を出さずに、慎重に尋ねた。


 掴んだ腕は、ジャンのものとも、ティトレイのものとも全く違う、非常に細くて柔らかい感触をしていたからだ。少なくともこれは男の腕ではないだろう。

 ならば女性のものだったとして、唯一この部屋に入ることの出来るペルラ王女は、俺になにかなければ身体に触れず、況してや頬に黙って触れるなど、決してするはずがなかった。


 相手は俺が掴んだ腕を振り(ほど)こうともせずに、ただそこにじっとしている。俺の問いにも答えず一声も発さずにいて、その細腕からは微かな震えが伝わって来た。

 まさかとは思うが、人の寝室に忍び込んでおきながら、俺に怯えているのだろうか?

 隣室にいるはずのジャンとティトレイはどうしたんだ。そう思い、相手の腕を掴んでいない左腕を支えにして、上体を起こした時だ。

 動いた拍子に煽られた風の中に、俺が普段から嗅ぎ慣れた甘い香りが漂った。瞬間、俺はピタリと動きを止めて、鼻を擽るその香りを確かめるように大きく息を吸い込んだ。


 その香りにまさか、と思った。そんなはずはない、ここは王宮内の俺の部屋だぞ。そう思っても頭が肯定する。もし違ったら大事だ。だがこの香りは…


「…リーマ…?まさか、リーマなのか…?」


 俺がそう言って手を放すと、彼女は両腕を俺の首に回して抱きつき、耳元で小さく俺の名を呼んだ。


「ライ…!」

「リーマ…!!」


 信じられなかった。見えないが間違いない、リーマの声だ。どういうことかわからないが、紅翼の宮殿にある俺のこの部屋に、今リーマが来ている。

 理由なんかどうでもいい。この声も香りも、柔らかな身体の感触も…確かに俺の知る彼女だ。


 俺はリーマの身体を強く抱きしめた。


「ライ…あなたのヴァリアテント・パピールはいつも通り輝いているのに、本当に見えていないのね…私の顔を真っ直ぐに見たのに、誰かと聞かれてすぐに声が出せなかったの。あなたがこんな大変な目に遭っていたのに、なにもしてあげられなくてごめんなさい…!」


 リーマは泣いているのか、震える声で俺に謝る。


「なぜおまえが謝るんだ。俺の方こそ会いに行けなくなってすまない。その理由さえ伝えることも出来なかった。」

「ヨシュアさんが私に知らせてくれたの。あなたが誰かに毒を盛られて二週間以上も意識がなかったことも、身体が弱って目が見えなくなったことも…」

「ヨシュアが?…そうだったのか。」


 いつもなら顔を見て話を聞くところだったが、今の俺はリーマの顔を見ることが出来ない。だから俺はリーマを抱きしめたままで、リーマの声を耳元で聞きながら話をすることにした。

 彼女の髪からいつもの香りが漂う。その柔らかな髪に触れ、俺は生き返るような思いがした。


「リーマ、どうやってここまで来られたんだ?部屋の前も宮殿の入口にも、警備の親衛隊士が立っていただろう。」

「ええ、話すと長くなってしまうから…簡単に言うと、ある人から頂いた姿を消す魔法石とジャン、それとヨシュアさんのおかげなの。詳しいことは後で事情を知っている二人に聞いてね。」

「魔法石…そうか、それで…」


 つまりその姿を消す魔法石を使って監視の目を誤魔化し、二人の手引きで俺の部屋まで来られたと言うことか…


 ジャン、ヨシュア…


 一歩間違えば二人共ただでは済まないだろう。それなのに、腑甲斐ない俺のためにリーマを会わせようとしてくれたのだ。

 リーマだって同様だ。民間人が王城に忍び込んだなんて、見つかればどんな理由があろうとも極刑が待っている。


「そんな危険を冒してまで俺に会いに来てくれたんだな…ありがとう、リーマ。ジャンとヨシュアにも感謝しなくては…。」

「そうよ、ライ…みんなあなたを心配しているわ。もちろん、私も…」

「リーマ…」


 ――俺の心が幸福で満たされて行くのがわかった。リーマは俺に会うためだけに、命の危険も顧みずここに来てくれたのだ。


 その、心から俺を思うリーマの気持ちが、なによりも嬉しかった。


「リーマさん、そろそろ…」


 どこからかジャンのボソボソと言う、そんな声が聞こえる。俺達に遠慮して離れたところから声をかけているらしい。


「ごめんなさい、ライ…もうここを離れないと…」

「ああ、名残惜しいがわかっている。」


 俺は抱きしめていた彼女をゆっくりと放した。


「ライ…私、あなたが会いに来てくれるのを下町のあの部屋で、ずっと待っているわ。その目も元通り見えるようになるって聞いたの。だから早く元気になって会いに来て。私はもう、ここへ来ることは叶わないから…」

「約束だ、リーマ。次は俺の方からおまえに会いに行く。少しかかるかもしれないが、待っていてくれ。」

「待っているわ。…愛してる、ライ。」

「俺もだ、リーマ。」


 俺は最後に彼女の頬に触れて、二度強く口づけをした。


 もしかしたらジャンに見られていたかもしれないが、今の俺にはそのジャンの姿も見えないのだから、気にしないことにしよう。…そう思った。




 ――その日の深夜になって自室に戻ったトゥレンは、イーヴにもヨシュアにも勿論ライにさえ知らせずに、ライの寝室に仕掛けておいた現映石(シーナリー)の映像を見ていた。

 現映石(シーナリー)というのは、軍の重要施設などに設置されている、監視用の駆動機器に取り付けられる魔法石で、置かれた周囲の映像と音声を記録し残しておくことが可能になるという道具だ。


 トゥレンはジャンとティトレイが高価な魔法石とは縁遠いと知っていて、診察時にライと二人きりになった際、それとなく寝室が見渡せる場所に仕掛けておいたのだった。

 今日の夕方にライの部屋へ行き、再び診察をした際に置いておいたそれを回収し、代わりに新しい現映石(シーナリー)をまた、置いてきてあった。そんなことをもう数日、繰り返している。

 なぜ彼がそんなことをするのかというと、トゥレンは外部から来た民間人のジャンと、軍属とは言え、あまり良くは知らないティトレイを完全には信用していなかったからだ。


 それでもトゥレンは、別に彼らがライになにかすると本気で思っていたわけではなかった。ただまだ動けない上に目の見えないライに隠れて、二人が怪しい行動を取ったりしないか、念のために数日間は自分の目でも監視しておこうと考えたのだ。


 トゥレンはライのことを心配するあまりに、自分が少し行き過ぎたことをしているという自覚はあった。この数日間ジャンとティトレイの行動を見て来たが、二人は()わる()わる時間時間で交代しながら、一生懸命ライの世話をしている。

 アルマ・イリスのことがあって、『(スコトス)の眼』を信用しきれなくなったことが一つの原因だったが、でもこんな後ろめたいことはもうこれで終わりにしよう。

 私服に着替えて濃いめの酒を手に、ソファに腰かけてぼんやりと、映像の中の彼らを見ながら、トゥレンはそう思い少し自己嫌悪に陥っていた。


 だがその直後、トゥレンの表情が一変し、手に持っていたグラスを落として絨毯の敷かれた床にゴロゴロと転がしてしまう。


「馬鹿な…これは――」


 零した酒にも構わずに、トゥレンが愕然として食い入るように見ていたその映像には、ジャンとヨシュアの手引きで忍び込んだリーマの姿が映し出されていたのだった。





ようやくネットに繋がりました!モデムの交換って時間がかかってめんどいです。次の話も殆ど書き上がっているので、早めにアップします。いつも読んでいただき、ありがとうございます!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ