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Eternity~銀髪の守護者ルーファス~  作者: カルダスレス
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158 太陽の希望、ヒュールにて

ルーファスとウェンリーのいないパーティー『太陽の希望』は、王国軍人であるイーヴの指名依頼を引き受けることにしました。その仕事内容である、エヴァンニュ王国の各地で起きているという『人が爆発する』死亡事件の調査に、先ずはルフィルディルから最も近い場所にあるヒュールという名の街を訪れました。そこでシルヴァンは、見覚えのある、ある人物の姿を見かけて…?

      【 第百五十八話 太陽の希望(ソル・エルピス)、ヒュールにて 】



 エヴァンニュ王国の北東部にあるデゾルドル大森林から、北西に数日間進んだ場所に、『シンクホール』という自然現象で現れた巨大穴に作られた街がある。


 『シンクホール』とは、地下深くに存在する空洞崩落が原因で、地表が陥没し大きな穴が開く現象のことだ。

 過去ルーファス達が何度か利用している、広大な『地下迷宮』のように、エヴァンニュ王国の地下には国民や王族にでさえ知られていない、巨大空洞が無数に存在しているとも言われている。

 そんな空洞の一つが数百年前に崩れ、穴の周囲が偶々何階層かに分かれた段々になっていたため、そこを整備補強して建物を建てようと考えた人間がいた。それが町名にもなったという、初代町長『ヒュール』だ。


 初代町長は魔物の多いフェリューテラ北方地域から、魔物の被害が少ないエヴァンニュ王国に逃れて来た長距離移住者で、非常に魔法に長けた女性だった。

 特に建築関係に詳しく、物体の形状を維持する "保存魔法" を使うことが出来たため、当時のエヴァンニュ国王に相談して、この場所に街を作ることを許された優秀な人物だった。

 ヒュール町長と共に遥か北から移住してきた人々は、それぞれが持つ魔法を最大限に利用して、最終的には王都の3分の1ほどの街を作り上げることに成功した。


 その後も現在まで『ヒュール』という街は大穴の中に存在し続け、地中から時折出没する魔物を駆除しつつ、殆ど当時のままの姿で残っている。


 …と言うのがこの街の成り立ちなのだが、例によってここの住人も町長などの一部を除きその歴史を知らず、過去他国から来た移住者が作った街であっても、その血を受け継ぐ子孫でさえやはり魔法が使えないのだった。


 ――その特殊な構造をした街『ヒュール』の入口に、シルヴァン、リヴグスト、そしてシルヴァンの妻マリーウェザー三人の姿があった。


 未だリーダーのルーファスはウェンリーと共に行方のわからないままだが、シルヴァンがシェナハーン王国でイスマイルに会い、ルフィルディルに戻って来たのと同じ頃、魔物駆除協会(ハンターズ・ギルド)を通じて『太陽の希望(ソル・エルピス)』に指名依頼(※特定のパーティー、もしくはハンター個人を指定して仕事を頼むこと)が入った。

 通常であればリーダー不在時に、パーティーとして依頼を受けることは避けるべきだったが、依頼主がルーファスと面識のある人間だったことと、『人が突然爆死する』不可解な事件の原因調査という依頼内容に気になる点があったことから、シルヴァンとリヴグストは話し合いの末引き受けることを決めたのだった。


 そこにシルヴァンの妻であり、獣人族(ハーフビースト)の巫女であるマリーウェザーが加わったのには理由がある。

 一つはマリーウェザーが人族であり、人の身体にも詳しく、魔法などの様々な知識が豊富であること。もう一つは彼女がFT歴1002年から1996年に来て以降、ルフィルディルから(イシリ・レコアを除く)一度も外に出ておらず、この機に現代のエヴァンニュ王国を見知っておく必要があったためだ。


 マリーウェザーが魔法に長けているのはルーファスも知るところだが、迫害戦争時の戦禍を生き抜いただけあって、その戦闘能力も高かった。

 そこで臨時メンバーとして一時的にパーティーに加わり、期間限定で同行することになったと言うわけだ。


 そのマリーウェザーを含む彼ら三人は、巨穴を囲むようにして地表に作られた、"上" を意味する『ソプラ地区』の街門を通り、行き交う人で混雑する商店街を歩きながら、巨穴内本町『カウウス地区』に向かっている。


「見て、シルヴァン。凄いわ、なんて大きなシンクホールだったの!あの頃ここはアガメムの森林地帯だったわよね。それがこんな荒れ地に開いた空洞に街が作られているなんて…私、感動してしまったわ。」


 目を輝かせてマリーウェザーが指差しているのは、空洞部に作られた階層状の街並みだ。壁面に埋め込まれるようにして、様々な建材で建てられた箱形の家々が見えてくる。

 そこには地下深くに至る空洞上を横切るようにして、木材と太い植物の蔓で編まれた縄を使った吊り橋が架けられており、階層ごとに対角線上に移動可能になるよう設えてあった。


「うむ、我も驚いたぞ。カウウス地区は吊り橋で空中を移動するのだな…最下層はかなり深いようだが、高い場所は平気か?」

「もちろん。あなた忘れたの?子供の頃、良く千年木(せんねんぼく)の上の方まで登ったじゃない。それでグロウ叔父様に二人して危ないことをするなと怒られたわ。」

「うむうむ、そうであったな。あの頃のそなたは活発で、怪我をしやしないかと我の方が冷や冷やしていたものよ。少々お転婆気味であったが、今思い出してもやはりそなたは愛らしかったな。」

「いやだ、シルヴァンったら。あなたも子供ながらにして強くて格好良かったわ。」


 ――言うまでもないが、シルヴァンとマリーウェザーは新婚だ。迫害戦争によって一度は引き裂かれたものの、千年を経て結ばれたばかりの夫婦で、シルヴァンは式を挙げてからすぐにルーファスとルフィルディルを出たため、イチャイチャする甘い時間は殆どなかったのだ。

 その事情を一応は理解していたリヴグストだったが、人目(リヴ目)も憚らずベタベタこそしないものの、ここに来るまでもずっと会話にハートが乱れ飛んでいて、さすがにゲンナリし始めた様子だ。


「――犬ならぬ銀狼に蹴られたくはないが、シル、奥方よ…双方()の存在を少し忘れすぎではないか?」


 『二人の世界』のすぐ後ろを、お邪魔虫の如くトボトボと歩いてきたリヴグストは、瞳を龍眼にしてイーッと歯を剥いた。


「そなたのような体のデカい背後霊を忘れるわけがなかろう。寂しいのなら遠慮せず我と妻の会話に入るが良い。」

「誰が背後霊ぞ!!」

「ごめんなさい、リヴグストさん。独り身のあなたには目の毒だったかしら…」

「…奥方も大概良い性格をなさっておるな。」


 素早く返すリヴグストの目が、ジトッとしてマリーウェザーを睨んだ。前を歩くシルヴァンはマリーウェザーの肩を抱き、ふふん、羨ましいだろう、と言わんばかりのドヤ顔をして、上から目線で彼に言う。


「そなたもこの機に嫁探しをしてはどうだ?昔は多数の女子(おなご)(はべ)っておっただろう。顔の出来は良くモテるのだから、今度は真剣に一人のみとつき合ってみれば良い。」

「予が何者であるかを知っても変わらず、好いて国について来てくれるのであらばな。中々そのような奇特な女性はおらぬし、そもそも寿命が違いすぎるのだ。予は人族の三倍は生きるのだぞ。」

「暗い…暗いぞ、リヴ。もう少し前向きに考えよ。人族の三倍生きるのであれば、人族の妻は順次三人娶れば良い。前妻が亡くなった後で再び嫁探しをし、もう一度結婚すれば良いのだ。そうすれば年を取っても若い女子(おなご)を娶れるやもしれぬぞ?男としては羨ましいことよ。」

「む…一人のみとつき合えと言いながら、実に不埒なことを言う。三人の妻か…まあそれも悪くはないが――」


 男同士会話が続く中、シルヴァンのその台詞に、マリーウェザーの歩みがぴたりと止まった。


「?どうした、マリー(※愛称)、こんなところで足を止めては危ないぞ。」


 それに気付いたシルヴァンは俯くマリーウェザーに手を伸ばす。だが次の瞬間、彼女から放たれた殺気に気付いて尻込んだ。


「…!?」

「――今、なんて言ったの?ねえ…シルヴァン。若い女性を娶れて羨ましい、ですって…?」


 しまった、と気付いた時には手遅れだ。シルヴァンはサーッと顔から血の気が引いて行く。


「ま、待てマリーウェザー…誤解だ!!今のはリヴを励ますために言っただけで、他意はない!!」


 元々は二歳差だったシルヴァンとマリーウェザーだが、シルヴァンは生命維持装置で眠っていたために当時の年令だったままなのに対し、マリーウェザーは再会した時三十四歳になろうとしていた。

 外見的にはあまりそうは見えないものの、年上になってしまったことを彼女は気にしており、男同士の会話でポロッと出てしまった失言に、シルヴァンは繊細な女心を傷つけてしまったのだった。


「知らない!」

「マリーウェザー!」


 ぷうっと頬を膨らませたマリーウェザーは、シルヴァンから思いっきり顔を逸らすと、肩を(いか)らせスタスタと早足で先を行く。

 慌てたシルヴァンはそれを追い、すぐに追いついてその手を掴むと、ひたすら拝むようにして謝っている。


 そんな二人を見て呆れつつも羨み、リヴグストは微笑ましく思いながら目を細めた。


 ≪ やれやれ、あれは宥めるのに少しかかりそうぞ。≫


 行き交う人の通りを妨げないよう道端に移動して、マリーウェザーの怒りが収まるのを待つことにする。


 ――千年前リヴグストとて、思う相手が丸切りいなかったわけではない。ルーファス達との旅の最中(さなか)立ち寄った小さな街で知り合い、ポエットという名の美しい女性と一時本気で恋仲になったことがあった。

 だがその彼女は男女の関係になり、結婚を前提としてリヴグストが人族でないことを打ち明けると、呆気なく離れて行ってしまった。

 その時の失恋が後を引き、リヴグストはシルヴァンが言った通りの、どこに行っても複数の女性を侍らせていたような遊び人になっていたのだった。


 あなただけだの愛しているだの言っていても、海竜であることを告げればどうせすぐに離れて行く。本気で愛し身体を重ねても、種族の違いでころりと変わるのであれば、最初から遊びと割り切って相手をする他なかろうぞ。…リヴグストは心の中でそう苦笑した。


「すまぬリヴ、先程の話は忘れてくれ。やはり(つがい)は生涯愛せる女子(おなご)ただ一人に限る。」


 失言で最愛の妻を怒らせた男は、冷や汗をかきかき戻って来て180度思考を変えると、真顔でそんな意見を述べたのだった。



 カウウス地区に入り、一行は一路中階層にある役所を目指した。ここの町長に会う必要があり、面会の約束をしているためだ。


 シンクホール内に作られたこの地区は、上下階を移動するのに吊り式の『籠』を使っている。これは滑車の取り付けられた極太い柱に沿って、籠の反対側に鎖で吊された重りを調節しながら、上下に動かす旧式の昇降機だ。

 ここでは補強された壁を突き破って魔物が襲撃して来ることもあり、壁内に階段を作ると、いざという時に下層の住人が逃げられなくなることを考慮したものらしい。


「――特段住人には大きな変化がないように見えるけれど…この特殊な形状の街で既に四人もの人間が亡くなっているのよね?」


 昇降機の籠から降りて吊り橋を渡ると、建物内部を通るようにして作られた通路を歩きながら、マリーウェザーは擦れ違う住人の様子を窺った。

 現在原因不明の恐ろしい事件が起きているにも関わらず、ここの人々はマリーウェザーの目に、普段となんら変わりのない日常生活を送っているように見えた。彼女のそんな問いかけにシルヴァンが頷く。


「そのようだな。ギルドを介して送られて来た書類によると、二週間ほど前からエヴァンニュの各地で同じような事件が起こっていると言う。王都へ行く前に原因について少しでもなにか情報を掴めれば、民間人に注意を呼びかけるなり対策を練るなりが可能になるであろう。」

「予らのパーティーを指名して来た依頼主は、確か王国軍人であったな。ルーファスはその手の組織を嫌っておられたはずだが、面識があるというのは真か?」

「うむ。我も一度会ったことはある。その伝手で仕事を依頼したいと言うのは真実であろう。――ああ、どうやらここが役所のようだな。」


 通路に面して天井を支える大柱と壁の間に、カウンターテーブルが設えられている。壁面には役所を示す木製の吊り下げ看板があり、二名の受付嬢が訪れる人をテキパキと捌いていた。

 三人は受付を通ってヒュールの町長に面会すると、事件調査のために立ち入り禁止地区を含めた街中を、自由に歩く許可を貰って話を聞き、四件の死亡事件現場を見て回ることにした。


 再び昇降機に乗って今度は下層に向かうと、二週間ほど前にこの街で最初に起きた事件現場に入る。そこは外壁を共有する長屋のような作りをした民家で、住人は既に引っ越していたが、憲兵隊からの命令により現場は保存されており、室内の床、壁、天井全てに至るまで飛び散った凄惨な血痕と、それに伴う死臭が室内に充満していた。

 過去戦場で多くの死を見て来たシルヴァンとマリーウェザーだが、それでも一瞬眉を顰める。


「――ヒュールでの最初の事件はこの居間で起き、仕事から帰宅した男性が夕食時に家族の目の前で爆死したものだ。」

「…死臭が凄いわ…遺体は大きな塊がないほど粉々になって、回収のしようがなかったのよね?…そんな爆発の仕方があるのかしら。」


 それぞれ室内に散って、死の痕跡を具に調べる。隣室の家具は撤去されているが、現場のテーブルや椅子、食器棚など居間はそのままだ。


「リヴ、龍眼でなにかわかるか?」

「…日が経っておるから難しいな。だが血痕から見るに、やはり爆発物によるものではなさそうぞ。血肉の飛び散り方が全方向である上に、座っていた椅子は愚か周囲に全く損傷がない。これは外部からの魔法による爆発でさえないやもしれぬ。」


 リヴグストはテーブルに残された黒ずむ血の跡を指でなぞると、顔を近付けて覗き込んでいる。


「だとしたら、依頼人が可能性として上げた通り、未知の魔物の仕業ということ?」


 しゃがんで解析魔法を使い床の血痕を調べながら、マリーウェザーはリヴグストを見上げた。


「そう断ずるには早計ぞ。魔物であればこんな風に、ちまちま個体のみを攻撃するなどまどろっこしいやり方はせぬ。集団で一度に複数が爆死した例はないのであろう?…ならば亡くなった人間の方に、共通点がないかを探してからだ。」

「うむ…しかし凄まじい死臭だな。これでは狼の鼻でも他の匂いは嗅ぎ分けられぬ。」


 人の姿でも並の人間よりは嗅覚が優れるシルヴァンは、堪らずに右手の甲で鼻下を覆った。


解析魔法(アナライズ)が終わったわ。血痕内に小片化した物質の塊があるの。砂粒よりも少し大きいぐらいのものよ。…それが人の身体を構成する『骨と肉』。液体である血だけを除いて、ここまで細かくなるなんてあり得ないわ。」


 マリーウェザーは首を振り振り立ち上がる。


「スライム系魔物に飲み込まれた動物の状態に似ているな。例は悪いが、溶解液で消化し切れずに溶け残った食い残しのようだ。」

「痕跡はそうでもそれなら爆発はしないわよ。リヴ、この椅子に被害者が座っていたとして、爆心がどの位置なのか割り出せる?」


 いつの間にか夫に習い、マリーウェザーはちゃっかりリヴグストの呼び方を変えている。


「ふむ…体格的には予がいいか。」


 そう言うとリヴグストは、血が染み込んで黒く変色した木の椅子に躊躇いもせず腰を下ろした。


「…どう?」

「――龍眼で見るに爆心は心臓の辺りぞ。予の胸くらいの位置で体が破裂すれば、壁、床、天井の放射血痕と血の飛び方がほぼ一致する。…被害者は心臓に病でも抱えておったのか?」

「念のため病歴も調べた方が良さそうだな。では他の現場も調べに行こう。」


 ――その後三人は全ての現場を調べて共通点を探すと、リヴグストが被害者の病歴調査に、ヒュールで一つしかない診療所への聞き込みに向かい、その間にシルヴァンとマリーウェザーは目撃者や現場周辺の住人達へ話を聞いて回った。


「これと言ってめぼしい証言は得られなかったわね。みんな一様に口にすることは同じ、『突然爆発した』だもの。」

「前後になにか見た者はおらぬし、室内で一緒にいた遺族さえ、異変を感じた様子がない。リヴに診療所へ行って貰ったが、特段被害者が病を患っていたという話も聞かぬな。」


 中階層にかかる吊り橋上を歩きながら、二人はリヴグストと待ち合わせをした魔物駆除協会(ハンターズ・ギルド)のヒュール支部へ向かう。


「被害者の共通点はなにかしら。依頼主から送られて来た書類には、個人情報の全てが記載されているのよね?もう一度最初から見直した方が良いかもしれないわ。」

「うむ。現場を見てわかったこともある、リヴと合流してからギルドで――」


 歩きながら話している最中に、シルヴァンはハッとして、誰かにじっと見られているような、異質な視線を感じ取る。

 そこで言葉は途切れ、周囲をきょろきょろ見回すと、その視線の主を探した。


「シルヴァン?どうかしたの?」


 妻の問いかけにも答えずに視線を上に向けると、上階の吊り橋に踵を返して去って行く、見覚えのある人物に気が付いた。

 すぐに顔を逸らしたため、確実とは言えないが、風に靡くさらさらの金髪だけが背高の後ろ姿に見えていた。


 ――リカルド・トライツィ?なぜここに…


 シルヴァンが上を見上げてそう訝しんだ直後だ。キイーンという長く響く耳鳴りが突如聞こえてくる。その異常に思わず彼はその音を避けようとして、無意識に頭を傾けた。すると――


 どーん、とも、ばーん、とも言い表しにくい短い爆発音がして、どこかすぐ近くから悲鳴が上がった。


「今の音は!?」


 シルヴァンとマリーウェザーは、急いで爆発音と悲鳴が聞こえた方向に走り出す。通路の手前に差し掛かると、左方向から叫びながら逃げてくる多くの住人の姿が目に飛び込んで来た。


「また爆発したぞ!!逃げろ!!」

「いやあああっ、誰か…血が、血があああっ!!」

「ひいーっっ勘弁してくれえっ!!!」


 逃げてくる人の流れに逆らい、シルヴァンとマリーウェザーが現場に到着すると、そこには通路の途中にへたり込み、血塗れで茫然自失状態の若い女性がいた。

 女性を含め周囲には、至る所にベッタリと大量の血液が飛び散り、そうしてたった今そこで誰かが爆発し、亡くなったことを表していた。

 逃げるようにして遠巻きに離れる人だかりと、噎せ返るような鮮血の匂いに、シルヴァンとマリーウェザーは驚愕して、天井からポタポタと滴る真紅の液体を見ながら息を呑んだのだった。





               ♦ ♦ ♦


「――ライ様、アルマ・イリスが背後の黒幕について全て自供しました。」


 イーヴが寝台でクッションを背に上体を起こす俺に、そんな報告をしてくる。ジャンとティトレイには今、話が済むまでの間だけ席を外して貰っている。

 これまでの取り調べでも、裏にいる黒幕については一切口を割らなかったという彼女は、ティトレイを使ってまで俺に用意させた説得用の書簡と、イーヴ達が用意したなにかで気が変わった様子だ。


「…それで?取り調べを継続するために、イル・バスティーユ島送りは一旦保留になったのか。」

「はい。」


 引き続きイーヴが説明を続ける、最終的な事件のあらましはこうだ。


 俺の部屋付きの侍女だった『アルマ・イリス』は、最近になって連絡を寄越した実兄を名乗る男に会っていた。それは他の使用人にも目撃されている。

 アルマとその兄は十二も年が離れており、十年以上も前に兄が実家を飛び出して以来、ずっと音信不通になっていたのだそうだ。

 その実兄は家出してすぐ、高額な給金目当てで『従軍志願兵』(士官学校を卒業せずに軍入りし、戦地に赴くことを目的とした戦闘兵士のこと)となっており、アンドゥヴァリによってミレトスラハから帰国したのだと言っていたらしい。


「アルマ・イリスの実兄である、『ジオット・イリス』と言う名の志願兵が、契約期間の終了で帰国したことは間違いなく、軍名簿にも記録が残っていました。ですが当人は帰国直後に何者かによって殺害され、王都西地区にある廃工場の裏手に埋められていたことが判明したのです。」


 それを見つけ出したのはトゥレンの私兵で、証拠品となるジオット・イリスが身につけていた装飾品を、アルマに見せたことで状況が変わったのだそうだ。


「…つまり兄を名乗った男は偽物だったのか。良く実の家族を騙せたものだな。」

「外見だけなら魔法石で変えることが可能です。但し、その姿を真似るには本人を知っている必要がありますので、黒幕も軍関係者か知人など近しい者の可能性が高いでしょう。」


 そんなこととは微塵も思わず、兄と不仲だった両親には知らせずに、偽物の兄と頻繁に会っていたアルマは、妹思いの振りをした兄から様々な贈り物を受け取っていたという。


「その男をすっかり兄だと信じ込んでいたアルマ・イリスは、ある日疲労回復と滋養強壮にとても良いと言う、高額な薬を手渡されます。時期的にはペルラ王女の来国が迫り、紅翼の宮殿が準備に追われて非常に多忙だった頃で、男は疲れていた妹を労い、これを飲めば元気になると言っていたそうです。」


 ――イーヴの話によると、その薬こそが猛毒の『死神の血(タナトスブラッド)』で、アルマはそれを受け取った後、忙しさに暫くは存在を忘れていたようだ。


「それがなぜ、俺の部屋にあった水差しに入ることになった?」

「ライ様、アルマ・イリスを庇うわけではありませんが、彼女はそれが疲労回復に良いとされる薬だと信じていたのです。そして疲れているように見えたライ様に、お元気になられて欲しいと思った。偶々そこに兄から貰った薬があり、不幸なことにその細やかな思いやりが行き違って、ライ様に猛毒を盛ると言う結果になったのです。」

「待て、それはおかしいだろう。おまえの言うことが正しいのなら、黒幕は俺ではなく、その毒をアルマに飲ませようとしたことになる。特に俺に盛れと指示されていたわけでないのなら、必ず俺が飲むとは限らないだろう。」


 俺の反論に一時の間があり、イーヴは続けた。


「――『未必の故意』という言葉を御存知ですか?」


 『未必の故意』とは行為者が罪となる事実の発生を積極的に意図、希望したわけではないが、自己の行為から〝そうなるかもしれない〟と思いつつ、〝そうなっても構わない〟と認めて行動する心理状態を言う。


「つまりはアルマがライ様の部屋付き侍女であることを知っており、尚且つライ様に心から仕えていると理解した上で、死神の血(タナトスブラッド)を栄養剤のように偽って渡せば、彼女がライ様に〝飲ませるかもしれない〟ことを想定内に入れた行動だったと言うことです。」


 その上でアルマが俺にその毒を飲ませなかったとしても、遅かれ早かれアルマ自身が飲んで死に至れば、今度は暗殺者の息がかかった使用人を俺の侍女に潜り込ませ、最終的には確実に命を奪う手筈だったのだろう。…イーヴはそう言った。


「しかも黒幕は今後、たとえ捕まったとしても、それが毒であることを知らなかったと白を切り通せば証拠がなく、ライ様殺人未遂の罪状では罪を追求出来ません。」

「…随分と頭の良い奴だな。」


 アルマが死ねば本当の兄は既にいないのだから、自分に憲兵の手は及ばない。逃げ道を幾つも用意しつつ、上手く行けば俺を殺せるかもしれないと企んだ計画だったということだ。


「アルマの供述を受け、すぐに紅翼の宮殿付きの使用人全てを調べたところ、我々が身元調査をした人間でない者が入り込んでいることを確認しました。中にはペルラ王女殿下付きの侍女だった者も…」

「なんだと…?」


 俺が王女を頼む、と言ったあの侍女達の中に、そんな人間がいたのか…!?


「使用人を首にしたところで、ただ飼い主の元へ戻られるだけでは堪りませんので、その者達は既に我々の方で手を打ちましたから、ご安心下さい。」


 愕然とした俺に対し、抑揚のない淡々とした声でイーヴが告げる。その言葉は、既にその者達がこの世にはいないことを示していた。

 その意味を知る俺が、〝ご安心下さい〟という台詞通りに安堵することは難しい。誰が実際に手を下したにしろ、命令をしたのはイーヴ本人に違いないからだ。

 かと言って命を狙われているのは俺の方で、それを咎めることは出来ない。イーヴ達がそうして俺の身を守ってくれていたからこそ、俺はこれまで死なずにいられたと言っても過言ではないのだ。


「肝心の黒幕の正体は突き止めたのか?」

「私とトゥレンの私兵を使い、現在調査中です。ジオット・イリスの遺体が見つかったことから、そちらの犯人を捜すことでも辿り着けるかと。」

「………。」


 ――俺が複雑な思いを抱えて黙り込んでいると、暫くしてイーヴは、俺を気遣うような静かな声で「アルマ・イリスをどうなさいますか?」と尋ねて来た。


「このままなにもしなければ、アルマはイル・バスティーユ島へ送られ、刑に服すことになります。ですがライ様がもし、彼女は騙されただけだとしてそれを良しとされないのであらば、無罪放免とする方法もございます。私はライ様のご命令に従うつもりでおりますので、お考え下さい。」

「おまえにしては情に絆されたような珍しいことを言う。」


 思わず俺が苦笑すると、イーヴはしれっとした声で答えた。


「お言葉ですが、私とトゥレンが選別に苦労して侍女にと据えた人材なのです。それが誤っていたとなれば、我々もなにかしらの罰を受けねばなりませんので、それを避けるためでもあるのです。」

「なんだ、自分達のためか…感心して損をしたな。」

「ライ様には、アルマのための行動だと思って頂いても構いません。また一から侍女を探すのは骨が折れるので、ほんの少しの情もないとは申し上げられませんから。」

「ふ…くくっあははは」


 無表情でそんなことを言っているイーヴの顔を想像すると、なんだかおかしくなって笑いが込み上げてきた。

 目が見えなくなって気付いたことがある。イーヴはこれまでその顔に感情を表すことは殆どなかったが、声だけで話を聞いていると、意外にもその調子でなにを感じているのかが俺にわかるようになったからだ。


 自分達のためだと言っているように見せかけて、その声にはアルマへの心配が聞き取れた。顔を見ていてもわからなかったことが、皮肉にも見えないことで気付けるようになったのだ。


「ライ、どうかした!?」


 俺が笑い声を上げたことで、隣室にいたらしいジャンが扉を開けて飛び込んで来たようだ。

 ジャンは俺の目が見えないことを気遣い、なにかあると俺の手に触れて、自分はここにいると意思表示をするようになった。今もすぐに俺の脇へ駆け寄ってきて、俺の腕に触れている。


「ああ、いや…なんでもない。そろそろ腹が減ったな。まだ大して動けもしないのに、腹だけは減るから困る。」

「わかった、すぐに用意するよ、待ってて。」


 入って来たばかりでまたすぐにジャンは離れて行く。


「――イーヴ、アルマが無罪になるように手を尽くしてくれ。あの男がなにか言うようなら、俺から直接頼んでも構わない。…頼めるか?」

「承知しました、ではそのように。陛下よりもトゥレンの方が渋りそうですが、お任せ下さい。」

「…トゥレンが?」


 最後の俺の問いかけには答えず、イーヴは外のティトレイを呼ぶと、話は終わったと言って出て行ってしまったようだ。


「ライ先輩、犯人の侍女を許すんですか?騙されたとは言え、危うく命を落とすところだったのに…」


 寝台の右下の方からティトレイのそんな声が聞こえる。どうやら事前になにか話を聞いていたらしい。


「アルマは俺を殺そうとしたわけではなかったんだ。それがはっきりして、俺はほっとしている。…信用した相手に殺されかけるのは、さすがに堪えるからな。」

「…ライ先輩は優しいですね。いえ、ライ先輩だけでなく双壁も同じですか…自分からすると甘いな、と思ってしまうんですが。」


 そう言った直後に、ティトレイの声色が変化する。


「――許されざるは先輩の命を狙った身の程知らずですが…その者達はいつか必ず、己の行いを悔いる日が来ますよ。…そう遠くないうちに、ね。」

「……ティトレイ?」


 そう言った彼の声は、俺の知るティトレイのものとは思えないほどに、酷く冷酷で思わず背筋がゾッと冷たくなるような…そんな声だった。





遅くなりました。次回、仕上がり次第アップします。

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