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Eternity~銀髪の守護者ルーファス~  作者: カルダスレス
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157 ティトレイとジャン

近衛の詰め所に向かう途中で、ペルラ王女に呼び止められたトゥレンは、王女から意外な頼み事をされます。その願いに難色を示し、理由を尋ねると、ライについて思いも寄らない事実がわかりました。その後の会話でトゥレンは、自分のあることに気付きましたが…?

       【 第百五十七話 ティトレイとジャン 】



「トゥレン様。」


 紅翼の宮殿二階にある自室から階段を降り、謁見殿にある近衛の詰め所に向かう途中で、ペルラ王女に呼び止められ、トゥレンは後ろを振り返った。

 常に淑やかで、急ぎの時も静かに歩く王女が、向こうから珍しくパタパタと足音を立てて()()()来る。


 そう言えば以前この国に留学にいらした際は、王族であろうとするあまりに気を張り詰め過ぎていて、せめて自分と二人の時ぐらいは気を抜いても良いのですよ、と申し上げたことがあったっけ。トゥレンはふとそんなことを思い出した。


 以降王女殿下は、俺の前でだけ年相応の少女のように振る舞い、トゥレン様、トゥレン様、と懐いていて下さった。俺はそんな王女殿下を眩しく思い、微笑ましく見ていたものだ。

 廊下に今、自分以外の人目はない。それで王女殿下は無意識に、あの頃と同じような感覚で気を緩められているのだろう。


 トゥレンはその姿に目を細めつつも、今朝はイーヴが傍にいるはずなのに、ライ様になにかあったのだろうかと、踵を返して近寄った。


「どうされました、ペルラ王女殿下。ライ様になにか?」

「いいえ、ライ様の容態()()お変わりありません。」


 王女の含みある言い方に、トゥレンは眉根を寄せる。


「トゥレン様…突然ですがお願いがございます。ライ様を、一刻も早くどなたかご友人に会わせて頂けませんでしょうか。」


 トゥレンはその台詞を聞いた途端、一層険しい顔になった。


 毒を直接盛った犯人は捕まっても、その裏に他の黒幕がいる可能性は高かった。つまり真の暗殺者は、まだ完全に野放しのままなのだ。

 城内の人間も自分とイーヴ、国王陛下の息のかかった者以外、今は信用出来ない状態であり、そのことを他国とは言え、同じ王族である王女殿下が理解出来ないはずはないだろう、そう思った。


「それは我々やヨシュア・ルーベンス補佐官以外の人間、と言う意味でしょうか。…理由をお伺いしても?」


 それでも王女は、深刻な表情で切実に訴えて来た様子が窺えた。ならばなにか相応の理由があるのだろう。落ち着いてトゥレンはそう尋ねる。


「はい…ライ様は今、生きる気力を失われているのです。身体は死を免れて回復なされているように思えても、心に負われた深い傷は容易には治りません。」


 ――その上視力を失い、口にする食事を自分の目で確かめることも出来ず、寝台から動くこともままならないために、日に日に心が弱っている。ペルラ王女はそう告げた。


「このままではライ様は、いずれ死の神タナトスに捕らわれます。その前に、ライ様が心から気を許せるどなたかに…ライ様が生きようとなさる気力を取り戻して頂きたいのです。」


 『死の神タナトス』とは、人を安らかな死に誘うという神のことだ。苦しみや悲しみから生に意味を見い出せず、心の奥底で死を強く望み続けると、いつのまにか背後に忍び寄り、自ら死を選ぶように仕向けてその命を奪って行くという。


 トゥレンは王女のその言葉を、信じられない気持ちで聞いていた。


 ライ様が命を狙われるのはこれが初めてではない。自分達が傍にいない間にも抜け出した城下で刺客に襲われ、負傷されたことは何度もある。

 戦場でも魔物相手でも、生き延びるためにあれほど必死に戦ってきたライ様が、生きる気力を失っておられる?


「そんな馬鹿な…ライ様はお強い御方だ。時に俺やイーヴなど必要ないのではないかと思うほどに、お一人でなんでも遣って退けられる。特に死には敏感で、戦場でも、こんなところで死んでたまるか、と何度も口にされたのを聞いたぐらいだ。それなのに…」

「――トゥレン様、ライ様はあなた様と同じ人間なのですよ。毒を飲んで命を落としかけ目が見えなくなったのに、気丈でいられるはずはありません。強くあろうとなさっているのは、御自身を孤立無援だと思っておられるからでしょう。」

「馬鹿な!少なくとも俺はライ様のお味方だ!!なにがあってもあの方を裏切ることはない!!この命懸けて一生涯お仕えしようとどれだけ思って…!!」

「…存じております。ですがその思いはライ様に届いておられるのでしょうか?…こう言ってはなんですが、私には一方通行にしか見えませんでした。」


 ペルラ王女にそう言われて、トゥレンは頭を殴られたかのような衝撃を受けた。


「トゥレン様が本当にライ様のことをお思いでしたら、すぐにどなたかご友人を呼んで下さい。ライ様が心を許せるような方を、勿論御存知でしょう?トゥレン様や私では、傷ついたライ様の〝生きていたい〟と思う力を取り戻させることは難しいのです。」


 ショックを受けて言葉を失うトゥレンに、「お願い致します。」と申し訳なさげに言うと、ペルラ王女は後ろ髪を引かれながら、今度は静かに立ち去って行った。


 残されたトゥレンは、近衛の詰め所に向かって惰性で歩き出しながら、意図せずシカリウスに言われた言葉を思い出す。


『せっかくだから教えてやんよ。あんたが守りたいと常々思ってんのは、あくまでもエヴァンニュ王国の王太子であるライだ。自分が望み、そうであることを押しつけたあんたの、〝理想の主君たるライ〟なんだよ。だからあいつの意思を無視して、そうするのが当然だと言わんばかりに王女との結婚を強制できる。それでて〝ライ様のために〟とか言われても、笑っちまうね〜、あんたも副指揮官も、ライが心底嫌ってる自分勝手なこの国の王とおんなじだ。』


「違う!!俺は本当に心からライ様のことを思って…!!」


 ――本当にそうか?


 国王になられたライ様の傍で、誇らしげに立っている自分の姿を、夢見ていないか?一国の王に信頼され、頼りにされる自分をいつも想像しているだろう。

 以前見かけた下町の踊り子が、ライ様に相応しくないと思ったのはなぜだ?ライ様が王太子であることを前提としたからだろう。

 自国の王族であり、自分が忠誠を頂く唯一の主君が、身分の低い下町の女を愛することなど、絶対に許せないからだ。


 そこに、ライ様の御意思はどこにある?ライ様のお心はどこにあるんだ。全ては己の思うことばかりだ。ライ様のお気持ちを伺ったこともない…


 トゥレンは重くなる心を引き摺って、近衛の仕事に出勤して行った。



「――パスカム補佐官…また今日は随分とわかりやすく、落ち込んでいらっしゃいますね。…なにかあったのですか?」


 どんよりとした空気を纏って、書類仕事が置かれたライの机に着くトゥレンに、ヨシュア・ルーベンスは尋ねた。

 早朝にライ様のご様子は見に行ったばかりだから、異変がないのは知っている。だとすると、個人的なことかな?そう困惑した。

 トゥレンはヒラヒラと右手を動かすと、気にするなという意思表示をする。


「ああ、良いんだヨシュア、放っといてくれ。それよりも士官学校の教員が、ライ様にお目にかかりたいと尋ねて来たそうだな。」

「はい。ティトレイ・リーグズという名の男性です。目が悪いそうで、保護用の色つき眼鏡をかけて、義足をつけていました。ライ様とは親しくされていらっしゃるそうですよ。」


 その特徴を聞いてトゥレンは記憶を辿る。ライ様と親しい、そう口にする来客は多いが、大抵は街中で声をかけただけとか、視察先で挨拶をしたとかそんな程度の誇大妄想ばかりだ。だがその名前には覚えがある。


「目が悪くて義足…そうか、昔ライ様が親身になって面倒を見ていらした、近衛隊志願の軍兵だ。優秀な兵士だったが、事故で足を欠損して断念せざるを得なかったのだ。士官学校の教官をしていると聞いてはいたが…もしや学生用の対魔物戦闘訓練プログラムの件か?」

「そのようです。それと個人的に、ジャン・マルセルという少年が、ライ様の標板を持って来ても会わせて貰えないと言っているようで、恐らくですが姿の見えないライ様を心配しているのでしょう。」

「…そろそろ隠しておくのも限界だからな。過労で倒れられて療養中だとでも発表するか?」


 はあ、と深く大きな溜息を吐き、そう言ったトゥレンに、ヨシュアは苦笑して返した。


「それは国王陛下とご相談なさって下さい。自分には判断しかねます。」

「わかっているさ。」


 ――『ティトレイ・リーグズ』に『ジャン・マルセル』…前者はライ様が士官学校を出られてからの友人で、最近になってまた会われるようになったばかりだ。後者はルクサール絡みで知り合った少年だったな。あれ以来ライ様は気にかけ、個人的に可愛がっておられた…




               ♦ ♦ ♦


「――ティトレイとジャンが俺に会いに来るだと?」


 夜遅くになってイーヴ、トゥレン、ヨシュアの三人が寝室に揃い、背中に大きなクッションを入れてようやく上体を起こせるようになった俺に、そんなことを告げる。


「ふざけるな、俺のこんな姿を見せるつもりか?あの二人に余計な心配をかけるだけだろう。」


 さすがに腹が立って文句を言いたかったが、腹に力が入らず、怒鳴るほどの声は出ない。俺自身のプライドなどどうでも良いが、目も見えない、満足に起き上がることも出来ないこんな姿を見られれば、ティトレイとジャンは間違いなく俺の身を案じるだろう。

 なぜこんなことになったのか、どうして動けないのかときっと理由を聞きたがる。それを一切なんの説明も無しに、俺は大丈夫だと言って納得すると思うのか?


「…ライ様、申し訳ありません。彼らには自分が既に、ライ様の倒れられた理由を話してしまいました。」

「ヨシュア…?」


 申し訳なさそうなヨシュアの声が聞こえる。


 ――理由を言った?ティトレイとジャンにか?


「俺が何者かに毒を盛られたと、あの二人に言ったのか!!」


 興奮してカッとなり、身体にかけられた寝具を強く握りしめると、掠れた声が喉から飛び出す。自分でも少し驚いたが、久しぶりに大きな声が出せたのだ。

 だがすぐに息が苦しくなって、ゼエゼエと呼吸が荒くなった。寝台脇にあるはずのサイドテーブルに手を伸ばし、水を取ろうとするがどこにあるのかもわからない。するとすぐに誰かが俺の手を掴んで、水の入ったグラスを握らせた。


「水はこちらです、ライ様。」


 トゥレンの声だ。一瞬でイラッとしたが、見えないのだから仕様が無い。グラスらしきものを口に運ぶ前に一度躊躇い、これには毒は入っていないと思い直して水を飲んだ。


 情けのない話だが、目が見えないと余計口にするものに対して敏感になる。暗殺者を雇われ、出先で破落戸などに襲いかかられたことはあるが、自室で自分の物に毒を盛られたのはこれが初めてだった。

 軍事棟の居住区に住んでいた時は、他人が室内に入ることもなかったため、すっかり油断していたと言わざるを得ない。これだから王宮暮らしは嫌なんだ。


「――嘘を吐くな、ヨシュア。貴殿が俺に黙って事情をバラすはずはない。貴殿がそう言えば俺があまり怒らないだろうと、イーヴとトゥレンに言わされたのか。」

「ち、違いますライ様、俺が自分から――」


 慌てるヨシュアの声がする。言い出したのは確かにヨシュアからかもしれないが、ティトレイ達に事情を話したのは違うだろう。俺を騙せると思うなよ…!


「ティトレイ・リーグズ教官と、ジャン・マルセル殿に詰め寄られ、事情を打ち明けたのは私の判断です。なぜ命を狙われたのかについては誤魔化し、ライ様が王族であることは話しておりません。」

「イーヴ…」


 そうだろうな、おまえだろう。余計なことを…!


 顔が見えないのは悔しい。どうせいつものように無表情で淡々と話しているのだろうが、過去とは違い、それでも目を見れば、なぜそんなことをしたのか考えていることを読み取ろうという努力は出来たからだ。


「ライ様の体調が快方に向かわれたことで、我々も溜まっている近衛の仕事に本腰を入れることが可能になりました。ライ様さえよろしければ、今後は彼らに身の回りのお世話をお願いしたいのです。」

「身の回りの世話…?」

「はい。食事の世話から身体を動かすための訓練、掃除に衣服の点検、入浴の世話まで全てです。」

「おい!ティトレイとジャンは使用人ではないぞ!!」

「承知しております。ですが彼らは、ライ様が信頼している数少ない人間でしょう。その証拠に、二人は快く了承して下さいました。特にジャン・マルセル殿は、元気になられたライ様に、今度こそ剣を教わるのだと喜んでおりましたよ。」

「な…」


 ――ジャンが…?



 イーヴの持ち出したジャンの話で、ライの表情が和らぎ一瞬で怒りが静まった。イーヴ、トゥレン、ヨシュアの三人はそれを見て一先ずほっと胸を撫で下ろす。

 目の見えないライには知る由もないが、計画通りに上手く行ったと、三人は互いに頷いていた。

 二人に事情を話したことを告げるのはヨシュアの役目にして、その後でイーヴが目的と理由を話せば、ライがあまり興奮せずに済み、すぐに落ち着きを取り戻すだろうという三人で相談した結果だ。


 その最たる目的は、ペルラ王女に告げられた通り、日に日に心が弱っていると言う『ライの生きる気力』を取り戻すことだ。

 視力を失ったことは、同じように目を悪くしているティトレイがいることで支えられ、身体を動かすことは、ジャンとの約束を守ろうとすることで、励みになるはずだと考えたのだ。


 これまではイーヴとトゥレンが交代で、ライの部屋に24時間待機していたが、ティトレイとジャンにはライの自室にある客室に滞在して貰うことで、侵入者の監視とライの体調管理も担って貰うことにしたのだった。

 これによりイーヴとトゥレンは近衛の仕事に専念でき、回診を行うことで他の医師を雇う必要もない。

 ペルラ王女の魔法による治療も回数を減らして、王女には本来の予定である花嫁修業(という名の勉強)を行って貰うつもりなのだった。


 その計画に最も障害だったのは、ライ本人の承諾である。いくらティトレイとジャンが承諾してくれても、ライが嫌がれば無理を強いることは出来なかった。

 ただでさえ弱り切った身体に、これ以上のダメージを与えることは絶対に避けなければならないからだ。



「ティトレイ・リーグズ殿は、実技指導の教官を務める優秀な剣の使い手です。万一の侵入者にも後れを取ることはないでしょう。彼らには明日、来城するように伝えておきました。その後はライ様が承諾して下されば、彼らはこの部屋に滞在することになります。」


 ティトレイとジャンが俺の世話を…


 ――正直に言えば複雑だ。だがあの二人なら、俺が弱音を吐いても気にせず傍にいてくれるだろう。

 なにより…目の見えない恐怖を、ティトレイは良く知っている。


「…わかった、明日だな。二人の意見を聞いてから、改めてどうするかを決めることにする。今、近衛の方はどうなっている?問題はないのか?」

「はい、大きな問題はありません。一件ほど憲兵隊より支援要請が来ておりますが、そちらは既に対処済みです。」

「そうか…暫くは頼んだぞ、イーヴ、トゥレン、ヨシュア。」



 目の見えないライに三人は返事をして、ライの寝室から出て行く。この後はイーヴだけがここに残り、トゥレンとヨシュアは自室に帰るのだ。


「倒れられてから、初めて近衛の仕事をご心配なされたな。それも暫くは俺達に頼むと…少しお元気を取り戻されたのだろうか?」

「そうですよ、パスカム補佐官。先程のライ様は、明らかに表情が変わられました。紫紺と緑のヴァリアテント・パピールに光が戻られたような…そんな気がします。」


 小声でヒソヒソと、寝室のライに聞こえないように注意しながら、三人は話をする。


「ペルラ王女殿下に感謝しなければ…我々ではライ様の精神面にまで気付くことは出来なかった。私とトゥレンは精神科医ではないからな…お身体さえ良くなられれば、すぐに元通りになられるだろうと思っていた。」

「ああ。俺は…ライ様はお強い方だと思い込んでいた。色々と…考えを改めなければならないようだ。」


 トゥレンの気落ちした顔を見て、イーヴは意外なことを口にする。


「――命を狙われて平気でいられる人間はそういない。それを心騒がずに受け止められるのは、既に精神に異常を来した者だけだ。たとえこれまで何度か返り討ちにしてきたと言っても、側で信用していた人間に裏切られたのはやはり堪えられたのだろう。ライ様は元々王族であることを望まれていない。我々はそのことを忘れてはいけないのだ。」





 翌日の昼前に、ティトレイ・リーグズとジャン・マルセルは、ヨシュア・ルーベンス近衛第二補佐官に案内されて、初めて紅翼の宮殿に入り、長い廊下をライの自室に向かって歩いていた。


「すっげえ…ライって本当にお城に住んでたんだな。」

「ジャン・マルセル。言葉に気をつけないといけないよ。せめてラムサス近衛指揮官とお呼びしなさい。」

「ラ、ラムサス近衛指揮官…呼びにくいなあ。ライ先輩…はおかしいから、ライ殿かライ様、じゃだめ?」

「…その呼び方は閣下の方が嫌がりそうだなあ。」


 ティトレイとジャンのやり取りを見て、二人の前を歩くヨシュアは思わずくすりと笑った。


「宮殿内での共通路で呼び捨てはさすがに困りますが、ラムサス近衛指揮官閣下のご自室内での呼称は閣下の仰る通りになさって頂いて構いませんよ。」

「本当か!?」

「ジャン!」


 喜び勇んでヨシュアにタメ口を利いたジャンを、横からティトレイがポカリと頭を目掛け拳の底で叩いた。


「あいてっ!!」

「ルーベンス近衛第二補佐官も、お若いがとても偉い方なんだよ。親しみを持つことが悪いとは言わないが、目上の方に敬語を使うことを覚えなさい。」

「はあい…すみませんでした。」


 ヨシュアは気にせずクスクスと笑っている。


「賑やかでいいですね。どうかその明るさで、閣下をお元気にさせて下さい。」


 ライの自室扉前で足を止めると、二人に振り返ってヨシュアは注意を促した。


「――閣下の顔色に驚かれても、あまり心配されないように願います。視力はいずれ回復される見込みですが、今は僅かな光しか感じられておりません。食事もそれほど召し上がっておられませんので、少しお痩せになりましたが、あなた方が会いに来られると聞き、今朝は楽しみにしておられるようでした。」

「…閣下のお身体に、もう問題はないと伺いましたが、他に気をつけることはありますか?」

「水を飲まれる時に躊躇われる場合があります。水差しの水を飲んで倒れられたので、その時のことが(よぎ)られるのでしょう。飲食物についてはなにが入っているとか、細かく説明して差し上げて下さい。ご本人は無意識に、ご自分の目で確かめられない恐怖を感じておられるのだと思います。あまりお食事を召し上がらないのはその所為でしょう。」


 ヨシュアの言葉を聞いて、ジャンはショックを受けた。自分の知るライからは想像もつかない話だったからだ。

 ティトレイはその様子に気付きながらも、構わずヨシュアに丁寧な返事をする。自分とジャンに課せられたのは、ただの世話係ではない。

 猛毒を飲んで九死に一生を得たものの、二週間以上もの昏睡につき、すっかり身体が弱ったために目まで見えなくなってしまった、ライの生きる気力を取り戻すことだ。ティトレイは事前にそう説明を受けていた。


「畏まりました、十二分に注意を払います。目が見えなくなる恐怖は、自分にも良くわかりますから。」

「よろしくお願いします。室内にトゥレン・パスカム第一補佐官と、シェナハーン王国からいらしたペルラ・サヴァン王女殿下がおいでです。詳しくは方々にお聞き下さい。」


 ヨシュアは部屋の扉を叩いて、ティトレイとジャンが来たことを告げると、女性の声で返事があったのを確認し、扉を開けた。


 ジャンの目に室内の豪華な家具と、俺達だったら何人が暮らせるだろう?と首を捻りたくなるほどに広い中が見えた。

 室内に敷かれた絨毯に、足音が吸収される。リビングと思われる部屋には、一人暮らしのライには大きすぎるダイニングテーブルと、椅子が並べられてあった。


 ここにライは一人で暮らしてるのか。…すんげえ豪華だけど、なんだか寒いな。ジャンはそう思った。

 今自分達が暮らしている避難所は、大部屋だけど狭く感じるぐらいで、いつもマリナやネイ達の声がして、爺ちゃんも傍にいるから温かい。

 そう感じてジャンは、ライが時折寂しそうな目でマリナ達を見ていたのを思い出した。


「良くいらっしゃいました、リーグズさんとマルセルさんですね。私はナシュカ・ザクハーン・ペルラ・サヴァンと申します。」


 その、目が潰れるんじゃないかと思うほどに、次元の違う高貴な女性を見て、ジャンは思わず呟いた。


「すげー…お姫様がいる。」

「こらジャン!言った側から…!!も、申し訳ありません、ペルラ・サヴァン王女殿下。ティトレイ・リーグズとジャン・マルセルです。よろしくお願い致します。」

「ええ、よろしくお願いしますね。ライ様は寝室です、ご案内しますわ。」


 ポカンと口を開けたままのジャンに微笑み、ペルラ王女は二人を寝室に案内した。


 なんで隣国の王女様が俺達を迎えるために、ライの部屋にいるんだろ…回復魔法をかけてくれてるって話だったけど、なんだかそれだけじゃねえような…


 世間にはまだライとペルラ王女の婚約発表はされていないため、なにも知らないジャンだったが、勘は鋭かった。


「ライ様、ティトレイ殿とジャン少年が参りました。」


 寝台で大きなクッションを背に、上体を起こしたライがいる。血の気のない病人のような青白い顔色に、少し痩せて頬が痩けたように見えた。

 左右色違いの目は開いているが、その瞳はティトレイとジャンの方を向かない。その代わりに耳に意識を集中しているようで、少しだけ微笑みながら優しい声で、二人の名前を呼んだ。


「ティトレイ…ジャン?そこにいるのか?」


 ライの自分を呼ぶ声に、ジャンは寝台に駆け寄ると、傍にいたトゥレンを突き飛ばしてライに抱きついた。


「痛っこ、こら乱暴は…!!」


 声を上げたトゥレンを無視して、ジャンはライに訴える。


「ライ…ライ、心配したんだぜ!!ずっと姿が見えなくって…けど生きててくれて良かった。ライさえ良ければ、俺とリーグズ教官が傍にいるから!もう誰にもこんなことさせねえ…!!」

「ジャン…。」


 ライの顔になんとも言えない、優しい表情が浮かんだ。それを見たトゥレンとペルラ王女、ティトレイはホッと安堵する。


「ジャンが俺の面倒を見てくれるのか?俺は今なにも出来ないから、全部おまえに頼るかもしれないんだぞ。大人の子供みたいなものだ、大変だろう。」

「任せろよ!爺ちゃんやマリナ達の食事だって、殆ど俺が作ってるんだぜ?すっかり痩せちまって、ガンガン俺の作った飯で元通りに太らせてやるからな!」

「…太っていた覚えはないが、そう言えば前にご馳走になったジャンの飯は美味かったな。楽しみだ。」


 自分にしがみ付くジャンの頭をポンポン、と軽く撫でると、ライは顔を上げてティトレイを呼んだ。


「ティトレイ。」

「ライ先輩、ここです。俺より先に目が見えなくなるなんて、驚きましたよ。視力は戻るそうですから、それまで俺がしているのと同じ日常訓練をしましょう。今度は俺の方が先輩ですね。」

「はは、そうだな…ありがとう、ティトレイ、ジャン。すまないが、暫くの間よろしく頼む。」


 ――二人と話してから決める、と言っていたライだが、ジャンとティトレイの声を聞いた途端、素直に受け入れていた。

 ペルラ王女とヨシュアは心から良かった、と微笑んでいたが、その横でトゥレンだけが暗い顔をしている。

 自分があんな風にライに接して貰えないのは、自分の方に原因があったのだと、ようやく思い始めたからだった。


 こうしてティトレイ・リーグズとジャン・マルセルは、ライが回復するまでの間、ライの自室にある客室に同居し、侵入者の対策とライの身の回りの世話全てを二人がすることになったのだった。




「――まだ油断は出来ないが、これで我々も手分けして動くことが可能になる。」


 ライの自室前の廊下で、様子を見に来たイーヴとトゥレン、ヨシュアの三人が話し合う。


「アルマ・イリスの有罪が簡易裁判所で確定した。明日の午後にもイル・バスティーユ島に護送されるだろう。最後の機会は午前中までだ。」

「ウェルゼン副指揮官…どうなさるおつもりなんですか?極秘捜査とは言え、刑が確定すれば我々の手を完全に離れてしまいます。今後は誰を通しても面会は出来なくなるでしょう。」

「ティトレイ・リーグズに協力して貰い、ライ様にアルマ宛ての書簡を用意して頂くつもりだ。後は私の方で調査をした結果と…トゥレン、貴殿が所持している、その鎖の切れたペンダントがあれば、アルマ・イリスが自供を示唆してきっと間に合うはずだ。」

「…ああ。」


 トゥレンは未だ暗い顔をして頷いたが、気を取り直して口を開いた。


「憲兵からの依頼の方はどうなった?『太陽の希望(ソル・エルピス)』は引き受けてくれたのか?」

「リーダーのルーファス・ラムザウアー殿は不在らしい。代わりについ先日Sランク級守護者に昇格したという、シルヴァンティス・レックランドと同じくリヴグスト・オルディス、それにマリーウェザー・レックランドという女性のメンバー三人が引き受けてくれるそうだ。」

「シルヴァンティス…マリーウェザー?…俺の気のせいか?どこかで聞いたことのある名前のような気がするが…」

「私もそう思ったが、思い出せない。依頼についての直接面談は、三日後だ。」

「三日後?遅くないか?」

「彼らは既に、事件のあった街へ調査に向かったのだ。そこを調べた結果を持って顔を合わせると、駆除協会から連絡があった。」

「仕事が早いのですね、さすがは上級パーティーですか。しかも数えるほどしかいない『Sランク級守護者』が、リーダーを合わせて三人もいるなんて…」


 ヨシュアは以前、ルクサールからの帰還途中にアーケロンという怪物に襲われた際、助けに入ってくれた『太陽の希望(ソル・エルピス)』というパーティーメンバーを思い出していた。


 確かあの時、液体傷薬を譲ってくれた銀の斑髪をした男性が、シルヴァンと呼ばれていたのを覚えている。あの時は薄紫色の髪の女性と、赤毛のツンツンした髪の青年、それとリーダーの銀髪を束ねたメンバーだったはずだ。


 それからメンバーが増えたのかな?ふとそんなことを考える。



 同じ頃…ライの恋人である『リーマ・テレノア』は、食材などの買い出しに中級住宅地にある商店街に出ていた。

 買った食材や雑貨を入れた紙袋を抱えて、城の方角を気にしながら歩いていると、後ろから同僚の踊り子に声をかけられた。


「リーマ!買い物?」

「ポリー。ええ、食料庫が空になるところだったの。」

「最近はこっちの店に来てるのね。以前は下町の食材屋で買ってたでしょう?鮮度は良いけど高いのに。」

「うん…少しでも美味しいものをと思って。」


 ――ライがいつ来ても良いように、食材だけは少しでも良い物をと思っているのだけれど…当分は無理よね。…だって今ライは…


 ライは今、毒を盛られたせいで動けなくなっている。命は助かったけれど、目が見えなくなって身体がとても弱っている…二度目に尋ねて来たヨシュアからそう聞いたリーマは、今にも泣き出してしまいそうになる。

 私はライの恋人よ。具合が悪いのなら愛するライの看病をしたい。食事も掃除も、身の回りの世話はなんだってしてあげるのに、どうして傍に行くことも出来ないの。


 リーマは悔しさに唇を噛んだ。


「大丈夫?リーマ…なんだか泣きそうな顔をしてるけど、なにかあったの?またカレンになにかされた?」


 ハッとしてリーマは無理に作り笑いをした。ただでさえこのところ体調が悪いのに、心配をかけてはいけない。そう思っていた。


「ううん、なんでもないわ。カレンは話しかけても来ないし…大丈夫よ、ありがとう。」

「そう?無理しちゃ駄目よ?それじゃ、あたしこっちだから。また明日ね。」

「また明日。」


 同僚の踊り子にそんな挨拶をして手を振り別れると、リーマは住宅街の路地を自宅に向かうために曲がった。


 すると――


「うう…あ、足が…」


 薄汚れた外套を着て、フードを目深に被った、掠れた声の老婆が道端に蹲っていた。


「大変…大丈夫ですか?怪我をされたの?」


 リーマはそれを見るなり駆け寄ると、しゃがんで地面に買ったばかりの品物を置き、足をさする老婆の肩に手を伸ばした。


「足を捻ったのね…」


 ちらりと老婆を見ると、フードからは白髪交じりの濃い紫色をした、長い髪が見えた。


 見かけないおばあちゃんだけど…どこから来たのかしら。リーマは思う。


「すまないねえ…乱暴な若者とぶつかって、転んでしまったんじゃ。心の優しいお嬢さん、申し訳ないのじゃが、すぐその先の建屋向こうに商売道具があるんじゃ、そこまで手を貸して貰えんかのう。」


 老婆はその粗末な外套に似つかわしくない、紫水晶のついたサークレットをしており、目尻に皺はあるものの薄紫色の神秘的な瞳を細めて、リーマにそんな頼み事をした。


「ええ、もちろんよ。少し待ってね、そこの木の陰に荷物を隠してくるわ。」


 それでもリーマは快く引き受け、家屋の植え込みの影に買った品物を袋ごと隠すことにした。老婆はその後ろ姿をじっと見ている。


「さあ、どうぞ、私の手に摑まって下さい。立てるかしら?」


 老婆はよろよろと立ち上がり、リーマの手を借りて、その『商売道具』が置いてある場所まで、時間をかけてゆっくり歩きなんとか戻ることが出来た。

 その場所に着くと、リーマは目を丸くする。細い路地の片隅に布がかけられた小さな机と、丸椅子が置いてあって、偶にお祭りなどで見かける、占い師の露店にそっくりだったからだ。


「あら…?これって、小机に丸椅子…?おばあさん、もしかして…」

「わかるかい?普通はこれを見ると胡散臭そうな顔をするもんじゃが、おまえさんは縋るような目をするねえ。やはり縁があるようだの…そんなおまえさんを見かけて、この(ばば)はわざと声をかけたのじゃ。」


 そう言うと老婆は椅子に腰かけて、何処からともなく『虹色に輝く水晶玉』を取り出した。


「わしの名はラーミア・ディオラシスという。失せ物や人捜しを得意とする占い師じゃが、時に気まぐれで未来を視て人助けもしておるのじゃよ。」


 占い師ラーミアは思わせぶりにそう告げて、リーマに目を細めるのだった。





次回、仕上がり次第アップします。

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