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Eternity~銀髪の守護者ルーファス~  作者: カルダスレス
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155 トゥレンの苦悩

隣国の王女が来国した日に、毒を飲んで倒れたライは、未だ目覚めることなく昏睡状態でした。医師の資格を持つトゥレンは、同じくイーヴと交代で24時間ライに付き添い、この日も寝台で昏々と眠り続けるライを見つめていました。やがて朝になり、ペルラ王女がトゥレンの朝食を運んできましたが…?

        【 第百五十五話 トゥレンの苦悩 】



 ――青白い顔で横たわり、ゆっくりとした呼吸だけを繰り返す、昏睡状態の主君(ライ)を見つめるトゥレンがいる。

 普段は明るく周囲に人好きのする笑顔を向ける彼が、今は寝台脇で小さな丸椅子に腰かけ、数多くの薬が用意されたワゴンを傍らに、少し(やつ)れた顔をしていた。


 ここはエヴァンニュ王国王城内『紅翼の宮殿』三階にある、ライの寝室だ。


 外からピチュピチュと(さえず)る小鳥の声が微かに聞こえ、窓にかけられたカーテンの隙間からは朝日が差し込んで来ていた。


 もう朝か。容態は安定しているが、今日もライ様はお目覚めにならないのだろうか。そう思いながら彼は眉間に深い皺を寄せ、黄緑色の瞳を後悔の念に曇らせると、眠っている主君に聞こえないよう小さな溜息を吐く。


 ――王女到着で国が浮き足立つこんな時こそ、敵にとっては動く恰好の機会なのだと『元暗殺者(シカリウス)』から忠告を受け、いつものように『(スコトス)の眼』で周囲を隈なく監視し、自分では僅かな油断もしていたつもりはなかった。

 それなのにまさかイーヴと二人、あれほど厳選して選んだ侍女の『アルマ・イリス』が、部屋の水差しに毒を盛るとは…腸が煮えくり返る思いだ。

 あの日朝ここを訪れた際、女は『赤い光』を放ってはいなかった。殺意がないのに毒を盛ったと言うことなのか?事故さえも予見出来るようなことを言っておいて、これでは従者の異能などなんの役にも立たないではないか。


 特異能力を以てしても見抜けぬ殺意や企みがあるのなら、今後はもっと神経を張り巡らせなければならない。ライ様をお守りするのは俺の役目なのだ。


 そう思いながらも、トゥレンは自分だけが必死になっても駄目なのだと考える。


 今のところ大きな問題こそ起きていないが、イーヴとはアリアンナの一件以来しっくり行かず、以前のようには付き合えなくなった上に、依然として赤い光も消えていない。

 ヨシュアは忠実な臣下だが、真っ直ぐ過ぎて『王族の盾』となるには、汚れ仕事や時に冷酷非情にもならざるを得ない『裏側』には向いていなかった。


 誰かライ様のために命を賭けられる人間で、尚且つ自分が全幅の信頼を置ける者…そんな誰かがいればいいのに、と悩む。

 だがそれも、このままライが目覚めなければ意味のない話だった。


 ――午前七時を告げる教会の鐘が聞こえると、トゥレンは立ち上がって窓のカーテンを開けた。

 差し込む朝日がその顔を照らすことで、〝眩しい〟と文句を言いながら目を開けてくれることを期待するが、今朝もライに反応はなかった。


「おはようございます、トゥレン様。朝食をお持ちしましたわ。」


 コンコン、と扉を叩く音がしてすぐに開くと、ライの婚約者であるペルラ王女が静かに入って来る。狐色の長い髪をすっきり纏めて結い、動きやすく簡素な衣装を身につけていた。

 その手には持ち手の付いたトレーに乗せられたトゥレンの朝食がある。普段使われている配膳用のワゴンでは車輪がガラガラと大きな音を立てるため、廊下からわざわざそれに移して運んできてくれたのだった。


 ライが毒を飲んで倒れて以降、この部屋には医師の資格を持つイーヴとトゥレンに側付きのヨシュアと、ライの信頼を得ている(と思われる)ペルラ王女以外が入ることは禁じられていた。

 ライを殺そうとした犯人が身元の確かな侍女であったことから、現在は各所に国王陛下の親衛隊が常時監視に立ち、紅翼の宮殿付きの使用人でさえ三階に上がることを許されていなかった。

 そしてイーヴとトゥレンは交代で24時間ライに付き添い、ヨシュアが近衛の仕事を主に担っている状態で、誰も信用することが出来ない中、ペルラ王女が色々な面での協力を申し出てくれたのだった。


「申し訳ありません、王女殿下。サヴァン王家の至宝にこのようなお手数までおかけしてしまうとは…」


 トゥレンはサイドテーブルへ朝食を置いたペルラ王女に頭を下げる。王女がこうして食事を運んで来るのはこれが初めてというわけではないのだが、その度にトゥレンは恐縮してしまい、こんな風に生真面目に謝っていた。


「私の方から申し上げたのですから、もうそのように謝らないで下さい。…今朝はお顔色が優れませんね、少し仮眠を取られた方がよろしいのではありませんか?」


 表面上の言葉だけではなく、真実トゥレンの身を案じている様子の眼差しに、〝ペルラ王女は本当にお優しい方だな。〟とトゥレンは思う。そうしてあまり心配をかけないように、少し無理をして笑顔を作った。


「…ありがとうございます。イーヴとの交代前に身が持つようにきちんと寝ておりますから、どうかご心配なく。本日もライ様への日に三度の回復魔法をよろしくお願い致します。」


 一度顔を上げたトゥレンが再び頭を下げると、彼女は心配そうに見ながらもそれ以上は言わずに微笑んだ。今はなによりも、ライが目を覚まさないことの方が、トゥレンにとって心配なのだとわかっているからだ。


「はい、微力ながら努めさせて頂きます、お任せ下さい。」

「感謝致します。…俺も王女殿下のように魔法が使えれば、ライ様を自分の手で癒やして差し上げられるのですが…御役に立てず残念です。」


 悔しさと無念さの入り交じった顔で目線を落とすと、トゥレンは沈んだ声を出した。


「エヴァンニュ王国では、ほぼ全ての方々が魔法を使えないのですもの。トゥレン様はその理由を御存知でしたか?」

「え?…いえ、知りません。我々が魔法を使えないことに理由などあったのですか?」

「ええ。ライ様もそういったこの国の特異な歴史などについて知りたがっていらしたので、お目覚めになったら今度ゆっくりお話ししましょうね。」

「そうですね…それは是非。楽しみにしております。」


 そんな会話を交わした後、王女は「コーヒーが冷めないうちに朝食をどうぞ。」とトゥレンに言って寝台脇に向かうと、眠っているライの様子を確認してから、さっきトゥレンが座っていた丸椅子に腰を降ろして、間もなく回復魔法をかけ始めた。

 そのまま自分の魔力が半分くらいに減少するまで、ライに体力を回復させるための魔法を継続して放ち続けるのだ。


 ペルラ王女はこれをもう一週間以上毎日、朝、昼、夜の三度続けていた。


 なぜ魔力の使用量が半分までなのかと言うと、そこまでなら三時間ほどで完全に魔力が回復し、一日に何度も同じようにして回復魔法を繰り返せるからだ。

 普通の人間は一度の魔法使用時に、半分以下になるまで魔力を消費すると、完全回復するまで丸一日がかかる。だが消費を抑えて半分以下にならないように気をつけると、その分早く完全回復してくれるのだ。

 要するに、疲れ切る前に体力を温存することで、長時間動けるようにするのと同じことだ。


 そして王女の使用しているのが『治癒魔法』ではなく『回復魔法』である理由だが、こちらはライの身体が損傷を受けているのではなく、覚醒しないことで食事を取れずに、体力を消耗しているからだというのは理解して貰えるだろう。

 当初イーヴとトゥレンの見解では、解毒は間に合ったことから、ライの体力ならすぐに目を覚ますだろうと予測していた。

 ところが三日経ってもライの意識は戻らず、ペルラ王女の申し出を受けて回復魔法を施して貰うことになったのだった。


 王女が魔法を使用している間に、トゥレンは手早く朝食を済ませる。小さめの丸パンが一つに、果物の付いた野菜サラダとコーヒーが一杯という献立だ。

 トゥレンの身体に必要な食事としては圧倒的に足りないが、その程度の量しかないのは、出来るだけ眠くならないようにするためだった。

 もしライの容態が急変した際に居眠りをしていて気づくのが遅れた、なんてことが万が一にもないようにしているのだ。


 回復魔法の淡い緑色の光に照らされた王女の横顔を見て、コーヒーを飲みながらトゥレンは、やはり王女はお美しいな、と目を細める。

 王族に相応しい所作と立ち居振る舞い、叡智と思いやりに優しさを兼ね備えて"生まれながらの淑女" と諸外国からも褒め称えられるペルラ王女は、身分差があって思いを寄せるには至っていないものの、トゥレンにとっては理想の女性だった。


 穏やかで人を不快にさせない話し方と耳に心地よい柔らかな声。控え目で押しつけがましくなく人を気遣う物言いに、ライ様が本当に羨ましいなと心で呟きつつ、トゥレンはふと闇の眼でペルラ王女を見ておこう、と思いついた。

 この縁談は王女殿下が乗り気になったことで纏まったことから、目に見えるのはライへの愛情を示す『桃色』であることは想像に難くないが、侍女の件もあることから、念のために忠実(まめ)に確かめておいた方がいいと気付いたからだった。

 そうしてトゥレンはそうと意識せず、自然に切り替えて『(スコトス)の眼』で王女を見た。見て、自分が想像していたのとは異なる色を発していることに、驚く。


 ――その時丁度扉を静かに叩く音がしてすぐ開き、イーヴが隙間から覗き込むようにして顔を出した。


「トゥレン、ペルラ王女殿下がここにいらっしゃる内に、急ぎ伝えておきたいことがある、来てくれ。」


 イーヴはヒソヒソと小さな声でトゥレンを呼んでいる。トゥレンはペルラ王女とライの方を一瞥してから静かに立ち上がって足早に隣室へ出ると、あまり音を立てないようにして背後の扉を閉めた。


「どうした?」


 こんな時にまたなにか起きたのかと、トゥレンは顔を顰める。交代の時間でもないのに訪れた上に、イーヴが険しい顔をしていたからだ。

 19時交代でトゥレンが24時間、徹夜でライに付き添っている時は、イーヴがヨシュアと近衛の仕事に従事し、その後仮眠を取って夜に交代することになっている。

 その間ヨシュアは近衛の詰め所に待機し、ライの書類仕事を肩代わりしながら、ライの命令に従って動いているように振る舞い、ライが臥せっていることを隠す役目を担っていた。

 ヨシュアが休憩時にここへ様子を見に来ることはあっても、イーヴが顔を出すのは予定外のことだった。


「憲兵から近衛に緊急連絡が来た。城下で民間人が犠牲になった不可解な事件が発生したらしい。」

「なに?近衛に要請すると言うことは、手配が必要な凶悪犯による殺人事件か?」


 エヴァンニュ王国で憲兵隊というのは、主に犯罪に対応する国家機構のことを言う。その憲兵隊から近衛に連絡が来る時は、特定の事象について詳細な調査が必要になる時と、憲兵隊の権限では捜査に限界がある時など厄介な場合が殆どだった。

 特に殺人事件での連絡は、王国中に凶悪犯の緊急手配を行う場合や、憲兵隊では許可なく捕らえることの出来ない、一定以上の身分がある犯罪者が対象であったりする。

 そのどちらの場合も対応が急務で、解決するまでには長期化することが多い。


「いや…詳しくはまだわからないが、多数の目撃者がいる中、道を普通に歩いていた男が突然爆発したと言っている。」

「な…被害は!?」

「しっ!大きな声を出すな、聞こえるだろう。それが奇妙なことに、死者は爆発した当事者だけで、真横を歩いていた人間は怪我もなく無事だったそうだ。周辺にいた人間も被害者の大量の血液と、飛び散った骨肉片を浴びただけで怪我はなく、現場に爆発物の痕跡や爆発系魔法石を使用した形跡もないことから、異常な事件だと判断しこちらに連絡して来たらしい。」


 ここまで話し、イーヴにしては珍しく戸惑うような表情を見せた。どうしたものかと考えあぐねている上に、ライが昏睡状態であることを隠しながら、近衛の仕事を通常通り熟すことに無理があると感じ始めていたためだった。

 ライが公に姿を見せなくなって既に半月近くになる。ライ宛ての公務が溜まる一方で、これ以上なにか大きな()()が起きれば、『王宮近衛指揮官が隣国の王女を出迎えた日に、王城で毒殺されかけた』と言う、コンフォボル王家にとっては国内外での大不祥事になる事件を、このまま隠し続けるのはかなり難しかった。


「憲兵隊で手に負えないからこっちに振ったのだな…しかし今そんな連絡を寄越されても困るぞ。」

「ああ、こちらもそれどころではない。近衛隊士の中にも、なぜライ様が出勤して来ないのかと不審に思う者が出始めている。国王陛下はライ様のご不在をなんとしても隠せと仰るが、なにも知らない憲兵隊はライ様の協力を第一に要請して来ているのだ。恐らくは未知の魔物による被害の可能性を視野に入れているのだろう。ライ様は守護者の資格(ハンターライセンス)を所持しておられるし、国外にいる魔物にもお詳しいから、現場を見て話を聞かせて欲しいと言っている。」


 ――確かに爆発物や魔法石による痕跡のない事件なら、我々の知らない魔物の仕業である可能性は高い。憲兵隊や守備兵隊から魔物駆除協会(ハンターズ・ギルド)への協力要請は近衛の判断に任されており、連絡が来るのは道理か。…そうトゥレンは納得する。


「それは無理だな、ライ様は今もお目覚めになっていない。それでイーヴ、おまえはどうするつもりだ?」

「憲兵には事件に関する詳細の提示を書面で行うように指示し、それを精査した上で対策を練ろうと考えている。もし魔物であるなら駆除協会(ギルド)の手を借りることも視野に入れた方が良いだろう。」

「ああ、それには賛成だ。」


 大きく頷いたトゥレンを見て一旦言葉を切り、さらに声を潜めてイーヴは切り出した。


「…それとトゥレン。アルマ・イリスの有罪が数日中に確定しそうだ。」


 それを聞いた途端にトゥレンはビクン、と大きく身体を揺らし、少し経ってから怒りの感情を顕わにして「そうか。」と一言返すと、悔しげに唇を噛んだ。


「罪が確定すれば、表向きは監獄に収容されたとしても、確実に影で処刑されることになるだろう。…何度も言うが、使われた猛毒はこの国には存在しない酷く入手が困難な代物(しろもの)だった。首謀者は必ず別に存在する。アルマが処刑されてしまえばそれも全て闇の中だ。」

「…それでもアルマ・イリスは口を割らないのだろう。首謀者を吐かないのであれば、我々に出来ることはもうない。それになにより、俺はライ様の水差しに毒を入れたあの女を絶対に許せん。処刑するというのなら、俺が進んでこの手を下したいぐらいだ。」


 その心情を吐露したトゥレンに、イーヴは短い溜息を吐く。


「――アルマはそれとは知らずに入れた可能性が高い。…ライ様なら真相究明のために、彼女を救おうとなさることだろう。だから()()まだ手を尽くす。貴殿はライ様がお目覚めになったら、必ずアルマのことを真っ先にお伝えしろ。それでも間に合わなければ仕方ないが、私情から重要な判断を誤るなと忠告はしておく。」


 イーヴのトゥレンを見る目は冷ややかだった。それは親友に向けるものでも、同僚に向けるものでもない、感情的になってなにが最も重要なのかを見誤るようでは先が知れる、という呆れから来る眼差しだ。トゥレンはそう感じて、胸にズキンと強い痛みが走った。


「19時には交代する。なにかあればすぐ私に知らせろ。」


 トゥレンの返事を待たずに踵を返すと、イーヴはそう言ってスタスタと足早にライの自室から出て行ってしまった。

 イーヴが自分に呆れている。前のイーヴなら、あのような冷ややかな視線を俺に向けることはなかった。やはりアリアンナが死んだのは俺の所為だと、恨んでいるのかもしれない。


 トゥレンはそう思い、また一層暗い表情を浮かべながら、背後の扉を開けてライの寝室に戻ろうとした。すると次の瞬間、ライの寝台に突っ伏すようにして倒れている、ペルラ王女の姿が目に飛び込んで来た。


「ペルラ王女殿下!?」


 慌てたトゥレンは思わず声を上げて王女に駆け寄り、生真面目に「ご無礼致します」と断ってから身体に触れ急ぎ抱き起こすと、「どうされたのですか、しっかりして下さい!」と大きな声で呼びかけた。

 トゥレンの声にすぐに目を開いたペルラ王女は、直前まで真っ青な顔をして倒れていたのにも関わらず、自分がトゥレンの腕の中にいることに気付くと、恥じらうように一瞬でカアッと顔を赤らめて俯いた。


「トゥレン様…!だ、大丈夫です…解毒されているのはわかっておりましたが、念のためにと今朝はライ様に、回復魔法の他に浄化魔法を使用してみたのです。一言お断りするべきでしたが、予想よりも多く魔力を消費してしまい、魔力切れを起こしかけてしまいました。」


 真っ赤になって額に汗しているのに、トゥレンの方はそんな王女の様子には一向に気付く気配がない。


「魔力切れ?自分は魔法を使ったことがないのでわかりませんが、そうなると倒れてしまうのですか?」

「はい…限界を超えて使用すると昏倒してしまいます。通常はそうなる前に手が震えるなどの前触れがあるのですが、ライ様におかけした浄化魔法に手応えがあり、もしかしたらお目覚めになるかもしれないと思い、無理をしてしまったのです。…申し訳ありません…。」


 王女はしゅん、と消沈して申し訳なさそうに俯いた。


「ペルラ王女殿下…回復魔法を使って下さるとの申し出の際に、殿下のお身体のご負担にならないことを前提にとお約束致しましたよね?なぜそのような真似をなさるのです。ライ様に目覚めて頂きたいのは勿論ですが、婚約者である貴女様になにかあれば、俺はライ様にお顔向けが出来ません。」


 トゥレンに王女を叱ったつもりはなかったが、叱られたと思ったペルラ王女は、身体を縮めるようにして肩を震わせた。


「私は…ライ様になにかあれば直ちに国へ帰って、今度は他国の王族と結婚しなければならないのです。エヴァンニュ王国にはもうお一方(ひとかた)王子殿下がおられますが、シャール殿下との結婚は、国王陛下と兄上の二国間同盟継続を前提とした固いお約束で、決して成されることはありません。」


 恐らくは極秘事項とされる、動揺したペルラ王女が話し出した内容にトゥレンはサアッと顔色を変えた。


「ライ様は無理な願いを聞き入れて下さり、私を他国との政略結婚から守って下さるとお約束して下さいました。私はまだここにいたいのです。シェナハーンには帰りたくない…ですからライ様には一日も早く目覚めて頂きたかった…!」

「ペルラ王女殿下…」


 どんな時も冷静で王族としての矜持を揺るがさないと噂される、サヴァン王家の至宝と呼ばれた王女殿下が、未発表の王太子付き側近とは言え、自分に自ら国家間の極秘事項を明かしたことに、トゥレンは驚愕した。


 ――つまりペルラ王女殿下は、他国の王族に政略結婚で嫁がされるのがお嫌だっただけで、ライ様をお好きになったから結婚を承諾したわけではなかったと言うことなのか?…その上ライ様も、王女殿下となんらかの約束を交わしておられる。

 ライ様のご性格と国王陛下への確執から、それが一方通行であるとは思えない。ライ様に王女殿下へのお心がないことには薄々気が付いていたが、互いに相手への愛情がまるでないのに婚約を了承し、この後ご結婚なさるなんて…

 ライ様にもペルラ王女殿下にも幸せになって頂きたいと心から思っていたのに、それでは政略結婚ではないにしても、お幸せになられるとは到底思えないではないか。


 思いも寄らない事実を知り、トゥレンは衝撃を受ける。おまけに王女殿下は隣国との同盟継続を前提にこの国に嫁ぐことが決まったのに、シャール王子との結婚はないと言い切られた。

 即ち国王陛下はライ様になにかあっても、シャール王子に国を継がせることは絶対にないと、影で密かに()()()国王として宣言したのだ。


 トゥレンはそのことを瞬時に理解し、既に国王がイサベナ王妃にその旨を伝えている可能性を考えた。

 そうして王妃からはシャール王子宛てに国王の命令に逆らって書簡が送られ、ライは王女が来城したその日に猛毒を口にして倒れた。

 それは偏に、イサベナ王妃とシャール王子が、ライの暗殺にシャール王子の王位継承をかけて、形振り構わずあらゆる手段に出たことを示していると気付いたのだった。


 ――トゥレンはペルラ王女に詳しい事情は告げず、その場で強く言い聞かせた。今の話を、もう二度とイーヴやヨシュアを含めた他の人間に、決して話してはならないと。

 王女がそのことを知っているとイサベナ王妃やシャール王子に気付かれれば、ライだけではなく、王女の命も危ないとトゥレンは知っていた。

 ペルラ王女が隣国との同盟に必要だと思われている内は、少なくとも安全だと考える。そして王女に、決して一人では出歩かないようにも言い含め、この後トゥレンはすぐに王女を自室に帰した。


 結局この日もライが目を覚ますことはなく、夜になってイーヴと付き添いを交代したトゥレンは、徹夜した身体の肉体的疲れと、新たに生じた懸念に精神を疲弊させながら重い気分で自室へ帰った。


 入口の鍵を開けて中に入り、リビングの明かりを点けると、その足で書斎に向かってガチャリと扉を開けた。


「よう、お帰り補佐官。」

「……シカリウス…。」


 真っ暗な書斎に入るなり、いつもと同じように我が物顔で椅子に座り、分厚い本を手に机に乗せた足を組む白髪銀瞳の男(シカリウス)を見て、トゥレンはうんざり顔で明かりを点けると溜息を吐いた。


「貴様…俺の机に汚い泥だらけの靴を履いたまま足を乗せるな!どこを歩けばそんな状態になるのだ!!」

「ん?ああ、まあちょっとな…土掘って死体漁りをして来たんだ。今日は良い物を持って来てやったから、大目に見ろよ。」

「…良い物?」

「ああ、ほれ。」


 そう言うとシカリウスは、ヒュッといきなりなにかを放り投げて寄越し、トゥレンは反射的にそれを受け取った。


「…なんだこれは。」


 彼が投げて寄越したのは、鎖の切れた金細工のペンダントで、よく見るとペンダントトップの細工の溝に血痕がこびり付いた跡があった。


「――それをあのアルマ・イリスって侍女に見せてみな。やり方次第でライを殺そうと企んだ首謀者が誰なのかを、もしかしたら吐くかもしれないぜ。」

「………。」


 トゥレンは手の中のペンダントを見つめて黙り込んだ。


「おい、わかってんだろ?どうしても許せねえなら、俺が後であの女を殺しておいてやるから、『死神の血(タナトスブラッド)』を用意した主犯だけは突き止めとけよ。二度目がねえとは限らねえ、副指揮官も闇の中だって言ってたじゃねえか。」


 シカリウスの言葉に返事をせず、トゥレンはペンダントを布に(くる)んで近衛服の物入れに仕舞い込むと、物凄い形相をしてギロリと睨んだ。


「また俺達の会話を盗み聞きしていたのか。…まさか俺がライ様に付き添っていた一晩中、あの部屋のどこかに身を潜めていたわけではないだろうな?」

「正解〜!」


 シカリウスは戯けてパチパチと両手を叩き、トゥレンに拍手を送る。


「…ていうか、副指揮官の時も気付かれないようにライの傍にいるぜ?まあ、あっちはやけに勘が鋭いから、さすがにずっとじゃねえけどな。」

「貴様…!!」

「おっとそれより、あんた今朝王女と面白い話をしてたじゃねえか。」


 トゥレンが腹を立てる前に、シカリウスは揶揄うようにそう言ってニヤリ笑うと、急に真顔になって一瞬で暗殺者の顔になった。


「この国の国王があの碌でなしに王位を継がせねえってのは大歓迎だが、クズ王子を野放しにしたまま影で隣国に宣言しちまって、もしなにかでライが王位を継がなかったらどうするつもりだと考える?」

「…貴様、あの話を聞いただけでそこまで理解したのか?」


 これでもいろんな国に行っていろんな人間を見て来たんでね、とシカリウスは両手を広げる。


「…ペルラ王女の話を聞いて、俺は国王陛下付きの教育を受ける臣下候補として、初めてイーヴと一緒に陛下に謁見した時のことを思い出した。」

「へえ?」



 ――それはまだ、ライが見つかる前のことだ。


 王都ではシャール王子の素行が問題となり、被害を受けた王都民や貴族から王家への不満が募って、当時のままの王子を王太子とするのなら、いずれ暴動が起きかねないと城内で重鎮の間に噂されていた頃だった。

 国王付きの臣下として教育を受けることになったイーヴとトゥレンは、初めての謁見で国王に意外なことを告げられる。


「そなたら二名を国王付きの臣下として教育するに辺り、現在国民から猛烈な批判を浴びている愚息に、将来そなたらが仕えることだけはないと伝えておく。…なにか聞きたいことはあるか?」


 国王のその質問に、イーヴとトゥレンは遠慮することなく、その言葉の意味を考えて、もしその御方が国王とならない未来があるのなら、この国はどうなるのですか、と尋ねた。

 すると国王は機嫌良さそうに目を細めて二人を褒め、王位を継ぐべき者が見つからなければ、その時は他国の賢王に国を売り渡すこともあり得る、と笑いながら返したのだった。



「当時は冗談を言われて揶揄われたのだと思っていたが、あのお言葉が本心であったとするのなら…あくまでも推測だが、隣国のサヴァン王家に統治を任せ、この国をシェナハーン王国の領土とするお考えもあるのではないかと思った。」

「…ふーん…だとすると、あの王女様は大変だな。クズ王子が帰ってきたら、それこそ無理やりにでも手籠めにしようと多分狙うぜ。逆らえば逆らったで殺されちまうかもしれねえな。」


 シカリウスの言葉にカッとなり、トゥレンは声を荒げる。


「そうならぬように、俺が王女殿下をお守りする!!ペルラ王女殿下はライ様の奥方となられる御方なのだ、イサベナ王妃やシャール王子の犠牲になどさせない!!」

「…じゃあ聞くけどよ、王女様を守るんなら、ライはどうすんだ?」

「無論、ライ様も命懸けてお守りする。ライ様と王女殿下には無事にご結婚なされて、是非とも幸せになって頂きたいのだ。そのためになら、俺はなんでもして――」

「あー、それは絶対に無理じゃねえ?そもそも二人同時に危機に陥ったら、どっちを守るつもりなんだよ。そんなんじゃ間違いなく両方とも死んじまうわ。」


 シカリウスはトゥレンの言葉を遮って鼻で嘲笑った。


「それにあいつらに結婚して幸せになって欲しいだって?ははっ、あんたほんっとにライのことをなんもわかってねえんだな。」

「…なに?」

「今後のことを考えてせっかくだから教えてやんよ。あんたが守りたいと常々思ってんのは、あくまでも『エヴァンニュ王国の王太子』であるライだ。自分が望み、そうであることを押しつけたあんたの、〝理想の主君たるライ〟なんだよ。だからあいつの意思を無視して、そうするのが当然だと言わんばかりに王女との結婚を強制できる。それでて〝ライ様のために〟とか言われても、笑っちまうね〜、あんたも副指揮官も、ライが心底嫌ってる自分勝手なこの国の王とおんなじだ。」

「な…」

「ライの奴…自分の味方が誰もいないこの国で、ずっと一人だったんだな。そのせいであんな冷たい目をするようになっちまった。元は良く笑う子供だったのに…」

「――おい!」


 一方的にそう呟くと、シカリウスはトゥレンを無視して転移し、そのままどこかに消えてしまった。


 残されたトゥレンはわけのわからないモヤモヤした苛立ちに襲われて、傍に置いてあった陶器の置物を掴んで床に叩きつけた。

 壁に仕切られた書斎のすぐ隣はヨシュアの部屋だ。この時間はまだ近衛の詰め所にいて帰っていないはずだから、大きな音がしても聞こえることはないだろう。


 そう思いながらトゥレンは、壁に寄りかかって俯くと両手で顔を覆った。


「…俺が守りたいのは、俺の理想を押しつけた王太子であるライ様、か…それのなにが悪いのだ?俺は王族であるライ様の側付きだぞ…」


 シカリウスの言葉が引っ掛かり、トゥレンは益々苛立つのだった。



 ――それから二日後、ペルラ王女がライに回復魔法をかけている最中に、トゥレンはイーヴから、人が爆発したという城下で起きた事件の対応について話を聞くことになった。


「守護者に協力を頼むことにした?…近衛からの魔物駆除協会(ハンターズ・ギルド)を通した要請をするつもりか。」


 魔物駆除協会(ハンターズ・ギルド)からの要請で、ライが対魔物戦闘の訓練を終了した兵士を各地の守護に派遣したことで、以前は国が一方的に資金援助をするだけに留まっていた関係が改善されることになった。

 ライの功績で王国軍にギルドとの協力態勢が整うことになり、近衛を通すことが条件ではあるものの、軍から守護者への優先的な依頼が容易になった。

 魔物が関連していることや、広範囲への移動を要し、現場で魔物に対応しなければならない等の理由は必要だが、一部軍関係の仕事に守護者を伴ったり、守護者に完全に調査を一任することも出来るようになったのだ。


 トゥレンはそのライが築いたギルドへの優遇措置を利用して、イーヴが調査依頼を出すことにしたのかと思った。ところがイーヴは首を振る。


「いや、そうではない。先ずその理由だが、いつものように魔物討伐の訓練に出て駆除協会に立ち寄った近衛隊士から、ヨシュアが守護者間で噂になっている同じような事件の話を聞いてきた。その情報によると、人が突然爆発するという事件は、ここ数週間の間にエヴァンニュ各地で起きているらしい。」

「王都だけの話ではなかったのか…だとすると、逆に魔物が原因とは考え難くなるのではないか?新種の(やまい)などの可能性もある。」

「そうかもしれないが、それを調べるために我々が王都から離れるわけには行かないだろう。」


 イーヴはそう言うとライのいる寝室の扉を一瞥した。暗にライから離れるわけには行かないと言っているのだ。


「…それで守護者に?」

「ああ。未知の魔物が相手である可能性と、なんらかの魔法や魔法石による殺人事件である可能性を視野に入れ、相応の能力と豊富な知識があり、守秘義務に対しても信頼の置けるパーティーに依頼しようと思う。」

「その口振りだと、既に守護者の目星がついているのだな。」


 トゥレンの言葉にイーヴはこくりと頷いた。


「――Sランク級パーティー『太陽の希望(ソル・エルピス)』に私個人の名で頼むつもりだ。」





次回、仕上がり次第アップします。

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