153 サイード・ギリアム・オルファラン 後編
扉の先に待っていたサイードは、ルーファスに私を殺して欲しい、と告げました。そんなことに手を貸して欲しいと言われたのかと、ルーファスは困惑します。けれどサイードに揶揄っているような様子はなく、ルーファスはその理由を尋ねることにしましたが…?
【 第百五十三話 サイード・ギリアム・オルファラン 後編 】
――サイードの口から出た言葉に、俺は耳を疑った。俺の力を借りたいと言ったのは、そんなことのためなのか?…どうしてそんな…
「ふざけているわけじゃ…ないよな?」
俺は困惑していた。目の前のサイードは俺を揶揄っている風でもなく、どこか寂しそうではあったものの、その表情は至って真剣で、今の台詞をとても冗談で言ったとは思えなかった。
「俺の聞き間違いでなければ、あなたは今、自分に出来ることで償いたいと口にしたんじゃなかったか?それがなぜそんな極論になるんだ。」
サイードはさっきまでとは打って変わって、にこりともせずに「そうですね…」と真顔で切り出した。
「なんの説明も無しに殺して欲しいと言っても、困惑するのは当然ですよね。なぜ知り合ったばかりのあなたにこんなことを頼むのかと言うことも含め、かなり長くなってしまいますが私の事情を聞いて下さい。」
俺達は黙ってサイードの話を聞くことにした。
「――私はオルファランに移り住む以前、別の隔絶界にあった父の領土で、時空神である父と年の離れた兄と三人で暮らしていました。」
ある時、その世界で大規模な戦争が起きたという。その隔絶界と戦争の内容についてはインフィニティアの掟で秘匿事項とされているため、この場で詳しいことは話せないそうなのだが、後に『ルフトゥツァリの乱』と名付けられたその戦争で、時空神は中立の立場を貫き、サイードだけを連れてこのオルファランに移って来たのだそうだ。
「私の兄の名は『ギリアム・ブラウ・オルファラン』と言い、その『青』を意味するミドルネームの通り、とても見事な碧髪をしていました。兄は次代に相応しいその能力の高さから、既に父の後継となることが決まっていましたが、中立の立場を貫いた父の意に背いて戦争に参加し、命を落としてしまいました。」
――サイードの実兄が亡くなり、本来なら残されたサイードが時空神の後継となるはずだったが、そこには俺達の予想外に意外な問題があった。
「実は私は…時空神の実子でありながら、時属性の素質を持っていなかったのです。」
至極当たり前のことだが、と前置きをして、サイードは時属性魔法が使えなければ時空神の後継にはなれない、と悲し気に顔を歪ませる。
「時空神の子でありながら時魔法が使えないことで、幼い頃から私は周囲に『不義の子』ではないかと噂されていました。私達の一族は人族と違って、容姿に遺伝的なものを受け継ぎません。多少顔かたちが似ることはありますが、髪や瞳の色は持って生まれた魔力の質などに左右されるので、外見から親子であることを確かめる術がないのです。」
――ここまでサイードの話を聞いて、俺はレインフォルスの記憶で見た、屋敷の廊下での出来事を思い出した。
≪ああ、そうか…だからサイードはあの時、ウェンリーが口にした『他人』と言う言葉にあんな反応をしたんだな。子供の頃からそんな心無い噂に傷つけられていたのなら…無理もない。≫
チラリと見えた視界の端で、俺の少し後ろにいるウェンリーも、サイードの話を聞いてへこんだ顔をしている。そうとは知らずに口にした言葉で、サイードを傷つけたと気に病んでいるのだろう。
まさかそんな過去があるとは思いもしなかったのだから、こればかりは仕方がない。
「――物心ついた時には既に母はなく、父も兄も私は父の子で間違いないから気にするなと言いましたが、私は納得出来なかった。どうして時空神の子供なのに、私には時属性の素質がないのだろう。ずっとそう思っていました。」
サイードに大きな転機が訪れたのは、実兄である『ギリアム』が亡くなったことだった。後継を失った時空神の領域は、現在の時空神になにかあれば共に滅んでしまうと言う。
それだけでなく俺達には言えない他になにかの懸念材料があり、ギリアムの死が元いた隔絶界にあまり知られていなかったことから、表向き兄の振りをするようになって、周囲にもその名で呼ばせるようにしたらしい。
「兄が亡くなり、今のままでは時魔法の使えない私は父の後を継げない。そこで私は、兄の遺体から髪や血液、一部の細胞を貰い、それと私の細胞を比較することで、遺伝的になにが悪くて時属性の素質が受け継がれなかったのか、詳しく調べることにしました。」
――ところが細胞レベルでは、遺伝的にもギリアムとサイードではなんの変わりもなく、それを調べるだけでは答えが見つからなかったという。
「そこで私は兄の細胞と遺伝子を使い、それを生きた私の細胞と掛け合わせて、人工生体物を作ることにしたのです。」
最初は小さな物から作り、それを調べてもわからなかったために、徐々に大きなものへと作り上げて行き、そうして最初にプロートンが出来上がった。
心臓部などの主要部位は魔道具を改造して作ったもので、サイードが開発した『エーテルロクト』という『魔力』と『神力』を含んだ、血液の代わりをする循環液を巡らせることで動くようになったのだそうだ。
「予想外だったのは、自立行動のために『神力』を使ったことで、なぜか思考と感情を持ってしまったことでした。兄の細胞を使ったことで、外見や声などは再現出来ましたが、プロートンは兄と違って時魔法が使えず、結局また原因はわからないままでした。」
プロートンで失敗したサイードは、思考と感情を持ったことでプロートンを破壊して作り直すのは気が引け、新たに別にデウテロンを作ることにした。
今度は自分の細胞と掛け合わせた後でギリアムの遺伝子のみを残し、極力兄に近付けて作ったつもりだったのだが、デウテロンは好戦的な戦闘狂になり、ギリアムの攻撃的な面と、肉体的な強さを色濃く引き継いでしまった。
「結局デウテロンでも失敗し、そうして最後にテルツォを作ったのですが、テルツォは魔法に特化した型で、出来上がった直後は兄と同じく最下級の時魔法が使えました。」
サイードは皮肉交じりに続けて苦笑する。
「ふふ…滑稽でしょう?兄の細胞と遺伝子を使って作った、『人形』でさえ時魔法が使えるのに…思わず自分が作ったのにテルツォには嫉妬してしまいましたよ。…その後テルツォには色々なことを試してみて、その結果私は…ようやく答えを見つけたのです。」
笑うのを止めたサイードは、真剣な表情で俺を見た。
「――私は時属性の素質を持っていなかったのではなく、魔力回路に異常があったために、時魔法と一部の属性魔法が使えなかったのですよ。」
なるほどな、魔力回路の異常が原因だったのか…俺もサイードに治して貰うまでは、そのせいで魔法が一切使えなかった。だとしたら、もしかしてサイードが魔力回路を正常に治せるのは――
俺が思うまでもなく、サイードはすぐに答えをくれた。彼女は自分の魔力回路を治すために、必死に研究してあの力を身につけたのだった。
「そうして私は、他者の魔力回路をいじることが出来るようになりました。その実験にはテルツォが役に立ってくれて、結果テルツォは元は所持していなかった、冥属性と暗黒属性の魔法が使えるようになってしまいました。」
≪ 魔力回路を弄るだけでそんなことも可能なのか?…ちょっと驚きだな。≫
――そう思ったが、テルツォの場合は人とは違う。遺体から取った細胞を使用していたのなら、死者の属性とも言われる『冥』と『暗黒』属性は細胞自体に含まれていた可能性が高い。テルツォは元々作られた存在だったからこそ、そこに含まれていた素質のない属性が後から発現したんじゃないだろうか。
多分だけど、普通の生き物は皆なにかしらの主属性を持っているから、たとえ魔力回路を弄れても、素質のない属性を付加することは出来ないと思うんだよな。
「原因がわかってからと言うもの私は、血の滲むような努力をして必死にこの術を身につけたのに…残念なことに、その目的であった自分の魔力回路を自分で弄ることは出来なかったのですよ。…笑ってしまうでしょう?」
そう言ってサイードは、胸の痛くなるような悲しい笑みを浮かべた。
「いや…笑えないよ、サイード。…あなたのそこまでの努力を思えば、笑うことなんかできない。」
その治療法というのが魔法の類いであるならば、魔力を使いながら回路を弄ることになるのだから、理論的に考えても、自分で自分を治すことが出来ないのは当然の結果だろう。
ここまでサイードがそれだけの努力をして来たのは、単に時空神の後継になりたいからと言うよりも、不義の子と噂されて傷つけられてきたせいで、もしかしたら周囲に…真実時空神の娘であることを証明したいという気持ちが強かったのかもしれない。
そんなサイードを俺が笑えるはずがないじゃないか。
「――あなたは本当に優しいですね、ルーファス。そのあなたの優しさに、付け入るようなお願いをしてごめんなさい。」
「謝られても困るよ。まだ肝心な理由も聞いていないし、俺があなたの願いを承諾したわけでもない。…ここまでの話の流れからすると、殺して欲しいと言いつつもあなたに死ぬつもりはないように感じるな。」
なにがサイードをこんな風に追い詰めたのかはわからないけれど、もう死んでしまいたいとか、命をもって償いたい、とか言うわけではないみたいだ。
「ええ、もちろんです…私は本当に死にたいわけではありません。ルーファス、あなたには蘇生魔法があるでしょう?クリスを生き返らせたあの光景を見た時に、私の中で希望の光が生まれました。そしてあなたの力がどれほどなのかをスカラベ達で確認し、様々な手段でアレンティノスと世界樹を蘇らせたのを見て、私の願いが現実のものとして考えられるようになりました。」
つまりは俺が蘇生魔法を使えるということ…サイードの殺して欲しいという願いは、初めからそれが前提だった話なのか。
俺の力が見たいと言ったり、俺のすることを監視するように見ていたのは、次元穴の原因が俺にあるという疑いからではなくて、全て自分のためだったんだな。
道理で…戦わせておきながらネアンに俺を守らせたりして、おかしいと思っていたんだ。
――それからさらに詳しい話を聞くと、どうやらサイードの目的はあくまでも自分の魔力回路を正常に治すことで、俺に力を貸して欲しいと言ったのはそちらが真の理由だったようだ。
「なるほどな…俺に解析複写で魔法を取得させてから、自分の魔力回路を治させるつもりだったのか。」
「ええ。あなたのこれまでの能力を見て、魔法習得までの学習期間が必要ないことと、それを使用可能な力があることは確信しました。」
本当にサイードは俺の行動を具に見ていたのが良くわかる。レインフォルスと入れ替わっていた間に違和感を感じていたことも含めてだけど…多分俺と出会ったことで、諦めていた願いが叶うかもしれないと必死だったんだろうな。
「それはわかったけれど、どうして死ぬ必要があるんだ?」
サイードが俺の魔力回路を治してくれた時は、俺に触れただけであっという間に終わった。それなのに蘇生魔法を使って生き返らせてまで、わざわざ死ななければならない理由はなんだ?
「封印が…あるのです。…私の心臓の辺りに、効果の不明な封印が。」
「封印?…それは魔力回路の異常と関係があるのか?」
「わかりません。術式をテルツォに解析して貰いましたが、意味のない呪文字で構築されていて解除することはできず、なんのためのものなのかも一切が不明でした。ですがその封印を解除しない限り、心臓部を通る魔力回路は動かせません。正常な魔力の流れは、心臓を起点として血流に沿って全身を巡るものですから。」
「…うーん…つまりその効果不明の封印を解くことが出来ないから、一度死ぬことで消去しようと考えているのか。必ず消えるという保証はないけれど、自力で解除出来ない魔法は、死ねば消滅するのが殆どだものな。」
――それで極論が出て来たのか…理屈はわかるけれど、蘇生魔法が使えるからと言って安請け合いをしてサイードを傷つけたくない。殺すなんて以ての外だ。
それにどうして俺が手を下す必要がある?サイード自身が自分で、と言う方法だってあるじゃないか。
…そう思って尋ねてみたら、サイードの一族は自分で命を絶つことが出来ないように生まれついているんだそうだ。おまけに、殺されるにも自分より強い力を持っている相手でなければ、死に至らない場合が多いという。だからって俺にできるとは限らないじゃないか。
引き受けるかどうかは別として、とにかくそれは本当に最終手段と考えて、なにか他の方法がないか探すためにも、封印を調べさせて貰うのが一番なんだけれど…問題は彼女がそれを承諾するかどうかだよな。
解析魔法を使うためには、サイードに本来の姿に戻って貰わなければならないから…
「サイード、今俺にそれを解析魔法で見せて貰うことは可能か?まずは俺の力で解除できないか、調べさせて欲しいんだ。」
「協力していただけるのなら構いませんよ。…ただ、そのためには…」
サイードは戸惑いがちに視線を落とした。
「――うん、変化魔法を解いて本来の姿に戻って貰わないとね。本当のあなたは碧髪でもないし、男性ではなく女性だから。」
吃驚して大きく目を見開いたサイードは、すぐにその表情を和らげた。
「驚きましたね…並の者には見破られない強力な変化魔法なのですが…もしやあなたは最初から知っていたのですか?」
「俺には真実を見ることの出来る、『真眼』というスキルがあるんだ。…そうでなくてもあなたは、フェリューテラで知り合った時に俺の前で真実の姿を晒してくれた。あの時は本来の姿が目立つから偽っていると言っていたけれど、ここではなにか別の理由があるんだろうと思って、わざと触れないようにしていたんだ。」
そう説明すると、サイードは声を上げて笑い始めた。俺とウェンリーはギョッとして見ていたが、そうして一頻り笑った後、彼女は涙目で続けた。
「ああ、可笑しい。…これまで必死に、男性としての演技を続けていた自分があまりにも滑稽で、思わず笑ってしまいました。『真眼』の技能ですか…あなたの住む人界というのは、そのような能力が必要なほど "偽り" が存在しているのですね。」
「そう言うのとはちょっと違う気もするけど…魔物の中には擬態する奴もいるからなあ…まあ、便利だよ。」
「ふふ…ですがおかげで、この姿を晒すのに抵抗がなくなりました。…変化魔法を解除します。」
本当の姿を見せることに躊躇いがなくなったのか、サイードは以前俺の目の前でそうした時と同じようにして、パチン、と指を鳴らすと魔法を解いた。
サイードの足元から光る粒子の渦が、風が舞い上がるようにして螺旋を描き、上昇しながら輝きを増して行く。
そうしてシャトル・バスの中継施設で見たように、地面に着いた細い足首と女性物の靴を履いた足が見えた次の瞬間、サイードを包んだ光が一気に頭上まで昇るとその姿が変化した。
青銀の髪を肩まで垂らし、金色の瞳と整った顔立ちの白い肌に薄桃色の唇が艶やかに光る。服装は今まで着ていたものを自動調整して合わせたものだが、さすがに身長が少し縮んで低くなっていた。
その見た目は確かに俺の真眼で見るサイードの姿に違いなかったが、実際に目の当たりにしてみると、やはり今のサイードは1996年で出会った時よりもかなり若く、一見すると少女と見紛う印象さえ受けた。
「マジで女だったのかよ…しかも、すっげえ美少女だし。魔法を使ってわざわざ男になってたなんて、超勿体ねえ。」
ここまで俺とサイードの会話を黙って聞いていたウェンリーが、さすがに感嘆の声を漏らした。
「これでよろしいですか?」
「ああ。解析魔法を使うから、動かないでじっとしていてくれ。」
――例えば、十七だと言っていたわりには、これまで聞いた話からして年令と行動が合っていないような気がするとか、そう言えばエヴァンニュの国際商業市で、再会した時のためにとこの青銀の髪に似合う髪飾りを買ったな、とか思うことは色々あったけれど今は全て置いておいて、サイードの封印というのを調べることにした。
「…これは…」
アナライズで細かく調べてみたけれど、サイードにかけられている封印は彼女の言う通り、意味を成さない呪文字がただ並べられただけの、偶然の産物のような不可解な魔法だった。
――まるで失敗した魔法が運悪くそこに作用し、封印のような形を形成しただけのような…こんな不完全な魔法は見たことがない。これでは俺のディスペルでも消せないだろうな。
これを正面から自力で解除するのはさすがに無理だ。一つ一つ呪文字の構成を解読するには多分何年もかかる。
これがサイードの身体にどんな影響を与えているのかもさっぱりわからないし…これのせいで魔力回路が異常を来したとも言えるかもしれないが、全く関係無い可能性もある。
はっきり言ってお手上げだ。一応自己管理システムになにか良い策がないかと検索をかけたが、死亡で消去される確率と、自力での解除は不可能という答えが一瞬で返ってきた。
「…どうですか?ルーファス。やはり死ぬことでしか解除の見込みはないでしょう?」
「ああ、あなたの言う通りだった。だが死亡で消去される確率も、決して高いとは言えない。それでも諦める気はないのか?」
そう聞き返すと、サイードはキッパリ「ありません」と答えた。
「――次元穴に飲み込まれた者がどうなるか、知っていますか?」
唐突に彼女はそう切り出す。ここでどうしてその話が出るのかと、疑問に思った。
「いや…詳しくはわからない。異次元に放出されてしまうとは聞いたけれど…」
正確には聞いた、ではなく調べて知った、だな。
「その通りです。あれに吸い込まれてしまった者は、なにもない次元の狭間を彷徨い、やがて時も、場所も、どの世界に辿り着くのかもわからない、未知の行き先に放り出されてしまうのです。それなのに…」
――選りにも選って、中庭にいた義弟が飲み込まれてしまった、とサイードは言う。それを聞いたウェンリーは絶句し、俺も愕然としてしまった。
義弟って…まさか俺と同じ名前のあの子か?あの子が飲み込まれたのか…!
「次元穴に飲み込まれた者を探すには、どうしても時間と空間を越えることの出来る『時空転移魔法』が必要になります。お館様はあなた達をここに閉じ込めた後、すぐにその行方を追って救出に向かいました。」
サイードは悲痛な面持ちでその瞳を翳らせる。
「私のその時の気持ちがわかりますか?ルーファス。優しいあなたなら、わかってくれるでしょう?私だって…私だってあの子を助けに向かいたかった。父と同じように手分けして探せば、少しでも早く見つけられるかもしれない、そう思うのに…私には時魔法を使うことが出来ないのです。今すぐにでも、助けて、とどこかで泣いているあの子を探しに行きたいのに…どうしてもそれが叶わない。義弟はまだ七歳になったばかりなのですよ?今頃どれほど怖い思いをしているか…それを思うと、とてもじっとしてはいられなかった。」
――今すぐにあの方法を試してみよう。急なことでなんの準備も出来ていないけれど、ユラナスの塔でならなにが起きても外への影響を心配しなくて済む。
…そう考えたサイードは、プロートン達を集めて有無を言わさず魔法で心臓部に鍵を埋め込み、この塔の仕掛けを動かしてここで俺達を待っていた。
死ぬことで不可解な封印を解き、俺に魔力回路を治して貰って、次元穴に飲み込まれてしまった義弟を探すため、なんとしても時魔法を使えるようになるために。
それがサイードの本当の目的だったのだ。
「理由はわかりませんが、お館様は私に、決してあなた達には近付かないように、と言い残して出かけました。ですからあなた達をどうするつもりでいたのかは知りません。ここユラナスの塔はインフィニティア特有の『エーテル』を集めて、屋上の魔法陣から普通では行けないような場所への転移を可能にする、と聞いています。そのことから思うに、お館様はあなた達を元の世界へ帰すつもりだったのかもしれませんね。…ですが今、この塔の支配権は私が掌握しています。警備機構を支配下に置いたので、お館様が戻ってきても入ることは出来ません。ただそれでも、私が時魔法を使えるようにさえなれば、私の力であなた達を元の世界へ帰すことは可能になるでしょう。」
「――それは取引を持ちかけているつもりなのか?」
「悪い話ではありませんよね?あなた達はフェリューテラに帰りたいのでしょう。時魔法が使えなくても、呪文は既に習得しています。もし魔力が足りなくても、この塔にあるエーテルを使えば問題ありません。…お願いです、ルーファス…私の願いを叶えて下さい。」
サイードは精神的に相当追い詰められている。可愛がっていた義弟を助けに行けないことで、それまで保っていた心の糸が遂に切れてしまったんだろう。
「…わかった、協力するよサイード。だけどその前に頼みたいことがある。クリスのことだ。」
「クリスの?…なんでしょう。」
俺達はクリスを自分達のフェリューテラに連れて行くと約束したことを話し、クリスの手に竜人族が滅んだことを示す紋章が現れても、知り合いに竜人族が残っていることを簡単に説明した。
「…なるほど、つまりあなた達と共に行けば、クリスは竜人族最後の一人にならなくて済むのですね。」
「そう言うことだ。但し問題があって、クリスの時代と俺達の時代のフェリューテラでは、千年もの開きがあるんだ。クリスはそのことを承諾しているけれど、時空転移魔法使用時に『未知の干渉力』が働く可能性も棄て切れない。」
「ああ…わかりました、その辺りは私がなんとかしましょう。別々にはなってしまいますが、あなたの元にクリスをきちんと届けることを誓いますよ。」
「…ありがとう、頼んだ。」
――それから俺はサイードの『マギア・サージェリー』という魔力器官に干渉する魔法を解析複写させて貰って取得し、実際にサイードの身体を流れる魔力回路を確認する練習をした。
「なあ、ついでに俺も魔力回路を見て貰って、もし異常があったら治せば魔法が使えるようになるかな?」
「ええ?それは…調べてみないとわからないけど…」
「無理でしょうね。」
俺が最後まで言わないうちに、サイードがスパンとそう言った。
「ウェンリーの魔力回路は、別におかしなところはありません。魔力も正常に体内を流れていますし、魔法が使えないのは先天的な理由からでしょう。回路を弄ったところで、使えるようにはなりませんよ。」
「えー…マジか。」
まあサイードがそう言うんなら、そうなんだろうな。
「うん、魔力回路の把握練習はこのぐらいで良さそうだけど…本番前に実際にどんな感じか試してみたかったな。」
「…プロートン達がいれば良かったのですが…仕方がありませんね。」
「――それなんだけど、サイードはどうして彼らを『用無し』と言って、『消えなさい』なんて冷たい言葉を浴びせたりしたんだ?三人とも死にたくないと言っていたし、とても傷ついてたぞ。」
「…技術漏洩の懸念から、彼らは私が死ぬとその場で自爆するように、心臓部に魔術刻印を施してあったのです。普通に屋敷などで過ごさせておいて、私が一時的にと言っても死んだら、その場で半径一キロメートル以内のものが吹っ飛んでしまいます。私の手で破壊するのは可哀想だったので、その前に酷い創造主のせいで死ぬんだと私を恨みながら消えた方が、自分の死に納得が行くでしょう。道具として扱われることで、ここに死に場所を与えてやりたかったんです。」
良くわからないが、サイードにはサイードなりのプロートン達への思いが、少なからずあったと言うことなのかな。
それから『クリエイション』の魔法で、サイードを横たわらせるための寝台を用意すると、そこに彼女を寝かせて俺はサイードの封印を解くための準備に入った。
「サイード、封印が消える可能性は七割程度だ。もしすぐに消えないようなら、消えるまで処置を継続する。魔力回路を治すのに時間がかかるかもしれないが、なにがあっても死なせないから、俺を信じて欲しい。」
「今さらですか?…そもそも私は微塵も疑っていませんよ。ルーファス、あなたは言ったでしょう?フェリューテラで私に会ったのだと。それがどのぐらい未来のことなのかはわかりませんが、これが成功したからこそ、私はあなたに会えたのでしょう。」
「ああ…そうか、うん…そうだな。…それじゃサイード、暫くの間眠って貰うよ。」
――そうして俺は、最も睡眠作用の強い『精霊の粉』を用いてサイードを眠らせ、全ての準備を整えた。
「…ルーファス、本当にサイードを殺すのか?」
「まさか。」
心配そうに尋ねたウェンリーに、俺は首を振った。
「俺にサイードを殺せるわけがないだろう。彼女にはこれから冥属性魔法で、仮死状態になって貰うんだ。」
「それって…感知出来ないほどにゆっくり心臓は動いてるけど、死んだみたいに血流も殆ど止まるってやつか?…本当に死ぬわけじゃねえのに、封印が消えるかね?」
「消えるさ。三十分か…一時間か、時間をかければきっと消せる。それでもどうしても駄目なら、弱威力の雷魔法を心臓に直接放って異常を起こす。その時は万一に備えて蘇生魔法を待機状態にしてからやるから、心配するな。」
「心配はしてねえけど…なんか手が欲しくなったらいつでも言えよ。使えそうな魔法石は手に持って待機してっから。」
「ああ。」
ウェンリーには少し後ろに下がって貰い、俺は眠りについたサイードに冥属性魔法『デスアラート』を唱えた。
この魔法は本来相手を瀕死状態に追い込んで、正常な判断力を失わせて恐慌状態を引き起こす魔法だ。
俺の自己管理システムによる、能力の数値化を参考に言うと、戦闘不能に陥るまでの体力(ヘルスポイント)と言うのが、残り1ポイントで耐えている感じだろうか。だがここから仮死状態にするために、その残り1ポイントを0にならないようにさらに削って、サイードの身体状況を、限りなく死に近付けるのが目的だ。
こうなるとサイードの顔からは血の気が失せ、傍目には既に死んでいるようにしか見えない。
この状態になれば死んだと見做して、施された封印になんらかの変化があることを期待した。…が、今のところは全く変わりがない。
――五分経ち、十分経ち、二十分が過ぎる。
「どうよ?」
「…いや、まだ駄目だな。下手に弄れないから待つしかない。一時間が過ぎても変化が起きなければ、手段を変える。その前になんとかなると良いんだけど…」
俺は解析魔法を発動したまま、ひたすら封印に変化が現れるのを待った。そうして三十分が過ぎた頃、封印が外側からほろほろと崩れ始めた。
「ウェンリー、封印が崩れ始めた!上手く行くかもしれない…!!」
「よっしゃ!!後は魔力回路を治せれば――」
ウェンリーがそこまで口にしたところで、急に周囲の音が途切れて聞こえなくなった。
「?なんだ、音が聞こえない?おい、ウェンリー…」
『――駄目だよ、お兄ちゃん。』
周りの音を完全に遮って、突然その子供のような声が耳に届いた。
『こっち。…来て。』
顔を上げてサイードの封印を見ると、その声に吸い寄せられるようにして、俺の意識がどこかに飛んだ。
――目を開けると、そこはどこかの庭らしき広い場所で、あのソムニウムの花が咲いた花壇の前に、ガーデンテーブルと椅子のあるガゼボがあって、青い芝の地面には子供の玩具と本や筆記用具、魔道具らしき小箱が多数散らかっていた。
その庭の大きな木の下に、木漏れ日に透けて輝くような金髪に、ブルーグリーンの瞳をした男の子が立っていた。
その子は俺を見てにこっと微笑み、もう一度同じことを言って続けた。
『駄目だよ、お兄ちゃん。それを消してしまうと、きっと後ですごく後悔することになる。辛い思いをすることになるよ?』
「それ?…良くわからないな、駄目というのはサイードの封印を解くことか?」
『うん…ぼくにはお兄ちゃんが後悔して泣いているのが見えるから…帰る方法はきっと他にもあるから、それはそのままにしておいた方がいい。』
金髪の男の子は、少し悲しそうな目をしてそう言った。
――直後に俺はサイードが横たわる寝台の前に戻り、うたた寝でもしていたかのようにハッとして我に返った。
…今のは…なんだったんだ?…眠っていたわけじゃない、幻覚を見たのか?…まさか…
「!」
気付けば、サイードの封印が点滅しながら光を放っていた。それを解析魔法で確かめても一見、特に変化はなさそうに思えた。だが――
なぜだろう…解析魔法を使った途端に、あの封印を解く方法がわかったような気がする。ここから決まった手順であの呪文字に意識を向ければ、あの封印は消せる…そんな気がしてならない。
どうしてだ?俺に駄目だと言っておきながら、もしかしてあの金髪の少年が情報をくれたのか?その上でそれはそのままにしておいた方がいい、と忠告したんだろうか。
わけがわからないが…こんな胸の不快感は前にも感じたことがある。あの、『滅亡の書』を見た時と同じ感覚だ。
今ここにあの本はないけれど、なんだかとても重要な選択を迫られているような気がする。
『滅亡の書』は世界の滅亡を防ぐ為の指針だと記されていた。でも自分自身を信じるのなら、この感覚はもしかしたら、それとは関係ないことだからあの本が現れないだけで、どちらを選ぶかでなにかが大きく変わることを、無意識に感じ取っているんじゃないか…?
――帰る方法は別にあるとあの子は言った。俺が後悔して泣いている姿が見えるとも…
目の前のサイードの封印を解けば、魔力回路を治してサイードの願いを叶えることが出来る。…でもそれと引き換えに、なにか俺が後悔するような出来事がいつか起こる可能性が高い。
どうする?…滅亡の書と違って、誰かの命に関わる選択を選べと言われているわけじゃない。
サイードが時魔法を使えなくても、俺達がメクレンで出会う未来は変わらないような気がする。なぜなら、あの出来事がなければ俺は今もヴァハにいて、シルヴァンと再会することもなく、なにも知らずに同じ生活を続けていた可能性が高いからだ。
俺がここで忠告に従ったとしたら、今後は恐らくサイードの封印を解くことが可能な存在は二度と現れないだろう。
それはサイードの願いを絶望に変えてしまうことになる。
俺は光るサイードの封印を見ながら、悩んだ。
もしこの先、泣くほど後悔することになったとしても、サイードの封印を解くべきなんだろうかと――
次回、仕上がり次第アップします。