152 サイード・ギリアム・オルファラン 前編
テルツォの鍵を手に入れるために、デウテロンの鍵を使って扉を開けたルーファスは、そこにいるはずのないアテナの姿を見て驚きました。戸惑っている間にアテナに駆け寄ったウェンリーは、ルーファスの目の前でアテナの手によって絶命してしまいます。ルーファスはすぐに蘇生魔法を唱えますが、ウェンリーには効かなくて…?
【 第百五十二話 サイード・ギリアム・オルファラン 前編 】
――引き抜かれた剣に吸い出されるようにして、真紅の液体が宙を舞う。
返り血を浴びるアテナと思い込んだ相手に、柄を握っていない方の手でトン、と突き飛ばされたウェンリーは、その手をだらりと垂らしながら背中から仰向けになって倒れた。
灰色の床に、ウェンリーを中心とした黒い溜まりが広がって行く。やがてすぐにその琥珀色の瞳から、光が尽きて消え去って行った。
俺は…ウェンリーが事切れるまでの、一部始終を見ていた。なにも出来ずに、ただ呆然とその場に立ち尽くして。
…それでもどうにか、倒れて動かなくなったウェンリーにふらふらと近付き、傍にへたり込んで震えながら蘇生魔法を使った。
大丈夫だ、落ち着いてやればいい。クリスやアミナメアディスにかけた時と同じだ、すぐに助ける。そう思ったのに…ウェンリーは二度と目を覚まさなかった。
何度リザレクションを唱えても、なぜだかウェンリーには蘇生魔法が効かなかったのだ。
熱を失い冷たくなって行くウェンリーを前に、床の溜まりに着いた血濡れた手を見て、俺はその名前を叫んだ。
「ウェンリーっっ!!!」
「おわあっ!!?」
――絶望に肩でハアハアと激しい息をする俺の隣から、吃驚したウェンリーのそんな声がする。
「なな、なんだよ、突然大声出して…びっくりするじゃんか。」
蒼白になった顔を向けると、そこには確かに生きているウェンリーがいて、ウェンリーの血に塗れていた俺の手は、なんともなっていなかった。
「ウェ、ンリー…?」
「…って顔色悪いな、大丈夫かよ!?」
たった今見たはずの光景に全身の血の気が引いて、両手が震えていた。
――夢…?それとも幻覚…?俺はいったいなにを見たんだ…?
冷たくなっていくウェンリーの身体に、噎せ返るような血の匂い。ぬるりとした液体の感触に、蘇生魔法が効かない絶望感。
俺はあれが夢や幻覚だとは到底思えなかった。
顔を上げて前を見ると、デウテロンの鍵を使って開いたはずの扉はまだ封印されたままだった。
鍵は手の中にある。扉を開けて中に入ったはずなのに、どうなっているんだ。
「…ウェンリー、俺達はさっき一度、この部屋の中に入らなかったか?」
「へ?…や、おまえまだ鍵開けてねえし。扉を開ける前に、テルツォのヘイト対象になるなって注意されただけだけど。」
「――本当に?」
「嘘吐いてどうすんだよ。マジで大丈夫か?少し休んだ方が良いんじゃねえ?」
心配そうに首を捻るウェンリーの表情は、真剣そのものだった。
確かにウェンリーが嘘を吐く理由はない。…となるとやっぱり、俺一人が夢か幻覚を見たんだろうか?…だとしたら、なんて性質の悪い夢だ。消えたはずのアテナが出て来て、ウェンリーを刺すなんてあり得ない。
「いや、大丈夫だ。…それよりウェンリー、この先なにを見ても絶対に俺から離れるな。…いいな?」
「え…あ、うん、了解。」
目の前のウェンリーは生きているけれど、なぜか蘇生が出来ないと言う絶望と、単なる夢や幻覚じゃないという胸騒ぎが消えなかった。
――その感覚は正しく、念のためにとウェンリーに注意を促した俺だったが、ここから繰り返し地獄を見る羽目になる。
「よし、もう一度行くぞ。…本当に気をつけてくれよ?」
「わけわかんねえし…これが初めてだっつの。」
困惑するウェンリーを横目に、俺は覚悟を決めて鍵を回した。
デウテロンの部屋に入った時と同じように重い扉を押し開けて、後に続いたウェンリーと一緒に足を踏み入れる。
――同じだ。黒灰一色の室内に、床がないとウェンリーが慌てる。俺が落ち着けと言って姿の見えないテルツォを探し、ウェンリーが挑発するように隠れるなと横で叫んだ。
そうして何処からともなく現れた、アテナの俺を呼ぶ声がする。
直前に離れるなと言ったにも関わらず、アテナを見たウェンリーは止める間もなく走って行って、彼女を抱きしめたと同時にまた剣で貫かれ絶命してしまった。
これが、二回目だ。
一回目と同じく、俺が蘇生魔法を使ってもウェンリーは生き返らない。「どうしてなんだ!!!」と絶望して叫んだところで、再び扉の前に戻された。
この時もウェンリーは生きていてなにも覚えておらず、俺だけが見た夢(または幻覚)なのか、実際に本当に経験していることなのか判断がつかなかった。
それから今度はウェンリーに、もし目の前にアテナが現れても、絶対に近付かないよう言い聞かせた。あのアテナは本当のアテナじゃない。そうわかっていたからだ。
ウェンリーは俺がなにを言ってるのかわからないと面食らっていたが、最終的には寂しそうに笑いながら、アテナがもういないことはわかってるから、と頷いた。
――俺はアテナを失った時のレインフォルスの言葉を信じていて、きっとアテナはどこかで生きていると思っている。だが彼女の存在を感じられない以上、ウェンリーには安易にそのことを告げられなかった。
それなのに、まさかそこに付け込まれるようにして、俺ではなくウェンリーの命を奪おうとするとは予想外だ。
ウェンリーがアテナに恋心を抱き、普通の女の子として見ていたことに気付いてはいたけれど、その思いの強さは傍目にはわからない。
ウェンリーの口から直接アテナを好きだと聞いたことはなかったし、それをはっきり確かめられるほど、アテナと共に過ごした時間は長くはなかった。
「ウェンリー、いいな?アテナには近付くなよ。」
「わかったって!そんな何度も念押すなよ、アテナはもういないって繰り返し言われてるみたいで辛くなるから…!!」
「……ごめん。」
アテナに近付くと殺される。…とはさすがに言えなかった。
三回目。
同じようにアテナはまた現れたが、今度は俺の注意が功を奏して、ウェンリーはアテナに駆け寄らなかった。
ところが今度はアテナの方が走って来て、俺ではなくウェンリーに抱きついた。
ウェンリーは驚いていたが、まるで本当にアテナが戻って来たかのような錯覚に陥り、ウェンリーがアテナを抱きしめ返した瞬間に、やっぱりどこからか出現した剣に貫かれて倒れてしまった。
――その後も俺は、何度もウェンリーがアテナに殺される場面を、繰り返し見続けることになった。
俺がなにをしても、事前にウェンリーにどれだけ注意を促しても、ウェンリーは必ずアテナ(の姿をした幻覚?)に殺されてしまう。
その内に扉の前に戻されず、あれが現実となって、どうやってもウェンリーを助けられなかったらどうしよう、という強迫観念に囚われるようになり、徐々に俺の精神は疲弊して行った。ところが――
十回目を過ぎた時だ。
「――なあルーファス、おまえさっきこの扉開けなかったっけ??……なんか俺、こん中で誰かに会ったような気がすんだけど。」
「覚えているのか!?」
ウェンリーに一部の記憶が残っていた。もちろんアテナに殺されたことは覚えていなかったけれど、室内に入ったような気がする、程度には既視感のように残っていたらしい。
「…おまえが微かにでも覚えていると言うことは、俺達はこの中に入って戻されるという現象をタイムリープのように繰り返しているのか…?」
「タイムリープって?」
タイムリープとはある時点を起点として、意識だけが一定の時間まで進み、そこで起きる出来事を引き金として、起点に戻ることを繰り返す時間跳躍現象だ。
「ここがまだオルファランの中で、時空神が治める領域だとすれば考えられないこともない。…だけど…」
――そうだとしても、アテナが出てくることの説明がつかなかった。この扉の先にいるのは『テルツォ』で間違いないとして、彼がどうしてアテナの存在を知ることが出来る?現実的に考えても、俺かウェンリーの記憶を覗きでもしない限り不可能だ。
俺は冷静にあらゆる可能性を考え、一旦先に進むのは諦めて扉前に座り込み、自己管理システムに情報検索命令を出した。
「そっかあ…あれって、アテナだったのか…。インフィニティアに来てからも時々思い出しちゃあ、会いたいなあ、なんて思ってたせいかなぁ。」
「…ウェンリー。」
俺の隣に腰を下ろしたウェンリーは、少し寂しそうに頭を掻いた。
「夢でも幻覚でもいいから、もう一度会いたいなって思ってたんだ。アテナに会えるなら、死んでもいい!…くらいにさ。――ひょっとしてそのせい、ってことは…ねえ、よな…??」
ウェンリーのその予感は的中していた。自分が殺されたことは覚えていないはずなのに、なんとなくでも嫌な予感がしたんだろうか?
「――自己管理システムのデータベース検索が終わった。…多分これだな。」
俺はデータベースの中に、タイムリープに似た現象を引き起こし、戦わずして敵を疲弊させることの可能な魔法がないかを調べていた。すると自己管理システムはそれを探し出し、検索に引っ掛かる魔法を表示してくれたのだ。
「『ナイトメアレイド』…悪夢の侵略という意味の魔法名だな。願望を叶えて喜びを与え、怖れを可視化して絶望を見せる。それを相手の精神が崩壊するまで繰り返す冥属性魔法だ。」
推測するに『願望』はウェンリーのアテナに会いたいという願いを可視化し、『怖れ』は俺の心にある、ウェンリーを守れず、救うことも出来ない最悪の懸念を再現したものなんだろう。これならテルツォがアテナを知らなくても関係がない。
この魔法を仕掛けられたのなら、タイムリープでは考えられないアテナが出て来たことも腑に落ちるし、俺の蘇生魔法がウェンリーに一切効かなかったことも納得が出来る。俺が想定した最悪の事態を見せられているのだから、救えないのは当たり前だ。
「ふ…ふふふ…」
「ル、ルーファス?」
あれが魔法による幻視なのだとわかったら、俺は物凄く腹が立ってきた。こんな魔法を仕掛けた誰かさんに対してもだが、それを見抜けずに、相手の狙い通り精神を疲弊させた自分にも怒っていた。あまりにも情けなくなって、もう笑うしかないだろう。
――よくもやってくれたな、テルツォ…仕掛けられた魔法に気付かず、十回も同じ事を繰り返したのは己の恥だが、この腹いせに怒りは倍にして返してやるぞ…!
「そうとわかれば、しっかり対策をしてから扉を開ければいい。今度こそテルツォを見つけるぞ。」
「ほーい。」
一応魔法の痕跡を探したが、外から見る限りどこにも見当たらなかった。そのことから思うに、罠は部屋の内側…つまりは扉向こうに仕掛けられているのだろう。
扉の裏側や足元になにかあったとしても、黒灰一色の室内では見つけられない。そのためにあんな状態にしてあったと考えるべきだろうな。
――思考と感情を奪われたテルツォが、こんな魔法を使うとは…もしかしたら彼は…
普段精神系攻撃の耐性値が高い俺は、防護魔法のディフェンド・ウォールを使うだけで済んでいた。だが今回は対応策として『マインドスクートゥム<精神の盾>』という、精神を守る防護魔法を使うことにした。
厄介なのは、この魔法とディフェンド・ウォールを同時には使えないことだ。俺はどんな攻撃を喰らっても死にはしないが、ウェンリーは違う。それだけが心配だった。
…こんなことを考えているから、悪夢に利用されるんだよな。思えばウェンリーにはアテナの腕輪がある。多少小さな傷を負っても、命に関わるような致命傷だけは受けないはずなんだ。
そう覚悟を決めて扉を開けた。
室内はやっぱり黒灰一色だった。だが今度は対策を取っていたため、暫く経ってもアテナが姿を現すことはなかった。つまり自己管理システムが導き出した答えは正解だったと言うことだろう。
「いねえな、テルツォ…どこに隠れてやがんだ?」
「うん…」
どうやらこの黒灰一色の光景を先になんとかしないと、テルツォの位置は掴めそうにないみたいだな。
俺はデウテロンの部屋で見た、床に溜め込まれたなにかのエネルギーが関係ありそうだと気付き、テルツォはあの力を使ってこの光景を作り出しているのではないかと考えた。
――空属性魔法の中に、確かエネルギーを吸収して異空間に保管する『エナジーストック』という魔法があったな。
全て吸収しきれるかどうかはわからないけれど、試しにそれを使ってこの床に溜め込まれているエネルギーを奪ってみるか。
俺は左手でマインドスクートゥムを維持したまま、右手でエナジーストックを唱えると、部屋の中央に金色の球体を出現させて、周囲に存在するエネルギーを吸収し始めた。予想があっていれば、これで元の室内が出現するはずだ。
ギュアアアアァ、と空気が細い管に吸い込まれるような音がして、黒灰色の景色がぐにゃりと歪み出す。やがてそれらは、全てエナジーストックの球体に飲み込まれて行った。
――凄いエネルギー量だ。これを凝縮して結晶化すれば、半永続的に稼働し続ける駆動機器とか作れるんじゃないか?例えば…
「ルーファス、テルツォだ!!」
黒灰一色の景色が消えて、デウテロンの部屋と同じような四方の壁と床、天井が現れる。…と同時に、正面奥に両手で魔力塊を練り上げるテルツォの姿が見えた。
あれは――!!
「デストラクション・スフィア<破壊球>だ、避けろウェンリー!!!」
俺はすぐさまエナジーストックの魔法を中断し、ウェンリーに警告して回避行動に移った。
ゴオッ
「おわあっ!!」
ウェンリーは左方向に、俺は右方向に飛んで動いた直後に、俺達の間をテルツォが放った破壊球が高速で過ぎて行く。
それは俺達の背後にあった扉にぶち当たって、爆発音を響かせた。
テルツォは魔法攻撃型か!!
爆煙の上がった扉を振り返ると、そこには薄紫色の光る魔法陣が描かれていた。
見えた、あれがナイトメアレイドの魔法陣だな。あれを消せばマインドスクートゥムを解除して、ディフェンド・ウォールが使えるようになる…!
「ウェンリー!ディスペルの魔法石を使って、扉の設置魔法陣を消せ!!」
「りょ、了解!!」
ウェンリーが踵を返し、取り出した魔法石を手に扉へ向かうと、背中に背負うようにして装備していた杖を手に、テルツォが続けて暗黒属性魔法『モルスネブラ<死の霧>』を放った。
モルスネブラだって!?俺はともかく、ウェンリーはもし吸い込んだら即死じゃないか!!
黒い霧がもわもわとゆっくりこちらに近付いて来る。この魔法は非常に速度は遅いが、閉ざされた空間で使用すると、隙間なく広範囲を埋め尽くすようにして広がるのだ。
ピロン
直後、自己管理システムが警告する。
『モルスネブラ/変異魔法を確認』『光属性魔法を使用すると反作用にて変化/燃焼性ガスが発生』『対処法/暗黒属性魔法オブルークにて魔法効果を全捕食』
変異魔法?通常のモルスネブラではないと言うことか。それに…対処法が『オブルーク』?初めて聞く魔法名だな、そんな魔法を所持していたか?
『被ナイトメアレイド解析により取得/使用可能』
あの魔法にそれに関する術式が含まれていたのか。…よし、わかった。やってみよう。
「暗黒の獣よ、彼の魔力を喰らい尽くせ!!出でよ『オブルーク』!!!」
右手に輝く薄紫の魔法陣から、しゅるるるるっと影のような物が飛び出して、牙を剥いた竜のようにガアアッとその口を開くと、周囲に漂っていた死の霧を全て喰らい尽くした。
『ナイトメアレイドの設置魔法陣消去を確認』『オブルークの継続使用を推奨』『冥属性、暗黒属性魔法/自動捕食設定』『テルツォ解析/残属性にはディフェンド・ウォールが有効』
「ルーファス、こっちはオッケーだぜ!!」
「ありがとうウェンリー!」
ウェンリーに頼んだ、扉の設置魔法陣が消えたことで俺の憂いはなくなり、オブルークの継続使用でテルツォの冥、暗黒属性魔法は無効化出来ることになった。
自己管理システムは、俺が得たテルツォの情報から能力を分析して、これ以外に彼が使用可能な魔法は、ディフェンド・ウォールで防げるものだと判断したようだ。
――俺の自己管理システムは熟々優秀だな。補助機能だったAthenaはいないけれど、様々な状況変化にも対応して具に情報を与えてくれる。
ウェンリーが俺の後ろに戻って来るまでにも、テルツォは全くの無表情で容赦なく攻撃魔法を放ち続けた。
冥、暗黒属性魔法は、発動される度にオブルークが喰らい、他に火属性魔法や地属性魔法、闇属性魔法の攻撃は対属性となる攻撃魔法をぶつけて威力相殺したり、ディフェンド・ウォール・リフレクトで跳ね返したりして全て退けた。
プロートンやデウテロンより格段に魔力量が多いみたいだけど、それでもそろそろ尽きる頃だろう。
これまで俺達を近付けないように、遠距離で魔法を使ってきたテルツォだったが、徐々に魔法を発動する頻度が低下して攻撃の手が鈍くなった。
「今だウェンリー!グラビティ・フォールを!!」
「よっしゃあ!!任せろっ!!」
ウェンリーが魔法石を放り投げ、テルツォの頭上に重力球が現れる。それは高速で落下し、すぐにテルツォを押し潰しにかかった。
「があああっ!!」
プロートンとデウテロンの時は、この時点でバインドを使って拘束し、ドライエックケージに簡単に閉じ込められたけれど、俺はここでは拘束魔法を使わずに、ウェンリーが前に出ないように押し留めて様子を見た。
実はテルツォについての情報をデウテロンに尋ねた時、彼からこんな話を聞かされていたからだ。
『テルツォには最後の最後まで気を抜くな。あいつは思考と感情を封印されてから行動が読めなくなっちまったんだけど、それでも俺達が死んだ(壊された)と知ったら、最終的には自爆魔法を使うかもしれねえ。』
『三人の末っ子だったテルツォは、今でこそあんな無表情になっちまったが、元は凄え甘えん坊だったんだよ。』
――デウテロンはテルツォが自爆魔法を使ったら、爆発する前に止めて欲しいと言っていた。俺はそれを念頭において警戒していたのだ。
「あっ!!あんの野郎、やっぱし!!」
「させない!!」
デウテロンの情報通り、テルツォは残り少ない魔力で自爆魔法を唱えようとした。俺はその事態に備えて、予め解除魔法三連発をテルツォの周囲に仕掛けておいたのだ。それを起動する。
なぜ三連発かというと、自爆魔法の解除には『起動解除』『魔力消去』『構築術式消去』の三段階手順が必要になるからだ。その場で一つ一つ解除したのでは間に合わないから、ディスペルにディストラクションを掛け合わせた合成魔法を作り、解除と同時に自爆魔法を破壊させる手段を取った。
――自分が最後の魔力を振り絞って唱えた自爆魔法が、一瞬で解除され、俺のバインドで拘束された直後に、魔法檻に囚われたテルツォは、表情こそ変わらないものの唖然としていたようだった。
「………。」
魔法檻に囚われても、テルツォは無言で項垂れている。
「――随分と手子摺らせてくれたな、テルツォ。特にナイトメアレイドで、俺に十回もの絶望を味わわせてくれた礼だけはさせて貰うぞ。」
俺がそんな怒りをぶつけると、彼はようやく口を開いた。
「……好きにすればいい。プロートンとデウテロンがいないのなら、私だけ残っていても仕方がない。…だけどギリアム様だけは…守りたかった。」
サイードを守りたかった、だって?…まさか俺がサイードを害すると思っているのか?
「やっぱりあなたは、完全に思考と感情を失くしたわけじゃなかったんだな。…そうだと思ったよ。でなければ俺達に、あんな魔法を使おうと思いつくはずがないからな。」
「………。」
「サイードについて色々と聞きたいことはあるけれど、その前にあなたには俺の仕返しを受け取って貰う。俺が味わった苦痛と悲しみ、絶望を受け取れ。」
――俺は地面に座り込んで項垂れたまま、俺達の顔を見ようとしないテルツォに、そう宣告してある魔法を使った。すると…
「う…あ…あああ…プロートン…デウテロン、嫌です…っ、私を置いて逝かないで下さい…!!もう一度、もう一度ギリアム様にお願いを…っああああっ!!!」
テルツォはそう喚いて泣き出した。
「ルーファス、仕返しって…封印された思考と感情を返してやることだったのかよ?」
「ああ、そうだ。感情がなければ俺がどんな思いをしたかわからないだろう?それに考えることが出来なければ、この後俺が選択を迫っても、自分の意思で答えを選ぶことは出来ないじゃないか。」
「…まあそうだけどさ…珍しく仕返しするなんて言うから、なにすんのかと思ったじゃんか。」
「十分仕返しだろう。テルツォは今、兄弟を失った悲しみと絶望を味わっているんだから。」
魔法檻の中で悲しみに噎ぶテルツォを見て、プロートン達から聞いていた通り、彼が最も人に近いと言っていた理由がわかるような気がした。
それから俺達は、テルツォが落ち着いてからサイードについてわかることを聞き出し、その後で俺達がお館様に囚われた理由について、なにか知らないかと尋ねてみた。
「次元穴出現時、私はあなた方とアインスの広間にいましたので、なにが起きたのかはわかりません。ですが後にお館様自らあなた方を捕らえたということは、恐らくあなた方の存在が〝オルファランにあってはならないもの〟として危険視されたためではないかと推測します。ただ排除するだけなら、私にご命令なさるはずですから。」
「危険って…んなこと言われたってなあ?俺らだって好きでインフィニティアに来たわけじゃねえし。帰る方法さえわかれば、多分オルファランにだって来なかったと思うぜ?」
――次元穴が出現したと騒ぎになり、時間が経って戻って来たお館様が、俺達を "危険な存在" として魔法檻に閉じ込めユラナスの塔に送った。…と言うことは単純に考えて、俺達がその次元穴の原因だと思われた、ってことなのかな。
「…テルツォ、それ以外になにか情報はないか?お館様は俺達をここに捕らえた後どうするつもりだったのかとか、サイードになにか命じたのかはどうだ?」
「それもわかりません。この『ユラナスの塔』はオルファランの地にありながら、オルファランとは完全に切り離された次元に存在していると聞きます。外から入ることは容易でも、出るにはお館様のお許しがないと不可能なのだと、ギリアム様が仰っていました。」
「切り離された次元に存在する塔…つまり俺達がここにいれば、たとえ本当に危険な存在であったとしても、もうオルファランになにかしらの影響を与えることはないんだな。」
「はい。」
やっぱり俺の予想が当たっていそうだな。その『次元穴』というのがどんな時に出現する現象なのか、それがどんな影響を周囲に齎すのかが良くわからないけれど…
ピロン
『次元穴/滅回避緊急修復作用』『特定世界において予期せぬ干渉を受けた際、消滅と破壊回避のために発生する時空神界防衛機構』『自浄作用により出現時に空間吸引性質を所持、異次元に放出』
――なんだって!?
出現時に空間吸引…つまり周辺のものを吸い込んで、異次元に放出するということか?未知の災害じゃないか…!!
自己管理システムに情報があったということは、俺が過去この現象に遭遇した経験があるということか。…だけどこれは…
「――なにがなんでもサイードに会って、詳しい話を聞かないとならなくなったな。」
「ルーファス?」
「ああ…いや、独り言だ。…情報をありがとう、テルツォ。でもあなたには悪いが、俺達が勝った以上、心臓部に埋め込まれた鍵を渡して貰うよ。」
「…はい、わかっています。兄たちが既にいないのであれば、一人残るつもりもありません。あなた方のお好きにどうぞ。」
まだ涙の跡が残る顔を上げて、テルツォは諦めたようにそう言った。
「――よし、これでいい。最後の鍵だ。」
横たわるテルツォの躯体から、心臓部の生体装置を取り出して破壊し、中から出現した鍵を掴んで俺は頷いた。
「テルツォの身体はどうすんの?プロートン達とおんなじように分解して持ってくのか?」
「もちろんだ。これを詳しく調べれば、サイードがどうやって彼らを作ったのかわかるからな。」
「了解。…にしても、こいつらやっぱ人形とは思えなかったよな。」
「当たり前だろう。彼らは自分で人形だと思い込んでいただけで、既に『命』を持っていることに気が付いていなかっただけだからな。」
「え…」
プロートン達三人から鍵を受け取った時、彼らの身体には『人らしき存在』の細胞が使われていることに気付いた。
それを解析魔法『アナライズ』で調べてみると、一つ一つの細胞が生きていたのだ。
「プロートン達は人形と言うよりも、人工生命体<ホムンクルス>に近い存在なんだ。完全な創作物であるのなら、霊力の塊でもある魂を持たない限り、やっぱり思考や感情というものは持てないんだよ。」
「ふうん…だからあいつらには個性があったのか。それなのに使い捨てにされちまうなんて…酷えよな。」
「そのことも含めて、サイードがなにを考えてこんなことをしたのか知るためにも、サイードに会いに行こう。テルツォの鍵は手に入ったし、本人から理由を聞き出すのが一番だ。」
手分けして分解したテルツォの身体を回収して無限収納に入れると、俺達は先へ進んでサイードが待っているという最上階を目指した。
九階に入り、所々通路に出現するゴーレム達を倒して、一時間ほどで最後の扉に辿り着く。
「ここが最上階のはずだけど…奥にまだ上階へ続く階段があるみたいだな。」
「もしかしたら屋上に出られるんじゃねえ?ここの塔って柱を伝って、なんかのエネルギーが上に集まるようになってるみてえだし。」
「そうなのか?…気が付かなかったな。」
「デウテロンを倒した後、床に溜まってた力が消えちまっただろ?おまえは鍵を取り出すので見てなかったけど、俺はあの時床のエネルギーが柱を通って上階に昇ってくのを見てたんだよ。」
テルツォの部屋では、俺がエネルギーの殆どをエナジーストックで吸収しちゃったからわからなかったのか…やっぱりこの塔にはなにかあるのかもしれないな。
下の階と同じく封印されて光っている扉を見上げて、小さく息を吐く。この先に進むには覚悟と思い切りが必要だった。
――不安だ。もしサイードと戦うようなことになったら、俺はどうすれば良いんだろう。
「…この中でサイードが待っているんだよな。やっぱり戦うことになると思うか?」
「うーん…わからねえ。そもそも俺ら出会ったばっかだぜ?それにお館様の息子…や、娘か?だったら時空神の子供ってことだろ?人間の俺らがまともにやりあったって、最初っから勝てるわけねえじゃん。」
「…だよな。それに俺達を殺すつもりなら、プロートン達に消えろなんて言わないだろうし…正直に言ってサイードがなにをしたいのかさっぱりだ。」
1996年のメクレンで出会ったサイードは、少なくとも味方だと思える。だからこの後なにが起きるにしても、結果は決して悪いものにはならないはずだ。…そう信じるしかないな。
「もし戦うことになるとして、勝算ってどんぐらい?」
「そんなこと聞くなよ、考えたくもない。」
ウェンリーとそんな短い会話を交わして覚悟を決め、俺は扉にテルツォの鍵を差し込んだ。
重い扉を押し開けて、ウェンリーと一緒に室内に入る。ここの床も下と同じように、なんらかの力を溜め込んで光っていた。
ただ周囲の壁や天井が階下とは違って、通路の壁にあった記号の羅列がここの壁に集まるように縦横四方八方に走り、天井には稼働していない巨大な魔法陣が建材に彫られるようにして描かれていた。
この塔のエネルギーは、まさかあの天井にある魔法陣を起動させるためのものなのか?
ちらっと目にしただけだったけれど、描かれた呪文字の一部に転移系の魔法術式が組み込まれているように見えた。
「――待っていましたよ、ルーファス。あなたがオルファランに来たいと言った時に忠告はしましたが、まさか本当に囚われることになるとは思っていませんでした。」
「サイード。」
俺は横に並んでいたウェンリーに目で合図を送ると、ウェンリーには俺から少し下がってついて来て貰い、俺達はこのだだっ広い部屋の中央に立つサイードに近付いて行った。
「…俺は、根拠もなくあなたは俺の味方なんだと思っていた。だからもしかしたら今あなたがここにいるのもなにか理由があって、本当は俺達を助けるためなんじゃないかとさえ思っている。…サイード、お館様の屋敷でなにがあったのか、どうして俺達は囚われることになったのか…それとあなたがなぜこんなことをするのか、教えてくれないか?」
俺がそう尋ねると、サイードは目を細めて笑った。
「ふ…質問が多いですね。今さら私に尋ねなくとも、これまでに入手した情報だけで、ある程度わかっているのではありませんか?」
「それは推測に過ぎない。俺達はなにもしないのが正解なのかもしれないが、それでもなにか出来ることはあるだろう。」
「――意外ですね…オルファランに到着してからのあなたは、あまり周囲に関心がないのだと思っていました。クリスを救うためにアレンティノスへ行き、ディスペアゴーストを一人残らず昇華させたとは思えないほどに、どこか冷ややかな視線を向け、なにもかもから目を逸らしているかのようにさえ見えましたから。」
「ちっ…あの野郎、しっかりばれてんじゃねえか。」…と、ウェンリーのぼやきが後ろから聞こえる。
「今は違うようですが、あなたには精神分裂症のような嫌いでもあるのですか?」
サイードは皮肉を込めて、まるで貶すような言い方をして笑ったけれど、そう言われて俺は別の印象を受けた。
「こんな短期間しか一緒にいなかったのに、俺のことを良く見ていたんだな。でも今はそれより…サイード、お館様の屋敷で中庭に次元穴が出現したんだろう?思うにその時、誰か飲み込まれたんじゃないのか?」
俺がそう尋ねた瞬間、サイードに僅かな反応があった。
「考えていたんだ。お館様が一言も交わすことなく問答無用で俺達をここに送ったのは、あの屋敷でとても大切にされていた誰かが、次元穴に飲み込まれたせいなんじゃないかって。」
――レインフォルスの記憶を見て、オルファランの入口に到着した時の会話から、サイードは元々次元穴が出現する原因を調査していたと知った。
そんな時にヴァシュロンから、白色岩島群にフェリューテラから来た俺達がいることを知って、なにか関係があると思い調べることにしたんだろう。
もちろんクリスを助けるという目的はあったんだろうけれど、それだけじゃないような気はしていた。
俺がサイードのことを知っていると口走ったことから不審を抱かれ、嘆きの澱みに行く前に、俺の力を見せろと言ったこともそれに繋がるんだろう。
特定世界への干渉…このインフィニティアが過去の世界なら、俺とウェンリーは未来から来た異物だ。そのせいで予期せぬ事態が起こったとすれば、今回のことは容易に説明がつく。
「お館様もサイードも、次元穴が出現した原因は俺達だと判断した。だからここに囚われることになったんだろう?」
「…やはりわかっているではありませんか。まあそれでも、今回の事故はあなた達だけの所為ではなく、その責任は私の方が遥かに重い。」
「?…どういう意味だ?」
「こちらの話です。――起きてしまったことを悔やんでも、もう取り返しはつきません。ですが私は私に出来る方法で償いをしたい。…そのためにはルーファス、あなたの力が必要です。どうか私にあなたの力を貸していただけませんか?」
――サイードにそう言われた時、俺はホッとした。どうやら戦うことは避けられそうだったし、サイードが俺達を害しに来たわけでもないとはっきりしたからだ。
だから俺は喜んで二つ返事をした。俺にできることならなんでも言ってくれと返して、協力出来ることがあるなら全力を尽くすと約束をした。
俺の答えを聞いてサイードは、「あなたならそう言ってくれると思いました。」と嬉しそうに微笑む。
「それで俺になにをして欲しいんだ?サイード。」
「ええ…ルーファス。そんなに難しいことではありません。ただあなたに――」
〝――私を殺して欲しいのです。〟
サイードは事も無げに俺にそう言った。
次回、仕上がり次第アップします。