148 至上の楽園オルファラン 前編
大変遅くなりました。ルーファスが消えたと聞いたものの、指して大きな問題もなく無事にクリスの家に戻って来たその後で、ルーファスの小さな言動に違和感を覚え、ルーファスがルーファスでないことにウェンリーは気付きました。家の外に出たところで「おまえ、誰だ?」と問い詰めたものの、その相手はいったい…?
【 第百四十八話 至上の楽園オルファラン 前編 】
――浮島の端に立つルーファスは、ゆっくり俺の方を振り返って目を見開くと、いつものように少し困った顔をした。
そうやって優しい目を向けられると、怯みそうになる。
「…いきなりなにを言い出すんだ、ウェンリー。俺がなにか気に触るようなことでも言ったのか?」
「とぼけんじゃねえよ!子供の頃から俺がどんだけそばにいると思ってんだ。他の連中は騙せても、俺の目は誤魔化せねえぞ…!」
俺はルーファスの振りをした、ルーファスじゃねえ奴を睨んだ。
俺が感じた最初の違和感は、クリスの呪いが解けた直後だった。世界樹を蘇らせる、なんて苦労をしてまでやっと助けたのに、喜ぶクリスとヴァシュロン達を見ても、ルーファスが細めた目に嬉しいって感情は籠もってなかったんだ。
次は俺が識者じゃねえのに、なんで精霊が見えるのかって聞いた時だ。俺は普段から疑問に思ったり、わからねえことは人に聞くことにしてる。こいつは勉強なんかとおんなじで、わからねえことをわからねえままにしておくと、後になればなるほど話について行けなくなっちまうからだ。
そんな時ルーファスは、俺にいつだって面倒臭がらずに分かり易いように説明してくれて、俺がきちんと理解すると最後に必ず微笑んでくれんだ。
それは子供の頃の名残で、昔は俺が勉強を頑張る度に〝偉い偉い〟って頭を撫でてくれてたけど、大きくなって恥ずかしいから止めろって頼んだから、代わりにそんな顔をするようになったんだ。
けどあの時のルーファスは、ほんの一瞬意外そうな顔をした。俺があの説明だけで理解出来るとは思わなかった、って顔をしたんだ。
三度目はクリスが身体を痛がった時だ。俺だって怨嗟の呪縛がなくなったってのはわかってたさ。けどあの優しいルーファスが、いくらラナさんがついてるからって、耐えられないほどの痛みがあれば言ってくんだろ、なんて言葉を口に出したことが信じらんなかった。
「おまえが本当にルーファスなら、あんな冷てえことは言わねえ。たとえ大丈夫だろと思ったって、心配してすぐに様子を確かめに行ったはずだぜ。」
「………」
俺はこれまでに感じたことを、ルーファスの振りをしたこいつに、つらつら言ってぶつけてみた。けどその表情に変化はねえ。ただ黙って俺を見てるだけだ。
「おい、なんとか言えよ!」
俺は平然としてそこに立つそいつに、イラッとして手を伸ばした。ついいつもの悪い癖が出て、胸座を掴もうとしちまったんだ。
ルーファスの振りした奴はそれを読んでたかのように、スイッと難なく躱す。直後目の前から姿が消えて、一瞬で背後に回られた。
「――相変わらず直情的で短絡思考な奴だ。まあ、元からおまえを騙せるとは思っていなかったがな。」
そのルーファスとは少し違う冷たい口調で耳元に囁かれ、俺はその気配に全身がゾワッとして冷や汗が出た。
慌てた俺は囁かれた耳を押さえて、すぐにそこから飛び退くと距離を取る。その瞬間、こいつが誰だかわかったからだ。
「お、まえ…っまさか、レインフォルス…!?」
ルーファスの姿に、ルーファスの声。これまであいつが表に出てきた時は、いつも銀髪が漆黒に変わって、ルーファスと同じ顔をしてても少し年上に見えてた。
それなのに、なんで…
今のこいつは完全にルーファスそのものだ。
――そっか…考えてみりゃサイードからの連絡は、〝ルーファスが消えた〟っつう緊急事態を知らせるものだったんだ。もしルーファスになにか起きて、やばい状態になったんなら…あいつの危機にこいつが表に出て来てもおかしくなかったんだ。
これまでルーファスと入れ替わる時は外見が変わってたから、すぐにはわからなかったぜ…!
「ウェンリー、まだ俺を疑っているのか?納得してくれたなら、これからどうするか本題に入りたいんだけどな。」
こいつ…!!
ルーファスの姿をしたレインフォルスは明確には俺に正体を明かさず、あくまでもルーファスの口調を真似て微笑む。ルーファスのことを知り尽くしてるって感じのするその演技は完璧で、思わずまた欺されそうになっちまったほどだ。
なんの理由があっていつもと違うこんなことをしてるのかはわからねえが、レインフォルスだってことを俺に言わねえのは、暗に〝余計な詮索はするな〟と言ってるんだろう。
レインフォルスが出てるんなら、多分ルーファスは今、眠ってるかなんかで意識がねえんだろうな。こいつがルーファスに危害を加えることは考えにくいし…
俺はルーファスが無事だってわかればそれで良かった。だから理由は深く考えねえで、レインフォルスに合わせてやることに決めたんだ。
「――わかったよ、ルーファス。…で、どうするって?」
「私と一緒にオルファランへ行きたい、ですって?…先程は人界へ帰る方法を探すと言っていましたよね?気が変わったのですか?」
あの後俺はレインフォルスに、フェリューテラに帰るには『オルファラン』っつう隔絶界の一つに行く必要があるって説明をされた。
レインフォルスはルーファスの中で世界樹との会話を聞いていて、どうやらルーファスは精霊からフェリューテラに帰る方法の手がかりを聞いてたらしい。
んで今サイードの口から出て来たオルファランってのは、サイードの住んでる隔絶界のことだ。
さっきレインフォルスが言ってた話からしても、インフィニティアからフェリューテラに来てたサイードが、俺らが帰る方法を知らないはずはねえ。
なのに俺らに帰る方法はねえって言おうとしてたんなら、俺らを帰さねえつもりかもしれないって言ってたレインフォルスの言葉も納得がいく。
まあそんでそれを確かめるためにも、サイードに俺らをオルファランへ連れてってくれって頼んでみることにしたわけだ。
今レインフォルスとサイードは、向かい合わせにテーブルについてる。俺は床に座って、壁に寄っ掛かりながら少し離れたところから話を聞いてて、俺の横には胡座をかいて座るヴァシュロンがいる。
クリスは隣の部屋で休んでて、ラナさんが付き添ってるって感じだ。
「いや、永久の民になるつもりはない。サイードが『お館様』と呼ぶ、オルファランを治めている方にお目にかかりたいんだ。」
一瞬の間があって、サイードの声が低くなる。レインフォルスの言葉は予想外だったみたいだ。
「…世界樹の精霊からなにを聞いたのですか?」
サイードの問いかけにレインフォルスは返事をしなかった。
「――わかりました、いいでしょう。但し、あなたの望み通りの結果になるかはわかりませんよ?最悪の場合、『世界の理を乱す者』として囚われてしまうかもしれません。」
壁際で話を聞いてた俺はギョッとする。お館様って奴に会いに行くだけで、なんで囚われるとかそんな話になるんだよ。
「それはサイード、あなた次第なんじゃないかな。俺がこう言い出すことをある程度予想してたからこそ、あんなことをしたんだろう?」
あんなこと?…って、なんだ?ルーファスはサイードになんかされたのか?
「…敵いませんね。理由を尋ねないと思ったら、既に予想がついていた、と言うわけですか。年若い見た目に欺されて、侮ると痛い目を見るのは私のようです。」
俺の方からはそう言ったサイードの顔は見えなかったけど、苦笑してるっつうのはわかった。
「なあヴァシュロン、あの二人がなに話してんのかわかるか?」
俺はこそこそと隣にいるヴァシュロンに耳打ちした。レインフォルスとはザッとしか話してなかったし、二人がなにか駆け引きみてえなことをしてるように見えたからだ。
「わかるわけなかろう。必要があればサイード様はお話し下さるが、こちらからは余計な口を出さぬに限る。」
「ふーん…」
そう言やレインフォルスはサイードに敬語を使ってねえけど、ヴァシュロンやラナさん達は違うよな。サイードってもしかして偉い?
「――では出発は明日の朝にしましょう。クリスとの別れをする時間も要るでしょうから。」
「ああ、そのことなんだけど――」
「ル、ルーファスさん!サイード様、来て下さい!クリスが…!!」
突然隣の部屋からラナさんの叫び声が聞こえた。俺達はそれぞれすぐに立ち上がってクリスの元へ向かう。
「どうしました、ラナンキュラス!?」
真っ先に駆け込んだのはサイードで、その後ろにレインフォルスが続く。狭い部屋の中に俺とヴァシュロンも入って、二つある内の片方の寝台に注目した。
「え…ク、クリス…?」
その寝台の上で白い布にくるまり、ラナさんに肩を抱かれて壁の方を向いてたその人がこっちを見る。
元は短めだった青い髪は長く腰ぐらいまで伸びて、振り向いた顔に面影はあるのに幼さがねえ。
寝台と床にはビリビリに裂けて破れたクリスの服が落ちてて、ラナさんと並んだ座高はほぼおんなじだ。――要するに、つまり…
「――怨嗟の呪縛が解けて、一気に成長してしまったのですね。」と、サイードが言った。
ルーファスの姿でレインフォルスがクリスに近付くと、クリスは急激に伸びた前髪の隙間から、半泣きの潤んだ青い瞳で訴えた。
「ルーファスお兄さん…どうしよう、ボクいきなり大きくなっちゃった…」
「ツァルトハイトが呪いを解く時に、本来の姿になれるはずだと言っていただろう?身体が痛かったのはその前兆だったんだ。」
「ルーファスさん、クリスがこうなるって知っていたんですか!?先に教えておいてくれればいいじゃないですか!」
クリスの肩を抱いてたラナさんが、そう言って怒りをぶつける。
「確信があればもちろん教えていた。だがここは無限界だ。時が止まっている影響がどう出るかわからず、はっきりとは言えなかったんだ。…すまない。」
レインフォルスが謝るとラナさんは不機嫌な顔をして立ち上がった。
「――サイード様、クリスになにか衣服を作って頂けませんか?着ていたものは全て破れてしまって…裸のままにはしておけません。」
「ええ、わかりました。」
「…邪魔になるだろうから俺達は出ている。」
そう言ってレインフォルスがクリスの傍を離れて、俺達と一緒に部屋から出ようとした時だ。
「待って、ルーファスお兄さん!」
クリスがレインフォルスを引き止めて、右手の甲を出して見せた。
「見て!ルーファスお兄さんなら、ボクのこの手に浮かび上がった印の意味がわかる?竜人族の紋章なんだ!」
クリスの傍に戻り、差し出された手を覗き込んだ直後に、レインフォルスは険しい表情になって眉間に皺を寄せた。俺は少し身体をずらして上からクリスの手を覗き込む。
――クリスの手の甲に浮かび上がったそれは、円形の飛竜草(草食の竜が好んで食すという蔓草のこと)を模した外枠に、羽ばたく蒼竜の図が半分に割れた中央の宝石の方を向いている。不思議なことにその紋章は酷くバランスが悪くて、もう半分が空白のようになってた。
レインフォルスは顔を上げてクリスの顔を見つめると、その意味に見当がついてるのか、息を呑むクリスに静かに言った。
「…竜人族の言い伝え通りだ、クリス。」
瞬間、クリスはサッと血の気が引いて青くなり、これ以上ないほどに大きく目を見開いた。
「嘘…ルーファスお兄さん……やだ、やだよ…っお父さん、お母さんっやだああっ!!」
突然動揺して泣き出したクリスに、レインフォルス以外の俺達にはなにがなんだかさっぱりわからなかった。
「クリス?ちょっ…なにを言ったんですか、ルーファスさん!!」
またレインフォルスを睨んだラナさんを無視して、俺達の間を縫うようにレインフォルスは部屋から出て行く。
俺とヴァシュロンもそこから出てレインフォルスの後を追った。
「おいレ…ルーファス!」
「ルーファス、クリスの手に浮かび上がった紋章とはなんだ?なぜクリスは泣き出して…」
レインフォルスは床に座り、俺とヴァシュロンもその傍に腰を下ろした。
「…竜人族の古き言い伝えがある。『一族滅びし刻遺されし者、その手に遺志たる紋章を抱く』。半白の印は番が決まっていないことを表し、竜の紋章の出現はクリスの一族が皆亡くなったことを示す。」
「な…人界の竜人族が滅んだと言うのか?このタイミングで?」
「いや、時期についてはなんとも言えない。クリスはこちらに来てから怨嗟の呪縛によって成長が止まっていた。その間のいつに現れていたのかは、知りようがないんだ。それにインフィニティアは多次元多時空の世界に繋がっている。今がフェリューテラと同じ時間軸だとは限らないから、未来の出来事で既に決まってしまった結果を表しているだけかもしれないんだ。」
レインフォルスの説明を聞いても、俺にはなにがなんだかさっぱりわからなかった。
俺がわかってねえことに気付いたのか、最後にレインフォルスが言う。
「理解出来なければいつ起きた出来事だとかは考えずに、竜人族はなんらかの要因で滅んだ、と言う事実だけを受け入れればいい。」
――え…でも、守護七聖の中には『アルティス・オーンブール』って名前の竜人族がいるよな。そいつがいる限り、完全には滅んでねえんじゃねえの?…まあ、まだ俺も会ったことはねえし、火の神魂の宝珠に封印されたまんまだけど…
俺がそんなことを考えてると、レインフォルスが見透かしたように俺をじっと見て、二度首を振った。守護七聖のことは言うな、って言いてえんだろうな、あれ。
けどさ、単純に考えてその人が解放されれば、クリスは独りぼっちにならなくて済むんじゃねえの?
この前ルーファスに、クリスを一緒に連れてってやれねえかって言った時、既に滅んだ竜人族のことをどう話すのかってのが問題だったけど…事実を知っちまった今なら、俺らのフェリューテラに連れてくことも可能なんじゃねえ?
もちろんそりゃクリス次第だけど…
「クリスはもう一度家族や友人に会うことを望んで、これまでこんな辺境で暮らして来た。だがルーファスの言うように竜人族がもういないと言うのであれば、人界に帰ることはさすがに諦めるであろうな。」
ヴァシュロンはその大きな肩を落としてクリスを思い、スン、と鼻を鳴らす。十代後半の娘がいるおっさんが、小さく背中を丸めて落ち込んでた。
それから暫く経って隣からサイードとラナさんが出て来た。ラナさんは不機嫌そうにルーファスを怒ったような目でちらっと見ると、すぐにぷいっと顔を背けてキッチンの椅子に腰を下ろした。ラナさんって…ひょっとしてルーファスが嫌いなのかな?
そんな態度を取られたレインフォルスに目をやると、こいつは微かに口元で笑ってる。よく見ねえとわからねえようなそれは、ルーファスの笑い方じゃねえから、多分レインフォルスの素なんだろう。
「――ルーファス、ウェンリー。クリスがあなたたちと話したいそうです。」
「え…」
竜人族が滅んだことを知ったばっかで、まだショックを受けてんだろうに…なんだろ?…そう思いながら立ち上がると、また俺達はクリスのところに戻った。
「クリス、話ってなに――……へ?」
レインフォルスに続いて部屋に入ったところで、寝台に座ってるクリスを見て俺は絶句する。
サイードが用意したんだろうな、クリスの青い髪によく似合う灰青色とベージュのロングチュニックに、腿までのミニスカートとぴっちりしたレングスに膝上までの編み上げブーツ。その服装は、どう見ても女物だった。
「クリス…おま…っやっぱ女じゃねえかっ!!!」
「ウェンリーお兄さん…うん、ごめんね?ボク女の子だったみたい。」
俺はショックで頭の中に、見られた時のことがぐるぐる回って呆然となった。
「放っておけ、ウェンリーには構わなくていい。それより…もう落ち着いたみたいだな。…さすがは竜人の乙女だ。」
レインフォルスはクリスの向かい側に座ると、優しく微笑んでそんなことを言った。おい、さらりと俺を弄るんじゃねえよ!
「ルーファスお兄さんは、ボク達竜人族のことにとっても詳しいんだね。竜の紋章のこともそうだけど、その呼び方を知っている人は殆どいないよ?…もしかして、竜人族の知り合いがいるの?」
「…ああ。」
「――そう…」
「…それで、俺達になにを話したいんだ?クリス。」
――こうして横でレインフォルスを見てると、あの『邪眼』とか言う力や、容赦なく人を殺せるところとか、子供を…事情があっても無表情で手にかけられる面があるなんて思えねえよな。
今はルーファスの振りをしてるから、って言われりゃそれまでだけど、ルーファスがこいつを庇うことを考えると、実はそんなに悪い奴じゃねえのかもしんねえ。
レインフォルスの問いかけにクリスは一度息を呑むと、真剣な瞳で俺達を交互に見てから膝上の拳をきゅっと握った。
「…ルーファスお兄さん、ウェンリーお兄さん。お兄さん達が帰る方法を見つけたら、ボクを一緒にお兄さん達のフェリューテラに連れて行って欲しいんだ。」
「………」
「クリス…」
正直言って意外だった。俺達と一緒にフェリューテラへ帰っても、クリスの家族には会えないことを既に俺が話してあったからだ。
「前にも言ったけど、俺らのフェリューテラとクリスのフェリューテラはちょっと違うんだ。そのことはわかってんだよな?」
「うん…もちろんだよ。――ルーファスお兄さん達は、1996年のフェリューテラから来たんだよね?」
「「!!」」
クリスのこの言葉には、さすがにレインフォルスも驚いたみてえだった。
「なんで…?」
「…これ。」
クリスは寝台の枕元から、俺が暇潰しに無限収納から出してやった本を取り出すと、一番最後の頁を開いて見せた。
「あっ!!」
――そこには、初版年月日が記載されてて、その日付が1996年って記されてた。
「この本まだ新しいし、手書きじゃなかった。ボクのフェリューテラでは本はみんな手書きなんだ。一部魔法を使って複写して出版されてるのもあったみたいだけど、高価過ぎて一般には出回ってない。…ウェンリーお兄さんが貸してくれた本は、みんなボクの知らない技術で作られてたから、凄くびっくりしたよ。」
「ウェンリー…」
レインフォルスが呆れて、凍るような冷ややかな目で俺を見た。クリスがそんなことに気が付いてたなんて、微塵もわかんなかったぜ!?いったいいつから知らねえ振りしてたんだよ…!!
――女って…怖え。
「ルーファスお兄さん。お兄さんは今、竜人族の知り合いがいるって言ったよね?1996年のフェリューテラに、その人はいるってことだよね?」
「………」
レインフォルスが否定出来ずにぐうっと喉を鳴らす。殆ど表情は変わらねえけど〝しまった〟って思ってんのは見て取れた。さっき睨んでくれたけど、ははっ、おまえだってポカしてんじゃねえか。
「ボクは竜の紋章を持つ生き残りとして、その人に会いたい。だからお願い。ボクも一緒に連れて行って。」
♢
――翌朝俺達は、ヴァシュロンに乗せて貰って、サイードと一緒にオルファランへ出発した。
もちろんクリスも一緒だけど、クリスが俺達と一緒に来たいって言ったことは、まだヴァシュロン達には知らせてなかった。
なんでかっつうと、レインフォルスの話だと俺らが帰れるかどうかは、サイードの言う『お館様』次第らしくて、確実とは言えねえこともあったし、サイードがちらっと言ったように、なにかの理由で俺らが囚われる可能性があったからだ。
もし最悪そうなった時には、俺らとクリスは関係ねえものとして、クリスだけはヴァシュロンがきっと保護してくれんだろう。
…ってことで、クリスは俺達を見送りたいと言って、付いて来ることになったってわけだ。
ああ、因みにラナさんとはクリスの家で別れた。ラナさんは最後の最後までルーファス(レインフォルスだけど)に笑顔は見せず、「もう会うことはないでしょうから、お元気で。」と素っ気ない言葉を浴びせてた。
それに対してレインフォルスはまた、俺じゃなきゃわからねえ程度の小さな笑みを口の端に浮かべて、「世話になった」とだけ礼を言った。
レインフォルスはルーファスの振りをするのにも飽きて来たのか、サイードとヴァシュロンを相手に話す時以外は、素に戻ってるような気がする。
特にクリスと二人の視線がない時の俺に対してはおざなりで、正体は知ってんだからいいだろと言わんばかりに、あの憎ったらしい嫌味交じりの口調で一々突っかかりながら話しやがる。こいつ、やっぱ絶対俺のこと嫌いだよな。
ヴァシュロンに乗って白色岩島群を離れると、そこは見渡す限り果てのない、星の浮かぶ夜空のような空間が広がってた。
所々に光る星のようなものは、その一つ一つが隔絶界らしいけど、文字通り完全にこことは切り離されてて、無限界からその世界に行くことはどうやってもできないんだそうな。
そんな無限界域を結構な時間進んでくと、やがて遠くの方に幻影門に似た、巨大なアーチ状の口だけが浮かんでいるのが見えた。
「なんだあれ…幻影門?」
「ええ、それと似たようなものですね。幻影門の行く先は隔絶界ですが、あれは『転移門』と言って、無限界域の遠距離を一瞬で移動するためのものです。」
「へえ…」
サイードからそんなことを教えて貰って少しすると、ヴァシュロンは二、三度羽ばたいてその転移門をスルリと潜った。
するとその先にはまた同じような転移門があって、旅芸人の輪くぐりみてえに、何度かそんなことを繰り返して行った。
『もう間もなくオルファランへのゲートだ。ルーファス、ウェンリー。それとクリスもだな、光で目を痛めぬようくれぐれも気をつけよ。』
「え…わ、わかった。」
ヴァシュロンの忠告を受けて数秒後、転移門とは違う、虹色の光を放つ球体にヴァシュロンが突っ込んで行く。そこに近付くと、とてもじゃねえけど眩しくて目を開けてらんなくて、思わず腕で庇いながらさらに目をつむった。
ゴオオオオオッ
無限界域を飛んでた時はそんな音はしなかったのに、その球体に入った途端に、強風が吹き荒れた時のような音が耳を劈く。
眩しさが落ち着いて目を開けると、気が付けばルーファスの防護障壁が俺達を包んでた。
――ルーファスのディフェンド・ウォール?
一瞬レインフォルスもディフェンド・ウォールが使えんのかと思ったら、みんなが目を瞑ってた間にルーファスの魔法石で障壁を張ったらしい。まあルーファスなら危険を感じた時点で同じことをするだろうから、それをわかっててやったんだろうな。
ヴァシュロンに乗って俺達が飛んでいるのは、真っ白な霧の中のようなところで、ヴァシュロンが下へ下へと下って行くと、突然視界が開けた。
俺が霧の中かと思ってたのは空に浮かぶ雲の中で、その雲を突き抜けて下に出ると、そこには俺が生まれて此の方見たことのない、美しい世界が広がってた。
「す、げえ…こんな綺麗なところ、初めて見たぜ…!!」
見渡す限りの大地が緑鮮やかな自然に覆われてて、曲がりくねった大きな川や、花の咲き乱れる草原が眼下には広がってる。遠くには山々が見えて、所々には農作業をしている人の姿が見えて小さめの集落や村もあった。
俺達は小高い丘の草原に放牧された牛や馬の遥か上を通って、そのまま空を飛んで行く。
「――どうです?美しいところでしょう。ここが私の国、『至上の楽園』と呼ばれるオルファランです。」
俺と同じくクリスも初めて見たらしく、あんまりにも綺麗な光景に「うわあ…」って言ったきり声も出ないみてえだった。
そんな中、レインフォルスだけは無表情で流れる景色をただ見下ろしてる。これがルーファスだったらきっと、感動して俺とおんなじように目を輝かせて見てるはずだ。
俺はルーファスの演技が解けてんぞ、って警告の意味でレインフォルスを肘で小突いた。するとこいつはすぐに我に返ったものの、不機嫌そうな顔をして俺を睨むとふいっとそっぽを向いた。
くっ…この野郎、人がせっかく教えてやってんのに、その態度はなんだよ!
サイードから聞いてたここの広さは、俺らのフェリューテラがすっぽり入るぐらいだっていう通り、サイードの住んでいるオルファランの中心地まではかなりの距離があった。
だけどそこは、俺の想像してたエヴァンニュの王都のような栄えた都会って雰囲気じゃなく、入口の門こそでかい物の、のどかな田園風景が広がる地方の小さな街って感じだった。
オルファランの中心地に着くと、俺達はヴァシュロンがそのままの姿で降りられる広大な門前広場に降り立った。
その街には巨人が通るのか?ってくらいにやたらとでかい正門があって、門と門扉だけが広場にある、奇妙な外見をしてた。
門の前には衛兵らしい槍を持った鎧姿の番人が左右に立ってて、薄青い複雑な模様の入った扉を守ってる。
――変なの…街を囲う外壁がねえのに、門だけあったって意味なくねえ?わざわざ入口を通んなくたって、外からいくらでも入れんじゃねえか。
「…な、クリス。ここって変な街だな。壁がねえのに門だけっておかしくねえ?」
「うん…でも、確か目に見えない結界があるって聞いたような気がするよ?」
「へ…そうなの?」
すっかり俺と同じくらいの、大人の女になっちまったクリスだけど、話し方とか仕草が子供のまんま変わらねえから、変に女だって意識しないで済んで、いつの間にか慣れちまった。
サイードの後について門前に行くと、門番の衛兵がすぐに近付いて来て、槍の柄を地面にダンッと突いた。
「お帰りなさいませ、ギリアム様。」
「ええ、戻りました。オルファランの様子はどうですか?」
そこに着くなり、サイードは門番となにか小声で話し始める。俺らはそれが終わるまでの間、大人しくそこで待ってた。
「――オルファランの風がいつもと違うな。」
人化したヴァシュロンが眉間に皺を寄せて独り言を呟くと、レインフォルスまで怪訝な顔をした。
「どういう意味だ?」
「……すぐにわかる。」
門番との話を終えたサイードが戻って来ると、中に入るに当たって注意があると言い出した。
「実は今、オルファランではある異常現象が起きています。幸いなことにこれまで人的被害はありませんが、それはいつ、どこに起きるかわかりません。なにかおかしなものを見たり、変だと異常を感じたらすぐにその場から離れて私に知らせてください。」
「異常現象?」
「それはどんなものだ?サイード。」
当たり前だけどレインフォルスがすぐに聞き返す。今の説明じゃなにに注意すりゃいいのかわからねえもんな。
「…次元穴と呼ばれる黒い球体の出現だ。」
サイードが答える前に横でヴァシュロンが言った。
「ヴァシュロン…知ってんのか?」
「うむ、サイード様はその原因を調査しておられてな、我が輩にも協力して欲しいとの要請があったのだ。」
「へえ…」
「人的被害はないって言うけど、それって危ないの?」
「いえ、この二日ほどはどこにも発生していないようですから、心配はありません。念のために気をつけておいて下さい。」
「…ああ、わかった。」
レインフォルスが頷いて俺とクリスも続いた。
――次元穴、ねえ…黒い球体っつうけど、それが現れるとなにが起きるんだろ?…まさか襲いかかってくるとか?
サイードからそんな注意を聞いた後、門番に扉を開けて貰って俺達はオルファランの中へ入った。その直前、サイードが門番に、外の人間を入れて問題が起きたらまずいとか、お館様に怒られますよ、とか言われてたのが聞こえた。多分その異常現象が起きてるせいなんだろうな。
門から中に入ると、そこから先は金色の麦畑が広がるド田舎だった。広大な畑と畑の間に曲がりくねった道があって、暫く歩くとようやくポツポツと民家らしき建物が見えてくる。煉瓦造りのこぢんまりとした可愛らしい二階屋だ。
家の傍には泉があって、そこには住人らしい人達が楽しそうに笑いながら雑談してた。
「ああ、これはギリアム様、お帰りなさい。おや、お客様ですか?ようこそオルファランへ。」
「ギリアム様、ごきげんよう。いらっしゃい、旅の方。」
「坊ちゃま方はお元気ですか?」
そのすぐ傍を通った時、年令はバラバラだけど人が良さそうで穏やかな人達が、サイードや俺らに、にこにこと笑いかけてくる。この幸せそうな人達が例の『永久の民』なのかな?
「ギリアムって、サイードのミドルネームだろ?ここの人達ってサイードの名前で呼ばないんだな。」
「ああ、そうらしいな。」
こっそり小声で耳打ちすると、レインフォルスはさして興味なさそうな声で返事をした。
それから少し歩いて、小麦畑の先に見える森の近くまで来ると、緩やかな坂の下に三日月型の湖と小川が見えて、そこに突き出すような小高い丘の上に、どこかの絵画から抜け出たような景色と、城のような大きな建物が見えた。
「ひょっとしてあれがサイードの?城じゃねえか!」
「そうですか?まあ広いのは確かですけど。」
「凄いね、ヴァシュロン。ボク、あんな大きなお城初めて見たよ。」
「うむ…」
丘に向かって伸びる舗装された道を上り始めてすぐ、気付いたら隣を歩いてたはずのレインフォルスがいなかった。
「え…あれ?レ…ルーファス?」
立ち止まって振り返ると、いつの間にかレインフォルスは俺らから離れ、大きな岩の上に立って丘上の城をじっと見てた。
「おい、なにしてんだよ?」
さっきサイードに言われた『黒い球体』でも見つけたのかと思った俺は、小走りにレインフォルスに近付いた。
すると下から見上げたあいつの顔に、これまで見たことのねえ表情を見ちまった。
え…?
一瞬俺は、レインフォルスが泣いてんのかと思った。その顔はなにか辛いものでも見るように悲し気に歪んでいて、目が潤んでるように見えたんだ。
レインフォルスは岩の上で身体を少しだけ前に傾けて、左腕で自分を抱きしめるような格好をして、右手で声を漏らさないように口元を覆い隠してる。
その瞬間は、俺の声も聞こえてねえみたいだった。
「――ルーファス!」
今のレインフォルスは、あくまでもルーファスの姿をしていて、ルーファスの振りをしてる。
あんまりにもらしくねえ表情に、本当は〝レインフォルス〟って呼んでやりたかったけど、今度は届いたらしい俺の声に、ハッとしたあいつは一瞬で表情を変えた。
その後は何事もなかったかのように、大岩から飛び降りて俺のところへ歩いて来ると、レインフォルスは無言で俺の横を通り過ぎる。
これがルーファスだったら俺は、肩を叩いてなにを見てたのか、なにを考えてたのか聞けたと思う。
けど俺とは馴れ合う気が全くなさそうなレインフォルスには、たとえ演技でもどんなに気になったとしても、気軽に声をかけることはできなかったんだ。
一週間以上も開いてしまいました。連日の猛暑にヘロヘロです。毎日暑いですので、皆様もお身体お厭いくださいね!次回、仕上がり次第アップします。いつも読んでいただき、ありがとうございます!!