147 消えたルーファス
世界樹の蘇生を行っていたルーファスが目の前で消え、驚いたサイードはクリスの家にいるウェンリー達を呼ぶことにしました。そうしてヴァシュロンやラナンキュラス、クリスと一緒にそこに辿り着いたウェンリーは、ルーファスは近くにいるはずだと、姿の消えたルーファスに向かって名を呼び声を張り上げました。すると世界樹の前に、ルーファスの剣であるシュテルクストが現れて…?
【 第百四十七話 消えたルーファス 】
「ルーファス、どこです!?返事をしてください!!」
突然目の前で透けるように消えてしまったルーファスを、サイードは慌てた様子で探している。きょろきょろと何度も周囲を見渡し、ルーファスが魔法を使用していた場所まで来て、その痕跡を見つけようと必死だった。
世界樹アミナメアディスの蘇生は、幹の再生が済んだところで停止している。だがルーファスと世界樹が同時に放っていた魔法の光はまだそこに残っており、なんらかの要因で中断されただけで、蘇生魔法は継続中だと言うことだけはサイードにも理解出来た。
――精霊達の繭に変化はない。世界樹の蘇生途中で放り出し、あのルーファスが転移などで消えるはずもない。なにか彼の身に起きたのだろう。サイードはそう思い、クリスの家に置いて来た物と対になっている、通信用の『魔道具』を取り出した。
フェリューテラでは様々な道具を動かすのにも一般的に『魔法石』を使うが、インフィニティアでは誰もが体内に持っている魔力を動力源として、その効果を発揮させる『魔道具』を使うのが普通だ。
フェリューテラの存在は所持している魔力に大きな個体差があり、ウェンリーのように魔法を使えないものもいるが、インフィニティアではそんな道具を日常で使用可能なほど、多くの存在がそれだけの魔力を所持しているということだった。
その魔道具に自らの魔力を流し、サイードはクリスの家で待機しているヴァシュロンとラナンキュラスに急ぎ連絡をした。
「ヴァシュロン、ラナンキュラス!!聞こえますか!?」
――その少し前…
クリスの家でヴァシュロン達と一緒に、ルーファスの帰りを待っているウェンリーにも異変が起きる。
「ねーねー、ウェンリーお兄さん、昨日のことまぁだ怒ってるの?」
部屋の隅で床に胡座をかいて武器の手入れをするウェンリーの顔を、クリスはその大きく丸い青色の瞳で覗き込んだ。
ウェンリーの前で四つん這いになり、下から見上げるようにしたその顔は、よくよく見てみれば男児にしては可愛すぎる顔だ。…と今さらウェンリーは思う。
そうして下唇を突き出すようにして口を尖らせると、ジトッとした目でクリスを一瞥して「怒ってねえよ」と顔を背ける。
直後怒りの矛先は、同じように床で胡座を組んで座るヴァシュロンに向けられた。
「てか、ああ言うことは先に教えておけよ、ヴァシュロン!!てっきりクリスは男だとばっか思ってたじゃんか!!」
「…普通は聞かれなければ性別まで言わんと思うがな。それにウェンリー、正確にはまだクリスの性別は決まっておらん。竜人族の子供は同一性で生まれ、一定の年齢に達する頃までには己で性別を選ぶと聞く。クリスの場合は成長がほぼ止まってしまっているため、まだ変化していないだけなのだ。」
「うん、そうそう。ボクとしては多分男になると思ってるから、お互いに全部見ちゃったけど、気にしなくても平気平気!ねっ?」
クリスはそう言って自分も全裸を見られているのに、まるで気にしていない様子で笑った。ウェンリーはそのクリスに思わず苦虫を噛みつぶす。
――本当かよ。…んなこと言って女になるんじゃねえだろうな?こっちはバッチリ見られてんだから、もしそうなったらもう俺はお婿に行けねえんだぞ!
ウェンリーは心の中で、〝許してくれアテナ、不可抗力だったんだ。〟と、謝りながらそう嘆く。彼はまだ消えてしまった彼女を忘れておらず、この先もアテナ以上に好きになれる女の子は現れないだろうと、今でも一途に思っている。
そしてルーファスと離れた時いつも傍にいてくれた、アテナの自分を呼ぶ優しい声と、向けられていた可愛い笑顔を思い出していた。
アテナがいなくなってから、もう随分と時間が経ってしまったように感じる。アテナを失って一番悲しいのはルーファスだから口には出せないけれど、アテナがいないのは寂しい。ウェンリーはそんなことを考えていた。
…じっとしてるから気が沈むんだよな。少し外で軽く身体を動かしてくっか。ウェンリーはそう思い、エアスピナーを無限収納にしまって立ち上がった。
「どこ行くの?」
ウェンリーが暇潰しにと渡した本を、寝そべって読むクリスが尋ねる。
「ちょっと家の前で軽く身体動かしてくるわ。」
「そうか、ここから離れるでないぞ。」
「昼食の用意が整ったら呼びますね。」
「うーす。」
ヴァシュロンは頷き、ラナンキュラスはキッチンへ向かった。ヒラヒラと手を振って部屋を出るウェンリーの耳に、ヴァシュロンが「それはなんの本だ?」とクリスに尋ねているのが後ろから聞こえてくる。
ウェンリーが今日無限収納から出してやったのは、守護者に関する教本や、リカルドが置いて行った魔物の図鑑だ。他にも子供が読むのに当たり障りのない内容の物を、いくつか手渡してある。
「――ルーファスが帰って来ねえとどうにもなんねえけど、俺らちゃんとフェリューテラに帰れんのかねえ。」
そう呟いて扉を開け家の前に出た時だ。直後に、ウェンリーは頭の天辺から足の裏まで、一気にザアッと血の気が引いて行くような感覚に襲われる。
「…!?」
続いて全身に冷水を浴びたような凄まじい寒気が起き、左の二の腕の辺りだけが焼け付くような熱を帯び始めた。
「あちっ、あっつ…!!なんだ…いきなりなんなんだよ!?」
慌ててシャツを脱ぎ捨て、自分の左腕を見てみるが表面上はなんの異常もない。右手で皮膚に触れてもそこは熱くないのに、頭で理解している感覚だけがなぜか〝燃えるように熱い〟と感じていた。
突然自分の身に起きた理解不能の現象に混乱しかけたウェンリーだったが、すぐにハッとして酷い胸騒ぎがしてくる。自分の『左の二の腕』に起きた異常に、ルーファスにつけられたリカルドの呪印を思い出したからだ。
「…まさか、ルーファスになにかあった…とか?」
ウェンリーが不安気にそう独り言を呟いた直後、家の中からラナンキュラスの慌てた自分を呼ぶ声がする。すぐに背後の扉が開き、彼女が血相を変えて叫んだ。
「ウェンリーさん大変です!今サイード様から連絡があって――!!」
――そうしてウェンリーの元に、『ルーファスが消えた』という知らせが届いたのだった。
それから暫く後、〝なにが起きたのかわからないので、とにかくこちらに来て欲しい〟とサイードに言われたウェンリーは、一緒に行くと言い張ったクリスに付き添いのラナンキュラスと三人、ヴァシュロンに乗って幻影門まで来ていた。
だがそこで自分がここへ来た時に見た幻影と、現在映し出されている景色の差に目を疑う。元は全てが灰色の世界に見えていたのに、今は緑深き森の木々と青い空が映し出されていたからだ。
「ちょっ…おい、嘆きの澱みの景色が変わってんぞ!?まさかこの門、別の場所に通じちゃってんじゃ――」
ウェンリーは行き先が変わったんじゃないかと疑ったが、横で同じように驚く人型のヴァシュロンは首を振って否定する。
「いや、そのようなはずはない。門扉が閉じることはあっても、行き先の座標は固定だ。…これは、嘆きの澱みの方に変化があったと見るべきであろう。」
「じゃあ、入ってみればわかるんじゃない?ルーファスお兄さんが心配だよ、急ごう!」
「待ってクリス!ああっ!!」
ウェンリーとヴァシュロンが立ち止まっている間に、クリスはラナンキュラスが止める間もなく二人の間を擦り抜けて、なんの躊躇いもなく幻影門の中へと飛び込んで行った。
「んなっ…ちくしょー、先越された!!」
続いてウェンリーがすぐに門を潜り、ヴァシュロンとラナンキュラスも後に続いた。
『嘆きの澱み』に入った四人は、青々とした枝葉を伸ばす巨木の森に驚きを隠せない。
澄み切った空からは柔らかな日差しが木漏れ日となって降り注ぎ、虫や小動物などの動く姿はどこにもないが、それ以外は色とりどりの花が咲き乱れる、緑深き自然豊かな光景がどこまでも続いていたからだ。
「ここは本当にあの嘆きの澱みか?死した世界も同然だったのに、たった数日でここまで変わるとは…」
驚いてぽかんと口を開けたままになっているヴァシュロンの傍で、ラナンキュラスは持って来た魔道具を取り出してすぐにサイードへの連絡を入れる。
「サイード様、ラナンキュラスです。今幻影門を潜ったのですが、目の前の景色が深い森の中で…あの、ここは本当に嘆きの澱みに間違いないのでしょうか?」
少し経って魔道具からサイードの声が返ってくる。
『ええ、大丈夫です間違いありません。詳しいことは後で話しましょう。そこの幻影門から世界樹の元まで、私達が辿り着くのに四日かかりました。障害物のなにもない状態でさえそうでしたから、まともに歩いていては恐らく迷ってしまうことでしょう。なので――』
サイードはヴァシュロンに乗って空を飛んでくるようにと告げる。森の上空に出れば、幹が再生された世界樹が遠くからでも見えるはずだと言うのだ。
「わかりました、サイード様はそちらにいらっしゃるのですね、今から向かいます。」
ラナンキュラスがサイードとの通信を終えると、ウェンリー達は言われた通りに再び人化を解いたヴァシュロンの頭に乗り込む。
以前はなにもなかったが、今は開けた場所もないほどに草木が生い茂っているため、ヴァシュロンが元の姿に戻ると同時に、周辺の木々がバキバキと倒れる音が響いた。
『では行くぞ。しっかり掴まっていよ。』
ヴァシュロンの声にウェンリー達三人は、その太い角にしがみ付く。ルーファスがいれば防護魔法で衝撃や風圧を防いでくれるのだが、それもないためウェンリーがクリスに覆い被さるようにして守りながら一気に空まで飛び上がった。
ウェンリーの目に見える周囲の森は、巨木の高さがそのまま森の高さとなっており、優に三十メートルを超えている。アレンティノスは霊力がほぼ枯渇状態であったために、それを補おうとして一気にこれほどの植物が育った結果だった。
巨木の枝葉を下から次々にへし折る形で空へと逃れたヴァシュロンは、すぐに森の上空で薄雲の合間に遥か遠く揺らめく巨大な影を見つける。まだ幹までしか再生されていなかったため、それはまるで天を貫くように伸びる塔のようにも見えた。
『見えたぞ、あれか…!』
ヴァシュロンは巨大な影に向かって高速飛行を開始した。ウェンリー達が頭に乗っているため、三人を風圧で吹き飛ばさない速度で進んで行く。
ヴァシュロンの角に掴まりながら、赤毛を風に靡かせてウェンリーは中々近付いて来ないその影を見据える。
「でけえな…あれが世界樹かよ。根っこなら形だけ見たこともあったけど、本体はあんなにデカかったのか。ルーファスが平然とした顔で言うから疑問にすら思わなかったけどさ、あれを蘇生するって…実はもの凄く大変なんじゃねえ?」
今になってそう気付いたウェンリーの言葉に、横でラナンキュラスが呆れ顔をして突っ込む。
「ウェンリーさん…今さらですか?私達も初めはそう思いました。でもサイード様は可能だと判断されていましたから、ルーファスさんにはそれだけの力があるのだと思います。(…常識ではあり得ませんけれど…)」
最後の一文だけ、ラナンキュラスはウェンリーに聞こえないよう極小さな声で呟いた。
『実際、既に嘆きの澱みは緑で覆われている。どうやって死した大地にこれほどの植物を蘇らせたのかはわからぬが…あのルーファスという人族が並外れた存在だというのは確かだろう。』
――真実、彼は何者なのだ?
ヴァシュロンは鬼面の眉間に皺を寄せて、そうルーファスに対する疑念を膨らませた。
それから暫く経って世界樹の幹と根元がはっきり見える近くまで来ると、ウェンリー達は迷わない範囲で森の中に降り、そこからは歩いて向かった。
途中、所々にある数多くの真っ白い繭に目が止まる。クリスが興味を示して近寄ったため、ウェンリーも一緒になってそれを覗き込んだ。
「ウェンリーお兄さん、この繭温かいよ。中になにかいるみたいだ。」
「こらクリス触んな!なんの繭かわからねえだろ、危ねえって!」
ウェンリーは慌てて、クリスが繭に触れている手を掴み引っ込ませる。
「えー、大丈夫だよ、悪い感じしないもん。竜人族は危険察知能力に優れてるんだよ?悪い物かどうかぐらい、直感でわかるんだから。」
「だとしてもダメ!中にいる生き物だって、急に触られたらイヤかもしんねえだろ?ほらほら、ヴァシュロン達に置いてかれちまう。行った行った!」
ウェンリーはクリスの背中を押して先を急がせた。
その後ほどなくして世界樹の根元に辿り着き、そこで待っていたサイードに再会する。サイードはあれからもルーファスの痕跡を探して、あちこち周辺を調べて回ったらしい。
「サイード様、それでルーファスに一体なにが?」
「わかりません。ルーファスは世界樹の前で蘇生魔法を使い、私には順調に再生が進んでいるように見えていました。ですが幹の再生が終わった辺りで、突然身体が透け始めてあっという間に消えてしまったのです。」
ヴァシュロンの問いに答えたサイードは、困惑した様子で首を捻る。ルーファスにおかしなところはなく、消えてしまうまでなんの異変にも気付かなかったとヴァシュロンとウェンリーに説明した。
「…ルーファスは転移魔法が使えねえ。況してや蘇生魔法の最中でいなくなるなんて絶対にあり得ねえ。」
サイードの話から、以前頻繁に起きていた、ルーファスが勝手に移動する現象でないことはすぐにわかった。
あれには前兆現象があって、ルーファス自身が異変に気付くし、今では自己管理システムが完全に制御しているとルーファスはウェンリーに言っていたからだ。
だとしたら、それ以外にルーファスが消える原因ってなんだ?俺の左腕に異変が起きたのと関係はあんのか?――ウェンリーは必死に考える。
「世界樹の根元に青白い光が輝いていますが、あれはなんですか?サイード様。」
「ルーファスの蘇生魔法の光です。ずっと光り続けているので魔法は継続中なのではないかと思うのですが、アミナメアディスの再生は止まってしまいました。私にはルーファスのような蘇生魔法は使えませんので、なにが起きているのかもわかりません。それでルーファスとずっと一緒にいるというウェンリーになら、なにかわかるかと思ったのですが…」
サイードに尋ねたラナンキュラスとサイードが、ウェンリーにちらりとその視線を移すと、ウェンリーは無言のまま、青白い光が残っている世界樹の根元に向かって駆け出した。
サイードの言う通り、確かにルーファスの魔法はまだ継続中みてえだ。だとしたらルーファスは――
ウェンリーは世界樹に向かって声を張り上げる。
「ルーファス!!おまえここにいるんだろ!?どうしたんだよ、なんで消えちまった!?まさかこんなところで俺を置いていなくなっちまうはず、ねえよな!!」
ウェンリーは直感で、ルーファスは近くにいるはずだと思った。ルーファスが世界樹の蘇生を中途半端にしたままで消えるはずがないと言うのもあったが、なんとなくいつも感じているその気配が、すぐ傍にあるような気がしたからだ。
「俺にできることがあんなら教えてくれよ、なんでもしてやるから!!」
「ウェンリーお兄さん…」
いつの間にかクリスがウェンリーの横に立っており、その左手を小さな両手で慰めるようにそっと握る。心配そうに自分を見上げるクリスの顔を見て、ウェンリーは再度クリスを助けるためにここに来たルーファスが、いなくなるはずがないと強く思った。
「ウェンリー、世界樹を見よ!!」
ヴァシュロンのそう言った大きな声が聞こえ、ウェンリーがクリスから世界樹に目を向けると、根元からゆっくりと浮かび上がるようにして精霊剣シュテルクストが姿を現した。
「ルーファスのシュテルクスト!?」
ウェンリーは急いでそれを手に取る。精霊剣シュテルクストはルーファスにしか従わず、短い時間ですぐに消えてしまうからだ。
「なぜルーファスの剣が…肝心な本人はどこです!?」
「ルーファス、どこだ!!返事をせよ!!」
「ルーファスさん!!」
ウェンリーの元にヴァシュロンとラナンキュラス、そしてサイードが集まり、ルーファスが持っていたはずの剣だけが出現したことに、その姿を必死に探し始める。
シュテルクストがここに現れたと言うことは、ウェンリーの直感通りルーファスが近くにいるはずだと思ったからだ。
「ウェンリーお兄さん?」
シュテルクストを握るウェンリーの顔をクリスが見上げると、ウェンリーはなにかに集中していて、酷く険しい表情をしていた。
――…リー…シュテル…トを…界樹の根…に突き刺せ…
『ウェンリー、シュテルクストを世界樹の根元に突き刺せ。』
途切れ途切れだが、ウェンリーの頭には、そう告げるルーファスの声が聞こえていた。
「聞こえた…ルーファスの声だ!こいつを突き刺せばいいんだな!?わかった、任せろ!!」
ウェンリーはシュテルクストを手に急いで世界樹の根元に近付くと、その柄を両手で強く握りしめ、刀身を下に向けて力一杯突き刺した。
ズガッ…
鈍い音と共に衝撃があり、固いはずの幹に、なぜか柄まで深くシュテルクストは突き刺さった。
「ウェンリー、なにを!?」
「いけない、なにか起きるわ!クリス!!」
異変に気付いたラナンキュラスは、ウェンリーの傍にいたクリスの腕を掴んで急いで離れると、そのまま庇うようにクリスを自身で包み込み、世界樹に背を向けてしゃがみ込んだ。
「ラナンキュラス!!」
そのラナンキュラスを庇い、ヴァシュロンが上から覆い被さる形で二人を包み込む。次の瞬間、辺りに目が眩むような七色の光が輝き、世界樹の根元から爆風のような衝撃波が巻き起こった。
「おわあっ!!」
「ウェンリー!!」
眼前に吹っ飛ばされて来たウェンリーを、サイードが咄嗟に受け止めてすぐに防御魔法を使う。サイードの魔法はルーファスのディフェンド・ウォールよりもずっと耐久性は低いが、それでもまともに衝撃波を浴びるよりは被害がかなり少ない。
世界樹に突き刺さったシュテルクストは、七色の光と共に分解して元の素材だった、グリューネレイア各属性の大精霊と、風精霊(風属性だけは大精霊ではなく風精霊から素材を提供された)の身体の一部に分かれる。
それが空中で四方八方に飛び散ると、そこから新たな六属性の大精霊と一体の風精霊が生まれて、その力を同時に世界樹に向かって放った。
七つの力が世界樹に注がれると、途中で止まっていたアミナメアディスの再生が再び動き始める。
既に再生されていた幹から、ザワザワバキバキと大きな音を立てて無数の枝が凄い速さで伸びて行く。それはあれよあれよという間にアレンティノスの空を覆い、鮮やかな緑の葉が生い茂った世界樹本来の姿を取り戻して行った。
世界樹アミナメアディスが完全な姿を取り戻し、ルーファスが行っていた蘇生魔法の青白い光が消えると、幹に突き刺したシュテルクストは消え失せてしまい、代わりに新たに生まれた六属性の大精霊と、風精霊がゆっくりと地面に降りて来た。
精霊達が厳かに無言でアミナメアディスに視線を向けると、世界樹の幹から藍色の少し長めの髪と水色の瞳を持つ、薄緑のローブを身につけた若い男性が姿を見せる。
「世界樹から人が…あれはまさか、アミナメアディスの精霊でしょうか?」
ラナンキュラスは立ち上がり、クリスの肩に手を回して抱き寄せたまま呟く。
「ええ、恐らくルーファスの蘇生魔法が成功したのですね。…ですがルーファスは…?」
世界樹の精霊と見られる男性がなにかを気にするようにして後ろを振り返ると、今彼が姿を現した幹から少し前屈みになった格好で人が出てくる。
ルーファスだ。どういうわけか彼は、世界樹アミナメアディスの中に入り込んでいたらしい。
「ルーファス!!」
見慣れた銀色の長髪に、優しげなブルーグリーンの瞳がこちらを見る。
「ルーファスお兄さん!!」
「良かった、無事だったのですね…!」
ウェンリー達は一斉に、世界樹の精霊の横に並んで立つルーファスの元へと駆け寄った。
「――みんな、心配をかけてすまない。助かったよ、ウェンリー。おまえのおかげでなんとかなった、ありがとう。」
ルーファスはウェンリーにいつものように笑顔を向ける。
「ばっか、心配かけやがって…!!なにがあったのかちゃんと説明しろよ!!」
ウェンリーは心底ホッとして涙ぐみながら笑うと、ルーファスの胸の辺りを右肘で軽くドン、と小突いた。
「ああ。でもその前に――」
ルーファスはスッと真顔になると、隣に立つ男性に視線を向ける。
「ツァルトハイト、約束だ。クリスにかけられた怨嗟の呪縛を解いてやってくれ。」
「かしこまりました、ルーファス様。直ちに。」
ルーファスがツァルトハイトと呼んだその男性は、胸元に右手を当ててルーファスに深々と頭を下げると、ラナンキュラスの横にいたクリスの前に進み出る。
「――幼き竜人族の子よ。私は世界樹アミナメアディスの精霊、ツァルトハイト申す。此度は長きに渡り苦しませて申し訳なかった。無論謝罪して済むことではないが、我が守り手達が行いをどうか許して欲しい。霊力の搾取とそれに伴う怨嗟の呪縛は、この地に棲む精霊達が己の命を繋ぐ唯一の手段だったのだ。」
謝罪するツァルトハイトにクリスは複雑な顔を向けるも、少し考えてから彼を真っ直ぐに見つめた。
「…ボクたち竜人族も、一族の存続をかけて自分達が生き残る為に、他者の多くを犠牲にした過去があるって長から聞いたことがある。だからボクは、あなたたち精霊族を恨まないよ。何度も痛くて苦しい思いをしたし、死ぬところだったから許すのは難しいけど、仕方がなかったんだと理解することはできる。ボクはまだ、生きているから。」
クリスはツァルトハイトに向かってそう言うと、精一杯笑って見せた。
「ありがとう竜人族の子よ、感謝する。嘆きの精霊バンシーは既にいないが、エネドラーに変わって私が今すぐに呪縛を解こう。それでそなたは本来の姿になれるはずだ。」
「え…?」
ツァルトハイトはクリスに真っ直ぐ手を伸ばし、手の平を翳すようにして精霊術を使う。
「我が糧の贄たる呪縛から解放せよ。そしてアミナメアディスの分身たるツァルトハイトがここに誓う。たとえどれほど時が経とうとも、たとえ理に隔たれた異なる世界に分かたれようとも、我らアレンティノスの精霊族より、幼き竜人族の子に永遠の守りと祝福を授ける。」
精霊術の光がクリスの全身を包み、パーン、となにかが弾ける音がする。怨嗟の呪縛が解けて呪いが消滅した音だった。
続いてクリスの胸に、ツァルトハイトの手から出現した虹色の光が吸い込まれて行き、ツァルトハイトの髪と同じ藍色の光がクリスの全身を包み込んだ。
「そなたのこれからの未来に幸多からんことを祈る。」
「えっと…良くわからないけど、ありがとう、ツァルトハイトさん。」
怨嗟の呪縛を解くついでに、ツァルトハイトから『永遠の守り』と『祝福』を授かったクリスを、ヴァシュロンとラナンキュラスが心から喜んで抱きしめる。
「良かったなクリス!これでそなたはもうオルファランに行かずとも死ぬことはない!!」
「精霊の守りと祝福も頂けたなんて…本当に良かったわ、クリス!」
「ちょ、ちょっと…苦しいよヴァシュロン、ラナ!」
――ルーファスがここへ来た第一の目的だったクリスの呪いが解けたことで、サイードとウェンリーもホッと安堵し、傍で見守っていたルーファスに喜びの声をかける。
「嘆きの澱みは消え、精霊界アレンティノスは元の緑を取り戻し、世界樹アミナメアディスは蘇りました。クリスの呪いが解けたのも、全てあなたのおかげです、ルーファス。私からも心からの感謝を。」
「そうだぜ、良かったなルーファス!!」
いつもと同じようにウェンリーがルーファスの背中をバシン、と少し力を込めて引っ叩く。普段のルーファスならここですぐに、「痛いなウェンリー、もっと優しくしてくれよ!」などと文句を言いつつも、喜ぶヴァシュロン達に揉みくちゃにされるクリスを見て、心から嬉しそうに優しい眼差しと笑顔を見せるはずだった。
ところがルーファスは、「ああ、そうだな。」と短くウェンリーに返事をすると、ほんの少し目を細めただけで、その場を離れて後方に下がったツァルトハイトの元へ行ってしまった。
「…?」
≪ …ルーファス?≫
いつもとどこか様子の違うルーファスの態度に、ウェンリーは首を傾げる。蘇生魔法の最中に突然消えたりしたことから、なにか手放しで喜べないようなことでもあったのかな、とそう思った。
ウェンリーはサイードに消えたと言われたルーファスが、無事な姿で戻ってくれただけで十分で、この時はさして気には止めなかった。
「――ツァルトハイト、世界樹の再生中に俺が見た『アミナメアディス』としての記憶は、過去にあなたが実際に見て経験したことに間違いないんだな?」
「…はい、その通りです。」
「そうか…。」
ルーファスは腕を組んで少しだけ俯き、その視線を斜め下の方に向けて顔を傾けた。
「ルーファス様、精霊剣シュテルクストは消えてしまいましたが、本当に良かったのですか?おかげさまでアレンティノスでは失われていた、元素の大精霊を得ることができましたが…」
「気にしなくていい、望んでしたことだ。繭の中の精霊は変化が終わり、もう間もなく世界樹に属する精霊として目を覚ますだろうが、まだここには植物以外の生物が戻っていない。グリューネレイアのような環境を作るのなら、七属性の力を持つ精霊は必要不可欠だ。」
「ありがとうございます。」
再度ツァルトハイトはルーファスに頭を下げる。
「俺は元の世界に帰る手段が見つかるまで、もう暫くはインフィニティアにいるだろう。サイードに頼んで通信用の魔道具を置いて行くから、なにかあれば連絡をくれ。」
ルーファスはツァルトハイトに微笑んで、「石精霊のエネドラーによろしくな。」と言うと、別れを告げてサイード達の元へと戻った。
「サイード、悪いが今持っている通信用の魔道具を、ツァルトハイトに渡してくれないか?インフィニティアにいる間は、アレンティノスと連絡を取れるようにしておきたいんだ。」
「構いませんが…なにか気になることでも?」
「――ああ。」
詳しい理由も告げず、頷いただけでルーファスは口をつぐんでしまう。サイードはほんの一時怪訝な顔をしたが、持っていた魔道具を取り出してすぐにツァルトハイトの元へと届けに行った。
「ルーファスお兄さん!!助けてくれて本当にありがとう!!」
これまでと違い、ずっと難しい顔をしていたルーファスにお礼を言うタイミングを計っていたクリスは、待ちかねたと言わんばかりに隙を見てルーファスに抱きついた。
「クリス…体調は大丈夫か?…俺の方こそ時間がかかってすまなかった。暫くの間はどこか具合が悪くなった時は俺に言うんだぞ。無理はするな。」
優しく微笑んでクリスを気遣うルーファスに、クリスはこれまでずっと我慢してきた様々な思いが浮かんだのか、泣くのを堪えて唇を噛むと、ルーファスに顔を埋めてぎゅうっとしがみ付いた。
「我が輩からも礼を言わせて欲しい。だが一度クリスの家に帰ってからだな。」
満足げに腕を組んで、上からルーファスを見下ろすヴァシュロンが言うと、隣に立っていたラナンキュラスも微笑む。
「そうですね、今夜はなにか美味しいものを作りましょう。」
「やったあ!」
クリスは飛び跳ねて喜んだ。
「なあルーファス、アレンティノスは精霊界なんだろ?俺は識者じゃねえのに、なんでここの世界樹やツァルトハイトさんのことは見えるんだ?」
今頃になってそんなことに気付いたのか、いつも通り急に湧いた疑問をウェンリーは素直にぶつける。
「グリューネレイアだって、幻影門のように直接おまえがおまえのままで精霊界に入れる手段があれば、マルティルにも普通に会えるさ。『識者』というのはあくまでもフェリューテラでの "視える者" と "視えない者" を区別するための言葉なんだ。…言ってる意味がわかるか?」
「うん。確かフェリューテラでは精霊は実体を持ってねえんだよな?だから識者にしか見えねえけど、実体のある精霊界でなら識者じゃなくても見える。…ってことだよな?」
「ああそうだ。」
きちんとルーファスの言ったことを理解していたウェンリーに、ルーファスは一瞬意外そうな顔をする。その見慣れない表情に、ウェンリーは〝んん?〟と違和感を持った。
「世界樹の精霊に魔道具を渡して来ましたよ。」
「ありがとうサイード。」
「――ではクリスの家に帰りましょうか。」
そうしてルーファス達は全員でクリスの家のある浮島に帰った。
その後ラナンキュラスが一生懸命用意してくれた夕食をみんなで取り、クリスの呪いが解けたことを祝うと、ラナンキュラスとクリスはキッチンで食後の後片付けに入り、ルーファスとウェンリー、サイードとヴァシュロンはそのままテーブルで寛いでいた。
「痛っ…!」
ラナンキュラスが流しで食器を洗い、クリスがそれをふきんで拭いていた時、クリスがそんな声を上げて顔を歪める。
「クリス?どこか痛いの?」
「うん…ちょっと。呪いは解けたはずなのに、後遺症かなあ?」
「無理はしないほうがいいわ、ここはもういいから少し横になりましょう。」
心配したラナンキュラスは食器を洗う手を止めて、クリスを寝台のある部屋へと連れて行った。
「大丈夫かな?」
二人を見ていたウェンリーは、気になってルーファスに尋ねる。
「心配ないよ、怨嗟の呪縛はもう解けたんだ。もし耐えられないほどの痛みが起きれば、すぐに俺に言ってくるだろう。」
ルーファスの返事を聞いたウェンリーは、眉根に皺を寄せる。また違和感を持ったからだ。
「明日以降サイード達はどうするんだ?」
ウェンリーとの会話もそこそこに、ルーファスは目の前に座るサイードに視線を移す。ウェンリーはその横顔をじっと見つめた。
「私はオルファランに帰ります。大分留守にしてしまったので、家族が心配しているはずですから。」
「サイード様は我が輩が送りましょう。ラナンキュラスは里に帰し、またクリスとこれまでの生活に戻るだけですな。」
「…そうか。」
サイードとヴァシュロンに話を振っておきながら、ルーファスは一言だけ返事をして視線を落とす。
「ルーファス達こそどうするのだ?このままここで暮らすのか?」
「いや、フェリューテラに帰る方法を探す。俺にはやらなければならないことがあるし、仲間がきっと心配して待っているはずだ。…そうだろう?ウェンリー。」
ルーファスをじっと見ていたウェンリーは、急に振られて「えっああ、うん、そうだぜ。」と、慌てて返した。
「ルーファス、そのフェリューテラへ帰る方法ですが――」
サイードが話しかけたのが聞こえなかったのか、ルーファスは急に立ち上がってそれを遮る。
「少し外の空気を吸ってくる。」
「…ええ、わかりました。」
「俺も行く!」
部屋を出て行くルーファスに続いて立ち上がると、ウェンリーは急いで後を追った。
「サイード様、今のは…」
「――ええ、意図的に私の話を遮りましたね。」
サイードはルーファスの態度に疑問を抱き、口元に手を当てて首を傾げた。
外に出たルーファスは、クリスの家から離れて浮島の端を目指し歩いて行く。すぐに後を追ってウェンリーも家から飛び出してきた。
「待てよ、ルーファス!」
ウェンリーの声に足を止めて振り返ると、ルーファスはウェンリーが横に並ぶのを待ってから再び歩き出した。
「今、サイードがなにを言いかけたかわかるか?」
「え?…んにゃ、おまえが遮ったんじゃんか。」
「ああ、まあそうだけど…サイードは〝帰る方法はない〟と続けるつもりだったんだよ。」
ルーファスは顔を前に向けたまま、淡々とウェンリーに続ける。
「――知らないはずはないんだ。覚えているだろう?俺達はメクレンでサイードに会ったんだ、帰る方法がないと言うのなら、インフィニティアに住んでいるサイードはどうやって俺達の前に現れたんだ?」
「あ…」
「…サイードは俺達を、フェリューテラに帰さないつもりなのかもしれない。」
ウェンリーはそう言ったルーファスの言葉に驚き、大きく目を見開いた。
浮島の端まで歩いて来たところで、少し離れた後方に足を止めたウェンリーは、背を向けて立つルーファスの後ろ姿に両手の拳をぎゅっと強く握ると、睨むような視線を向けて問いかけた。
「――おまえ、誰だ?…ちょくちょく感じてた違和感の正体がやっとわかったぜ。ルーファスの姿をしてるけど、おまえルーファスじゃねえだろ…!!!」
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