14 碧髪の協力者 後編
魔物がいると思しきシャトル・バスの旧中継施設に向かったルーファス達の元にではなく、結界が張られたウェンリー達の前に姿を現した変異体は、大量のハネグモを一網打尽にしようと爆発を起こしたその音に反応して、その場から去って行きましたが…?
「う…うわああああっ!!嫌だ、嫌だああ、こんなところで…死にたくない!!」
シャトル・バスの修理要員として同行していたその男性は、巨大な魔物に対峙する緊張に耐えられず、半狂乱になって叫び声を上げた。
「ちょ…落ち着けって!!良く見てみろよ、サイードが言った通り結界の中に魔物は入れねえんだって!!ほら!!」
目の前にいる体長四メートルほどの変異体は、人の指ほどもある細かい毛の付いた太い脚で、何度も何度も結界の障壁を引っ掻いていた。
だがその度に小さな雷のような火花にも似た反応が起き、バチバチと音を立てながら弾き返されている。
「ウェ、ウェンリーさんは我々より若いのに、どうしてそんなに冷静でいられるんです?あれを見ても、怖くないんですか…!?」
ウェンリーの横で運転手の男性は、修理要員の男性のように恐慌状態にこそなってはいないものの、負けず劣らず真っ青な顔でガタガタと震えていた。
対してウェンリーはと言うと、「え?俺?」と自分を指差して、頬をカリカリ掻きながら、一時目線を上に向ける。
「う〜ん、結界に変化でもありゃさすがに焦るけど、見たとこ全然大丈夫そうだし…いつもルーファスにこういう時は焦るな、慌てるな、って言われてるからさ。」
そこで一旦言葉を切ってから、いずれは自分も守護者になるつもりでいるということと、逃げ足には自信があるから、いざとなったら囮になって逃がすことぐらいは出来ると、怯える彼らを安心させるように笑って見せた。
このウェンリーに感心したのはサナイだった。そもそも今は民間人なのに、これだけの大きさの魔物を前にして、平然としていられる方が稀有なのだ。
この落ち着きぶりを見る限り、ルーファス君はかなりの手練れらしいなと、一瞬変異体の存在も忘れてそう思う。
その根拠たる理由を考えれば、身近にいる守護者に全幅の信頼を置いているからだということが容易に想像できるからだ。
サナイ同様に二人の男性もその考えに行き着いたのか、少しずつ落ち着きを取り戻し始めたようだ。…が、その数秒後、またも彼らを焦らす異変が起こる。
…ドオオォォォンッ…
突然の轟音と空震に、ウェンリー達の背後に停めてあった車両の窓硝子がビリビリと震え、その車体までもが小刻みに揺れる。と同時に、ザザザアーッと言う音を伴い、ルーファス達がいるはずの方向から一陣の強風が襲い来て、障壁の縁をなぞるように周囲の砂が吹き飛ばされた。
どうやらこの結界は、外部からの殆どの衝撃から内部を守ってくれるようだ。
「爆発…!?」
ウェンリーとサナイ達は驚いて大きく目を見開き、遠くに立ち昇る黒煙を一斉に見た。
ギチチチッ
「!?」
その爆発に注目したのはウェンリー達だけではなかった。直前まで障壁を引っ掻いていた変異体が踵を返し、猛烈な勢いでその方向を目指して移動して行ったのだ。
去って行く巨大なその姿を見送ると、修理要員と運転手の男性は、当座の危機は去ったとばかりにその場にへたり込んでしまった。
「た…助かった…。」
放心して修理要員の男性が安堵の溜息を漏らすと、その傍らで運転手の男性が不安を口にする。
「ほ、本部長…あの爆発、彼らは大丈夫なんでしょうか?」
問われたサナイは暫しの間、考えられる爆発の原因を頭の中で探っていたのだが、思い至ったように答える。
「そうか、あそこには大量の液体燃料が放置されていたはずだ。恐らくルーファス君達はそれを利用して魔物を倒そうと考えたのだろう。」
なるほど、と運転手の男性は納得するも、ウェンリーは別のことを心配していた。
「だとしたらそれだけの数の魔物が、あそこには〝いる〟ってことか。ルーファスはむやみやたらと周囲のものを破壊するような行動は起こさねえ。…まあ、変異体をおびき寄せるのが目的だったのかもしんねえけど――」
そうサナイ達に向かって呟いた後で、自分の中の不安を振り払うかのように立ち上がると、ウェンリーは黒煙を見据える。
≪――あいつの指示に従うって約束した。だからここで大人しくしてる。俺はまだ守護者じゃねえし、自分で口に出したことさえ守れねえようじゃ、いつまで経ってもルーファスに頼って貰えねえもんな。≫
ルーファスの〝少しだけ記憶が戻った〟というあの話を聞いた後でウェンリーは、表面上は以前となにも変わっていないように見えて、ルーファスの気づかないところでその心境が大きく変化していた。
これまでと同じように、ただ親友として傍にいるだけではこれからのルーファスを支えられない。
あの不思議な『キー・メダリオン』がルーファスの物だと言うのなら、ルーファスには『不老不死』だということ以外にも、もっと想像のつかない〝なにか〟がある。…それがたとえどんなものであったとしても、絶対にあいつを一人にはしない。
ウェンリーは改めてそう自分に誓っていたのだった。
だからこそ今は自分を戒め、ルーファスを信じてウェンリーは無事を祈る。やるべきこと、やらなければいけないこと、出来ることと出来ないことをきちんと見極めて行動を取るのだ。
それがきっと当面の目標である "守護者になる資格" にも繋がって行くはずなのだから――
もうもうと立ち昇る黒煙と、燃えさかる炎に包まれた建物の前で、俺とサイードはハネグモの残党を相手にしていた。
内部にいた殆どの通常体は一掃出来たのだが、この期に及んでまだ何処からともなく出現し、集まって来るのだ。
体力的にも余裕はあり、今のところサイードも魔法を使用しなければならないほどには陥っておらず、共に剣での攻撃だけで凌げてもいた。だが未だ変異体は姿を見せず、このままではジリ貧だ。
俺もサイードも落ち着いてはいたが、狩っても狩っても現れるハネグモに正直うんざりして嫌気が差し始めている。
「まだ現れるのか…本来炎を苦手とする魔物のはずなのに、まるで意に介さない。行動的には変異体が関わっているとしか思えないのに、どこから指示を出しているんだ?」
ピョンピョンと左右不規則に飛び回り、時間差で牽制しながら攻撃を仕掛けてきては、俺とサイードの急所を突く一撃で沈むハネグモ達を蹴散らして行く。
「少なくともすぐ近くにはいないのでしょう。ですがこのまま通常体を減らし続けていれば、いずれ姿を見せるはずです。昼間とは言え液体燃料を使い、火を放ったことで、起きた爆発の音と震動ぐらいは感じたはずですからね。」
ほんの一時ハネグモの出現が途切れたところで、サイードが一旦剣の刀身にべっとりと付着した緑色の体液を振り払う。その仕草を見ながら俺は思った。
普段単独での仕事はしていないと言っていたけど、雑魚が相手とは言え、一目見ればその実力は明らかだ。
Bランク級どころか、この強さ…もしかしたらリカルドクラスなんじゃないのか?無詠唱で魔法を放てないと言っても、剣技だけで十分魔物と渡り合えそうだ。だけど…
――特におかしなところはないのに、サイードを見ていると、どこかなにかの違和感を感じて仕方がない。…俺の気のせいなんだろうか…?
説明の出来ないその感覚に疑問を持ちながら、俺は首を傾げる。
サイード・ギリアム・オルファラン…
そうしてじっと彼を見ている内に、その違和感の正体がなんとなく掴めそうだ…と思ったその時、俺は俺達に向けて降り注ぐ、強烈な殺気と重圧を感じて上を見た。
そこに迫り来る巨大な黒い影――
「上だ、サイード!!」
警告したと同時に俺は後ろへ飛び退き、サイードは振り返るよりも早く前方へ飛んでその攻撃を躱した。
ズドンッ
俺達の足下を揺らし、その強烈な衝撃で八本脚が石の地面を穿った。パラパラと舞い上がる細かい破片が粉塵となって周囲に飛び散る。
おそらくは俺達の背後にある平屋建ての建物屋上辺りから、一気に強襲を仕掛けて来たのだろう。その初撃に俺とサイードは結果、分断される形になった。
だがこれは考えようによっては好機だ。こちらが挟み撃ちにしたのと同じ状態になったのだから。
「――ようやく真打ちの登場ですか、待ちくたびれましたよ。」
サイードが即座剣を持ち替え、右手に魔力による塊を練り上げながら、不敵な笑みを浮かべてそう言った。
どうやら嫌気が差し始めていたのは俺だけじゃなかったみたいだ。
「思った通りだ、変異体…こいつが間違いなく親玉だ!」
俺が剣を握り直し間合いを詰めようとした瞬間、変異体が口から、太く縒られた粘着性のある捕獲糸を大量に吐き出してきた。
思わず「おっと」と呟いて右、左、と次々に放たれるそれを避けながら後退する。…が、的に当たらなかったそれは、代わりに近くに置いてあった放置物の鉄塊や、転がった保管器にベチョッ、ビタンッ、ビチョッという気色の悪い音を立てへばりついた。
ジュウゥ…
「な…!?」
するとそれらが熱い鉄板に乗せた生肉を焼く時のような音を出し、物の焼け焦げる匂いを発して溶け崩れて行く。
――強酸!?
捕獲糸に付着していた液体は、粘着性があるだけでなく、それに捕らえられた物体を溶かす性質も備えているのは明らかだった。
これに捕まれば人間の小さな身体など、骨も残さずに消えてしまうだろう。おそらくだが、シャトル・バスの乗客達が遺体すら見つからないのは、溶かされて消えてしまったからなのだ。
これを見た俺はすぐに気付いた。
この魔物…今までの変異体とは違う…!!ハネグモの捕獲糸に強酸性なんてない。それに人間を喰らいもせず溶かすなんて…あれだけの通常体を絶え間なく呼び寄せる桁外れの能力と言い、こいつはただの変異体じゃない、もっと強力な――
――これが後に『特殊変異体』と呼ばれるようになる、変異体の中でもその性質や特徴までもが変化した超難敵となる魔物との初遭遇だった。
敵の能力が異常であることに気付いた俺は、すぐさまサイードに警告する。
「サイード、捕獲糸に強酸が含まれているぞ!!こいつはただの変異体じゃない、気をつけろ!!」
そう叫ぶと同時に、本来後衛に下がるはずだったサイードに敵の意識が向かないよう、俺はその気を引き付けるため、再び間合いを詰めにかかった。
「了解です!ルーファスも気をつけて!!」
魔物越しに見える向こう側からそう答えたサイードは、こちらの意図を汲んで逆に間合いを取って行く。その直後近付いた俺に魔物が向いている隙を縫って、「身体強化、『防御盾』展開!」と立て続けに呪文を唱えながら、互いの攻撃力、魔力、防御力、魔法防御力、素早さと回避力を一度に強化する補助魔法を施してくれた。
全能力強化…!?おまけにこれは…魔物から受ける損傷を減少させる、防御盾を同時に?こんな補助魔法があるのか…いや、でもこの魔法は…
また、違和感だ。はっきりしないが、どこかなにかが〝おかしい〟と感じる。
それは普段リカルドから受けるような、外から施された身体強化の補助魔法の感触ではなく、俺の内側から力が湧き上がって来るような感じがするのだ。…どういうことだ?俺の感覚がおかしいのか…?
「ルーファス、危ない!!」
「!!」
その警告の声にハッとして、上から振り下ろされる左右両前脚の同時強撃を、喰らう寸前でなんとか躱した。
ドガンッ
「…っぶな…」
――だめだ、今は他に気を取られている場合じゃない、この変異体を倒してしまわないと…!!
魔法が使えるようになったせいなのか、身体のあちこちに違和感を感じているような気がして、短い間だが注意力が低下し、散漫になっていた。それを振り払い、気を取り直すと目の前の変異体に意識を集中させる。
振り上げられた建造物の鉄柱ほどもある、太い鋭利な爪のついた脚が、俺の頭上から左右交互に襲ってくる。
その度に空を斬るヒュッヒュンと言う音が耳を掠め、俺の足下にドガン、ドガン、と穴を開けて行った。
飛び散る石の欠片が転がり、徐々に足場を悪くして行くため、少しずつ立ち位置をずらしながら戦う。
なんとか懐に飛び込みたいと思うのだが、その長い脚が思うように本体には近付けさせてくれないようだ。
俺が変異体の注意を引き付けている間に、サイードは火属性魔法を中心に攻撃を続けていた。だが思った以上に外殻の硬質化が進んでおり、剣による物理攻撃は元より、魔法の威力でさえも半減させているらしい。
それでも俺は冷静にこの変異体の弱点を探る。魔物が生物である以上、完全無欠であるはずはなく、特殊な変異体と言えどどこかに必ずそれがあるはずだった。
――本体胴部の外殻は思ったよりも硬そうだな…狙うとすると、腹部の繋ぎ目か逆に真下の中心部か…?でも致命傷にはならなさそうだ。
おそらく脚は関節部位を狙えば切断することも可能だろう。動きを止めてさえしまえば、本体部分を背中から狙えるかもしれない。だけどあのちらちら見える袋のようなものはなんだろう…?
変異体は体高があるため、下にいる俺には、辛うじて背になにか袋状のものが乗っている、程度にしかそれが見えなかった。
あれがなにか確かめてからじゃないと、無闇に突っ込めないな。そう思った時、奥に見えるサイードの影が動いた。
「ルーファス、下がってください!!」
「!」
その声に俺はすぐに後方へと飛び退いた。
「風の刃よ、切り裂け!『ウインド・スラスト』!!」
ヒュオオオォ、という空気が圧縮されるような音を伴い、空に風の刃が次々と出現する。と、それらは魔物の背中を目掛けて、目にも止まらぬ速さで一斉にシュパパパパッと襲いかかった。
ドドッ…バシャバシャバシャンッ
切り裂かれた背中のちらちらと俺に見えていた〝それ〟から、異臭を放つ黄土色の液体が流れ出て地面を溶かすと、顕わになった土の中へと染みこんでいった。
俺が気にして見ていたあの袋は、強酸性の液体が入った膿疱だったのだ。
「助かった、サイード!!」
これで下部に潜り込める!!
この隙に乗じて魔物の右側に回り込むと、脚部の関節を狙い真横に強斬撃を叩き込む。まずはその均衡を崩すために片側の脚二本を切断した。
ギシャアアアッ
緑色の体液が噴き出し、変異体が悲鳴を上げる。…が、思いのほかその体勢が崩れない。多少ふらつきはしたものの、すぐに残りの脚で踏ん張られてしまった。
「さすがにしぶといな…!!」
それでもこれで変異体は脚で均衡を保ち、身体を支えるしかなくなって、脚による攻撃は封じることが出来た。
だが動きの鈍くなった変異体は、今度は俺達の動きを制限しようと、手当たり次第に口から周囲に向けて捕獲糸を吐き出し始めた。
さらにその真っ黒な八つ目が一瞬ギラリと鈍色に光ると、俺の背後にまたハネグモの通常体が複数現れたのだ。
このままの立ち位置で戦えば、俺は変異体とハネグモの集団に挟まれた状態になる。回り込もうにも両脇は既に捕獲糸で塞がれてしまった。それなら――
俺は姿勢を低くして地面を蹴ると、滑るように変異体の下へと潜り込む。
剣の刀身を垂直にして脇に構え、刃先を上に向け腹部を切り裂きながらサイードの前へと移動した。
ギギュアアアアアアッ
その巨体が鉄製の箱同士が擦れた時のような、耳障りな叫び声を上げる。
――本当ならこの後で指示を出し、俺が前衛を務めた上でサイードに、後方のハネグモを巻き込むようにして火属性の範囲魔法を放って貰おうと思っていた。
ところが…
「――喰らいなさい、猛き炎竜よ!『ドラゴニック・フレイム』!!」
ドゴオオオオオオッ
凄まじい轟音と共に俺の目の前を掠めて、前方の変異体に向かい巨大な炎の渦が駆け抜けて行く。
それが体勢を立て直す一瞬の隙も与えず、まるで俺の取る行動が予めわかっていたかのようなちょうどいい瞬間で、サイードは見たこともない特大火属性範囲魔法をぶちまけた。
腹部を俺に切り裂かれた変異体は、後方にいた通常体ごとその直撃を受け、ギギュイイイィーッという断末魔の絶叫を上げながらほんの少し身を捩った後、腹部から炎上し黒焦げの消し炭と化して行った。
やがて重力に耐えられなくなったその躯体は、ドシャリという重い音を立ててその場に崩れ落ちた。
…なんて威力だ。いや、それよりもまたこの違和感…さっきからずっとだ。どうにもモヤモヤっとしたなにかが、俺の胸の辺りに渦を巻いているような気がする。いったいなにに反応して、なにを感じ取っているんだろう?…わからないな。
「怪我はありませんか?」
無事に変異体を倒せたことにホッとしたのか、サイードが安堵の表情を浮かべて俺に近付く。
「あ、ああ…大丈夫だ。それにしても凄まじい威力の魔法だったな、タイミングが絶妙すぎて驚いたよ。まるで――」
そこで俺は一度言葉を飲み込む。
…そうか、違和感の正体の一つはこれだ。既視感にも似た、再体験のような感覚――
「――〝まるで〟なんですか?…ルーファス。」
そう問い返してきたサイードは、なにもかもを見透かしたような金色の瞳で俺を注視している。
「…もしかして俺の行動が先にわかっていたのか…?」
確信があったわけじゃない。でもサイードのその顔を見ている内に、そうとしか思えなくなっていた。
この問いにサイードは、ふっ、と小さく息を吐くと頷き、「ええ。…尤も、予知とかそう言った類いのものではありませんが。」と莞爾としてそう言った。
その答えを聞いて呆気に取られていると、なぜだかサイードの姿が滲んでブレて見えるようになった。
自分の目がおかしいのかとも思ったが、どうも違うようだ。ただ滲んでいるのではなく、はっきりとは見えないが別人の姿が重なっているように見えたりしていたからだ。
ここで俺は再び違和感の正体に気付く。
「そうか、これは…ようやくわかった。サイード、あなたはなにか外見を変えるような魔法を使用しているんじゃないか?どうも俺は無意識にそれに反応して、真実の姿を見ようと抵抗しているみたいなんだ。」
これまで魔法が使えないと思い込んでいた俺が、なぜそんなことを思い付いたのかは自分でも良くわからない。強いて言えば、感覚としてそのことを初めから理解していて、口を吐いてその言葉が出て来た、というような感じだった。
俺がそう告げると〝ああ〟と言うように一度目を見開くと、サイードは右手を口元に当てて、首を少し傾けた。
「――乱れていた魔力の回路を正常に戻したので、『真眼』がきちんと機能するようになったのでしょう。抵抗しているのは別の要因からですが、それならもうこれ以上姿を偽る意味はありませんね。」
サイードがパチン、と指を鳴らすと、下から風が回転して吹き上げるように、光の粒子が渦を巻いて上昇しながらその輝きを増して行く。
地面に接したその足下から、どう見ても男性のそれとは異なる、スラリと細い足首がチラリと見えた。
目の前でなにが起きているのかわからずに、呆然となった俺の視線を置去りにして、サイードの全身を包み込んだ白い光が一気に頭上まで到達すると、一瞬でその姿が変化した。
「え…な…っ」
あまりの出来事に、俺は言葉が出て来ない。姿を偽ると言っても、これは酷くないか?…違いすぎるだろう!!
そこに立っていたのは、青銀のふわっとした髪を耳元から肩まで垂らし、紺色の布地に真珠が鏤められたカチューシャを付けた、神秘的な〝女性〟だった。
顔立ちはなんとなく面影を残しているような気がするが、さっきまでと同じなのは金色の瞳だけで、年令も少し若く見える。
着ている衣服が見慣れないものなのは元より、その身から放たれる気配が…どう見ても普通の人間のそれではない。
「――見ての通り、この姿ではあまりにも目立ち過ぎてしまいますからね、変化の魔法を使用していました。」
さらっとそう言った後、さらに俺が彼女(元は彼?)に対して必要以上の疑問を抱かないように、精神操作系の魔法を使っていたことも明かした。
「どうしてそんなことを…そもそもあなたは本当に守護者なのか?」
困惑する俺の言葉を聞くと、サイードは悲し気にその表情を曇らせた。
「いいえ、守護者どころかフェリューテラの人間ですらありません。…魔力を正常な状態に戻せば、〝もしかしたら〟と期待したのですが…ルーファス、あなたはこの姿を見てもまだ私のことを思い出せませんか?」
思い出せないか…って――
そう問われてさらに混乱した俺は、え…?という声にならないような声を出すのが精一杯だった。
――知人…なのか?俺が、記憶を失う前の…?…いや…でも、思い出せない…。ほんの少しだけ戻り、垣間見た記憶の片鱗の中でも、彼女の顔は…見なかったような気がする…んだけど…
頭を悩ませ、俺が答えあぐねていると、今度は突然その姿が薄く透け始めた。
「サ、サイード…?どうしたんだ、姿が…!」
見る見るうちに足下からその形が見えなくなって行く。
「ああ、どうやら〝時間切れ〟のようです。もう少しあなたの傍にいたかったのですが…今はここまでのようですね。」
「時間切れ…!?」
完全に透け始めた自らの手を見て光に翳した後、サイードは俺に婉然たる様で「大丈夫、また会えますよ。」とそれだけ言って、あっという間に音もなく消え去ってしまった。
一人その場に残された俺は、暫くの間動くことが出来ずに、消えたサイードに向かって手を伸ばした状態のまま呆然と立ち尽くしていた。
どう…なっているんだ…?サイードが本当は女性で…俺が記憶を失う前の知り合いだったかもしれないのか…?え…待ってくれ、混乱してなにがなんだかわからない。
――守護者ではなく、フェリューテラの人間ですらない…?おまけに最初から別の意味で俺のことを知っていたのだったとしたら…目的があってわざわざこんなことをしたと言うことか…?
…どう必死に考え、どう悩んだところで、すぐに答えが出ることはなく、こんな状態でこんな場所で頭を抱えていてもどうにもならない。
混乱した頭を落ち着かせなければ、まともな思考が働くとは思えなかったし、とにかく一旦は考えること自体をやめるしかなかった。
すうう、はあぁぁ…と、深呼吸をして胸に手を当て、心を落ち着かせようと努力する。それでも平常心に戻るのは難しく、少し時間がかかってしまうのは仕方のないことだろう。
サイード…綺麗な人、だったな。…俺のことをとても優しい瞳で見てくれていた。もう少し時間があれば、なにかもっと話を聞けることがあったはずだと思うと…残念だ。
〝また会える〟と言ってくれた彼女の言葉を信じて、このことは後でゆっくり考えることにしよう。
――それから気を取り直して現実に戻った俺は、振り返って黒焦げになった変異体と、辺り一面に散らばるハネグモの死骸の前で途方に暮れた。
ウェンリー達のところへ戻る前に、せめてこの特殊な変異体の、出現証拠となる検体部位だけでも採取しなければならなかったのだが…
「…見事なまでに黒焦げだよな、これ…戦利品どころか検体部位すら採れないんじゃないか…?」
うーん、どうしよう…と、変異体の黒焦げ死骸に一歩近付いたその時、突然頭の中に膨大な情報が文字となって可視化され始めた。
「うわっ!?な、なんだ、急に頭の中に文字が――」
驚いた俺は思わず両手で顳顬を押さえ、身体を前に屈めた。
――『自己管理システム作動』『自動検索開始』『最新情報更新』『データベース再構築』…
それはまるで起動を開始したなにかの装置のように、次から次へと光る文字が浮かんでは流れて行く。それが数分もの間続いた後、複数の文字の羅列を残してピタリとその動きが止まった。
「……??」
今、俺のこの頭の中の状態を強いて言えば、想像した真っさらな駆動機器の画面に、自分に関しての全ての情報がきちんと整理されて並べられている、といったところだろうか。
そこには俺の全状態能力値<ステータス>、簡易自己情報<プロフィール>、使用可能取得技能<スキル>魔法一覧表、自動使用化技能<オートスキル>魔法設定、無限収納内所持品一覧、現在の武具装飾品耐久値一覧、装備品固有技能魔法一覧、情報記録・用語詳細…などなど、とんでもない項目がずらりと並んでいた。
またおかしなことが起こった、と目の前が暗くなる。
なぜ突然、こんなものが頭の中に表示されるようになった?自己管理システムって…なんだよ??いったいどうなっているんだ、俺の頭は…!!
一つ混乱が治まったかと思えば、さらにわけのわからないものが増えた。
混乱しながらも並んだ文字を端から見ていると、ある部分に目が止まる。
『Athena』…アテナ?って読むのかな、なんだろうこれ…?
その項目に意識を向けるだけで、選択され、すぐに答えが表示される。
『Athena』とは、どうやらこの自己管理システムの補助機能のことらしい。現在自分が知り得ている情報の中から、疑問に思うことやわからないことなどに即答してくれるみたいだ。
これ…記憶がなくてもきちんと答えてくれるんだろうか?
とりあえず良くわからないが試してみるか、と早速問いかけてみることにした。先ずはなぜこんなものが、頭の中に表示されるようになったのか知りたかったからだ。
Athenaの回答はこうだ。
『休眠、切断、混乱状態の魔力回路を修復、正常化によりシステム機能が回復。これにより全制限解除。』
つまりはサイードが俺の魔力の回路を〝正常に戻した〟と言っていたから、魔力が使えるようになったことで元に戻った、ということなのか?
それじゃ、この『自己管理システム』というものが、そもそもなんなのかとも尋ねてみる。
『魔力変換による生命身体補助術及び情報記録管理補助術。常時自動展開超高位魔法。』
魔法…!?これも魔法なのか…!常時自動展開…自分の魔力を使って勝手に発動しているってことか。…でも、超高位魔法って…??
それに自己管理システムという割には、俺自身のステータスはほぼ全ての項目が〝UNKNOWN〟になっている。おまけに種族や年令、称号が空欄だ。
職業だけはきちんと〝フェリューテラ/エヴァンニュ王国在籍守護者〟となっているのはいいとして…その横にあるSSSランク級ってなんだよ?…そんな等級存在していないぞ。
「………。」
――まあ、いいか…とりあえずこれは追々詳しく見るとして、今はこの状況をなんとかしたいんだ。スキルか魔法の中になにか使えるものがないかな。
我ながら順応が早いと思う。でもせっかくあるんだから、無駄にして使わない手はないよな?
〝なにかないか〟そう考えただけで、推奨スキル魔法の名称と自動使用化設定可能の文字が現れた。
「え…物質破損修復に解体魔法、戦利品自動回収って…ええ!?」
嘘だろう?今までは全て手作業でしていたことを、スキルと魔法でやってくれるのか…!?それが本当なら、信じられないぐらいに楽になる…!!
思わず嬉しくなった俺は、上機嫌で自動使用化設定を〝自動〟に設定してみた。
すると、白っぽく半透明に光る魔法陣が出現し、一瞬で目の前に転がっていた変異体とハネグモの死骸が全て消え失せた。
続いて頭の中に『新規獲得品を収納しました。』とその獲得品一覧と数量が表示されたのだが、それを見た俺はギョッとした。
――ハ、ハネグモの糸袋と魔石が…824個!?…と言うことは、液体燃料を使って一掃した分の戦利品まで回収されたのか…!?
…これは…便利すぎる。…と言うか、こんなスキルと組み合わせて使う魔法が存在しているなんて、聞いたことがないよな…?
今までは自分には関係がなく、使えないものだと思い込んでいたから、興味を持つこともなかったけれど、リカルドに相談して少し魔法について、俺も教わった方がいいかもしれない。
予想もしていなかった手段で問題が解決した俺は、とにかくこれで全て片付いたな、と短く溜息を吐き、最終確認のために辺りを見回す。
あれほどいたハネグモは全ていなくなったし、当分はこの場所に棲み着くこともないだろう。シャトル・バスもこれで運行を再開できるはずだ。
消えてしまったサイードのことをウェンリーやサナイさん達に、どう説明しようかと頭を悩ませながら、俺は中継施設を後にしてウェンリーのところへ戻るべく歩き出すのだった。
差し替え投稿中です。※2023/03/13現在。