139 無限界インフィニティア ②
風に煽られて均衡を崩したルーファスは、浮島から深い闇へと落下してしまいます。引力が低いためゆっくり、ゆっくりと落下する中、翼のある巨大な蛇のような生物が滞空しているのを見上げました。綺麗だな、と呑気に思ったルーファスですが…?
【 第百三十九話 無限界インフィニティア ② 】
――あの超巨大な生き物は、なんだろう。広げた六枚の羽根が光っていて…凄く綺麗だな。
上空に青白く輝きながら滞空しているそれに、俺は窮地だというのに呑気にそんなことを考えていた。
『羽毛に覆われた蛇』。見た印象を言い表すのならそんな言葉がぴったり来る、鬼面のような厳めしい顔に牡鹿に似た立派な角の生えた飛行生物だった。
俺は、ゆっくり、ゆっくりと落下して行き、さっきまで自分が立っていた島が上方に遠ざかって行くのを見つめながら、このまま落ち続けたらどうなるんだろう、とぼんやり思っていた。
無限穴みたいに底なしなら、死んでも永遠に落下し続けるのかな?俺の場合は不老不死だから――
死ぬこともなく、ただ真っ暗な闇に落ち続けるだけ…?
ゾオッ
そう理解して俺は我に返り、全身が総毛立った。
これは…ヤバい。ウェンリーの真似をすると、本気でヤバい。下を向けば、あれほどあるように見えた白岩島が、なぜか一つもなく、そこには無限に広がる闇だけがあった。
まずいまずいまずい、なんとかして落下を止めないと…いや、止まっても駄目だ、早く上に戻らなければ、大変なことになる…!!
「『タービュランス』『ラファーガ』、『サイクロン』!!」
手当たり次第に風魔法を連発するも、落下速度は落とせても浮き上がるまで行かない。どうやら島と島の間には互いに引き合う力が少なからずあったようだが、それがない下方に離れるにつれ、僅かずつ下へ向かう力が上昇しているようだった。
空気抵抗を増やして、自分を下から持ち上げるにはどうすればいいんだ!?
この時の俺は焦りすぎていて恐慌状態にあり、自己管理システムがなにか警告のようなものを告げていたようだがそれにも気付かず、頭になにも浮かんで来なかった。すると再びゴオッという音がしてあの突風が吹く。
なぜか今度は俺の下から吹き上げるようにして風が巻き起こり、俺の身体を持ち上げてくれたのだ。
この風はどこから吹いているんだ?
風が吹いてきた下方に目を向けると、さっきまで遥か上空にいたあの六枚羽根を持つ蛇のような生き物が、いつのまにか下に回り込んでいて、真っ直ぐ俺に向かい上昇して来ていた。
――待った、この行動パターンはまさか…!
普通に考えれば、上から落下してくる人間を下から巨大生物が追ってくるとなれば、目的は一つだ。
「俺を飲み込むつもりか!?」
巨大生物に食われる、と思った俺はシュテルクストを召喚して身構え、左手でディフェンド・ウォールを唱えた。
落下中の俺には襲いかかられても抗う術がなく、あれだけの大きさがある生物だ、飲み込まれても噛み砕かれさえしなければ、腹を裂いて逃げ出せるかもしれない、と思った。
迫り来る巨大な鬼面に息を呑む。大分近付いているが、巨大生物はまだ口を開けてはいなかった。
もしかして体当たりをして獲物の息の根を止めてから、じっくり味わうタイプなのか?だとしたら俺は俎上の魚も同然だぞ…!!
だがその時、どこからか俺の耳に子供のような声が聞こえてきた。
「ヴァシュロン、頭下げて!!早く!!」
――人の声!?
大きく目を見開いた俺の前で、巨大生物がその厳めしい顔を下に向けて頭を傾ける。するとそのモサモサした鬣のような毛の中に、大木のような角に掴まって立つ、人の姿が見えた。
「お兄さん!!手を伸ばしてボクに掴まって!!」
風に靡く鮮やかな群青の髪に、真っ直ぐに俺を見る真剣な青い瞳。まだあどけなさの残る年令ぐらいの少年が、俺に向かって必死にその手を伸ばしていた。
俺は驚きながらも、俺を助けようとしてくれているその手に甘え、風魔法で出来るだけ近付くと伸ばされた右手をしっかり掴んだ。
パシッ
「掴んだ!!いいよ、ヴァシュロン!!」
その声と共に巨大生物が顔を上げて上昇を始めると、俺はそのまま少年のいる頭の上に受け止められるようにしてドサンッと落ちる。
どうやら俺は、永遠の落下からなんとか助かったみたいだ。
「大丈夫!?お兄さん、ごめんね!!」
俺の右手をしっかり握っているその少年は、俺の身を心配するとそんな風に真っ先に謝ってきた。
少し長めで癖のある柔らかそうな群青の短髪に、くりくりっとした大きく澄んだ青色の瞳。身体つきは痩せ気味で、女の子と間違えそうなほど可愛らしい丸顔に、ここの太陽とは違う光のせいなのか、あまり血の気のない白い肌をしている。
こう言ってはなんだけど、第一印象は同年代の子供に比べても健康そうな男児には見えなかった。
「どうして謝るのかな?それより助けてくれてありがとう、どうなることかと焦ったよ。俺はルーファス。守護者なんだ。君は?」
お礼を言うと少年は少し困ったような顔をして、両手の指先をモジモジと絡ませながら名乗った。
「ボ、ボクはクリス。ドラグレア山脈にあるパリヴァカの竜人族だよ。」
――竜人族?守護七聖には同族のアルティスがいるけど、フェリューテラでは既に絶滅したと言われている種族じゃないか。
ドラグレア山脈というのはこの世界の地名だろうか。ここには山らしきものは見えないから、どこか他にそんな場所があるのかな。
風を切って上昇し島と島の間を縫うように、何度も旋回して飛び続ける巨大生物の頭上に乗ったまま、暫く俺はこのクリスという少年の話を聞いた。
「えっとね、ボクの家がすぐそこにあるんだけど、ここまで送ってきてくれたヴァシュロンのせいで、お兄さんが浮島から落っこちちゃったんだ。びっくりしたでしょ?怖い思いさせて本当にごめんね。」
「ああ、そういうことだったのか…いいんだよ、あんな端に立っていた俺も悪かったんだ、気にしなくていい。その君の家というのは、裏に井戸があった石造りの平屋のことかな?扉に鍵がかかっていなかったから、空き家かと思って勝手に入っちゃったんだけど…」
「うん、そうだよ。家って言ってもなにもないから、寝に帰るだけなんだ。良かったらお兄さんもおいでよ。どこから来たのかとか、どうしてここにいるのか、話を聞かせて欲しいな。」
そう言って屈託のない笑顔を見せると、クリス少年は俺達を乗せている巨大生物に、少年の家がある浮島で降ろすようにと頼んでいた。
――この子が言う『ヴァシュロン』とは、この巨大生物の名前なのか。一方的に話しかけているだけだけど、『ヴァシュロン』は俺達の言葉がわかるのかな。
なんらかの形で意思疎通が出来ているからこそ、クリス少年の言葉に従って俺を助けてくれたり、島に運んでくれたりするんだろう。
もしクリス少年がこの『ヴァシュロン』の言葉もわかるのなら、どこかでウェンリーを見ていないか聞けるといいんだけど…
クリス少年がヴァシュロンと呼んでいた巨大生物は、時折背に生えた六枚羽根を動かしながら、水の中を泳ぐ蛇のようにゆったりとした動きで、あの浮島に俺達を運び地面に近い位置まで頭を下げて降ろしてくれた。
「さっきは助けてくれてありがとう、ヴァシュロン。」
俺達を降ろした後、首を擡げたヴァシュロンにもお礼を言う。鬼のような厳めしい顔をしているけど、よく見ればその浅黄色の瞳には優しい光を宿していた。
「クリスくん、ヴァシュロンはとても大きい身体をしているけど、俺は彼のような種族を見るのは初めてなんだ。身体は蛇のようにも見えるけど、彼について教えてくれないか?」
「クリスでいいよ、お兄さん。ヴァシュロンは有翼蛇竜『ケツアルコアトル』の長で、この『ファーゼスト・ナダ・カニエーツ』を守る番人なんだよ。」
有翼蛇竜ケツアルコアトル…どこかで聞いたことのあるような言葉だ。思い出せないけど――
「ここは『ファーゼスト・ナダ・カニエーツ』という世界なのか?クリス。」
聞いたことのない名前だ。 “ファーゼスト” と言うのは確か “最果て” という意味だったかな。
そう思った俺に、クリスはぶんぶん首を横に振って否定した。
「違う違う、それはこの白色岩島群地方を含んだ無限界域の名前で、この世界は『インフィニティア』って言うんだ。」
「!」
――インフィニティア…!!
「無限界インフィニティア?やっぱりそうなのか、襲って来た生物からそうじゃないかと思ったんだ。」
予想通りここは異界だった。こんな勝手の違う世界でもう五日も、ウェンリーがどこでどうしているのか心配だ、早く見つけないと…!
「え…お兄さん、ここの生き物に襲われたの!?…良く無事だったね。」
クリスは大きく目を見開いて、まるで信じられないものを見るような目で俺を見た。
「ああ…さっきも言ったけど、俺は守護者なんだ。魔物相手の戦闘なんかには慣れているから、最初は手子摺ったけど問題なかったよ。」
「問題なかったって…この辺りにいるのは、スカラベやレインボウターイルだよ?お兄さんは人族だよね?普通の人間には絶対に倒せないって聞いてたんだけど…お兄さん、凄いんだね。」
〝それに、守護者ってなに?〟、とクリスは首を傾げる。そうか、考えてみれば守護者というのは、フェリューテラにしかない職業なのかもしれないんだ。
――普通の人間には倒せないだって?あのスカラベが?
「そうなのか…まあでも俺は倒せるから問題ないよ。それよりクリス、聞きたいことがあるんだ。この辺りで赤毛の俺と同じ年ぐらいの人族を見かけなかったか?一緒にこの世界に飛ばされて来たはずなんだけど、近くにいなくて探しているんだ。」
「ええっ他にも誰かいるの!?ボクは見てないけど…大変だ、ヴァシュロンはどこかで見てない!?」
後ろで宙に浮かび、頭だけを俺達の近くに擡げていたヴァシュロンを振り返り、そう尋ねたクリスを見て、やっぱり話が出来るのかな、と思った時だ。俺の予想外にヴァシュロン本人から、その声が返ってきた。
『他にも人族がいるだと? "マナセルの門" が開いたわけでもないと言うのに、前代未聞だ。』
しゃ…喋った!?ヴァシュロンは普通に会話が出来るのか…!!
俺が礼を言っても返事はなかったし、クリスが話しかけてもなにか言っている様子はなかったから、てっきり話せないんだと思っていた。もしかして俺に警戒してわざと声を出さなかっただけなのか?
『我が輩は見ておらぬが、この白色岩島群に辿り着いているのなら、早く探し出した方が良い。』
「そ、そうだよ!!もしお兄さんのお友達がボクみたいに、『嘆きの澱み』に誘い込まれちゃったら――!!」
「『嘆きの澱み』…?」
その見るからに不吉な印象の名前に、それはどんな場所なんだと聞き返す。ボクみたいに、と言ったクリスの言葉が気になったし、それを聞いたヴァシュロンの鬼面が、さらに険しくなったからだ。
「説明は後だよ、ヴァシュロンお願い!ボクも行くから、お兄さんのお友達を探してあげて!!」
『クリス!だがそなたは――』
「お願い!!」
俺の前でヴァシュロンはなにかを言いかけ、それを遮るようにしてクリスが強く彼に頼んでくれる。
そこになにかほんの一時だけ緊張した空気が流れていたが、今俺の頭はウェンリーのことで一杯で、クリスと一緒になって必死に頭を下げて頼み込んだ。
「お願いします、俺はここに来て感覚的にはもう五日ぐらい、ずっと歩き回って親友を探しているんです。ウェンリーは俺と違って魔法が使えない、あいつになにかあったら俺は…っ」
『――わかった、見つけられる保証はないが捜索を手伝おう。…クリス。』
「ありがとう、ヴァシュロン!!」
ヴァシュロンが引き受けてくれると同時に、クリスはぱあっと瞳を輝かせて礼を言うと、ひらりと再び彼の頭に飛び乗った。騎乗には慣れているらしくその動作は軽い身のこなしで、すぐに頭上から乗り出すと俺に向かって手を差し出してくれた。
「お兄さんも乗って!早く!!」
「ありがとうクリス、よろしく頼むよ!」
俺はその手に掴まってヴァシュロンの頭に飛び乗った。
『短時間で広範囲を探せるように、高速で移動する。落とされぬようしっかり我が輩の角にしがみ付いていよ。』
「了解した。」
俺は大きく頷くと、クリスの背後からクリスを包み込むようにして、ヴァシュロンの巨大な角にしっかりと掴まった。
「いいよヴァシュロン、行って!!」
ドンッ
――直後、ヴァシュロンがたった一度その六枚羽根を大きく動かしただけで、あっという間に、クリスの家があった浮島が見えなくなるほど高く飛び上がった。
物凄い速さだ。これは角に掴まっていてもちょっと危ないだろう。クリスは余程慣れているのか全く平気な顔をしていたが、あまりの速度にヒヤッとして嫌な汗を掻いた俺は、クリスと自分が風圧で振り落とされないように、安全対策として防護障壁を張ることにした。
『防御魔法か?…随分と高性能な障壁だな、そこまでのものは見たことがない。』
俺がディフェンド・ウォールをかけた途端に、その効果に気付いたのか反応してヴァシュロンが話しかけて来る。
普段当たり前のように俺が使用しているこの魔法は、俺の完全な創作魔法で通常他者には使うことが出来ない。(※なぜかアクリュースは使っていたが、その理由は不明だ)
以前ルフィルディルで出会った暗黒種が、俺の防護障壁を通過する光線による攻撃をしてきたことがあり、それ以降少し改良を加えて、透過するもの(光、自然の雨や風、空気や匂いに音など)を都度遮る設定ができるようにしたのだ。
「ありがとうございます。風圧を無効に設定したから、これであなたがどんなに高速で飛び回っても、逆さにならない限りは俺達が振り落とされる心配はありません。ところでヴァシュロンの視力では、どの程度まで見えるんですか?」
『敬語は要らぬ。そなた…ただの人族ではないな。――〝永久の民〟と同じ気配を感じる。』
「永久の民?」
なんのことだろう、と俺は首を捻った。俺が普通の人間でないのは確かだが、それをヴァシュロンにこんなに早く見抜かれるとは驚いた。
『…知らぬか。まあ良い、目で物を見るには限界がある。今我が輩は神力を使って対象を指定し、"人族" の "赤毛" の "若者" という条件で、この広大な無限界域全体に捜索波動を放った。そなたの親友とやらが近くにいるのなら、すぐに見つかるであろう。』
「神力…魔力とは違うのかな?なんにしてもありがとう、助かるよ。」
これでウェンリーが見つかるといいけど…
そう祈りながら聞いたことのない言葉に呟いた俺に、腕の中にいたクリスが俺を見上げて教えてくれた。
「神力って言うのはね、インフィニティアに住む一部の種族だけが生まれつき使える特殊な力なんだって。魔力の上位活力で、通常魔法を使うのに必要な魔力の、百分の一で同威力の魔法が使えて、さらに神力を注ぎ込めば、その効果を何倍にも上げられるんだよ。」
「魔力の上位活力?百分の一って…インフィニティアにはそんな力が存在するのか、凄いな。」
神力か…その力がどんなものなのか詳しくわかれば、俺の魔法ももっと強く出来るかもしれないな。そうすればアクリュースやカオス、最終的には暗黒神にも抗えるようになるかもしれない。
"生まれつき" という言葉が付いてはいたが、元の力がもし魔力と同じ質の物であるならば、研究次第で俺でも同程度の力が使えるようになるかもしれない、と思った。
だがそのためにはインフィニティアの知識が必要だし、神力が使えるヴァシュロンにも協力して貰わなければならないから難しいだろう。
なぜかと言えば、そもそも俺は時空転移魔法の罠にかかってここに飛ばされて来たのだ、のんびり観光気分で調べ回っている時間などあるはずがない。
――もし研究するにしてもウェンリーとフェリューテラに無事帰ってから、改めてインフィニティアに来る方法を探して、神力を使える種族に協力して貰うしかないよな。
今はそう諦めた。
『む…!?――そなた、ルーファスと言ったな…見つけたぞ。』
「本当か!?」
ウェンリーが見つかった!?やっぱり一緒にインフィニティアに飛ばされていたんだ!!
『左程遠くはない、すぐに向かうが…これは…』
「ヴァシュロン?どうしたの!?」
言いかけた言葉を途中で切ったヴァシュロンに、俺は胸騒ぎを覚えた。
「なんだ?教えてくれ、ウェンリーは無限界生物に囲まれてでもいるのか!?」
『違う。気配が…動いていないのだ。――どうやら倒れているようだな。』
そう聞いた瞬間、ザアーッと全身の血の気が引いた。
動いてない…倒れている?嫌だウェンリー…無事でいてくれ!おまえになにかあったら、俺はきっとおかしくなってしまう!!
「頼む、急いでくれヴァシュロン、お願いだ!!」
俺は泣きそうになりながらヴァシュロンに懇願した。地図にも現れないほど離れているウェンリーの状態は、俺には全くわからなかったのだ。
『うむ、浮島を避けながら進む、上下に動くからしっかり掴まっていよ。』
再びヴァシュロンは六枚羽根を大きく羽ばたかせ、一気にその速度を上げる。
「大丈夫だよ、お兄さん。きっとお友達は無事だよ!」
「クリス…ありがとう。」
クリスの慰めは気休めでも嬉しかった。
ゴオッという音と共に、周囲の白岩島が流星のように流れる白光に見えた。〝左程遠くはない〟とヴァシュロンは言ったが、目指している先は俺が辿り着いた場所からしてみればとんでもなく遠い。
一緒に飛ばされたのに、まさかこんなに離れていたなんて…もしヴァシュロンとクリスに出会わなかったら、俺が自力でウェンリーを探し出すのはとても難しかっただろう。
高速で飛び暫くすると、ヴァシュロンが突然その速度を緩めた。
『あそこだ、ルーファス。見えるか?』
「まずいよヴァシュロン、あの島はボクが最初に辿り着いたのと同じ場所だ!それに〝嘆きの澱み〟に通じる〝幻影門〟が開いちゃってる!!」
「ウェンリィィィーッッ!!!」
クリスが言った嘆きの澱みとか、幻影門だとかはなんのことかさっぱりわからなかったが、遥か下の方に見えた、俺が辿り着いた白岩島よりも遙かに巨大な島の地面に、倒れているウェンリーの赤毛が見えた。
「あっお兄さん待って!!」
『ルーファス危ない!!レインボウターイルの群れがそこにいるのだぞ!!』
俺はクリスとヴァシュロンが止めるのも聞かずに、すぐ傍を集団で飛ぶレインボウターイルの群れに突っ込むようにして、数百メートル以上もの上空からその島に向かい飛び降りた。
「お兄さん!!」
俺はスカラベと戦った時のように、自分に重力魔法をかけて落下速度を上げると、左手にタービュランスの緑色に光る魔法陣を、右手にエクスプロードの赤く光る魔法陣を輝かせ、レインボウターイルの群れに向かって超極大威力の合成魔法『ブラストラゴル・メギストス』を放った。
「ウェンリーを襲ったのは、おまえらかああああーっ!!我が怒り、思い知れ!!塵芥となりて滅せよ、『ブラストラゴル・メギストス』ーっ!!!」
俺はこの時、完全に冷静さを失っていた。傍を飛んでいたレインボウターイルの群れがウェンリーを襲ったのだと思い込み、怒りで我を忘れてしまったのだ。
重力魔法をかけた自分とほぼ同じ速度で、エクスプロードの核となる炎の塊が降り注ぐと、群れの一体に当たった瞬間に爆ぜて真っ白になり、極大威力の風と炎が敵を吹き飛ばした。
そこに俺は追撃を加え、召喚したシュテルクストで広範囲魔法剣技『エレメンタル・ウラガーノ』で一羽残らず全てを屠った。
興奮した俺はいつの間にか全身から、キー・メダリオンの力を解放した時のような金色の闘気を放っていたが、周囲にバラバラになって飛び散るレインボウターイルの死骸にも構わず下方に見えるウェンリーの元まで、重力魔法で負荷をかけ続け高速で地面に着地した。
「ウェンリーっ!!」
そこに倒れていたのは、確かにウェンリーだった。俺はすぐにウェンリーを抱き起こし、膝の上に凭れかけさせて身体を調べる。
落ち着け、ウェンリーにはアテナの腕輪がある。怪我は…していないな、出血もない。大丈夫だ、身体も温かい。顔色は悪いが、気を失っているだけか…?
「ウェンリー…ウェンリー、しっかりしろ。俺だ、目を覚ませ…!」
俺がピタピタとウェンリーの頬を叩いている間に、ヴァシュロンが近付いて来てその頭上からクリスが飛び降り駆け寄って来る。
「お兄さん、大丈夫!?お友達は…!?」
――その時だ。
「う…うう…」、とウェンリーが呻き声を上げた。
「ウェンリー!」
気が付いた!良かった、無事だ!!――そう思った俺の前で、ぐきゅるるる〜と、ウェンリーの腹が豪快に鳴った。
あまりのことにポカン、と呆気に取られた俺にウェンリーは、やっと会えたのに再会を喜ぶでなし、「ルー…ファ、ス…は…腹、減った……」と力無い声を発したのだった。
――それから三十分ほど後…
俺が直前に狩った『レインボウターイル』の鳥肉(戦利品自動回収でしっかり回収されてあったもの)を野営用の調理器具で焼き、乾燥した野菜と合わせて食事を作ると、ウェンリーは物凄い勢いでそれをガツガツ頬張った。
「うめえ、うめえ!!どんぐらいぶりのまともな飯いぃぃぃっ!?」
涙を流して俺の作った飯を食い、そう叫ぶウェンリーに俺は心底ホッと安堵した。
ウェンリーはスカラベやレインボウターイル以外の動物にも何度か襲われそうになったらしいのだが、戦っても勝てないと判断し、節約のために追いかけられた時だけ『ステルスハイド』の魔法石を使って上手く逃げ回っていたようだ。
そこまでは良かったのだが、聞けばウェンリーは俺を捜し続けて、このちょっとした大陸と言ってもいいほど広い島を歩き回ったために、ある程度で携帯食料を食い尽くし、このところは水以外なにも口にしていなかったという。
動けないウェンリーのために料理をする間、敵に襲われないよう防護障壁を張って、ついでに俺達も食事を取ることにしたのだが、ウェンリーが只管飯を頬張るその横で、俺が無限収納から取り出した折りたたみ椅子に腰かけ、頬杖を付いているクリスがクスクスと笑っていた。
「良かった…お兄さんのお友達、お腹が空いて動けなくなってただけだったんだね。」
「ああ。ここの小動物は頭が良くて魔法を使って逃げる上に、スカラベやレインボウターイルは強すぎてウェンリーには狩れなかったんだそうだ。」
「それにしたって小動物を狩れなければ、果実の成る『アファルセック』の木があっただろうに。倒れるまでなにも口にしていなかったとは、少々呆れたぞ。」
呆れてそう言ったのは、俺の脇に腕を組んで立つヴァシュロンだ。あの巨体がどうしたらそうなるんだ?と非常に驚いたが、今の彼は、角と顎髭の生えたフェルナンドよりも大きくて威厳のある、筋肉ムキムキで人族に近い初老男性の姿に変化している。
「うるへー!どう見たって異世界の、毒があるかもわからねえ不気味色の木に成った実なんか食えるか!!」
口に飯を頬張りながら、腹立たし気にウェンリーはぼやく。
ああ…なるほどな。確かにここの植物は木の幹が青色だったり、紫色だったりして黒い葉っぱや土色の実なんかだったら、鑑定眼もなくて用心深いウェンリーには一見して食べられないと思うか。だとしても――
「解析魔法の魔法石があっただろう。それを使って食べられる物かどうか調べれば良かったのに。」
「…へ?なに、あの魔法石って戦闘以外でもそんな風に使えんの!?」
「………」
――これだ。どうもウェンリーは、俺が渡した魔法石について一部きちんと理解出来ていないものがあるみたいだな。
「…はあ、おまえはもう一度俺の魔法石について、使い方を勉強し直さないと駄目らしいな。帰ったら覚悟しておけよ。」
「ええー、マジか。」
――なんにしても無事で良かったと思う。ウェンリーは俺が思っている以上に用心深く、今回はそれが少しだけ災いしたようだけど、それでも俺と合流するまでの間、自力でちゃんと生き延びてくれていた。
飲み水は逃げ足の速いリスに似た動物が魔法で水を出した瞬間に、それを水筒で横取りしたんだとかで、そこには運的要素が多分に含まれているようだけど、それでもやっぱりウェンリーは大したものだと、俺は本当に感心してしまった。
「ふむ…この魔法石というのは、魔力の宿った結晶に発動待機させた魔法を記号化して刻むのか…素晴らしいな。」
これを俺が作ったのか、とヴァシュロンは興味深げに聞いてくる。俺とヴァシュロンは既に食事を終え、魔法石を見てみたいと言った彼に、所持していたその一つを見せていた。
「ああ、そうだよ。ひょっとしてインフィニティアに魔法石はないのか?」
「ないな。そもそも魔法を使えない生き物自体が存在していないのだ、必要もあるまい。」
「そう言われてしまうと身も蓋もないんだけど。」
「ご馳走様!ルーファスお兄さん、凄く懐かしい味がして、とっても美味しかったよ!!ボク、お腹パンパンになっちゃった。」
苦笑する俺に食べ終わったクリスが満足げに言う。
懐かしい味、か…なんだか変わった感想だな。ふとそんなことを思う。
「お粗末様でした。口に合ったのなら良かったよ、クリス。」
「やべえ…食い過ぎた、動けねえ〜…」
ウェンリーは俺の横でこれでもか、と言うくらい腹に詰め込んで横になり、別の意味でまた動けなくなっている。
「おまえは一度に食べ過ぎだ。胃が空だったのにそんなに食べて、お腹が痛くなったり吐いたりしても知らないぞ。」
「へーきだって、俺は食い物を無駄にしねえ性質なんだ。せっかくおまえが作ってくれたのに、吐くわけねえだろ。…うっぷ。」
「やめろ、こんなところで吐くなよ。…まったく。」
まだ安全な場所にいるとは言いがたいが、人心地ついたところで俺は改めてヴァシュロンとクリスにお礼を言うことにした。
「ヴァシュロン、クリス。おかげで無事なウェンリーと合流することが出来た。俺一人だったら、こんなに遠く離れていたウェンリーを、すぐに見つけることは出来なかったと思うんだ。本当にありがとう。」
俺がそう言って頭を下げると、横になっていたウェンリーも起き上がって、一緒にお礼を言う。
「俺もだ。見つけてくれてほんと、ありがとうな。もう少しで餓死するところだったぜ。」
「あははは、そんなに早くは死なないでしょ?面白いお兄さんだなあ。」
「いやマジでヤバかったんだって。」
ウェンリーの冗談にクリスは屈託なく笑う。
「改めて俺はルーファス。そして親友のウェンリーだ。」
「ボクはクリス。ルーファスお兄さんに、ウェンリーお兄さんか、よろしくね!」
「我が輩はケツアルコアトルのヴァシュロン・オーサと申す。そなたらはどこからこの無限界に来た?」
「ああ…うん、話せば長くなるんだけど…」
俺は時空転移魔法のことは話さずに、他人が仕掛けた罠に嵌まって元いたフェリューテラからこのインフィニティアに飛ばされて来たことを話した。
「やっぱりお兄さん達もフェリューテラから来たんだね!?ボクもそうなんだよ!もう随分前のことなんだけど、突然開いたマナセルの門に吸い込まれちゃったんだ。」
「…マナセルの門?そう言えばさっきもヴァシュロンが口にしていたよな。それってなんのことなんだ?」
「マナセルの門は無限界インフィニティアと別の世界を繋ぐ、転移門のことだ。我が輩はそなたらとクリスの世界に行ったことはないから、どのような形をしているのか知らぬが、通常は余程でない限り開くことはない。」
「…つまり異界の扉みたいなものかな。」
「なあ、それってこっちにも同じものがあるのか?もしあんなら、そこを通れば俺らの世界に帰れるんじゃね?」
ウェンリーがそう問いかけると、クリスは俯き、ヴァシュロンは一時的に押し黙った。
「…クリス、ヴァシュロン?」
少し経ってからクリスが暗い声で話してくれる。
「――マナセルの門はいつ、どこに現れるか誰にもわからないんだ。おまけに…」
その続きをヴァシュロンが静かに話す。
「門を見つけて扉を潜っても、望む場所に出られるとは限らぬのだ。」
「え…マジか。」
クリスの話によると、フェリューテラのクリスの里にあった『マナセルの門』は、巨大な魔石の柱を組み合わせた、三重の鳥居のような囲いで出来ていたらしい。
「ボクの里にあったマナセルの門は、神様の世界に通じていると言い伝えられていて、『神の門』とも呼ばれていたんだ。ボクはそこで幼馴染の男の子といつも遊んでた。」
そんなある日、その石柱に突然の嵐で落雷が起き、眩い黄金の光と見たことのない文字が刻まれた扉が出現し、近くにいたクリスは突然開いたその扉の中へと、物凄い力で吸い込まれてしまったという。
「その時最初に辿り着いたのが、ちょうどこの辺りだったんだけど、その時以来門がこの辺りに現れたことはないんだ。」
帰れるものなら帰りたい。お父さんとお母さん、年の離れたお兄ちゃんにもう一度会いたい。それになによりも、大好きだった幼馴染は、目の前でボクが消えてきっととても心配している。クリスは耐えきれずに涙して俺達にそう話した。
「マナセルの門は、それを扱う力を所持した者以外が正しく通ることは出来ない。世界と世界を繋ぐ次元の狭間を通る際には、時間と空間の歪みが発生し、いつ、どこに辿り着くのか誰にもわからぬからだ。」
「…なるほど、マナセルの門を使ってフェリューテラに帰るのは難しい、と言うことか。」
「難しいのではない、まず不可能なのだ。…それをなんとか出来る術があったのなら、クリスはもう疾うに帰っている。」
ヴァシュロンはその手でクリスの頭を優しく撫でて抱き寄せる。門に吸い込まれたクリスとヴァシュロンは、なにが切っ掛けで知り合ったのだろう?気にはなったが、それは後でまた話を聞けばいいだろう。
「それならなにか別の手段で帰る方法を探さなくちゃなんねえよな。俺らは絶対フェリューテラに帰らきゃならねえんだ。な、ルーファス。」
「ああ、そうだな。」
俺が元のフェリューテラに戻れなければ、それは世界が暗黒神とカオスのものになると言うことだ。
それに俺達は多分時空転移魔法で飛ばされたんだ。すぐ傍になかったのは不可解だけど、それならどこかにある時空点を見つけて、それに触れ俺が時空転移魔法を使えさえすれば、きっと帰れるはずだ。諦めるものか。
「――とりあえず今日のところはクリスの家にお邪魔して、少しゆっくり休息を取ることにしよう。俺もこの五日間、仮眠ぐらいで碌に寝ていないんだ。」
「ルーファスもか…けど五日?昼夜もねえのに良くわかるな。俺なんか時間の感覚がもうめちゃめちゃなんですけど。」
「正確にそうだとは言い切れないけど、なんとなく体感でそのぐらいかな、と思ったんだ。どうもこの世界は時間の感覚がおかしくなる。」
ウェンリーとそんな話をしていると、クリスがヴァシュロンと顔を見合わせて衝撃的なことを告げる。
「それは無理もないよ、ルーファスお兄さん。」
「ここ無限界域は時間の流れが非常にゆっくりでほぼ停止している。その証拠にクリスはここへ来てかなりになるが、少しも成長していないのだ。」
「え…!?」
「マジかよ、大体でいいから、クリスがここに来てどのぐらい経ってんのかわからねえのか?」
「大体でいいの?うーん…ええとね…どのぐらいかなあ、ヴァシュロン。」
「――そうだな…少なくとも十年以上は経っているか。正確ではないがな。」
「「十年!!!?」」
驚愕の真実を告げられた俺とウェンリーは、同時にそう声を上げて驚き、まだ少年のような笑顔を見せるクリスを見て固まってしまったのだった。
次回、仕上がり次第アップします。