138 無限界インフィニティア ①
狂乱熊の巣穴という、不思議穴を落ちた先にある洞窟で、罠に嵌まりまたどこかに飛ばされたルーファスは、見知らぬ場所で目を覚まします。一緒に魔法陣に巻き込まれたはずのウェンリーの姿は見当たらず、ルーファスはウェンリーを探そうとしますが…?
【 第百三十八話 無限界インフィニティア ① 】
――目が覚めると俺は、軽石のような細かな無数の穴が空いた、大きな白岩の上に横たわっていた。
太陽はないのに明るくて周りがよく見える。この白い岩自体が光を発しているみたいだ。身体全体に奇妙なふわふわとした感覚があり、見たことのない青色の幹を持つ木々と傍に生えていた紫色の草を見て、ここがどこかフェリューテラとは異なる場所であることに気が付いた。
見上げれば俺が今いるのと同じような巨大な白岩が、まるで夜空に見える星のように、数え切れないほど幾つも上下に浮かんでいて、見渡す限り周囲全ての空が、暗から暗明へと段階色を描く紺碧の宵闇となっていた。
いったいここはどこだろう、と俺は、ぼんやりした頭を拳でコツコツ叩いて記憶を辿る。
不思議穴の先にあった、狂乱熊の巣穴で不死化した死体と戦い、屍鬼を見つけて…飢えて外に出られる前に倒すため、媒体を浄化しようとした時、カオス第六柱『愚者』のザインが現れて戦闘になったんだ。
カオスは俺と本気でやり合うつもりはなかったらしく、すぐに屍鬼の媒体を持って逃げて行ったけど、戦闘後地面に再び湧いてきた血痕を見て、穢れから別の不死族が生まれる前に(屍鬼が生まれた血液は、残っていると不死族が生まれやすい)ディスペルで、誰かが施した魔法を消そうと思ったんだ。
あの地面には何重もの魔法と共に、俺がそうすることを知っていたかのように、使った魔法に反応して発動する罠が仕掛けてあったのだ。
一時ザインがあの罠を張ったのかとも思ったが、その可能性は低いだろう。ほんの少し戦っただけだったが、あの第六柱はまだそれ程の力を持っているように感じなかったからだ。
それに今の段階で俺に、その存在を気付かせないほどの巧妙な罠を仕掛けられるのは、恐らくあのアクリュースだけだと思う。
まず間違いないだろうが、腹立たしいことにそれが当たっているのなら、俺はまたしてもあの邪神の良いようにしてやられたと言うことになる。
――仕掛けられた罠に二度も嵌まるなんて、いくらなんでも情けないぞ。
あの紫色の信号が表していたのは、結局カオスの存在だったのか、それとも罠のことだったのか…いや、屍鬼の媒体となった血痕もあの場にあったのだから、それの可能性もあるのか。そこに辿り着いても、どれを指していたのかはっきりわからなかったな。
…まあいい、考えるのは後にしよう。先ずはここがどこなのかわからなければ、帰る方法も見つけられないんだ。
飛ばされる前に見た魔法陣の光は、時属性を示す灰色と空属性を示す金色に光っていた。そのことから推測するに、多分俺は時空転移魔法でどこかに放り出されたんだろう。
1002年に辿り着いた時と違って召喚されたわけじゃないから、今度は俺が時空転移魔法を使えさえすれば自力でも帰れると思うけど――
近くに街かなにかないかな。そう思い上下左右360度見回してみても、大きさの異なる白岩(ひょっとしてやっぱり島なのかな?)がそこかしこにふよふよ浮いているだけで、他に街影は愚か小屋一軒見当たらない。
幸いだったのは俺の頭に地名こそ出ていないものの、地図がいつも通りに表示されていたことだった。
――やっぱりここは無数の小島からなる群島みたいな感じだな。橋らしき建造物はないけど、道っぽいのが表示されているから、浮いている各白岩にもなんらかの方法で渡れるようになっているみたいだ。
人の気配はないけど、見たことのない虫はたくさん飛んでいるし、鼠や兎に似た小動物もいる。少なくともこれだけ生き物がいるのなら、人間が生きて行ける環境であることは間違いない、どこかに集落か人のいる街があるはずだ。
広域探査をしてみて目印になるようなものを探して――
その時、はた、とあることに気付く。俺はなにか重要なことを忘れていやしないだろうか。今頭に一瞬だけ、足元に光った魔法陣のことが過ったのだが、転移する直前にウェンリーの姿を見たことを思い出した。
「――あの時…俺が罠だから来るなと言ってシルヴァンとリヴは足を止めたけど、確かウェンリーは走って来て…」
俺はここでようやくウェンリーが、俺と一緒に罠に巻き込まれた可能性が高いことに気が付いた。
「ウェンリー…ウェンリーはどうしたんだ!?ウェンリーっ!!ウェンリー、何処にいるんだ、聞こえたら返事をしてくれ!!」
俺は慌てて立ち上がって、とりあえず同じこの白岩の島のどこかにウェンリーがいないか、急いで探してみることにした。
走り出してすぐ、全身のふわふわ感の原因がわかった。この地面は下方向に引っ張られる引力が、フェリューテラの大地に比べて少ないのだ。
――強い力で地面を蹴れば、かなり高くまで飛び上がれそうだ。…なるほど、これで離れた白岩の間を行き来出来るかもしれないな。
俺がいるこの白岩島(勝手にそう呼ぶことにした)は、精々二キロ程度の広さしかなく、奇妙な草木以外大した障害物もなかったため、ものの二十分ほどで全て見て回れてしまった。
ウェンリーがいない…魔法陣が発動した時傍にいたんだから、一緒に飛ばされたのは間違いないはずなのに、着地点に差が生じたのか?近くにいてくれればいいけど、こんな見知らぬ広大な場所で遠く離れたら、再会するのは容易じゃないぞ…!!
さっきも言ったが、ここはフェリューテラではないようなのだ。どんな生物がいるかわからないし、もし魔物のような敵に遭遇しても碌に隠れられるような場所すらない。
魔法の使えないウェンリーには日頃から魔法石を多く渡してあるが、飛ばされたのはあの洞窟での屍鬼戦後だ、数少ない防護魔法石を使い切ってしまえば、身を守る術がなくなってしまう。
すぐにウェンリーを探そう。そう思って踵を返した時だ。
ゴオッという音を立てて俺の頭上を、物凄い速さでなにかが掠め飛ぶ。気配に気付いてすぐに身を屈めた直後、俺のすぐ傍の地面に、ズシンズシンッという連続した震動を伴って二体の大きな物体が着地した。
敵だ。どこから現れたのか、メク・ヴァレーアの森にいたタイラント・ビートルの変異体に似た大きさと外見の、巨大な甲虫だった。但し角は三本もあり先端は鋭く尖っていて、全身が金色をしている。
「魔物!?やっぱりここにも人間の敵対存在がいるのか…!!」
すぐさま俺は手元に精霊剣シュテルクストを召喚すると、そのまま戦闘に突入した。
先ず始めに一体が三本の角を使って大きく頭を振り回してくる。その角の長さは一メートル近くもあって胴体に近付けず、俺はその攻撃を剣で弾きながら様子を窺う。
大きいな…かなり重そうな巨体だ。それでもあの速度で飛行可能なのは、ここの引力が低いからか。
「ビルルルルルルーッ」
どこからその声(?)を発しているのか知らないが、薄い紙に強風を当てて激しく揺らした時のような音を出し、その魔物はいきなり俺に土魔法を放って来た。
「なっ…魔法を使うのか!?」
しかも異常に詠唱が早く、地属性を示す黄色の魔法陣が一瞬で輝いて、無数の石弾が高威力と尋常ではない速度で襲いかかって来る。
「まずい、守れっディフェンド・ウォール!!」
キンキンキンッ…ズガガガガガンッ…バキィンッ
「嘘だろう!?一瞬で俺の防護魔法が…っ!!」
信じられないことに、魔物が放ったそのたった一度の魔法攻撃で、いとも簡単に俺のディフェンド・ウォールは砕け散った。
あり得ない…!ここがフェリューテラではないのは気付いていたけど、俺のディフェンド・ウォールが砕けるほどの魔法を使う魔物がいるなんて、ここはいったいどんな世界なんだ!?
そう思った瞬間、ピロン、と頭の中に奇妙な音が響くと、俺の自己管理システムがこの敵の情報を検索して答えを出した。
『甲虫型無限界生物<インフィニティア・クリアトラエ> "スカラベ" 』『高威力突進、地属性攻撃魔法を多用』『地属性、光属性魔法攻撃無効化/物理攻撃半減』『弱点/水属性氷魔法及び凍結/但し若干の耐性あり』『風属性魔法にて転覆させ腹部への攻撃を推奨』
――違う、この生物は魔物じゃない…無限界生物<インフィニティア・クリアトラエ>だって!?『スカラベ』…カブトムシじゃなくてコガネムシ?…無限界生物と言うことは、つまりペルグランテ・アングィスなんかと同じ類いの敵なのか…!
「道理で…ここにはこんな敵が普通に闊歩しているのか?冗談じゃないぞ…!!」
ウェンリーが危ない。俺のディフェンド・ウォールが簡単に破壊されるような相手では、防護魔法石があっても役には立たないだろう。急いで敵を倒してウェンリーを探さなければ…!
俺は相手の特性を知るために様子見していたのを切り替えて、攻勢に転じた。
敵は斜めに前衛と後衛に分かれ、前衛が物理攻撃の相手をしている間に、後衛が魔法を使う、という知略を行っている。
敵の能力値を解析魔法でよく見ると、どうやら防御力に若干の差があることが理由のようだ。つまりこの『スカラベ』という無限界生物には、弱い個体を守りつつ戦闘を熟すだけの高い知能があることになる。
おまけに俺が機を見て普通に魔法を詠唱しようとすると、後衛は魔法を使うのをやめて前衛と一緒に攻撃に転じる、と言った行動に出る。それだけを見ればまるで人族を相手にしているようで、とにかく戦いにくい。
先に片方をなんとか倒さないと駄目だな。躯体はかなり重いだろうけど、引っくり返すにはここの引力が少ないことを逆に利用出来る。
まともに魔法を使おうとしても邪魔されるから、道具で目眩ましを使ってから隠形魔技と瞬間詠唱で『タービュランス』と『ラファーガ』を連続して唱え、転覆した腹側を一気に突くしかないか。
俺は素直に自己管理システムの推奨手段に従うことにした。
前衛のスカラベにシュテルクストによる剣技を叩き込みつつ、後衛のスカラベが破壊に専念するようにディフェンド・ウォールを穹窿形に重ねがけする。
二体が防御と攻撃に手一杯になった瞬間、俺はシュテルクストを手放すと、戦闘アイテムを入れてある腰のウエストバッグから、目潰し用の細砂を取り出して散蒔いた。
風に乗ったそれは、スカラベの顔面左右に付いた蟲眼に、吸い込まれるようにして飛び込んで行く。一定の効果時間しかないが、二体の敵は目が見えなくなって恐慌状態になった。
言っておくが、この細砂はただの砂じゃない。魔力を含んだ大地から採取した砂を加工し、敵の目がどこにあろうとも集中して飛んで行くという、便利道具だ。
実は通常ギルドで売っている細砂には、敵の目を追跡する性能はなかったのだが、そこはあれだ、少しでもウェンリーが怪我せず戦闘を熟せるようにと、俺がこっそりホーミング効果を付加したのだ。
それには理由があって、なんと言っても今のウェンリーは、国境を越えて以降魔法石などの無駄撃ちが多い。
訓練して慣れさせるのももちろん大事だが、バセオラ村を最初に訪ねた時がそうだったように、俺が助言しようとすると苛立って反抗的になることがあった。
前にも説明したが、魔法石は基本的に高価なものだ。他者に金持ちだと誤解されないためにも、だったらいっそのこと、魔法石に追跡性能を持たせれば良いんだ、という結論に俺は至ったのだ。…で、それの研究過程でもっと性能を上げるために、先に実験を兼ねて使い捨ての安価な道具で色々と試してみたのだが、その結果この細砂が出来た、と言うわけだ。
――よし、今の内に一体倒すぞ!!
「渦を巻け、上昇気流よ『タービュランス』!!煽れ『ラファーガ』!!」
俺は作戦通りに隠形魔技と瞬間詠唱を使って、左手でスカラベの躯体を浮き上がらせる風魔法を、続いてそこに前方から螺旋状に突き進む別の風魔法を使用した。
視力を奪われて恐慌状態だったスカラベは、魔法に対して身構えることも出来ずに、二体とも見事に引っくり返った。
俺は走って飛び上がり過ぎないように力を調整して地面を蹴り、転覆したスカラベの腹に乗ると、シュテルクストを召喚してそこに突き刺す。…が――
ガギンッ
「堅っ!!腹部でこの堅さか!?普通の攻撃じゃ駄目だな…なんて頑強なんだ、喰らえ!!『氷結槍破刺突斬』!!」
異常に堅かった腹部に確実に致命傷を与えるため、俺はリヴ解放後に取り戻した水属性魔法の力と剣技を組み合わせた魔法剣技を使い、シュテルクストの刀身を槍のように変形させて突き刺した。
この攻撃は矛先が触れた瞬間に、その部位を『フリーズ』という魔法で凍らせて脆くし、金属さえも簡単に貫くことが出来るほどの威力を持っている。
なのでさすがにこいつも、この攻撃には耐えられなかったようだ。
キイイィ――ッ、という虫によくある鳴き声を上げて、先ずは一体、ようやく倒すことが出来た。
「よし、後はおまえだけだ!」
俺は再びシュテルクストを後衛のスカラベに向かって構えた。
倒したスカラベが邪魔だな、と思った瞬間に、俺の戦利品自動回収が発動して死骸を消し去る。戦闘終了時だけでなく、倒した分から回収してくれるのは有り難い。
因みに後衛のスカラベは、俺が前衛の腹に乗って魔法剣技を叩き込んでいる間に、引っくり返っていた状態を自力で直した。あの態勢からよく起き上がれたな、とちょっと感心する。
一体になれば後はこっちのものだ。俺はそう思ったが、甘かった。
残されたもう一体のスカラベは、倒された自分の仲間が俺のスキルで消えた瞬間に、激昂状態になった。
「ブレイクレイジ!?このスカラベは瀕死状態でなくとも、自力で激昂化できるのか!?」
激昂化とは要するに、生存本能で命の危険を感じて死に物狂いになり、敵に対して激しく怒っている状態のことだ。
フェリューテラでは大型や変異体に特殊変異体などの魔物を、止めを刺し損ねたりして瀕死に追い込むとこの状態変化を起こすが、言うまでもなく激昂化した敵はその能力値が跳ね上がり、一層手強くなってしまう。
先に数を減らそうと片方に集中して損傷を与えていたため、残りのスカラベはまだ殆ど体力を減らせていない。それなのにここでブレイクレイジを発動され、ただでさえ手強かったのに、さらに厄介になってしまったのだ。
――俺に仲間を倒されたから激昂化した?知能が高いだけでなく、感情に似た意識まで持っているのか…そうなるともう、虫系生物と言うより大型動物に近いな。
「自分達から人に襲いかかって来ておいて、仲間が倒されたら怒るのか?勝手な奴だな。俺の邪魔をしているのはそっちだぞ!」
スカラベの態度になんとなくムッとした俺は、言葉が通じるわけでもないのにそう言って不満をぶつけた。
すると相手は言われたことがわかったかのように、キシュシュシュシュ、と声を発して猛烈な勢いで突進攻撃を繰り出し始めた。
「うわっ!?突っ込んで来た!!」
≪は、速い!!≫
その速度は、バスティーユ監獄で戦ったヘレティック・ギガントス並みの早さだった。
スカラベは金色の躯体を真っ赤にして、何度も何度もその攻撃だけを繰り返し続け、俺はまともに食らわないように躱すだけで一杯になる。
――いつまで同じ攻撃を繰り返すつもりだ?突進が止まらなければまともに攻撃も出来ないじゃないか。
そう思ったところで、また、ピロン、と頭に音がする。自己管理システムだ。そう言えば、いつからこんな音がするようになったんだろう?…まあいいか。
『広範囲水属性氷合成魔法/ヴィルジナル・ミスクァネバの使用を推奨』
「ええっ!?たった一体の敵にそんな高威力の魔法を使えって言うのか?」
俺は自己管理システムが出してきた提案に驚いた。水の神魂の宝珠からリヴを解放して力を取り戻したことで、俺は水属性魔法の威力が跳ね上がっている。
新しい最上級高位魔法やリヴとの共有魔法も習得している(リヴが一緒にいないから今は使えないな)が、その強力な力に普段フィールドで出会すような敵には使わないようにしようと敢えて意識していた。そんなボスクラスの敵に使用するような魔法を今ここで使えと言っているのだ。
こんな提案には驚いたが、それ以上に、そこまでしなければスカラベの突進を止めることは出来ないのか、とそっちの方にゾッとした。
それだけ無尽蔵の持久力を備えていると言うことか。これは…この地域を移動して歩くのにも、相応の覚悟が要りそうだな。そう思い、緊張から俺はゴクリと息を呑んだ。
魔法を唱えようにも突進攻撃を避けるのに精一杯だ。でもその突進攻撃を止めるのに魔法を使う必要がある?うーん、どうしよう。
ディフェンド・ウォールは簡単に壊されそうだよな。短時間でいい、安全な場所から魔法を使えれば――
「ああ、そうか!」
ここは引力が低いんだ。思いっきり地面を蹴れば高く飛び上がることで、瞬間詠唱を使い魔法を唱えるぐらいの滞空時間は得られるんじゃないか?
俺はそんな手段を思いついた。まあそれでも、敵には翅があるのだから、追って飛び上がられたら邪魔されるかもしれないが、俺が飛べないと思っている心理を突けば、多分一度だけならなんとかなるだろう。
ついでに凍結したところを高所から重力魔法で加重し、シュテルクストで攻撃すれば躯体を砕けるかもしれない。やってみる価値はありそうだ。
以前使っていたエラディウムソードと違って、この剣は手元から離れてもなくならないのが良い。
大精霊の身体の一部を元に作られているから、俺の意思で顕現消去が可能だし、落としても手から離れて少し経つと霧散して、また手元に戻ってくれる。
今ではこの剣を使うのにすっかり慣れた俺は、両手で魔法を使う時は剣を消してぶちかまし、追撃や物理攻撃をする時には瞬時にシュテルクストを召喚する、と言った戦闘型に変わった。
そして今も――
俺は俺の数メートル先で向きを変え、これまでと同じように突っ込んで来たスカラベの攻撃を寸前で思い切り飛び上がって躱すと、勢いが付いて急には止まれないスカラベを中心にして、合成魔法を唱え待機状態にした。
予想以上に高い位置にまで上がれた。二十メートルぐらい上空だろうか?頭上に別の白岩島がなくて幸いだ。
後は踵を返したスカラベが真下に来るのを待って魔法を放ち、計画通りに重力加算で剣を突き刺して躯体を砕けば終わりだ。
俺の姿を見失ったスカラベは、俺がいないのにも関わらず、再び反転して突っ込んでくる。あれは一度始めたら敵を倒すまで、中断出来ない行動なんだろうか?そう思いながらそれが真下に来た瞬間、待機状態のヴィルジナル・ミスクァネバをそのままの威力で発動した。ゆっくり落下する俺の眼下に、青く巨大な魔法陣が光り輝く。
うーん、上からこの魔法を見るのは初めてだけど、スカラベのいる中心に睡蓮花の蕾のような氷塊が出て、そこから周囲に氷の棘が次々と広がって行くのは、なんて綺麗なんだろう。
俺はスカラベが凍結したのを確認すると、シュテルクストを召喚して下向きに構え、重力加算の魔法を自分にかけてから猛烈な速度で落下する。
ズドオオンッ
――まずい、ちょっと威力が強すぎた…!?
ここはなにかと力の調節が難しい世界みたいだ。懸念通り異常が発生する。
ビキビキビキ…ビシシシッ
シュテルクストは見事に凍結したスカラベを一瞬で粉々に砕いたが、勢い余って俺の攻撃は白岩の地面にまで威力が伝わり、元々軽石のような穴が空いていたためか、そこには深い地割れが入ってしまった。
すると今度は足下の地面から、小さな震動と共に地鳴りのような音が聞こえ始める。
ズゴゴゴゴゴ…
「な、なんだこの震動は…地震!?」
――そう思ったが違った。見てみると亀裂の入った地面の下を、なにか細長くて白いにょろにょろしたものが、こちらに向かって高速で穴と穴の間を移動しているのだ。
「下にもなにかいる!?」
なんの生物かはわからないが、直感で襲ってくる、と感じた俺は、急いでその場から逃げ出した。
直後、亀裂から目が退化したような窪みを持つ、無数の白い線虫が噴き上げる水のように勢いよく飛び出して来たのだ。
「うわああっ!!」
地面に落下したそれは、這いながら後続の線虫に押し出され、波のように蠢いて迫ってくる。
き…気色悪い!!なんでこんなにたくさん!?
線虫は良く畑などの土壌や、汚れた水中なんかに集団でうようよ蠢いてたりもするけど、あいつらは色が白いし、大きさが尋常じゃない。なによりもその数が最も異常だった。
「冗談じゃない、追いかけて来るなっ!!」
俺は後ろを気にしながら全力で走ったが、この白岩島は狭いんだ、追い詰められたら逃げ場がない、と青ざめる。
そこで思ったが、どうやら俺にも苦手なものが出来たようで、虫系生物の超集団は生理的に受け付けないらしい。
シャトルバスの中継施設でのハネグモや、インフィランドゥマの不潔代表虫ゴ○○リなんかを思い出すと、鳥肌が立って一目散に逃げたくなる。
線虫なら火魔法で焼き尽くせるかもしれないけど、これは多分止まったら絶対に駄目な奴だ。
後から考えてみれば、スカラベの突進対策で飛び上がったように、上空へ逃げて魔法を使えば良かったんじゃないかと気が付いたが、この時の俺にそんな余裕はなかった。
端に追い詰められたらもう、ディフェンド・ウォールでやり過ごすしかない。だけどそれも破られたらどうする!?そう焦った時だ。
一瞬周囲が陰り、線虫から逃げる俺の頭上を、大きな複数のなにかがゴオッと次々に通り過ぎて行った。
「また…もう勘弁してくれ、次はなんだ!?」
走りながら見上げるとそれは腹側しか見えなかったが、虹色の羽根を持つこれもまた大きな鳥だった。
後ろを振り返ると、線虫に群がるようにして多くの鳥が降り立ち、餌だ餌だ、とでも言うようにピーチクパーチク囀りながら、大喜びでそれらを食べ始めた。
「線虫を食べに来たのか。助かった、けど…」
多分あれも、線虫を食い尽くしたら襲ってくる類いの生物だよな。今の内にこの白岩島から移動した方が良さそうだ。
ピロン、と再び頭に音がして、見ると地図上に目的地を示すいつもの黄色い信号が現れた。
今頃現れるのか、と憤慨したが、自分で作った自己管理システムに腹を立ててもしょうがないし、指針が示されただけでも今の俺には有り難かった。
「大分時間を食った、ウェンリーを探さないと…!」
俺は地図上の信号を目指して、先ずは幅跳びの要領で飛んで渡れそうな近くの小島へ移りながら、見知らぬこの地の探索を開始したのだった。
――それから、どのくらい時間が経ったんだろう。
はっきりとは言えないが俺の感覚的にはもう、既に三日はこの地を彷徨っているような気がしていた。
それと言うのも、持っていた時計は飛ばされた時点で止まったまま、幾ら修復魔法を使っても動かなくなってしまい、正確な時間がわからなくなったのだ。
島自体が発光していて明るいがこの地には太陽がなく、月もない。方角を知るための星も存在せず、昼夜の区別もないようで、空の印象だけはノクス=アステールに近いような感じがしていた。
だけど体内時計が狂っているのか、ある程度で腹は減るものの、中々眠くならず、歩いているだけなら大した疲れも感じないため、戦闘をしなければいくらでも動けそうな気がした。
これまで地図の点滅信号を目指して進んで来たものの、相変わらずウェンリーの姿は見つけられず、行けども行けども周囲の景色が変わらない。
集落どころか人に出会うことさえなく、こんなに長く誰とも会わずに一人きりでいるのは、ヴァハの村で保護されて以降初めてのことだった。
ただここは人の姿がなくても死の世界じゃなく、微妙にフェリューテラのと外見は異なるが、鼠やリス、兎に鼬、狼や猪、鹿、狸、狐などに似た様々な動物が数多くいる。
どこにも水がなくて飲料水の確保にだけは困っているのだが、所々島にはこの世界の植物が森を作っており、果実のような果汁を含んだ甘い実の成る大木が生えている場所があって、そのおかげでなんとか喉を潤すことは出来たのだった。
――そうか、ここの地面は白岩で穴が空いているから、雨が降ったとしても表層に水を溜めておけないんだな。もっと地下深くになら地下水があるのかもしれないけど…だけど池すらなくて、どうやって植物は育ち、動物は生きているんだ?
その疑問はすぐに解けた。なんとここの動物達はみんな、魔法が使えるのだ。…と言っても、さすがにいくつもは使えないようだが、大気中から水属性魔法で水を抽出し、地属性魔法で巣穴を整えるぐらいは出来るようだ。
木の枝の上で、リスの額に(このリスには角があった)青い魔法陣が光って、目の前に出来た水滴を飲んでいる姿を見たのには驚愕した。
どうやらそうして動物が作った水を植物は根だけではなく、枝葉からも吸収して育ち、その恩恵を受ける動物たちは、わざと多くの水を植物に流しているらしい。
通常の動物さえ魔法が使えるのだから、スカラベが魔法を使えてもなんの不思議はない。
あれからもここの巨大生物たちに襲われたことは何度もあったが、スカラベについては、複数出た場合全て同時に倒せば激昂化されないことと、腹側よりも翅の下にある背中の方が柔らかくて物理攻撃が入りやすいことがわかった。
空を飛んできた虹色の鳥(レインボウターイルと言う名前だそうだ)は、遠くから火魔法を放ってくる遠距離攻撃型の生物(これも無限界生物)だったが、地面に強い衝撃を与えてあの線虫を呼び出せば、それを食べるのに夢中になって簡単に撒けることを知った。
他にも隠形魔法を使う犬科動物(狼と少し違う)や、角で電撃を喰らわせてくる鹿っぽいのとか、驚くほど豊富な生物に会ったが、そのどれもが自己管理システムによると無限界生物<インフィニティア・クリアトラエ>だった。
そのことからすると、もしかしたらここは異界と呼ばれる別世界なのかもしれない。…そう思った。
――あの罠を仕掛けたのが俺の予想通りアクリュースなら、前回過去に飛ばしても無事に戻ったことから、今度は俺を異界に飛ばそうと考えたのだろうか。
その後も俺はひたすら点滅信号を目指して島々を渡り歩き、さらに感覚的に二日が過ぎた頃、ようやく黄色い信号が光る、人工的な建造物が建っている場所に辿り着いた。
この島は他と違って地面が白岩ではなく、普通の土だった。フェリューテラで見るような緑の草が生えており、色とりどりの花まで咲いている。
「ウェンリー!!」
俺はここにウェンリーがいるかもしれないと思い、真っ先に名前を呼びながら走った。
その建物は、古びていたが真っ白い外壁保護材が塗られた、変わった形をした石造りの平屋だった。
入口の扉は濃い茶色の木材と鉄のような金属の枠で作られていて、嵌め殺しの硝子窓がいくつかと、暖炉があるのか赤煉瓦の屋根に煙突が生えている。
「ウェンリー、いるのか!?俺だ、返事をしてくれ!!」
てっきり鍵がかかっていると思ったのに、ドンドンと強く叩いたらその反動で扉が勝手に開いてしまう。
期待して呼んだのに、ウェンリーの声は聞こえて来ず、それでも誰かいないかと俺は人気のない家の中に入った。だがここにも人の姿はない。
この家は外見こそちゃんとしているように見えていたが、中は人が住んでいるような感じではなく、家具らしい家具もなければ、台所はもう長い間使われていない感じだった。
「――廃墟、か空き家なのかな。ハズレか…ウェンリー、おまえはどこにいるんだ?無事でいるのか?」
俺の考えすぎでウェンリーはフェリューテラに残っていて、俺だけがここに飛ばされて来たのならいい。だけどやっぱりウェンリーもこの世界に来ていて、俺を捜し歩き、こうしている間にもどこかで危険な目に遭っているんじゃないかと思うと、心配で堪らなかった。
ウェンリー…無事でいてくれ。おまえに万が一のことがあったら、俺は…
悪いことばかりが頭を過ったが、諦めるな、と自分に言い聞かせて振り払う。
大丈夫だ、ウェンリーにはアテナの腕輪もあるし、必ず無事にどこかで会える、そう信じろ。守護七聖と違って俺達の間に魂の絆はないけれど、それでも俺とウェンリーには、これまで一緒に過ごして来た特別な絆があるんだ。俺はそう思っている。ウェンリー、俺は必ずおまえを見つけるから…どうか無事で待っていてくれ。
俺は深呼吸をして気を取り直すと再び外に出た。
――黄色の点滅信号はこの辺りを指していたけど、特にめぼしいものはないのなら、もう少し周辺を見て回った方がいいかもしれない。
建物の裏手に回ると、幸いなことに井戸を見つけた。ここは浮島のようになっていて、左程深い陸地ではないのに不思議だ、ちゃんと水があった。有り難い、これで飲み水が確保出来る。
それにしてもなぜこんなところに、一軒だけ家が建っているんだろう。地面は白岩じゃないし、周りにはなにもなくて、まるでどこかからここだけ切り取られて流れ着いたみたいだ。
俺はやっと手に入れた井戸から汲み上げた水を、きちんと浄化して消毒してからボトルに移し、飲みながらこれからどうしようかと考える。
ここには井戸があって水もあるから、この家を拠点にしてウェンリーを探すのが最善だ。食糧は果実が成る大木や、狩って肉を獲れる動物の多くいる場所を覚えているから、暫くは問題ないだろう。
後はこれで風呂があればな、と贅沢にも思う。魔法で身体と衣服はいつも清潔に保っているが、それとは別に、やっぱりきちんと風呂に入って身体を洗いたいと思うのは、(不老不死でも多分)人間なんだから当然だ。
まあ、ウェンリーと無事に合流するまでは、それどころじゃないんだけどな。
「…よし、まだ体力はあるし周辺の島に渡って、もう少しウェンリーの捜索を続けよう。」
因みに面倒だから俺は、引力が低いのをいいことに魔法を駆使してポーン、ポーン、と間を飛び跳ねながら各島を渡ってきたが、地図に表示されていた通り島と島の間には、見えない道があるようだ。
それも簡単には足を踏み外さないくらいに幅のあるしっかりした道で、見えてさえいればなにも問題ないのに、と思うほど近い距離にある島と島をちゃんと繋いでいる。
「それじゃあ、北側にある少し高い位置の白岩島に行ってみるかな。」
距離的には百メートル、高さが三十メートルほどあって、力一杯地面を蹴ってもさすがに届きそうにはない。だけど俺は地面を蹴って飛び上がった後、風魔法を駆使して連続使用することでさらに飛距離を伸ばし、もっと離れた場所の島々に最短距離で渡って来たのだ。
そうしてここを出発しようとして、島の端に立ち、地面を蹴る準備態勢を整えた直後だ。
これまでそこまでの風を感じたことはなかったのに、どこからか突然ゴオッと激しい突風が吹いて来て、またしても俺の頭上を超巨大ななにかが、物凄い速さで通り過ぎて行く。
二度あることは三度ある、か?いい加減にしてくれ…今度はどんな生き物だよ、どこから現れたんだ、大きすぎるだろう…!!
俺は焦ってそんなことを思ったが、長い時間頭の上を通り過ぎて行く、それの正体がなんなのかと言うことよりも、それどころじゃない深刻な状態に陥った。俺はその激しい突風に吹き飛ばされ、大きく蹌踉けて均衡を崩したのだ。
「あっ…?」
俺は、今正に地面を蹴ろうとしていたため、なるべく遠くまで一度に飛ぼうと思い、地面の端に立っていた。言うなればそこは崖っ縁だ。
そしてここは、宵闇の空間にただ浮かんでいるだけの小さな島のような陸地で、誤って落ちれば、その先は永遠に続く宇宙のような彼方に真っ逆さまなのだ。
――そうして俺は、背中からなにもない果てに放り出されてしまい、超巨大な羽毛に覆われた蛇のような躯体に、六枚もの青白き羽根を持った鬼面のような顔の生き物を見上げながら、ゆっくり、ゆっくりと、闇の世界に向かって落下して行ったのだった。
次回、仕上がり次第アップします。いつも読んでいただき、ありがとうございます!