135 悪意
国王陛下付きの側近、テラント・ハッサーからライ宛ての書簡を受け取ったヨシュアは、なぜ担当を通さずに直接書簡がやり取りされるのか疑問を抱きます。そのヨシュアの疑問を察したライは、ヨシュアにトゥレンが戻ったら自分の事情を聞けと伝えました。それはライにとって一つの賭けのようですが…?
【 第百三十五話 悪意 】
「ライ様、先程国王陛下の御側近テラント・ハッサー卿から、ライ様に直接お渡しせよとの書簡をお預かり致しました。」
今日はこれで仕事を終わりにし、リーマの元へ向かおうと思っていたところで、俺が退ける前に昼休憩に出ていたヨシュアが、困惑顔で戻りそれを持って来た。
通常近衛や軍部などへの上からの命令や連絡は、『早駆け』と呼ばれる専門の連絡係が伝えに来る。
そうでなくても普段ならイーヴとトゥレンがいて、どう呼び出されているのかは知らないが、こういった類いの俺への極秘連絡は必ず二人が持って来ていた。
だが今はイーヴの妹の葬儀のために二人ともプロバビリテに帰っており、俺の側付きはヨシュアしかいない。
そしてヨシュアは俺の事情をまだ知らないため、テラント卿はこんな手段を取らざるを得なかったのだろう。
「ああ、そうか…わかった、貰おう。」
伸ばした手にヨシュアが書簡を差し出す。口にこそ出さないが、その頭の中は疑問で一杯なのだろう、俺に質問をしても良いのかどうかで悩んでいる心情が顔に表れていた。
俺はヨシュアの前で書簡を開くと、その場で立ったまま一通り目を通した。なんの連絡かは大体予想がついている。
その内容は思った通り、シェナハーン王国から俺の婚約者として、花嫁修業の名目で来ることになっている『ペルラ王女』についてのものだった。
――予定通り明明後日には到着するか…イーヴが戻って来るのはギリギリだな。
俺は書簡の内容を記憶すると、すぐに着火石で火をつけて灰皿の上で燃やした。
これは俺個人に宛てた極秘の手紙であり、誰の目にも触れないよう読み終わったら処分することも認められていたからだ。
今後のことを考えて自然と険しい顔になっていたのか、眉間に皺を寄せた俺を見て、ヨシュアが「なにか悪い知らせですか?」と、心配そうに尋ねてきた。
「いや…そういうわけではない。」
俺は真剣な眼差しで見る、真っ直ぐなヨシュアに心苦しくなる。
俺にとってはペルラ王女が城に来てからが正念場だ。
俺の味方にはならないであろうイーヴとトゥレンをも欺き、リーマを守りながら上手くあの男を騙すことが出来るかどうかの――
だがその前にヨシュアには俺の事情を知って貰い、出来れば協力者になって欲しいと思っている。
ただ俺にとっては自分の人生がかかった一大事だが、それに手を貸すことでヨシュアにも大きな迷惑がかかるのはわかっていた。
既にリーマとのことを内密にして貰い、イーヴとトゥレンを誤魔化すための出汁や囮となる片棒も担がせているが、それはあくまでも俺が一軍人だと思っているからに過ぎない。
ヨシュアは俺があの男の息子だと知ったら、イーヴやトゥレンと同じように俺の自由を奪い、立場や身分がどうのと言った考えに変わってしまうだろうか。
今のような友人に近い関係が変わらないことを願っているが、俺のことでヨシュアの立場を悪くするような強制は出来ない。
だからこれは賭けだ。それでヨシュアが協力を拒んだとしても、残念には思うが俺が彼を恨むことはないだろう。
「――ヨシュア、これは極秘事項だが明明後日にシェナハーン王国から、ペルラ・サヴァン王女殿下が来城する。」
「は、隣国の王女殿下、ですか…?確か随分前にも一度、半年ほどエヴァンニュに留学されていたことがありましたね。では今回も学業かなにかでおいでになるのですか?」
「…いや、俺の婚約者として花嫁修業のために来るのだ。そのまま紅翼の宮殿に滞在することになる。」
「――……は?」
暫くの沈黙の後、ヨシュアは困惑して狼狽えた。
「こ…ここ、婚約者とは、ど、どういうことですか?仰ることの意味が自分にはわかりません。ライ様は…ライ様には…彼女が…」
そこまで口にしてヨシュアは青ざめる。わけがわからずに混乱するのは当然だろう。俺がどれほどリーマに惚れているか、ヨシュアが一番良く知っているのだ。
「近日中には公式に国王陛下から婚約についての発表があるだろう。今の段階で貴殿に言えるのはこれだけだが、明日トゥレンが戻ったら、貴殿は俺について知らされていない、イーヴとトゥレンだけが知っている裏の事情を聞くといい。」
「え…?」
「その後良く考えた上で、もしそれを聞いても本当の意味で俺の味方になってくれるつもりがあるのなら、王女が来る前に夜間一人で自室を尋ねてくれ。」
俺の話を聞き終わるとヨシュアは戸惑いながらも了承し、「承知致しました。」と、イーヴのような返事をした。
私物を手に執務室を後にする際、擦れ違い様にヨシュアの肩をポン、と叩く。そして精一杯の笑みを向けると、また明日な、とだけ告げて立ち去った。
いつものように外套を着て顔を隠した俺は、城を出て先ずは士官学校を目指す。ジャンとティトレイに会うためだ。
ジャンは身体付きが大分しっかりしてきて、この所ティトレイに個人での訓練も受けているらしい。
俺はこれまでの訓練成果を見るために中庭の野外訓練場に向かうと、そこで今日はジャンを含めたティトレイの生徒達と、軽く手合わせをすることになっていた。
彼らは軍入りを希望しないジャンを除いて、将来この国と民を守る重要な兵士の卵だ。中には進路を変えて守護者や冒険者を目指す者もいるが、九割の生徒は卒業後王国軍に入隊する。
訓練場には四十人ほどの生徒がいたが、俺は一人三分程度の持ち時間で絶え間なく相手をしてここで二時間を過ごした。
「基礎的な動きはほぼ身に付いたようだな。これならそろそろ本格的に俺が指導してもついて来られるだろう。」
「本当か!?」
ジャンは相当努力しているようで、初歩的な剣技はこの短期間でしっかり取得していた。
「ああ。対人戦と魔物戦では戦い方が異なるから、ここから先は俺と実戦を繰り返すのが一番だ。良く頑張ったな、ジャン。」
俺がそう言って頭を撫でるのではなく肩を叩くと、年相応の顔で破顔してジャンは喜んだ。
同級生の元に駆けて行くジャンの背中を見送り、俺はその場から離れてティトレイと話す。
「ではジャン・マルセルは予定通りこれで退学ですか?」
「ああ、手続きを頼む。同年代の友人も数多く出来たようで残念だが、ジャンとの約束を果たすのに俺の方にあまり時間が取れないんだ。」
「でしょうね…そう言えば先輩、士官学校の訓練プログラムの変更はいつ頃になりそうですか?上からできれば聞いておいて欲しいと頼まれたんですが。」
「そうだな…半年は先になると思う。素案は既に出来上がっているが、今は各町村に対魔物訓練を終了した守備兵を、順次派遣するので手一杯だからな。学校側への負担がなるべくかからないよう、熟慮していると伝えておいてくれ。」
「わかりました。」
そんな仕事にも関わる会話を交わし、ティトレイと別れて士官学校を後にする。
俺は今、自分の人生が今後どうなるかの瀬戸際にいて、様々な悩みと問題を抱えているが、それでも自分がした約束だけはなんとかしたいと思っていた。
――せめてジャンが守護者見習いとして魔物と戦えるぐらいにしてやれないと、約束を果たせたとは言えないだろうな。
魔物駆除協会の方は、エヴァンニュの魔物状況が変化したことに対して既に色々と変更されており、価格は落ちるが資格を取る前の民間人でも魔物の素材が売れるようになった。
このことで守護者ではなくても積極的に魔物と戦おうとする人間が増え、低ランクの弱い魔物は資格持ちが狩らなくても良くなっている。
その上で経験を積み、これなら守護者になれる、と判断した民間人が正守護者となってくれるのを促す狙いもあるのだろう。
圧倒的に時間が足りんな。…どこまでできるかはわからないが、やれるだけやってみるしかない。
きちんと通りへ出る前にフードを被り、近衛服が見えないようにキッチリ外套で隠してから外へ出たのだが、士官学校の門を出て下町に向かい歩き出したところで後ろから誰かに呼び止められた。
「ライ・ラムサスさん!」
良く通るはっきりとした大声で名を呼ばれ、こんなところで誰だ、と舌打ちをする。せっかく目立たないように顔を隠しているのに、名前を叫ばれては意味がない。
人違いだと無視して急ぐことも出来たが、嬉々として呼び止めたその声に俺は聞き覚えがあった。
今の声は…
仕方なく俺は足を止めて振り返る。…思った通りだ。
「――カレン・ビクスウェルト…」
そこには葡萄酒色の髪を緩やかな波形に整え、首にラカルティナン細工のペンダントを提げて、また今日も下町の住人に相応しくない、派手な衣服を着たあの女が立っていた。
「こんなところで会えるなんて嬉しいわ、きっと運命ね!これから下町に戻るところなの、御一緒しても良いかしら。」
俺は挨拶もしていなければ、一言もいいとは言っていないのに、女はまた馴れ馴れしく俺の腕に両手を絡めてきた。
「やめろ、俺に触るな!」
嫌悪感に腹を立てた俺は、女の腕を振り払おうとして声を荒げた。すると女は尚もぎゅっと俺の腕を掴み、意地でも放すものかと言わんばかりにしがみ付く。
そうして次の瞬間、歪んだ笑みを浮かべて言い放った。
「あら、そんな風に私を冷たく遇ったりしていいの?あなたはリーマがどうなっても構わないのかしら。」
「――なに…!?」
女の言葉に俺は凍り付く。リーマがなんだと…?
「ライ・ラムサスさんは御存知かしら?リーマにはね、あなたの他に『バスティス・ヴォール』という男がいるのよ。」
バスティス?…どこかで聞いたような名前だ、どこでだった?
俺はその聞き覚えのある名前に、ほんの一時考える。だが一途に俺を思うあのリーマが、俺と他の男に二股をかけるはずがない。他に男がいるというのはこの女のでまかせに違いなかった。
「バスティスはね、清廉で初心な顔をして男を誑かすリーマにはお似合いの、下品で汚らしくて野卑で粗暴な最低男なの。彼はリーマとアフローネに近付かないように約束させられたんだそうだけど、可哀相にそれでも諦められずに、ずうっとリーマを思っているんですって。健気でしょう?だから私、ちょっとだけお節介を焼いてあげたわ。」
ふふふ、と笑った女の言葉で俺はようやく思い出した。バスティスというのは国際商業市のあの日、王都立公園でリーマを手籠めにしようとして、茂みで服を引き裂いた男のことだ。
「貴様、リーマになにをした!?」
俺は傍を通る人の目にも構わずに、カレン・ビクスウェルトの両手首を両手で強く掴んで詰め寄った。
「まだ私はなにもしていないわよ。ただあなた次第でリーマは、二度と家に帰って来られなくなってしまうかもしれないけれど、ね。」
そう言うと女は俺の手を振りほどき、再び俺の腕にするりとその手を絡めてきた。
「ねえ、リーマが抱けるのなら私だって抱けるでしょう?あなたを愛しているの。身分差があるから正妻になりたいなんて言わないわ、愛人でも良いのよ。そのためならどんなことだってしてみせる。だから私を愛してくれないかしら?ライ・ラムサスさん。」
女は俺を愛していると言いながら、一方的に思いを押しつけて歪んだ笑みを浮かべる。
俺はこの時〝相当執念深い〟と言っていたヨシュアの言葉を思い出し、心底ゾオッとして全身が総毛立った。
――冗談ではない。日頃から言い寄る女共もそうだがこの女と言い、俺には女難の相でもあるのか?
そうして俺にはこのカレンという女が、到底リーマと同じ人種とは思えずに、悪魔か魔女のような醜怪な化け物にしか見えなくなったのだった。
同じ頃、奥宮の豪華な食堂で、国王夫妻は二人きりの昼食を取っていた。
ある程度の料理を食べ終わるとロバム王は給仕に皿を下げさせ、人払いをしてからイサベナ王妃に話がある、と告げた。
今年で五十四歳になるロバム王の十二歳年下である王妃イサベナは、ライの母親である前王妃ベルティナが亡くなった一年後に、二十歳で政略結婚をしコンフォボル王家に嫁いできた。
当初は国のために良き王妃になろうとの志をそれなりに持って妻となったが、前王妃を深く愛していたロバム王には義務的にしか相手をされず、元々甘やかされて育った高位貴族の箱入り娘であったため、周囲になにかにつけ前王妃と比べられるようになり、徐々にその性格を歪ませていった。
そうして嫁いで二年ほどが過ぎた頃、ようやく二人の間に王位継承者第一位となる息子のシャールが生まれたが、イサベナは幼児教育を施すための乳母に子を預けることを拒み、溺愛して甘やかし放題に王子を育てる。
日々公務に忙しくしていたロバム王は、ようやく生まれた王子だというのに、愛情の薄い王妃と王妃の子育てには殆ど関心を持たず、その結果シャール王子は、贅沢で我が儘な救いようのない人間に成長してしまう。
シャール王子が十六になって正式に立太子が可能になると、ここに来てロバム王は王家の決まり通り、イサベナ王妃にエヴァンニュ王家の『掟』について明かした。
それは次期国王となる者を定めるのは王家の血統のみならず、現国王がそれに相応しい者を見定め、国と民を第一に思う人格者を自ら選定するというものだった。
その時点でシャール王子の悪評は既に国民の間でも広まっており、到底相応しくないとして、改心するまで立太子は見送られることになった。
当然だが、王妃イサベナとシャール王子は烈火の如く怒り、猛反発した。
国王ロバムはそれなりに王妃イサベナを妻として見ており、自分の血を引くシャール王子にも息子に対しての情は持っていたが、己の愛情如何に関わらず、エヴァンニュという大国の王家に嫁いだ責を忘れ、王族であることに胡座をかき、贅沢をして好きなように暮らす母と子を疾うに見限っていた。
もちろんそこに至るまでロバム王がなにもしなかったわけでなく、王妃と王子を相手に紆余曲折あったのだが、いくら叱っても息子は自分しかおらず、王位を継ぐのは決まっているとばかりに父親の言うことに耳を貸さないシャールに呆れ、遂にはなにも言わなくなっていたのだった。
それでも息子は自分しかいないのだと豪語するシャールに、母親であるイサベナの前でロバム王は、長い間行方不明になっていたライが見つかったことを告げた。
その瞬間、イサベナ王妃の顔色が変わったのは言うまでもない。
前王妃ベルティナのことも、自分の他に息子がいたことも知らなかったシャールは、酷い癇癪を起こして暴れ、一月もの間山吹の宮殿に監禁されることとなった。
ライはこのことを全く知らされていないが、ライがエヴァンニュ王国に来る直前、コンフォボル王家ではそんなことが起きていたのだった。
「なんでしょう?陛下。この後貴婦人会の茶会がございますの。手短にお願いしますわ。」
イサベナ王妃は普段通りに澄ました顔でロバム王を見る。
王妃はエヴァンニュ王国に最も多い茶髪に煌橙色の瞳を持ち、外見に資金を注ぎ込んでいるだけあって、まだ三十代前半ぐらいに見える。
我が儘で自分本位な性格が滲み出ているせいか、少し吊り上がった狐目をしており、普段から他人を訝しむような視線で見るため、磨かれた美しい肌と美人の部類に入るせっかくの顔立ちを台無しにしている。
王族なのだからある程度は当然だが、それでも贅沢すぎる煌びやかで高価な宝飾品を常に身に着け、今現在はほぼ毎日のように貴族の婦女を城へ招いて茶会を開いていた。
「また茶会か。ある程度の社交は必要だが、そなたの場合は金を使い過ぎる。毎度毎度高価な土産を用意したり、食べ切れもせぬ菓子を大量に注文したりと、いい加減にせよ。それらはみな民の血税で賄われているのだぞ。」
「これは私の王妃としての務めです。貴族と交流を持つのは城に居ながらにして世俗を知るのに必要なことですわ。それよりお話というのをお聞かせくださいませ。」
ロバム王は溜息を吐いて本題に入った。
「三日後、隣国のペルラ王女が我が国次代の王妃となるために、花嫁修業を兼ねてやって来る。」
「まあ!それではかねてより同盟を深めようと、陛下が打診していたお話が整ったのですわね。嬉しいですわ、きっとシャールも喜ぶでしょう。王女殿下は各国からの求婚が殺到するほどそれは美しい才女だとの噂ですもの。」
一瞬で上機嫌になったイサベナ王妃は、急いでシャールを戦地から呼び戻さなくては、と早合点して席を立とうとした。
「最後まで話を聞け。誰がサヴァン王家の至宝を愚息にやると言った?ペルラ王女が嫁ぐ相手はライだ。シャールではない。」
「…それはどう言うことですの!?現在第一王子として世に認められているのはシャールだけです!未だ王族であることを拒み、陛下を父親だと認めないライ・ラムサスは一介の軍人に過ぎず、コンフォボル王家の人間ではありません!!」
二国間の同盟を深めるのが目的であるのに、王族でない人間と婚姻を結び、尚且つ次代の王妃になるなど、そんな話が罷り通るはずがない、とイサベナ王妃は激怒した。
「先日シェナハーン王国を継いだシグルド王からは、王女を我が国に欲しいと打診した時点で、シャールが相手なら縁談は断ると最初に告げられておる。なぜだかその理由がわかるか?イサベナ。我が国だけでなく、フェリューテラ諸々の諸外国でも、あれの醜聞が知れ渡っているからだ。」
「そ…それは噂に過ぎません、シャールはまだ二十歳なのですよ?若気の至りで羽目を外すことなど幾らでもあります。むしろそんな噂を鵜呑みにするような国には、父王として遺憾の意を表するべきでしょう。」
ロバム王は頭痛を起こし額に手を当てると、首を左右に振りながら王妃に聞こえる大きな溜息を吐いた。
「どこまでも愚かとしか言いようのない母親だな。成人した王族の失態を未だ若気の至りだと庇うとは…王子の教育をそなたに任せたのがそもそもの間違いだ。」
「陛下…!」
カッとなったイサベナ王妃は顔を紅潮させる。
「――イサベナ、そなたはまだ諦めておらぬようだが、この場ではっきり申しておく。王位はシャールではなくライに継がせる。その旨遺言も既に認めた。」
ロバム王は今後の予定として来週にはライとペルラ王女の婚約を公にし、王女の花嫁修業が終わり次第、国民にはライが真の第一王子であることを知らせて、立太子式と同時に結婚式を行うつもりだと告げる。
「お待ちください、それでは話が違います!陛下はシャールにも王位継承の資格があると仰り、コンフォボル王家の慣例として命の危険があるミレトスラハに送ったのではないのですか!?今も戦地にいるあの子はどうなるのです…!」
イサベナ王妃は目を吊り上がらせ、真っ赤になりながら尚も食い下がった。
「そのシャールはそもそも、戦地でなにをしておる?そなたは私がなにも知らぬと思うてか。せめてあれが王族としての義務を果たし、王命に従って誠心誠意務めれば一考しないでもなかったが、戦場では配下の三大将軍に全ての采配を任せきりで己は女遊びに興じ、湯水の如く軍資金も使い果たしているという。父の怒りで廃嫡されぬだけ温情だと思うがな。」
「シャールは我が子ですよ!?」
「我が子だからこそ呆れて物が言えぬのだ!!コンフォボル王家には何代かに一度の割合で愚子が生まれると言い伝えられておったが、よもやそれが成人しても遊び呆ける我が息子とは、情けの無さを通り越し嘆く他ならぬ!!」
怒りのあまりにロバム王は、ダンッと右の拳でテーブルを叩いた。
「良いかイサベナ。そなたは未だライを嫡子として認めず、なにやら影でこそこそと良からぬことも企んでいるようだが、王たる私の決定に従えぬのなら今後は離縁も辞さぬぞ。」
「そんな…ご冗談はお止め下さい!」
「冗談で済めば良いがな。そなたの行いが息子の未来をも定めると心せよ。話はそれだけだ。」
「陛下!!お待ちください、陛下…!!」
ロバム王は膝上にかけていた布を、テーブルに叩き付けるようにして放り投げると、席を立って食堂から出て行く。
その場に残された王妃イサベナは、自分の夫ではなくライに対して憎悪を募らせ唇を噛むと、物凄い形相で憤激した。
「おのれライ・ラムサス…貴様さえおらねば、この国はいずれ我が子シャールのものとなったであろうに…許さぬ、許さぬぞ!!」
正式に王太子となる前に、必ず殺してやる。王妃イサベナは全身から立ち昇るような真っ黒い憎悪を燃やし、そう心に誓うのだった。
*
「つまらないなあ…トゥレン兄さん、もう明日帰っちゃうんだ。」
トゥレンと同じ栗毛に同じ黄緑色の瞳をした少年『マキュアス』は、遊技板の前でうつ伏せになり、頬杖を付いて小さな駒を動かしながら口を尖らせた。
ここはプロバビリテにあるパスカム家の二階で、トゥレンの自室だ。軍人となって家を出てからも室内は変わらず、トゥレンがいつ帰って来ても良いように寝台や家具は全てそのままになっている。
その自室に敷かれた、毛足の長いふかふかの絨毯の上で、トゥレンはトゥレンの弟マキュアスの遊びに付き合い遊技をしていた。
「残念に思ってくれるのは嬉しいが、不謹慎だぞ。今回はアリアンナの葬儀に出るために帰って来ただけなんだからな。ほい、上がり。」
「えっ嘘!あーん、もう一回〜!!」
遊技に負けたマキュアスが手足をバタバタさせて悔しがり駄々を捏ねると、トゥレンは困り顔をして弟の頭を撫でた。
「勘弁してくれマック。午後には少しイーヴの様子を見に行って来たいんだよ。俺だけ先に王都へ帰らなければならないから、もう今日しか時間がないんだ。」
「ぶ〜…しょうがないなあ、わかったよ。イーヴさんに兄さんを貸してあげるかあ。」
「貸してあげるって…まあいい、そうしてくれ。」
俺は物か?とトゥレンは苦笑する。
立ち上がって外出用の衣服に着替えようと衣装箱に近付いたところで、窓の外のなにかに気付いたマキュアスが声を上げる。
「兄さん見て!窓のところ!変わった鳥が硝子を突っついてるよ!!」
その声にトゥレンが窓を見ると、頭から翼、そして尾までが瑠璃色で顔半分が茶褐色、胸の辺りに同じ瑠璃色の帯があり、腹側が真っ白い見慣れない野鳥がコンコン、コンコン、と何度も嘴で硝子を突いていた。
「ああ、あの鳥は『燕』と言うんだ、マック。遠い異国の鳥なんだよ。」
「へええ、そうなの?可愛いなあ。」
「さあ、そろそろ支度をするから兄さんを解放してくれ。」
「はーい。夜にまた遊んでね!」
「わかったわかった。」
マキュアスはパタパタと足音を立ててトゥレンの部屋から出て行った。
弟が出たのを確認するとトゥレンは、窓の外にちょこんと立つ『燕』に視線を移し、そこに近付いて両開きの窓を開けた。
燕はチュピチュピチュピッと鳴きながら室内に入り、トゥレンの頭上でくるくる回るとポンッと音を立てて煙に巻かれ、封筒に入った手紙に変化する。
トゥレンは無表情で落ちて来たそれを受け取ると、すぐに封を切って読み始めた。
「――ライ様はお変わりなし、か。…確かにこれは便利だな。」
そんな独り言を呟き苦笑する。トゥレンがこれを受け取るのは二回目だ。プロバビリテに帰郷した初日を除いて昨日、今日、と二日間、トゥレンの元に直接届いた。
トゥレンが手紙を読み終わると、それは手元で再び燕に変化する。
「予定通り明日、俺は王都に戻る。夜自室に来い、シカリウス。」
トゥレンの言葉を記憶したと返事をするかのように再び囀り、燕はトゥレンの手から飛び立って開いた窓から外に出て行った。
服を着替えたトゥレンは自宅を出てパスカム家の門から通りに出ると、敷地を囲む塀に沿って歩道を歩きながら隣接するウェルゼン家へ向かう。
パスカム家とウェルゼン家は古くから続く貴族の名家で、プロバビリテでも有数の広大な土地を所有しており、隣家と言ってもその屋敷は歩けば軽く三十分はかかる距離にあった。
ウェルゼン家の門で呼び鈴を鳴らし、トゥレンがイーヴに会いに来たことを告げると、金属製の大きな門扉が勝手に開いて行く。
イーヴやトゥレンの実家のような大きな家ともなると、魔石駆動機器が贅沢に使われ、こんな風に自動で扉が開くようにもなっている。
ウェルゼン家の敷地に入ったトゥレンは、美しく整えられたアプローチを通り、正面の階段を上がって屋敷の扉を開けた。
「アルベイン叔父さん、ロザーナ叔母さん?」
エントランスにはイーヴの両親が待っており、トゥレンを見るなり足早に近付いて来る。ただでさえアリアンナの死で憔悴しきっていたのに、その表情は固く強張っており、一目でなにかあったのだとトゥレンは理解した。
「トゥレン、よく来てくれた。昨日はイーヴがすまなかったね。」
「いえ、俺の方こそ申し訳ありません、イーヴを殴ってしまいました。少しは落ち着いた頃かと思い、謝罪を兼ねて会いに来たのですが…イーヴは部屋ですか?」
そこでトゥレンはイーヴが昨日教会で言い出した廃嫡が決まり、気付いたらイーヴの自室は綺麗に私物が片付けられ、置き手紙を残してイーヴが消えてしまったことを知る。
「イーヴがいなくなった…?あの後廃嫡の申し出を受け入れられたのですか!?なぜです、叔父さん!!」
「トゥレン、もちろん私達も初めは強く反対した。アリアンナのことでどのような噂を立てられたとしても、家の力でそんなものはどうとでもできると言ってね。だがイーヴは…」
「――あの子、私達と出会った時には失っていた記憶を、いつの間にか思い出していたの。…実の両親のことがどうしても忘れられないのですって。私達に感謝はしていても、自分の父母は亡くなったご両親だけだと…」
「そうまで言われてしまっては、もう引き止めることはできなかったのだ。私達はイーヴの本当の親にはなれなかったのだよ、トゥレン。」
「そんな――」
しくしくと涙するイーヴの母と、肩を落として落胆するイーヴの父を見て、トゥレンはもう言葉が出なかった。
――確かにイーヴは両親と妹に対してぎこちなかった。だがそれでも家族として父母を思い、妹を大切にしていたことを自分は知っている。そんなはずはない、とトゥレンは強く思った。
もしやイーヴは、もっとずっと以前から、いずれはこうすると決めていたのではないだろうか?アリアンナのことは一つの切っ掛けに過ぎず、悲しむ両親に追い打ちをかけ、廃嫡に同意せざるを得ない状況に追い込んだのでは…?
≪イーヴ、おまえはなにを考えている…?≫
「叔父さん叔母さん、俺はイーヴがウェルゼン家の実子でないことを、アリアンナに聞くまで知りませんでした。イーヴは戸籍上も実の子として届けが出されていましたよね?」
「表向きはな。貴族の家では良くあることだ。だが詳細に調べれば養子であることはわかってしまう。」
≪――つまり国と貴族管理院の了承は得ていたと言うことか。≫
貴族管理院というのはこの国の行政機関の一つで、民間人と分け、主に貴族に関わる国の役所仕事を一括して担う組織のことだ。
その仕事は税金の徴収から戸籍の管理まで多岐に渡り、この組織があることで貴族の脱税や不正を、片方では王族による一方的な財産の搾取などを防いでいる。
「アルベイン叔父さん、教えてください。お二人はいつ、どこでイーヴと出会い、彼を引き取って養子にすることになったのですか?」
「それは…」
アルベインとロザーナは口をつぐみ、互いに顔を見合わせる。
「――すまない、トゥレン。私とロザーナはイーヴのために、決して当時のことを誰にも口外しないと神に誓ったのだ。アリアンナにもそのことは話していない。」
私達の口から話すことは出来ない。イーヴから直接聞いて欲しい。イーヴの両親はそう言って頑なに事情を話そうとはしなかった。
その後イーヴの両親から置き手紙を見せられたトゥレンは、休暇が明ければ王都に戻ると認められていたため、いなくなったイーヴを探すことはせず家に帰った。
パスカム家の庭の芝生に寝転がり、昨日とは打って変わって晴れた穏やかな空を見上げながらトゥレンは、結局自分はイーヴが口にした通り、何一つ本当のイーヴのことを知らなかったのでは、と改めて胸を痛めるのだった。
次回仕上がり次第アップします。