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Eternity~銀髪の守護者ルーファス~  作者: カルダスレス
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134 罠

屍鬼の媒体らしき血痕を見つけ、それを浄化しようとしたルーファスの前に、カオス第六柱を名乗るザインという男が現れました。屍鬼がこんな場所に五体もいるのはカオスのせいか、と思ったルーファスでしたが、それを否定するザインと戦闘になります。一方、妹のアリアンナを目の前で失ったイーヴは、その葬儀に参列し、墓地に埋められるアリアンナに最後の別れをしますが…?

           【 第百三十四話 罠 】



 カオス第六柱(ヘキサゾイレ)愚者(ヴラカス)』のザイン――


 灰色の靄を纏う男に、やっぱりそうか、と思った。


「カオス…ここに屍鬼を生み出したのはおまえなのか?」


 カオスが関わっていたのなら合点が行く。五体の屍鬼と大量のアンデッドを使って、この辺り一帯を襲わせる計画だったのかもしれない。


 そう推測した俺だったが、この黒熊男はあっけらかんとして否定した。


「いいや?それは濡れ衣だ。少なくとも我はこのような面倒な真似はせん。」

「とぼけるのか…それならなぜ俺が血痕を浄化しようとしたのに邪魔した?ここに染み込んだ血液があの屍鬼の媒体なんだろう。」


 ザインと名乗った男は、答える義理はないが、と前置きしてやけに勿体ぶりながら答えた。


「媒体についてはその通りだと言っておこう。エクネ、サリ、バンバ、タロ、ファガ。これが屍鬼共の生前の名だが、此奴らは暗黒神ディース様の配下となるを定められた人族でな、我はただ()()()()()()()だ。」

「どう言う意味だ…?」


 ザインはクイッと右手首を捻るように動かすと、なんらかの術でこの空洞の地面にあった黒い染みを全て吸い上げた。


「なにをする!?その血痕は…!!」


 吸い上げられた血液は黒から鮮やかな紅に変化して、スライムのように一旦空中で纏まると、男が取り出した五つの器に分けられて封じ込められた。


「案じているのはここから屍鬼共を放たれることであろう?此奴らは我らが居城にて今暫くは飼い慣らすから安心せよ。」

「な…ふざけるな!!不幸にしてこんな場所で亡くなった人達を、暗黒神の配下に置くなんて許せるか!!」


 カッとなってそう言った俺に、ザインは侮蔑の混じった冷ややかな視線を向けた。


「不幸にして、か…一つ教えてやろう。此奴らは暗殺を生業としており、ここで標的を殺そうとして返り討ちに遭ったのだ。それでも貴様は不死化から浄化してやりたいと思うのか?」

「なに?」


 ――暗殺を生業…返り討ちに遭った?…それでこんな不自然な場所で五人も亡くなっていたのか。


 それはともかくとして、このカオスはなぜわざわざそんなことを教える?なにを企んでいるんだ。


 俺は不審に思いさらに警戒を強めた。


「亡くなった理由や生前になにをしていたかは関係ない。たとえ本当におまえが彼らを不死化させたのではなかったとしても、俺の浄化を邪魔してまで使役しようと言うのなら同じことだろう。おまえ達カオスの行いは、この世界の正常な生命の巡りと死者を冒涜するものだ!」

「ふ…世の理から()()()()()()()()である貴様がなにを言う。」


 嘲るように笑ったザインは、器に封印した屍鬼の血液をどこかに消すと、左手に巨大な三日月形の(サイス)を出現させた。


「暫し手合わせ願おうか。守護七聖主(マスタリオン)の実力、如何程か見せて貰うぞ。」


 ――来る!!


 ヒュンッと刃先が空を斬る音がして、ザインが大きく横に(サイス)を振ると、紫色に光る三つの斬撃が俺目掛けて高速で飛んで来る。


「ディフェンド・ウォール!!」


 キィンキンキンッ…ズガカカッ


 俺は左手で瞬間詠唱(スティグミ・リア)を使い防護魔法をかけてその攻撃を防ぐと、シュテルクストの秘められた力を解放して、素早く十字を切るように初撃を放った。


「光よ、剣に宿りて暗黒の従者を打ち払う力となれ!!『ウィスゴスペル・スタウロス』!!」


 ウンディーネから貰った精霊剣シュテルクストは、素材に各大精霊(風の大精霊を除いて)が提供してくれた身体の一部を使って作られている。

 それはフェリューテラに存在する数多の元素を集め、意図した属性の力を強力な魔法剣技に変換してくれるのだ。


 俺の放った光る十字の剣撃が、残像の尾を伴いながらザインに襲いかかる。光属性が弱点の魔物であれば、変異体であってもかなりの損傷を与えられる威力の攻撃だ。

 だがザインは正面に灰色の靄を纏う暗黒の大楯を出現させると、それで難なく俺の攻撃を防いだ。


「漆黒の盾よ!『ダークシールド』!!」


 ガガガガガッ


 かなりの衝撃にも関わらず、その場から押されることもなく耐えきる。


 初めから今の攻撃がまともに通じるとは思っていない。相手はカオスだ、裏の裏をかいて徹底的に攻めなければ碌に当たりもしないだろう。

 俺は盾がザインの視界を塞いでいる間に、スキル『縮地』を使って間合いを詰め、それが消える前に素早くザインの背後へ回り込んだ。

 頑丈そうな鎧に包まれているが、精霊剣シュテルクストなら装甲を無視して直接身体に痛手を与えられる。


 黒い巨大な熊のような背中に向け、俺は渾身の力を込めて下から切り上げるように一撃を放った。

 だがそれも読まれて、ザインはひらりと身を飜す。


 これも読まれたか、それでも避けられるのは想定内だ!!


「甘い、逃がすか!!」


 俺は剣の刀身でただ切ったように見せかけておいて、その影で隠形魔技(コンシールスキル)を使い、左手で『ルスヴェロス・ウェッジ』を放った。


 十本の光の矢が高速でザインを追尾し、その身体に突き刺さる。


 ズドドドドッ


 ――が、次の瞬間、その場に漆黒の外衣だけを残してザインが消えた。


 これも躱された!?


「甘いのはどちらだろうな?」


 背後から聞こえたその声にハッとして身を飜し、俺は瞬時にディフェンド・ウォールを盾型に変化させて身を守った。


 ガガッ


 ザインの(サイス)が紫紺の残像を描いて斜めに動くと、ディフェンド・ウォールにズンッという重い衝撃が来て、次にその刃がくるりと反転し、今度は袈裟斬りに襲いかかって来た。


 パアンッ


 それを防いだ直後に、俺のディフェンド・ウォールは硝子のように砕け散った。

その機を狙って三度目のザインの攻撃が来る。

 避けるのも再度ディフェンド・ウォールを使うのも悪手だと判断した俺は、防御ではなく攻勢に転じる。


「『ソルゼルザール・タンブリング』!!」


 グオッ


「ぬおぉっ!?」


 ザインが(サイス)を振るために、重心を置いて踏ん張っていた足元の地面を、地属性魔法で上下に大きく揺らす。


 ズゴゴンゴンッ


 波打つように動く地面で均衡を崩して蹌踉けた隙に、俺は敵の頭上から一定の範囲に降り注ぐ、光属性の攻撃魔法を使った。


「貫け、『ラディウス』!!」


 魔法陣から出現した真っ白い複数の光線が、様々に角度を変えてザインの大きな身体を貫くように上から下へと突き抜ける。

 そこを狙い、俺は再びシュテルクストの力を解放して、今度は刀身を太く長く変形させると、正面からザインの身体に突き刺した。


「…!?」


 手応えがない!?


 シュテルクストの刀身は確かにザインの身体を貫いているのに、俺の手にはその感触が一切なかった。

 直後にザインの姿は煙のように崩れて消える。


 ――幻影!!


 ゾワッ


 そうして今度は一切の声を発しなかったが、再び背後にあの悍ましい気配を感じて、俺は振り返らずに隠形魔技(コンシールスキル)瞬間詠唱(スティグミ・リア)で『ディフェンド・ウォール・リフレクト』を唱えた。


 ザインの攻撃が来る寸前に、ディフェンド・ウォールの磨り硝子のような障壁が

穹窿形に俺を包んだ。


 ガキインッバチバチバチッドガガンッ


「ぬうっ…ぐおおっ!!」


 俺が幻影に気を取られている隙に背後へ回り込んだザインは、振り下ろした(サイス)の攻撃が全て反射されると、その衝撃を受けて踏ん張りながら後退った。


 ズザザザザッ


 ――これが体重の軽い第七柱(ヘプタゾイレ)のシェイディだったなら、後方の壁に叩き付けられるほど吹っ飛んだことだろう。

 それが自身の攻撃威力と反射に耐え切るとは、第六柱(ヘキサゾイレ)は身体も相当頑丈らしい。


 互いにハア、ハア、と肩が揺れ、冷気の中で白く吐き出される息の大きさも増す。


「やるな…それで過去の記憶を失い、かつての力がまだ三分の一も戻っていない状態だとは。アクリュースの特殊能力がなければ、シェイディは消滅していたであろうな。」


 ディフェンド・ウォールの反射を喰らっても平然としているくせに、なにを言う。そう思ったが、直後にザインはがくんと膝を折った。


「…!」


 倒れ伏しこそしなかったが、(サイス)の長い柄を支えに、蹌踉けながら辛うじて立っているように見える。


 ザインは敗北を認めたかのように笑みを浮かべた。


「どうした?止めを刺さぬのか?」

「……」


 カオスがたったあれだけの攻撃で、そこまで弱るものか…!


「その手には乗らない、奪った屍鬼の媒体を返せ!どこにやった?」

「無駄だ、既にあれは暗黒神ディース様のものだ。言ったであろう、我はただ迎えに来ただけだと。それに貴様は気付いていないようだが、そこの血痕は残らず回収されても、暫く経つとまた浮き出てくる類いのものだ。屠った者は相当同族を殺し慣れた人族だったようだな。」

「…!?」


 屍鬼と化した人達は暗殺を生業としていたと言った。それに失敗し返り討ちに遭ったのだと…つまりこの男は、殺された方も殺した方も、どちらも同じ人殺しだったと言いたいのか?


 そこには不死化しても当然だとでも言うかのような、人間への貶んだ感情が読み取れて、俺は酷く不快な気分になる。


「既に死んだ者の心配をするより、他に気にすることがあるのではないか?我が貴様に倒されるかここを離れるかせねば、仲間と対峙している屍鬼は消えぬぞ?そろそろ限界だと思うがな。」

「!!」


 言われた通り、浄化出来ない屍鬼を相手に、ただ足止めしているだけのウェンリー達は、俺がもたつけばその分不利になる。

 ザインの出現で時間を取られ、三人が戦っている時間はもうかなり経っていた。


 ウェンリー、シルヴァン…リヴ!!


 俺が地図上の三人を示す黄緑色の信号を確かめ、ウェンリー達が戦っている空洞の方向に気を取られると、ザインはその隙に素早く動いて、落ちていた外衣を拾い逃走を図った。


 しまった、やっぱり膝を折ったのは演技だったか!!


「待て、ザイン!」


 ハッとして振り返った俺の前で、ザインは(サイス)を使い空間を縦に切り裂くと、真っ黒い裂け目を出現させ、身体を半分突っ込んだ態勢で振り返った。


「ここで()()()()()()代わりに良いことを教えよう。あの恐るべき邪神アクリュースは、己と共通の〝異能〟を持ち、過去なんらかの形で接触があった者に『シンヴォレオ』という隠形印(スティグマ)を刻む。それは刻まれた者の力を複製し行使する許可を与える、ある種の契約魔法だ。貴様の過去に身に覚えがないか、今一度失われた記憶の中を探すことだな。」

「え…――」


 キュウンッ


「あっ!!」


 そう告げたザインが真っ黒い裂け目に逃げ込むと、それは瞬時に閉じて完全に消えてしまう。

 そうして俺は、最後にアクリュースに関する予想外の情報を与えられ、屍鬼の媒体を奪われたまま、まんまとザインに逃げられてしまったのだった。


「くっ逃げられた…!なにが見逃して貰う代わりに、だ。まるで俺が絆されたみたいな言い方をするな…!」


 カオス第六柱(ヘキサゾイレ)愚者(ヴラカス)』のザイン…俺にアクリュースの情報を与えるなんて、なにを考えているんだ?


 ――いや、カオスの言うことをそのまま信じるわけにはいかない。考えるのも調べるのも、シルヴァン達に相談してからだ。


 俺は疑問を振り払うように頭を動かすと、もう一つザインが言い残したことを確かめるように足元を見た。

 すると、じわりじわりとあの黒い染みが、再び湧き出るように広がり始める。


 血痕が元に…!


 これは…どうなっているんだ?媒体となった血液はザインが持ち去ったのに、なぜ消えずにまた湧き出てくる?


 地図上の屍鬼を指していた赤い点滅信号は既に消え、ウェンリー達三人は俺と合流すべくもうすぐ近くまで来ていた。

 俺はしゃがんで、もう一度真眼で湧き出た染みを手に取って調べると、さっきと同じように人の血液だという結果が出た。


「――やっぱり人の血液なのか…」


 この黒い染みを解析魔法(アナライズ)で調べても、呪術や暗黒魔法の痕跡はなかった。だからこれ自体には何の仕掛けもないことはわかっている。他に可能性として上げられるのは…?


「この場所全体になにか隠されているのかもしれないな。――念のために効果消去魔法(ディスペル)を使用してみるか。」


 俺は立ち上がるとその場で、自分を中心にこの空間全体に行き渡るよう『ディスペル』を唱えた。


「秘されし効果を打ち消せ、『ディスペル』!」


 白い魔法陣が光る右手を翳して前に突き出し、上下左右360度全てに魔力を行き渡らせる。

 するとすぐに反応があって、ディスペルで消された設置魔法の魔法陣が、パン、パリン、パンッと、次々に弾けるような音を立て始めた。


「いったい幾つかけられているんだ…?」


 予想外の反応に〝なにかおかしい〟と首を捻る。俺がよくよく調べなければ発覚しないような、入念な魔法の施し方に違和感を感じたからだ。


「これで全部か…今度こそ血痕も消えたみたいだ、良かった。」


 仕掛けられていた全ての魔法効果をディスペルで消去し終わり、地面の黒い染みが全て消え、あの凍えるような冷気も和らいだ、その時だ。


 ズンッ


 ――下から突き上げるような衝撃と共に俺の身体が揺れ、足元で灰色と金色の二色に輝く巨大な魔法陣が展開されて行く。


「時と空属性の魔法陣!?」


 これは罠か!…まずい!!


 そう思った時にはもう遅かった。この魔法陣は全域に余すことなく広がっていて、これから逃れるにはディスペルを唱えて消去するか、外へ出て通路へ逃げ込むしか方法がない。

 だが既に魔法は発動状態に入っていて、それは到底間に合いそうになかった。


「ルーファス!?」


 タイミングの悪いことに、ここで通路にウェンリーを先頭にして走ってくるシルヴァン達三人の姿が見えた。


「来るな!!罠だ、巻き込まれる!!」

「「!!」」


 俺の叫んだ声に、シルヴァンとリヴは瞬時に反応して足を止める。守護七聖<セプテム・ガーディアン>として俺と一緒に長く戦って来た二人は、その経験から俺の警告には即従うよう身体に叩き込まれているからだ。…が、ウェンリーは止まることなく俺に手を伸ばして、躊躇わずに尚も駆けて来た。


「ウェンリー!!」

「ルーファス!!」


 カッ…


 そうして眩い閃光に包まれ、俺とウェンリーは()()()()()()飛ばされてしまったのだった。




               * * *


 ――カラーン、カラーン、とプロバビリテの墓地に教会の鐘の音が響く。


 ウェルゼン家の愛娘、『アリアンナティア・ウェルゼン』が王城で亡くなった時と同じように、その日も朝から細かな雨がシトシトと地面に降り注いでいた。


 エヴァンニュ王国では多くの国民が祈りを捧げている、守護女神パーラを信仰するウェルゼン夫妻は、プロバビリテの教会から聖職者を呼んで、悲しみの中、十八という若さで天に召された娘の葬儀を行った。


 たくさんの友人知人から贈られた、白いフューネラルの花(葬儀に用いられる鎮魂花(ちんこんか))が一本、また一本、と参列者の手で柩の中に納められて行く。

 頭から地面に打ち付けられたアリアンナの顔には、白いヴェールが被せられており、永遠の眠りについたその顔を参列者は誰も見ることが出来なかった。


 涙ながらに別れを告げる妹の友人達には目もくれず、見えないその顔を見つめながら傍らに立つイーヴは、無邪気に腕に絡みつく生前のアリアンナを思い出していた。


 ――『イーヴ兄さま。』


 自分を呼ぶアリアンナの声が今にもどこからか聞こえて来そうな気がして、イーヴは静かに目を閉じる。

 降り注ぐ小雨に傘も差さずに立っていたイーヴの前髪からは、雫が垂れて涙のように頬を伝い流れていた。

 だがイーヴが泣いたのはあの一度きりだった。アリアンナを失ったあの日、トゥレンが自分の事情を知りながらアリアンナを連れてきたのだと知ったイーヴは、ライの前で酷く動揺して泣きながらトゥレンを責めた。


 それ以降イーヴは、自分にはアリアンナを思って泣く資格はない、と自責の念を抱き、二度と涙を見せることはなかった。


 参列者の最後の別れが済み、蓋を釘で打たれ閉ざされた柩は、土に深く掘られた穴へとゆっくり慎重に降ろされて行く。次に積み上げられた土山を数人の男手で崩し、柩の上に大きな匙具でそれをかけて行った。

 アリアンナの亡骸が納められた柩はあっという間に土に埋もれてしまい、完全に見えなくなる。この後は墓地の管理者が整え、やがて地面は押し固められて平らになり、その上には新たに種を撒かれたフューネラルの花が咲くのだ。


 葬儀が終わり参列者が各々引き上げて行く中、イーヴは暫くの間アリアンナの名前が刻まれた墓碑を見て、ただじっと墓前に立ち尽くしていた。

 イーヴの傍には誰もおらず、家族を失った悲しみを分かち合うはずの両親も、今は酷く打ちひしがれていて、息子を思いやる余裕はない。

 アリアンナが亡くなった後イーヴの両親の側には、アリアンナの見合い相手であったミングス・ログフォートという名の青年がずっと付き添っていた。

 イーヴの両親は余程あの青年を気に入っているようで、それはある決心をしたイーヴにとっても色々と都合の良いことだった。


「アリアンナ…」


 その心に様々な思いを抱え、イーヴは小さくアリアンナの名前を呟く。自分がここに来るのは、これが()()()()固く誓って。


 ――パシャン、とイーヴのすぐ後ろから水溜まりを踏む足音がした。その気配が誰のものなのかイーヴは既に知っている。


「…風邪を引く、イーヴ。」


 雨に濡れていたイーヴに、喪服姿のトゥレンが背後から自分の傘を翳した。イーヴは無言でトゥレンに向き直って一瞥すると、そのまま黙って墓地の出口に向かい歩き出した。

 トゥレンは傘をさしかけたまま、横に並んでイーヴと一緒に歩き出す。


 葬儀の間トゥレンはイーヴの側には近寄らず、パスカム家の両親とも離れた席の端でただ悲しそうにイーヴの後ろ姿を見ていた。

 イーヴはそのトゥレンに気が付いていたが、一言も言葉を交わすことなくアリアンナの葬儀は終わり、一人墓前に残っていたイーヴを心配してトゥレンは声をかけたのだった。


 暫く黙り込んでいた二人だったが、やがてイーヴの方から口を開いた。


「…ゼライン叔父さん達は帰られたのか?」

「ああ、いや…まだどこかにはいるだろうが、俺は別行動だからわからん。マックが家で留守番をしていて早めに帰るとは思うが…」

「…そうか。」


 そこで会話が途切れ、またすぐに互いに無口になってしまう。


 二人の間は見えない壁に隔たれ、そこには沈黙を伴う気まずい空気が流れていた。


 トゥレンは自分の方を見ようともしないイーヴに、暗い顔をして一度目を伏せると、あの日のようにまた責められるのを覚悟して「すまなかった。」と静かに謝罪をする。

 ところがイーヴはすぐに「おまえのせいではない。」と、あの日の言葉を否定する返事をした。


「だが俺が余計なことをしなければこんなことには――」

「それについては否定しないが、それでもおまえのせいでアリアンナは死んだわけではない。…アリアンナを殺したのは、私だ。」

「イーヴ!!滅多なことを言うな、足を滑らせての転落事故だということは、憲兵の調べでも証明されている!おまえが…アリアンナを愛していたおまえが、彼女を殺すはずがないだろう…っ」


 トゥレンは堪らずに足を止め、痛苦に満ちた顔で俯きその言葉を吐き出したが、イーヴはなんの感情も映さない薄茶色の瞳でトゥレンを見て呟いた。


「――そうだな…真実がどうであろうと、その証拠がある以上私が罰せられることはない。」

「…イーヴ?」


 イーヴが踵を返して再び歩き出すと、トゥレンは足早に後を追う。


「この後私は両親のいる控え室に寄って行くが、貴殿も来い。」

「いや、それは邪魔になるのではないか?叔父さんも叔母さんも俺などに構うどころではないだろう。」

「………」


 それきりイーヴは黙り込んでしまい、一緒にいながらトゥレンを見ることもなく墓地を後にし、隣接する教会の建物へ向かう。

 トゥレンはもしかしたら一緒にいて欲しいと頼られているのではないかと思い直し、それ以上なにも言わず、言われたとおりイーヴについて行くことにした。


 教会内に入ると、イーヴは修道女に差し出されたタオルで軽く衣服を拭い、濡れた髪は喪服の物入れから出した自分の手拭きで水気を取った。そうしてトゥレンと一緒に、真っ直ぐ遺族の控え室に向かう。


 その扉の前まで来ると、室内からイーヴの母、ロザーナのすすり泣く声が聞こえてくる。

 イーヴは一度扉を叩こうとした手を躊躇うように止めたが、すぐにコンコン、と二度鳴らして開いた。


「失礼します。」


 イーヴの声とその言葉に、長椅子に腰かけていたイーヴの両親は顔を上げ、離れた椅子に座っていたミングス・ログフォートは立ち上がった。


義兄上(あにうえ)。」


 イーヴをそう呼んだ青年に、トゥレンは怪訝な顔をする。


 アリアンナは亡くなった上、正式に婚約を結んだわけでもなかったのに、いきなりイーヴを『兄』と馴れ馴れしく呼んだことに違和感を覚えたからだ。


 まさかイーヴがそれを許したのか?、とチラリと横目で様子を窺うが、イーヴは淡々とした無表情のままで、帰国した当初のような両親に対するぎこちなさとは違い、まるで他人を見るような目を二人に向けていた。


「イーヴ、君も疲れただろう、少し座って休みなさい。忙しい中よく来てくれたね、トゥレン。ゼライン達は一足先に帰ったが――」


 イーヴの父アルベインの憔悴した顔に、トゥレンは心配していつものように話しかけようとした。ところがその横でイーヴが声を出す。


「父上、母上、お願いがございます。どうか本日限りで私を廃嫡して下さい。」

「な…」

「あ、義兄上!?」

「イーヴ!?」

「イーヴ…!!」


 驚いて立ち上がった瞬間、ロザーナは眩暈を起こしてアルベインに倒れ込む。


「ロザーナ!」

「叔母さん!!」


 慌てたトゥレンはすぐにイーヴの母に駆け寄り、医師として具合を診た。母親が倒れる原因を口にしたにも関わらず、イーヴは無表情で微動だにせず、両親を案じるような素振りも見せなかった。


「どうして…なぜなの?イーヴ…あなたを愛するこの母を捨てるのですか…?」


 アルベインに支えられたロザーナは、枯れ果てた涙を猶も流し、窶れ切った顔で弱々しくイーヴに手を伸ばした。

 アルベインも同様に、酷く衝撃を受けた表情で悲し気にイーヴに問いかける。


「なぜだ、イーヴ。私達は二日前に娘を失った。その悲しみに打ちひしがれているというのに、この上息子までもを失えと言うのか…?」


 トゥレンはその理由を問い質したい思いをぐっと堪え、この場は自分が口を挟むべきではないと、相変わらず感情を失ったかのように表情を変えないイーヴを見た。


「――城の東の塔で、アリアンナが雨に足を滑らせたのは事実ですが、その時私はほんの一瞬、アリアンナに伸ばす手を躊躇いました。」


 イーヴは視線を落とし、神魂の宝珠のことは伏せてただ自分が手を躊躇った、とだけ口にする。


「それがなければ…アリアンナを助けられたかもしれません。」

「イーヴ!!それは仮定の話だ、君の責任ではない!!」

「それでも今回のことで、いずれ王都やプロバビリテの貴族は、ウェルゼン家の長男が実子でないことを知り、後に必ずアリアンナのことであらぬ噂を立てることでしょう。そうなれば私は、王宮近衛副指揮官の地位を追われます。ですからその前に廃嫡をお願いしたいのです。」

「「「!!」」」


 『王宮近衛副指揮官の地位を追われる』


 イーヴのその一言で、トゥレンとアルベイン、ロザーナの三人は凍り付いた。


「…イーヴ…君は私達両親よりも、王宮近衛副指揮官としての地位の方が大切だと言うのかね…?だから親子の縁を切れ、と…」

「――そう思って頂いて構いません。私は元よりあなた方の実の息子ではありませんから。」

「イーヴ、おまえっ!!!」


 あまりの言い草にカッとなったトゥレンが、握り拳でイーヴを殴る。


 ガッ…ダアンッ


 殴られたイーヴは、入って来た入口の扉に背中を強く打ち付け、それでも両足を踏ん張り、倒れることなく耐え切った。


「信じられん…おまえは本当に俺の知るイーヴ・ウェルゼンか!?俺の幼馴染で親友のイーヴは、不器用でも両親と妹を大切にし、こんな時にそんな言葉で父母を傷付け悲しませるような男ではなかったはずだぞ!!」


 イーヴは口の端に滲んだ血を喪服の袖で拭い、冷ややかな目でトゥレンを睨んだ。


「それは貴殿が勝手に思い描いていた虚像に過ぎん。本当の私のことなど何一つ知らぬくせに、勝手に失望して勝手な理想を押しつけるな…!!」

「なに…っ!?」


 再度イーヴに掴みかかろうとしたトゥレンを、ミングス・ログフォートが止める。


「お止め下さい!!鬼神の双壁と呼ばれるあなた方が、お二人を誰よりも尊敬していたアリアンナ嬢の葬儀で言い争うなど、あんまりです!!アリアンナが可哀相だ…!!」

「…っ!!」


 自分よりも年下のミングスに諫められ我に返ったトゥレンは、腹立たしげにイーヴをキッと睨むと、失礼する、とイーヴの両親に頭を下げて控え室を出て行ってしまう。


 ――その後、残ったイーヴとイーヴの両親が、なにをどう話し合ったのかはわからないが、後日イーヴ・ウェルゼンはウェルゼン家からの廃嫡が決まり、今後一年間は『ウェルゼン』を名乗ることを許され、一月(ひとつき)の猶予の後に正式に脱籍されることとなった。




               ♦ ♦ ♦


 懐かしい夢を見た。俺がまだヘズルの孤児院にいた頃の夢だ。当時俺達の母親代わりだったシスターラナに、レインとマイオス爺さんがいて、ほんの数ヶ月年上だっただけなのに、世話を焼きたがった親友のシンと、二つ年下のマグにさらに二つ下のミリィが笑っている…そんな幸せな夢だ。


 その夢の中で俺は『イティ・エフティヒア』が流れているのを聞いた。


 孤児院の敷地内にある小高い丘には、『精霊木』と呼ばれる大きな木があって、俺はいつもその木のかなり上まで登っていたのだが、夢の中では隣にシンがいて、ボサボサの赤毛に琥珀の瞳を向け、悪戯っぽい笑顔でなにか言っていた。


「大人になってもこれだけは忘れんなよ、ライ。俺達はみんな家族で、俺とおまえは兄弟で親友だ。今は殆ど互角だけど、俺はおまえの兄貴だから、いつかおまえより強くなって、もう二度と攫われたりしねえように、おまえを悪い奴から守ってやるよ。」

「兄貴って、たった数ヶ月だけじゃないか。なに言ってんの?シン。その台詞は剣で俺に勝ってから言ってよね。当分はまだ俺が守ってあげる方なんじゃないの?」

「うるっせえな、いいんだよ!とにかく俺とおまえの約束な。」

「強引だなあ、もう。」


 ――そんなやり取りをして俺は、シンと並んで木の上でヘズルの街を見下ろしながら笑っていた。


 懐かしい…とても懐かしい夢だった。


 早朝寝台で微睡む俺の頭を、ふと誰かが優しく撫でたような気がして、俺は驚き慌てて飛び起きた。


 当然だが部屋の中には俺以外誰もいるわけがない。


 だが不思議なことに、傍の服掛けにかけてあった上着のポケットで、俺のオルゴールが勝手に曲を奏でていた。

 俺はそれに気付き、懐かしい夢を見たのはオルゴール・ペンダントがなにかの拍子に鳴ったせいか、と笑む。

 どうもこの間暗殺者に狙われて以降調子が悪いらしく、普通は釦に触れなければ鳴らないはずなのに、時々勝手に曲を奏でるようになってしまった。


 俺はそのまま寝台から出て浴室に向かうと、天井から降って来るお湯を浴びてイーヴ達のことを考えた。


 イーヴの妹が亡くなって四日か…葬儀も終わり、明日にはトゥレンが先に帰って来るな。

 あんな事故が起きて、つい有耶無耶な態度を取ってしまったが、距離を置くことを忘れるな。イーヴとトゥレンは、俺をあの男の思い通りにペルラ王女と結婚させるつもりなのだ。


 リーマのことを知られれば、どんなことになるかわからない。この件に関して二人は、決して俺の味方にはならんということを肝に銘じておかなければ。


 ≪今日はリーマの仕事が休みだ。なにもなければ俺も半休を取って、午後から明日の朝までリーマとゆっくり過ごそう。トゥレンが帰って来れば、また時間を取り難くなるからな。≫


 俺はいつも通りの時間に朝食を運んできたアルマに挨拶をして食事を取り、普段通りに近衛の詰め所へ出勤した。


 ヨシュアはあれ以降、近衛隊士に嫌がらせを受けたり、暴力を振るわれることは一切なくなったようだ。

 俺と二人でいる時間が長くなったせいか、少しずつ堅さが抜け、友人のように雑談をすることも増えた。

 その機に俺は、あの『カレン・ビクスウェルト』について、相談することも忘れなかった。


「――そうですか、あの女…やはりリーマさんにも横暴を始めたのですね。ですから周囲にばれないようお気を付け下さいと申し上げましたのに。」

「自分では十分気をつけていたつもりだったのだがな、どこでばれたのかはわからん。ヨシュア…〝やはり〟と言うことは、エスティ嬢も同じような目に遭わされたことがあるのか?」

「はい。まあエスティの場合は、俺が目当てだったというわけではなく、単に近衛の男と恋仲だということが気に入らなかったらしいんですけどね。」


 そんな下らない理由で嫌がらせをすると言うのか?あの派手な女は。


 聞けば聞くほど虫唾が走り、女の顔を思い出しては嫌悪を抱く。


「ではリーマと同じく装飾品を盗まれたり、家に入り込まれたりしたのか?」

「いえ、家に入り込まれることはありませんでしたが、俺が贈った指輪を脅して奪われたりはしましたね。もちろん俺が後で取り返しましたが、それ以上に最も酷かったのは、エスティを王都下級層地区に定められた犯罪取締法違反の濡れ衣を着せて、王都から追い出そうとしたことです。」

「…なんだと?それは嫌がらせという域を超えて犯罪だぞ。なぜ憲兵に捕らわれていない?」


 腹を立てた俺が聞き返すと、ヨシュアはばつの悪そうな顔をして頬を掻いた。


「ああ、ええと…それについてはライ様にお詫び申し上げたいところですが、実は憲兵に通報しない代わりに指環を返せと俺が交渉したせいなのです。あの女は欲しいものは盗むのではなく、様々な方面から脅しをかけて、最終的に自ら差し出させるのですよ。例えば、〝これをあげるから勘弁して〟と言う具合にです。」


 そのせいで〝盗んだ〟とか〝奪った〟という証拠を集めることは不可能で、合法的に指環を取り返すことが出来ず、もう後がないと言うほど追い詰めた状態で取引をして、ようやく大切な指環を返して貰ったのだとヨシュアは言う。


 俺は中々やるな、とヨシュアに感心しながら、あの日泣いていたリーマのことを思い出す。


 ――つまりリーマが俺に〝ごめんなさい〟と謝罪を繰り返し、ラカルティナン細工のペンダントについてなにも言わなかったのは、エスティ嬢と同じように脅されて、自ら差し出さざるを得なかったからなのか。


 俺はリーマが泣きながら謝っていたその理由に、ようやく納得がいった。


「…そう言うことか…では高価な宝飾品を〝盗んだ〟として捕らえて、あの女を憲兵に突き出すのは無理だな。」

「残念ですが難しいですね。それと俺の時とは異なり、あの女の狙いはライ様です。エスティの話ではエスティが嫌がらせをされていた当初から、あの女はライ様を好いていたようですから、相当執念深いと思いますよ。」

「…待て、カレン・ビクスウェルトにばれたと話をしたのは、これが初めてだぞ?なぜそれでエスティ嬢の話が出る?」


 思いがけずエスティ嬢の話をされ首を傾げる。あの女が俺を前から好いていただとか、なぜそんなことを彼女から聞いているんだ?と疑問に思ったからだ。


「それはあの女がライ様に声をおかけしていた時点で、エスティにあの女のことを話していたからです。俺はライ様の話を毎日婚約者に聞かせておりますので。」


 もちろん機密に関わるようなことは一切漏らしておりません、と絶句する俺にヨシュアは屈託のない顔で笑った。


「とにかくあの女には、正攻法ではない別の手段を考えましょう。それこそ罠を張るとか、脅しには脅しで返すとかですね。」


 人差し指を立ててそう平然と言って退けたヨシュアを見て、俺の側付きとして俺自身が選んだだけあって、心から頼もしいな、と微苦笑するのだった。


 

次回、仕上がり次第アップします。いつも読んでいただきありがとうございます!!

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